第十二回東方SSこんぺ(嘘)

語り継がれぬ記録の束は、灼払われた記憶の彼方 Vanishes with the Vampires

2013/10/26 14:41:33
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 零章 紅に染まる


 朝食の席。軽く十人は座れそうな程大きな長テーブル。実際にそのテーブルには十四個の椅子が並んでいた。今はその内三つの椅子に人影がある。とある姉妹とその父親の物だった。
 其処は奇妙な食堂だった。朝の香り、日光を感じる為の窓と云う物が存在せず、在るのは本来ならば窓の在る位置に設置された紅い紗幕のみ。故に、現在時刻を示すのは部屋の隅に置かれた柱時計だけ。時刻は七時過ぎを指していた。
  
 テーブルの上には深い赤色の紅茶が注がれた豪奢なティーカップが三つ。
  
 寝覚めが悪いのか、藍色がかった青い髪を持つ姉は不機嫌そうな顔でストレートの紅茶を啜っている。細められた目が時計を確認。文句を噛み殺し、代わりに大きな欠伸を寄越す。
 
 対照的に、金色の髪の妹は上機嫌そうに鼻歌を歌っていた。そう云った少女らしい印象とは反対に、何故か仄暗い印象を受ける金色の髪と、赤黒い血の色の眼。側頭部で纏められた髪の毛が尻尾のように、鼻歌のリズムに合わせて前後に揺れる。服装は血色のベストと同色のスカート。裾にあしらわれた可愛らしいフリルが少女が少女らしい唯一の点だろうか。
 此方は角砂糖をカップに五つ纏めて放り込み、匙でカタカタと掻き混ぜ一口。甘味が足らなかったのか更に二つ足し雑ぜていく。まだ紅茶の苦味を理解出来ぬと公言してはいるものの、少女の行為にテーブルに着く他の二人は余り良い顔をしない。
  
 少女はそんな些細な表情の変化には気付かず、楽しげに話し始める。
  
「ねぇ、お父様? お父様はお母様のどこを愛しているの?」
「“どこを”というのは正確ではないよ。我は彼女の全てを愛しているのだから」
  
 深い青色の髪をした父親が答える。その髪の色は姉の物と同色で、姉の髪の色は父親から引き継いだ物なのだと一目で分かる。逆に妹の金色の髪は母親からの遺伝であった。
  
「ふぅーん……私には理解できないなーっ。だってあの女、浮気ばっかしてるじゃない」
  
 どこか不貞腐れたような表情で、父を上目に見つめる娘。枯れ枝に玩具の宝石をぶら下げたかのような無骨な羽根がぴょこぴょこと跳ね、石同士がぶつかり合い澄んだ反響音を立てる。
  
「そう云う云い方は感心出来ないぞ、フラン。あの女ではなく、きちんとお母様と呼びなさい」
「はぁーい……」
  
 溜息混じりの娘の返事に、今度は父親が溜息を返す。
  
「それでも、浮気癖が酷いのは事実でしょう? そんなお母様を本当に愛する事が出来るの?」
  
 妹の言動にやれやれと肩を竦める姉。深く息を吐き、紅茶で喉を潤していく。
  
「我はそう云う部分、性格も含め、彼女を愛しているんだよ」
  
 父の返答を受け、何が不満だったのか頬を膨らませる少女。今度は正面に座る姉へと視線を向ける。
  
「ねぇ、お姉様もそう思うでしょう?」
  
 話を振られ、姉の視線が妹へと注がれる。
  
 正確な血縁関係があるにもかかわらず、余りにも姉とは懸け離れた妹。種族を同じくすると云う点以外、ありとあらゆる点で二人の間に類似点は存在しなかった。
  
「家族であろうと、私は他者に興味が湧かないわ」
  
 何所か突き放した様な印象を受ける姉の言葉に、それでも妹は食い下がらない。
  
「それって、寂しくないの?」
「さぁ。少なくとも私はそうは感じない」
  
 姉の返答も少女の求める物ではなかったのか、やはり頬を膨らませ不満を露わにする。
  
 そう云った一挙一動が、姉の琴線に触れる。目覚めの悪さも影響してか、舌打でも零しかねない勢いであった。
  
「それでいいんだ。フランも少しはレミィの事を見習いなさい」
  
 そう云うと、男は姉の頭を撫で、食堂から出ていく。
  
 妹はそれを羨ましげに眺め、
「お、お父様! ちょっと待って!」と、慌ただしげに父の背中を追い、食堂から消えていく。
  
 姉はやれやれと再度肩を竦め、残っていた紅茶を飲みほす。
  
「あの子も少しは落ち着き始めていい頃だと思うのだけど……」
  
 いつまで経っても父親にべったりの妹に頭を悩ます程度には、彼女にも姉らしい一面があるのだが……。本人はそれを認めたがらない。家族について頭を悩ますと云う行為自体、軟弱な物だと考えていたからだ。
  
「と云うか、また朝食は抜きなのね……必要に感じた事はないけれど、折角集まったのであれば、何かを食べるべきなのではないかしら。……相変わらず、お父様もお母様も、そしてフランも、何を考えているのか判らないわ」
  
 そう云い残し、姉もまた食堂を後にする。
 現時点ではまだ、レミリア・スカーレットの能力でも近い未来起き得る出来事を予期する事は出来なかった――
















 一章 嵐の前の静けさにこの身を任せ

     世界を裏返す方法は幾つか存在する
     その中で最も安易なのが
     眠りに就き二度と目覚めぬ事だ
     唯一の問題点といえば
     裏返す事は赤子にも出来るが
     元に戻す事は誰にも出来ないという点だろう

        グレン・サリン「幸福と云う硬貨」



 獣の慟哭が空を震わせる。
 深い夜色の中に雲はなく、踏み躙った硝子の破片のような星々が淡く輝き古臭い憐憫に浸る。月は真鍮の真円を描き、その光を惜しげも無く地上に降らす。
 だが、生い茂る木葉が夜の光源を遮り、森の中は決して慣れる事の出来ない暗黒と化していた。
  
 そんな鬱蒼とした森の中を駆け抜ける二つの影。痩躯の男と輪郭がぼやけて映る白い影。影の数に反して足音は一つ。それは機械的に一定の拍を刻み、土を蹴り上げ地上を駆け抜けていく。
  
 男の名は魂魄 妖忌。白い影は妖忌に付き従う半霊だった。
 妖忌は<半人半霊>と云う名の種族だ。
 半人半霊はその名の示す通り、自身の身体を生と死に分ける。様々な種族が集う幻想郷の中でも特異な存在であると云えるだろう。妖忌は幽霊としての霊体、人間としての実態、そして妖の特性を持つ。加え、剣術を達人の域まで磨いた戦闘の専門家だった。
  
 二人組の前方には発光体。桜色の力強い光を放つ球形の物体が浮かぶ。それは本来、攻撃用の術式である霊術<スフィアブルーム>の消費霊力を調整し、破壊力を削ぎ、灯り代わりにしたものだった。故に今はただの森の中の妖しい光源と化している。
  
 妖忌が森に侵入してから三十分ほど経っていたが未だに敵影は現れず、辛うじて残っていた気配を辿って追跡している状況であった。








「本当にこっちで合っているのか?」半霊が訝しむように訊ねる。痺れを切らし始めたらしい。それは己も同様だったので、軽口に付き合ってやる事にした。
  
「……今更な質問だ。もう少し我慢するか、もう少し早く云えば良かったものを。これ以上ないほど最悪のタイミングだ」
  
「流石に、こんな景色が延々と続けば不安にもなる。それに、無能の半人との会話は疲れるからな。敢えて最悪のタイミングを選んだ」温度の存在しない、酷く淡々とした会話だった。
  
 己も半霊とのコミュニケーションなど望んでいない。ただ、暇と時間が潰れればそれで十分だ。
  
「道を間違えるなんて素人のようなミスはしない。ほら、噂をすればというヤツだ」
  
 木々が拓け、約三十メートル四方の広場に出る。平たく均された土地は人間が整備したものだろうか。草一つない平らな土地からは一種の神経質さすら感じる。
 その中心、此方に背を向け立つ女が一人。金色の髪が月に光を受け宝石の様に輝いている。一陣の風が吹き抜け、金糸が靡く。見惚れている場合ではないと分かっていても、目を奪われる光景だった。
  
「アイツが被害の原因なのか?」半霊が心底意外だとでも云うように訊ねる。
「この幻想郷で、見た目ほど当てにならないものはない」
「そりゃそうだ。お嬢や八雲の婆さんなんか正にそれだ」
  
 脳裏に一瞬、桜色の髪の毛をした少女が過る。そして、それにつき従うように、裾を掴み妖忌を見上げる銀髪の幼子。
 己は慌ててそれらの情報を頭からから消し去り、現実に意識を集中する。これから始まるのは死闘だ。少しでも余計な事を考えればその瞬間、命を落とす事になるだろう。
  
 己が広場に一歩踏み出すと同時、女が言葉を紡ぎ出す。
  
「今日は満月ね」
  
 鈴の音を連想させる澄んだ声色。頭上に浮かぶ満月を見上げ、感慨に耽るように呟く。
  
「生憎と紅くはないようだけど」
  
 己には女が何を云っているのか理解できなかった。きっと、詩の一節か何かなのだろう。深く考えるだけ無駄と云うものだ。
  
 幻想郷には特にそう云った“無駄な要素”を好む輩が多い。
  
「そして、獲物が大量ね。私をずっと追っていたのは貴方達でしょう?」そう云って、女は此方へと振り向く。
 女が振り向いた拍子に、再度、波のように金色が揺れる。その美しい容姿も合わさり、一流の絵画を眺めているような気分になってしまう。
 日を浴びた事がないような白い陶器の肌。艶かしい血色の紅を塗った唇。数ミリの乱れもない美しい鼻梁。そして玉のような大きな瞳が妖忌達を見据えていた。
 何もかもが超然として、悪魔じみていた。
  
「満月の夜は人間も活発になるのかしら?」
  
 まるで友人との談笑を楽しむように言葉を紡いでいく女。
  
「貴様が吸血鬼のマリアだな?」己はそれを無視し、告げる。
  
 吸血鬼のマリア。十四人の人間と十五匹の妖怪を襲った吸血鬼として、幻想郷各地から討伐依頼が出されていた妖怪だった。
  
 半霊と同様に己、眼前の女がそのような大量殺人犯なのだとは思う事ができなかった。女の、まだ少女と云っても差支えないようなあどけない容姿が、どうして大量殺人と結び付かなかったのだ。
 だが、他ならぬ彼女から漏れる妖力が、吸血鬼――それもかなりの実力者である事を示していた。
  
「他人に名前を訊ねる時は先ず自分から。そんな何所かの国の言葉を聞いた事がなくって?」
「……魂魄 妖忌だ」
  
 女の戯言に付き合う気はなかったが、相手に最低限の敬意を払う程度の余裕は持ち合わせている。意識して余裕があるフリでもしていないと、途端に相手に場の流れを持って行かれそうになってしまう、と云う理由もある。自身の弱さを自覚していたし、戦闘経験に慢心する事もしない。
  
「そう。魂魄……妖忌ね。覚えたわ」
「覚える必要などない。貴様は此処で、己に殺されるのだからな」
  
 見つめ合う両者。高まる緊張――――――が、くつくつと笑うマリアの声にかき消される。
  
「それで、私も随分と有名になったものね」
  
 マリアは何か面白い物でも見つけたように、柔らかい笑みを浮かべ、己を見つめる。そんな彼女の様子に、溜息が漏れてしまう。
  
 ――調子が狂わされる。
  
「それだけ暴れれば当然だ。一応、形として訊いておいてやるが何故人間を襲った?」
「まるで“私が悪い”みたいな云い方をするのね? 先に不可侵を犯したのはそちらではなくて?」
  
   “不可侵”
  
 人間と吸血鬼、そしてその他多くの妖怪は、現在この幻想郷にそれぞれ個別の領土をもつ。
 他種族の領土へと無許可で踏み行ったからと云って、問答無用で殺されるような事はないが、余り良い顔をされないのは事実だった。特に天狗などと云った閉鎖的な種族は、こう云った問題に酷く敏感だ。これまでにも何度も他種族との衝突、問題が発生してきた。
 そして、幻想郷の住民は偏執的なまでにその規律を守ろうとする。その領土の境界を生み出したのが大妖怪八雲紫だからと云うのも当然あったが、もっと単純で大きな理由がある。それは、人間と妖怪の存在の均衡そのものが幻想郷を支える礎だからだ。不用意な争いは避けようとするのは当然だろう。何より、人間も妖怪も等しく自身の命は惜しいと云う事だ。
 賢い者ならば用も無く他種族の領域に入り込むような事はしなかった。
 そして――
 
「貴様が立っている此処が正に、人間の領土の筈なんだがな」
  
 吸血鬼が根城としている領域は霧の湖の湖畔にある紅い洋館を中心としたものだ。反して人間の里は湖を挟んだ向かい側、広い湖を超えて更に百キロ近く離れた場所に位置している。
 そして、現在地は人間の里側の森。幻想郷全土に指名手配されている様な妖怪が、郷の中でも一際神経質な人間の領土に入り込んでいる意味が分からなかった。
  
「あら、いつの間に人間は吸血鬼相手に領土戦争を起こしたの?」
  
 吸血鬼はあくまで、飄々とした態度を崩さずに応答を繰り返す。
 最初から期待などしていなかったが、言葉による説得は不可能だろう。
  
 己がそんな事を考えていると、
「ねえ、貴方。私の配下に付くつもりはない?」
 ふざけているのか、何も考えていないのか、唐突に吸血鬼はそんな事を云ってのける。
  
 己の眉根が寄るのが分かる。
  
「……有り得ないな」
「そう……。それも、そうね。ここで直ぐに“はい。宜しく”なんて云われるようなら、却って興醒めだものね」
  
 吸血鬼は歌うようにして語り、一歩を確かめる様に歩み始める。それは舞台の一シーンの様に優雅な動作で、これから戦闘を行う者のそれには見えない。
  
「なら、力付くで――」先と変わらぬ動きと口調。いい加減痺れを切らしかけたところで「奪うのみよねッ!」語尾が強く跳ね上がる。
  
 瞬間、夜空を引き裂く甲高い金属音。飛び散る火花。突進を仕掛けて来たマリアの右の鉤爪と、己が右手に持つ白刃が激しく衝突する。己は勢いを殺し切れず、後方へと飛び退る。
 天狗の俊敏さと鬼の膂力を合わせ持つと云われる吸血鬼の一撃だ。力任せの一撃が命を削り取る死神の鎌と化す。相手の体格が妖忌よりも一回り小さいのがせめてもの救いだろうか。
  
「まだまだァッ!」
  
 吸血鬼は休む暇すら与えずに、使役蝙蝠による追撃を行う。四つの黒い弾丸が己を襲う。が、それよりも早く半霊の放つ霊術<未生の光>による秒速三十万キロの光線が蝙蝠に至る。明度の高い三条の光線が宙に桜色の直線を描く。蝙蝠達は苦しむ間すら与えられず一瞬で蒸発。煙る蒸気、生きたままの生物が燃焼する不愉快な匂いが辺りに充満する。
  
 己の反撃に対し、何故か吸血鬼の表情は愉悦に歪む。
  
「後ろに妙なモノを連れていると思ったら、<半人半霊>と云うヤツかしら。益々気に入ったわ。半人半霊の吸血鬼か……」
  
 相対する吸血鬼が、臓腑の凍り付く様な妄想を零す。その顔にはゾッとしない笑みが張り付いている。その隙を付いて、己は地を蹴りつけ低空飛翔。長刀<楼散剣>が左下から右上へと逆袈裟を描き、天へと逆戻る雷と化す。
 その神速の一撃を、吸血鬼は背後へと重心をズラすだけで容易く回避してみせる。更に舞う様にして繰り出される首を狙う右の回し蹴り。それを左手に構えた短刀<墨楼剣>で上方へと受け流す。重々しい音と共に、吸血鬼は勢いを逸らされ重心を崩される。
 その隙を見逃さず、軸足を刈る下段蹴りを放つ。脚を払われた吸血鬼の矮躯が回転、ふわりと浮き上がる。己はそこへ追撃の楼散剣の白刃を振り下ろす。
 しかし、敵にとっては地も空も大差ないのか容易く宙で体制を立て直され、防御姿勢を取られる。交差した両腕の交点で受け止められる刃。交点に一点集中させた妖力が鎧の役割を果たし、その体に傷一つ付けられない。
 だが、空中では勢いを殺し切る事の出来なかったのか、吸血鬼の身体が地へと叩きつけられる。そのまま左の短刀、墨楼剣が胴を薙ぐ。吸血鬼は逃げ場を失い、これで詰みだ。
 短刀を振りぬくが、生物を切り裂く感覚は訪れず、墨楼剣は空を切る。そして視界を暗黒が塗り潰す。一瞬、何が起きたのか思考が追い付かなかったが、それは蝙蝠の群れだった。
  
 刃が身体に触れる直前に、敵が人間の姿を捨てた為だろう。吸血鬼はその性質として、自身の体を蝙蝠に変える能力を持つ。単純な戦闘力だけでも妖怪きっての実力を持つにもかかわらず、だ。其処に超再生や悪魔使役の細かな能力を加わると、まともに殺り合うのが莫迦らしくなるほどの戦闘力へと跳ね上がる。吸血鬼が人間、妖怪共に嫌われ続けているのにはこのような理由があった。
  
 ……当然、己もこのような化物は相手にしたくない。
  
 蝙蝠の軍勢の羽音が視界と聴覚を蹂躙する。闇色の帷幕と化した空間に向かって、半霊が大きさ五センチ程の鋭い刃の霊弾を放つ。その数は五十を超える。轟音と共に、蝙蝠と弾幕乱れ舞う。羽根が千切れ、身体に風穴が空き、血飛沫と肉片が四方へと散っていく。血肉の雨霰となって地上へと降り注ぎ、蝙蝠だった物が血の雨音を立てる。堪らず、生存した蝙蝠達は上空へと緊急回避を行う。
 月明かりを遮る蝙蝠の濃霧が、一時的に広場に暗黒を生み出す。そして、弾幕が収まるのを待ち、広場の奥に再び集合する。半霊が弾幕を放つ暇すらなく、一瞬で吸血鬼は人間の姿に戻って見せる。
 蝙蝠達に付けた傷など、吸血鬼にとっては有って無い様なものなのか、その身体には傷一つ付いていなかった。
  
「中々やるじゃない」
「貴様は噂通りの化け物だ」
  
 先の戦闘に息一つ乱さずにそんな事を云ってのける吸血鬼に、そんな悪態を吐いてしまう。
  
「淑女に向かって化け物とは、口の聞き方を知らないのかしら? 此処は一つ私が教授してあげましょう。貴方は未来の眷属なんだから」
「………………」
  
 沈黙を返事と受け取ったのか、それとも端から返事など期待していないのか。吸血鬼は地を駆ける颶風と化す。
  
「ふふんっ♪」
  
 疾走しながら振られる右腕、射出される金剛石の五つの弾丸。己はそれを刃で弾き、その間に半霊が<未生の光>による光線を照射。吸血鬼はそれを前もって死線から外れる事で回避する。唯、直線を描くだけの光線では敵の勢いを弱める事すら出来やしない。
 吸血鬼の姿が目前に迫る。己は迎え撃つ形で地を舐める様な横薙ぎの斬撃を放つ。敵は数センチの跳躍でそれを躱す。其処へ更に翻った白刃の一撃が首元へ向かう。敵はその一撃を左手で受け止める。楼散剣の刃には妖力が付随してあり、通常の刀の数倍の斬れ味を誇る。だが、同様に掌と云う一点に妖力を集中させたマリアに防御されてしまう。刃を掌で受け止めると云う出鱈目が罷り通ってしまうレベルで、妖力量と云う地力で己はマリアに劣っていた。
  
 吸血鬼は刃を握ったまま、その場で後方宙返り。蹴り上げられた命を狩り取る爪先が己の顎へと放たれる。刃を掴まれている為その場から動く事が出来ず、状態を逸らす事で回避をするが、掠るだけで軽い脳震盪が起き意識が暗転仕掛ける。
 其処へ吸血鬼の上空へ回っていた半霊が未生の光を照射。その一撃を己と半霊の間へと回避する事で、吸血鬼は半霊の射撃を強制的に中断させる。
 己の上で逆立ちをする様な奇妙な動作、更に其処から状態を反転させ半霊へと金剛石の弾丸を射出。退避する半霊と流れる様な動作で己の背後に着地する。
 振り返る動作で放った楼散剣が、敵の首元へと跳ね上がる。吸血鬼の右前腕がそれに呼応する形で構えられる。だが、先の二の舞にはならなかった。妖力を纏った楼散剣が吸血鬼の前腕部を切断。回転しながら宙を舞い、血液を噴出、吹き飛んでいく。
  
 更に刃の勢いは留まらず、マリアの首元へと迫る!
  
 己が発動していたのは、楼散剣を媒体に妖力を溜めこむ<冥想斬>の剣技だった。注ぎ込んだ妖力量に比例して火力が跳ね上がる単純明快な技だ。
  
 マリアは流石に焦りを露わにする。
  
 だが、首元に迫る刃を、残る左の手の平は受け止める。手の平から入り込んだ刃が関節と共に手根骨を破壊。更に尺骨、前腕部の筋肉を半ばまで切断していく。だが、刃は首元に触れた段階で勢いを無くす。
 吸血鬼の右腕から噴き出す血液が己の視界を赤く塗り潰す。自身の負傷を利用し生んだ隙に、吸血鬼は敵から大きく距離を置く。
 己はその後を追って駆ける。其処へ飛来する吸血鬼が去り際に残す弾丸。躱す事はた易いが距離が離れていく。
 そして産まれた数秒と云う時間で、吸血鬼の腕は再生。新しく生えた腕の感触を確かめるように手を握る。其処へ半霊が八本の刃を射出。吸血鬼は上部に飛翔しそれを躱す。地に突き刺さる八本の刃。巻き上げられた土煙が視界を埋め尽くし、両者共に一時的に敵を視認出来なくなる。
  
「思っていた以上の逸材ね。久し振りに、本気を出してみたくなるわ」
  
 だが、“妖力”を感じる事くらいは出来る。
  
 半霊が牽制に妖力を感じる方向へと刃を放っていくが負傷を負わせた感触はない。容易く回避されたのだろう。
 砂埃に塗りつぶされた視界の中、しかし己はマリアの位置を緻密に感じる事が出来た。彼女の桁違いの妖気が駄々漏れになっている為だった。思わず舌打ちが零れる。
  
「流石にこんなのは聞いてないぞ」
  
 噂に違わぬ超再生の能力を目の当たりし、やる気を大きく削がれた矢先に近付くだけで肌がひり付く様な妖力の暴走だ。
 感じられる妖力と、先に交えた刃から膂力を予想。更にそこへ飛行速度と重力を加味。単純な突進が、それだけで一撃必殺の反則技に化けるのが細かな計算を抜きに理解できてしまう。









 視界が晴れる。頭上には、妖力を溜め終えたマリアの姿――
  
「<バッドレディスクランブル>!!」
  
 ……現実で技名を叫びながら攻撃してくる者を初めてみた。
  
 などと、妖忌には感慨に耽る暇など与えられない。吸血鬼は嘗て無い速度で、錐揉み回転しながら妖忌へと突進を仕掛ける。
 辛うじて視認する事ができたそれを、妖忌は両手の刀を交差させる事で防御。だが、その判断は間違っていた。例え不可能だろうが、彼が行うべきは防御ではなく回避だったのだ。
 重苦しい剣戟音と共に妖忌の身体は吹き飛んでいく。地に足を付け勢いを殺そうとするが、回転しながら吹き飛ぶ身体はそれを許さない。勢いは木の幹にその身体をぶつけるまで止まらなかった。
 軋みを上げる全身の骨と背後の木。逃げ場を失った勢いが全身の筋肉が弾けさせる。更に内臓が破裂したのか口元から血泡が吐き出される。全身が等しく激痛に苛まれ、何処をどう負傷したのかすら判らないと云う有り様だった。
 まだ息があるのが奇跡的な状況だ。両腕の骨は先の一撃で砕けたのかダラリと肩からぶら下がるだけで力が入らない。今にも意識を失い、倒れそうになっている。だが、残酷な吸血鬼は束の間の安息すら許しはしなかった。
 紅に染まる視界の中で、吸血鬼が長い棒状の物を片手に大きく振りかぶるのを妖忌は見た。
  
「<スピア・ザ・グングニル>ッ!!」
  
 そして、吸血鬼が投擲するのは緋色の魔槍。それは吸い込まれるように妖忌の腹部を貫通。更に、腹筋と腸、背筋を縫い付け、彼の体を木に磔にする。噴き出す血液の噴水が足元を黒く染め上げる。
 堪え切れずに漏れ出る悲鳴。襲う激痛が、妖忌の理性を灼き尽くす。
  
「ふふんっ、息はまだあるようね」
  
 勝利を確信したのか、吸血鬼が此方へと歩み寄る。
 一歩一歩近づく足音が妖忌は死への秒読みのように聞いていた。
 後五歩。四歩。三歩。二歩。一歩。妖忌の目の前でマリアは動きを止める。吸血鬼の指先が彼の頬を愛しげに触れていた。
  
「さあ、生きているうちに、私の眷属になる事を誓え」
  
 妖忌はマリアの顔へと血反吐を吐き捨てる。
  
「あ……っ、何、い、云ってやがる。お花、畑なのは、ぁ――頭の中、だけにして、おきやが、れっ」
「命すら惜しくないと」
  
 吸血鬼は吐き捨てられた血を手の甲で拭い、更に甲に付着した血を舐め取る。
  
「まぁ、貴様の答えなど私に関係ないのだがな」
  
 吸血鬼の口元が妖忌の首筋へと近付く。
  
「そう、悪いモノでもない。黙って受け取――」
  
 其処で唐突に吸血鬼の声が遮られる。いや、そもそも発声すら出来なくなったのか。
 何が起きたのか。吸血鬼は最後まで理解出来なかっただろう。自身の優位が一瞬で逆転し、命を落としたのだから。
 クルクルと回転しながら飛んでいくのは、美麗の首。
 死ぬ直前にマリアが見たのは、彼女の胴体の背後に立ち、楼散剣の刀を鞘に仕舞う妖忌の姿だった。
 己の傍らを飛んでいく吸血鬼の首。木へと激突したそれは幹に赤い尾を曳きながら地へと落下する。
 次いで倒れる吸血鬼の胴体。首の断面からおびただしい量の血液が溢れ、広場に血の川を生み出す。鮮血の川の支流が己の足元に至る。
 鼓膜に幻痛が走るほどの沈黙が辺りを支配する。
 勝負が付いたのを確信し、壁に磔にされていた妖忌――








 ――己の姿を取っていた半霊が元の姿へと戻る。
 己が発動していたのは、霊術<幽明求聞持聡明の法>の術式だった。
 半霊の放った刃達が土煙をあげたあの一瞬で、半霊は己の姿を取って実体化し、囮となる。そして己は気配を断ち物陰に身を隠す。二つで一人の半人半霊だからこそ出来る妙技だった。
  
「……損な役回りだ」半霊が吐き捨てるように云う。

「互いの痛覚が遮断されている訳じゃないんだ。それはお互い様だろう」
  
 己は疲労と負傷で立っていられずに、吸血鬼の死体から少し距離をおき、地面に直接座り込む。現に、全身をズタズタに引き裂かれる激痛が、確かな痛みとなって全身を襲っていた。
  
 持ち合わせの符などの道具で応急処置を済ませ、一息つく。
  
 重く深い息を吐き切って、ようやく自身がまだ生きている事を確認出来るだけの余裕が生まれた。
  
「まともな勝負では歯が立たないと早々に判断できたのは大きかったな」
  
 どの要素を抽出しても、単純な戦闘で己が吸血鬼に勝てる要素は存在しなかった。
 それを真摯に受け止め勝機へと転換できるようになったのは、老いて手段を選べなくなったせいだろうか。
 いや、幻想郷に来て文字通りの化け物達との闘いを通し、手段など強者のみが選べるものなのだと知ったせいか。
 
 ……そして、己はまだその強者の域に達していないのだ。
  
「剣士の誇りも糞もなかったがな」
「何よりも先ず生き残るのが先決だ。戦死が称賛されるのは、狂った戦争の世だけだ。誇りなど、飢えた犬すら食らいはしない」
  
 嘗ては己の胸にも“誇り”の二文字が刻まれていた。
 過去の己であれば、剣士の矜持を守る為に、それこそ死する事さえ厭わなかっただろう。
  
 それほどまでに、過去の己は狂っていた。
 そして、更なる狂気に塗り潰される形で、己の中の剣士は殺されたのだ。
  
「……それで良いのか、剣士さん」そう憎まれ口を叩く半霊。
  
 その点については、自身の中で決着が付いていた故、今さら憤るような事はなかった。
  
「己達は、死んでも生き残らなくてはならないんだ」
  
 蘇りかけるどす黒く忌々しい記憶。身体の痛みより、其方の痛みの方が何倍も己の精神を蝕んでいく。
  
 ――幻想郷の救世主に成るつもりはないし、成れるなどと自惚れてはいない。だが、
「己に笑顔を向けてくれる者達、そして、失った者達の為なら、俺は何にだって、それこそ悪鬼にだって成ってみせる」
  
 今度は、半霊も冷やかす様な言葉を吐かなかった。両者の間の暗黙の了解。元は一つの存在だからこそ、超える事の出来ぬ一線は弁えていた。
  
「せめて残された者達だけは、か」
  
 半霊の呟きに、首肯する。
 黙って居ると、思考は最悪の方向へと向かおうとする。己は意識して別の事を考える。
  
 ――己が半霊と会話を交わすようになったのはいつからだろう。
  
 血で血を洗うような凄惨な戦闘に身を投じるようになって以来だろうか。少なくとも、昔はこのような妙な癖はなかった筈だ。
 口を動かし軽口でも叩いていなければ精神がおかしくなりそうだったからだろうか。
 それこそ、乱世ならば何も考えずに他者の命を屠る事ができただろう。
 だが、今は違う。この世界では“他者の命を断つ事”の意味を考えずにはいられなかった。そして、そんな思考とまともに向き合えば、狂わない方がおかしいのだ。
 だからこそ、軽い言葉で全てを濁すしかなかった。
  
 ……いや、切っ掛けは確かにあったか。それはあの事件であり、己が全てを失った――
「しかし……損な役回りだ」
  
 半霊の言葉に思考を遮られる。
  
「……まだ云うのか」
  
「違ぇよ。俺たちの仕事の事さ。妖怪の討伐なんざ、どうして好きこのんでやらなきゃなんねぇのかね」
  
 自身の境遇を棚に上げ、愚痴を吐き続ける半霊。
  
「……誰かがやらなきゃならない事だろう」
「それが損な役回りだって云ってんだ。全て諸々を、ひっくるめてな」
  
 幻想郷を支える為に、自殺因子に成り得る妖怪――稀に人間も混ざるが――を殺す。
 それが己の仕事だ。
 そう云った妖怪の出現経緯は定かではない。幻想郷の住民が何かの拍子に気が狂れてしまったか、それとも郷の規律に従わぬ存在が外からやってくるか。
 ただ己にとってはそのような存在が現れる、という事実だけで十分だった。
  
「さて、そろそろ行こう」
「もう体はいいのかよ」
「こんな所で休むより、白玉楼で休んだ方が建設的だろう」
「そりゃそうだが……串刺しにされた俺の身体の事も少しは心配しろよ」
  
 怒りを露わにしているつもりなのか、細かく震え出す白い球体。知らぬ者が見れば何事かと思うだろう。何せ今の己もそう思っているのだから。
  
「あの程度の事で弱音を吐く半霊なら、初めから要らぬ」
「だったら、初めからお前が串刺しにされれば良かったんだ。その隙に己があの別嬪の吸血鬼を殺してやったのに」
「生憎と半人と半霊では重要度が違う」
「出た出た、半霊差別か。いい加減出るとこ出るぞ」
「被告人と被害者が同一人物とは、遠まわしと見せかけて直接的な自殺志願者だな」
「お似合いの末路じゃないか」
「まったくだ」
  
 他者の死など喜劇以外の何物でもないのだから、誰かが嘲笑ってくれるくらいが丁度良い。
 痛む体に鞭を打って飛翔する。次からヤツには送迎を頼む事にしよう。流石に今のような状態での長距離移動は骨が折れる。
  
 ……多分、聞き入れてなど貰えないのだろうが。
  
 こんな日に限って、夜空は包み込む様な優しい月明りを降らせていた。








 何事にも“例外”というモノは当然存在する。
 それが先の一件である<マリア>であり、こういった輩は定期的に現れる。
 人間、妖怪共に弱体化の一途を辿る幻想郷。此処では生存をかけて争う必要がないからだろう。
 何故なら、殺し合いと云う行為その物が自らの首を絞める事になるのだから。
 だが、それだけなら問題はない。両者が共に弱体化するのであれば、それはそれで結果的にはバランスが取れるのだから。
 問題は稀に現れる異分子だった。
 彼らは幻想郷の規律に従わない。あくまで我が道を突き進み、妖怪の本能に従い、人間――稀に同胞をも襲い食らう。
 そんな妖怪たちを討伐する力は今の人間に存在しない。そして、他の妖怪にもだ。
 そもそも、幻想郷には警察といった治安維持を目的とした組織が存在しない。
 一応、個々人でそう云った自警団の真似事を行っている者も居るには居る。だが慢性的な人手不足に悩まされているようだ。
 かつては存在した退治人と云う職業も、現在の幻想郷では成り立たない。そもそも敵対する妖怪の絶対数が少ないのだ。そして、里の人間達は、身内にその様な人間が存在する事を歓迎しなかった。故に、残ったのは利益と云う要素を度外視した輩。純粋な善意に突き動かされて闘う者と、戦闘を通してのみ生を感じ取れる者、そして殺しを楽しむ者。そう云った両極端に振れた狂人達ばかりとなった。
  
 <異変>が起きれば動き出す博麗の巫女も、このような瑣末な事柄に関しては無頓着なのか中々重い腰を上げる事はない。
 いや、今現在の巫女がそうであるというだけで、過去には進んで妖怪討伐を行っていた奇特な巫女も居たには居た。しかし博麗の超人めいた能力を持ってしても、個人に出来る事は限られているし、何より“今”はそんな巫女すら居ないのだ。
 結果、己達のような地に足が付かぬ存在が、それら異分子の討伐を行って回っていた。








 八雲紫から受けた依頼である「吸血鬼<マリア>の討伐」を果たした己は、一先ず白玉楼に戻っていた。
 そこで、治療を半霊と共に受け、朝日を拝みつつ泥の様に眠った。
  
 結局起きたのは昼過ぎ。単純に睡眠時間が足らなかった事と度を越した疲労が合わさって、まだ休息を求めてはいたのだが……。腹が減っていたのもあって、取りあえず起きる事にしたのだ。
  
 そして、遅めの昼食を摂ろうとしたところで……この狭い部屋に呼び出された。
 以上の事が合わさって、今の己は頗る機嫌が悪かった。
  
「随分と遅いお目覚めなのね、妖忌」
「貴方様にだけは云われたくありません」一日の半分を布団で過ごし、四季の四分の一を布団で過ごす妖怪だ。大層な御身分である。
  
 己の返事に、対面する妖怪は人を莫迦にした様な笑みを口元に浮かべるだけだった。
  
「取りあえず、ご苦労様と云っておくわ」
  
 随分な上からな態度であるが、それも当然。己の目の前に居るのは大妖怪にして大賢者、幻想郷の始祖である八雲紫に他ならないのだから。
 艶のある金色の髪の毛と同色の瞳。少女の様な見た目だが、彼女も一応、幻想郷最古参の妖怪。齢四桁で済めば良い方であろう。
 藍色がかった紫のワンピースドレス。裾と首元には純白のフリルがあしらわれている。服装と容姿が合わさって、精緻な人形と対面しているような気分になる。
 一々会話に掴み所のない要素を織り交ぜようとしたり、他人の反応を窺って楽しむような悪癖を持っている為、余りお近づきになりたくない妖怪だ。
  
 己の左隣にいるオマケのように付き従う半霊がムズムズと揺れる。何とも云い難い緊張感が場を満たしていた。
 己と八雲が対面しているのは白玉楼の一室。応接間とも客間とも取れぬ、狭苦しい部屋。調度品の類は部屋の中心にある卓袱台のみ。簡素な印象を受ける部屋であった。
  
「どうしたのかしら? そんな小難しい顔をして」
  
 相変わらず口元には笑みを浮かんでいるが、目が全く笑っていない。恐ろしい。そして実に表情筋が器用な妖怪である。
  
「いえ、お褒めいただき有難うございます。そして顔は生まれ付きです」
  
 毎朝鏡越しに眺める自身の顔を思い出す。
 良く女性と間違えられるような中性的な顔立ち。それを種に良く幽々子様にからかわれるので、余り良い思い出はない。人間で云うと二十歳後半辺りの顔立ちだろうか。
 細い眉と目尻は常に吊り上がり、何故コイツはこんなにも苛立っているのだろうと自分自身に思わない事もない。
 肩の辺りで切り揃えられた、男性にしては少し長い白銀の頭髪。それを後ろ首で一纏めにしている為、やはり女性と間違われる事が多い。
  
(その不愉快そうな表情さえ無ければ、男色家相手もできるのにな。いや、むしろそちらの方が人気も出るんじゃないか?)
(黙れ)

 身長は百八十六センチ。身長だけが、己が男性に見える唯一の点だろう。
 自分で云っていて悲しくなってくる。
  
(一部の特殊な御趣味を御持ちの方々が見たら卒倒もんだと思うがな)
(黙れ。死ね。己を巻き込まない形で成仏しろ)

「……相変わらず、その奇癖は治っていないのね」
  
 珍しく、素で憐れんでいるような視線を向けてくる八雲。もしかしたら自分は既に手遅れなのではないかと要らぬ心配をしてしまう。
  
「八雲様も自身の式と会話を交わす事くらいお有りでしょう。それと似たようなものです」
「おい、俺を式扱いするな」
「そうなの?」
「俺に振られても困るぞ、八雲のばば――八雲様」
  
 さして慌てた様子もない半霊。明らかにわざと云い間違えていた。
  
「確かに、これを独りでやっているのだとしたら、顔に似合わず面白味があるわね。一人二役にしろ、実際に意識があるにしても面白いし。これはこれで有りかしらね?」
「だから、そこで俺に振るなっての」
  
 わざわざ半霊の方へと言葉を投げかける八雲。本当に愉しんでいるような顔だった。
  
「無駄に個性派が揃う幻想郷。それくらいやっていかないと幻想郷にすら忘れ去られてしまうかもしれないわね」
「個性派筆頭の八雲様に云われると頭が上がりません」
「それ、莫迦にしてない?」
「いえ。もしそう感じたのであれば、八雲様自身が、自分の事を心のどこかで莫迦にしておられる為でしょう」
「……まぁ、いいわ。話は変わるけど」
  
 八雲の纏う空気が一変して硬質なものへと変わる。空気の変化に、自然と背筋が伸びる。
  
「妖忌。妖怪達が徒党を組み始めている、という話はご存知?」
「いえ、初耳ですが」
  
 己は最近の幻想郷の情勢について疎い方だろう。何せ、幻想郷から少し離れた地に居を構えているのだ。
 ……と云っても、八雲の遣い以外でも何度も郷には降りている。幽々子様のお使いや、個人的興味、修行を兼ねた妖怪退治など――
 考えてみると、己が郷の情勢に詳しくないのは、単に興味が無いからだと気付いてしまう。
  
「そう……。ここ数日の間の話よ。吸血鬼達が勢力を上げ、他の妖怪達を傘下に引き込もうとしているの」
  
 吸血鬼と云えば、昨日相手をさせられた妖怪も吸血鬼だった。
  
「昨日の件と何か関係があるのでしょうか?」
「マリアについては何とも云えないけれど……吸血鬼が調子づいてきているという意味では同じかもしれないわね」
  
 八雲の顔に陰りが射す。いつも飄々とした態度を崩さない彼女だ。真面目な表情をするというだけで事態の深刻さが伺える。
  
 しかし、仲間を集めるとなると――
「……戦争でも始めるつもりなのですか?」
  
「さあ。そこまでは分からないわ。ただ、異変へと発展するのは明らかでしょうね」
  
 異変へと発展してくれれば、博麗も重い腰を上げるだろう。
  
「幻想郷を乗っ取るつもりなのかも……危険は、もしかしたらこの冥界にすら及ぶかもしれないわ」
  
 その言葉を受け、己の中の価値基準が大きく変動する。
 
 ――冥界。

 己の仕える幽々子様、そして孫娘の妖夢が暮す世界だ。顕界とは<幽明結界>で隔たれており、おいそれと行き来する事が出来ないのが現状だった。
 故に、郷からの来訪者と云えばこの八雲くらいだ。
 その幽明結界が無くとも、吸血鬼達の目的がこの冥界にも在るとは思えない。何せ此処にあるのはふよふよと漂う幽霊くらいのものだ。実態がなく、物に触れる事すら出来ない彼らを味方にしたいというのであれば話は別だが。空間が気持ち涼しくなる程度の効果しかないだろう。
  
 ――西行妖という化物も在りはするが、吸血鬼達がそれを知っているとも思えない。
  
「ただ、用心に越した事はないという話よ。妖怪が何を考えているのか、なんて分かる筈ないんだから」
「それもそうですね」
  
 目の前の大妖怪がそれを云うのだから、認めない訳にはいかないだろう。何せ『何を考えているのか分らない妖怪』の筆頭なのだから。
  
「……何か云いたそうな顔をしているわね?」
「いえ、べつに」
「相変わらず面白味のない返事ね。そんな事だから、幽々子や妖夢ちゃんに脅えられるのよ?」
「……よ、余計な御世話です」
「あら、もしかして気にしていたの? 意外と可愛らしいところもあるのね。私にそんなところを見せても仕方ないのだけど。そうねえ、例えばだけど――」
  
 語気の乱れを感じ取られたのか、饒舌に語り始める八雲紫。
  
「……それはまた別の機会に相談させて貰います」
「私で良ければいつでも相手になるわよ。こんな面白そうな事、中々ないですもの」
  
 やはりこの妖怪、他人を誂っている時が最も活き活きとしているような気がする。
  
「話を戻しましょう」
「そうね。と云っても、吸血鬼達が仲間を集めているというだけで、今の所それ意外に行動を起こしている訳ではない。だから、私達も一先ず様子を見るしかないわ」
  
 逆に云えば、向こうが動き始めさえすれば、直ぐにでも行動を起こすという事だろう。
  
 昨日のマリアとの戦闘を思い出す。あの規模の吸血鬼が他に数人居るというだけで、事実軍隊並の力があると考えてもいいだろう。それに加え妖怪が仲間に加わっているとなると……色々と用心しておいた方がいいかもしれない。
  
「何かしらの準備をしておくに越した事はないわね」
「そうですね」
  
 今の話を己にしたという事は、何か起きた場合、己を頼ってくる可能性があるという事だろう。
  
 ……先が思いやられる。
  
「それともう一つ話があるのだけど――」
  
 八雲紫が珍しく言葉尻を濁す。何か云い辛い事でもあるのだろうか。先の件だけで胃が痛みそうなのに、この大妖怪が云い淀んでしまう様な事柄など、決して耳に入れたくなかった。
  
「吸血鬼以外にも、一匹妙な妖怪が混ざり込んだようなの」
「……妙な、ですか」
「妖力なら私にも匹敵、いや、もしかしたらそれ以上かもしれない」
「なんですって……?」
  
 思わず絶句してしまう。幻想郷随一の実力者である八雲紫。彼女がそう云うのだから、その情報に間違いはないのだろう。
 そんな相手、己でどうこうできるものではない。
  
「名を<宵闇の妖怪・ルーミア>と云う。まぁ、この場合名前になんて記号以上の意味はないのだけど、せめてもの情報として、ね」
「他に何か情報はないんですか?」
「無い」
「そこだけはハッキリしているんですね……」
「ええ。ただ、宵闇と云うくらいだから、夜そのものを操る妖怪かもしれない。それもあくまで推測に過ぎないわ。だから、ヤバい、そう感じる相手に出会ったら一目散に逃げる事よ。ソイツは正真正銘の化物だから」
「……はい」
  
 考えたくもなかった。そもそもそんな相手がコチラに害意を持っていた場合、出会ってしまった時点で死が確定しているようなものだ。
 まったくもって、有難い話を聞かされてしまった。
  
「それじゃあ、私はこの辺でお暇させてもらうわ。何かあったら、また連絡する」
  
 そう云うと八雲は立ち上がり己に背を向ける。そして、右手の指先で空に真一文字を描く。それに対応するように空間が上下に開いていく。両端がリボンで結ばれ、隙間からは目玉が覗く。露悪的かつ少女趣味の素人目には狂気としか映らない物体だ。アレが形容してはいけない類の何かである事は間違いないだろう。
 と、己の悩みなど露知らずさっさと<スキマ>へと消えて行ってしまう八雲紫。部屋に最後まで残った彼女の左腕が最低限の挨拶とばかりに左右に揺れる。そして、スキマへと潜り込む。最後にスキマは跡形もなく消え去った。
  
 ……いくら幻想郷の為とは云え、さも当然のように無理難題を押し付けてみせるあの妖怪を己が好きになれる日は一生来る事がないだろう。八雲にこうして何かを頼まれるようになった経緯を思い出そうとすると頭が痛む。其処も含めて己はあの妖怪が苦手なのだろう。
 彼女が幽々子様の親友でなければ、とっくの昔に断っていた。
 八雲のような掴み所のない妖怪だからこそ、幽々子様と上手くやっていけるという面もある気はするが。それとこれとは別問題だ。
  
 そもそも、己なんかを遥かに凌駕する力を持つあの妖怪。何故わざわざ己などを小間使いにするのか。
 過去に一度、自分で討伐を行ってみたらどうだと訊ねてみたところ、
『私はあくまで幻想郷という演劇の脚本家に過ぎませんわ。駒は別に用意しておくべきなの』
 などと平和で脳細胞が死滅しているとしか思えない有難い回答をいただいた。あの一件以来己はこの妖怪に期待をするのを止めた。
 いや、端から期待などしていなかったのだが、せめてもの礼儀として“期待するのを止めた”と云っただけだ。
  
 と云うか、あろう事か己を堂々と“駒”扱いした事が気に食わない。
  
「理由が小物臭いよな」
  
 本当に、時々コイツが自身の半霊なのかどうか怪しく感じる。
  
「……前々から思っていたんだが、お前は誰の味方なんだ?」
「俺は自分が面白いと感じられれば割と何だって良い派の半霊だ」
「一体、己の中からどうやってお前が産まれたんだ……」
「その発言は間違ってるぞ。俺はお前から産まれた訳じゃなく、俺はお前と同時に産まれたんだからな」
「幽々子様曰く、半人と半霊で性格のバランスを取っているらしいが」
「なるほど、それで見事に両者の性格が間逆な訳だ」
  
 楽しそうに笑って見せる半霊。反比例して己の機嫌が地へと落ちていく。
 こう云った部分で均衡を保っているのだとしたら今直ぐ半霊を殺さなくてはならないだろう。
 いや、“霊”なのだから成仏か。
  
「眉唾な話だが、否定し切れないところが厄介だ。近々半霊用の精神病院を探しておこう」
「その場合、半人半霊仲良く揃って隔離ってところだな」
「半人から半霊を摘出する外科医を探した方が賢明か」
「霊媒師の間違いじゃねぇか?」
「……下らない事云ってないで、行くか」
  
 ふと我に返り、何をムキになっているのだと呆れてしまう。半霊の返事を待たず立ち上がり廊下へと向かう。
  
「そうだな」
  
 一拍遅れの返事を寄越し、いつも通りの後方を漂いながら付いてきやがる半霊。
 相棒として腕が立ちさえすれば、性格はどうでもいいのだ。一心同体と云う部分も戦闘を行う上では随分と役に立つ。半霊などそれだけで十分なのだ。
  
「俺もお前と同感だよ。お前は黙って刀を振っていればいい」
  
 そう云う事だ。








 楽園の巫女、博麗は考える。
 幻想郷は今、一つの転換期を迎えようとしている。
 長年の平穏に日和、弱体化した人間と妖怪達。
 そして、近年幻想郷に現れ一気に頭角を現し始めた吸血鬼という存在。
 噂によると、一部の吸血鬼が妖怪を先導し、異変を起こそうとしているらしい。
 今はまだ大きな動きはないが、何か善からぬ事が進んでいるのは確かだろう。
 だが、問題はそこではない。
 この幻想郷の流れは必然だった。
 弱体化した住民達が、外部からやって来た新参者達によって窮地に立たされる。
 この様な状況が起きる事は、幻想郷に大結界が張られた日に決まっていたようなもの。
 故に、今起きている現象は異変とは対極をなす日常のようなものなのだ。
 結果、何を行うべきなのかと云えば、異変解決ではなく、此の郷の根本的改革。
 幻想郷の在り方そのものを変えるしかない。
 同時に、八雲紫の動向も気掛かりだった。
 賢者などと云う大層な呼び名が付いている彼女が、この単純な結果を予想出来なかったのだろうか?
 そんな筈はない。何せ、あたしが思い至るくらいなのだから。
 彼女の行動は全て幻想郷の為にある。それは確かだろう。
 だが、その“愛情”は、郷の住民にまで及んでいるのだろうか?
 博麗は考える。
  
「考え事か、博麗」
  
 優しげだが、一本の芯が通った聞き取りやすい声。そんな呼び声で博麗は我に返る。
  
 秋の夜風が首筋を撫でるのが心地よい。銀色の月明かりがフワリと降ってくるような錯覚。
 付近から鈴虫やコオロギの鳴き声が喧しくない程度に聴こえて来る。
  
 博麗は縁側から投げ出した素足を前後に振る。
 脚が風を切っていく感覚が気持ち良かった。
  
「あたしの事は博麗ではなく、名前で呼んでと云った気がするんだけど?」
  
 質問には答えず、博麗は話題を転換する。
 本来であれば、文句の一つでも飛び出るところだが、隣に座る女性は赤らめた頬を掻くだけ。
 そして、きょろきょろと忙しなく視線を動かしはじめる。
 結局、月を見上げる事に落ち着いたらしい。
  
「恥ずかしいんだ。分かってくれよ」
「“博麗”はさ、あたしじゃないんだよ。それは、幻想郷の巫女としての在り方。あたしにはあたしの名前がある。あたしは、それをあんたに呼んでもらいたい」
「……気が向いたらな」
  
 いつも通りの釣れない返事。
 博麗も慣れたもので、深くは追求せずに笑みを浮かべる。
  
 ――コイツがあたしを名前で呼んできてくれる日がくるのかな。そのうち無理にでも呼ばせる事にしよう。
  
 博麗の内心を知ってか知らずか、女性は身体を投げ出すと仰向けに寝転ぶ。
  
「また、考え事か?」
「うん。あんたがどうやったらあたしを名前で呼んでくれるか。そんな生娘みたいな事を、少し」
「勘弁してくれ……。求められれば求められる程、ハードルってのは上がっちまうもんなんだよ」
「それはさっさと諦めて、早いうちに呼び始めなかったあんたが悪いわ」
  
 彼女が神社に住み着いてから半年と少し。二人が出会ってから約一年が経とうとしていた。
 二人の出逢いは決して穏やかな物ではなかったが、それでも博麗は今の暮らし、時間に満足していた。
  
「あー、ほら。こんなにも月が奇麗なんだ。頭を空っぽにして、風情と酒を楽しもうじゃないか」
「だから、あたしは余り強くないんだけど……まぁ、良いか」
  
 今日くらいは自分に甘くなっても構わないだろう。
 縁側から見上げる月明かりが、優しいうちはまだ……








 半霊との下らない会話を終えた己はもうこの部屋に用はないとばかりに廊下へと出る。空を眺めると皮肉なまでの快晴。己の心と一時的にでも交換して貰いたい。
  
 庭に目をやると、数匹の白い幽霊が空間を漂っていた。
 初秋に入り始めた頃合い。庭の木々が色付くまで、もう一週間程かかるだろうか。
 暫く空を見つめていると冷たい風が廊下を走り抜け、いつの間にか掻いていた汗が冷える。
  
 ――平和か。
  
 思わず呟いてしまった単語に、自分が随分と感傷的になっているのだと気付かされる。秋の雰囲気のせいか、それとも……
 そこで、忘れかけていた空腹を思い出し腹の音が鳴る。
  
 ……そういえば八雲紫に昼食を邪魔されたんだったな。
  
 己は勇み足で白玉楼の廊下を食堂へと向かって歩いていく。
 思えば、自分がこの場所に滞在する事も少なくなった。亡霊の姫君となった幽々子様に己のような用心棒は必要ない。だから、己は妖夢に現時点で半分以上の仕事(主に庭師の方面ではあるが)を任せてしまっていた。己が引退し、妖夢が後を継ぐ日も近いだろう。それに関しては幽々子様も賛成してくださっていた。
  
 過去に一度、妖夢にもそれに近い事を告げた事があった。その時は確か、
『はい! わたし、せいしんせいいゆゆこしゃまをおまもりします!』
 と、興奮していた為か若干舌足らずな話し方で、自身の有用性を語っていた。あの時の妖夢の姿を思い出すと今でも自然と笑みが零れてしまう。
  
 ――あとどれくらいの期間を己は彼女たちと共に過ごす事ができるだろう。
  
 それは予感のようなものだった。己は近い内に、この白玉楼を発たなくてならない。そんな漠然とした予感。
 それまでに妖夢に教えられる事は全て教えなくてはなるまい。
 妖夢がきちんと己の後を継げるのか、不安で仕方がないが……

「しかし、八雲紫級の妖怪なんざ、いくら己達でも太刀打ちしようがないだろ」後方に付き従う半霊の声。
  
 半霊が意思を持って話すと云う事態が稀なのは理解している。
 一種の精神病、解離性同一性障害。極度のストレス下で生まれたもう一つの人格。
 そのようなものに近い何かなのだろうと自己判断を下しているが、半人半霊が多重人格などと云う病気にかかる事があるのかは解らない。
 八雲に悪癖と突っ込まれるのも仕方がないのだろう。
  
 余り他人に見られたくない行為故に、白玉楼内ではしないよう気を付けていたのだが……どうやら思考を整理する時の癖になってしまっているらしい。
 先の会話を思い出すと溜息が漏れる。彼女は逃げろと云っていたが、そんな簡単に事が済むのであれば、そもそも己達にその様な事を告げはしないだろう。
  
「……面倒な事にならなければ良いが」
「まぁ、こういう時ってのは大抵、既に――」
「お爺ちゃん!」
  
 半霊の言葉を遮るように、背後から叫び声に近い、張り上げた様な声をかけられる。
 呼称から誰が己を呼んだのかは明らかではあったのだが、振り向くと予想通り孫娘の妖夢が此方に向かって走って来るところだった。
  
「お爺ちゃん、今、誰とお話していたの?」
  
 よりにもよって妖夢に件の独り言を見られるとは……
 顔に血が昇るのが分かる。
  
「妖夢、ちょっと待ってってば」
  
 妖夢の後ろから歩いて来たのはこの白玉楼の主である西行寺幽々子様だった。
  
「幽々子様が遅いんですよぉ」
  
 ……早速、白玉楼の先行きが不安になる光景だった。従者に付き従う主とは、冗句以外の何物でもない。
  
「こら妖夢。お前、本当に主従関係というのを理解しているのか?」
「当然! 斬って斬って、斬りまくるんだよね!」
  
 もうそれは辻斬りが何かである。眩しい笑顔と自信に満ち溢れた気概に、思わず目を覆い頭を抱えたくなる。が、その衝動を何とか抑え、
「違う。あくまでお前の刀は幽々子様をお守りする為にあるんだ。斬るのはその手段に過ぎない」
  
「……へ?」
  
 首を傾げながら己の目を上目遣いで見つめる妖夢。
 ……この娘、絶対理解出来てない。
  
「そういえば、お爺ちゃんさっき誰とお話していたの?」
  
 そして、当然のように話題を転換し始めた。地雷の方向へと。
  
「あー、それはだな……」
  
 素直に話しても良かったが、影響を受け易い妖夢に教えると直ぐさま真似をしそうで悩んでしまう。
  
 己の困った表情を見て幽々子様は何かを悟ったのか、
「妖夢それはね――」と、助け舟を出してくれた。
「妖忌は<妖怪対策本部>と通信していたのよ」
「妖怪対策本部!?」
  
 先ほどとは天地の差がある反応を見せる妖夢。キラキラとした眼差しで、己と幽々子様を交互に見上げる。
  
 一体このワードのどこが妖夢の琴線に触れたのだろう。理解出来なかったし、したくもなかった。
  
 ――そして、幽々子様はどうしてこのタイミングで己にウィンクをして見せるのか。正直事態がややこしくなっただけです。
  
「ねえ! 妖怪対策本部って何!? お爺ちゃん!」
  
 顔を好奇心一色に染め、己へ<妖怪対策本部>に関する様々な質問をぶつけてくる妖夢。そんなの、己が聞きたいくらいだった。なんなんだ、妖怪対策本部って。
 それを無視して、食堂へと向かう事を決意した己。
 しかし、己の背中に質問を浴びせながら食堂まで追ってくる妖夢。
 食事中も関係なく質問を浴びせてくる妖夢。
 期待の眼差しで己を見つめる妖夢。妖夢妖夢妖夢妖夢妖夢妖夢――
 頭が痛くなりそうだった。既に軽く痛んでいるような気さえする。

 ……そして、正面では幽々子様が俺の気など知らず昼餉の狐饂飩を啜っていた。
  
「幽々子様も御昼はまだでしたか」己は妖夢の質問を無視して訊く。
「つい一時間ほど前にいただいたんだけどね……妖忌が食べてるの見てたらお腹減っちゃって」
  
 亡霊は生前に満たされなかった欲求が強くなって表れるというが、幽々子様の死因は餓死だっただろうか……違ったような気がする。それにしたって幽々子様のそれは極端な例だろう。
 そもそも食事を必要としない亡霊は、逆にどれほど飯を食おうと関係がない。故に彼女の行為は既に嗜好を楽しむ為だけに在るようなものだ。
 彼女の食道がどこに繋がっているのかなどと無粋な事を突っ込んではいけない。
  
 と、そうこう考えている間に幽々子様は三杯目の饂飩を食べ終えていた。
 隣では妖夢が未だに質問を投げかけてくる。
  
 ……物凄い勢いで食欲がなくなっていくのが分かった。








 時間は少し遡る。
 夜明け前の闇と静寂が幻想郷を満たし、森の中はまだ先の戦闘の面影を残していた。
  
「そろそろ良いかしら」
  
 血に濡れた金糸を纏った生首の瞼が開く。紅い瞳が辺りを確認するように左右へと揺れる。
 先ほど魂魄 妖忌に殺された筈のマリアであった。
  
「ふぅ……死んだフリなんて久し振り」
  
 周囲に生物の気配がない事を再度確認し、胴体がその声に反応するように動き出す。
 初めはぎこちなく。紐が解かれた操り人形のような不快な動きで。
 だが直ぐに遠隔操作に慣れたのか、たどたどしい動作ながら真っすぐ自身の首に向け歩き出す。
 
「あれはやられちゃったなあ。でも、益々欲しくなっちゃう」
  
 先の戦闘を思い出し自嘲するマリア。
  
「でも、あーんな格好付けちゃってたのに、吸血鬼の殺し方一つ知らないなんて。可愛いところもあるのね」
  
 マリアの両手が自身の首に触れた時だった。
  
「そうね。本当に。こんな初歩的なミスをするなんて、信じられない」
  
 有る筈のない同意の言葉に、その場から飛び退るマリア。
 数瞬前まで存在していなかった筈の妖気が、何故か彼女の背後に、唐突に現れたのだ。
  
「……誰?」
  
 そして、再び消失した。
 だが、今度は油断出来ない。気配がないという事が、何よりの信号なのだと知ってしまったから。
 周囲を見回すが、気配同様に視認できるような姿は存在しない。
 先の戦闘の疲労が残っているとはいえ、マリアも吸血鬼の一人。まだまだ戦える状態ではあったのだが、
「あんな規格外、冗談じゃないですわ」
  
 誇り高き吸血鬼の戦闘意欲を一瞬で挫くほどの気配。
  
 そして、
  
 先ほどと同様、
  
 唐突に、
  
 訪れる、
  
 暴力――――――
 
 気付くとマリアの手首から先が消失していた。
 痛覚が暴走を始め、視界が赤く染まる。
 両手から噴き出す血液が二つの山なりの軌跡を描く。
 気付くと膝から先が切断されていた。
 当然の様に倒れる身体。直ぐに人型の変化を解き蝙蝠と化そうとした。だが、それすらも遅すぎた。
 気付くと頭部と胸部が一本の杭によって地面に縫い付けられていた。
 自動再生が施されるまでの一時的な“仮死”によって強制的に蝙蝠化が中断される。
 痛覚が遮断。断絶する記憶。暗転する視界。消える自我。闇に溺れる精神。制御不能となる身体。
 数秒のうちに三十七片の肉塊へと調理されたマリアの身体。
 それでも尚、吸血鬼の強靭な生命力はマリアを殺さない。声に鳴らない絶叫は、口元の血泡を揺らすだけだった。
  
 そして、最後に、その心臓へと木杭が打ち込まれる。
  
「貴女相手に“殺り過ぎ”なんて言葉は不要。だって、まだ足りないくらいだもの――」
  
 自身の身体に何が起きているのか、マリアは最後まで理解できなかっただろう。
 襲撃者の姿も、名も、何もかも。

 異質なまでに巨大な刃。
  
 その刃は見る者にギロチンを連想させた。
  
 マリアのせめてもの抵抗が功を成したのか、辛うじて残っていたマリアの右手、そこには金糸の髪が一房握られていた。
















 二章 感情は環状の勘定として

     人間と豚ほど醜い生物はこの世に存在しない。
     私には両者の区別が付かぬし、付けようとも思わない。
     そういえば豚は殺されるのを待つだけだが、
     人間は自ら殺されに来る。
     だから私は人間がより嫌いだ。

        アー・トヴァリエ「格子越しの死」



 研ぎ澄まされた鋼鉄が空を斬る鋭い音が響く。連続して耳朶を震わせる風斬り音。
 刀身が九六五ミリメートル。柄が四〇〇ミリメートル。全長一三五〇ミリメートルに亘る大業物<楼散剣>が空を斬る音だった。
  
 <楼観剣>が森羅万象を断つ刀であれば、<楼散剣>は天地万物を終らせる刀、
  
 ――何とも今の己にお似合いの刀だ。
  
 より速く、より力強く、より正確に、刃を振るっていく。
 左から右へと刃を振り抜く。転瞬、流れる動作で斬り上げ、振り上がった刃を更に振り下ろす。
 身体が自然に動く。それでも尚、動作の意味を噛み締め、続く動きに入る。
  
 より薄く、より鋭く、より緻密に、刀身に妖力を纏わせる。
 本来、刀とはその繊細さ故に打ちあいに適さない刃物だ。
 薄く研ぎ澄まされた刃は、一種の美麗さすら纏い、見る者を魅了する。
  
 しかし、それ程までに扱い辛い凶器である事も確かだった。
  
 妖忌はその刀に自身の妖気を纏わせる事で、無理矢理に硬度を跳ね上げさせている。
 同時に、通常の刀では切断が不可能な物体の両断も可能にしているのだ。
 その斬れ味は、妖忌が数百年かけて作り上げた唯一無二の物。肉親の妖夢でさえ、この域に達する事が出来るか判らない。
  
 ……可能ならば、妖夢にはこのような殺人術が不要な世界で生きて欲しいと願う。
  
 剣術はあくまで一つの道として。
 精神を鍛える為の可能性として、其処にあってくれれば良い。
 そして、幻想郷であれば、その様な生き方も可能だろうと思う。
  
 横に並び、己と同じ様に刃を振るっていく妖夢を見つめる。
 妖夢が振るっている刃は、先に上げた<楼観剣>。彼女が二十歳を迎えた日に、白桜剣と共に譲り渡した物であった。
  
 その日以来、妖夢の稽古に力が入ったのは良い。良いのだが……
 長刀を調理場に刀を持ち込んで、『何か手伝える事はありませんか!』などと叫び、料理人達を困惑させてみたり。
『庭師の仕事と稽古を両立させてみせる!』などと叫びながら庭の桜の木を微塵斬りにしてみせたり。
 果ては自身の力量に見合わぬ物を斬ろうとして、刃を傷めてみたり――この出来事があって以来『斬れぬ物など存在しない!』という彼女が三日三晩寝ずに考えたらしい決め台詞が『斬れぬものなどあんまりない!』に変わってしまったのだが、それはまた別の話である。
  
 などと、端から眺めている分には大変愉快な事になってしまっていた。
 己は端から見ている場合ではないのだと気付いていたが、もう笑うしかなかった。
 そして、あの一件以来、妖夢には軽はずみに物を与えてはならないという教訓を得たのだった。
 世の“子供”や“孫”は皆ああいうモノなのか。
  
 ……いや、妖夢の母親はもう少し――いや、大分マシだった気がする。
  
 と、話が大分脇道に逸れてしまった。世の孫の事は分らないが、爺は大抵家族の話をしたがるものなのだろう。
  
 今更ではあるが、己は妖夢と共に剣術の稽古を行っているところだった。
 べつに己は年がら年中イカれた妖怪を相手にしている訳ではない。己の他にもその様な役割を担っている人妖は少なからず居る。己が少しばかりサボったところで、大した問題はないだろう。まぁ、そう云った輩が稀少なのは理解しているし、自惚れではなく己が消えれば幻想郷にとって大きな痛手になるとは思っている。
  
 ――妖夢には死ぬまで幽々子様に仕えていて貰いたいと切に願う。
  
「……師匠?」と、妖夢の呼び声で我に返る。
  
 刀を構えたまま、不安げな表情で此方を見上げていた。
 どうやら稽古の途中で思案に暮れてしまっていたらしい。最近の出来事が錯綜し過ぎていて、疲労が溜まっているのかもしれない。
  
「いや、すまん。教える側の人間がこれでは稽古にならないな。少し休憩にしよう」
「はい……。大丈夫? お爺ちゃん、疲れてるみたいだけど」
  
 最近やっと『お爺ちゃん』と『師匠』の使い分けができるようになってきた妖夢。この孫娘が不安の数割を占めているという事実に果たして本人は気付いているのか…………
 
 いないのだろうな。
  
「少しだけ、な」
  
 何とかそれだけ返事をして縁側に座る。昨日に引き続き、空は秋特有の高く澄んだものだった。
  
「妖忌が稽古の途中に気を抜くなんて、珍しい事もあるものね」
  
 と、どこから見ていたのやら、幽々子様も此方へと歩いてくる。
  
「はあ、本当に。情けない姿を見せてしまいました。少し気を引き締めなくては」
「私からしてみれば、今くらいの妖忌が丁度良いのだけど」
「そういう訳にもいきますまい」
  
 現時点で、妖夢の躾が心身共に全くなっていないのだ。これ以上気を緩める事は出来ない。
  
 ……いや、もしかすると妖夢にとっても、少し穏やかに接した方がタメになるのだろうか?
 
「妖夢はどう思う?」
「へ?」
  
 突然質問を投げつけられ慌ててしまったのか、妖夢は宙を両手で掻くような動作をし始める。
 その動作にどんな意味があるのだろうと考えそうになり、直ぐに止めた。この孫娘の一挙一動に深い意味合いがあるとは思えなかった。
  
「わ、私は、いつも通りの格好良い師匠が好きです」
  
 ここで『格好が良いのが好き』と答えるのがなんとも妖夢らしい。べつに、そう云った憧れを否定する訳ではないが。
  
「ただ……お爺ちゃんはもっと優しくても、いいかな? なんて……」
「…………」
「だ、そうよ?」
  
 思えば、己は妖夢に対して常に厳しい“師匠”としてあたっていた。故に彼女に家族らしい事をしてやった記憶がない。
 それはきっと、己の娘――妖夢の母親の死にも関連しているのだろう。少しでも多くの事を妖夢に教え、あのような悲劇を繰り返さない為に。

 武術など、必要がないならば、それが一番だ。
 しかし、現実はその様な理想をいとも容易く打ち壊す。
 
 ……だが、少しくらいは家族らしい事をしてやっても良いのではないだろうか。
 そんな考えに至ってしまう時点で、己も少なからず幻想郷という世界の緩い価値観に染まってしまっているのだろう。
  
 ――それに、あのまま八雲紫に面白味のない人間だと云われ続けるのも癪だ。
  
「今度、出かけてみるか?」自然と、そんな言葉が口から出ていた。
「ホント!?」
  
 己の言葉にパッと目を輝かせる妖夢。こんな表情も、今まで見た事がなかった。
  
「あらあら、本当に珍しい。槍が降る? それとも嵐の前兆かしら」
「茶化さないで下さい、幽々子様」
「事実じゃなくて?」
  
 図星の為、何も云い返す事ができなかった。
 ただ“珍しい”という部分だけではなく、“嵐の前兆”という部分が頭にこびり付いて離れない。やはり幽々子様は鋭い。
  
「それじゃあ! わたしは準備を――」
  
 勢いに身を任せ、自室へと走り出そうとする妖夢の手を掴む。
  
「……今日とは云ってないぞ」
「……はい」
  
 己が初めて見るくらい、妖夢は悲しそうな顔をしていた。








 浮足立った様子の妖夢を何とか落ち着かせ、座らせる。
 恨めしげな視線で己を睨みつけてくるが無視して話し始める。
  
「さて、前回の復習からだが――」
  
 妖夢の前に立ち、一体どの辺りまで妖夢に説明したかは思い出そうとする。己はべつに、幻想郷の歴史や外の世界の史実を妖夢に教えようとしている訳ではない。
 己が妖夢に教えられる事と云えば、戦闘に関する事に限られている。この授業もまた、戦闘に関するものだ。己は教師ではないし、今までこの様な事をした経験がないから、上手く出来ている自信はないが……。
  
 そうだ、前回は確か、全ての技の根源である術式に関して話したのだ。
  
「では、始めよう。先ず、術式は大まかに幾つに分けられると話したか覚えているか? それと、それぞれの名称を答えてみろ」
「えーっと……確か全部で五つありました。それぞれの名前は……<気力>に、<魔力>に<妖力>。後は、<霊力>でしょ……それからー……」
  
 前半は正解。妖夢は後半の問題を指折りで答えていくが最後の最後で詰ってしまう。
  
「<神力>だ」
「それです」
  
 さも『今分かったんですが一瞬早く師匠に答えられてしまいました』みたいな神妙な顔付きで頷いている。
  
「まぁ、<神力>については、己達とは完全に無縁な分野になるから、最悪忘れてくれても構わない」
「ならどうしてわざわざ教えたんですか?」
「この中で、一番強力で無慈悲な力が<神力>だからだ。己達には扱う事は出来ないが、幻想郷の中にはそう云った力を扱う<神級>が少なからず存在する。知っておいて損はないし、いざ対面した時に困らずに済む。
 繰り返しになるが、術式の根源となる力。それは<気力> <魔力> <妖力> <霊力> <神力>の五つだが、前に挙げた物ほど、人間に近しい力で有り、後の物はそれと間逆の性質を持つ。当然、後ろの物ほど強力な術式を比較的安易に生み出す事ができる」
「私達は前者寄り、という事ですか?」
  
 妖夢は首を傾げながら質問を寄越してくる。
  
「それを今から説明する。
 以上の事から、産まれ育った種族によって、得手不得手となる力、そもそもどんなに努力しようとも使えない力などが存在する。先に話した<神力>などが正にそれだ。ここまでは分かるな?」
「はい」
「先ずは一つ目の力、<気力>について語ってみよう。これは、同時に種族としての<人間>を語る事にも繋がる。人間は、幻想郷の内外問わず、実力者の多い種族だ。詳しく知っておいて損はないだろう。
 人間は<気力>を扱う事を最も得意とするが、この気力と云うヤツは直接術式へと変換するのが難しい力なんだ。結果、人間が術式を使用するには<気力>を<魔力>へと変換する作業が必要となる。これは、主に魔具や空間など、外部の助けなどを借りる事が多いが、基礎となるのは脳内で行われる細かな演算だ」
  
 妖夢の表情が険しくなり始める。この分野は一際、口頭による説明が難しい分野なので、それも仕方ないのだが……開始して十分も経っていないのに、早くも欠伸をし始めるのは如何なものか。
  
「だが、この<魔力>は己達のような半人半霊と余り相性が良くない為、大まかな説明だけで省かせて貰おう」
  
 妖夢は相変わらず渋い顔をしている。自身とは無縁の<力>の話なら、初めからしないでくれとでも思っているのだろう。
  
「先ほども云ったが、戦闘においては自分が使えない<力>にこそ理解を深める必要がある。何故なら“慣れによって覚える”と云うプロセスが存在しないからだ。今日は触りだけだが、次の授業ではもう少し深い部分まで教える事になるから、少し頭を整理しておくように」
「……はーい」
  
 やはり渋々と云った様子の妖夢。その気持ちは分からなくもないが……。
  
「次に<妖力>の説明に入ろう。この辺りから己達が使う事になる術式の基礎になるから、きちんと聞いておけよ」
  
 “強くなる”という事に関しては人一倍興味を持っている妖夢は、取りあえず力になると云っておけば真剣に耳を傾けてはくれる。曲がりかかっていた背筋が、己の一言によって伸ばされる。本当に現金なヤツだ。
  
 ……それで、妖夢が理解に至るのか、というのは別問題であるが。
  
「この<妖力>とは、種族の垣根なく“長く生きる程に力、量が増えていく”という性質を持っている。故に長寿な妖怪は勿論、特異な性質を持つ人間にもこの<妖力>が備わっている場合がある。極端な例だが、<不老不死>なんて物があれば、それだけ強大な<妖力>を手に入れる事ができるだろう。
 逆に<霊力>は死に近付けば近付くほど、その力が増していく。己達が術式の根源として使用するのが主にこの<妖力>と<霊力>の二つだ。半人と半霊、生と死と云う正反対の事象が隣り合っている己達だからこそ、強力な妖術と霊術を両立して使用する事が出来ると云う訳だ」
「それで、最後の<神力>は神様にしか使えないという訳ですね」
「ああ、そう云う事になるな。<神力>は文字通り神が産まれ持つ唯一無二の物だ。そう云う意味じゃ、幽々子様は殆ど神みたいなものなんだがな」
  
 云ってしまった後で、妖夢が幽々子様を神様扱いしないかと心配になる。
  
 ……いや、それくらい極端な方が、妖夢と幽々子様の主従関係としては丁度良いのかもしれない。
  
「魔術に必要なのは、精緻な演算とそれを支える凝固な集中力だが、妖術と霊術に必要なのは“思い描く力”、それに加え、それを具現化し支えるだけの力だ。そして、これらの術式を行使する場合、無意識の内に自身の特徴、性質が現れてしまう場合がある。幽々子様であれば“桜”や“蝶”。己であれば“刃”がそれに該当するな」
「だから幽々子様の術はあんなに奇麗で、師匠のは力強いのですね」
「ああ。己は機能に、幽々子様は見た目に拘り過ぎている節はあるがな」
「なるほど……。一つ質問があるのですが」
  
 律儀に手を上げる妖夢。
  
「良いぞ、云ってみなさい」
「<魔力>が私達の身体と合わないと云うのは分りましたが、その源である<気力>についてはどうなんでしょうか」
「良い質問だな。先ほどの話とは矛盾するようだが、生物にはこれらの五つの力が全て備わっている。要は、そのバランスに違いがある、と云うだけなんだ」
「<人間>も<神力>を持っているけど、術式を行使出来るだけの力量が無いって事?」
「そうだ。そして、体内にある五つの力を、互いに循環させる、と云う事も可能だ。<気力>から<魔力>への変換がそれに当たるな。妖夢の疑問はきっと<気力>を<妖力>や<霊力>に変換できないのか、と云うものだろう?」
「はい」
「それも可能だ。しかし、消費した気力を十割全て妖力へと変換するには、並々ならぬ努力と鍛練が必要になる。妖夢が今すぐやろうとしても、きっと上手くいかないだろうな。消費した気力の二割ほどの量の妖力が生まれれば御の字だ」
「師匠はどうなんですか?」
「己の場合、妖力への変換は完璧にこなす事が出来るが、霊力への変換は八割程と云ったところだ」
「師匠ですら、まだ全てを巧くとはいかないのですね」
「ああ。剣術の鍛練とは違い、掴み所がなく、自身の中に“回路を生み出す”作業に多大な時間がかかるからな」
  
 新たな物事を学ぶ時、こう云った“応用”に興味が削がれてしまうのは、どの分野でも変わらないのだろう。
  
「まあ、そちらについては妖夢にはまだ早い。今は取り敢えず、術式について考えてくれればいい」
  
 神妙な顔で頷いている妖夢。
 隙あらば、練習してみようとでも思っている顔だった。
  
「今の話を聞いて、もう一つ質問したい事が」
「云ってみなさい。疑問が生まれる事は、良い事だ」
「はい。えっと、幻想郷には博麗の巫女が居ますよね?」
「ああ」
「彼女が使うのは、霊力だったと聞いた事があるような気がするのですが、本当でしょうか?」
「そうだな。彼女が使うのは己達と同様、霊力だ。だが、その内は全く異なるものだ。具体的に云うと、彼女達は自身の寿命を削る事によって、常人離れした霊力を生み出している。自身を死に近づける事、そして、寿命そのものを力に変換する事によってな。それを彼女たちは無意識にやっているんだ。故に博麗の巫女は短命だと考えられている」
「私も、寿命を縮めれば強くなれるのでしょうか?」
「さっきも云ったが、彼女たちはそれを“無意識”に行っている。己達が意識してどうにかなるものではないし、身につく能力でもない。それに、例えそれが使えるとしても、勝利の為に寿命を縮めるのは本末転倒と云うものだ。博麗の巫女を否定する訳ではないがな」
「成る程……分かりました」
  
 決して、自身の孫娘などには使って欲しくない力だとは思う。思ってしまう。
  
「質問は以上か?」
「はい」
「よし。では、早速だが庭に出て、少し実践してみよう」
「はい!」
  
 やはり黙って話を聞くよりも、実際に体を動かす方が好きらしい。
  
 再び外に出ると、室内との温度差に辟易してしまう。
  
 妖夢はと云うと、己が廊下へと出る頃には既に庭の中心に到達していた。更に勢いを止めず走り続けていく。その後ろ姿を眺め、一体彼女は何所へ向かうのかと嘆息してしまう。
  
 ……取り敢えず走り去った妖夢を呼び戻さなくてはならなくなってしまった。








 殺風景な室内だった。調度品の類も、書籍の類も何一つ存在しない。唯一の装飾と云えば、壁に掛けられた古めかしい時計だけ。他ならぬ、己の自室だった。
  
 ――我ながら面白味のない部屋だ。
  
 だが、己はこの部屋を気に入っていた。此処からは庭の木々を一望する事が出来る。唯それだけの理由で。
 景色を楽しむ以外にする事がないのも確かで、最近ではこの部屋は休養以外に利用していない。
  
 ならばどうして、その様な部屋に己が居るのかと云うと、八雲との対談を思い出して少し幻想郷の情勢について触れてみようと思い立ったからだった。
  
 幽々子様に『何か幻想郷の情報を掴めるものはないか』と訊いてみたところ、白玉楼では天狗が発行している<文々。新聞>と云う新聞を取っている事が分かった。
  
 ……これは、どうなのだろうな。
  
 べつに新聞について拘りがある訳ではないが、記事を書いているのが<射命丸 文>だと云う点が気掛かりだった。個人的に嫌いな相手と云う事はないのだが、彼女の慇懃無礼な言葉遣いや、その相手をおちょくる様な言動がどうにも好きになれない。どのような記事を書いているのかと云う点については興味があるが、ゴシップ紛いの記事で溢れているような印象しか湧かない。
 幽々子様が『実際、文々。新聞なんて誰も取ってないわねぇ。一部の物好きか、面白くないものを面白いと思えるユーモアの持ち主でもないと』と評していたのも尻込みの原因だろう。
  
 ――流石に事実を無理やり歪めるような事はしていないだろうが。
  
 手元にその新聞があるのだからさっさと読めば良いのだと云う点に十分程考えた後に思い至り、俺は新聞を読み始める。
  
 見出しには『吸血鬼が勢力を拡大、異変の前兆か!?』の文字。流石に三日前のマリア討伐については触れられていなかったが、凶暴化した妖怪達の仕業と思われる事件が幻想郷各地で頻発しているらしい。死者の数は殆どないが、妖怪、人間ともに何十人もの重軽症者が発見されている。
 つまり、“妖怪が凶暴化する”と云うのが今回の異変の内容だと考えられる。シンプルだが、その分過去の異変よりも性質が悪い。
 異変との関連性は定かではないが、幻想郷各地で連続して惨殺死体が発見されているらしい。この連続惨殺事件が吸血鬼と関係があるのか、その真偽については現在究明中との事。
 加え、今回の一連の事件の首謀者と考えられているのが<ローレン>と<レミリア>と呼ばれる二人の吸血鬼だった。両者は血縁関係にあり、吸血鬼の中でも一際恐れられている存在だと云う。
  
 以上の記事が射命丸の主観が加味された独特の文章で綴られており、客観的事実を抽出するのに時間がかかってしまった。
 面白い面白くない以前に、癖が強すぎて読むのにも一苦労だ。完全に趣味の代物だと云われても驚かないだろう。
  
「それにしたって、惨殺死体だと……」
  
 もしかすると、よりセンセーショナルな記事にする為に、多少誇張して書いている部分もあるのかもしれない。だが、火のない処に煙は立たないとも云う。
  
 その時、廊下から声を掛けられる。
  
「妖忌? 居るかしら?」
「幽々子様ですか。どうぞ」
  
 幽々子様が己の部屋を訪れるなど、珍しい事もあるものだ。己は返事をしながら襖を開く。ゆったりとした動作で室内に入って来る幽々子様。
  
「何か面白い記事でも見つけたかしら?」
「いえ、特にこれと云っては」
  
 残念ながら、八雲から聞きかじっていた事実を補強するだけの事柄しか書かれていなかった。ローレンやレミリアと云う名前にしろ、今の己に必要な情報とは思えない。
  
 ……己の目的は異変解決ではないのだからな。
  
 あくまで、冥界と幻想郷が在り続ければ己はそれでいいのだ。用心棒と云う役割は無くなっても、己は幽々子様に最後まで仕えると心に決めていたから。そして、それは同時に妖夢を守る事にもなる。
  
「まぁそう云うものよね。求める時に限って、欲しい物は見つからない。必要ないものばかりが視界を埋め尽くしていく。焦りが視野を狭めてしまうのか、端から探し物など存在しないのか」
「探し物は見つからずと云うヤツですか」
「其処まで単純ではないけれど、難しく考えすぎても意味はないものね」
  
 言葉を頭で反芻すればする程、その真意が掴めなくなりそうになる。要は、初めに感じた物が答えなのだろうとは思うが。
  
「ところで妖忌は今、自分の足で歩いているの?」
  
 一瞬、呼吸が止まる。自身に纏わり付く漠然とした不安を云い当てられた様な、居心地の悪い気分になってしまう。
  
「……どう云う事でしょうか」
「今の貴方は糸が千切れた操り人形のようね、と云う意味よ」
「流れに逆らった処で、別の災厄を呼び起こすだけですから」
「それにしたって、流され方が下手ではなくて? 溺れ方にもコツはあるのよ?」
「己は、己が自身に課した事をやり通すだけです」
「誰も笑えない結末が待っていたとしても?」
  
 幽々子様の視線に射止められ、己は身動きが取れなくなる。それでも己は言葉を吐き出していくしかない。
  
「泣くよりはマシでしょう」
「私は泣くのも嫌いではなくてよ?」
「それは幽々子様が特殊なだけです」
「喜怒哀楽、どれを欠いても生は途端に味気無いもになる。美味しくないのはイヤじゃない」
  
 ならば、今の俺はさながら味覚障害と云ったところなのだろう。あの日以来、人生の味など、死闘と云う刺激でしか感じる事が出来ないのだから。
  
「ところで、此処数日の妖忌の行動は露骨過ぎる様な気がするのだけど……妖忌は私達に心配でもして貰いたいのかしら?」
「それこそ“まさか”ですよ」
  
 幽々子様は己に、悲しそうな笑みを見せた。
 反応に窮し、黙りこんでしまう。
 己は、主のその様な表情を初めて見た。
  
「……私は貴方の事が嫌いだったわ」
  
 言葉を選びながら、己への感情を吐露していく幽々子様。
 此方はただただ黙すしかない。
  
「いつもがみがみと注意ばかりするし、むすっと難しい顔をしかしない。それに、何を考えているのか分らないし」
「ええ」
  
 否定など、出来る筈もなかった。
  
「私は剣術なんて興味ないのに、無理やり付き合わされるし、それでいて、肝心なところはいつも話してくれない。いつも一人で背負おうとして。だから私は妖忌が嫌い。早く何処かへ行ってしまえば良いと思っているわ」
「ここぞとばかりに、欝憤を晴らしに来ましたね。だけど、それが事実ですよ」
  
 それはただの事実の羅列だ。
 己は他者に好かれる様な人間ではないし、意識して他者に好かれようと行動した事もない。
 元々の性格がそうだったし、あの日を境に更に歪んでしまったのだ。
  
「私に云える事と云えば、妖夢に心配はかけないでと云う事くらいかしらね」
  
 云いたい事は云い切ったとでも云うように、己の返事を待たず部屋を後にする幽々子様。
 閉じられる障子。遠ざかる小さな足音。己は思わず溜息を洩らしてしまう。
  
「お嬢もアレでいて世話好きと云うか、お節介と云うか。ああ云う形でしか意思表示出来ないと云うのは、随分と歪んでいるよな」
  
 半霊の言葉に己は頷く。
  
「本人はアレで楽しんでいる節があるからな。それに、あのような個人の身には余る力を手に入れて、何かしら歪まない方がおかしい」
  
 全てを見てきた己が云うのだから、間違いないだろう。
 己が西行寺幽々子の全てを知っているとは到底云えぬし、彼女の事を何一つとして理解していないだろうとも思う。それでも、彼女と云う存在が大きく変わった事は分かる。
  
「そう云う意味じゃ、お嬢も人間らしいと云えるのかねぇ」
「まぁ、良いんだろう。理解されなければそれで構わないと開き直れるお方だ。それに、彼女はもう人間ではないのだからな」
「……内心どうだか知らんがね」
「他人の心なんて、知りたくもないさ」
「自身の心でさえ、持て余し気味だから、ってか」
  
 時計を確認するとそろそろ約束の時間だった。思えば、先ほどの幽々子様は既に外出の準備が整っていた。己は慌てて外套を羽織り、走る様にして白玉楼の入口へと向かった。








 人里は普段よりも閑散としていた。人通りが少ない表通り。乾燥した空気のせいか砂埃が巻き上がり、一層哀愁を色濃くしていた。遠く、ヒグラシの鳴き声だけが環境音として耳に入る。
 実りや運動の秋というくらいだ。もう少し賑わっていてもいいと思うのだが……
 やはり例の吸血鬼や妖怪が原因なのだろう。八雲の話や新聞の記事を総合するに、現在の幻想郷は人間にとって安心出来る環境ではない。一瞬の油断が、命を落とす事に繋がる可能性があるのだ。人間達が神経質になるのも仕方ないだろう。
  
 ……そうすると、己達も余り歓迎はされていないのだろうな。
  
 冥界は幻想郷の厄介事とは関わりを持たず、あくまで中立の立場を保ち続けていた。だからこそ、我々はこのようにして人里を訪れる事ができるのだ。同時に、自分が八雲の便利屋として化してしまっている理由も同じ部分に根付いている為、素直に喜ぶ事はできなかったが。
  
 暫く里の通りを歩いていくと、寺子屋が目に入る。確か半人半妖の<ワーハクタク>が教師をやっているという寺子屋だろう。物好きな者も居るものだと、印象に残っていた。時刻はまだ昼前。中では授業を行っているのだろう。会話を交わした事はなかったが、人間に害を成す妖怪の退治を行っているとも聞く。詳しい経緯などは知らないが、そう云った点から一方的に親近感を感じていた相手だった。
  
 寺子屋を横目に通りを更に歩く。里に入って十分ほど経った頃、市場に出た。
 里で採れた野菜や果物などが並ぶ食材屋。生活必需品や小物を揃えた雑貨屋。小洒落た花屋なんてものもある。その他、衣類や装飾の類を売る店など。小さな里ながら、色々と見て回れるところは多そうだ。
  
 作った料理を披露する露店などもちらほらと見受けられ、少なくとも幽々子様はそれだけで満足してくれると思う。
 早速、幽々子様は匂いに誘われるようにして露天へと向かっていく。店主は暫く訝しむように此方を見つめていたが、無碍に扱われるような事はなかった。
 そして、我らが主は通常運転。「メニューにある品物を全部……取りあえず一つずつ」という無茶な注文をやってのけていた。
 それに気を良くした店主。そしてそれに気付いた回りの飲食店や露店も己達を引き込もうと躍起になっているという奇妙な有様だった。
  
「んー、やっぱりこれくらいの活気がないとねえ」
  
 両手に料理を抱えた幽々子様が云う。その活気とは、幽々子様を中心に店主達が騒いでいるというものだ。何やら立場が逆転しているような気がするが、気にしたら負けというヤツなのだろう。
 
 まぁ、幽々子様一人引き込むだけで数十人分の利益を得られるのだから、彼らの気持ちも分らなくもない。
  
 以上の経緯から、市場には人々が少しずつ集まり出していた。まるで大道芸人のような扱いだが、幽々子様本人はそれほど気にしていない様子だ。
  
 大人達に便乗するように、子供達も現れ初めたのだが……。彼らは何故か幽々子様ではなく己と妖夢を見つめていた。人型の亡霊よりも、ふわふわと漂う半霊の方がよほど珍しかったのだろう。中には半霊を風船か何かと勘違いしたのか、
「それぼくにちょーだい!」
 などと云い始める子が出てくる始末。何故だかその子供に対して“妖夢みたいだな”などという感想が頭に浮かんでしまった。
  
 だが、彼らが寄っていくのは決まって妖夢の方で、己の方には人っ子一人より付かなった。ちらちらと此方を見つめてくる子は何人かいたのだが、己が見つめ返すと慌てて視線を逸らしてしまう。
  
「お前の眼力が異常なんだろ。子供はいつだって正直なんだぜ」
「否定し切れないが、べつに子供に好かれたい訳ではないから気にならん」
「ま、もう少し物腰が柔らかくなっても良いとは思うがね」
  
 妖夢はと云うと、己の気など知りもしないであっちへふらふら、こっちへふらふら。あれが欲しいこれが欲しいと落ち着きがない。
  
 幽々子様の方には店主達が、妖夢の方には子供達が。一人取り残された己は道端に設置された椅子に座り、幽々子様に渡された醤油味の串団子を食んでいた。
  
「……幽々子様はまた買い食いですか」
「偶にはいいじゃない?」
  
 と、云いつつ両手に四本ずつ抱えた焼き鳥を一遍に頬張る幽々子様。団栗を頬張り過ぎたリスみたいな表情になっていた。
  
 お互い、先の会話を引きずる程、幼くはなかった。べつに無理に“通常”を演じていると云う訳でもなく、コレはコレ、アレはアレと云うヤツだ。
  
「白玉楼でだって、いつも十分な量を食べてるじゃありませんか」
「別腹よ、別腹」
  
 ああ言えばこう言う子供みたいな状態だ。もう突っ込む気すら起きなかった。
  
「妖忌も折角の外出なのだからもう少し楽しんだらどう?」指先で己の頬を突きながらそんな事を云う。
「己は幽々子様や妖夢の幸せそうな顔が見られれば何よりです」
「妖夢も同じ事を考えているんでしょうね。貴方が笑顔になってくれればそれで良い、と」
「………………」
  
 妖夢を見てみると、里の子供たちと意気投合したのか全力で遊び呆けていた。子供らしい歓声が耳に入る。
  
「……そうは見えませんが」
「私も云ってからそうは見えなくなってしまったわ……」
  
 場を支配する沈黙。里の喧噪が、途端に遠のいた気がした。
  
「と、いうのは冗談で。妖夢はあくまで“貴方と”笑顔になりたいのだという事を、忘れないで。折角三人で出かけているのに終始ムスっとした表情をしていると、流石の妖夢でも心配してしまうわよ」
  
 その時、妖夢が此方へと走って来る。己達の会話に反応したのかと思ったが、どうやら違うらしい。
  
「お爺ちゃん! ほら! 私勝ったんだよ!」
  
 いつの間にやら、ベーゴマで勝負をしていたらしく、『勝った勝った』と稚児のように喜ぶ妖夢。彼女が子供らしく振る舞っているのは、もしかしたら己と“親子”であろうとする為なのかもしれない。
  
 まぁ、それも、もしかしたらの話だ。妖夢がそこまで深く物事を考えているとは思えない。
  
「だけど、子供というのは家族相手だと途端に鋭くなるものよ? あんな妖夢でもね」
  
 幽々子様はそう云い残し、次の屋台へと向かって行く。
 己は団子の串を塵箱へと捨て、妖夢の元へと向かう。
  
 容姿は似通っていても、人間の子供と妖夢ではその実二倍以上の歳の差がある。不用意に本気を出して子供を虐めるのは褒められた行為ではないのだが――
 妖夢があまりにも楽しげに遊んでいる為注意する気が起きなかった。
  
 ――白玉楼に同年代の友人というものが存在しないからな。
 “共に遊ぶ”という行為そのものが、彼女にとっては新鮮なのだろう。
  
「お爺ちゃん! また勝ったよ!」
「ああ、良かったな。妖夢」
「うん!」
  
 暫く妖夢のベーゴマ勝負を眺めた後、三人で食事を摂る事になった。『幽々子様はまだ食べられるのですか』と驚くような事はもうない。
 妖夢が仲良くなったらしい里の子供の中に、親が蕎麦屋をやっているという子が居て、その子の家で食事を摂る事にした。
 子供たちが遊び場にしていた個所から数分と歩かない所にあった店へと向かう。
  
 幽々子様を先頭に、妖夢、己の順に店内へと入っていく、が、店に入る直前に、何者かの視線を感じ振り返る。
 “殺気”というほど明確な敵意ではなかったが、里に人間が向けてくる好奇心とも明らかに違っていた。
  
 己の真後ろに立っていたのは、妖夢と同じくらいの背格好の銀髪の少女。おおよそ十歳くらいといったところだろうか。先ほど妖夢と遊んでいた里の娘かと思ったが、どうやら違う。
 腰元まで伸びた髪は、手入れが行き届いていないのか伸ばしっぱなしになっている印象を受ける。それでも不潔に見えないのは、少女が放つ凛とした雰囲気の為だろう。
 黒い外套を羽織っている為体付きは分らないが、身長と顔つきから判断するにまだ相当幼い年齢だろう。十歳に届くか届かないかくらいだろうか。
  
 幼い体付きとは裏腹に落ち着き払った態度。どこかの誰かさんにも見習って貰いたいものだ。
  
「どうかしたのか? お嬢さん」
  
 女性に見つめられる事に抵抗はないが、流石に今回のような場合は居心地が宜しくない。
  
「いいや、どこかで見たような顔だと思いまして……」
  
 顎に手を当て、少し考えるような仕草をする少女。どこか芝居がかった動作だった。
  
「ああ、もしかして魂魄 妖忌さんではないですか?」
  
 きっと、初めから検討が付いていたのだろう。どうしてそのような芝居をするのかは皆目見当付かなかったが。
  
「そうだが……どこで己の名前を?」
「どこでなんて忘れてしまいましたわ。それこそ、その筋では有名なのでしょう?」
  
 少女の口角が吊り上がる。挑発めいた視線。思わず鞘に手を触れそうになるが、害意はないらしいと分かり手を離す。それでも、油断ならない相手だという事は確かだった。
  
「しかし、妖忌さんが女性なんだとは知りませんでした。噂では、屈強な老剣士の筈だったんですが……」
  
 娘の言葉に、自身の頬が強張るのが分かった。自覚はしていても、他者の指摘に慣れる事は出来なかった。
  
「……一応云っておくと、己は男だ」
「ん……? てっきり、女性が男性の口調を真似ているものだとばかり、妖忌さんを見ていると、色々とこんがらがってしまいそうになりますね」
  
 出会って一分と経っていないのに、酷い云われようだった。
  
 ……云われる事自体は、慣れているんだがな。
  
 その度に、自身の頬が引き攣るのだけは回避する事が出来ない。
  
「こんな所では難だ、少し場所を移そう」
  
 どうやら己の“仕事”を知っていてわざわざ接触してきた人間のようだ。そんなヤツにまともな者がいるとは思えない。
  
「それは逢瀬の誘いと受け取っても?」
「残念ながら己に少女趣味はない」
  
 何せ、見た目だけならうちの妖夢と大差ない。倫理観云々以前に欲情すらしない。
  
「それは残念。時代が時代であれば、私も十分な“女性”である筈なんでけど」
  
 確かに、己が外界に居た時代であれば、目の前の様な歳の少女が嫁入りする事も珍しくはなかっただろう。
  
「単に、己の趣味嗜好だよ」
「女の敵なのか味方なのか難しいところですね」
  
 己は肩を竦めて返事を寄越す少女を無視し、幽々子様たちに少し席を外すという旨を伝える。
  
「あら、妖忌ってばガールハント? 意外に隅に置けないわね」
「幽々子様、ガールハントとは何でしょうか?」
  
 聞き慣れない単語に、妖夢は目敏く反応を示す。
  
「男性が女性をデートに誘う事よ」
  
「お、お爺ちゃんはあんな若造が好みなの!?」
  
 口調の乱れが妖夢の動揺を現していた。……何だ若造って。
  
「……勘違いだ」
「じゃあ逆ナンかしら?」
「ゆ、幽々子様、逆ナンとは――」
「それでは幽々子様。妖夢を頼みます」
  
 眩暈がしそうになる会話を遮るようにして、己は二人に告げる。
  
「妖夢が私の世話をしてくれるのではなくって?」
「……そうでした」
  
 素で間違えてしまった。何と云うか、妖夢が他人の世話をしている姿など想像付かない。
 いろいろと間違っている気がするが、変えようのない事実であるし、現実から目を背けても仕方がない。
  
「では、妖夢。幽々子様に失礼のないようにな」
「はい! どのようなちみもーりょーが現れようとも、私が幽々子様をお守りします!」
  
 本人が張り切っているようなのでよしとしよう。……たぶん、魑魅魍魎という単語は最近覚えたのだろう。
  
 己は店を後にし、少し離れた処に開いていた茶屋に入る事にした。
 扉を開くと、戸の上方に付いていた鈴が凛と鳴る。直ぐに駆けつけていた店員が窓際の席へと案内してくれる。
  
 内装は洋風のそれで、喫茶店と云う方が正しいのだろう。窓際に四角いテーブルが三つ、内側に丸テーブルが三つ、カウンターに椅子が六つ並んでいる。落ち着いた雰囲気の店内は、全体的に橙色や茶色の調度品が多めであった。
  
 店員が再度、品書きを持ってやってくる。品物も全体的に洋風寄りだ。
  
 彼女は冷えた紅茶と卵と牛乳を浸した麦餅を焼いた物――フレンチトーストを、己は珈琲を注文。
  
「あら、てっきり日本茶でも頼むものかと」
「まぁ、和服と珈琲の組み合わせが奇妙に映るのは自覚している」
  
 己が珈琲を嗜むと聞くと大抵の人間が意外そうな顔をするのだが、特に珍しい話でもないだろう。幻想郷に来て初めて出会った品ではあったが、その独特の酸味と苦味に直ぐに病み付きになってしまった。
 それ以来、機会があれば頼むようにしている。
 向かいに座った少女は不躾な視線でジロジロと己の事を眺めていた。
  
 ……やはり、男性である事を疑われているのだろうか。
  
「それで、お嬢ちゃん――」
「そのお嬢ちゃんというのは流石にどうかと思うので、“満月”か“望月”でお願いします」
「それが君の名前なのか?」
「そのようなものです」
  
 己に選択を促してきたと云う事は、偽名か何かなのだろう。この幻想郷で使う必要性を感じないが、神経質な性格なのかもしれない。
  
「では望月。君はどうして己に接触して来たんだ?」
「腕の立つ半人半霊が妖怪退治を行っているという話を聞き、気になってしまっただけです」
  
 その事実を知っているとう事以上に、こんな少女の口からその言葉を発せられたという事実の方に驚いてしまう。
  
「……君のような少女が知っているという事は、己は自分が思っていた以上に有名人みたいだな」
「決して広くない幻想郷ですから。それに、妖忌さんは吸血鬼の討伐も行ったとか?」
「そんな事まで知られているのか……」
「本気で知ろうと思って、知れない事の方が少ないんですよ。幻想郷は」
  
 少し得意げに語ってみせる望月。こういったところは年相応なのかもしれない。
  
「そう云うものか」
「と、云うのも当然あるのですが……。実は私も吸血鬼を追っているんです」
「追っている……?」
  
 その言葉が含むところの意味は理解できる。だが、どうしても少女の姿と、想像が一致しない。
  
「はい。私、こう見えてヴァンパイアハンターなんですよ。元は妖怪全般の退治を行っていたのですが、今は吸血鬼を専門に行っています」
「その若さでか……?」
  
 驚く事はなかった。先ず、少女の言葉を信じる事が出来なかったからだ。それに、少女の云い分では随分と長い間、退治人として働いている事になる。望月が名だたる妖怪で、少女の姿でありながら数百年単位で生きていたりするのなら話は別だが、とてもそうは見えない。
  
「それが当然の反応です。子供が練った有りがち設定。今までもそう思われてきましたから」
  
 だが、どこか超然とした態度の少女に『もしかしたら』、そう思ってしまう自分がいるのも確かだった。
  
「だから、そういうときはこうやって証拠を見せる事にしてるんです」
  
 少女が腰元から取り出したのは刃渡りが自身の肘から指先くらいの長さを持つ銀のナイフ。少女の小さな身体とは不釣り合いなほど無骨な刀身。少女はそれを己に向かって突き付ける。
 手慣れた動作ではあったが、決して達人の動きではない。ここから少女がどう動いたところで、己を傷つける事は不可能だろう。
 念には念を入れ、少女の筋肉の微細な動き、視線の動きや挙動を見張るが、やはり特筆すべき点はないように思えた。
  
「それがどうかした――」
  
 それは、己が痺れを切らし、口を開いた瞬間だった。
  
 先ず訪れたのは首元に触れる冷たい感触。次に目の前の席から望月の姿が消えている事に気付く。
  
 望月はいつの間にか己の背後に回っていた。己はいとも容易く急所にナイフを突き付けられていたのだ。
  
 一ミリでも刃か身体を動かせば切先が皮膚を裂き、血が噴き出すであろう。そんな神経質な程、精緻に突き立てられたナイフ。
 己はぴくりとも反応する事ができなかった。
  
「こういう訳です」
  
 少女は満足したように、ナイフを懐にしまうと元の席に戻る。
  
「……何が起きたのかさっぱりだ」己は自身の胸中を素直に話してしまう。
  
 少女は予備動作無しに、一瞬で己の背後に回っていた。
 それは超速度とは別の何か――例えるなら時と時の隙間を使ったとしか思えない芸当だった。
  
「私の実力を認めてもらえたところで本題です」
  
 真剣な眼差しに射とめられ、つい姿勢を正してしまう。
  
「私と協力して、吸血鬼を駆逐してはくれないでしょうか?」
  
 これまた予想斜め上の言葉だった。
  
「……どうして己なんだ? 妖怪退治を専門にしている人間なら他にいるだろう。何故同族の人間を頼らず、わざわざ半人半霊である己に頼む?」
「人間に頼みたくないのは、同族だからこそです。人間ほど信用に値しない生物はどこを探しても存在しないでしょう」
  
 少女にしては達観した意見だったが、おおいに頷ける意見でもあった。
 しかし、半人半霊が人間と違う要素と云えば、側でふよふよ漂う霊が居るか居ないかくらいなのだが……ここでそれを突っ込むのは無粋だろう。
  
「それに、私も一人の女性です。妖怪退治人には野蛮な男性が多く、私の様なか弱い娘は容易く襲われてしまうのではないか。そう云った不安もあります」
「そんな心配は――」
  
 『要らない』と云い切ろうとしたが、望月の眼光が余りに鋭かった為に舌が回らなかった。あくまで一人前の“淑女”である事に拘るらしく、己にも同様の扱いを期待しているらしい。
  
「あー……なるほど……」
  
 なるべくそちらの方面に話を振らないように、注意して言葉を発していく。
  
「……だが、己はべつに吸血鬼の相手を専門にしている訳ではない。先日は偶々吸血鬼を相手にしたというだけで、次がそうなるとも限らない」
「であれば、ギブアンドテイクでどうでしょうか。私は貴方の仕事に協力する代わりに、貴方は私の吸血鬼退治に協力する。吸血鬼が今勢力を上げているという話はご存知でしょう。この提案は貴方にとっても損にはならないと思うのですが」
「損得勘定だけを見るのであれば、確かにそうだろうな……」
  
 先のマリアとの苦戦を思い出し、少しでも心強い仲間が欲しいというのは事実だった。それに加え、ヴァンパイアハンターと云うある意味で吸血鬼の専門家が仲間になると云うのは大きいだろう。しかし、事はそう単純でもない。
  
「なら!」
「だが、付け焼刃の連携ほど危険なものもない。もっと大人数の作戦であれば話は別だが、己と君が個人で組んだところで、利益より不利益の方が大きいのが事実だろう。これは互いの為だ」
  
 と、それらしい言葉を並べてみたものの、その実この娘とあまり関わり合いになりたくないという想いが強かった。
 己相手にナイフを突き立てる事ができるような少女だ。そのような実力者が自分からこうして交渉しに来た辺り、厄介事の臭いしかしない。加え、己は望月の事を知らな過ぎる。まだ、隙を見つけて己の寝首を掻こうとしている妖怪の手下だと考えた方がしっくりくる。
  
「そう……ですか」
  
 少女が明らかに落胆したような表情をしてみせるが、そこでコロリと落ちてしまうほど己は幼くもない。
  
「君ほどの実力があれば、選べる相手はいくらでもいるだろう。そこまで落ち込む事はないんじゃないか」
  
 本心、己よりも理想的な相方が居るだろうとも思う。
  
「それも、そうですね。私はいつまでも吸血鬼を追い続けるつもりなので、もしかしたらまたお会いするかもしれません」
「どうしてそこまで吸血鬼に執着する?」
  
 少女の口ぶりではまるで、“吸血鬼を殺す”事そのものが目的になっているように思えた。
  
「私は、両親を吸血鬼に殺されているんです」
  
 躊躇う事なく、望月は力強く断言する。その少女の物とは思えない強さに、思わず言葉を失ってしまう。
 そして少女の表情から、どんな言葉をかけたところで慰めにもならないし、そもそも、少女がそんな言葉を求めていないと云う事が理解できたから。
  
 己の反応に憂い気に微笑むと、望月は席を立つ。
  
「それでは。機会があればまた――」
  
 そう云い残すと先ほどと同様、唐突に己の視界から消失する少女。今回も、少女の高速移動がどのような能力の元行われているのか分らなかった。
  
 そう云えば――
「あいつ、会計を支払わないでとんずらしやがった……」
  
 紅茶と麦餅の支払いを渋るほど切迫した財政状況ではないのだが、ふと思ってしまった。
  
「“ふと思ってしまった”時点で小物臭いよな。神経質と小物は違うんだぞ」
「黙れ」
  
 半霊に突っ込みながら会計を済まし、通りへと出る。
  
 そう云えば、こうして幽々子様達と別行動を取れたのも何かの縁なのだろう。そう思い、近場にあった装飾品を扱う店へと足を運んでみる事にした。
 雑多な店内に居たのは里の若い男女が一組と、小さな童女が二人だった。そんな中、己と云う存在は酷く浮いているように思えた。
  
 ……それに、入ってみたのは良いものの、だ。
  
「何を選べばいいのかさっぱりだな」
  
 可愛らしい宝石が付けられた指輪や腕輪は妖忌の趣味ではないし、首飾りなんて買い与えたくはない。
  
「……じゃあ何しに来たんだよ」
「やはり若い女と云うのはこう云った物を好むのだろう?」
「……すげぇおっさん臭い台詞だって、自分で気付いてるか、それ」
  
 自身の言葉を振り返り、少しだけ絶望する。
  
「喜びそうな物ではなく、自分が妖夢に似合そうだと感じた物を買えばいいだろ。どうしてむさ苦しい男の贈物談義に付き合わないといけねぇんだよ」
  
 と、云いつつも、きちんとした助言を行ってくれる辺り、半霊も妖夢の事は嫌いではないのだろう。
  
「うるせぇよ。お前の孫娘っちゅー事は、俺の孫娘でもあるんだろうが」
  
 店内を物色するようにして、品物を眺めていく。
 店員が此方をチラチラと伺っているのには気付いていたが、見て見ぬフリをする。大方、物取りや強盗の類だと思われているのだろう。
  
「その目付きじゃな」
  
 その時、一本の黒いリボンが目に留まった。ただ、目に留まっただけだ。このリボンに何か特別な何かを感じた訳でもなければ、魅力を感じた訳でもない。ただ、“妖夢に似合そうだ”と思っただけだった。
  
「聊か地味じゃねぇか?」
「妖夢の髪色と合わせるなら、むしろこれ位が丁度良いような気もするが」
「……云われてみればそうかもな。ま、あの娘なら何与えたって喜ぶに決まってるさ。『お爺ちゃんからのプレゼントだ』ってな」
  
 己は店員に頼み、そのリボンを奇麗な和紙で包装して貰い、懐へと仕舞い込む。
 後で渡して、驚かせてやろう。
  
 そんな事を考えながら己が蕎麦屋に戻った時、幽々子様と妖夢が並ぶ食卓の上には、つい先ほどまで椀子蕎麦の大会でも行われていたのではと勘違いするほどの蕎麦丼ぶりが並んでいた。
  
 ……持ち合わせの金だけで足りるだろうか。
  
「足りない気がするぞ」
「だよな……」
  
 当然のように己は冥界と蕎麦屋を往復する事になった。
  
 ……幽々子様と妖夢が楽しそうだったから、よしとしよう。そう自分に云い聞かせた。








 頚部で切断された妖怪の首。その頭部から伸びる長く赤い髪を握り、玩具の様にそれを振り回す男が一人。里への道を歩いていく。
  
「知恵足らずの妖怪の相手は楽でいい。それに、ここ数日、俺みたいな下っ端にも仕事が回ってくるようになったな。この調子で、莫迦にはもっと暴れて貰いたい」誰に宛てた訳でも無い独白は、白い息となって大気に拡散されていく。
  
 男は妖怪退治の専門家であった。主に知能を持たない妖怪の狩猟を中心として行っている。
  
 今は農作物を荒らし、農家の家族を襲い重傷を負わせたと云う妖怪を殺してきた帰りであった。
 首は討伐した証として持ち帰る決まりになっていた。それが特定の妖怪の部位だと分かるものであれば、どの部位でも構わないのだが、男は好んで首を持ち帰った。
  
「それに人型はいい。一粒で二度美味しいとは正にこの事だ」
  
 男は先の行為を思い出し、顔が醜く歪むだけの汚らしい笑みを浮かべる。見る者に嫌悪感しか与えない醜悪な笑顔だった。
  
「何ならもう一発くらいヤッておいても良かったな……いや、首があればまだヤれるか?」
  
 男は振り回していた生首を雑な動作で顔の前まで持ち上げる。
 左の目玉は飛び出し、千切れかかった視神経がそれを辛うじて支え、振り子の様に左右に揺れている。残る片目は濁り切った目で虚空を眺め、赤い舌は口元からだらしなく垂れ下がっている。
 元は美麗であっただろう顔立ちも、今となっては人形のそれ以下であった。
  
 だが男は、「んー、まぁ、イけるか」という判断を下したらしい。
  
 彼のこの性的嗜好は何も妖怪相手に限った話ではなかった。時にはその手で人間を殺し、その手で人間を犯す。それが男の唯一の生甲斐であった。
  
「貴様か?」酷く擦れ、ザラ付いた声。鼓膜に傷が付く様な錯覚を覚える不愉快な音声。
  
 男が声をかけられたのは、屹立した自分自身を生首の断面に挿入しようとしていた瞬間だった。
  
 男の背後、十メートル程離れた箇所。深い深い闇色が人影を模っていた。どうやらあの人影が男に言葉を投げかけてきたらしい。
 一切の光が届かない深い闇。その中で血の様に紅く、炎の様に緋い目だけが浮き上がって見えた。
  
「あ?」
  
 男は自身の歪んだ情事を邪魔された為か、酷く苛立った声色で返事をする。
  
「その女は――――いや、違うようだな」人影の興味は一瞬、男の持つ生首に移ったが、直ぐにその視線は男に戻る。
  
 訛りが強いのか、男は影の言葉を理解するのに時間を要した。そして、理解したところで、その意味までは解する事は出来なかった。
 男は影を狂人と断定し、得意の武術で殺す事に決めた。
  
「細かい事はどうでもいいか。他人の情事を邪魔するヤツは殺されて当然だからなァ!」
  
 男は腰に下げていた、一振りの短刀を構える。刃渡り二十センチ程のそれを、男は逆手に構え地を駆ける。狙うは首元。一撃で仕留めるつもりでいた。
 一瞬で半分の距離を詰めた男、残る距離を一歩で駆け抜けようとした瞬間だった。一切の予備動作無しに両者の間に距離が消失していたのだ。
 何が起きたのか理解が追い付かない。空間が歪んだかのような錯覚。そして、答えに至る前に、全ては終了していた。
  
「――
    ――あ―――
           ―」
  
 叫び声をあげる暇すら与えられなかった。鼻から上が一瞬で消え去り、左側頭部から右耳までの斜めの断面図を露わにする。一瞬遅れ、脳漿と血液と頭蓋骨の破片を辺り一帯にブチ撒ける。
  
「―
   ―あ―
       ―あ
       
          ぁ……」
  
 辛うじて残っていた口から、漏れ出る言葉にならぬ呻き声。
 前衛芸術の様な姿と化した男は重力に身を任せるようにして後方へと倒れていく。
 だが、地へと崩れ落ちる前に、更なる暴力が男の死体へと襲いかかる。横に走る幾十の線、転瞬、縦に曳かれる緋色の線。発生するのは何十個もの正方形状の肉片。それが、まるで赤子の玩具の様に、地へと落下し、赤黒い染みを地へと生み出していく。一目ではそれが人間の死体だと分からないほどの惨殺死体だった。
  
「クズめ」

 吐き捨てられた言葉は憎悪で黒く染まり切っている。
  
 影は血の池に落ちていた妖怪の首を拾う。垂れていた目玉を眼窩へと戻し、瞼を閉じる。舌も同様に口へと仕舞い込む。
 立ち去る影は、死体に興味を失ったのか一瞥もくれず、宙へと飛び上がる。
  
 残されたのは深紅の血溜まりと桃色の肉、黄色い脂や薄茶色の体液。それら上げる湯気が秋の冷え込んだ空気へと溶けていった。
















 三章 吸血鬼の断頭台

     人々は復讐を称賛しない
     復讐を題材とした物語は
     例外無く悲劇的結末を迎える
     だが騙されてはいけない
     それは本当の復讐者の言葉では無く
     単純にその方が自身にとって
     都合が良いと云う理由だけで産み出された
     文字通りの幻想でしかないのだから

        ミュウト・カシヅキ「憎悪の処方箋」



 毒々しいまでに鮮やかな青色の髪。今は血の反射光で紫色に見える。
 並ぶ紅玉の眼は血塗られた宝石のように慎ましやかに赤く輝く。
 小さな口元から除く鋭い八重歯。そこから赤い血液が滴る。
 踝の辺りまである長いスカートがふわりと翻り、赤い花弁を咲かす。
 彼女の足元には大人二人の死体が、まるで打ち捨てられた人形のように転がっている。
 二つ死体を中心に広がる円形の血の絨毯。足を動かす毎に血が跳ね、小気味の良い水音を立てる。
 真新しい血液の、錆びた鉄の様な匂いが空間に充満する。が、私はそれを不思議と不快に思わなかった。
  
 吸血鬼は父だった物の首を手で握り、その細い腕で持ち上げる。首つり死体のそれの様に、所在無げに揺れる四肢。吸血鬼はその首筋に歯を突き立てる。傷口から垂れる一筋の血液。粘液で艶を帯びた赤い舌が、そっとそれを舐め取る。その跡が蛞蝓の軌跡のようにぬらぬらと輝いて、私の視線はそこに釘付けになってしまう。
 唇が恋人に口付けをするように傷口を塞ぐ。先に音を立ててしまったのは、何故か私の喉であった。
 こくりこくりと可愛らしい吸血鬼の喉が鳴った。
  
「A型か……通りで神経質そうな顔をしている」
  
 少女はその体型と不釣り合いなほど高圧的な口調で、言葉と唾と血液を地へと吐き捨てる。
 どうやら父の血液はお気に召さなかったらしい。
  
「それ以前に、クズの血肉は不味いと相場が決まっているな」
  
 不愉快そうな顔で、再び唾を吐き捨てる。幼い体付きとは不釣り合いなその一挙一動に、体が震える。
 先ほどまでは母親で同様の事を繰り広げていたので、次は私の番が訪れるのだとさも当然のように考えていた。
  
「なんだ、貴様はまだそんなトコロに突っ立っていたのか。腰を抜かすでもなく、ただただ私の行為を眺めていたと」
  
 少女は、私の事など気にしていなかったかのように告げる。
 いや、文字通り私の事など気にしていなかったし、もしかしたら今の今まで忘れ去っていたのかもしれない。
  
「ハハッ、てっきり、両親が殺された瞬間に泣き叫びながら逃げ出しているかと思ったが……人間の娘の癖に、面白い」
  
 云うと少女は、ツボにでもハマったのか本当に腹を抱えて笑い始めた。
 その姿は、先ほどまでの様子とは打って変わって、人間の少女のように可愛らしい。とうとう吸血鬼は、目尻に宝石のような涙の塊を作り上げるまで笑うのを止めなかった。
  
 一頻り笑い切ると、
「いや、違うか。てっきり肝が据わっているのかと思ったが、“肝など初めから存在しない”みたいな顔をしているな」
  
 水気を帯びた足音を立てる靴。一歩一歩近づいて来る吸血鬼。私はそれを受け入れてしまう。
 近付かれて分かったが、私と吸血鬼の少女の体格は同程度のものだった。
 親近感と共に、憐憫に似た何かが私の胸の中に湧いてくるのが分かった。だが、その正体を私は理解する事ができなかった。
  
 吸い込まれそうになる紅玉の眼。少女は私の顎を掴み、顔を寄せる。
 吸血鬼は本当に西洋の人形のような顔立ちをしていた。
  
「そうだ。お前は今死んだ事にしろ。そして、生まれ変わったお前は、両親の復讐の為に私を追え」
「……?」
  
 吸血鬼が云っている事を頭の中で反芻する。きっと、人間らしく人間らしい感情に従って人間らしく去ねと云っているのだろう。
  
「お前は今から“私を殺す為だけに”生きろ」
  
 それは残酷な死刑宣告であると同時に、熱烈な求愛であるように感じた。
 そう云い残すと、吸血鬼は満足したのか空へと飛びあがり、来たときと同じ様に唐突に飛んでいってしまう。薄暗い夜空に溶け込む影。後に残ったのは静寂と私。生まれ変わった私。名前のない私。地上に転がるガラクタを見下ろし、その意味を、再度噛み締める。
  
 そして、再び夜空を見上げると、紅い紅い満月が目に入る。
  
「そうだ……」
  
 ……私の名前は今日から満月だ。あの吸血鬼を照らす月になるんだ。
  
 胸に浮かんで来た感情を、無理やり言葉にするとすればその様な意味合いになるだろうか。
 しかし、自身の中を巡る感情が何なのか、やはり私には理解できなかった――








 幻想郷は現在、極度の緊張状態にあった。
 不用意に出歩けば、人間、妖怪問わず殺される可能性がある。その様な噂が幻想郷中に流れていた。
 そして、ある一面ではその噂は真実であった。
 幸い、人里には結界が張られている上、寺子屋の上白沢を始めとする人間贔屓の強者が何人かいる。その数名では心元ないのは確かだが、妖怪達も戦争をやらかすつもりはないらしく、今のところ“人間の里内”での被害は出ていない。
 だが、人里の外は話が違う。昨日一日だけで人間四名の死者と二名の重傷者が出た。
 そして、本格的な異変として、博麗の巫女が動き出したらしい。
 先日読んだ新聞でも取り上げられていた<ローレン>と<レミリア>の二人を捜索中らしい。
 だが、他の吸血鬼による被害も報告されている現状。結果、目に付いた吸血鬼を皆殺しにしていくと云う強攻策に近い策がとられていた。しかし、それも一筋縄ではいかない。ただでさえ強力な吸血鬼が、下位妖怪等を部下を従えているのだ。
 幻想郷最強の博麗と云えども、その討伐は難航しているらしかった。
 それに加え、八雲の云う“妙な妖怪”ルーミアも気掛かりだった。話では、上記の死傷者数の中にルーミアの犯行と思われる惨殺死体が数件混ざっているらしい。
 死体を見た人間は尽く強い嫌悪感を覚え、中には嘔吐した者も居たようだ。それほどまでに、殺人現場は凄惨な有り様と云う事だろう。
 以上の説明を八雲に受けた己は、幻想郷内で暴れている妖怪を討伐しているところだった。








 背後から轟音と共に猛風が吹き荒れる感覚。敵が放つ大弾が背後に着弾したのだ。
 振り返ると着弾箇所を中心に、半径一メートル程度の擂鉢状に穿たれた穴。巻き込まれた森の木々が一瞬で消滅。想像を絶する、笑えない光景だった。
  
 遠隔射撃ではキリがないと判断したのか、人型の妖怪が上空から急降下、爪撃を仕掛けてくる。人型の胴体に背には白い翼、首から先には鶏の様な頭部が生えている。人間なのか、鶏なのかハッキリしない上に、両者は共に空を飛ばないと云う突っ込み所まで残した愉快な妖怪だった。
  
 敵が居合の間合いに入りこんだ瞬間、己は鞘に刀身を滑らせる様にして振り抜く。彼我の距離は五メートル以上開いている。
 そんな距離から斬撃が届く筈がないと高を括っていた妖怪の、腰を中心に半身が分離。血と臓物の雨を降らしながら地へと落下。汚らしい水音を立てていく。
 振りぬいた刃に巻き込まれた己の前方の木々が音を立てて倒壊していく。
 妖術<冥想斬>の術式を使用し、楼散剣に刀状に妖力を纏わせたのだ。マリアの戦闘で見せた使い方とは別だったが、威力、間合いを妖力の加減によって自由に選定出来るのが冥想斬の長所だ。間合いが伸び縮みすると云うのは敵からすると厄介極まりない術式だろう。更にその斬れ味は媒体となった楼散剣すらも凌ぎ、文字通り切断出来ぬ物など存在しない魔剣と化す。
 落下した妖怪が、残された上半身だけで跳躍。己の元へと飛び込んで来る。飛来して来る鋭い爪撃が己の体に至る前に、楼散剣を振り下ろす。兜割の要領で脳天から上半身を更に両断。二等分にされた上半身が地に激突。更に肉片と脳漿をブチ撒け絶命したのを確認。次の獲物を目掛け駆け出す。
  
 人狼型の妖怪が目の前に立ちはだかる。イヌ科とヒト科を組み合わせた様な異型のクセに、飛び出して来るのは肩部から伸びる先端が針状に尖った触手だ。
 疾駆の勢いを殺さずに地を蹴る。頭部へと伸びる槍撃を首を傾ける事で回避し、敵に向かって刀を振り抜く。
  
「破ッ!」
  
 一刀目、振り上げる刃が人狼の左肘から先、更に触手を根本から両断。返す刃が横に閃き腹部を斬り裂く。敵は妖怪の中でも珍しい青い鮮血を撒き散らす。独特の銅の臭気、返り血を一身に浴びるが拭っている暇はない。
  
 前のめりに倒れる妖怪の死体の横を滑り抜け、次の目標を捕らえる。背後から聞こえる半霊が妖怪の命を絶つ音を聞き流し、迫る敵に意識を集中する。
 二本の黒く硬質な角が左右の側頭部から生える。更に肩甲骨からは蝙蝠の羽根生え、尾てい骨からは長く、先の尖った特有の尻尾が伸びる。
 典型的な人間が思い描く悪魔の像だった。己は敵との間合い、八メートルを一気に詰める。
 直後、四足歩行の黒い獣の影が頭上から襲い来る。その長い爪先が己の頭部に触れる直前、その胴体部に半霊の放つ銀の刀身が突き刺さる。次いで二発、三発と獣の身体が刃に貫かれていく。最終的に地へと磔にされた奇怪なオブジェへとなり果て絶命。その間二秒に満たない一方的虐殺劇だった。
 獣の鮮血が己の頭に降り注ぐ。不可抗力とは云え、もう少し己に被害がかからない殺し方はなかったのかと思わない事もない。半霊は己の思考から独立して嫌がらせをし始めている節があった。
 己の突撃を悪魔はその手に持っていた三又槍で迎撃。間合いに入った瞬間、待ち受けていたかのように、槍が翻る。
  
 ――悪くない筋だが、生憎と速度が伴っていない。
  
 発動した妖術<炯眼剣>の術式が刀身を中心に、妖術の流れを生み出す。その流れに悪魔の槍による刺突の勢いを乗せ、左から後方へと受け流す。刀と槍が火花を散らしつつ、連続する金属質の絶叫を上げる。続く動作で右手の楼散剣が敵の胴を切断。雪崩落ちる臓器の束が水気を帯びた落下音を立てる。悪魔は断末魔の声を上げる。鼓膜を破きかねない騒音に、身が竦み、一瞬の隙が産まれてしまう。
  
 敵がその一瞬を見逃す筈もなく、槍を投擲しつつ後方へ飛翔し逃走を図ろうとする
 己は墨楼剣で槍を弾く。尚も悪魔は絶叫を続ける。転瞬、その叫びの瞬間を切り取った首が地へと落下。半霊による光線照射が悪魔の頚部を灼き斬っていた。
 頭部を失って尚、飛行を続けるという昆虫並のしぶとさを見せた悪魔の胴体を更に光線が灼き斬っていく。羽根を切断され、やっと胴体が落下する。その落下音を境に、森を静寂が満たす。
 血と肉が焦げる異臭で鼻が痛み、先の叫び声で耳がまだ痛む。
 散々な戦闘だった。
  
「ふぅ……っ。凶暴化してるだけじゃなく、能力すら強化されている気がするな」
  
 先の戦闘を思い出しつつ告げる。本来であれば、あの規模の妖怪があそこまで強大な大弾を放つ事はできない筈だ。良くて木々に穴を穿つ程度。明らかに異変が起きているとしか思えない変化だ。
  
「それでも、先日のマリアには遠く及ばないな」
「“アレ”クラスの妖怪がそう何度も現れられてみろ。命が幾つあっても足りない。まぁ、戦闘が楽な事に越した事はない」
  
 己にとって戦闘は、矜持なのではない。
 それでしか生きていけないと云う消去法によって残った、結果でしかないのだから。
  
「ふんっ、どうせなら楽しんだ方が得だと思うがね」
「今の己に、戦闘を楽しむ事なんて出来やしない。背負ってしまった物が重すぎる」
  
 溜息が漏れる。視界と思考が黒く塗りつぶされていく。
  
「おいおい、爺さんの感傷なんて誰も得しねぇぞ」
「……違いない」
  
 己が“戦闘”ではなく“死闘”に身を投じるようになったそもそもの切っ掛けを考えれば、戦闘と云う刹那の快楽に身を任せる事など許されないのだろう。
  
「まぁ、近い内に答えも――」
  
 ――背後、七時の方向、五十メートル離れた地点から気配を感じ、半霊が弾幕を放つ。  
 が、放った瞬間には気配を感じる方向が九時の方向に移り変わっていた。その人外の移動速度で己は相手が何なのかを理解し、射撃を中断する。
  
「……その歳で出歯亀か。余り良い趣味とは云えないな」
  
 己は相手に声をかける。声に誘われ出てきたのは小さな少女。先日、里で出会った望月であった。
  
「そういう貴方こそ、半霊相手に独り言だなんて中々高尚な御趣味をお持ちのようで」
  
 ここ数日で様々な相手に突っ込まれた為に軽く耐性が出来てしまっているらしい。今までほど狼狽えはしなかった。
  
「それで今日は何の用だ、望月。先日の件ならしっかりと断ったつもりだったが」
「はい。だから私は私で、勝手に貴方を追跡する事にしました」
  
 望月は上手い事を云ってやったぜ、という表情で己を見上げる。デコピンでもしてやりたくなる。
  
「……望月の目的は、吸血鬼を倒す事ではなかったのか?」
「そうなんですが、強い殿方に憧れるのは女の性ですから」
「ダウト」と半霊。
「あら、乙女の純情を疑うなんて、最低ですわ」飄々とした態度で望月は語っていく。
「真顔で嘘を並びたてるな」
「そういえば、どうして私が後をつけていると分かったんです?」
  
 互いが自身の不利益になるような話題を避け合っている為か、話題がどんどんと飛躍していく。
  
「君は、瞬間移動以外は本当に“出来る人間”程度の力量なんだな。その程度では、気配だけで誰か分かってしまうぞ」
  
 先の望月は、追跡者としては二流以下であった。気配は駄々漏れ、距離があると高を括っていた為か雑音を消す努力もしていなかった。
 まぁ、己相手だから努力を怠ったか、もしくは己自身が試されていたという可能性も捨てきれない。
  
「そうですか、流石に貴方を舐め過ぎていたようです」
「ああ。次からは気を付けてくれ」
  
 会話が途切れた瞬間だった。今度は頭上、六十度の角度から気配を感じる。隣の望月の様子を伺うに、彼女が何かをやらかした訳ではないようだ。
  
 途端、肌がひり付く様な只ならぬ妖気を感じ飛翔。右手には反射的に望月の首根っこを掴んでいた。
  
 森の木々を一望出来る地点まで飛び退った瞬間、一瞬前まで己達が立っていた場所に紅い十字架が建った。全長十五メートル近くのそれは、四階建ての家屋ほどの高さがある。
  
 それは空間その物を圧縮した炎で焼き払う怒涛の爆炎だった。燃える事すら許されぬ、一瞬の酸化。空間に残るのは赤く沸騰した地盤と盛る蒸気だけであった。
  
「何だあの技は……ッ」
  
 己達の前方に浮かぶ影。深い青色の髪と燃え盛る紅玉の眼が印象的だ。
  
「コイツが八雲の云っていた化物か……?」
  
 己の言葉を遮るように、半霊が刃の弾幕を張る。
 それに反応した襲撃者の右腕が振られる。ただそれだけの動作で、一部の弾幕が轟音と共に焼失。産まれたのは爆撃。その爆撃の中心部から、鉄の破片状の弾丸が飛来して来る。咄嗟に顔を庇うが、全身に細かな裂傷が刻まれ、着物に血が滲んでいく。
 更に、謎の襲撃者は此方へと高速飛翔。繰り出される右拳の刺突。
 余りの超速度に構えを取っている暇すらなく、急襲を捌くので手一杯だった。だが、襲撃者の流れ切った右腕の先、赤色が炸裂する。先に見せた爆裂術式を自殺覚悟の至近距離で使いやがったのだ。
 一瞬先の、爆撃で半身が爛れ、破片で全身を滅多刺しにされる未来を幻視する。が、何故か俺と襲撃者の間合いが一瞬で二十メートル近く開く。そして、爆裂する襲撃者の右腕。四方八方へと鉄片が舞う。己と襲撃者の表情が等しく驚愕に染まるが、己の方が先に、先の高速移動が望月の能力によるものだと悟り、一瞬早く動き始める。
 襲撃者へと半霊が七本の刃を音速で射出。自身の爆裂術式で右腕を吹き飛ばした哀れな標的へ刃が殺到する。だが、連続して響くのは金属音。襲撃者はきっちり七発の妖弾で高速飛来する刃を撃ち落としてきやがった。
 神技に近い精密射撃に、己の表情が驚愕に歪むのが分かる。そして、何の前触れも無しに襲撃者の右腕の傷口が一気に再生する。治癒術式など生易しいものではない。文字通りの<超再生能力>だった。吸血鬼のマリアなども使っていた能力だ。この襲撃者が、吸血鬼に匹敵――いや、もしかするとそれ以上のレベルの化け物である事は間違いない。
  
 明らかに己が一人でどうにか出来る相手ではなかった。
 立ち込める煙の向こう、襲撃者の口が三日月に歪む。
  
「その刃……弾幕、やはり貴様だったか!」
  
 ――コイツは己を知っている? いや、この口ぶりでは、まるで己の事を探していたかのような。そもそもいきなり捨て身の攻撃を仕掛けてきた時点で、何かがおかしいのだと気付くべきだったか――
「なんて考えてる暇はないだろ! 細かな考察は後回しにしろ! アイツの目標は俺らだ!」半霊が捲くし立てる様に叫ぶ。
「云われずとも!」
「こんな時まで妖忌さんは漫才を忘れないのですね……!」
  
 戦闘を諦め、後方へと飛翔する。先ほどと同様に望月の首根っこを掴む。
  
「しゅ、淑女の扱いがなっていないようですが!」
  
 望月が喚くが、今は紳士の気遣いなどに気を取られる訳にはいかない。
  
「何ならここで落として行っても構わないぞ。この間見せた瞬間移動で逃げおおせてくれ。そちらの方が己も楽だ。後は舌を噛むから余り喋るな、五月蠅い」
「い、今サラリと本音が……まぁ良いです。仕方ないですね。甘んじて受け入れましょう」
  
 飛翔速度には自信があるつもりだったが、敵の方が最高速度が上らしく、単純な追いかけっこで勝ち目はなかった。
  
 ――それだけならまだしもだ!
  
 七本の緋色の鎖が敵の懐から伸びてきやがる。それぞれが獲物を狙う狡猾な蛇のように、己達を追う。飛翔しつつ、楼散剣を振るうが甲高い金属音を奏でるだけだ。鎖が纏う強力な妖力に阻まれそう簡単には切断出来そうにない。
 半霊と己で一本ずつ鎖の切断に成功したが、その隙に他の五本が己達に殺到する。その内一本が己の右足に、更に一本が半霊に絡みつき、一気に締め付けられる。術者から独立した鎖であるくせに、骨の一本や二本軽く絞め折るほどの力があるらしい。右の脛骨が砕け、前脛骨筋が握り潰される激痛に表情が引き攣る。叫び声を上げなかったのは奇跡に近いだろう。零れた絞り立て血肉が地上へと落下していく。
  
「百パーセント果汁のジュースみたいだな」どうやら半霊には他人をおちょくるだけの余裕があるらしい。さっさと死ねば良い。
「その白い身体を絞ると何が出てくるのか、見物だなっ」
  
 そうこう云っている間に、第三、第四の鎖が己達を襲う。
  
「たくっ。ちょっと待っていてください――」と云った瞬間、待つ暇も無く二本の縛鎖が一瞬で両断。加え、後方の敵に向かって飛んでいく数本のナイフ。「牽制にすらならないでしょうが、ないよりはマシでしょう」
「助かった、とにかく、ただ逃げてるだけじゃ話にならんな」
  
 主に近接戦闘が管轄の己は、牽制を行うにしても敵に近付かなくてはならない。だが、そんなリスクを負いたくもない。ならば、後方支援を任せている半霊の技に頼るか……。そうこうと思い悩んでいる間に、敵が目前まで迫っている。迷っている暇はなかった。
  
 半霊が己の思考を読み、苦し紛れの霊術<悪し魂>の術式を発動。半霊が閃光と高音を撒き散らしつつ障壁と成る。敵の網膜を灼き、鼓膜を麻痺させる。一瞬で敵の網膜と鼓膜の機能を失わせる正に撤退時に適切な術式だった。
 思惑通り、一瞬敵の動きが停止する。
  
「ダメ押し気味ですが、これで――ッ」
  
 望月の掛声と共に、空間を埋め尽くすナイフの群れが出現する。それが一斉に敵目掛けて飛んでいく。避ける事は容易いだろうが、全て避け切る頃には己達は逃げ果せているという訳か。
 念のため、飛翔途中で何度か半霊が背後へと弾幕を放っておく。
 敵を確認する暇すら惜しみ全速力で空を駆け抜ける。髪が激しく靡く。風圧だけで全身が軋む。加え、先ほど潰された右足が千切れそうになり、意識が飛びかける。真赤に視界が染まる。後方へと置いていかれる形で撒き散らされる自身の血液を見て見ぬフリをする。
  
「……大丈夫ですか?」
「そう見えたのであれば、君の目は節穴だ。後で良い医者を紹介してやろう」
「人が心配してあげているのに、何でしょうね、その云い草は」
「心配している暇があるなら、後ろにナイフを投げるか己の脛が鳥の餌にならないよう見張っていてくれ」
  
 目的地は一先ず博麗神社だ。あの怪物が、自身の身を案じるとは思えず、距離の近い人里への避難を諦める。
  
「捕まっていろ、飛ばすぞ」
  
 右足と命を天秤にかけ、激痛に耐える。長距離の飛翔行為そのものに体が痛みを訴えるが無視。鞭うった甲斐があってか、少しずつ敵との距離が開いていく。
 幻想郷を横断する形で、己と望月は神社付近の森に辿り着いた。ここまで来れば、冥界も目と鼻の先だ。博麗の巫女も居る訳だし、咄嗟にしてはマシな選択だっただろう。
  
「はぁ……はぁ……っ」
  
 乱れた呼吸を整える。額に浮かんだ汗を袖で拭う。片足で立っている事が辛く、その場に倒れ込むように座る。
 
「それにしては、疲れ過ぎではありませんか?」
「お前を抱えながら全力疾駆して来たんだ。その云い草はないだろう」
  
 涼しげな顔をして、己を見つめる望月に、流石に腹が立って来てしまった。それほどまでに、今の己には余裕がなかったのだろう。
  
「感謝はしていますよ。私一人でアイツと遭遇していたら、果たして逃げ切れていたかどうか怪しいので。お話も良いですが、一先ず治療を施しましょう」
  
 そう云うと、望月は拳大ほどの大きさの巾着袋から医療道具一式を取り出し始める。しかし、巾着の体積の五倍ほどある道具を収納出来る理由が見当たらない。明らかに色々と無理がある光景だった。
  
「その巾着にも……っ、何か仕掛けがあるのか?」
「種も仕掛けも御座いませんわ」と、体に見合わない仰々しい仕草で肩を竦めてみせる。
  
 きっと、彼女の力、能力の応用か何かなのだろうとは思う。その仕組は、まだ分からないが。
  
「少しの間、目を閉じていて貰えますか?」
  
 望月は己の返事を待たず、純白の洋巾を己の顔の前に翳す。
 視界が白色に遮られる――と同時に赤く染まる洋巾。連続して傷口の回りを襲う痛み。それが一秒ほど続く。反射的に手が柄を握り、半霊が戦闘態勢に入る。だが、
「そんなに暴れないでください。子供じゃないんですから」
  
 そんな的外れなセリフと共に、洋巾が外される。激痛が走った右足を見ると、縫合の跡があった。
  
「はい、術式完了です」
  
 どうやら、先の痛みは治療のものだったようだ。
  
「といっても、応急処置以上の事は施したつもりですが、直ぐに走れるようなものでもありません。もし心配であれば、専門医の方にお見せするのがいいでしょう」
「悪いな。助かった。多分、放っておいても明日には普段通り歩けるようになるだろう」
  
 試しに足先に神経を集中させてみると、ピクリとだけ反応する。それを見て望月は目を丸くする。
  
「ああ、そう云えば妖忌さんは半人半霊でしたね。もしかして、要らぬ心配でしたでしょうか?」
「いいや、助かったのは本当だ。流石に千切れた手足が再生するほど人外じみた事はできないからな。ただ、今のをどの様にやってみせたのか、とか。もう少し痛みを和らげる方法はなかったのか、どうせなら麻酔も準備しておけよとか。色々突っ込みたい事はあるがな」
「云ったじゃありませんか。種も仕掛けもない。貴方が見た事がそのまま真実ですよ。麻酔については、近い物はもってますが勿体ないじゃないですか」
  
 治療をされてしまった手前強くは云えないが、到底納得出来る理由でもなかった。
  
「それで、妖忌さんはどうしてあのような妖怪に襲われていたんですか? 他の凶暴化しただけの妖怪とは、明らかに様子が違っていましたが」
  
 その件については此方が訊きたいくらいだった。一体あの妖怪は何なのか。どうして己を狙うのか。気にかかる事は山ほどあった。
  
「分からない。大方、己に恨みがある妖怪なのだろうが……」
「心当たりが多過ぎるんですね」
「そういう事だ」
  
 呆れて物も云えないのか、溜息で意思表示をされる。
  
「では、私も暇ではないので、そろそろ失礼させていただきます」
「人の背中をこそこそと追い回しているようなヤツが云うセリフではないな」
「乙女の貴重な時間を、それだけ妖忌さんに割いてあげているという事ですよ」
  
 望月はそう云ってニヤリと笑って見せる。少女がするにしては、少し背伸びをし過ぎな表情なような気もする。
  
「要らないから。そいつをリサイクルして里のごみでも拾っておけ」
「可愛らしい照れ隠しですね」
  
 照れ隠しついでに抜刀でもすればコイツも納得してくれるだろうか……。
  
「……忙しいんじゃなかったのか?」
  
 己は望月を手で追い払う動作をする。
  
「妖忌さんとのお喋りは、何よりも優先すべき事柄ですわ。それに今のジェスチャーは西洋ではコッチに来いと云うジェスチャーでして――」
  
 飽きもせず此方へと歩み寄って来る……相当な暇人らしい。
  
「………………今日はもう帰ってくれ」
「そうです、か。そうですね。では、またお会いしましょう」
  
 素直に懇願した御蔭か、思っていたより素直に引き下がってくれた。初めからそうお願いしておけば良かったか。
  
「もう――」
  
 “もう”と、そう発音するまでは、確かに望月の姿は目前にあった。
 だが、続く“会いたくもないがな”を発しようとした瞬間には、既に彼女の姿は存在しなかった。
  
「……こんな時に使うんだろうな、“やれやれだ”とは」
  
 漏れる溜息に反応して、半霊がピクリと動く。コイツはきっと他人の不幸を食らって生きている畜生の類なのだと思う。
  
「モテ期ってヤツじゃねぇの?」
「己に保育士でも目指せと云うのか」
「その方が、妖夢とも上手くやっていけるかもな」
「……違いない」
  
 ――幽々子様には『妖忌ってば、そっちの気があったの? 道理で私には手を出してこない訳ね』などと嫌味を云われそうだな。
  
「……先の襲撃者だが、心当たりは本当にないか?」半霊の言葉に、意識が過去へと遡る。
  
 襲撃者の言葉を思い出す。
  
 ヤツの言動を鑑みるに、どうやら狙いは己にあるらしい。それは、隣に居た望月にではなく、己に反応した事から分かる。
 あの様な化物クラスの人外に、恨みを持たれる様な事をしただろうか……? やはり、心当たりが多すぎて、考えを纏める事が出来ない。
  
「大方、『積年の恨みをこの期に乗じて晴らせて貰う』といったところだろう」
「嫌な予感がするな」
  
 ……ここ数日、嫌な予感しかしていない気がする。
  
「そんなの、今に始まった事じゃない。それよりも気掛かりなのが、ヤツが己を追って来る事だな」
  
 幻想郷と冥界を繋ぐ道には<幽明結界>が在るので、ヤツが冥界に辿り着く事はないと思うのだが。
  
 ――念のために、己は冥界に戻らない方が賢明だろうな。
  
 己は何も毎日あそこへと帰っている訳ではない。数日帰らなかったところで、幽々子様は心配なさらないだろう。……妖夢の方はどうか分からないが。
 なるべく心配はかけたくないが、危害が加えられるよりはマシだろう。
  
 ……暫くは気の休まる暇すらなさそうだ。
  
「あー、そこで何をしている?」
  
 背後から声を掛けられるまで、己に近付いている存在が居る事に気付かなかった。一瞬、博麗その人かと思ったが、振り返ると金髪の妙齢の美女が立っていた。見覚えのない女だ。強い妖気は感じないが、逆に気配も弱く、存在感が曖昧だ。相手の素性が読めず、思わず観察してしまう。
 女は黒いロングスカートに白のワイシャツ、その上にまた黒いベストを身に付けていた。シャツには紅いリボンが合わせてあり、女の大人びた印象とのズレを感じる。腰元まで伸びた長い髪の毛は金色している。世の男性が彼女を見れば、十人中十人が振り返るであろう美貌だ。
 先ほどの半霊の『モテ期』という言葉を思い出し、自身の単純さに呆れ返る。それに女は明らかに談笑を楽しむ空気ではない。
  
「本当に慌ただしく人間が入れ替わっていくな」
「……そういう時期なんだろ」
  
 己が返事を寄越さず、独り言に興じてしまった為か、女は不機嫌そうに表情を歪める。
  
「何だ、答えられないのか?」
「べつに、そう云う訳じゃない。突然、別嬪さんが話しかけてきたから戸惑ってしまっただけだ」
「とてもそうは見えないがな。それで、もう一度だけ訊いてやるが、そこで何をしている?」
「強いて云うなら休憩だ。この足の傷が癒えたら発つつもりだが。まぁ、今直ぐ出て行けというならそれでも構わない」
  
 女が己の傷口に一瞥をくれ、「なるほど」と一言。
  
「なら、私の住処に案内してやろう。少なくとも此処よりは休まるだろう」
  
 女の言葉の意図がやはり掴めない。
  
「……己は取って食われようとしてるのか?」
「好みのタイプの美貌だが、何だ、食って欲しいのか?」
「冗談だろう」
「そうか……しかし、男でその美しさは惜しいな。活かさない手はないだろう?」
  
 性別を間違われなかったのは珍しいが、この様な形で顔付きについて突っ込まれるのはそれはそれで気持ちが悪い。
 それに、“活かす”ってなんだ。男娼にでもなれと云うのか。
  
「残念ながら色情に狂うつもりはない」

「何だ、見た目通りの堅物なのか。しかし、東洋の人間は性に大らかだと聞いたが、そうでもないんだな。去勢でもしているのか?」
  
 ……最低な冗句だった。
  
「あー、分かった分かった、冗談だよ。何にしても、私に男を食らう趣味はないから安心しろ。どちらの意味でもだ」
「少なくとも冗談の趣味は最悪みたいだな」
「それはお互い様だろう。そう云えば、連れはいないのか? 半人と半霊、もう一人、別の人間が居ると云う話だったが」
「そいつは怪我もたいした事がなかったから己を置いて帰っていったよ」
  
 女の言葉に違和感を覚えるが、嘘を吐く理由を見当たらないので普通に応答しておく。
  
「では、付いて来い。案内してやる」
  
 そう云って、勢い良く飛翔する女の後を追う。
  
 ……己に害意があるなら、背後に回られた時点で既に殺されていただろう。善意による行動かは定かではないが、黙って付いて行く事にする。
  
「距離はあるのか?」
「十キロもない。治療の後もあるし、飛翔ができないほど辛い訳でもないだろう? それとも、先に医者に見せた方が良さそうか?」
「いや、医者は必要ない。それくらいの距離なら問題ないさ」
  
 十分程要し、目的地に辿り付く。掘っ建て小屋のような粗末な外観。立て付けの悪い扉を開くと、整理整頓の行き届いたスッキリとした部屋が現れる。向かって右奥にベッド。その上方の壁に取って付けたような本棚。左方には棚と箪笥、それに水瓶らしきものがあるだけの部屋だった。
  
「ベッドは好きに使ってくれて構わないよ。取りあえず、掛けてくれると有難い」
  
 己は云われた通り、ベッドに腰を下ろす。付いて来た半霊は本棚の辺りを漂っている。
  
「水でも飲むか?」
「貰えると有難い」
  
 女は手慣れた動きで棚から湯呑を取り出し、水瓶から柄杓で水を注ぐ。疲労と乾きの為か、ただの水普段の何倍も美味しく感じ、煽るようにして飲み干してしまう。
  
「ああ、水ならいくらでも――という訳ではないが、貴方の喉の渇きを潤わせられる程度にはあるだろう。遠慮せず飲んでくれ」
  
 元々、此方の方が休めるだろうという理由で連れて来られたのだから、遠慮する事はないだろう。己は二杯目も一気に飲み干す。
  
「それで、どうして己をわざわざこんな処に連れて来た?」
  
 目の前の女の目的が本当に“己を休める事”にあるとは思えなかった。
  
「べつに、深い意味はなかったさ。あの場所に居られると、少々不都合があったと云うだけ」
  
 “あの場所”とは博麗神社近辺の事を指しているのだろうか。眼前の女と、博麗に共通項を見出せない。
  
「っと、私はそろそろ戻らないとな。さっきも云ったと思うがこの小屋は好きに使ってくれ。何日滞在してくれても構わないしな」
「お、おい! いろいろと聞きたい事が――」
「そう贅沢を云うな。また後日出会う事があれば、その時にでも訊いてくれ。それじゃあな」
  
 そんな言葉を云い残し、女は小屋から出て行く。
  
 残された己達は茫然としていたが、取りあえず三杯目の水を飲む為に立ちあがる。
  
「本当に、好意による行動だと思うか?」己は半霊へと問い掛ける。
「世の中にそう云った物好き、聖人が居る事は確かだろうがな。あの女に関しちゃ“あの場所に居られたら困る”と云うのがかなり大きかったんだろ。それがどうしてかという問題は考えて分かるとも思えないし、そもそも考えるだけ無駄だと思うぞ」と半霊の答え。
「そうだな。今は、休む事だけを考えよう。幸い、この小屋には結界が張ってあるようだ。下級の妖怪相手であれば、そうそう襲われる事もないだろう」
「問題は上級の妖怪なんだがな」
「上級の妖怪程の知能を持っている存在が、わざわざこの小屋を探して当ててまで己を殺す理由が見つからない。先の襲撃者は別だが、アレに襲われれば何所であろうと絶体絶命だろう」
「それもそうだ。だったら、気配が断たれている今、じっくり休んでおくべきか」
「ああ、そういう事だ」
  
 そこで、重く深い腹の音が響く。
  
「飯を食ってから寝た方がいいか……」
  
 ……この小屋であれば、保存の効く食物か何かが蓄えられているような気もするが、流石にそれに手を出すつもりにはなれない。
  
「好きに使って良いって云われたんだから、勝手に食っちまえばいいじゃねぇか」
  
 確かに、勝手に食べたところであの女は悪い顔をしないだろうが……。やはりケジメは必要だろう。
 己は脚の調子を再度確認し小屋の外へと出る。軽いリハビリ代わりに小動物か小鳥でも捕まえればいいだろう。味は知らんが、焼けば食えないものなどない。
  
「……食べれはするだろうが、それでいいのか」
「背に腹は代えられないだろう」
  
 大人しく人間の里に行って飯屋へと行けばいいのかもしれないが、例の襲撃者が気掛かりで此処から余り遠くへ動きたくないのが正直なところだった。








 鳥類を何匹か仕留める事に成功した。雀の類は焼くだけで案外美味な為重宝する。その帰り道、女児がすすり泣くような声が聞こえ足を止める。
  
「確か、こうやって人間を油断させておいて、近付いてきた人間を食らう妖怪が居たよな」
  
 己は取り敢えず其方へと向かってみる事にする。放置しておくのも何とも目覚めが悪かった。
  
「お前の偽善者ぶりには毎度毎度呆れるな」
「善者でも偽善者でもない。己はただ、放っておいた方が結果的に気分が悪いと云う理由だけで行動しているだけだ」
  
 木の根本で座り込み、膝を抱えるようにしてすすり泣いている女児を発見する。肩甲骨の辺りから生えた羽根が女児が妖怪である事を示していた。
  
「明らかに妖怪だが、どうする?」
「明らかに妖怪だからこそ、切実に困っているんだろう。少し声をかけてみよう」
  
 相手を油断させて近付いて来た者を襲う類の妖怪ならば、きちんとした人間の娘らしい姿形をするだろう。
  
「どうなっても知らないぞ?」
「幸い、あの娘からはそこまで強力な妖力は感じない。敵意がなければ、人間も妖怪も同じようなものだ」
  
 逆に、害意があれば人間も妖怪同様危険な存在に成り得るのだ。
  
 自分に近付いてきた己の存在に気付いた女児が、此方を見上げる。そして、自身が泣いてしまっていた事を思い出したのか、慌てて目元を拭い始める。
  
「お、お兄さん、誰かしら?」
  
 さも自分は平気だという声を取り繕おうとしているのが垣間見え、痛々しい。
  
「己は魂魄 妖忌。君は?」
「私? 私はね、フランドール。フランって呼んでくれていいわ」
「何か困っているようだが、どうかしたのか?」
  
 少女が泣いていた事には触れないようにし、己は遠まわしに何があったのかを訊いてみる事にする。
  
「んー……」
  
 女児は己を見詰める。己が信頼に足る人物か見極めようとしているのだろう。
  
「秘密は守る。フランから教えて貰った事は誰にも話さん」
「本当……?」
「ああ」
「だったら、お話ししてあげようかな。えっとね……」
  
 フランはたどたどしく、言葉を選び、必死に語り始める。きっと、誰かに話を聞いて貰いたかったのだろう。
  
「私ね、お父様にね、プレゼントをしようって、思ってたの」
「それはとても素敵な事じゃないか」
  
 家族からの贈り物と云うのは、それだけで感慨深いものがある。
  
「だけどね、それが失敗しちゃって……私、どうすればいいのか分からなくなっちゃって」
「父親は娘がしてくれた事なら何だって嬉しいものだよ」
「でも……でも、私、お父様に嫌われているみたいで。私、お父様に私を見てもらいたくて……っ」
  
 自身の言葉に、記憶が蘇ってしまったのか、フランの目尻には再び涙が浮かぶ。小さな体が細かく震える。
  
「良いか、フラン。本当に娘が嫌いな父親なんてこの世には存在しない。フランが父親に嫌われていると感じるような事があったとしてもだ。きっと、心の底ではフランの事を想っている筈だ。父親が云うんだから間違いない」
  
 奇麗事の欺瞞でしかないが、少女に現実を突き付ける意味もない。少女の家庭環境を知らない己が、横からとやかく何かを云うのは間違いなのだろう。だが、それでも、こんな少女が涙を見せているのは間違いだとも思う。
  
「ヨーキもお父さんなの?」
「ああ。一人娘が居る」
  
 その娘がもう亡くなっているという事は黙っておいた。
  
「だから、フラン。フランが何をやっているのかは分からない。だが、例え失敗したとしても、それを最後まで遣り切って、それを父親に話せば、きっと父親も笑ってくれるさ」
  
「そっか……そうだよねっ」
  
 フランが私の前で微笑んだ。少女にしては綺麗な、それでいて陽気さを感じさせてくれる笑みだった。
 やはり、これ位の歳の娘は笑っていなくてはならない。
  
「頑張るんだぞ」
  
 頭に手を乗せてやると、フランは擽ったそうに目を細めた。
  
「うんっ! 有難うね、ヨーキ!」
  
 少女がテクテクと此方へ歩み寄って来る。
  
「ヨーキ、ちょっと屈んでみて貰える?」
「ん? どうかしたのか?」
  
 云われた通り、己は軽く体を屈ませる。
 その瞬間、頬に柔らかな感触が訪れる。照れたような表情のフランが赤らんだ顔で此方を見つめている。
  
「今のはお礼よ、ヨーキ。レディのキスは安くないのよ?」
  
 フランはそう云い残して、飛び上がって行ってしまう。己はただただその背を見つめていた。
  
「とんだロリコン野郎だな」半霊が嘯く。
「……べつに、何とも思っちゃいないさ」
  
 接吻をされた頬に触れると、フランが付けていた物だと思われる紅が手に付いた。








 西日が地平へと沈む。
 空を見上げれば、澄んだ清水の様な藍色の海の中、金銀の星が輝いている事だろう。生憎と疲労困憊で、風情を楽しんでいる余裕は残されていなかったが。
 小屋の中は、静寂と暗黒が支配していた。寝台に横になれば、その瞬間に深い眠りに落ちてしまう事だろう。己は寝台の端の腰掛けると、深く溜息を吐く。
 疲労と共に、何か大事な物まで口から飛び出していった様な気がした。
  
「幸福か」
「仮に、今の境遇を生み出したのが己に備わっていた幸福なのだとしたら、そんなもの吐き出して正解だろう」
「明らかに日頃の行いの所為だな」
  
 ……否定出来ないのが悔しいが、それはお互い様だろうに。
  
「明日には平穏無事の日常に戻って来て欲しいものだ」
「……いや、どう考えたってもう手遅れだろう」
「願うだけなら只だろう」
「世の中には、口にすると最悪の出来事が舞い降りる魔の言葉が存在するらしいぞ」
  
 爆発寸前の幻想郷。それに加え、己を付け狙う化物。現時点で、考え得る最悪を詰め込んだような状況だ。
  
「これ以上何が降って来ると云うのだ」
「ま、嫌な事は明日の手前に任せて、今日の手前はさっさと寝ちまう事だな。手前が寝ない事には、俺の体も休まりようがない」
「……それもそうだな」
  
 己は小屋のベッドに倒れ込む。疲労が体の底に溜まっていくような心地。もう一ミリたりとも動きたくない。
 意識がゆっくりと闇の中へと沈んでいく。思考の波が穏やかになり停止。残されたのは一定の周期の寝息だけだった。








 頬杖を付きながら畳に横になるという、世の亭主の見本のような妖怪が居た。
 何をするでもなく、天井の木目を眺めてみたり、雲の行く末を眺めてみたり。
 見る人が見れば平和と、また別の人が見れば退屈、と感想を述べるだろう。
  
「あら、戻って来てたのなら何か云ってくれれば良かったのに。一体何だったの?」
  
 居間にいた女の存在に気付いた博麗が少し拗ねた様に訊ねる。
  
「なんて事はない。手負いの獣が迷い込んでいただけだ。手当てをして、放してやったさ。博麗の手を煩わせるまでもない」
「それはそれは、ご苦労様。ご苦労様ついでに“居候様”に、家事の手伝いをお願いしたいんだけど?」
  
 妙に強調された“居候様”に、女は渋い顔をする。
  
「何云ってんだ。私は他ならぬお前に泣いてお願いされたから此処に居るだけだ。文句があるならさっさと出ていくさ」
「むぅ……」と頬を膨らます博麗。その仕草は、普段の彼女を知る者が見れば驚くような、ただの少女の仕草であった。
「ははは、そう膨れるな。仕方ない、私に手伝える事があれば手伝ってやろう。……私もいよいよ妖怪としての威厳を失いつつあるな」
  
 そう云いつつも、満更ではないといった様子で頬を緩める。
 自身の一挙一動に可愛らしい反応を示す博麗を、妖怪は愛おしげに眺める。
  
 ――こう云うのも悪くはないのだと、思う。
 
「私相手にそんなもの、初めから無い様なものじゃない」
「それも、そうだな。で、何を手伝えばいい?」
「一先ず台所に来て頂戴、詳しくはそれから話すわ」
  
 博麗は廊下を調理場へと向かって歩き出す。その後ろを、妖怪がだらだらと追う。
  
「料理か……ここに来るまでは生か、もしくは焙っただけの肉しか食らってこなかったからな。細々とした作業はどうにも苦手だ」
「余り想像したくない絵ね」博麗は妖怪の小さな口が血の滴る肉を食らう様を想像する。
「いや、それはそれでありかな……」
「何を云ってるんだ、お前は」
  
 調理場に辿り付いた二人。博麗は鍋の前で調味料や山菜の類を沸騰したお湯へと投入していく。
 妖怪は博麗の指示でまな板の上の鶏肉を切っていく。
  
「そういや、博麗としての仕事はいいのか?」
「一応、最低限の仕事はこなしているわ」
  
 答えつつ、博麗は最近の幻想郷について考えてしまう。本格的に妖怪達の動きが怪しくなってきていた。正直、博麗一人でどうにか問題ではなくなってきている節がある。
  
 ――私が経験した中で、最悪の異変になるかもしれないわね。
  
 そして思う。二人で冬を越す事が出来るのか。また、桜を拝む事はできるのか、と。
  
「ふぅん、私には主婦にしか見えないんだがな」
  
 博麗の心境の変化に、鶏肉相手に四苦八苦していた妖怪は気付けない。
  
「出来る主婦は夫に自身の苦労を伺わせないのよ」
「な……っ、お、夫って!」
「いや、そこはあんたから仕掛けて来たんだから、照れないでよ。こっちまで恥ずかしくなる」
  
 仲睦まじい二人の初々しいやり取り。暫しの沈黙の後、また笑い合う。
 こんなただの日常を、二人でずっと味わっていたいと、感じながら。
  
 博麗と云う名を、今日ほど恨めしく思った日はなかった。
  
「……ったく…………な、何かあったら私を頼ってくれていいんだからな。家事なんかより戦闘の方がよほど私に向いている」
「あ、話逸らした。それにしたって逸らし方が下手過ぎるでしょ……」
「う、うるさい!」
  
 顔を真っ赤にする妖怪。それをみて博麗はまた破顔する。
  
「笑う事はないだろ!」
「まっ、相当切羽詰らない限りそんな事にはならないでしょうが、その時は遠慮なくお願いするわ」
「……ああ、そうしてくれ」
  
 会話をしながらも、てきぱきと自身の仕事を終えた博麗は妖怪の横に並び顔を顰める。
  
「……で、そのミンチみたいな鶏肉はどうするつもりなの?」
  
 台所の上には糸状に解された鶏肉の姿。小さく切り分けろとは云ったが、どう解釈すればこのような事になるのだろう。
  
「知らん」
  
 開き直った妖怪は悪びれる様子もなく博麗へと向き直る。
  
「……やっぱり庭で落ち葉の処理をお願いしようかな、やっぱり向かないわ、あんた」
「だから初めからそう云ってるだろ! 落ち葉か、落ち葉は何だ、集めて着火して燃やせばいいんだな?」
「そうね……流石にこれは失敗しようがないでしょ。それが終わったら昼食にするから」
「りょーかい」
  
 そのあと、博麗神社で小火騒ぎが起きたという事実は、わざわざ書き記す必要すらないくらい自明の理だろう。
















 四章 交錯する悪意、錯綜する善意

     生に理由を求める人間が、
     死の理由を知りえる筈がない。
     理由を求めると云う弱さが、
     そのまま人間の死因に直結するのだ。

        ノーラ・シュヴェルツ「理由無き所為」



 目前、自身と同じ白銀の髪を持つ女性が立っていた。妖夢……? 違う。良く見ると細部が異なる。妖夢があのまま成長してくれれば、きっと眼前の美女のようになるだろうと思う。
  
「――――――っ!」
  
 声にならない声で実の娘――妖夢の母の名を叫ぶ。
 だが、返事は返ってこない。そもそも、己の口から漏れたのは殆ど叫び声だった。彼女がそれに気付くとも思えない。
  
 娘は、親の贔屓目を抜きにして美しい女性だったと思う。己の妻に良く似た端正な顔立ちをしていた。己から引き継いだのは、髪と眼の色だけだ。そして、それで良かったとも思う。
 娘とその夫の姿が網膜に焼き付く。
 幸福以外の何物でもない光景。ただその瞬間を、正確に切り取ったが故に、そう見えるだけなのだろう。己の頬を伝うのは涙だった。
 フィルム映像の様に次々と素早く移り変わっていく映像。揺蕩う様にして原型を留めようとしない映像。ノイズによって鮮明さが失われた不愉快な映像。
 時間と云う観念が存在せず、早々と遅々と、舞台は回転を止めず、グルグルと巡る。
  
 無音。静寂。沈黙。そしてそれらを絶叫が引き裂いていく。
  
 手を伸ばそうとするが、届かない。透明な膜に阻まれているかの様に。それは、舞台と客席の様に、概念と云う名の隔たりによって遮られていた。己はただ、傍観者でしか居られない。
 そして、激しく明暗を繰り返しながら、全てが赤く染まる。
 飛散する娘の血液が、娘の着物を赤く塗り上げる。触れてもいないのに、掌が熱い。見ると、己の掌は娘の血で燃えていた。熱で爛れる皮膚、溶け出す肉に、沸く血液。
 娘は怒りと悲しみの表情を顕にする。己の表情とはまるで鏡写しのそれは、己を断罪する刃だ。深く深く、精神の心の臓へと罪を突き立てていく。
 そして死に際に、己の顔を見て微笑む。
  
“コレがお前への呪いだ”と。
  
 震える指が刃を取りこぼす。
 それを慌てて拾い、自身の胸へと突き立てようとするが、力が入らない。
 死に損なった哀れな半人と、逝き損なった憐れな半霊だけが後に残った。
 自我と他者の線引きが曖昧になる。
 己がまだ、剣を握る為だけに生きていた頃の話。
 死闘に身を投じる事こそが生の意味だと思い込んでいた頃の話。
 闘争こそが存在意義。
 世界に意味と理由などない。
 言語や感情など虚偽の塊であり、どの様にも取り繕う事が出来る。いとも容易く崩壊するのだ。
 闘争にこそ誠実あれ。
 戦いは己らを裏切らない。
 其処には純粋な強さと、弱さがあるだけだ。
 前者が残り、後者は落ちる。
 そこは善悪すらも超越した純粋な世界だ。
 己達に残されていたのは、闘いだけの筈だった。
 それが、魂魄の出した解答だった筈だった。
 だが、滾り、沸騰した血液はやがて凍りつき、自身の心臓へと突き立てられるのだと知った。
 屍は何も語らず、残された己にも語るべき言葉など残されていない。
  
 そして、己は、魂魄と剣士と云う生き方を否定した。








 朝起きると、庭の木々が赤や黄に色を染め初めていた。
 天気は良いが少し冷え込んでいたので、私は上着を羽織り廊下に出る。
 板張りに廊下は冷たく、自然と足早になるのが分かった。
 草鞋を履き、庭に出る。一先ず顔を洗い、それから軽く素振りを行おう。水が冷えていそうで、少し憂鬱だった。
  
 と、通り抜けようとした庭に先客が居る事に気付く。
 空を見上げる亡霊の姫君。私もつられるように見上げると、顔を出したばかりの太陽が東の空を茜色に染めていた。
  
「……幽々子様」
  
 自分でも驚くほど、か細い声だった。
  
「あら、妖夢。私に云われても、三文はあげないわよ?」
「いえ……要らないですし」
「だったら、どうしたのかしら?」
  
 優しい声色。冗談を云うときも、私を叱るときも、元気づけてくれるときも、幽々子様はいつも変わらない。
  
「お爺ちゃんは、帰って来るでしょうか」
「元々、ふらふらと何処かに行っては、帰って来ないような人だったじゃない。何をそんなに心配しているの?」
  
 私が感じている違和感など、幽々子様にはお見通しなのだろうと思う。
  
「そうですけど、今回のは少し、今までとは違うような気がして」
「あそこまであからさまだとねぇ、どれだけ察しが悪くても気付いてしまうわよね」
「……ええ」
  
 俯いてしまう私。幽々子様は私の頭に手を乗っけて、髪を梳くように撫でた。
 心身ともにくすぐったいけれど、不思議と安心してしまう自分がいる。
  
「あの日、お爺ちゃんは私を里に連れて行ってくれて……。そんなのは、産まれて初めてで、凄く嬉しかったけど……」
  
 言葉が詰まる。云いたい事は色々あった筈だったけど、頭が白くなっていき、それに付いていけないみたいだ。
 滲む視界の中、必至に漏れ出す感情を抑え込もうとする。けど、頑張れば頑張るほど、とめどなく溢れてきてしまう。
  
「なっ、何かおかしいなって……私でも、気付けました」
  
 ぽふりと、幽々子様の胸元に、顔が押し付けられる。涙で着物が湿っていく。
 その優しさが心に沁みて、嗚咽が漏れる。
  
「……流石にあれは、露骨過ぎたわよね。でも、きっと、本人もそれに気付いてない」
  
 “不器用な人だから”そう云って幽々子様は笑う。
  
「……頃合いなのかもしれないわね」
「頃合いっ、ですか……?」
「ええ。移り変わっていく。時も、四季も、世界も、幻想も。同じ場所には、留まれない。それはこの冥界でさえも、例外ではない」
  
 変わらない物はないと。理解はしているけれど。それは余りに残酷だと。理性とは別の場所が癇癪を起こす。
  
「でもっ! わ、私はまだ、お爺ちゃんとお別れなんて――」
「私もそれは一緒。やっと、妖忌に対して親近感が湧くようになってきたんだから。だけど――いえ、だからこそ、私達にできるのはただ待つ事だけ。きっと彼は、私達の為に動いているんだから」
  
 幽々子様の手に力がこもったように思えた。それはもしかしたら気のせいで、知らず知らずのうちに私の手が強張っていたせいかもしれない。
 私は主の胸の中で、ただただ泣いた。








 久し振りに例の悪夢を見た。
 乱れた呼吸。噴き出す汗。自己主張の激しい頭痛。不快指数が酷く高い。
 風化した記憶は、鮮烈な部分だけを残し、より強い劇薬となって己の身を灼き焦がしていた。
 一生、己はこの激痛に慣れる事など出来ないのだろう。否、慣れてなどいけないのだ。
  
 室内には重苦しい空気が滞っていた。己は袖でそっと額を拭う。だが、袖口にも汗が染みこんでおり、何とも不毛な動作となった。
 せめて吐き出した水分を補給しようと乾いた喉を水で潤わし、深呼吸を繰り返す。意識をして、深い呼吸を繰り返すと、少しだけ気分が落ち着いてきた。
  
 小屋の中に降り積もる憂鬱から脱する為、一度小屋から出る事にする。
 扉を開くと共に、飛び込んで来るようにして朝の森の濃い匂いが体に広がっていく。朝の爽涼で静謐な空気が、内部から頭を冷やしていく。
 靴の裏に草先が触れ、朝露が跳ねる。頭上で鳥の慎ましやかな鳴き声が響いた。
 脚の調子は良く、これならば直ぐにでも戦闘を行っても問題はなさそうだ。
  
 少しずつ、心の余裕を取り戻して来ると、現金なもので体が空腹を訴えだす。
  
 昨日の様に野生動物を捕まえてこようか、などと考えていると――
「探したわよ、妖忌。朗報があるの」そんな台詞によって水を差されてしまう。
  
 ……構わず歩き続ける。
  
「どうして無視をするのかしら?」
  
 八雲は己の横を、頭だけを覗かせたスキマごと並行移動してくる。この妖怪の云う“朗報”を今の己の耳に入れたくなかった。
 それに加え、治癒に体力の大半が使われた為か、疲労が一向に回復していない。相変わらず、纏わりつく様な重さが体を支配していた。何かを食って、直ぐにでも寝直したい気分だ。
  
「……それで、朗報とは何だ?」
  
 このまま無視し続けても良かったが、それではこの妖怪がずっと付いて来て、無駄な時間を過ごしてしまいそうだった為に諦める。
  
「妖忌はまだ寝ぼけているのかしら? 気をつけなくてはダメよ、睡眠の取り過ぎは頭を溶かすのだから」
「流石、先駆者の云う事は違う。何を云っているのかまったくわからないな」
「貴方、どんどん口が悪くなっていってるわよ?」
「疲れているんだよ」
「疲労を相手に悟られているようでは、二流もいいところよ?」
  
 痛いところを突かれる。この妖怪と話すのはこれだから面倒臭い。
  
「どうして貴女相手にわざわざ取り繕わなくてはならんのだ。良いから、要件だけを短く話してくれ」
  
 八雲は「はいはい」と子供をあしらうようにして答える。
  
「では知らせだけを云うわ。博麗がルーミアを匿っているみたい」
  
 八雲の言葉を頭の中で繰り返す。五度程繰り返してみるが、理解には至れない。至りたくない。
  
「…………どうやら己はまだ悪い夢を見ているようだ」
  
 寝直す為に小屋へと戻る事にする。
  
「いや、そういうベタな展開は要らないわよ。ベタなのはただでさえ食傷気味なんだから」
  
 八雲の冷静なツッコミ。
  
「せめて、後一年くらい現実逃避くらいさせてくれ。せめて事態が収束するまで放っておいてくれ。それくらい訳が分からない。どうして博麗が幻想郷を脅かす妖怪を匿う!」
「そんなの、私が訊きたいくらいよ」
  
 しれっと云ってのける八雲。いっそ好感すら持てる清々しさだった。
  
「博麗は、敵なのですか……?」
  
 そんな可能性は考えたくもなかった。
 吸血鬼の群れ、己を襲う襲撃者、八雲級の妖怪に加え博麗までもが立ちはだかるとなると、命がいくつあっても足りない。
  
 コンテニュー機能が欲しくなる勢いで訳が分からない。
  
「もうその取って付けたような敬語は要らないわ。私に敬語を使う輩も殆どいないし。と云うか、もう貴方半分くらい敬語じゃないし」
「では、そうさせて貰おう……。それで、どうなんだ? 博麗は敵なのか、味方なのか」
  
 今現在の問題は、敬語云々ではなく明らかにそちらだ。
  
「少なくとも、味方ではない事は確かね」
「そもそも、博麗と八雲は結託しているんじゃないのか? どうしてそのような事態が起きる」
「歴代の巫女はそうだったわ。だけど、今の博麗は、私に猜疑心を抱いているみたいなの」
  
 猜疑心……か。この妖怪、そしてコイツの言葉を全て鵜呑みにするような事はしたくないが、どうしてその様な自体が起きる?
 博麗と八雲の結託。
 両者の目的は“幻想郷の存続”において一致していると云える。
 八雲の言葉が真実にしろ、虚実にしろ、博麗と八雲の目的に乖離が発生していると云うのは事実なのだろう。だとしたら、一体どちらが……? 何の為に?
 
「それは仕方ない。むしろ正常な反応だろう。だが、こういう場合こそ、八雲が動き出すべき事態なんじゃないか?」
  
 取り敢えず、相手に悟られぬ様に軽口を繰り返しておく。
  
「……生憎と私は多忙の身なのよ」
「冬眠の準備でか?」
「違うわよ。ちょっとね、それ以上の事態が起きているとでも云えばいいかしら。だから、この件は妖忌に一任するわ。物事は適材適所。その者にはその者なりに相応しい仕事がありますから」
「そんな無責任な!」
  
 己の叫びは、案の定八雲に軽くあしらわれてしまう。
  
「まぁ、博麗の件は今直ぐ何が起こるという訳でも、起きているという訳でもない。今は今まで通り妖怪達を駆逐してくれればいいわ。悲劇を繰り返したくないなら、ね」
「八雲!」
  
 人をからかったような言葉に、思わず頭に血が昇る。
  
「その怒りを、吸血鬼にぶつけない。それじゃ」
  
 頭部が消え、<スキマ>が閉じる。残されたのは己と半霊と静寂。
  
 ……己が昨日襲われた件について話しそびれた。いや、知っていたからこそ逃げるように切り上げていったのか。
  
 目覚めに最悪な話題のせいで、頭と体が等しく重い。
  
「いよいよ、幻想郷の雲行きが怪しくなってきたな」
  
 一番に怪しいのは、八雲紫なのだが、彼女が幻想郷に害を成す行動をするとも思えない。その点だけを考えるなら、妖怪である八雲を信じるべきだろう。同時に、博麗が幻想郷にとって害悪な存在になっていると云う状況もまた真実になる。
 しかし、あの八雲は、気まぐれで他者を弄ぶ気質がある。
  
「誰かの言葉を信頼するんじゃなく、自分で見たものだけが真実って事だろ」
「……偶には良い事を云うじゃないか」
「手前は一々小難しく考え過ぎなんだよ。結局俺たちには、何かを殺す事くらいしか出来やしないんだ」
  
 流石に、そこまで簡単に割り切る事も出来ないのだが……、
「望月はどう考える?」
  
 己の言葉に反応し、望月が木の影から身体を出す。彼女が盗み聞きをしていた事には気付いていた。きっと八雲も同様に。
 忙しいなどと漏らす割に、コイツには常に付き纏われているような気がする。
  
「あら、気付かれていたんですか。妖忌さんも人が悪い。一声かけてくれればいいものを」
「だから……いや、もう良い」
  
 この望月という少女は礼儀正しいようでいて、どうやら大分ズレている部分があるらしい。わざわざズラしにかかっているつもりで天然の幽々子様よりはマシだが、まともに取り合っていると疲れるという負の部分だけ共通だ。
  
「正直、私には関係がありませんからね。『妖忌さん頑張って!』としか云えないですよ。まぁ、妖忌さんが一緒に戦ってくれと頭を下げるというのであれば話は別ですが――この間はあんなカッコいい事云って断られましたからねえ」
  
 子供らしい、安い挑発だった。
  
「いや、お前に頭を下げるつもりは毛頭ないが――」
「どうしてですか!?」
「癪だからだ」
「そんな子供みたいな理由で……」
  
 相手が子供らしい意見を振りかざしてきたから、それに乗ってやったら呆れられてしまった。匙加減が難しい。
  
「剣士の誇りだからだ」
「剣士の誇りが子供の癇癪と等式で結ばれてしまってますよ……」
  
 本当に癪なのは事実だったが、正に猫の手でも借りたいという状況であるのも確かだった。
  
「しかし、幻想郷はどうなってしまうのでしょう……。私には果たさなくてはならない――っ」
  
 望月の言葉を遮るように一陣の風が舞い上がる。それに巻き込まれるようにして、葉が千切れ飛んでいく。
  
 昨日の襲撃者との交戦の記憶が有り有りとよみがえる。
 反射的に、右手が柄を握りしめ、襲来者を睨み付ける。
  
 漆黒の烏の羽根に、同色のショートカットの黒髪。短いスカートが自身の風によって靡き、健康的な太腿を根本部分まで顕にする。特徴的な底が高く赤い下駄を履いた、烏天狗の姿だった。
 昨日の襲撃者とは何の関係もない、云うなれば只の知り合いだ。
  
「あやや、これは半人半霊様ではございませんか。相変わらず見目麗しくて何よりですこんな朝早くから、少女を連れ込んで何をしているのですか?」
  
 ……出会い早々、さらりと皮肉を云われた様な気がするが、無視する事にする。
  
「射命丸か……」
  
 朝っぱらから闖入者の多い日だ。異変に、幻想郷中が浮足立っているせいだろうか。いや、こいつらなら、年中騒いでいそうではある。
 腹が減ったから一度解散、と云う訳にはいかないだろうか。
  
 ……いかないのだろうな。
  
「覚えていて貰えて光栄です」
  
 大して嬉しくなさそうに、張り付いた様な笑顔で云われる。
 何が起きてもおかしくない今の幻想郷を、所構わず好き勝手に『取材だ取材だ』と飛びまわれるのはこの射命丸くらいだろう。
  
 幻想郷の緊張状態を、天狗達はどう捉えているのか。
 天狗と云う種族は、人間以上にその縄張り意識や仲間意識が強い。
 もしかしたら、幻想郷とは違う形で、色々と問題が発生しているのかもしれない。
 ……天狗社会の情報が、幻想郷に流れて来る様な事は全くないから、予想するしかないが。
 しかし、目の前の少女の平常運転ぶりを伺うに、それほど緊迫した状況ではないように思えてしまうが……コイツはコイツで色々な意味合いで企画外だ。特に、何を考えているのか、と云う点においては。射命丸が何を考え、感じ、生きているのかなど興味はないが、疲れそうな生き方だとは思う。
  
「貴様のような天狗、忘れられる訳がない」
「あら、それは求愛の一種と捉えてもよろしいのですか?」
「何故出会い頭に貴様を口説かなくてはならないんだ」
「年齢も丁度良い気がするんですけどねえ……。妖忌さんみたいな美人さんでしたら、私も大歓迎ですよ?」
  
 口先だけなら八雲よりもよほど立つ天狗だ。まともに言葉を交わそうとするだけ無駄だろう。
  
「……それで、何をしに来たんだ? 大方、あの下らない新聞の取材でもしているのだろうが」
「下らないとはご挨拶ですねぇ。一応私の新聞にはファンだって居るんですからね?
 まぁ、取材というのは当たりですけど」
「そういえば幽々子様は好んで読んでいたようだな」
「そうでしょう? やっぱり分かる人には分かってしまうんですよねぇ。後は最近巷を賑わせている吸血鬼にも人気なんですよ」
「吸血鬼が……?」
  
 その言葉に、思わず反応を示してしまう。
  
「あや、面白い反応をしますね。吸血鬼と何かあったのですか?」
「何かあったも何も、“巷を賑わせている”と云ったのは貴様だろう。少し吸血鬼の相手をしただけだ」
「ふむふむ、なるほど……妖忌さんがねぇ」
「だが、己の話など聞かずとも、そちらの方面をあたれば記事なんて困らないくらいの出来事が起きてるんじゃないか?」
「それはそうですが、そんな記事はもう溢れ返ってしまっていてですねぇ。私は私で独自のアプローチを仕掛けなくてはと思っていたところでして」
「それで、現場の妖怪達を取材して回っているのか」
「そゆことです。妖忌さんと出会ったのは完全に偶然なんですかね……」
  
 どうやら、聞屋の仕事もそれほど楽ではないらしい。
  
「それで、そのお嬢さんは何なんですか? 髪の色からして……隠し子ですか? それとも愛人か、正妻か、何にしても面白そうですね」
  
 メモ帳片手に嬉々として訊ねてきやがる。スキャンダルでも見つけた気分なのだろう。
  
「面白そうなのは構わないが、そのどれ一つとっても事実無根だ。コイツは望月で、己の相棒だ」
「何でどさくさに紛れて仲間に引き込もうとしてるのですか……ああっ、やっぱり一人じゃ不安だったんですね」
  
 面と向かって告げるのは恥ずかしいから、会話に紛れて仲間だという事にしてしまおうかと思ったが、流石に無理があったようだ。
  
 ……やはり疲れているのだろう。人の事を云えないくらい、自分が子供っぽいような気がする。
  
「はじめまして、望月さん。私は烏天狗の射命丸 文と申します。以後お見知りおきを」
「はい。妖忌さんから紹介されたように、望月と申します」
「やはりお二人はそう云った間がらという事でよろしいのですか? やはり十代に入ってしまうとストライクゾーンから外れてしまうと?」
  
 烏天狗はわざとらしく小指を立ててみせる。
  
「…………云い方が悪かったな、共闘関係にあるという意味だ。それと、今の発言を広めたら貴様を殺すからな」
  
 やれやれと云った調子で方を竦める射命丸。殴りかかりたくなる衝動を必死で抑える。
  
「このお嬢さんが、あろう事か妖忌さんの相棒ですか? 子守の間違いでは?」
「似たようなものだ」
「どうして先ほどから妖忌さんはちょくちょく私を侮辱する方向に走るのでしょう」
  
 己達の発言に、望月は頬を膨らませ怒りを表現してみせる。そう云った仕草が一々幼いのだと云う事には気づいていないらしい。
  
「それに、今のは流石に聞き捨てなりませんね」
「あやや、聞き捨てならないとどうなってしまうんでしょう?」
  
 射命丸は望月を挑発するような言動を繰り返す。
 流石にそのあたりは年相応なのか、望月の苛立ちが目に見えて積もっていく。
  
「望月、落ち着け」
「いや、妖忌さんも彼女の事煽ってたじゃないですか」
「……それもそうだな」
  
 全くもって否定出来ない自分がいた。
  
 そして、会話の途中、視界から突如として望月の姿が消失する。前に見せた時と同様、己にはそれを全く視認する事ができなかった。
 幻想郷最速の異名を持つ射命丸であればもしかしたらと思ったが、彼女も同様のようで驚きに目を見開いていた。
 あの時と同様、望月は背後から射命丸の首元に銀の短刀を突き付ける。それにいち早く気づいた射命丸の表情が歪む。
  
「どんな小細工を使ったんでしょうねぇ……。人間のくせに私の身体に触れるなんて。それに、妖忌さん同様、私も彼女の動きを捉える事ができませんでした」
  
 苛立たしげに呟く射命丸を中心に、風が渦を巻くようにして吹き荒れ始める。それに反して、周囲からは音が消え去っていた。
  
「……少し興味が湧いてきましたねぇ」
  
 ――まさか、こんなところでおっぱじめるつもりじゃないだろうな!?
 思わず、鞘に手を当ててしまう。望月も射命丸から距離を置き、臨戦態勢を取る。
  
「まぁ、冗句なんですがね」
  
 途端、吹き荒れていた風が止む。射命丸は再度肩を竦めると、
「人間の小娘相手に、私がマジになる訳ないじゃないですか」
 などと云ってみせる。
  
 ――完全に、キレかかっていたような気がするが。速さという分野に誇りがある分、そこだけは譲る事ができないのだろう。
  
 そして、望月のあれが速度とは違う何かなのだと、射命丸も直ぐに気付いたのだろう。
  
「と、小娘と云うのはもう止めましょうか。分かりました、望月さんは立派なレディですよ」
  
 若干趣旨がズレている様な気がするが、当の望月が満足気な表情をしている為よしとしよう。……正直、興味がない。
  
「それで、最近気になった事はありませんでしたか?」
「……そこから取材に持ってくのか」
  
 相変わらず図太い神経をしている。
  
「と云っても、貴様が知っていて、私が知らない事柄があるとは思えないが」
「べつに、吸血鬼の話でなくとも構わないですよ? 異変の話でも、冥界の話でも、八雲紫の話でも。そういえば先日、冥界の姫と貴方の孫娘さんが里を訪れていたようですけど?」
「あれはただの気紛れだ」
「堅物の妖忌さんが、という辺りに私は事件性を感じたんですけどねえ。入ってくるのは件の姫が観客の方が食い倒れる勢いで飯を食らったという話ばかりで」
「己は出掛けるだけで事件性を疑われるほどなのか……」
「珍しい事は確かですけどね。それだけじゃ、ただのグルメレポートになってしまいますし」
  
 ……違いない。射命丸は己からは目ぼしい情報が手に入らないと早々に諦め、対象を移す。
  
「そちらのお嬢さん、えっと、望月さんは何か気になる事はありませんでしたか?」
「んー……私は妖忌さんが妖怪に追われている理由が気にかかりますね」
「ほー、それは興味深い話題です。詳しく聞かせてもらっても?」
  
 ……隠している訳でもあるまいし、構わないだろう。己は当たり障りのない程度に、先日の出来事を射命丸に話す。
  
「なるほど……それはもしかしたら、巷で噂の通り魔事件と関係しているかもしれないですね」
「それはどうだろうな」
  
 ヤツは少なくとも“通り魔”などと呼ばれる程、無差別に殺しを行う様な存在には思えない。
  
「と、云いますと?」
「襲撃者は明らかに己に対して怨恨のある様子だった。己と望月を見分けられる程度の知能はあったようだし、己以外を無暗やたらと殺すようには思えなかったな。あくまで、可能性の話だが」
  
 被害者が全員、ヤツの襲撃の対象だったと云う可能性も少なからずあるだろうし、何かしらの偶然と云うのも有り得ない可能性ではない。
  
「つまり、襲撃者は無差別に対象を選んでいる訳ではなかったと? すると、通り魔とは別なのかもしれませんねぇ……」
  
 射命丸は手帳に文字を書き込んでいく。
  
「それで、その“通り魔事件”というのは何だ? 己達と何か関係がありそうなのか?」
「私の記事を読んで下さい……というのが手っ取り早いし、私にとって嬉しい事だらけなんですが――っと、そんなに睨まないで下さい。ちゃんと話しますから」
  
 冥界に戻れば、ここ一ヵ月分の新聞は間違いなく保存してあるだろうが、目の前に記者本人が居るなら戻る必要はないだろう。
 過去の記事を思い出してみる。そう云えば、<ローレン>と<レミリア>と呼ばれる吸血鬼が暴れているとか、その様な事が書いてあったか。
  
「そうですねぇ……では、最初の事件から話しましょうか。被害者は、妖怪退治の専門家である里の男です。腕には自信があったようで、これまでも数々の功績を残している程度には力もあったみたいですねぇ」
「吸血鬼の傘下に下った妖怪達が凶暴化していると云う異変が起きているようだが、それとはまた別物なのか?」
「はい。これはあくまで私の勘ですがね、両者の間には、色々と隔絶した要素があるんです。流石に“ただの死”で騒ぐほど今の幻想郷は退屈していませんから。そうですねえ、先ず、その死体には首がありませんでした」
「食われたのではないのか?」
  
 最近は少なくなったが、妖怪に襲われた人間と云うのは半分以上が捕食目的だ。故に、妖怪に襲われた人間の死体は食い散らかされた様な独特な物となる。四肢や頭部の欠損などは特に珍しい話でもない。
  
「いえ、少し離れた個所に放置されていたのでその線は有り得ません」
「だが、それだけなら有り触れた事件のように思えるが?」
「実は重要なのはそこではなくてですね――その死体は、バラバラにされ、何十ものブロック状の肉片と化していたんですよ」
  
 射命丸の言葉に一瞬思考が停止する。そして、その死体の有様を想像してしまい、表情が歪む。
  
「なるほど……。ただの妖怪の犯行であれば、そこまで神経質にはならないか」
「はい。そう云った殺人が現時点で三件。妖怪殺しが十六件発見されています」
  
 どうやら、先日のマリアに匹敵するレベルの被害者数だ。現時点で、と云う事は、これからまだまだ増え続ける可能性があるだろう。
 しかし、今回の殺しは、妖怪側にその数が傾いているような気がするが……。
 一体、どう云う事なのだろう。
  
「妖怪相手ならまだしも、人間相手にそこまで“殺し過ぎる”必要はありませんから。強い憎しみでもあるのかもしれませんね。それも“生物”に対して、とか」
  
 新聞で読んだ“連続惨殺事件の犯人”が“通り魔”に置き換えられているだけなのだと云う事に気付く。
  
「その通り魔についてだが、もう犯人は突き止めているのか?」
  
 確か、己が読んだ二日前の新聞には『現在究明中』と云う文字があったように思える。
  
「そうですね……これはあくまで噂で聞いただけですが、ルーミアと呼ばれる妖怪が怪しいと、私は踏んでいます」
  
 ……此処でその名が出てくるのか。
  
「あや、これまた何か面白そうな表情をしますねぇ?」
「……他人の表情を面白いと形容するのはどうかと思うぞ。ただ、何処かで聞いた名だと思っただけだ。ちなみに、そのルーミアと云うのは何なんだ?」
  
「一年程前でしょうか、幻想郷で起きた事件をご存知でしょうか?」
  
 記憶を遡ってみるが、何か大きな事件があったような記憶はない。
  
「いや、覚えていないな」
「それもそうでしょうね。あの事件は何もかもが唐突でしたから」
「その事件に、そのルーミアが関わっているのか?」
「結局、確証が掴めなかったので、記事には出来ませんでしたがね。何かしらの形で関わっているのは確かだと思います。私は、昨年の事件の犯人――それも惨殺死体が大量に見つかったものなんですがね、それも彼女なのではないかと睨んでいます」
  
 ……八雲の物言いから、ルーミアは新参の妖怪だとばかり思っていたが、どうやら少なくとも一年前には存在していた妖怪らしい。
  
 今になって八雲がその名を出して来た事と、射命丸が犯人の候補としてその名を上げている事。無関係ではないだろう。
  
「だとしたら、どうしてルーミアは一年物間沈黙していたんだ?」
「さぁ、私には分かりかねますが……吸血鬼が起こした異変に便乗と云うのは十分に考えられますよね」
  
 ……それもそうだ。
 異変と云う空気に当てられて、騒ぎ出す妖怪が多いのは事実だ。
  
「そう言えば、あの事件は博麗の巫女が解決したんだったかな……その辺りの記憶は曖昧です」
  
 其処で博麗の名が出てくるか。
 いよいよ、何がなんだか分からなくなって来る。先の射命丸の言葉と、八雲の発言を組み合わせるに、その一件を境に博麗とルーミアは出会い、意気投合したと考えるのが妥当なのだろう。
 一先ず、話を現在の事件に戻そう。
  
「その通り魔の犯行と思われる惨殺死体だが、いつ頃から発見されているんだ?」
「えーっと……少しお待ちを」
  
 射命丸はパラパラと手帳を捲り始める。
  
「あー、ありました。五日前の明朝、先ほど言った“妖怪退治人”の死体が発見されています」
「五日前か……」
  
 五日前は確か、マリアとの戦闘があった日か。
  
 ……妙なところで日にちが一致するな。
  
「ところで、その襲撃者とやらは、妖忌さんに明確な殺意があって襲ってきている節があるようですが……何か心当たりなんかは?」
「ないな。いや、多過ぎるといった方が正確か。ここ数日は異変の影響で、考え無しに暴れる妖怪達が急増したからな。一々数えていられない」
「ああ、なるほど。妖忌さんなら仕方ないですね。そうですね……その襲撃者は相当な手練だったそうですね。ならば、其方の方面で心当たりは?」
「強敵と云う意味では……先日のマリアと云う吸血鬼が頭三つ程抜けて強敵だった」
  
 しかし、吸血鬼は日中、本来の力を出す事が出来ないと聞く。もしあの襲撃者が吸血鬼の血縁者の類であった場合――考えたくもない結果が待ち受けている。
  
 ……奇妙な日にちの一致。マリアとあの襲撃者、例の通り魔殺人事件に博麗とルーミア。それに加え異変。この四つが無関係だと云い切れるだろうか? 余程楽観的思考の持ち主でなければ、そんな希望的観測を行う事は出来ないだろうな。
  
「ほうほう。すると、その時も望月さんと共闘したんでしょうか?」
「いや、あの時は一人だった筈だ」
「……何ですって? それは確かですか?」
  
 射命丸の表情が驚きに染まる。どうして今の言葉で其処まで驚くのかが理解できなかったが続ける。
  
「ああ。あの時は望月もいなかったしな。己が一人で首を切り落として殺した筈だ」
「ははぁ……そういう事ですか……。なるほどなるほど」口を動かしつつ、器用にメモ帳へと書き込みをし始める。
「後は、そうですね……妖忌さんは、偶に八雲紫からの依頼を受けているとうのは本当でしょうか?」
「何度か頼まれた事をあるが……」
  
 最後まで質問の意図を理解する事ができなかったが、素直に答えてしまう。
  
「そうですが、質問に答えていただき有難うございました。それでは、文々。新聞の次号を楽しみにしていてください!」
「お、おい! こっちにはまだ幾つか訊きたい事が――」
  
 声は風に掻き消される。射命丸は韋駄天の如く飛び去っていた。
 幻想郷では自分本位のヤツが多いというか……、去り際が慌ただしいヤツが多過ぎる。
  
「随分と慌てていた様子でしたが?」
「先の話がそれほど興味深かったとは思えないがな……」
  
 己以外の人間がその記事を見て、面白いと思える内容とも思えない。
  
「先ほどの話ですが、妖忌さん」
「何だ?」
「貴方はマリアの首を斬り落としただけなのですか?」
「……ああ」
  
 望月の言葉に妙な引っ掛かりを感じたが、素直に答える。
 己の返事に、望月は表情を歪める。呆れた様な、哀れむ様な視線だった。
  
  
「そうだとしたら、マリアは死んでなんかいませんよ」
  
  
「……どういう事だ?」
「妖忌さん、肝心なところが抜けているんですね。吸血鬼相手にそこまで健闘したのは流石ですが、詰めが甘過ぎます」
「だから、何を云っているんだ!」
  
 肝心な部分を中々語らない望月に、痺れを切らし語気を荒らげてしまう。
  
「吸血鬼には、きちんと順序を踏んだ殺し方があるんですよ」
  
 そう云えば、そんな逸話をどこかで聞いた事がある気がするが……。
  
「事実なのか?」
「はい。ヴァンパイアハンターの私が云うんですから、間違いありません」
  
 ……暗澹たる想いが、脳を侵食していくのが分かった。








 刀身が二メートル近くある、無骨な黒鉄色。その様な鋼鉄の塊を軽々しく振り回す姿は、彼女が妖怪だと云う点を差し引いても異常な光景だった。しかも、その刀の刀背には更に鉛錘が付け足されている。最早、刃と云うよりは面長の鉄塊と呼んだ方が正確かもしれない。それほどまでに巨大な、刃と呼ぶ事すら烏滸がましいような何か。質量と速度で引き千切るように切断を行う凶器。その凶器で引き裂かれた斬り口は、獰猛な獣に喰い千切られたかのような痕を残した。
 一太刀震われる度に空気が大きく震える。返す刃が地を穿ち、横薙ぎの一閃が胴を草の様に纏めて両断する。更にそれだけでは留まらず、切断された半身が勢いを殺し切れず別々の方向に吹き飛んでいく。乱舞する刃。舞う鮮血と肉片の霰。それを一身に受け血化粧とし、更に前へと突き進んでいく。
 正に戦神と呼ぶに相応しいその佇まい。敵は怖れ戦き、逃げる事すら出来ず、ただただその首を落とされるのを待ち震える死刑囚と化していた。
  
「おいおい、もっと楽しませてくれ!」戦神が歌う。闘いを楽しむように、一方的殺戮に狂喜する。刃は敵の生き血を啜り赤く爛れ、脂と肉を食らいぬらぬらと輝く。三日月型に歪んだ紅い口唇。愉悦に緩む目尻。
 血の海と静寂だけが場を支配していた。
 その上に、宵闇の妖怪は悠然と佇む。
  
「能力を使うまでもないな」
  
 そこへ一人の少女が風を纏いながら颯爽と登場する。場違いな雰囲気を放ちつつ、恐れる事なく妖怪へと近付いていく。
  
「新手か……?」
「あややや、こりゃまた酷い有様ですね――って、その刃を下ろして下さいよ、怖いなーもう。私は敵じゃないですから。一日中探し回る羽目になってしまいましたよぉ……この場合、一日で見つかって御の字と云うべきなのでしょうが。あ、そうそう。どうも、私は『文々。新聞』の記事を書いております射命丸 文と申すものです。以後、お見知りおきを」
「あ、ああ」
  
 少女の慇懃無礼かつまくし立てる様な挨拶に面を食らいつつ、つい挨拶を返してしまう。
  
「貴方はルーミアさんですよね?」
「そうだが……?」
  
 少女がいきなり質問を始め、気付くと妖怪はそれに答えてしまっていた。どうやら完全にペースは少女が握ってしまったらしい。
  
「ちょっと訊きたい事があるんですけど……って、まぁ、こうして会話をして下さっている時点で半ば私の目的は終っているようなものなのですが、それはそれとして、一応ですね――」
「分かった。答えてやるから直ぐその喧しい口を閉じろ」
「あやや、申し訳ございません。規格外の妖力に少し中てられてしまったようでして……ってこれも蛇足ですねはい。では質問ですが――貴方は、ここ数日の間に人間を襲った事はありますか?」
「……? いや、私はそんな事はしちゃいない。昔、襲われたから殺り返したりした事もあったが、ここ最近は全くだ」
  
 ルーミアは正直に答えた。彼女に疾しい部分など存在しなかったし、嘘を吐く必要もなかった。
  
 ルーミアの返事に、記者の口元が歪む。何か面白い悪戯を思いついた様な、下衆めいた笑みだ。
  
「そうですか……お答いただき有難うございます」
「何だ、今のでもう終わりなのか?」
「ええ、十分過ぎる程に! それでは!」
  
 正に風のように現れ、一瞬で去っていく天狗の姿に、ルーミアは不思議そうに首を傾ける。
  
「……何だったんだ、あいつは」
  
 返事など当然訪れる訳もない。
  
「――相変わらず、チート級の能力ね」
  
 そこへ少女と入れ替わるように紅白装束を着こんだ巫女が現れる。
  
「相手をする妖怪は半々だったんだ。かかった時間……移動も含めるとそちらの方が早いくらいだろう」
「そういう問題じゃないんだけどね……だって、貴方、本気じゃないでしょ?」
「それこそお互い様だ」
  
 ルーミアが死体の衣類で刃にこびり付いた血肉を拭いつつ答える。
  
「刃を拭う前に、自分の顔に付いた物を落としなさいよ」
  
 そう言いつつ、博麗は手にした布巾でルーミアの頬に付着した赤を拭き取る。
  
「ありがとよ。さっさと異変を解決して、また二人で酒でも飲もうじゃないか」
「そうね……。あたしも、少し落ち着いて物事を考えたいしね。あんたとの、今後についてとか」
「何だそれ。プロポーズか?」
「さぁ、どうだろう」
  
 ルーミアが照れたように頬を掻く。そこに先ほどまでの面影はなく、ただただ一人の少女としての姿しか存在しなかった。
















 五章 炎上

     人種などという下らない諍いに拘っていた人間に、
     種族の壁を超えた友愛など望める筈がない。
     それをいつまで経っても学べない点で、
     妖怪は人間より明らかに劣っている。
     自身の醜悪さを棚に上げた汚らしい言葉だが、
     是が他ならぬ何所にでも居る人間の言葉だと云う点が
     なによりも重要だろう。

        人間の里から見つかった日記より抜粋



 赤いへや。
  
 あかりはない。だって、いらないから。
  
 いつも、ひとりはつまらないなーって思ってた。
  
 早くお父さまとあそびたいのに、お父さまはいつもわたしをおいていく。
  
 さみしいけど、ないたらしかられちゃう。
  
 きゅー血きはそんなんじゃいけないんだって。
  
 だけど、わたしはないてしまう。
  
 くるしくて、かなしくて、さみしくて、いたくて。
  
 だから、わたしはひとりなの?
  
 それともわたしができそこないだから?
  
 できそこないっていみは分らないけど、お父さまのともだちがわたしをそうよんでるのをきいたことがある。
  
 たぶん、よくないことなんだと思う。
  
 できそこない。
  
 できるはずのことができないないお人形さん?
 今日はそのお父さまのともだちとはなした。
  
 そして、お人形さんのわたしのうでがおれた。
  
 このうでのきずがきちんとなおれば、わたしもいちにんまえのきゅー血きだってきいたからガマンした。
  
 一日たってもなおらない。いたくてたくさんないたけど、お父さまの前ではなかずにすんだ。わたしをなでてはくれなかったけど。
  
 二日たってもなおらない。やっぱりわたしはできそこないだって。
  
 おとうさまのともだちにわらわれてしまう。
  
 くやしくて、かなしかったけど、やっぱりお父さまの前ではなかずにすんだ。
  
 そんなとき、その人はあそびに来てくれた。
  
 やくそくで、その人のことをお話してはいけないんだけど、すごくきれーな人だった。いや、よーかいだったのかな。わからないけれど。
  
 その人はわたしに、お父さまにおくりものをしてはとてーあんしてくれた。
  
 ただのおくりものではおもしろくないから、わたしがいちにんまえのきゅー血きだっていうことをしょーめー? するためのおくりもの。
  
 そーすれば、お父さまはよろこんでくれるし、わたしをなでてくれるっていってた。
  
 そういうのはいっせきにちょーっていうんだって。
  
 そーぞーしただけでちょっとわらっちゃったの。
  
 ありがとね、おねえさん。








 望月と共に、昨日連れて来られた小屋へと入り込んでいた。女は此処好きに使って良いと云っていたのだから、構いはしないだろう。
  
「“首を斬り落とす”というのも間違ってはいないんです。あくまで相手が下級の吸血鬼であれば、の話ですけどね。良いですか――」
  
 望月の言葉に耳を傾ける。
  
 曰く、吸血鬼の殺し方には諸説あり、普遍的な殺し方は存在しない。吸血鬼の中にも幾つかの種族が存在し、始祖という部分は全く別の妖怪であるという事は珍しくないらしい。それについて一々教えている暇はないからと、望月は幻想郷に存在する吸血鬼に焦点をあてて話し始める。
 幻想郷に住まう吸血鬼には十字架や炎は効かない。それに加え、太陽の光によって弱体化する事はあるが、絶命する事はない。
  
 だが、弱点は幾つか存在し、
“流れる水を越える事が出来ない”
“イワシの頭に近づけない”
“折った柊の枝に近づけない”
“炒った豆に触ると皮膚が焼ける”
 などが挙げられた。そして、トドメを刺すのに使えるのは
“銀の武器”と“心臓に杭”
 の二つのみと考えて良いらしい。
  
 つまり、己はあの晩トドメに杭を心臓へと突き刺さなくてはならなかったのだ。
  
 それとは別に、吸血鬼の妖力が枯渇し切るまで“殺し続ける”と云う手段もあるらしい。が、実力差や妖力量の違いを考慮するに、現実的ではない事が分かる。それこそ、軍隊でも持ってくれば話は別だろうが。
  
「すると、まだマリアは生きているのか?」
「その可能性は十二分にあり得ると思います。文さんの反応もおかしかったですし」そう云えば、己の言葉を聞いたあいつは、直ぐさま別の場所へと走っていった。
 あの妙な反応も、己がやらかしてしまった事を考えれば頷ける。
  
 だが、
「どうして八雲は何も云ってこない……?」
「そう云えば、妖忌さんは八雲紫に依頼されて、マリアの討伐を行ったんでしたね」
「ああ。八雲も、己と同じように、マリアが死んでいると思い込んでいるのか……?」
  
 そんなミスをあの妖怪がやらかすだろうか? いや、あれは自身の不利益となるものに対しては人一倍敏感なはずだ。気付かない筈がない。
  
「八雲紫が、どうしてその点について黙っているか、ですか?」
「そうだ。どうにも解せない。何かがおかしい……八雲は何を考えている?」
  
 己は八雲に騙されているのか――いや、何か肝心な部分が暈されているのか。
  
「悩んでも、仕方がないのかもしれませんよ。八雲紫の考えというのは、私達がちょっとやそっと頭を捻ったくらいで筒抜けになってしまうほど、浅いものなのですか?」
「……それもそうだな。解せないが、悩むだけ時間の無駄、か」
  
 確かにその通りなのだが、此処で思考を放棄してしまって本当にいいのか……? 何か取り返しの付かない事でも起きているのではないか。最近、身の回りで起きている事件が大きすぎて、そんな不穏な事を考えてしまう。
  
「ほら、また難しい顔をしていますよ? もしかしたら今は断片が足りないだけかもしれません。時間が経てば、それも分かるかもしれません。そう云えば、足の調子はどうですか?」
  
 望月は己の脚を見つめつつ訊ねてくる。己は試しに脚を動かして見せつつ答える。
  
「おかげ様で、絶好調だ」
  
 己の返答にニヤリと笑う望月。背筋がゾクリとする笑みだ。
  
「それは良かったです。では、早速なのですが……共に紅魔館へと向かいませんか?」
  
 ……確かにこれ以上後手に回るのは得策ではないだろう。
 吸血鬼に対し、先手を打つ事で変わって来る事もあるだろうと思う。
 しかし……いきなり吸血鬼の本拠地を上げる辺り、望月の大人物ぶりが伺える。
 己は今日二度目の聞こえないフリをする事になった。








 正確な連携を取る為には、互いが互いの能力や間合いを知り得ていなくてはならない。
  
「それは、私の能力を話せという事でしょうか?」
  
 己の考えを察した望月が前もって質問をぶつけてくる。
 場所は望月と出会った時に入った喫茶店だ。
 腹に物を入れたかった俺はケチャップを混ぜた炒飯を卵でとじた物――オムライスを注文していた。
 案の定望月には『キャ、キャラクターが安定しませんね……』などと妙な突っ込みを頂いたが。
  
「いや、違う。君の能力については大方見当が付いているからな」
「そうだったのですか?」
  
 望月は少し驚いたような顔をして、此方を見上げて来る。ふとした拍子に見せる幼さが、孫娘の妖夢と重なってしまう。
  
「ああ。でも、確証が持てたのは昨日、君の応急処置を受けた時だったがな。君の能力は“時を止める”ものだろう?」
「御名答です――と、云いたいところですが、“時を止める”ではなく“時を操る”と云った方が正確でしょうね。戦闘時には、“自身の時間の流れを加速”する事で、妖怪の戦闘能力に追いついていると云う訳です」
「なるほど、そう云う事か」
  
 望月の、少女の筋力からは発生し得ない加速力などはその力のお陰だったのか。
  
「だが、その能力にはいくつかの制約があるんじゃないか?」
「はい。止められる時間の上限、加速、減速出来る時間の流れの制限、などがあります。加え、単純に私の地力が他者よりも劣っているというのも大きなハンデでしょうね。能力で加速したとしても、吸血鬼の全力には追いつく事が出来ないでしょう。きっと、妖忌さんにも及ばないと思います」
  
 望月の身長は己の胸より少し低いくらい、百四十五センチ程度だ。
 まだ成熟しきっていない身体には、当然、戦闘に必要な最低限の筋肉も付いていない。しかし、年相応以上の筋力があるのも確かだろう。
  
 ……人間の娘にしては十二分に努力している方ではあるんだがな。しかし、その程度の言葉慰めにもなりはしない。
 なにせ、望月が赴く場所は文字通りの戦場であるのだから。
  
 そして、最後の“妖忌さんにも及ばない”と云うのは謙遜ではなく事実だろう。自己と他者の能力を、過不足なく評価、把握出来ている点は素直に感心する。
 それが、死闘で生き残る上で最も必要な能力だからだ。
  
「なるほど。流石にそれでは、不安が残るな」
  
 単身で吸血鬼の元へと攻め込むとなると、今の望月の総合力では聊か厳しいだろう。いくら時を操れようが地力にここまでの差があれば、押し切られる可能性が高い。
  
「では、逆にお聞きしますが妖忌さんはどのような戦い方を?」
  
 己は自身の戦闘様式、半人である己が前衛を、半霊が後衛を務める戦い方を告げる。そして、望月の地力、能力を考えた上での自身の考えを告げる。
  
「望月には前衛を務めてもらいたい」
  
 前衛であれば此方側がいくらでも合わせる事が可能だ。それに望月の能力を活かせるのもどちらかと云えば前衛だろう。その分危険は伴うが、相手が相手だけに、十メートル程度の距離などあってないようなものだろう。
  
「“己の背中を任せられるのはお前だけだ”というヤツでしょうか」
「……よく分からないが、もうそれでいい」
「この望月、任せられたからには全力を尽くします」
  
 望月は無い胸を張る動作をする。……何度か話してみて分かったが、根本的な部分は年相応であるらしい。
 こんな娘っ子が、死地へ赴こうとしている事実に、苦虫を噛み潰す想いだった。
  
「ところで、望月の仇の吸血鬼、名前は分かっているのか?」
  
 俺が今のところ知っている吸血鬼は<レミリア>、<ローレン>、<マリア>の三人だけだが、知っておいて損はないだろう。
  
「レミリア、レミリア・スカーレットと云う吸血鬼です」
  
 つまり、今回の異変の首謀者である可能性がある吸血鬼だった。
 それだけ、油断は出来ない存在だと云う事だろう。
  
「そう云えば、レミリアとマリアは親子……血縁関係だった筈です」
「すると、レミリアはマリアを殺した者を恨んでいる可能性があるか?」
「どうでしょうか……そう云った細かい事に執着する様な吸血鬼には思えなかったですが。それに、妖忌さんが殺した事などバレていないかもしれませんしね」
  
 ――何にしても、並々ならぬ用心は必要だろう。
  
 己と望月は喫茶店を後にすると、里にある道具屋で必要となりそうな武具や道具の類を買いそろえた。








 薄暗い一室。窓から差し込むのは、曇天を越した後の心もとない太陽光だけだ。
 其処は木造建築、これぞ日本家屋と云った塩梅の建物だった。
 無味乾燥の室内に対面する様に座っているのは、八雲紫とそれに付き従う式神、九尾の八雲藍の二人。
 机を挟んで相対する両者の間には、一枚の将棋盤。木と木とが打ち鳴らされる乾いた音が断続的に室内に響く。
 しかし、将棋盤の上に並んでいるのは、通常の将棋駒だけではなかった。地雷や飛行機と云った軍事将棋の駒、僧正や塔の白黒の駒等が幾何学模様を結んで並んでいる。
 対峙する、数学に秀でた超人的な頭脳を持つ二人以外に、その複雑怪奇なルールを理解出来る者は居ないだろう。
 涼しげな表情で交互に駒を打ち合っている状況、どちらが優勢なのかも端からは理解する事が出来ない。
  
「藍、貴女は今回の異変、どのような形で収束すると思う?」駒を打ちながら、尋ねる主。
「それをわざわざ私に訊く意味が掴めませんが」返す駒を打ちながら、応える式神。
  
 式神は主の疑問に対し、自身が試されているような居心地の悪さを感じてしまう。その様な事は珍しくはなかったが、この様な緊迫した状況では話が違う。
  
「私に最も近しい者が、今の状況をどう眺めているのか。それに興味があるのよ」
  
 八雲の眼は盤面ではなく虚空を見つめる。そして、式神はそんな八雲を見つめていた。
  
「魂魄様の働きにかかっている……と云ったところでしょうか。天秤がどう傾くかは、彼の一挙一動によって大きく変わってきます」
「そうね。それと、妹想いの姉の存在も忘れてはならないわ」
「……レミリア・スカーレットでしょうか?」
  
 式神の質問に、八雲は首肯を示す。
 しかし、その肯定に対し、式神は難しい顔をする。
  
「彼女がどう運命を操るのか、見物だとは思わない?」
「確かに、あの姉妹の出自には同情を禁じ得ないですが、あの二人がそれ程までの存在とは思えません」
  
 式神の眼には、彼の姉妹はむしろ運命に弄ばれる存在の様にしか見えなかった。
  
「問題は其処ではなく、“面白い”か“面白くないか”よ。これは道楽ではなく、あくまで本題。彼女を囲う人間関係が、舌を焼く香辛となる。物語の主要人物は、過去、現在、未来。そのどの部分を切り離しても、刺激的ではならないのよ。例えそれが、決して語られる事のない舞台の裏だとしてもね」
  
 主の言葉に、式神は再び苦虫を噛み潰した様な表情を浮かべる。
  
「その嫌な拘りの所為で、私がどれ程頭を悩ましていると思っているんですか」
  
 式神は過去に起きた様々な事件、異変を振り返り、憂鬱になる。
 彼女は自身が過去の記憶などに振り回される事を好まない。しかし、それが未来にも同様に起き得る事なのだと式神は心得ているから。
  
「貴女には苦労をかけるわね」
  
 申し訳なさの欠片もない様子で告げる主に、式神は呆れ返る。
  
「心にもない事を云わないでください……これが必要な事なのだと、私も分かってはいるんですよ」
  
 溜息が漏れる。式神はここ数日、常に憂鬱だった。
  
「なら、どうしてそんな顔をしているの?」
「さぁ、きっと紫様よりも私のほうが、人間に近い所為でしょう」
「主人である私より、式である貴女の方が?」
「皮肉な事ですね」
「一番近しい存在である筈の貴女に、それを云われてしまう事がなによりの、ね」
  
 式神の表情に思案の色が浮かぶ。そして、主へと疑問をぶつける。
  
「ところで、今回の件について他の賢者達はどう仰っているのですか?」
「アイツらが、幻想郷と云う、完成させた玩具の行く末を一々気にするとでも?」
「他ならぬ我が主が、郷を愛し、偏執しておりますから。何かしらの接触を図ってきてもおかしくはないでしょう」
「……それもそうね。でも、アイツら如きに感付かれる程、私も落ちぶれてはいない。そうでなければ、わざわざここまで回り道をした意味もなくなってしまう」
  
 式神は、主である八雲紫を始めとする幻想郷を創りあげた賢者達の姿を思い出す。誰も彼もが、八雲と同等か、それ以上に一筋縄ではいかない曲者ばかりだ。相対した時の感覚――背筋が凍り付く様な視線を思い出し、思わず身震いをしてしまう。八雲藍自身も、九尾の狐と云う名立たる妖怪であるにもかかわらず、だ。
 式神は思う。彼らは余りに違い過ぎる、と。特に人間の身でありながら、賢者に名を連ねるあの方の事など――
「想像しただけで呑み込まれてしまうようでは駄目よ、藍」
  
 式神は主の言葉で、我に返る。
  
「……はい、申し訳ございません」
「アイツと出遭うのは避けたいと云う気持ちは、私にも解るけれどね」
  
 ここ数年、賢者同士の会談などは行われていないが、彼らが秘密裏に行動している可能性もある。
 何よりも主である八雲紫は、その“全ての事象を根底から覆しうる力”故に他の賢者達から疎まれ、睨まれているのだ。
  
 ――しかし、私に出来る事は主を信じる事だけ、か。
  
「どうか、お気をつけて」
「貴方の危惧しているような事にはならないから、安心しなさい。あるとすれば、それは今ではない……もっと先の未来――」
  
 終盤に差し掛かった盤面は、しかし今回も決着が付かずに終焉を迎える。白黒別れた綺麗な勝敗など、この世に存在しないとでも云うように。
 そして、それは見方を変えるだけで容易く勝敗がひっくり返るとも云える。
  
「さて、私は舞台の仕上げをしなくてはなりません」
「博麗の、巫女ですか?」
「ええ。彼女の為に、私はもう一頑張りしないと」
  
 式神は境界の内へと消えていく主の姿を見送る。
  
「さて、私もやるべき事を済ませなくてはなりませんね」
  
 主の能力を恨めしく思いながら、式神は大人しく扉から外へと向かった。








 今回の目的は妖怪の討伐ではなく望月の私用である為、無駄な戦いを避けるようにして湖畔の森を進む。
 本来であれば湖の上空を飛翔した方が早いのだが、妖怪に見つかり辛い此方の道を選ぶ事にしたのだが――
  
 迫り来る小型の妖怪。その手毬のような体に短刀を投擲。木の幹に縫い止められた妖怪は足掻き、自身の傷口を無暗に広げ、緑色の血液を撒き散らしながら絶命していく。更に右方から迫る妖怪を、其方を見ずに十字に斬り捨てていく。感触だけで殺し切った事を悟り前方へと飛翔。
 凶暴化した妖怪は手当たり次第に攻撃を仕掛けてくるから始末に負えない。
  
「これならっ、湖の上を高速で渡った方が、幾分マシだったのではっ!」
  
 望月の投擲したナイフが妖怪の脳天をぶち抜く。更に首、心臓の二点を同時に貫かれ、血飛沫を巻き上げながら死に絶える。
  
「堂々と敵地に侵入しているのがバレて、袋叩きに合うよりはマシだろ!」
  
 正面から襲い来る鉤爪を短刀で弾き、長刀を頭へと振り下ろす。頭頂部から臍までを一気に斬り裂き、更に力を込め股間までを両断。
 消化物と糞便が血液と共に散らされる悪臭。それを振り切るように疾駆。
  
「だが、この量は尋常じゃないぞ!」
  
 人体化した半霊が、襲い来る妖怪を両断しながら叫ぶ。
 側頭部から頚部までを両断された妖怪は脳漿と血液を垂れ流しながら絶命。己達は次の獲物を目指して駆ける。
  
「目的地が目前なせいか、エンカウント数が跳ね上がって来てやがる!」
  
 正面と左右の三方向からの急襲。己は予めため込んでいた妖力を使い、楼散剣を媒体に巨大な刃を作り出す。ただでさえ巨大だった刀身が更に膨れ上がり、五〇〇〇ミリメートル超の特大の刃と化す。妖術<冥想斬>の横薙ぎの一閃が三匹の妖怪を纏めて両断。トレースしたかのように上半身と下半身に別れた死体が三つ並んで完成する。
 更に前方から三メートル強の巨体が迫り来る。枝葉を折り、妖怪の死体を踏みつけながら寄ってくる一つ目の半巨人だった。距離が近付く前に望月がナイフを四方八方に投擲。その数は三十本を超える。それが同時に進行方向を捻じ曲げられ、巨人へと殺到。巨体は全身を一瞬で貫かれ、針鼠を模した悪趣味な彫像と化す。全身をズタズタに切り裂かれ、苦しみながら死を迎える。
 敵も近距離では歯が立たぬと学んだのか、遠方から弾幕射撃が飛来。己は楼散剣の刃を前に掲げ、妖力を纏わせ回転。妖術<反射下界斬>の壁が目の前に出現し射撃を打ち返す。反射された弾幕が妖怪に風穴を穿ついていく。
  
「そんな器用な事まで出来るんですね!」
「斬り裂くだけでは芸がないからな」
  
 正に地獄の縮図と化した紅い森の中を、三人の陰が更に駆けていく。








 血のように紅く染まった洋館。
 仰々しい外観に窓は存在せず、外から眺めているだけの筈なのに閉鎖的で刺々しい印象を受ける。
 館中央に聳える様に伸びる時計塔。二階建ての建物に加え、其処から更に三十メートル近くの高さがある。更に、入口の側の角とは反対側の二角には時計塔より一回り小さい尖塔が一つずつ。
 城なのか館なのかハッキリしない、継ぎ接いぎめいた印象を受ける。これが吸血鬼の趣味なのだろうか。だとしたら己とは相容れない存在だろう。
  
 紅い鉄製の格子門扉の前に緑色の中国ドレスを着た妙齢の女性の姿。橙色の鮮やかな髪。服装に目を瞑れば、古風な門番だと云えるだろう。
  
 だが、今の彼女には生気が存在しない。虚ろな眼光は光を映さない。
  
「なあ、望月」
  
 なるべく声を潜め、小声で語りかける。
  
「はい」
「何が起きているんだ?」
「私にも分かりかねます……が。彼女が――」
  
  
 己と望月は息を飲む。そして、続きを同時に口にする。
  
  
「眠っている事だけは確かだろうな」
「眠っているのは確かでしょう」
  
  
 規則正しい寝息。開きっ放しの瞼は、コチラが目の乾燥具合を心配してしまうほどであった。
  
「出来れば無視していきたいところではあるんだがな……」
  
 ドレスのスリットから覗く長くしなやかな脚には遠目で分かるほど適量の筋肉が付いている。
 四肢を見ただけで、只者ではないと分かる。
 吸血鬼の根城の、門番を務めているというだけで、その実力は折り紙つきなのだろうが。
  
「そうですね……では私の能力で出来る限り距離を稼ぎましょうか」
「――その必要はありませんよ」
  
 第三者の声に、己と望月が同時に後方へと飛翔。
 門の前に立っていた筈の門番が、何故か己達の目の前に立っていたのだ。
  
「はじめまして。私は紅美鈴。紅魔館の門番をして居ります」
「それは見れば分かるが」
「そうですよね……」少し悲しそうに俯く門番。自己紹介が失敗に終わってヘコんでいるのか、それとも此方を油断させる手段だろうか。
「『その必要はない』とは、どういう事だ?」
「ああ。それはですね、貴方方は、今ここで私に返り討ちに遭うからですよ」
  
 言葉と同時に跳ね上がる妖力。低くなる重心。徒手空拳の武術の構え。
  
 ――見た目通りの中国拳法の使い手か。だとしたら、油断ならない。
  
 己と望月は反射的に武器を構える。
 交差する眼光。一瞬の隙も許されない緊迫した空気。ジリッと靴底が土を躙る。
 勝敗が決するのは一瞬だろう。それも、どちらかの死をもって。
 いよいよ、緊張が最高潮に達した時、門番が先手を打ち、動き出す。
 己達の、思いもよらぬ形で――
  
  
  
  
  
「と云うのは冗句なんですがね」
  
  
  
  
  
 門番は敵意が無い事を示すように、両手を上げてみせる。
  
「は?」
  
 己と望月は同時に情けない声を上げる。
 いやいや、今のは、もっとこう、死闘を繰り広げる感じの空気だったのではないのか。勝負を避けられるなら、それに越した事はないが、肩透かし感が物凄い。このまま白玉楼に帰ってしまいたくなる。多分、誰も怒らない。
  
「だから、冗句ですよ、冗句。私に戦う意思はないと云う事です」
  
 しかし、射命丸といい、この門番といい、冗句が一々心臓に悪い。冗句と云えばなんだって許されると思っているのだろうか? せめて笑える冗句を発して欲しい。
 ついでに云うと、本当にこれでいいのだろうか。門番として失格な要素しか持ち合わせていないように思える。
  
「それ、幻想郷で流行ってるんですか?」
「いや……知りませんけど」
  
 戸惑った様に答える門番。
 仮に流行っているのだとしたら、嫌なユーモアの被り方だ。幻想郷の妖怪達は閉鎖空間で皆心を病んでいるのかもしれない。
  
「そこの銀髪の子は、お嬢様から中に入れるようにと承っております」
「あら、意外と理解のある吸血鬼なのですね」
  
 ん……?
  
「望月と此処の吸血鬼は知り合いなのか?」
  
 我ながらおかしな質問だとは思う。望月は親の仇を取りに来た筈なのに、その仇にアポイントを取っている筈などないのだから。
 だが、だとしたら今の門番の言葉はどういう事だ?
 此処に来てから、訳の分からない事ばかりだ。やはり、帰りたくなってくる。
  
「親を殺された相手を“知り合い”と呼ぶのであれば、知り合いなのではないでしょうか」
  
 望月の表情を伺うに、はぐらかしている訳ではなく本気で云っているようだ。
  
 ……すると、頭がおかしいのはその吸血鬼の方か。
  
 門番には敵対心が無い事が分かり、少し安心する。と同時に、幾つか訊ねたい事が出来た。
  
「この紅魔館に、幻想郷の吸血鬼は全員住んでいるのか?」
「ええ。と云っても、今やその数は半分以下ですがね。そして、今中に居るのはお嬢様一人です。ところでですね、無愛想な男性は何方ですか?」
  
 つい一瞬前まで己と会話していたのにもかかわらず、質問は望月へと投げつけられた。やはりこの二人は旧知の仲で、己は望月に担がれているだけなのではないだろうか。
  
「私の連れ……用心棒みたいなものです」
「はぁ……なら一緒に行って貰って構わないですよ」
  
 やはり全体的に頭とノリが軽い門番。と云うか、これでは門番ですらない気がする。
  
「いいのか?」
「それとも、私とここでお喋りでもしてましょうか? その方が眠気も収まって、私的には大歓迎なのですが」
「いや、遠慮しておこう」
  
 何が楽しくて見ず知らずの門番と談笑を交わさなくてはならないのか。
  
「それは残念です……」そう云って、本当に残念そうに肩を落とす門番。本当に、調子が狂わされる。
  
「それでは行きましょうか、妖忌さん」
  
 己の腕を引き、紅魔館の中へと向かう望月。
  
 開け放たれた門扉。吸血鬼の根城へと一歩を踏み出したところで、己の中に一つの疑問が生まれる。己はこんなにも吸血鬼退治、それも望月の仇討ちなどに熱心だっただろうか? そんな根本的疑問だ。だが、門扉から玄関までの道のりを歩んでいる内にそんな考えは何処かへと消え去ってしまっていた。
 石畳の通路。左右に広がる広大な庭には花壇が設置されているようだが、生憎と整備が行き届いていないようで、雑草が伸び放題になっていた。木々も同様に枝が好き放題に伸び、美学もクソもないような状態だ。思わず庭師の血が騒ぎそうになるが抑え込む。敵地に侵入して庭の整備など行っているなど、ギャグにすらなりはしない。門扉からの短い道のりが終り、大きな扉が目の前に現れる。
  
「開けますよ?」
「ああ。さっさと行って、さっさと終わらせよう」
  
 望月が両開きの扉を開くと、広々としたエントランスへと出る。一階は五十メートル四方の正方形型。
 正面には幅が四メートル程の階段。中二階で壁にぶつかり左右に広がっている。踊り場の壁にはこれまた落ち着いた雰囲気のステンドグラスが施されており、其処だけが唯一、己が好感を持てる点だった。そして其処から左右に広がる階段は二階の吹き抜け状の回廊へと繋がっている。足元の赤い絨毯が、天井中央部に吊下げられたこれまた赤系のシャンデリアに照らされている。偏執的なまでの赤色が視界に飛び込み、頭の中の色彩感覚が狂いそうになる。
  
 文字通り“紅い悪魔の館”なのだろう。
  
 門番に何処にその“お嬢様”が居るのかを聞き忘れていた事に気付く。余り無作為にうろちょろしたくない空間なのだが……
  
「望月はその標的の位置に心当たりはあるのか?」
「いいえ。けど、雰囲気を伺うに、お客様を待たせるほど不躾ではないでしょう」
「あら、あの時の小娘が云うようになったわね」
  
 童女が淑女を気取っているような、幼さの残る声がエントランスに響く。
 同時、頭の中を掻きまわされるような甲高い音と共に、硝子の雨が降り注ぐ。己達の正面、ステンドグラスを突き破り現れた蝙蝠の羽根を広げた堕天使の姿。吊り上がった口角が、彼女の機嫌の良さを現していた。
  
 ……己が唯一好ましく思った調度品が次の瞬間にはぶち壊されてしまっていた。
  
「ただ一つ云いたい事があるとすれば、こんな朝早くに来る事はないんじゃない?」
  
 時刻は十六時。秋の太陽は西へと傾き、哀愁の色を増していた。吸血鬼の時間が近づいていた。先程、望月から教えて貰った話では、日中の吸血鬼の力は本来の五分の一程らしい。上位の吸血鬼になれば、日中に引き出せる能力も増えてくるらしいが、おおよその目安として考えて下さいと云っていた。
 つまり、仇を討ちたいだけなら朝方に訪れて寝込みを襲って殺せばいいのだ。だが、望月はそれをしなかった。
 その実力を持って、吸血鬼を捩じ伏せる為に。吸血鬼のプライドをズタズタに引き裂いた上で、殺す為に。
 きっと寝こみを襲おうとすれば、本当に門番を相手にしなければならなくなっていただろう。結果的に、どちらが楽な道なのかは己には分からない。
  
「寝込みを襲われるよりは、マシでは?」
「お前のような小娘に、寝込みを襲われる程落ちぶれちゃいないさ。それで……お前は私に殺されにきたのかしら? それとも――」
「当然、貴女を殺しにきましたわ」
  
 望月は吸血鬼の言葉を遮り、不適に笑う。
 三者三様の表情を浮かべる。己以外が二人共笑顔だというのが理解できないが。
  
「結構。そうでなくては面白くない。ばら撒いた種は、大きく育ってくれないとね
「お前が今起きている異変の主犯か?」
  
 場の空気に水を差してしまっているとは分かっていても、訊ねずにはいられなかった。予想通り、エントランスの空気が一瞬凍り付く。
  
「誰だ、お前」
  
 ……当然と云えば当然の反応だが、
「そんな、さも今気付いたみたいな反応しなくても」
「まぁ、どうだっていいさ。ここに居るという事は、お前も私に殺されに来たんだろう?」
「どうしてそうなるんだ……! やはり吸血鬼はどいつもこいつもイカれていやがる」
「そもそも人様の血を飲もうって発想が狂ってやがるからな。そういや、あのマリアとか云う吸血鬼もどこかに頭の捩子を置き忘れてたな」
「おい――」
  
 半霊の言葉に思わず舌打ちをする。わざわざ敵地に潜りこんで、己達がマリアを殺したと公言する必要性がない。
 挑発にしろ、動揺を誘うにしろ、もっと相応しいタイミングがあった筈だ。
  
「ああ、お母様を殺したのはお前だったのか。なら、少しは楽しめそうね。そうね……だったらさっきの質問にも答えてあげるわ。お前が云っている“異変”には私は全く関与していない」
  
 怒りや憎しみではなく、単純に、純粋な愉悦によって吸血鬼の表情が歪む。
 コイツの口ぶりでは、マリアは母親だったのにもかかわらずだ。
  
 ……やはり、どこかイカれているのだろう。そして、異変の元凶はコイツではなく他にいる。
  
 だが、深く考えている暇はなかった。臨戦態勢に入った吸血鬼が、全身のバネを引き絞り、飛翔――ッ
「来るぞッ!」








 頭上から降り注ぐ弾幕によって、地表が捲れ上がるかのような衝撃が走る。地に転がっていた死体の血肉が沸騰し、悪臭が立ち込める。
 射出方向を見上げると、狂気をその目に宿した妖怪の姿。
  
「見つけたぞ。我が身の仇!」
  
 ルーミアには見覚えがない妖怪だった。
  
 ……それに仇? どちらにしろ身に覚えがないルーミアは、博麗が何かをやらかしたのだと悟る。故に、傍にいた博麗に訊ねる。
  
「なあ、博麗。アレはなんだ?」
「さぁ、あたしの知った事じゃないわよ」
  
 博麗の返答にルーミアは首を傾げる。では、アイツは何を云っているのだろう、と。私が過去に殺した妖怪達の親族か何かなのだろうか。其処まで視野を広げてしまうと、ルーミアも博麗も何だって有りだった。
  
「ただ……あまり穏やかではない事だけは確かね。それにアレは吸血鬼じゃないかしら」
  
 続く博麗の言葉で、ルーミアの表情が歪む。吸血鬼とは、今回の異変の元凶だと云う点を差し引いても余り相手にしたくない相手だった。
  
「道理であの妖力な訳だ。二対一であれば勝てると思うか?」
「微妙。命を捨てる覚悟でもあれば、何とかなるんじゃない?」
  
 博麗の予想に、ルーミアも大方賛成だった。出来れば二人で此処から逃げ出したいころだが……
「捨てるのか?」
「捨てたくないけど、私が殺らなきゃどうしようもないのでしょうね」
「煮え切らないな」
「煮え切らないわ」
  
 惰性で会話を続ける。そうすれば、もしかしたら時間が停止してくれるような気がしたから。
  
 ――現実はそんな都合良く出来てねェよな!
「それでも、お客さんは待ってくれないみたいだ――ッ!」
  
 目に見える程の紅く濃密な妖気を纏い、妖怪が急降下。自身の身体を弾丸としたかのような捨て身の体当たり。
 ルーミアと博麗は、それぞれ右上と左上の上空へと飛翔しそれを回避。
 落下の衝撃で地が震える。敵は博麗には目も暮れず、飛翔していたルーミアへと直行する。
  
「熱烈だなッ!」
  
 吸血鬼の鋭い鉤爪とルーミアのギロチン刃が激しく衝突。金属質の悲鳴と共に火花の涙が散る。更に一発では留まらず、斥力と引力が交互に働いているかの如く衝突と反発を繰り返す。
 何度も何度も繰り返される轟音と舞い散る閃光。その有様はさながら暴力と云う名の花火のようだった。
  
「私を除け者にするなんて……いや、それでもいいのかな」
「いや、せめて加勢しろ! なんだっていいから!」
  
 ルーミアの額に冷や汗せが浮かぶ。
 まるで一進一退の攻防を繰り広げているように見えるが、その実ルーミアは防御に徹してのこの結果だった。反撃の糸口が見つけられず、ただ只管襲い来る猛攻を弾いていく。
  
 先に大きな動きを見せたのはやはり襲撃者の方であった。
 ルーミアの横薙ぎの一閃を急停止を掛ける事で回避。更に敵は目前に迫った刃を上下から両手で挟み込むようにして掴み取る。
  
「なっ――」
  
 ルーミアの表情が驚愕に染まる。だが、刃は停止されず、振り抜かれる。何が起きたのか、ルーミアも博麗も、襲撃者以外は理解出来ずにいた。
 ルーミアの背後から衝撃。刃に引き摺られる形で背後まで高速移動していたローレンが、その勢いのままルーミアを蹴り付けたのだ。
  
 地上、天上天下、地下まで探したところで、ここまで神技に近い体術を行える存在はないだろう。
  
 無防備だった背後からの襲撃。襲う衝撃はルーミアの身体を吹き飛ばすが、無意識の内に強く握り込んでいた柄がそれを許さなかった。両肩の関節が外れながら、無理やり宙に停止させられるルーミアの身体。そして、依然としてその両手で刃を挟み込んだままのローレンが、そのまま刃を手前へと引き込む。たったそれだけで、ルーミアの体を襲っていた慣性が逆転。正反対の方向へと引き込まれる。それに呼応するように大きく腕を引く襲撃者。
 博麗はルーミアを巻き込む恐れがある後方射撃は不可能だと踏んでいたが、状況が異質に過ぎた。ルーミアを巻き込む覚悟で、攻撃を行わないと、二人揃って仲良く殺される。
 博麗がルーミアの背後から妖怪へと対妖怪用の赤札を投擲。
  
「ルーミアッ!」
  
 博麗の叫びに釣られ、ルーミアは無理な姿勢で体を捻る。瞬間、ルーミアの髪に掠る赤札。それが敵へと殺到する。だが――
 敵はそれを避ける事すらせず、その紅い妖気だけで札を灼き尽くす。
  
「ちっ、手製の札なんだから、苦しむフリくらいはして欲しいものね」
  
 だが、結果的にルーミアの拘束を解く事が出来た。ルーミアは一瞬の隙を突いて後方へと退避。入れ替わる様に博麗が颶風となり宙を駆ける。同時、出現するのは赤子の頭部程の大きさの球体。白と黒に塗り分けられた八つの球体は、博麗お手製の陰陽玉であった。博麗はそれにありったけの霊力を込める。
 博麗の身体を軸にして八つの陰陽玉が横方向に高速回転。博麗はそのまま吸血鬼の元へと突撃を仕掛ける。
 敵は両手を交差し、陰陽玉の猛攻を防御するが、圧倒的数の暴力の前に苦鳴を漏らす。一秒間に何十もの衝撃が一ヶ所に集中する。腕が砕ける音が響き、堪らず後方へと飛翔する吸血鬼。
 しかし、それを予期し待ち受けていたルーミアの断頭刃が翻る。技術も何もあったものではない横薙ぎのフルスイング。妖力が刃の延長線に張り巡らされ、刀身五〇〇〇ミリメートルの超弩級の刃と化す。そこに込められた秩序も美学も何もない、純粋な妖力。辺り一帯を荒地へと変える純粋な力。それが敵の身体に吸い込まれるようにしてぶち当たる。余りの衝撃に血肉が霧となって爆散。
  
「イッチョ上がり!」
  
「あんな無駄に大きい刃作って、私に当たったらどうするつもりだったのよ……」
「これくらい避けられないと、楽園の巫女など勤まらないだろ」
「それもそうだけど。と云うか、あの吸血鬼、仇がどうとか云ってたけど、あんた何かやらかした訳?」
「いや、私はてっきり博麗が何かを――」
  
 ルーミアは悪寒に襲われ言葉を区切る。
  
 紅い濃霧が空間を満たしていた。それは、吸血鬼の細かく飛散していた血肉ではなく、肢体から発生した濃霧だった。確か吸血鬼は蝙蝠だけでなく、紅い霧に姿を変えられるという云い伝えがあった。今さらそんな事を思い出したルーミア。
 突如、背後から襲い来る緋色の鎖。金属が擦れ合う耳障りな音を立てながら、加速する紅い縛鎖。
 矢尻状の鎖の先が博麗の右太腿に突き刺さり、この世ならざる力で引かれる。
 更に二、三と博麗に殺到する鎖。
  
「調子に乗ってんじゃ――ないわよ!」
  
 博麗を囲うようにして立方体の結界が発動。博麗の発動した陰陽術<封魔陣>の半透明の空間に遮られ、緋色の鎖は霧散し消滅。傷を塞いでいた鎖も同時に消滅し、太腿に空いた穴から血液が噴き出していく。
  
「くそっ!」
  
 博麗は応急処置用の札を傷口に貼り付け、直ぐに飛翔。足元を先ほどの倍の数の鎖が通過していく。
 だが、頭上から聞こえる風切り音に気付き緊急停止。慣性に引かれた数本の髪が薙がれていく。頭上では振り子運動を繰り返す三日月状の刃。二人はそれを回避しつつ更に上空へと飛翔していく。
  
「どこ行きやがった!」
  
 叫び声と共にルーミアの右手に出現するのは超熱量を持つ小太陽。日の弾の回りが陽炎のように揺らめく。陰と陽、明と暗、光と闇を操るルーミアが得意とする術式だった。
 それをルーミアは勢い良く地面へと叩きつける。
 衝撃と共に訪れる轟音と熱波。緋色の霧は、地上の有りとあらゆる物と共に蒸発。濃霧を無理やりに吹き飛ばす荒業だった。
  
「流石に、やったか……?」
  
 地上を見下ろす博麗とルーミア。沸騰した大地に、生気は一切感じられない。
  
「そこまで甘くないみたいよ」
  
 正面、元通りの姿で宙に静止する妖怪の姿。
  
「ちっ、吸血鬼の親玉級って訳だ」
「という事はローレン・スカーレットかしらね」
「何だ、そいつは」
「幻想郷の吸血鬼の中で最強だと云われている存在よ。私はこいつが今回の異変の元凶だと睨んでいたんだけど……」
  
 ローレンが放つ雰囲気は異質だった。一見、理性を保っているように見えるが、その中では想像を絶する憎悪が渦巻いているように感じる。
  
「少なくとも、今のアイツは異変なんか起こしている暇があったら私を百回は殺してるって顔してるな」
  
 その殺意を一身に浴び、思わず笑ってしまう。
  
「なら異変は一体誰が――」

「今は犯人探しの時間じゃなさそうだ、博麗」
  
 いつの間にか、吸血鬼の右腕には緋色の槍が握られていた。
 五五〇〇ミリメートルの長槍。二股に枝分かれした穂が互いに捩れ合い、二叉槍になっている。東方の槍ではなく、西方のランスと呼ばれる武器であった。
 吸血鬼の突撃。共に突き出される穂先。光速に近いほぼ不可視の刃がルーミアの頬を切り裂き数本の髪を引き千切る。最早本能レベルで回避していたが、運が良かったとしか思えない。
 分厚い刃を盾にし、二撃目を防ぐが、甲高い音と共に刃が弾かれそうになる。
 博麗がルーミアを助ける為に慌てて飛翔。
  
「固まるな!」
  
 ルーミアの怒声よりも早く、緋槍の弧を描く横薙ぎの一閃。長槍は、その遠心力と共に振り出される打撃が最高の脅威となる武器だ。そこに吸血鬼の怪力が加わるのだ。結果は想像すらしたくない脅威。ルーミアが刃でその一撃を受け止めるが、勢いを殺し切れず吹き飛ばされる。それに巻き込まれる形で、博麗も後方へと投げ出される。
 宙で絡まり合いながら、無防備となった二人。其処へ更に追撃の投槍が放たれる。空を裂きながら襲い来る魔槍。ルーミアは慌てて刃を横に構え盾とする。触れ合う金属が絶叫を上げる。ルーミアは刃で上方へと逸らそうとするが、穂先に集中した圧力が、甲高い音を立てながら壁のような鋼鉄を粉砕。逸らし切れなかった穂先がルーミアの左肩を巻き込みながら後方へと消えていく。根本から千切れ落下する左腕。
  
「今は吸血鬼の超再生が妬ましくなるな」
  
 血液が噴き出す前に右腕に出現した炎が左肩の傷口を灼く。生きながら直接、肉や神経を灼かれる想像を絶する激痛にルーミアが悶えるが、出血で意識が途絶えるよりはマシだと堪える。
 吸血鬼ほどではないが、ルーミアにもある程度の再生能力は備わっている。数分もすれば新しい左腕が生えてくるだろう。
  
「一時撤退か」
「こんな状況じゃ仕方ないわね」
「たくっ。この私の腕を掻っ攫うなんていい度胸だよ。狂わせておくのが勿体ない」
「逃げるんだったらさっさと逃げるっ」
  
 吸血鬼が居る方向と正反対に飛翔する二人。直ぐさま吸血鬼が追うが、両者の差は縮まらない。速力だけは何とか拮抗しているのだな、とルーミアは自嘲する。
 一体何処までこの追い駆けっこが続くのか、想像するだけで気分が悪くなりそうだった。








 空間を埋め尽く三桁に届かん勢いの量のナイフがレミリアを襲う。
 対するレミリアはナイフの方を見向きもせず、その華奢な右拳で床を殴り付ける。絨毯を破き、石の床が砕け四散。飛び散る破片達がレミリアに殺到するナイフを弾いていく。
 技術や運などと云った物を超越した、神技だった。己は飛来する礫の隙間を縫うようにして地を蹴り疾走。
 迸る桜色の剣閃。火花と共に散らされる金属音。レミリアの腹を掻っ捌く筈だった刃は、妖気を纏った右腕に阻まれる。
 瞬間、己とレミリアの間に望月が放ったナイフが出現、レミリアはそれらを回避する事なく妖気を放つだけで灼き払う。
 熱を纏った妖気に巻き込まれそうになった己は堪らず後方へと飛翔。入れ替わりに、半霊が霊術<鳳蝶紋の槍>の術式を放つ。槍状の光線が文字通り光速の槍となってレミリアを襲う。その槍に就き従う様にして更なる弾幕が出現。単なる斬撃であれば、防御されるが、光線で灼き斬られてはレミリアでもたまったものではないだろう。光速の死槍を、半霊の予備動作のみで危険性を察知したレミリアが見切る。だが、攻撃はそれだけではない。刃の弾幕がレミリアの四肢に殺到。皮膚が切り裂かれ、血が噴き出すが、吸血鬼の再生力をもってすればこの程度の掠り傷一瞬で再生されてしまう。
 それは過去のマリアとの戦闘で身をもって理解させられている。
 望月による追撃。再生の一瞬の隙を突いて再度、時間停止、ナイフによる集中砲火を行う。
 時間が再生されると共に背後へと跳躍するレミリア。だが、壁に阻まれその動きが停止。レミリアが空間を把握し切れていなかったと云う初歩的なミスを犯した訳ではない。実際にエントランスと云う空間その物が小さくなっていたのだ。望月の能力の応用、空間を操る事によって一時的にエントランスの広さを十分の一以下のサイズへと変化させていた。結果として、空間を占めるナイフの密度が大きく跳ね上がたのだ。咄嗟の事で妖力を放つ事も避ける事も出来なかったレミリアは、ナイフの群れをその一身に浴びる。
 ダメ押しの妖術<冥想斬>による妖力を付随した刃を薙ぎ、室内ごとレミリアを両断。だが、その空間に既にレミリアの姿はない。己の攻撃より一瞬早く天井へと跳躍をしていたようだ。レミリアは治癒を諦めたのか、跳躍の勢いを止めず、バネの様な動作で天井を蹴り此方へと飛翔。真上から急襲を仕掛けてくる。
 望月の時間停止も、攻撃に反応できなくては意味がない。己は彼女の腰を抱えると、二階の回廊へ向かって飛翔。レミリアの爪撃に掠った左腕から血肉が飛散。激痛に耐え二階へと突き進む。
 だが、レミリアの攻撃はそれだけでは終わらない。先の一撃が床面へと激突。生み出す無数の礫が四方八方へと急襲。室内体積が先ほど空間を縮めてから元に戻っていない為、そのうちの殆どが体に激突する。そのうちの一発が運悪く骨盤にぶち当たり不快な音を立てる。ニヤリと笑う吸血鬼。
 半霊が仕返しとばかりに刃状の弾丸をヤツの頭上に放つ。
  
「どこを狙っている!」吸血鬼の嘲笑混じりの声。
「お決まりのセリフだな!」
  
 己の言葉が終わる前に、頭上を彩っていた豪奢なシャンデリアが落下。半霊の弾幕がシャンデリアを支える支柱を破壊していたのだ。金属と硝子が織成す不協和音の絶叫。玄関方向の壁へと回避するレミリアへ追い撃ちの霊術<未生の光>による三条の光線。そのうち一本がヤツの右足を灼き斬る! 更に上方へと逃げ惑うレミリアを光線が追う。
 そこで、苦痛で歪む筈のレミリアの表情が、何故か狂喜に彩られる。
  
「さあ、第二幕と行こうじゃないか!」
  
 レミリアは云い終えると同時、その腕を勢い良く壁面へと叩きつける。
 その瞬間、今までに聞いた事のないような轟音が室内に響き渡った。同時に地震かと思われるほど大きく地が震える。天井から降り注ぐ瓦礫。エントランスが崩壊していた。望月は慌てて動きを停止し、此方へと跳躍し戻って来る。
 どうやら、妖術<冥想斬>と霊術<未生の光>、そして半霊の弾幕によって破砕されたエントランスの上部。其処が先のレミリアの一撃を以て崩壊したようだった。
 レミリアは登場する時に砕いた壁のステンドグラスへと向かう。己達も彼女の背に続き脱出しようする。が、脱出した瞬間に襲い来る緋色の槍。先日の戦闘でマリアが叫んでいた<スピア・ザ・グングニル>と同じものだった。空間すら引き裂くその一撃。逃げ道は後方にしか存在しない!
 思わず目を瞑りたくなる光景、次の瞬間、何故か己達は一瞬でエントランスへと逆戻りしていた。望月の時間を操る能力で、時間と時間の狭間の内に移動を済ませたのだ。彼女の能力の内訳を知らなければ、瞬間移動のように思えただろう。だが、一瞬で十メートルほどの距離を稼いだ筈なのに、既に死槍が目前に迫っていた。
 更に空間が転移、罅割れた壁面の前。後方では炸裂したグングニルが崩壊を促進。残り数秒と持たずエントランスは崩壊するだろう。
  
 ――迷っている暇はないか。
 
 妖術<桜花閃々>の高速飛翔と剣技を壁に向かって放つ。歪な四角形に切り取られた壁を更に蹴り飛ばす。前門へと飛び出した己達を待ち受けていたのは、門番の悲痛そうな顔だった。
  
「お、お嬢様……私が旦那様に怒られるんですよ!?」門番の叫びも、素知らぬ顔で受け流す吸血鬼。
  
 一瞬遅れて背後で崩壊を起こす轟音。砂埃が舞い、視界を侵す。それを避ける様に上方へと飛翔し、エントランスの右方の屋根へと着地。待ち受けていたレミリアが満足げな笑みを浮かべていた。
  
「これくらいは楽しませてくれないとな、祭を逃した甲斐がない」
「……祭だって?」
「ああ。私の可愛い妹が色々と準備をしていたようなんだ。ただ、『御姉様は邪魔しないで! これは私が一人でやるから意味があるの!』と云われてしまってね」
  
 こんなヤツの家族なのだ。中々クレイジーな妹なんだろうな、と予想する。
  
「っと……折角の余興がおかしな事になり始めているな。わざわざ運命を操作して其処の娘を呼んだと云うのに」
「運命を操作……?」
  
 先ほどから、レミリアの言葉の端々に妙な引っ掛かりを覚える。“運命を操作”などと云われれば誰だって顔を顰めるだろうが、それ以前の問題として、何かがおかしい気がした。
  
「そうさ。私は私が楽しめるように、運命を操作する事が出来るんだ」
「嘘を吐くならもう少しマシな嘘を吐け。呪い師だってもっとまともな設定を準備してくるぞ」
「妖忌、貴様が此処に来たのも、私に運命を操作されたからじゃないのか?」
「いや、己は確かに己の意志で……」
  
 ――本当にそうだっただろうか?
  
「いいや、それが有り得ないのさ。本来の貴様は、本当にそんな小娘の云う事を間に受けて、紅魔館なんて云う死地に足を運ぶような人間だったか?」
  
 違和感はあった。本来なら、もっと入念に準備をしてから闘いに望むべきだった。望月の事は当然気掛かりだったが、数回しか話した事のない少女の為に、自身が命を賭す様な戦いに身を投じるとも思えない。いや、此処数日の間、己を襲っていた謎の予感。それすらもコイツの能力の所為だったとしたら……? 一体何所から何処までが自分の意志だったのだ?
  
「おい、くよくよと悩んでいる暇があるなら、目の前のヤツをぶっ殺してからやってくれよ。あんな戯言で目の前が見えなくなっていたら、ヤツの思う壺だろうが」
「……云われなくても分かってる」
  
 半霊の一言で我に返ったと云うのは何とも情けない話だ。
 レミリアがお喋り好きだと云うのは確かだろう。だったら、ヤツに直接問い質せばいいだろう。
  
「だったらこの戦闘の勝敗も、レミリア。お前が操作する事が出来るんじゃないか? だとしたらとんだ茶番だろう」
「いいや、この力はそこまで詰まらない能力ではないさ。云っただろう? あくまで“私の好きな様に”ではなく“私が楽しめるように”しか操作できないのさ。つまり、敗北なら敗北で、勝負が楽しければそれで構わないという事さ。所詮、死闘なんて私にとって遊戯みたいなものだからな。
 ――と、そろそろ追加の役者が到着する頃だろう。即興劇となるが、祭は騒がしいに越した事はない」
  
 湖畔とは逆の方向から飛翔して来る三つの人影。昨日出会った金髪の美女と、博麗の巫女だった。更にその後ろには、昨日己を襲った妖怪を連れていた。状況はいたってシンプルで、それでいて迷惑極まりなく、訳が分からない。
 出来ればそのまま通り過ぎてくれと願うが、何故かヤツらは迷わず此方へと一直線に向かって来る。……己達と云う存在がいたから、此方へとやって来たのだろうか。
  
「おや、昨日のお兄さんじゃないか。どうしたんだ、こんな処で」
  
 女の純白のシャツの左肩から先が不自然な形で無くなっている。更に、シャツの端が黒く焦げ付いている。どうやら、アイツとの戦闘で一度腕を持っていかれたらしい。それでいて、再生しているのを見ると、この女も名だたる妖怪なのだろう。あるいは、状況証拠から云って、この女が八雲級の大妖怪<宵闇の妖怪・ルーミア>なのか。
  
 ……だとしたら、救いはあるかもしれない。
  
「足はもう……大丈夫そうだな」
「ああ、御蔭様でな」
  
 望月と博麗が不思議そうな顔をしているが続ける。正直、一分一秒が惜しい。
  
「足の調子は良好なんだが、ちょっと厄介な事になっちまってな」
  
 己は上空からやって来る襲撃者へと視線を移す。
  
「ああ、それは私達も同様だ」
「共同戦線と行きたいところなんだが――」
「……それがベストか」
  
 彼女も思うところは同じだったのか、案外すんなりと了承してきた。この様子を伺うに、本当に己達の助太刀を期待してやって来たのかもしれない。
  
「あたしを無視して勝手に話を進めないでくれる?」
「私という相棒が居ながら……やっぱり大人の女性が好みなんですか?」
「そういう問題じゃないだろ……」
  
 お互い、連れには苦労しているようだった。
 そして、己達だけではなく、どうやら襲撃者とレミリアも知り合いらしく、向こうは向こうで何とも形容しがたい空気が流れていた。
  
「こんな処でお父様と逢うなんて、奇遇ですね」
  
 耳を疑いたくなるような言葉が聞こえたような気がした。
  
「……此処は我の家でもある筈なんだがな、どうしてこんな事になっているんだ」
  
 ローレンが一時的に怒りを忘れたように、呆れた声を上げる。
  
「……まぁ、それは良い。我が仇が二人とも揃ったのだ。これ以上の舞台は存在しないだろう」
  
 推理するまでもなく、先の会話を考えると、襲撃者はあのレミリアの父親と云う事になるのだろう。すると、だ。襲撃者の云っている“仇”の意味が一つしかなくなる。
 つまり、襲撃者が云っている仇とはマリア・スカーレットの事だったのだ。
  
「今さらそこに気付くのか」半霊が呟く。
「気付いてたなら云ってくれ!」
  
 嫌な形で、今回の事件を囲っていた謎が収束しつつあるようだ。
 そうすると色々と奇妙な点が見えてくる。ヤツが云う『仇が二人とも揃った』とはどういう事だ? 己がマリアにトドメを刺せなかった事と何か関係があるのか?
 
「おい、ルーミア」
「どうした? と云うか、どうして私の名前を知っている?」
  
 一応、鎌をかけるつもりで名指ししたのだが、どうやら彼女がルーミアその人らしい。
  
「そんな事はどうでもいい。お前か、博麗がマリア・スカーレットにトドメを刺したのか?」
「いいや、そもそもマリア・スカーレットなんて名前を始めて聞いた」
「あたしも同様よ。いや、名前は前から知っていたけど、出会った事はないわ」
  
 二人の否定で、ますます状況が掴めなくなる。
 何が起きているんだ……? ローレンが勘違いを起こしているのか。果たして事はそう単純なのだろうか。
  
「この状況で、云い逃れが出来るとでも思っているのか?」
  
 ローレンの語気が怒りで強まる。
 やはり、人生にはいつだって思考している時間など与えられない。
 全ては唐突に始まり、唐突に終わるのだ。
 ならば、全ては生き残ってから悩めば良い。
  
「さぁ、お喋りはそろそろ止めにしよう。演目は死闘。結末は貴様らの死だ」ローレンの怒声。
  
「で、結局誰が誰を相手にするんだ?」己の疑問。
  
「全員殺せばハズレ無しだろ。自然環境の為にも」と、いつもの軽いノリで半霊。
  
「そりゃ違いない。小難しく考えるよりよほどマシだ」とルーミア。
  
「口動かす暇があったら、手を動かして」と博麗。
  
「何気に私より馴染んでますよね……。まぁ、今となってはどうでもいいんですけど」と望月。
  
「面倒だ。我が纏めて殺してくれよう」
  
「だから、私は何も知らないって云ってるだろ? まぁ、相手になれってんなら、なってやるが」ローレンの言葉を、やはりルーミアは否定する。
  
 こんな死闘に巻き込まれ、一体彼女は何を思うのか。
 茜色の西の空が、藍色に染まっていく。
 逢魔時が終り、辺りが宵闇に包まれた。
 夜。
 妖怪、そして吸血鬼の時間。
  
「捻り潰す!」
  
 ローレンの叫びと共に、今宵の宴の幕が上がる。
















 六章 世界に拒絶された者達の末路

     逃げ惑う大人
     泣き叫ぶ子供
     誰かに愛されたいと願い
     誰にも愛されないと知り
     それでも尚、私を愛せと
     貴方の首を圧し折るだけ

        フェルド・シュラノーツ「楽園へ至る理想」



 結局、ヨーキに出会った後も私は何もする事は出来なかった。
 森の中。私はやっぱり一人で膝を抱えていた。
 頑張ってはみたけれど、他の吸血鬼達は皆死んでしまった。
 妖怪達は私一人では御する事も難しい。
 私よりも力の強い吸血鬼達が死んだ瞬間、妖怪達は私の指揮下を離れて行ってしまった。私を見捨てて。
 結局、皆、私の事などどうでも良くて、何かしらに便乗して騒ぎたかっただけなのだ。
 悔しいのか、苦しいのか、寂しいのか、悲しいのか、分からない。
 混沌とした感情が渦を作り、思考と云うものを飲み込んでいく。
 その波に身を任せてしまうと、思わず、涙が零れそうになってしまう。
  
 ……誰も見ていないし、構いはしないだろう。
  
 もういっそ、誰かに叱って欲しいと願いながら、私は涙を零してしまう。
  
「うぅっ……」
  
 一度流し初めてしまうと、後は止め処無く流れていってしまう。
  
「あぁっ……どうしてっ、どうして……私っ、頑張ったのに――」
  
 独白は叫びとなって、夜空へと反響していく。
 誰の耳にも届かない、悲しき絶叫。
 私は自分が孤独なのだと再確認する。
 夜空を見上げると、滲んだ星が幾重にも重なって見えて、少し奇麗だな、なんて場違いに思ってしまう。
 私の悲しみを溶かすには、そんな感動では小さ過ぎたけれど。
  
「何を泣いているの?」
  
 その時、私の頭上から聞いた事のある声が響いた。
 忘れる筈もない。
 だってそれは、私の事を救ってくれた――

「あっ……ゆ、ゆか――」
  
 私が名前を呼んでしまいそうになると、逆さまになった顔が目の前に現れて、口元に人差し指を立てられてしまう。
 名前を呼んではいけないって約束忘れちゃってた。
 木の枝に足を引っかけて、くるっとしているのかと思ったけど、少し違う。足を引っかけているのは枝ではなく、変な穴だった。
 私はお姉さんに、何があったのかを伝えようとするけど、言葉がつっかえて全然出てきてくれない。それが何だか悔しくて、益々涙が溢れてきて、結果的に言葉が全く発せられない。
 そんな私に対して、お姉さんは頭に手を乗っけてぽふぽふとしてくれる。優しくて温かかったけど、やっぱり私が欲しいのはこの手の平じゃないんだなと思い知ってしまう。
  
 だけど、少し心も落ち着いて来た。
  
「あ、ありがと。お姉さん」
「いいのよ? 私とフランの仲でしょう?」
「う、うん……そうだよね。お姉さん優しいから、私大好きなの!」
「ふふっ、有難う。可愛らしい妹みたいで、私もフランが大好きよ」
  
 これが友達と云うものなのかな。そう考えると、自然と笑ってしまう自分がいた。お父様は大好きだし、一番大切だけど、お友達も大事。産まれて始めて大切なものが増えて、ちょっと混乱しちゃいそうになる。
 そう云えばヨーキも優しかった。と云う事はヨーキは私のお兄ちゃんになるのだろうか? 考えただけで心が躍ってしまう。
  
「ちょっとね、フランに教えなくちゃいけない事があるの」
  
 お姉さんが教えてくれる事は、いつも興味深くて、私の為になる事ばかりだった。だから今回もそうなのだろうと思って、耳を傾ける。
  
「あのね――」
  
 私は彼女の言葉に驚き、慌ててお家へと帰らなくてはならなくなってしまった。
 お姉さんとはもっと沢山一緒にいて、沢山お話したり、沢山遊んだり、沢山の時間を共有したいけど、今は一番大事なお父様が大変らしいからまた後で。お父様は私が手伝ってあげないと!
  
「お姉さん! 有難う!」
  
 私に手を振るお姉さんに礼を云って、大急ぎで紅魔館へと向かった。
 今度こそ、私がお父様に認められるようにって、お姉さんも願ってくれた。だから今度こそ、上手くいく筈!








 ローレンが一歩を踏み出すと同時、屋根の一分が乾いた音を立て砕け散る。更に吸血鬼は屋根を蹴り付け疾駆。紅い瓦は破裂するようにして破砕。
 逃げる事は可能だが、この博麗とルーミアが味方に付いている絶好の期を逃すのは得策ではないだろう。後は、ヤツに殺されるのを待つだけとなる。
 相対するルーミアは払う様に左手を振る。その動作に反応するようにして、突如として現れる黒い、刃渡り一メートルを超えた長刀。左右に広く広がった鍔が印象的だった。その見た目はさながら、黒い逆十字と云ったところだろうか。
 それに対し、ローレンが右腕を振る。その動作に合わせ琥珀色の石が音速で射出。空気を裂きながら疾駆する橙の軌跡。慌てて横へと回避するが、掠るだけで肉を抉り取っていく破壊力。
 更に黄玉の輝石が射出される前にルーミアと己が同時に前へと駆ける。敵が強敵だからこそ、先に此方から仕掛けなければならない、と。
 左方から己の楼散剣が、右方からルーミアの逆十字による一撃。
 ローレンはそれを躱さず、取り出した黒く撓る鞭の様な物体で受け止める。軟体動物の触手のような奇妙な動きとは裏腹に、硬質な表面。楼散剣を受け止める際に高音を立てる。
 加え、その状態のまま、鞭の先端だけが自律して動き出す。トランプのスペード状に尖った鋭い切先が己の胸元へと伸びる。
 左手で逆手に抜いた墨楼剣で受け流そうとするが、途轍もない怪力に楼散剣が金属質の悲鳴を上げ、半ばから折れそうになる。それ以前に、刀を持つ己の腕がどうにかなりそうだった。
 ルーミアと同時に後方へと飛翔するが、それでも尚追い縋って来る死の切先。半霊が弾幕を放つが、それもローレンが放つ七色の輝石に尽く撃ち落とされる。
 今度はローレンの急接近。距離など御構い無し、彼我の距離を一瞬で詰める飛翔。勢いを乗せた黒い鞭の振り下ろし。その落雷の様な一撃を、妖力強化を掛けた楼散剣を掲げる事で何とか鞭の中部を受け止める。鳴り響く金属音。だが、攻撃はそれで終わらず、刀で受け止めた個所から更に先が撓り、切先が遠心力を持って己の頭部へと向かってきやがる。更に墨楼剣でそれを受け止めるが、全身が軋みを上げる。衝撃で屋根の煉瓦を砕け、足首が埋まっていく感触。
 どうやら元はただの鞭でしかないこの武器は、吸血鬼の強大な妖力を流し込まれる事で局所的に硬質化するようだ。結果、このようなデタラメ動作を可能にしているのだと思われる。
 その時、ローレンの前蹴りが己の胸部へ急襲。身体を捻る事で致命傷を回避するが掠った肋骨に罅が入る。鋭い痛みに耐えるが、身体の重心をズラした際に、刃と鞭の均等が崩れ、更に腕が折れそうになる衝撃が走る。全身の傷が叫びを上げ意識が明点。そこへ、遅れて現れたルーミアが敵の背後からの横薙ぎの一閃を放つ。それを一瞥もくれずに上方へと飛翔する事で回避する吸血鬼。余裕の表情を浮かべた吸血鬼は、更にそこから何十もの弾丸の嵐を放ってきやがる。
 頭上から降り注ぐ輝石の雨をルーミアが剣の腹で受け止めつつ飛び上がる。金属と宝石がぶつかり合い、無骨な音階を奏でていく。
 重圧から解放された己は追撃を諦め回避に専念。その間にも半霊の霊術<未生の光>による桜色の光線を放ち牽制。難なく回避されるが、宝石の弾幕が緩くなる。
 ルーミアが左手を掲げると産まれる漆黒の闇。夜の闇より更に深く、一切の光源が存在しないその空間は、人目にはただの“黒”としか映らない。
 更に球形に巨大化する漆黒。球形の漆黒を振りかぶり、ローレンへと投擲するルーミア。漆黒の闇に包まれたローレンには、いったい何が映っているのだろう。
 そこへ殺到するルーミアと半霊の弾幕。不可視の領域から降り注ぐ致死量の豪雨に。流石のローレンも一溜まりもないだろう。球体下部から滴り落ちる血液。己達が初めてローレンに負傷を負わせた瞬間だった。
  
「下らない小細工だ」
  
 だが、優位は一瞬の内に崩壊する。それも、考え得る中で最悪の方法で、だ。
 半径十メートル程の黒い球から飛び出すのは、表面から更に十メートル程伸びる燃え盛る剣。
  
  <レーヴァテイン>
  
「無き妻の技でトドメを刺してやろうと思っていたが、我にはどうにも此方の方が性に合うようだ」
  
 漆黒の球が真っ二つに割れる。妖力と妖力のぶつかり合いで、ルーミアはローレンに完敗していたのだ。
 割れた球体から飛び出す吸血鬼が、その二十メートルという縮尺が狂っているとしか思えない死の炎を軽々しく振るって来る。
 堪らず上方へと飛翔するが一瞬遅れた靴底が灼ける。足裏の皮膚が爛れる痛み。だが、そのまま紅魔館の屋根に再度、着地、己の脚が地を蹴りつけ疾駆。時計塔の向こうにある尖塔を目指す。
  
「これでも食らってろ!」
  
 背後にばら撒く霊術<スフィアブルーム>の光の粒。数瞬後に粒が破裂。込めた霊力を弾けさせる。
 だが、ローレンは左手で顔を庇うだけで、爆撃に突っ込んできやがった。左腕が根本から弾け飛び、鮮血を舞わせるが、瞬く間に左腕が再生。性質の悪過ぎる悪夢のような光景だった。
  
「爆撃で仕留めるなら、心臓か頭を爆撃するしかない!」
「それが出来るなら苦労はしてねぇよ! アホが!」
  
 後方へと更に<スフィアブルーム>を放っていると、前方の屋根を突き破って現れる黒い影。天井を突き破って出現したのはローレンの持つ黒い鞭の先端だった。その切先が己の喉元へ一直線に伸びる。
  
「クソッ、硬軟だけではなく伸縮まで自在なのか!」
  
 楼散剣で切先を右方向へと逸らす。金属が擦れ合う叫び声。だが、直ぐに背後から逸らした切先が再び直進。
 己の右方向を駆けていたルーミアが、触手状の部分を掴み後方へと思い切り引く。急に思いがけない怪力で腕を引かれた為か、大きく態勢を崩すローレン。
 そこへ半霊が放つ霊術<未生の光>の光線刃が向かう。明度の高い桜色を描く三条の光線が秒速三十万キロの刃となり吸血鬼の両足を灼き切る。膝から下が切断され、屋根へと落下。宙で態勢を大きく崩したローレンは、しかし地へと転がるような事はなく、勢いをそのままに飛翔。数秒後には灼き斬った筈の両足が再生。何度見ても気分が悪くなる光景だ。飛翔から流れるような動作で態勢を立て直し、己達を仕留めようと滑空してくる。吸血鬼の本気を目の当たりにし、背筋に冷たい汗が流れる。
 宝石の煌き、膨大な量の宝石が怒涛の勢いで放たれる。
  
「少しは落ち着け!」
  
 回避と防御が等しく意味を持たないであろう豪雨に、ルーミアがいち早く反応。その怪力をもって目前の屋根をぶち抜き、産まれた穴に滑り込む。
 それに続く己の、頭髪が捩じ切られる嫌な感覚。
  
 ……何度死にかけているんだ、己は。
  
 生きているのが不思議なくらい、規格外の戦場だった。
 降りると其処は前後に長く続く廊下だった。相変わらず色彩感覚が狂いそうになる赤。左右には等間隔に扉が立ち並んでいた。
 同じく穴へと潜り込んで来たローレンへと、己は妖術<冥想斬>の巨大刃を振り抜く。が、撓る鞭によって容易く防御。更に敵の背後で待ち受けていたルーミアの長刀による袈裟斬り。敵の背に斜めに走る血の軌跡が生まれる。一瞬遅れて噴き出す鮮血。
 だが、それに構わず黒い鞭が己の楼散剣を縛る様に一回転。ヤバいと思った時には既に遅く、楼散剣の刃ごと背後へと投げ飛ばされ、ルーミアに衝突。ルーミアの持つ長刀の背と、己の脇腹が勢いよく激突し先ほど砕けた肋骨に更なる衝撃。更に肋軟骨に罅が入るのが分かる。折れた肋骨が肺に刺さらなかったのは不幸中の幸いか。
 更に刀ごと身を引かれる勢いを感じ、咄嗟に柄から手を離すが、身体がローレンへと向かう勢いを殺し切れない。
 その時、半霊の放った<スフィアブルーム>がローレンの目前で爆裂。己すらも巻き込みかねない至近距離からの爆撃だったが、それも計算の内。爆風が運動エネルギーを相殺し、己を背後へと吹き飛ばす。
 無理な方向転換に全身が悲鳴を上げるが無防備な姿でローレンと触れ合うよりは何倍もマシだった。
 ルーミアを見ると、胸と二の腕の裂傷から激しい出血。自身の妖術で灼き、出血を無理やり止めていた。
 手狭な廊下を制圧する形で撃ちこまれる琥珀の散弾。
 己達は堪らず、付近にあった扉へと滑り込む。考えうる限りで最悪の選択だった。自ら袋の鼠と化してしまうとは。それに加え、楼散剣はローレンの足元に転がったままだ。手持ちの墨楼剣は基本的に防御に使用する刀である為、どうしても火力が劣ってしまう。
  
 部屋を見回すと、ベッドと丸い机、クローゼットと云う必要最低限の家具。どうやら客間のようだ。
  
「クソッ」
  
 しかし、このまま此処で突っ立っていては、殺して下さいと云っているようなものだ。
  
「クローゼットに隠れてみたらどうだ?」
「子供相手にすら通用しない手だし、今己がクローゼットに入っていたら、面白すぎる自殺志願者だろうが!」
  
 己と半霊の会話を横目にルーミアが眼前の壁をぶち抜き、隣室へと逃げ込む。己と半霊もそれに続く。転瞬、背中を押す爆風と轟音。背後では焔が荒れ狂い、黒煙が立ち込めている。
 考えるだけで死にたくなるような状況だが考えるのを止めた瞬間殺されるのが目に見えているのでどんな些細な事でも考え続けるしかない。
  
 一つ頭の中に案が浮かぶが、実行できるだけの余裕がない。
  
 いや、現状は、この策を行使するだけの状況が揃っているのではないか……? 唯一の気掛かりと云えば、己が再び楼散剣を手にする事が出来るかだが――

「策があるんだが、己だけでは実行できない。次の部屋に移りながらでいいから少し耳を貸せ」
  
 己は、正面の壁をぶち抜こうとしていたルーミアに語る。
 必勝と云うには余りにお粗末だが、成功すればあの吸血鬼に一泡吹かせてやれるだけの策を。









 場に揃った六人の人間と妖怪。他の五人の妖気に中てられ、気分が悪くなってくる。どうしてこんなにも規格外の力を駄々漏れにさせる事ができるのか。私には到底理解が出来なかった。
 一歩を踏み出すローレン。その動きに呼応して、妖忌さんとルーミアが疾駆する。
  
 私達の戦闘は、もう少しお預けらしかった。
  
「一つ訊きたい事があるんだけど」
  
 博麗が場にそぐわない声で訊ねる。
  
「博麗がわざわざお出ましになるなんてね。どうかしたのかしら?」
  
 どうやら此方でも、私を置いて会話が始まってしまっているらしい。この中でレミリアと一番因縁が深いのは私の筈なのに、どういう事だろう。
  
「今回の異変についてだ。ローレンのヤツは自分は関係ないと云っていた。だとしたら、お前が元凶なのか?」
「またその質問か。一々答えるのが面倒だ。そんなに知りたいのなら私と戦って勝ってみせろよ」
  
 さも苛立たしげに吐き捨てるレミリア。その一挙一動に背筋がゾクリと凍りそうになる。
  
 ……此処で私が『この吸血鬼は異変と関係ありませんよ』と告げるのは、空気が読めてないんだろうな。それに、それが教えてしまったら、この巫女は帰ってしまいそうな雰囲気だったし。
  
「面倒な事がないのは確かだけどさ……ところで、このお嬢さんは何?」
  
 博麗は次に私を指差しながら訊ねる。私に直接問い質せばいいものを、何故かわざわざレミリアへと質問を投げかける。
  
「……その質問も、もう聞き飽きました」
「何だ、全員してあたしを除け者にして」
  
 私の返答に、博麗は少し気分を害したようだった。いや、私を置いて勝手に話を始めておいて何を云うのか、この女は。
  
「まぁ、云うなれば、あの吸血鬼は私の仇なんですよ」
  
 一応、私が持っているこの場唯一のアイデンティティを教えておく事にする。少しは顔色を変えるかと思ったが、

「なるほどな」
  
 さも、そう云う事もあるのだろうという様な顔で頷くだけだった。
  
「だったら、共闘するのが良いな。そっちの方があたしが楽だ」
「……こんな人が博麗の巫女だったんですか」
  
 何と云うか、想像していた像と大分違う。博麗の巫女は、もっと、こう、素敵で格好良いものだとばかり思っていた。実物は奇麗だけど酷くがさつなようだ。
  
「博麗の巫女だってただの人間だよ。そこに超常的なにかを見出すのは私を知らない住民だけだ」
  
 無駄話に飽きてきたのか、レミリアは足で拍を取り始めていた。早めに始めないと癇癪を起こしかねないのではないだろうか。妙なところで子供っぽい。
  
「さて、そろそろ始めようじゃないか」
  
 相対する吸血鬼は痺れを切らし、とうとう自分から指揮を取り始めた。
  
「お前らは此処に茶会をしに来た訳じゃ――」
  
 そして、程よく両者の士気が高まり、レミリアが今にも私達に飛びかかろうとした瞬間だった。
  
「お嬢様ー!」
  
 門番の場違いな叫び声が響いたのは。
  
「大丈夫ですかー!」
  
 どうやら、屋敷が崩壊した頃からずっと話しかけるタイミングを伺っていたらしい。
  
「……大丈夫だよ」
  
 隠す事もなく舌打ちを鳴らす。門番はそれに怯む事なく続ける。
  
 流石に、吸血鬼の下で働いているだけはあって、精神力だけは強靭であるらしい。
  
「私はどうしとけば良いでしょうかー!」
「指示待ち妖怪にはなるなと云わなかったか? …………だが、今は状況がイレギュラー過ぎるか。仕方ない、パチェの様子でも見てきてくれ。心配はいらないだろうが、先の揺れで埃でも舞ってるかもしれないからな」
「はーい! 了解いたしました!」
  
 やはりあの門番は終始緊張感に欠ける。温度差が酷い。
  
 先ほど少し会話を交わした時にも感じたが、空気を読める方ではないのだろう。べつに嫌いなタイプではないが、一緒に働くとなると苦労しそうなタイプだな、と思った。
  
「……初めてもいいのかしら?」
  
 今度は珍妙な状況に付いて行けなかった博麗の疑問。
  
「待ってくれる必要すらなかったよ」
  
 その言葉を合図と受け取った私は時間停止を発動。ポーチから目いっぱいのナイフを取り出しレミリアへと投擲。二十本のナイフがレミリアへと殺到。レミリアはそれを私から見て左側へと回避。ナイフを躱した先、博麗が壁状に展開した針の弾幕が出現する。避ける事など不可能だし、高密度の針は蝙蝠と化したレミリアすらも灰燼と帰するだけの質量があった。
 だが、それに吸血鬼は動じる事なく右手を翳す。途端、掌から生まれる爆撃が空間ごと霊針を粉微塵に吹き飛ばす。狭い室内では使用が難しかった爆裂術式をここぞとばかりに使用してきたのだ。飛散する針の欠片が此方にも吹き飛んでくる。
 それでも構わず博麗はレミリアへと突進。吸血鬼の意識が巫女へと向かっている隙に私は時間停止を発動。背後に回り、後ろ首へナイフを突き立てようとしたところでリミットが訪れ強制的に時間が再開。直ぐさま再度の停止をかけようとするが、動きが止まっている間に一度でも損傷を与えられなかった時点で、私の敗北は決まっていたのだ。レミリアは私の姿を視認出来なくなった瞬間、高密度の妖力を全方位に向けて照射していたのだ! 結果、連続して時間停止をかける僅かな隙間に、レミリアの攻撃が炸裂。右半身に爆撃の直撃を受けてしまう。
  
 襲う鋭い痛み。被爆した面積が大き過ぎて、軽いパニックが起きてしまう。だが、それに一瞬遅れる形で発動していた時間停止が作動。精神を落ち着かせるには、周囲が静止した状況と云うのは打って付けだった。
 私は直ぐに頭を切り替える。痛み自体には慣れている。かつて戦闘人形だった頃、何度となく致死量の傷を負っていたのだ。これくらいの痛みで挫けるほど軟な精神も肉体もしていない。
 攻撃を再開しようにも、熱気と衝撃波を纏う形になっているレミリアの身体に触れる事はまず不可能だった。私は攻撃を諦め距離を取る事に全力を尽くす。
  
 時間再開。妖力の塊である衝撃波を正面から受け、博麗は動きを停止するかと思いきや構わず駆け抜け始める。放たれた妖力は、博麗の表面で凄まじい閃光となって消失。博麗が纏っていたのは、霊力で生み出した自身を囲う立方体状の結界だった。どうやら妖力や霊力といった類で生み出された術式をその場で分解し無力化する事が出来るらしい。だが、既に生み出された爆風、運動エネルギーを消し去る事は難しいのか、やはり勢いは著しく落ちてしまう。
 そこへレミリアは突進を仕掛ける。繰り出されるのはレミリアの近接格闘。レミリアは勢い良く地を蹴り、構えも何も存在しない、右上から左下へと落とすような大振りの拳。博麗はそれを状態を逸らす事で回避し、反撃へと出ようとする。が、レミリアはそのまま前方宙返りへと移行。勢い良く一回転する吸血鬼の小さな体。そのまま一回転分の勢いを付けた左の踵を振り下ろす。
 無駄しか存在しないような動きだが、吸血鬼の桁違いの膂力と機敏さがそれを格闘へと昇華させていた。博麗の右肩へと落ちる落雷の踵。博麗はそれを右腕を掲げる事で防御。肌の表面に結界を生み出す事で致命傷は回避するが、骨が砕ける耳障りな音が反響。更に表面を削るようにして、血肉が乱れ散る。吸血鬼の猛攻は止まらない。レミリアは身体を捻り両足で博麗の右腕を絡め取る。博麗は右腕に掛かる負荷によって大きく態勢を崩す。
 吸血鬼の持つ蝙蝠の羽根が大きく羽ばたかれ、状態が大きく反転。それに引き摺られる形で博麗の右腕が関節可動方向とは逆方向へと引き絞られる。結果、博麗は腕を庇う為に状態を崩し、身体は大きく宙を返り地へと倒れ込む。レミリアは腕を絡め取ると、そのまま寝技へと突入。こうなってしまえば後は吸血鬼の独壇場だ。吸血鬼の全身の筋力と人間の腕力を比べているような物だからだ。だが、博麗も負けじと左手を掲げ術式を紡ぐ。靭帯が千切れ、関節が粉砕されるのを構わず術式を発動。幾重にも折り重なる数十枚もの赤札がレミリアの捕縛。身動きが取れなくなった吸血鬼を更に赤札が囲う。
 結界内に存在する全てを圧壊させる博麗の奥義。地震の右腕を巻き込む決死の覚悟に、博麗の人ならざる精神力を思い知らされる。
 だが、それでも吸血鬼を捕縛するには足らなかったのだ。レミリアは全身を潰され主要器官を破壊される直前に肉体を放棄。紅い濃霧と化した吸血鬼の身体が空気に拡散していく。
 土壇場でこそ吸血鬼の反則染みた能力が効いてくる。
 博麗が使用すべきだったのは威力重視の赤札による圧殺ではなく、多少威力が劣るが、完全密封型の結界だったのだ。だが、今さら後悔しても仕方がない。そして、レミリアも再度同じ展開で死闘を運ぶほどお人好しではないだろう。
 私達の前方に、肉体を再構成した忌々しい吸血鬼の姿が現れた。








 天井をぶち破って一度屋根へと戻って来た己と半霊。
 当然ながらローレンの姿はなく、望月と博麗、そしてレミリアの戦闘が目の端に入る。だが、今はそれどころではない。
 己は再び、初めに入って来た穴へと滑り込む。
 驚愕に歪むローレンの表情。廊下から客室へと爆裂術式を撃ち込もうとしている瞬間だったのだろう。己と客室、どちらを狙うべきかで迷いが生じ、僅かに狙いが逸れる。
 そして、転瞬して此方へと射出される散弾の輝石。
 己は流れる動作で地に放置されていた楼散剣を掴み取り、そのまま刀を振り抜く。甲高い音を奏で、弾かれる輝石。半霊が仕返しとばかりに妖力で練り上げた七本の刀身を撃ちだしていく。その隙に、己は再度飛翔。目前のローレンにではなく、頭上に空いた穴へと向かう。
 靴の裏を盛る火炎が舐めていく。どうやら、射出した刀身ごと爆発に巻き込もうとしたらしい。少しでも判断が遅れていれば、重傷を負っていただろう。
  
 だが、大きな収穫もあった。薄々勘付いてはいたが、先のローレンの表情、動揺を見て確信に変わった。
 吸血鬼はどいつもこいつも『自身は狩る側の人間だ』と云う根底意識が拭い切れていない。
 それが、先のローレンの驚きにも現れている。ヤツらは想定外の出来事に、滅法弱いのだ。
 己達がヤツを倒す唯一の隙があるとすれば、其処だろう。王者の余裕。足元を掬われる事を知らぬ常勝の鬼。追い詰められた鼠の底力を、見せつけてやるしかない。
  
 己は再度飛翔すると、尖塔へと向かう。
  
「あんな格好付けておいて、敗走なのかよ」
「戦略的撤退と云うヤツだ」
  
 少なくも、好き勝手に動き回っている己より、追い詰めているつもりでいるルーミアの方がローレンにとっては優先度が高いのだろう。
 ローレンが此方へと向かってくる気配がない事を確認し、安堵する。此処でヤツがしつこく追い縋って来るようであれば、作戦が大きく変わってしまっていた。
 そうこうと考えているうちに、尖塔の壁面に辿りつく。屋根から生えている尖塔の壁面を、慣れた動作で破壊。もう二度と人生で使用したくない技能だった。








 辿り付いた尖塔。その全長は一階から先端まで約四十メートル。半径十二メートルの円柱状の建物だった。周囲には手すり付きの螺旋階段。八メートル程上る度に、広場の様な空間が設けられており、合計で五フロア存在するようだ。己はその内、屋根から侵入する事が出来た二階で待機していた。
  
 既に己が準備出来る最大限の罠は仕掛け済み。後はルーミアが予定通り動けば事は終わる筈だ。
  
 己の眼前の壁がぶち抜かれる轟音。弾丸の様な速度で飛来する破片を跳躍で回避。吹き飛ぶ煉瓦の欠片と瓦礫が後方の壁へと激突し、更なる破片を生み出していく。逃げ込んで来たルーミアとそれを追うローレンの姿。
 ルーミアの姿には先ほどには無かった細かな裂傷が刻まれており、血と汗が額に滲んでいる。加え、“上手くやらなかったらお前をぶっ殺してやる”と云う様な鋭い目付きで睨まれる。どうやら相当酷い戦闘が行われていたらしい。粗方想像は付くが。さて――
  
「此処でけりをつけてやるよ。クソ吸血鬼」
  
 言葉と同時、己は全妖力を楼散剣に注ぎ込み巨大な刀を模す。刀身が二十メートルを超えたところで妖力を凝縮。荒れ狂う妖力が可視の緑色の妖気となって陽炎の様に揺らめく。
  
「それが貴様の全力か」
  
 律儀に会話に応答する辺り、ローレンの余裕が伺える。それとも吸血鬼の矜持と云うヤツなのか。どちらにしても、それがこの吸血鬼の命取りになる。
  
「ああ。これでも食らって、一生棺桶で眠っとけ!」
  
 空間をも両断する大振りの一刀。風を灼き斬る様な刃に、空気が大きく振動し、慟哭の様な声を上げる。その刃の切先ともなれば、光速すらも凌駕する一閃。己の全力を持って、尖塔ごとローレンを両断する!
 世界が裏返るような大音響が耳を聾する。大きく内部を切り裂かれた塔の内に煙幕砂埃が充満。だが、己の手には敵を薙いだ感触は存在しなかった。
  
「クソッ! 逃したか!」
  
 天井に着地する様にして、己を見下ろす吸血鬼の姿。その目には嘲りの色が含まれていた。
  
「我であればお粗末な貴様の技にすら義理立てし、真正面から受けて立つとでも思ったか? 流石に今の技をまともに食らえば危険だった事ぐらい我にだってわかる」
「そうか……残念だ――――」
  
 己の声は爆撃に掻き消される。上方から断続して聞こえる轟音は、尖塔そのものを崩壊させる勢いで次々と爆ぜていく。
  
「何所を狙っている!」
  
 爆撃の意図が理解できないのか、叫ぶように、何処かで聞いた様な問いを立てるローレン。
 連続する爆撃に耐えきれず、轟音と共に塔が崩れ去ろうとしていた。
 己とルーミアは爆撃が始まった時点で尖塔を脱出。崩壊に気付いたローレンも塔から脱出しようとするが、
  
  
「こんな子供騙しで、吸血鬼を愚弄する気かッ!!」
  
  
 ローレンは脱出口を探すが、尖塔は既に流水によって囲まれていた。その水源は己の懐に入れられていた水筒。ローレンの云う通り、子供騙し以外の何物でもないが、それに引っかかるヤツにだけは云われたくはない。
  
「今の言葉が一番お前たちを愚弄しているような気がしたがな」
  
 返事など聞こえているはずがなく、瓦礫の大瀑布がローレンの頭上へと降り注ぐ。あまりの大音量に、鼓膜が痺れ、音が聞こえない状態が続く。
 望月の方を見ると、飛び散る砂塵や火花が覗く。どうやら向こうはまだ闘いの真っただ中であるらしい。今直ぐにでも駆け付けたいところではあるが、疲労がそれを許そうとしない。
 何せレミリアとローレンと云う吸血鬼の中でもトップクラスであろう二人と連戦したのだ。枯渇し切った気力が集中力すらも奪い去っていく。
 隣を見ると、既に傷は再生しているようだがルーミアも疲弊し切っている様子だった。コイツもコイツで、此処に来る前までローレンの相手をしていたのだから、その疲労は頷ける。
  
 ――少し休憩した後、望月の方へ加勢してやろう。向こうも大分苦戦を強いられているようだから――――
  
  
 その時、地響きを伴う大砲火が瓦礫の山から生まれた。
  
  
 瓦礫の山を突き破る様にして現れたのは、圧死した筈のローレンだった。
  
「何なんだアイツは! 本当に不死身なのか!?」
「……吸血鬼の伝承を考えるに、それも強ち間違いではないんだろうな」
  
 呆れ返ったような半霊の言葉。隣のルーミアも流石に愕然としている様子。ローレンの全てが生物と云う物を、根本から履き違えているとしか思えない。
 最早恐怖と云う感覚は麻痺し、茫然と立ち尽くす事しかできなかった。








 地と空を共に震わす大音響。
 どうやら妖忌さんが何かをやらかしたらしく、巨大な尖塔が崩壊を起こしていた。
  
「向こうも随分と楽しんでいるようだ。まさか、これで終わりではないだろう? 命を捨てる覚悟で掛かって来いよ」
  
 レミリアの挑発に私達は動けない。
 先の戦闘の恐怖が脳裏にこびり付いて離れない。コレはいけない。玉砕覚悟でもいいから、前へと足を動かさなくては、“一方的に殺される”だけだ。
  
 時間停止からのナイフの投擲。それもやらないよりはマシと云う程度の苦し紛れ以外の何もでもない。
  
「今さら、そんな小細工が私に通用するとでも?」
  
 妖力を纏わせた腕を振るうだけで軽くいなされる私のナイフ。更に時間停止を使用、放るナイフに妖力を付随し鋭さを増させる。更に地に落ちたナイフ達を操作し、全方向からのナイフの投擲を行う!
  
「ハッ! 少しは面白い技を使うようになってきたじゃないか!」
  
 レミリアは舞う様に体を回転。更に両の人差し指を立て、紅の弾丸を射出していく。単発のスタッカートではなく、連続したレガートを奏でる金属音。銀製ナイフの包囲網を、ただ尽く撃ち落としてみせたのだ。
  
「チッ、四発ほど撃ち逃したか」
  
 言葉通り、レミリアの肌を切り裂いていく四本のナイフ。その内二本がレミリアの肌を浅く切り裂き、残る二本が左腕と脇腹へと突き刺さる。しかしそれはどれも致命傷を与えられるものではなく、肌を掠っていくだけのものだった。
  
『死闘など遊戯のようなものだ』と云う言葉は、余裕の表れであると同時に、正にレミリアが勝負に挑む時の姿勢を指示したものだったのだと知る。
  
 ――彼女は自身が傷付く事すら、楽しんでいるのだ。
  
 博麗ならばともかく、私一人など彼女の相手にすらならないのだと思い知らされる。正に私の死闘は彼女の遊戯に等しいのだ。
 それでも、私は全力を尽くさねばならない。
 気付くと、私の目前に迫っていたレミリアの体。腹部に叩きこまれる右のアッパーカット。内臓が捩れる様な痛みと共に猛烈な吐き気、朦朧とする意識と霞む視界。脚が地から離れ宙へと浮く。そこで何とか時間停止を発動し、レミリアから距離を置く。
 彼我の距離は二メートル。そこで時間が再開。私の右横から現れる赤白の影。博麗が助けに入ってくれたようだった。
 しかし、右腕を失い既に満身創痍の博麗、その戦闘能力は著しく低下しているだろう。
  
「死に損いじゃ満足出来ないな!」
  
 言葉と共に放たれる右の回し蹴り。それを左脚で防御する博麗。
 そこで私は時間停止を発動し、レミリアの正面に出現。右手に構えたナイフを吸血鬼の右頚部へと振り下ろす。吸血鬼はナイフを右手で掴んでみせる。その掌には傷一つ付かない。更に左のナイフをレミリアの心臓部分へと突き刺す。
 後方へと回避する吸血鬼の動きを読んだ私が時間停止で背後へと先回り、頚部へとナイフを突き立てたところで爆裂する妖力。それを避ける為に更に時間を停止。
 やはり単純な戦闘では先の繰り返しになるだけだった。
 レミリアへと追撃をかける博麗。吸血鬼へと高速疾駆する白黒の陰陽玉。吸血鬼はその弾丸を軽々しく回避、脇の下を通り抜けて行く。だが、陰陽玉は吸血鬼の背後で急激に軌道を変動。再びレミリアへと向かって音速の直線を描く。
 レミリアはその軌道を予期する事が出来ず、背後からの不意打ちをまともに受け、胸に風穴を穿たれる。
 短く呻く吸血鬼。其処へ追撃の赤札を放つ博麗。仕留めるならば、一気に畳み掛けるしかない! 緊張下での時間停止術式の連続使用で心臓が爆発しそうな程に脈打っているが、そんな事を案じている暇もないようだ。
  
 一度時間停止をかけ、レミリアの背後へ。そこでナイフへと妖力を集中。妖忌さんが見せた<冥想斬>の見よう見真似だった。だが、私では明らかに力量、技術共に劣ってしまう。
  
 ならばと、居直る事にした。
  
“一撃の力が劣るなら、手数で勝ればいいのだと”

 想像するのは、刃がただ強く固く鋭くあればいいという点。
  
 今の私が一秒間で使用出来る時間停止回数は約二十。そして、連続使用を考えると一度の停止で得られる時間は丁度一秒程。だが、それでも私の時計は現実の時計が一秒の時間を刻む間に二十一秒の時間を刻む事が出来る。
 つまり、私は通常の二十一倍の速度で動けるのと同義。その分反動も大きいが、今はそんな事を考えている暇はない。後の事など、生きていたら考えればいいのだ。
  
 両手に構えたナイフに妖力を込める。最早そこに技術なんて物は必要ない。ただ無我夢中にナイフを振り切るだけだ。
  
 レミリアの背後、三メートルの距離を置いておく。先ほどの二の舞は流石に御免だ。そこで、時間再開。まだ、レミリアは私の接近に気付いていない。そして、私は時間を止める。
  
  
 静止した時間の中。私だけが歩みを止めない。
  
  
 こんなズルをして始めて、私は吸血鬼と対等の立場に立つ事が出来る。
  
  
 ナイフを一振り、二振り、三振り、四振り、五振り――
 
 
 レミリアの四肢を私のナイフが斬り裂いていく。私の急襲を恐れ、体に薄く妖力を纏っていたらしい。私の能力が、少しでも吸血鬼への脅威になっていた事に驚くと同時に、誇らしいと感じてしまう。だが、だからこそそう簡単に皮膚に傷を付ける事が出来ない。吸血鬼の妖力と、私の妖力では流石に根本から違い過ぎる。だからこそ、唯一の武器である手数でだけは負ける訳にはいかない。
  
  
 六振り、七振り、八振り、九振りした――
  
  
 そこで時間が再開。自分の身体を傷つけられている事に気付いたレミリアだが、博麗との近接戦闘に意識を集中させていた為か直ぐに反撃に移れずまた私の番。
  
  
 十振り、十一振り、十二振り、十三振り――
  
  
 一刀に全力を込める。妥協はしない。私に出来る全てを行う。
  
  
 十五、飛んで二十――
  
  
 連続してナイフを振るという動きに体が順応し始めたのか、先ほどの一秒より数が増しているような気がした。
 浅くではあるが傷ついた吸血鬼の肌。皮膚から玉のような少量の血が散る。
  
  
 再開。レミリアはまだ動けない。停止。
  
  
 三十二振り。
  
  
 皮膚が裂かれ肉に到達した箇所があるらしく、流れる血の量が増していく。
  
  
 再開。レミリアは博麗との戦闘を捨て、此方に体を向けようとしていた。そこで停止。
  
  
 四十五振り。
  
  
 全身に細かく刻まれた裂傷。あのレミリアに傷を負わせているという事実が堪らなく気持ち良い。
  
  
 再開。驚きに染まった吸血鬼の顔が此方を向いた。妖気が今にも破裂しそうになっている。停止。
  
  
 六十振り。
  
  
 とうとう骨に到達した箇所があるようで、宙に浮く肉片が目に見えた。
  
  
 再開。破裂する妖力の波。それがレミリアを中心に一メートルほど膨れ上がったところで停止。
  
  
 構わずに振り続ける。
  
  
 八十振り。妖力量で負け、ナイフに傷が付くが構わず振り続ける。眼球が破裂しそうになるほど見開いていたらしく、酷く痛み出す。心臓は既に破裂しているような気もする。頭の中に産まれた新しい心臓が何度も何度も爆発を繰り返す。
 とうとうレミリアの右肘の切断に到達した。
  
  
 再開。舞う右腕から先の驚愕を露わにするレミリア。
 二メートル、二,五メートルまで膨れ上がった妖力の波。目前まで迫ったところで停止。
 次の再開で、全てを灼き尽くす熱量を帯びた妖力が私に到達するであろう事には気付いていたが、何故か身体が動かない。
 理由は明白だが、頭がそれを考えようとしない。何とか跳躍をし、二メートル程の距離をおく。
  
  
 再開と停止、目前に迫る妖力の破裂を後方へと跳躍する事で回避。
  
  
 再開と跳躍と停止と跳躍。
  
  
 再開と跳躍と停止と跳躍。
  
  
 再開と跳躍と停止と跳躍。
  
  
 そして、漸く妖気の勢いが収まりかかったところで、博麗の巨大結界が発動。レミリアの妖気の爆発を、結界で防御、更に巨大な結界を展開する事で至近距離に居たレミリアを巻き込む事に成功したのだ。
 二重に展開された結界。博麗の表情が苦痛に歪む。ただでさえ過労気味の脳へ急激な負荷がかかった為だろう。だが、それでも博麗は、その責務を全うする。
 展開された結界に捕縛されたレミリアの眼球や皮膚や鼓膜といった表面部分が圧力によって破裂。肋骨が砕け肺が圧搾。内臓が千切れ四方へと撒き散らされ更に破壊されていく。
 だが、驚愕するのはこれからだった。
 肉片となった筈のレミリアは、それでも残った脳を中心として全身の再生を行おうとしていたのだ。それでも、博麗の結界が瞬時に再生した肉体を破砕。繰り返される破壊と再生の光景は悪夢そのもの、いや、それ以上の吐き気を催す。
 しかし、それも長くは続かなかった。
 先に勢いを失ったのは博麗の結界。弾け飛んだ、右肩の傷口の痛みが集中力を途切れさせたのか。元々長時間の使用を想定されていない術式だったのか、結界は硝子が割れるような音を残して消失。
 直ぐさま身体の再生を行ったレミリアが、博麗を襲おうとするも、その場に膝を付く。口から漏れるのは血泡。
 博麗の赤札による猛襲と、結界による超再生を上回る超破壊。流石のレミリアをもってしても、完全に再生する事が出来なかったようだ。
  
「クソッ、私が敵の前で膝を着くなんてな」
  
 今ならば、吸血鬼であるレミリアにも止めが刺せる。
  
 だが、肝心の身体が、動いてくれない。
  
 その腕に、脚に、首に、脳に、心臓に、腸に、ナイフを突き立ててやらなくてはならないに。代わりに、私の全身にナイフが突き立てられたような幻痛。いや、それは現実の痛みを持って、私を蝕んでいく。
  
 そして、私もまたその場に倒れ込んだのだった。








「ここで質問だ」
  
 立ち尽くして己に、半霊が酷く擦れた声をかけてくる。
  
「あの吸血鬼野郎をぶちのめす予想外の手段とは?」
  
 中身のないクソみたいな質問だが乗ってやる事にする。
  
「死を覚悟で八雲を精神的に攻撃、自殺に追い込んで幻想郷と云う戦場の基盤ごと破壊する」
「死を覚悟しておいてそこまで回りくどい事をやるしか勝ち目がないのかよ。果たして、アイツを倒すのと八雲の婆を自殺に追い込むの、どちらが簡単だろうな」
「お前ら、戦闘の度にそんな阿呆みたいな遣り取りを繰り広げているのか?」
「いいや、余裕が有り余ってる戦闘でだけだ。戦闘が片手間過ぎてついつい軽口が洩れる」
「……そう思いたいだけだろう」
  
 呆れを通り越して、声を出して笑い始めるルーミア。
  
「そろそろ尺もヤバくなって来た。ルーミア、何故か急に宇宙から力を授かるタイプのヒーロー御用達の最終奥義を使用してこの死闘を終わらせて構わないぞ」
「どうしてそこで私に振るんだ。ヒーローと云えば剣じゃないか。剣と云えばお前だろう」
  
 軽口を叩きあう事でしか正気を確かめる事が出来ない。本当にイカれた戦場だった。
  
「ああ、そもそも“通常の人型の妖怪”を相手にしているつもりになっていたのが間違いだった。
  
 相手は正真正銘の化け物だ。防御なんて発想がそもそも致命的だ。此方が一度も負傷を受けず、百回殺し切るつもりでかからねばならなかったんだな」
  
 一歩を踏み出すと、不思議と二歩目は自然と前へと出る。
 半霊の光線照射による威嚇射撃。体を灼き斬れれば御の字だが、端から期待などしちゃいない。ローレンは瓦礫から飛翔、一度屋根へと着地し更に此方へと飛翔して来る。己達もローレンの攻撃を避け、屋根へと着地。
 更に半霊が刃の弾幕をばら撒いていく。だが、此方へと飛翔していたローレンの手元で爆裂術式が発動。弾幕は妖力の欠片となって散っていく。
 ルーミアは十字架の長刀を構え、上方からローレンへと降下。体重と重力を加算した大質量をローレンの脳天へと叩き付ける。
 それに対し、ローレンは両腕を交差させた交点で刃を受け止める。そして、勢いを殺さず、されるがまま地面へと叩きつけられる事で刃による衝撃を地へと受け流す。
 これ以上ヤツに好きにされるのは癪だ。己はローレンを追うように地へと急降下。更に壁面を蹴り加速をかけ、妖術<桜花閃々>の術式を発動。一瞬でローレンを通り抜け、後方へと移動。吹き上がるローレンの鮮血。神速の一撃を以て、ローレンの胴を切り裂いたのだ。
 妖力を刃にではなく、足裏と脚の筋肉へと纏わせる。一撃の重みは伴わないが、不意打ちに近い形で一撃を加える事が出来る。
 何が起きているのか理解出来ていないであろうローレンへ、治癒をさせる暇を与えず、半霊が放つ八本の刀身。ローレンが放つ吹き荒れる妖力によって、尽く灼き落とされる刃達。しかし、反撃へと妖力を使用した為か、吸血鬼の再生が通常時よりも遅い。その隙を見逃す訳にはいかない。
 己は振り向き、ローレンへと刃を横一文字に振り抜く。ローレンの妖力を纏った右腕が斬撃を受ける。が、流石にローレンと云えど、片腕では抑え切れないのか、腕を半ばまで切断する事に成功する。
  
「うぉぉぉぉおおおおおオオオオッ!」
  
 そこへ背後から襲うルーミアの大太刀。残る左腕で防御。掌から突き刺さった刃はそのまま前腕部を中程まで両断。吹き荒れる鮮血。ローレンの両腕を使用不能にし、己は残る墨楼剣で敵の急所を突き刺そうとする。が、一手早くローレンの両足が翻る。
 器用に両足で己達を同時に蹴り上げる吸血鬼。己はすかさず墨楼剣を防御に回し急所への一撃を逸らす。だが、脇腹を掠った一撃。粉砕した肋骨の破片が、とうとう肺を突き刺す。余りの激痛に苦鳴が漏れる。呼吸をしようとする度に、地獄の業火で灼かれんばかりの痛みが己を襲う。
 大慌てで、慣れない治癒術式を施そうとするが、気休め程度の物にしかならない。
 己とは逆に攻撃をまともに受けたルーミアは後方へと吹き飛ばされ壁面へと衝突。唇から洩れる血液がルーミアの重傷さを示していた。
 吹き飛ばされた己達と入れ替わるように、霊術<幽明求聞持聡明の法>で己の姿形を模した半霊がローレンへ接近。己達を蹴り付けた反動を利用し上方へと飛翔しようとしていたローレンへ、刃を思い切り振り下ろす。
 半霊からの追撃は遠距離射撃のみだと油断したローレン。多少己の物と比べれば威力は劣るが不意打ちともなればその効果は計り知れない。吸血鬼の右肩から左脇腹にかけてを両断。吹き荒れるどす黒い鮮血。そして、ローレンは人間の姿を捨て無数の蝙蝠の姿へと変わる。
  
「逃がすか!」
  
 己は全妖力を使い果たす勢いで、妖術<六根清浄斬>の剣術を発動。ローレンの頭上から降り注ぐ妖力と霊力の大瀑布。己の中に残っている全てを絞り出した空間制圧型の大技で、蝙蝠ごとローレンを破壊し尽くす!
 だが、油断はしない。蝙蝠を一匹でも取り逃がせばそこからローレンは再生、復活するだろう。
 怒涛の勢いで半霊から蝙蝠へと放たれる刃。一匹たりとも逃がす訳にはいかないのだ。
  
 ――だが、足りなかった。
  
 取り逃した数匹の蝙蝠が互いに交わり、その黒の割合を増やしていく。己の精神は、絶望によって塗りつぶされていく。
  
  
  
 戦場に、酷く場違いな声が響いたのは、そんな瞬間だった。
  
  
  
「あなた達! どうしてお父様を虐めているの!?」
  
 叫び声はまだ幼い少女の物。そして、その声は何処かで聞いた事のある響きを持っていた。
  
「お前は――ッ」
  
 思わず、己と半霊の動きが止まる。
 どうしてフランが……そして、何故このタイミングで現れたのだ。
  
「ヨーキ……? ねぇ、ヨーキがこんな処で何をしているの?」
  
 己達の目前に着地し、己の事をあの日の様に見つめる少女。
 己の名を呼ぶ少女。それはあの時父親への贈り物に可愛らしい頭を悩ませていた“フラン”。フランドール・スカーレットだった。
 己は少女の真っ直ぐな瞳を直視する事が出来ず、その場に立ち尽くす。ルーミアは場の空気に付いていく事が出来ず、己の事を見つめている。
 流石にローレンの娘がこの場に現れたという点は理解しているだろう。ただ、その娘と己がどうして知り合いなのかが理解できないようだ。
 当然だろう。己だって、どうしてこんな事になっているのか理解出来ない。
  
 だが、何よりも冷酷な時間の流れは、己達を待ってなどくれない。
  
「フラン!? どうして此処に!」
  
 其処へ全身の再生を果たしたローレンが現れる。
 ただ、向こうも満身創痍の様相で、流石に疲労を隠す余裕はないらしい。
  
 ……それでも、己達よりは遙かにマシな様子だったが。
  
「お父様! 良かった、やっぱり無事だったのね……お父様がそう簡単にやられる訳ないものね! あのね、私のお父様を助けに来たのよ!」
  
 余りに場違いな光景に、思考が停止する。
 だが、己の冷酷な思考は、直ぐに回転し、答えを導き出す。
 己達は、今この状況にしか勝機を見出す事の出来ない、と。
 理性ではそれを静止するも、体は勝手に動き始める。
  
  
 この場で生き残る為だけの最善手を。
  
  
「それとそれと、私、お父様に云わなくちゃいけない事が――」
  
 少女の言葉を遮ったのは半霊の放った霊術<鳳蝶紋の死槍>による七本の死槍。それらが刃状の弾幕を纏いながらローレンの元へと殺到。
 不意を突かれたローレンの表情が歪む。
 咄嗟の反応で七本の内、三本の槍を弾き折るが、四本は右肩、左胸、左腿、そして首を貫通。更に殺到する弾幕の刃が足を地へと縫い付け、かつ全身へと突き刺さり、血霧が噴き出す。
 間髪入れず、己が投擲した短刀がローレンの前頭部へと突き刺さる。一瞬、意識を喪失した吸血鬼の身体が後方へと倒れていく。そこへ更に追加発動した四本の死槍が四肢の末端を貫通し地へと磔にする。身動きの取れなくなったローレンの身体から血の気が失われていく。
  
「妖忌ッ!!」
  
 ルーミアの怒号。怒声と共に頬に訪れる衝撃。
  
 歪む視界、霞む意識。
  
 だが、構わず半霊は術式を使用し続ける。<未生の光>による光線が頚部を切断。鼻を中心に顔を半分に灼き斬っていく。灼き斬られた脳が再生するのには流石に時間が掛かるのだろう。更に執拗な攻撃がローレンを襲う。
  
「止めろ! 好い加減にしないと、私は先に貴様を殺すぞ、妖忌!」
  
 倒れ込んだ俺の胸元を掴み、半ば無理矢理立たせるルーミア。鬼の様な形相で己を断罪する。
  
「そのあとでローレンに殺されるのか!? お前の中じゃ訳も分からない“復讐”なのだろう!? 貴様がその犠牲になれると云うのか? 笑わせるな!」
  
 己はルーミアの腕を払う。己の剣幕に、ルーミアは言葉を失う。
 妖力と霊力の底が付き、気力すらも枯渇し、朦朧とした意識の中、墨楼剣を杖代わりにし、進む。
  
 望月に持たされた対吸血鬼用の杭。それをローレンの胸へと突き立てる。
  
 駄目押しに妖術<火楼葬>による一点集中の火力が頭部、胸部の再生の起点となる箇所を塵も残さぬ勢いで燃焼。残ったのは欠損した四肢と腹部だけの死体。肉片を更に灰燼へと帰す為に妖術を行使していく。場に残ったのは、大穴が穿たれた手首から先だけだった。
  
 己を突き動かしていたのは純粋な恐怖。
 最早、己は精神に異常を来していた。
 殴られた頬と胸が熱く、湧きだす後悔と云う感情。それが偽善だと分かっていても頭がおかしくなりそうだった。
  
「在ろう事か! 娘を盾に親を殺すとはッ!!」
  
 ローレンの死体の目と鼻のさき。ローレンに庇われ、死地から脱し、倒れていたのは娘のフランドール・スカーレットの姿。
 ローレンは娘を庇う為に、人間化を解く事が出来なかったのだ。
 己とフランドールの間に、ローレンが立っていたが為に。
 当然ながら己は、フランにかけてやるべき言葉など持ち合わせていなかった。
 自身の身を守る為の行為とは云え、醜悪な悪鬼の所業だ。
 ルーミアも同様に立ち尽くす。己の行為とは云え、最後まで止め切る事が出来なかった自身の罪を理解しているのだろう。
 場を支配する沈黙が、己の精神を蝕んでいく。
 疲労や自身の行為に対す混沌とする思考に嘔吐感がこみあげてくるが、この場で己が吐き出していいものは何一つとして存在しない。
  
 父親の血肉を浴びた吸血鬼の少女の瞳を暗く、焦点が合わぬ目が揺れる。
  
「お父様……?」
  
 込み上げて来る感情の波を押し殺し、辛うじて疑問を発す。
 最早、そこに在るのは父ではなく、過去のものだった。
 其処には肉片すら残されて居らず、いや、だからこそか、少女は父の死を理解しようとしない。
  
「ねえ、返事をして、お父様」
  
 少女は嫌々と現状を否定する様に首を左右に振る。側頭部に付いた金糸の尻尾が悲しげに揺れる。
  
「私、頑張って異変を起こしたの。もう立派な吸血鬼だって、認めて貰いたくて。お父様に褒められたかったの」
  
 少女の疑問は独白へ。独白は悔恨へと姿を変え、少女のちっぽけな心を押し潰していく。
  
「頑張ったな。お前は可愛い娘だよって、頭を撫でて欲しかったの」
  
 フランドールは小さな手で、黒く焦げた父の手の破片を拾いあげる。
 その手を頭の上へと乗せるが、強く握っただけで崩れてしまいそうなそれは、少女の頭に黒い灰を落とすだけだった。
  
「ただ……それだけだったのにっ」
  
 己は、己の罪を直視する為に、その光景を、見つめ続ける。
  
「振り向いて欲しかっただけなのに……っ。ちょっとだけ、お姉様ではなく、私を見て欲しかっただけなのに……」
  
 言葉に嗚咽が混じる。見た目とは裏腹に、長く生きた少女の知能は、現実を非情にも理解してしまう。
  
 少女が壊れるには、余りにも、十分過ぎた。
  
  
「嫌……っ、イヤ、イヤぁぁァぁあああああアアァァァアアああああああアぁァアアアアアアァアアアアアアアアアアアッ!!!!」
  
  
 劈く様な慟哭が虚しく夜空に反響する。
 その叫びが、己の頭と胸中で共振を起こし、全てが壊れてしまいそうになる。
 いや、いっそ、全てを壊して欲しいと、他ならぬ己が願ったのかもしれない。
 喉が潰れ、絶叫は擦れ、それでも尚、声にならぬ叫びを上げ続ける。
 そして、フランは、自身の身体を掻き抱く様にして震える。
  
  
「……殺してやる」
  
  
 低く唸る様な声。先ほどの少女と同一のものとは思えない狂気の炎が揺らめく。それは、先ほどのローレンの瞳よりも、ずっとずっと、深い闇を宿していた。何より、それが狂気に身を任せた結果なのか、フランドールが纏う妖気が跳ね上がる。
 そして、揺らめいていた焦点が、己の元で結ばれる。
  
 その唇から、死の呪詛が吐き出される。
  
  
  
  
  
「殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺し尽くして、壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊し尽くしてやる」
  
  
  
  
  
  
 フランドールの哄笑が混ざりの絶叫。
  
 少女の虚ろな眼には一体何が映っているのか、フランは己を見つめ笑う。かつての様な己を信頼し切った柔らかな笑みではなく、脳内で生み出された狂気の産物。
  
 フランはそのまま、右手を掲げ、宙を握り潰す様な動作をする。
 瞬間、己の左脹脛が瞬間圧縮された果実のように弾け飛んだ。
  
「が……ッ」
  
 何が起きたのか。という疑問が頭に浮かぶが、それを塗り潰すように激痛で頭と視界がどす黒く染まる。
 感覚としては“握り潰された”と表現するのがしっくりとくるが、“内側から破裂した”様な気もし、“捩じ切られた”様な気もする。この世のありとあらゆる痛みを一撃に濃縮した様な術に、身体に恐怖が満ちていく。
  
「次は、何所がいい?」
  
 フランドールの飛翔とも跳躍とも呼べぬ乱暴な動作。一瞬で己の元へと辿り付いたフランドールは、己に倒れる事すら許さない。
 吸血鬼はそのか細い右手で己の頬に触れ、じっと眼を見つめる。その深い深い緋色の瞳に射止められ、身体の全機能と思考が停止する。
 それが吸血鬼の能力である<魅了>の一つであると気付くと同時、食道を這い上がってくる異物を吐き出すと血反吐。
 目が醒めた己の下腹部から激痛。フランドールの左貫手が己の腹部へと差し込まれ、内臓を素手で掴んでいたのだ。
 吸血鬼の<魅了>の力は、内臓を撫で回され破壊される激痛すらも快楽と錯覚させる。正に非人道の極みに立つ能力だった。
 実体化した半霊が楼散剣でフランドールの左手を切断。フランドールは乱暴な動作で己を突き放すと大きく距離を取る。
 しかし、己はどうして立ち尽くしていた? 魅了にかかった後ではない。魅了にかかる前の話だ。
 少女にされるがままにしている事で、自分の罪が帳消しになるとでも思っていたのだろうか。
  
 ……ふざけるな。
  
 だったら、初めからローレンに殺されていれば良かったのだ。そうすれば、少女の心を壊さずに済んだのだから。
 腹に刺され放しになっていた左手を抜き取ると、掴まれていた小腸が一緒になって零れ出す。
 零れた小腸を直視しないように、手で掬い傷口から押し込むと云う正常なら卒倒ものの作業をこなし止血用の符を張り付ける。
  
 フランの両親を殺した己に出来る事は、フランを殺してでも止める事だけだ。
  
 良く見ると、フランドールの左腕の再生がまだ途中だ。他の吸血鬼に比べ、明らかにそのスピードが遅い。
  
 ……どう云う事だ? まだ、再生能力が完全に身についていないのか。この速度でいけば、一分程で再生するだろう。その速度が、まだ良心的に思える程己の価値観は狂っていた。
  
 急変した戦場。少し遅れる形でそれに気づいた霊夢と望月、そしてレミリアの三者も此方へと駆けつけて来る。
 三者とも満身創痍と云った様子で、博麗は右腕を失い、望月はその博麗に肩を借りなければ歩けない程の容態だった。
  
「あら、お父様。とうとうお亡くなりになってしまったのね」
  
 妹とは間逆の、酷く冷徹な反応だった。これならば、まだフランドールの方が可愛げがある。
  
「自分の父親が死んでるというのに、随分と冷たい反応じゃない? と云うかあの娘が今回の元凶……なんでしょうね」
  
 戦闘を終えた事で、両者の間で何か芽生える物があったのか。いや、端から博麗とレミリアの間には根本的敵対が存在しないのだ。
 博麗は幻想郷の異変を解決する為に此処に居る。レミリアに至っては唯の愉快犯の様なものだ。望月の様子が少し気掛かりではあるが、生きているのだからよしとしよう。
  
「守れなかった家族を、今度は守って死ねたのだから本望だろうさ」
  
 レミリアが下した判断は、果たして正しいのかどうか。その真偽がどうあれ、己の罪が帳消しになる訳ではないが。せめてそうであって欲しいと願ってしまう自身の浅はかさが嫌になる。
  
 フランドールの焦点が、レミリアへと向かう。
  
「ねえ、お姉様? お父様の手は、温かかった?」
「さぁ、覚えていないわ。興味もないし」
  
 両者の間には大きな隔絶があった。事実を知らなければ、とても姉妹には見えなかっただろう。
  
「ふぅん――」
  
 そう、鼻を鳴らすフランドール。
 そして、消える影、襲う衝撃。
  
「なら、近しい物を感じれば思い出すかもしれないわ」
  
 吹き飛ぶレミリアの上半身。吹き荒れる血液の噴水。
  
「この血の様に温かかったかしら?」
  
 この場に居た全員から表情が消え去る。自身が今、どれほど危険な場に立っているのかと云う事を理解したのだろう。
  
 レミリアの身体が紅く霧散。フランドールから距離を置き身体を再構成。
 己の中にあった吸血鬼の序列が狂う。明らかに、フランドール・スカーレットの膂力は、姉のレミリア、父のローレンすらをも凌駕していた。
 状況は最悪だ。全員が全員、共に満身創痍の様相。果たして五人の力を合わせたところでフランドールの力に適うかどうか。
  
「出来損ないの、お人形が、いつの間にそんな手に余る力を覚えたのかしら?」
  
 レミリアの言葉に、フランドールは口角を吊り上げるばかり。
  
 それに対してレミリアは舌打ちを鳴らす。
  
「先の精神的ショックで箍が外れたのか。流石にそれは、吸血鬼の癖に脆過ぎるだろ? いや、あの父にしてこの妹在りと云ったところか」
  
「ふふッ、あはははははははっあははははははははははっはあははははハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッッ!」
  
 言葉を解する知能すらも失ったのか、身の毛の弥立つ様な狂笑が反響する。
  
「――お前も、お前も、お前も、皆、壊れてしまえ」
  
 深い憎悪の色。現状、傷だらけの全員の力を合わせたところで、このフランドールに勝てる見込みなど皆無に等しかった。
















 七章 復讐の螺旋階段の果てより

     少女には四肢と歯がない。
     自身に突き立てる刃を持ち合わせていない。
     そして自身を殺し葬る相手も居なかった。
     自己が放つ絶望の叫びも、希望の問いも、
     他者が放つ無味な言葉も、乾燥の包容も、
     何一つ、最期まで少女を救う事はなかった。

        ミラ・コトーラ「愛の拷問と欠如した想像力。そしてそれに伴う悲劇」



 フランドールから己達の足元へと放たれた子供の身長ほどの直径がある大弾。舞う土煙が視界を潰す。
  
「それに加え、禁術かっ!」
  
 初めて、レミリアの声色から焦りの色が見て取れた。
 それだけで、己達に嫌な予感が走る。
  
 晴れた視界から現れたのは、四人のフランドール・スカーレット。
 とうとう己は正気を失ってしまったのかと思ったが、どうやらそれも違う。そうであって欲しかったが……周りの者たちの反応を伺うにコレは現実の出来事らしい。
 それぞれが狂ったような笑みを浮かべ、紅い口内を曝け出し、蛇のような舌が覗いている。
  
「さあ、生き残るのは誰だッ!? それとも誰も、居なくなるかッ!!」
  
 後方に構えるフランドールから一弾直径一メートル弱の大弾幕が展開。幾十もの鈍重な弾が視界を覆い尽くす。
 その場にいた全員が唯一の逃げ場である上方へと飛翔。
 足元から響く轟音が鼓膜を震わす。
 当然のように上方で待ち受けていた第二、第三のフランドール。
 天上から降り注ぐ幾重もの紅い柱。
 熱気だけで肌が灼けそうになる感覚。直撃しようものなら苦しむ暇すら与えられず一瞬で蒸発させられるだろう。
 更に振られる横薙ぎの超規模の緋の剣。
 最早敵の攻撃を回避するだけで手一杯で、反撃をする暇が存在しない。
  
 それは今此処に居る全員が感じている事だろう。
  
「なあ博麗、一つ提案があるんだが!」
  
 ルーミアの怒声。会話を交わしている余裕すらないのか、博麗は苛立たしげに答える。
  
「何よ、お喋りをしている余裕はないんだけど!?」
「私があのチビを止めるから、お前は私を止めてくれ」
「どうやってよ!」
「要は、私もアイツと同じ位置に立てばいいんだよな?」
「ルーミア! あんた、死ぬつもりなの!?」
  
 何を話しているのかは分からないが、両者の空気から並々ならぬ提案をルーミアがしたのだと云う事だけは分かった。
  
「どっちにしろこのままじゃ全滅するだけだ。なら私の命を賭してでも――って云うのは冗談でな。私は、博麗、お前になら殺されても構わないって思ってんだ」
  
 そう自嘲するルーミア。降り注ぐ死の弾幕の豪雨を、十字架の長剣で弾いていく。
  
「どっちにしたって、本気を出したあんたを抑え込むだけの力量はあたしにもない。待ってるのは、あたしとあんたが共倒れっていう未来だけ」
「――本望じゃないか」
「ま、あたしの老い先も長くはない……どうせなら、あんたと一緒に散るのも、悪くはない、か」
  
 ルーミアが笑い、博麗もまた笑う。どうやら、結論が出たらしい。
  
「博麗はもともと“そういうもの”だからね」
「だったら、私一人で本体ともう一人分相手をしよう。お前らは四人で二人を相手にしてくれりゃ良い」
「酷く男前だな!」
「話しかけるな、と云いたいところだが、今だけは見逃してやる。最後までお互いがもし生きてたら、私がお前を殺してやるから安心しておけ!」
「楽しみにしてるさ」
  
 ルーミアが、襟元で結んでいた紅い蝶ネクタイを解く。
 爆発的に膨れ上がる妖力。己はルーミアに対し初見で強大な妖怪だと悟る事が出来なかった理由を知る。あの蝶ネクタイはルーミアの妖力を制御する為の装置だったのだ。思えば、ルーミアは己の前で大きな妖術を使用していない。
  
 だが……わざわざ自身の妖力の制御を外部装置に頼らなくてはならないと云う事は、その妖力はルーミア自身にすら御す事のできない“力”である事を示していた。
  
 肌が灼け、気分が悪くなるような妖力を、永続的に放ち続けている。己達は、その妖力の側に居るだけで、猛火の前に立たされている様な気分だった。
 ルーミアはフランへと突進を仕掛ける。己の動体視力では到底捉えきれない恐るべき速度。
 フランは反射的にその手を握り締め、ルーミアの身体を潰そうとする。が、やはり的を捉えなくては技も安定しないのか、四散したのはルーミアの右肘から先だけだった。
 残る左腕が、フランの首元を掴み、締め上げる。
  
「ガ……ッ」
  
 だが、ルーミアの動きが停止した事により、フランの攻撃がルーミアを襲う。フランが手を握ると、ルーミアの胸部が破裂。血飛沫がフランへと降り掛かる。しかし、ルーミアの手はフランの首を絞め続ける。
 脛骨が握り潰される音が妙に鮮明に鼓膜を揺らす。ルーミアはそのままもう迫り来るもう一人のフランへ対峙。何をするのかと思いきや、左手で握り締めていたフランの身体を大槌の様に振り回す。フランの胴と胴が激しく衝突。弾かれるようにして吹き飛ばされたフランの身体へ、手にしていたフランを投擲。其処へトドメとばかりに闇色の弾丸を放つ。胴を丸々飲み込む大きさのそれは、二人のフランドールの胴を纏めて飲み込み圧搾。しかし、発生する血肉の欠片すら、闇は飲み込んでいく。自身の表面に触れた物を、貪欲に飲み込んでいく死の球体だった。
  
 と、いつまでも悠長に観戦を決め込んでいる訳にはいかない。己は目の前に迫るもう一人のフランの相手をせねばならなかった。
 戦闘力は本体に比べると聊か劣っているようだが、今の己にしてみれば誰が相手でも大差ない。それに加え、隣に立っているのが――
  
「何だ? 私では不満か?」
  
 どうしてよりにもよってコイツなのだ。
  
「いや、光栄極まりないと思っていたところだ」
  
 この戦闘も、見方を変えればスカーレットの姉妹喧嘩だと呼ぶ事も出来るのかもしれない。……そんな微笑ましい呼び名が似合わない事だけは確かだが。
  
「ああ、弁えているじゃないか。コレが終ったら紅魔館の執事として雇ってやろう」  
「遠慮しておく――さッ!」
  
 意識が朦朧としてくる。飛行は今にも落下しそうな程に安定感がない。果ては、『今直ぐ死んでしまえば楽になれるのではないか』と己の中の悪魔が囁き出す始末だった。
  
 降り注ぐ紅の弾幕を刃で反射、更に半霊が意趣返しに弾幕を放つ。だが密度が違い過ぎる。吸血鬼の底なしの妖力に、己の枯渇気味の妖力が適う筈もないのだ。己と半霊は防御を明らめ、意識を回避へと移す。
 視界の隅で望月達が同様に苦戦を強いられているのが映る。
 レミリアが頭上へと<スピア・ザ・グングニル>を投擲。何所にそんな力が残されているのかは不明だが、顔色を伺うに先ほどまでの既に余裕は存在しなかった。
 魔槍の直撃を食らっては流石に一溜まりもないのか、フランは大きく飛翔しそれを回避。
  
「レミリア! 貴様、さっきアレが禁術と云っていたな? どうすればあの術は止まるんだ!」
「時間が経つか死傷を与えれば直ぐに消えるさ。問題ない」
「ちなみに、前者はどれくらいの時間がかかる?」
「さぁ、それが分かったら、最早それは禁術じゃないさ。きっと、長くても二時間くらいだろうが」
「面白いが笑えない。では、さっさと仕留めるしかないだろ!」
  
 己とレミリアは左右に分かれフランを挟み討ちにする。
 どうやら、分身は弾幕と近接格闘以外のスキルを持ち合わせていないらしく、遠方からの弾幕か、近方からの格闘しか行ってこない。
  
 いや、まだ分身と云う存在に、自身すらも慣れていないだけなのかもしれないが、どちらにしろ、やるべき事は変わらない。
 僅かだが、此方にも勝ち目はまだ残されている。
  
 ――直ぐに、楽にしてやるさ。
  
 失神寸前の身体。疲弊仕切った精神。必要最低限の術式しか使えない現状。兎に角、近接戦による手数で勝るしか勝機はない。
 鈍重な大弾を、真一文字に一刀両断。金属が削れ合う不快な音を立てつつ、弾が消滅。己は左側から白刃を振り下ろす。
 掲げられた左腕に刃が触れるか触れないかと云う瀬戸際で、再びフランドールは左手を握る。
 弾ける様にして、己の右手首が破裂。痛みで全身が硬直仕掛けるが、意地でも刃を下ろし切る! 地へと落下していく己の右手首とフランの左前腕部。
 そして追撃を諦め大きく距離を取る。
  
 利き腕を失ったのは大きいが、刃を交える事で分かった事がある。
 本体もそうだったが、フランドールは防御への妖力の割き方がなっていない。まだ力の制御に慣れ切っていないせいなのだろうか。妖力を纏わせぬままの、素の楼散剣の一刀で腕を切断出来たのが良い例だ。
  
 更に右方からレミリアの追撃。彼女もまた先の戦闘で妖力を使い果たしたのか、動きにキレがない。
 先のグングニルの槍は、完全に見栄によるハッタリだったのだろう。彼女らしいと云えばらしいと思う。
 片腕での戦闘は不利と判断したフランドールが逃走を謀る。周囲へと無作為にばら撒かれる妖力弾。やはりフランドールは他の吸血鬼に比べ再生速度が緩やかだ。それにしたって化物には変わりないが、切断から十秒程経った今でも再生は手首の手前程。
  
 時計塔へと飛翔するフランドールを追う己とレミリア。
  
「無駄撃ちを控える為とは云え、牽制すら行えない半霊は本当にただの弾避けにしかならないな」
「莫迦みたいに術式を連発した挙句にぶっ倒れるような軟弱者には云われたくねぇよ」
  
 時計塔の壁面へと着地したフランドール。残る右手を握り、壁面を破壊。
  
 有機物無機物問わず、フランドールが望むものであれば何だって壊す事が可能なのか。あの力を見極めない事には、安易に近付く事すら許されないな。
 壁面に空いた穴を潜り、己達も中へと続く。
  
 当然だが、尖塔とは全く違った作りの時計塔。四角の螺旋を描く階段。梁や歯車が幾何学的に張り巡らせられた内部は、それだけで見る者を圧倒する。
 一体何がどうなっているのか、傍目からは理解も出来ない。
  
 頭上から降り注ぐフランドールの急襲を、左手に構えた楼散剣で受け止める。それに対し、刃の上で逆立ちをするような奇妙な形で停止したフランドール。其処へ、レミリアの豪腕が振られる。対するフランは腕の力だけで体を跳ねさせ、レミリアの腕を回避。ニヤリと歪む口元。宙で握られる両手。
 慌ててその場から飛翔するが、一歩遅れ、次は右足首が破裂。レミリアも同様に、力を食らったのか、両羽根の付け根から千切れかかっていた。
  
 これで両足と右腕が使用不可能となった。移動手段は飛行による滑空のみ。この状況で踏ん張りが効かないのは厳しい。
  
 それに加え、能力に制限がある為なのか、それとも己達を甚振っているつもりなのか、敵の能力の上限をいまいち掴む事が出来ない。
  
 フランの跳ねた体が頭上で交差する梁を掴み取り、振り子運動。半霊が梁に向けて、なけなしの霊力で練り上げた<未生の光>による光線を射出。一瞬前までフランドールが居た空間を光が通過していく。
  
「何所狙ってるのよ!」
  
 文句を云いつつ、上空へと向かうフランを追走するレミリア。
  
 ……その台詞、何度吐けば気が済むのだろうな。
  
 だが、上空から降り注ぐのはフランドールが放つ弾幕ではなく、時計塔を構成する歯車の破片だった。何所までも直進を続ける<未生の光>の刃が、フランが掴んでいた梁だけではなく、その上空に位置する梁と歯車、捩子や鉄の棒を切断していた。支えと均衡を失った精密機械が、轟音を立て崩落。その歯車の落石は、先頭を飛んでいたフランドールを一番に襲う。
 だが、フランドールは手を握る動作をするだけで、自身の身長を優に超える大きさを持つ落石を破砕。自身へと降り注ぐ破片を、尽く撃ち落としていく。
 己はこの戦いに終止符を打つべく、最後の力を振り絞り全力飛翔。
  
 フランドールの全てを壊す能力の限界、何が壊せて何が壊せないのか、使用出来る距離は、硬度は、強度は、その他諸々が不明だったが、分かる事が一つだけある。その手を握った回数しか物を壊せないと云う事だ。
  
  
 ならば、両手では足りない数の物量の攻撃をフランへと放ってやればいい。
  
  
 粉々に砕け、礫や砂塵状になった鉄片達を左右に飛翔する事で回避。両足から倒懸の痛み、腹部からは血が滲み、口からは血泡が吐き出される。
 霞む視界の中、ただ、フランドールだけに焦点を合わせ、楼散剣を、ただ、真っすぐに構える。
  
 緩やかな時の流れ。
  
 フランの真下から、己は楼散剣を突き出した。
  
 落石と白刃の板挟みに合ったフランドール。
  
 童女の物と大差ない、柔らかな下腹部の皮膚。
  
 その柔肌を、刃の切っ先が裂いていく感覚が痺れた手を通して有り有りと伝わって来る。
  
 更に、脂肪、筋肉、内臓を貫通。
  
 深々と突き刺さった刀身を伝って、破瓜の血が流れ落ちる。
  
 苦痛に歪む少女の表情。
  
 背中から飛び出した刃の切先。
  
 背中の傷口から、押し出される様にして鮮血が吹き出す。
  
 反撃に移ろうとするフランドールの姿。
  
 だが、既に、全てが、終了していた。
  
 落石を囮に、己が刃でトドメを刺す――フリをして本命は別にある。
 あくまで、己が囮であり、今も尚降り注ぐ落石が本命の一撃なのだ。
 そして、其処へ、更に降り注ぐ歯車がフランの上半身へと激突。
 衝撃に、少女の肩甲骨から肩にかけてが弾け飛ぶ。
 千切れかかった右腕が、己の眼に鮮明に映る。
 フランの身体は、真下に居た己の身体を巻き込む形で落下していく。
  
「クソ――ッ」
  
 最早、フランの身体と落石を避けられるだけの体力すら残っていない。
  
 迫りくる下方の空回りを続ける歯車。秒読みで近付く死。
  
 案外、お似合いの末路なのではないかと、思わない事もない。
  
  
  
 其処へ訪れる衝撃。
  
  
  
 真下からではなく、真横からの。
  
 己は半霊に空中で体当たりをされる事で、死線から外れていた。だが、己の代わりに落石に巻き込まれた半霊が――
 
「己は、お前の分まできちんと生きてやるからな」
「勝手に殺すな。糞が」
「お前はもう死んいるだろうが」
  
 半霊に支えられるようにして中に浮かぶ己。今度からは半霊に腰をかけて移動すると云うのもありか。
  
「なしだ、なし。あそこに落して殺すぞ」
  
 果実を思い切り踏みつけた様な、何かの表面がプツリと弾け、中の液体が弾けた様な音。
 フランドールの上半身は上下から迫る歯車同士に潰され、文字通り跡形もなく血霧となって霧散していった。残された下半身も、下方の歯車の回りに巻き込まれ挽肉に。余りにも呆気ない最後だった。
  
 蝙蝠化や霧化、そして再生能力。
 これらを始めとする、吸血鬼特有の能力を、フランドールがまだ使い熟せていなかったからこその辛勝だった。
 もし、彼女がローレンやレミリアの様に能力を行使していたら……。きっと、己達が万全を尽くし、全力を出し切れたとて勝てる見込みなど存在しなかった。
 それほどまでに、あの“全てを破壊する能力”と吸血鬼の能力は相性が良すぎるのだ。仮に、全てが整っていてしまった場合、彼女は文字通りの“史上最悪の化物”になっていただろう。
  
 再び、眼下の惨殺死体を模した人形を見下ろす。
  
 ……あれが彼女の本体ではなく、本体の生死に関わらない分身なのだと分かっていても、気分が悪くなる光景だ。
  
 正確には己が彼女を“殺した”訳ではないと頭では理解していても、堪え切れない死の感触が己を襲う。
 鮮明に罪を脳裏に灼き付け、鮮烈に罰で精神を灼き尽くす。
 許されざる咎を背負い続け、その重みで死する日を己は待ちわびる。
  
 瓦礫が接触し合い奏でる無骨な騒音と、少女の甲高い悲鳴が己の意識を現実へと引き戻す。
  
「……それで、レミリア。貴様は何をしているんだ?」
  
 己の上方、落石を避けるのに必死で、右往左往飛び回るレミリアの姿。
  
「お前が私に何をするのか告げないのが悪い! 早く私を助けろ!」
「いや……お前もこっちに来ればいいだろう」
  
 螺旋階段が屋根の役割を果たして、階段の上に立っているだけで落石は避けられる筈なのだが……疲労で頭がまともに働いていないのだろうか。
  
 取り敢えず、遊んでいる暇はないから早い事時計台から脱出しよう。
 半霊が己の体重を支えつつ、時計台の外へ向かう。








 縦横構わず立体的に飛来して来る弾幕を回避しながら、叫ぶ。
  
「博麗さん、私、もう満身創痍なので、後は任せましたー!」
  
 身体が重いというだけではなく、思考回路がまともな働きをしようとしない。
 半ば無意識的に弾幕を回避していくが、いつ意識が途切れ体を持っていかれるか分かったものではない。
  
「ちょっと、あたしはこの後にもまだ相手しなくちゃならない化物が居るんだけど!」
  
 同じく、弾幕を回避しながら叫ぶ博麗の巫女。彼女もまた、片腕がもげていたり、巫女装束に血が滲み紅白の均衡が紅に偏ってしまっていたり。端から見ているだけで危機的状況なのは分かり切っていた。
 だけど、正直、他人を気遣っている余裕なんて存在しない。
  
「一人も、二人もそんなに変わらないですよ」
「だったらあんたが両方相手にしなさいよ!」
  
 どうして私は戦闘中にこんな軽口を叩いているのだろう。多分妖忌さんの影響だ。それも悪い影響だ。
  
 高速で翔る大弾を回避、反撃のナイフを投擲するが更に飛来して来る妖力弾に巻き込まれ消失。
  
 と云うか、私はそもそもレミリアと戦いに来た筈なのに、どうしてこうなってしまったのだろうと思ってしまう。
 命の危機だから戦うけど、戦っても戦わなくても死にそうなのはどうなんだ。
  
 其処へ飛翔して来た緑色の第三者ならぬ第四者。
  
「大変そうですねぇ。助太刀致しましょうか?」
  
 チャイナドレスを着こんだ例の門番だった。一人だけ余裕綽々と云った態度の彼女は、この戦場の中で酷く浮いていた。多分、何処に立っていてもそれなりに浮いてしまうのが彼女なのだと思う。
  
「貴女、門番って事はあの娘は貴女の主なんでしょ? 歯向うような事していいの?」
  
 私の疑問に、門番は飄々と答える。
  
「歯向う訳ではありませんよ。正気を失った妹様に、少しだけお灸を据えるだけです。女の子に復讐なんて、似合わないにも程がありますから」
  
 この場に居る誰よりも、臭い台詞が似合う女性だった。その凛とした佇まいに、私は少し見惚れそうになってしまう。
  
「ま、貴方がたの答えなんて関係なく、私は妹様を止めなくてはならないんですがね」
  
 正直、私も博麗も殆ど死に体のような様相だったのでこれ以上有難い申し出も存在しない。
  
「それじゃあ、この場は任せたわ!」
  
 私よりも先に返事を寄越し、地上へと降下していく博麗。
  
「あ、ちょっと――」
  
 私の制止の声など聞く耳持たずだ。しかし、彼女はサボっている訳では無く、札や方陣を地に描いている。何かの準備なのだろうか。
  
「さて、望月さんでしたっけ? 行きましょうか!」
  
 門番は私の返答を待たず、フランドールへと飛翔。
 相変わらず、他人の話を聞こうとしない方々だった。深い息が漏れる。紅魔館と云う場で門番をやっているくらいだ。彼女もまた、何所かが、狂っているのかもしれない。
 門番は勢い良く、正面から飛来して来る大弾へと突っ込んでいく。
 轟く大音響と迸る閃光。そんな光景に私は思わず目を覆いそうになる。
 だが、私が予想していたような悲劇は訪れず、門番は正拳突をもってして、妖力の塊である大弾を打ち砕いていた。
 思わぬ闖入者に、フランドールの表情から笑みが消える。吸血鬼は、右腕を掲げ、その手を握り締める。妖忌とレミリアを襲ったあの奇妙な技だった。
 転瞬、門番の腹部が過去の二人と同様に破裂。球形に刳り抜かれた腹筋と内臓。穴が開いた内臓から血と糞便が零れ落ちる。
  
「何処でそんな技、覚えたんですかね、妹様は」
  
 腹部の損傷を物ともせず、勢いを留めず飛翔を続ける門番。
 自身の異能に、精神が揺るがない存在を前に、初めてフランドールの表情が恐怖に歪んだ。無作為に握られる両の手。狙いが定まらないせいか、明後日の方向の空間が歪み、景色が崩壊する。
 最後まで速度を緩めず突っ切った門番の鋭い右手の刺突が吸血鬼の腹部へと吸い込まれる。更に、水月へと左の掌底が打ち出され苦痛と呼吸困難に、吸血鬼が喘ぐ。次いで顎、額と流れる様な動作で急所を突いていく門番。人体急所を突かれ一時停止した体機能、体が動き出すまでの僅かな隙に次の拳を繰り出す。吸血鬼達が繰り出す暴力による近接戦とは対極をなす、一切の無駄を省いた、一種の美しさすら感じされる体術だった。
 しかし、人体急所を攻めるだけでは吸血鬼を仕留めきる事など到底出来ない。
  
 ……あの門番はもしかたら、フランドールを傷付けない様にしているの?
  
 だとしたらとんだ茶番だ。そんな余裕など、どこにも残されていないと云うのに。
  もし本当に、そんな無茶を押し通そうとしているのだとしたら、あの門番はただの阿呆か、“相当のお人好し”と云う事だろう。
  
 門番の突きで、大きく後方へと吹き飛んでいくフランの矮躯。門番が吸血鬼へと距離を詰める一瞬の隙、不完全な体制のまま吸血鬼は門番を睨み付け、その手を握る。
  
 破裂するのは、門番の右目を中心とした顔面部。眼球と右脳の欠片が脳漿と共に散っていく。門番も人妖の類である為、その程度で絶命する程脆い存在ではないが、一時的に前進の動きが硬直。
 其処へ吸血鬼がここぞとばかりに襲いかかる。脳が損傷した為、飛翔速度の慣性に任せフランへと突っ込む門番の姿。
 勢いを乗せた膝蹴りが門番の顎を撃ち抜き、頭部が大きく後方へと揺り動かされる。再生が済んでいない頭部の傷口から、血液と脳漿が飛び出す。
 更に吸血鬼は、そのまま膝を伸ばす事で門番の腹部を蹴り上げる。
  
 相変わらず吸血鬼が扱うのは、少しでも武術の心得があるものならば眼を覆いたくなる様な、酷い格闘術だった。そんな無茶苦茶が攻撃として成り立ってしまっているのは、偏に吸血鬼の膂力のお陰だ。
  
 吸血鬼と門番の戦闘に瀕死の私が介入したところで、邪魔にしかならないと自身に云い聞かせていたが、そうも云ってられないようだった。
  
 吸血鬼の蹴りが直撃した体が大きく浮き上がり、無防備な全身を晒す。其処へ、吸血鬼が両の手を握り合わせ槌状にした腕を振り下ろす――
 だが、必殺の槌は直撃には至らず、代わりに剣戟の音が反響する。時間停止をかける事で何とか間に合った。両者の間に飛翔した私は、交差させたナイフで吸血鬼の振り下ろした拳を受けていた。
 軋む全身。筋肉が弾けそうになる。爆撃を受けた右半身の痛覚は既に麻痺している。だが、残る左半身の激痛だけで、軽く意識を失いかける。
 殺し切れなかった勢い、地上へと落下する私の体。落下とは逆方向へと飛翔する事で、勢いを殺すが、その隙に吸血鬼の二撃目が門番を襲おうとしていた。
  
 だが、その攻撃も門番へと当たる事は無かった。
  
「ヒーローは遅れてやってくるって――ねっ!」
  
 五色の光弾が吸血鬼へと飛来。そのうち二発が握り合わせていた両の手首と腹部に命中。振り上げていた腕に命中した紅の弾が手首を円状に灼き切り、腹部に命中した黄の弾が吸血鬼の身体を大きく吹き飛ばす。
  
 地上に小細工を施していた博麗が、いつの間にか戻って来ていた。
 しかし、治癒術式をかけている暇はなかったのか、全身が傷だらけ、顔色が最悪だ。
  
「内職は終ったんですかー!」
  
 結局、勢いを殺し切れず、地へと落下した私。
 何とか、地上に背中が触れるまでに勢いを殺し切れた。だが、指一本と云わないまでも、腕は上がらないと云った有り様だ。
  
「終わったわよ! 後はあいつを片付けて、エンディングを迎えるだけ」
  
 博麗が私と話している間にも、残る三発の光弾が吸血鬼をしつこく追尾。必中の弾との追いかけっこを続けていた。
  
「あんまり力は使いたくないんだけど……」
  
 全力でフランへと飛翔する博麗。光弾と博麗が吸血鬼を挟み込む形となる。
  
「これ位なら――ッ」
  
 博麗が出現させる結界は、立体ではなく面を描いた。自身の前に展開された巨大な壁。可視の結界が目前に出現、吸血鬼は慌てて方向転換をするが、一瞬遅い。制止が効かず、結界に触れた吸血鬼の右腕が指先から炎上、更に斥力が働いたのか、弾かれるようにして肘関節が破砕される音と共に逆方向へと折れ曲がる。
 だが、働いた斥力で勢いを殺し切れたフランが追尾弾を避ける為に急降下。
 しかし、背後から付いて来ている筈の光弾が、何故か吸血鬼の目前に迫っていた。
 爆発的に迸る閃耀。吸血鬼の口から光弾との正面衝突で苦鳴が漏れる。次いで訪れる二発の光弾が背に命中。
 四発の追尾弾の中に混ざっていた一発の操作弾。その特異な軌道に気付けなかったのがフランの敗因だった。両腕を失い、全身のバランスを崩した吸血鬼の落下。
 落下する吸血鬼の体を、全負傷を再生し終えた門番が空中で抱きかかえる。そして、その首を手刀で斬り落とした。
 激痛に苛まれる身体から、一瞬でも早く精神を楽にしてあげる為だろう。門番の表情は悲痛に歪んでいた。吹き飛びそうになる首を慌ててキャッチし、門番は地上へと吸血鬼の体を横たわらせた。
 力尽きた私の身体。起き上がれる事など到底出来そうにないため、諦めて横になったまま門番に話しかける。
  
「……優しいんですね」
  
 分身と云う者がどのような存在なのかは私には分らないが、完全にフランドールという吸血鬼から切り離された存在ではないのだろう。
 この分身もまた、悲しみ、怒り、私達へと向かって来たのだ。
  
「まぁ、妹様も被害者ですからね。私は一部始終しか見ていませんが」
「妖忌さんを恨んでいますか?」
  
 無意味な問い――それも、私が発するべきではない問いだ。分かっていても、訊ねずにはいられなかった。
  
「そりゃあ、どちらかと云えば負の感情の方が大きいのは確かですがね。恨んでいるって程じゃありませんよ。彼だって、無意味な殺生をする程愚かではないでしょう? 生き残る為に、最善を尽くした結果に過ぎませんから」
  
 門番の言葉に私は頷く。
  
 相手を殺そうとすると云う事は、同時に相手に殺される可能性があると云う事。その責任は、勝者と敗者の両者が共に分かち合うべきなのだ。
 戦場に立った瞬間から、生物は生き残る事のみを考えれば良い。其処に余計な感情を交えるのは、即、死因に繋がるのだから。
 例え、彼がどのような手段を使ったのだとしても、私達は――戦闘を行う者は彼を否定する事は出来ない。
  
 同じく戦闘を終えたらしい妖忌達が、時計塔から出てくる姿が見えた――








 外へと出た己達を待っていたのは、死闘の果てだった。
 前言通り、一人で分身と本体を相手にしていたルーミア。
 博麗は辛うじて立ってはいるが、望月の方は仰向けにぶっ倒れ、空を仰いでいた。意識はあるようだが、このまま放置しておけば命に関わるのではないだろうか。
 その横には、何故か門番の姿がある。どうやら、彼女が助太刀してくれたようだ。
  
 己は、ルーミアへと視線を移す。
 分身は排除し終えたのか、既に一対一の戦闘となっていた。
 その戦闘も、己達が手を貸す必要は無さそうだ。
 大きく肩を揺らしながら、喘ぐフランドールの姿。己が云うのも難だが、酷く痛ましい姿だった。
 霞む視界の中、己はせめて最後まで彼女の姿を見届けようと、倒れそうになる身体を楼散剣で支える。
  
 まだ、倒れる訳にはいかなかった。
  
 ルーミアが生み出した巨大な球体の闇。それは、ローレンを巻き込んだ物よりも深く、恐ろしい。
 そして、その闇はフランドールだけでなく術者であるルーミアまでをも飲み込んでいく。
 何が起きているのか、当事者である二人にしか分からない。そして、その闇は数秒と経たない内に霧散していった。
 晴れた闇の向こう側には、年相応の幼子のように、ルーミアの腕の中で眠るフランドールの姿があった。
  
 ……終わった。
  
 長かった吸血鬼達との戦い。レミリアとローレン、フランとの連戦がとうとう幕を下ろしたのだ。
 フランドールを殺めずに、戦闘不能と云う形で終わらせたのは、ルーミアの余裕の現れか、それとも己への当て付けか。
 しかし、有り難いとも思う。
 フランが生き残ってくれて良かった、と。
  
 だが、最後にもう一つ、大きな問題が残っている。
 妖力の制御――自制が効かなくなったルーミアと云う化物が。
  
 ルーミアの身体が大きく震える。フランドールの体を、門番へと投げつける。門番はそれを何とか受け止める。
 きっと、辛うじて意識は残っているのだろう。その驚異的な意志の強さが、フランドールを生かしたのだ。しかし、彼女が意識を失い、“ただの妖怪”と化すのは時間の問題だろう。
 あの妖力の量は、到底一個人に扱えきれる量ではない。
  
 ――妖力に操られ、道具に使われる者、か。
  
 規格外の力は、時として使う者を狂わせるものだ。
  
 一体何をすれば、あそこまでの力を手に入れられるのか。
 もしかしたら、一年前、射命丸の云っていた事件が関わっているのかもしれない。
 だが、それは、己には関係のないこと。
 きっと、ルーミアと博麗さえ知っていれば良い。
  
 ルーミアの眼には既にかつての様な色は存在しない。ただ、妖怪の矜持に則り、人間を食らうだけの存在。狂気をその身に宿したルーミアの姿。
  
 だが、既に博麗は全ての準備を終えていた。ルーミアに向かって飛翔する瀕死の巫女。
 途端、地へと設置されていた札が互いに結び合い、四重結界を構築する。
 更に其処へ、博麗が霊力を練り上げて作り上げた結界が重なり、合計で六重の結界がルーミアを束縛。
 ルーミアが自身の命を投げ捨てる決意をした瞬間から、この準備をしていたのだろう。あのルーミアが、指先一つ動かせず、ただただ宙に固定されていた。
 陰陽道については詳しくは分らないが、アレはただルーミアを倒すだけの術式には見えない。例えるなら、封印や、それに近いなにかのような。素人目には完全に、彼女が何をしようとしているのか理解出来ない。
  
 結界の中へと、博麗が進む。
 博麗が口を動かすが、外と内では完全に世界が遮断されているのか、何を云っているのかは微かにしか分からない。
  
「ルーミア。なかなか良い姿じゃないの」
  
 笑う博麗。ルーミアはまだ辛うじて自我が残っているのか、それとも博麗の結界の効果なのか、その言葉に対し笑ってみせる。
  
「なあ……っ、博麗、さっさ、と、済ませてくれよ」
「ああ。一想いに楽にしてやるさ。一瞬で、楽にな」
  
 擦れた声。喉から溢れる血を、しかし吐き出す事をせず、飲み込む博麗。
  
 倒れそうになる身体を支えようとするが、しかし前のめりに倒れこむ彼女の身体。眼前のルーミアに寄り掛かる様にして、辛うじて転倒を防ぐ。
  
「お前の事、嫌いじゃなかったぞ。なぁ、     」
  
 囁くようなルーミアの呼び声。
 きっとその呼び名は、博麗にしか聞こえなかったのだろう。同時に、博麗にしか意味のない呼び名。
 博麗が最後の力を振り絞り、腕を振るうと、結界が二人を押し潰す様にして、収縮していく。
 己達は、眼を逸らす事が出来ず、ただただその光景を見つめ続ける。
 彼女達、博麗とルーミア、二人で完成仕切った、歪で、美しい世界を。
  
  
  
 最後に残ったのは、靡く金糸と赤い布――――――
 それは泡沫の夢のような光景だった。
  
  
  
 いや、もしかしたら、既に己は幻覚を見ているのかもしれないとすら思う。
  
 それらが等しく滲み、景色へと溶け込むようにして見えなくなっていく。
  
 眩む眼前、暗転する視界。
  
 己は息を吐く。当然の様に口から吐き出される血液。
  
 体が重い。四肢の重石が付けられている様な心地。
  
 いや、頭が重い。脳の代わりに鉛を注ぎ込まれた様な感覚。
  
 身体の重心が狂っていた。
  
 全身が前後と左右に振れる。気持ちが悪い。
  
 瓦礫の山が何故か目前に迫って来る。違う。己が、倒れているのか。
  
 黒く塗り潰された視界。そこで、己の意識は途切れた。
















 八章 境界という名

     ピリオドで物語が終るのは愚かな読者の中だけだ。
     賢明な読者の中では、物語は終る事がない。
     いつまでもいつまでも、人生のピリオドまで続くのだ。

        ミハエル・ローン「貴方という物語の読者」



 揺らぐ紅い世界。それは波のように一定の周期を持って揺らめいていた。
 それは紅い紗幕だった。
 天上は赤く、壁は赤い。何故かシーツまでもが赤く、血を連想させる。
  
 ……己は血を眺め過ぎて色彩感覚が狂ったのか。
  
 もしかしたら、そういう新手の呪なのかもしれない。
 だとしたら、相当厄介な事この上ない。
 何よりも、ストレスで早死にしそうな呪だった。
 身体を起こそうとすると体の節々から激痛。
 その痛みが頭痛を呼び起こし、その動きに体が反応し激痛を呼び覚ますと云う悪循環。そして、その痛みが記憶を呼び覚ましていく。
 己は慌てて右手を、そして両足を探す。
  
「……生えてるな」
  
 迷いの竹林に腕の良い医者――外科、内科に精神科と何でもござれの医者が居座っていると聞いたが、そいつのお陰なのだろうか。流石の望月でも、此処までの事はできないだろうし。そして、四肢が無事なのが分かった御蔭で、落ち着いて辺りを確認する余裕が生まれた。
  
 此処は紅魔館か。どうしてこんな処に己が。そう考えたところで扉が開く。
  
 入って来たのは、望月だった。何故か洋風の給仕服を着込んでいる。
 望月は元からその様な恰好をしていただろうか……。いや、普通の里の人間達が着る様な和服を着ていた筈だ。流石の己も其処まで耄碌していない。
 それに加え、腰元まで伸びていた髪の毛が、肩の長さで切り揃えられ、両サイドの部分だけ三つ編みで纏められている。元から大人びた印象ではあったが、より凛々しくなったように感じる。
  
「望月……か。一体、何がどうなっているんだ?」
  
 ……彼女もまた、重傷を負っていた筈だが。既に身動きを取っていると云う事は己よりは軽傷だったのか。
  
「妖忌さん。目が覚めたんですね。流石に瓦礫の上に放置しておくのは忍びないからと、レミリア様が美鈴に命令し運んで下さったんですよ」
「なるほど……」
  
 己の身に何が起きたのかは理解出来た。
 出来たのだが、
「その、レミリア様というのは何だ?」
  
 聞き慣れない呼称に、気分が悪くなりそうだった。前後の辻褄が合っていない。全体的に滅茶苦茶、悪い夢を見ている様な気分になって来る。
  
「ああ、実は私この紅魔館でメイドとして雇われる事になりまして」
  
 夢を見ている……訳ではないのだろう。
  
「レミリアは、お前の仇じゃなかったのか?」
  
 己の疑問に、望月は訳が分からないと云った表情をする。
 その顔を見て、俺は訳が分からないと云った表情をしていたのだろう。
  
「だって、お前は、両親をあのレミリアに殺されたと云っていたじゃないか!」思わず語気が激しくなる。
  
 その言葉に、望月はやっと合点がいったとばかりに手を打ち鳴らす。
  
「妖忌さんはそんな勘違いをしていらっしゃったんですね」
「勘違いだって……?」
「ええ。私の両親は確かにレミリアお嬢様に殺されていますが、私はむしろそれに感謝しているんですよ」
  
 益々訳が分からなくなってくる。まさか、<魅了>の力で操られているのだろうか。
  
 いや、ヴァンパイアハンターを自称するくらいの彼女が、そんな初歩的なミスをするとも思えない。
 だったら、彼女が云っている事は真実なのか?
  
「私はですね、両親に人ならざる者として育てられたんですよ。時間を操る能力。それを上手く使えば、並の退治人より余程腕が立ちますからね」
「お前は、両親の道具として育てられたのか……?」
  
 それは、余りにも残酷な事実だった。そして、彼女は“それが残酷なのだ”と云う事すら理解出来ないような環境で育ったのだ。特に幻想郷と云う閉鎖的な環境。彼女はレミリアと出会わなければ、一生親の人形としての人生を歩んでいた可能性すらあるのだ。
  
「はい。でも、そんな深刻そうな顔をする事はありませんよ。私は、べつにその事に関しては何とも思っていませんから。むしろ、感謝すらしているんですよ。あの人達のお陰で、こうしてレミリアお嬢様とお逢いする事ができたのですから」
  
 すると、レミリアは望月にとって仇などではなく、その間逆、命の恩人ですらあったという事なのか。
  
「でも、だったらどうしてレミリアを殺そうとしていたんだ!?」
「それは、レミリアお嬢様が私に『私を殺してみせろ』と云ったからです」
「そんな理由で……?」
  
 思わず体から力が抜ける。もし此処がベッドではなかったら、地へと崩れ込んでいたかもしれない。
  
「“そんな”理由ではありません。私にとっては命に代えてでもまっとうすべき任務でした」
「お前にとってはそうでも、己にとっては“そんな”なんだよ! 何だ、己はそんな事の為に命を賭けて戦っていたのか!?」
  
 怒りを通り越して呆れ返ってしまう。先の戦闘で何度己が死にかけた事か。考えただけでゾッとする。
  
「そこにはレミリアお嬢様の“運命を操る能力”が介入していた可能性もありますがね。私にも、そしてお嬢様にもその事実は分からないのです」
「とんだ欠陥能力だな……。そして、益々お前が己を誘った理由が分からなくなったんだが」
  
 レミリアと望月を繋ぐ因縁。其処に己と云う存在は邪魔でしかない。確かに、力関係は拮抗したが、本当にその拮抗は必要だったのかどうか。
  
「理由は単純ですよ。マリアを簡単に殺してしまえる様な実力者を放っておいて、勝手にレミリア様が殺されでもしたら困るじゃないですか」
「つまり、監視の意味もあったんだな……」
「そう云う事です。後は、少しでも強い方が、レミリアお嬢様は喜んで下さると思ったものですから」
  
 己の中途半端な強さが、今回巻き込まれる理由となった事に頭を抱えたくなる。
  
 ――ああ、己は全く楽しくなかったがな。
  
「ところで、もし御身体の調子が宜しければ、お嬢様がお会いしたいそうです」
  
 出来ればこれ以上会話を交わしたくない存在だったが、色々と訊ねたくはならない事がある為、了承する。
  
「ああ。なら早く其処へ連れてってくれ、望月」
  
 身体は痛むが、歩き回れない程ではないだろう。試しにベッドから降りてみると、思っていたよりも体が重く、倒れそうになってしまう。壁に手を付く事で転倒を回避するが、想像より体調が悪い事に気付く。
  
「大丈夫ですか? もう少し休んでいても大丈夫なんですよ?」
「いや、大丈夫だ。だが、杖代わりになるものを貰えるか?」
「畏まりました」
  
 瞬きの間に、室内から消失する望月の姿。そして、数秒後には木製の杖を持った望月が現れる。
  
「これでどうでしょうか」
  
 望月から杖を借り、試しに歩いてみる。
  
 ――何とか歩けるか。
  
「妖忌さんは相変わらずプライドが高いですね」
「男なんて皆そんなものだ。それじゃあ望月、レミリアの処へ案内してくれるか」
「はい。それと、私は望月ではなく“十六夜 咲夜”と云う名前になりましたので、以後宜しくお願いします」
「十六夜 咲夜?」
  
 つい鸚鵡返ししてしまう。
  
「はい。私はレミリアお嬢様と出会った夜が満月だったからと云う理由で前の家名と名を捨て、生まれ変わった自分に“望月”、“満月”と名付けました。ですがそれでは余りに芸がないとの事で、レミリアお嬢様がつけ直してくださいました」
「なるほどな。確かに、望月――いや、十六夜の雰囲気には其方の方が似合っているよ」
「有難うございます」
  
 主に付けられた名を褒められたのが嬉しかったのか、年相応の柔らかい笑みを浮かべる十六夜。
 十六夜の両親には悪いが、やはりコイツがレミリアと出会えたのは僥倖だった。
 己の前を凛として歩む十六夜の姿を見て、そんな事を思った。
  
「そう云えば、この両足の事なんだが――」
「ああ、それは八意 永琳さんが治療してくれたんですよ」
「その八意とは、竹林に居ると云われている?」
「はい。そうみたいです。と云っても、私もその方に治療されたのだと云う事をお嬢様から聞いただけなので、真偽は分りませんが」
  
 ……自身が傷つけた相手を治療しろと云われ、その八意とやらはどう思ったのだろう。多分、訳が分らなかったであろうに。
 そして、その結果として十六夜が仇に仕えているのだから益々意味が分からないだろう。
 話を聞いた己にしても、まだ頭の整理が出来ていないくらいだ。
  
「そうそう、その八意さんですが、お礼は要らないと云っていたそうです」
「そもそも、所在も明らかではないのにお礼も糞もないが、どうしてまたそんな奇特な事を」
「『半人半霊の身体を弄るのは楽しかったから、それがお代と云う事でいい』らしいです」
「……己の体はそいつに何をされたんだ」
  
 急に不安になってきた。








 十六夜に連れられた部屋。真っ赤な廊下に出た時点で嫌な予感はしていたが、やはりこの部屋も赤い壁紙、絨毯、家具で揃えられていた。
 そして、何とも御誂え向きの玉座に腰をかけ頬杖を付いている少女。
 一体何処でそんな物が売っているのだろう。きっと、特注品か何かなのだろうが。センスの悪さが滲み出ていた。
  
「咲夜、連れて来たか」
「はい。お嬢様」
  
 どうやら先の言葉は事実だったらしく、二人の間柄は己が想像していたよりも余程きちんとした主従関係らしかった。此処に妖夢を弟子入りさせた方が良いかもしれない。
  
「ではお前は下れ。少しコイツと話をしたい」
「畏まりました。お飲み物は御持ちしましょうか?」
「いや、要らないさ。そんな雰囲気でもない」
「畏まりました。では、ごゆっくり」
  
 一礼と共に、音もなく部屋から消失する咲夜の姿。どうやら時間停止をかけた上で部屋から出ていったらしい。
  
 ……随分と様になっているのだな。
  
「体の調子はどうだ? 妖忌」
  
 随分と上から目線なのが気にかかったが、己が一命を取り留めたのはコイツのお陰なのだと必死に思い込む事にした。
 だが、己がコイツに敬意を払う理由は存在しない。
  
「おかげ様で、絶好調とは云わないが動き回れる程度には、な。それで話とは何だ? やっぱり仇討ちがしたいから死んでくれとでも?」
「そんな事がしたいのなら、貴様の死体瓦礫の上に放置しておくさ。それだけで見るも無残な死に様になっただろうさ」
  
 想像したくないが、コイツの云う通りだった。
  
「だったら、何の用だ?」
  
 どうせ、碌でもない事を云うのだろうとは思っていたが、吸血鬼が口にしたのは、己の想像を遙かに上回る言葉だった。
  
「妖忌、紅魔館の執事になるつもりはないか?」
「は……?」
  
 吸血鬼の予想外の言動に、己は言葉を失う。
  
 ……そういや、戦闘中もそんな事を云っていたような気がするが。冗談ではなかったのか。
  
「話では貴様は名立たる庭師でもあるらしいではないか? 此処に来る時に見ただろうが、紅魔館の庭は酷い有様でな。住み着いていた吸血鬼達は美的感覚が備わっていないし、妖精メイド達はそもそもそのような作業に向いていないしで、結局放置し続けていたんだ。美鈴は門番の仕事があるし、パチェはそもそも外に出たがらない」
  
 美鈴とはきっと例のチャイナドレスを着た彼女の事だろう。居眠りをしていたくらいだから、庭師の仕事を頼めば喜んでやるとは思うのだが、それを告げてしまうと彼女の今後に関わりそうなので黙っておく事にする。
  
「それで、己に庭師兼従者になって貰いたい、と」
「そうだ」
「流石に、断らせて貰おう」
  
 即答だった。……悩む要素が全く存在しなかった。
  
「何だ? 禍根の事なら気にしなくてもいいぞ。私は両親の死など気にしちゃいないがな」
「お前が良くてもフランが――」
  
 自身の言葉に触発され、蘇る記憶と惨劇。出来ればこのままずっと忘れていたかった、あの光景。
  
 ……それは余りにも図々し過ぎるか。己が背負った咎を、全て捨て去りたいなど。
  
「そう云えば、フランはどうなったんだ!?」
「そんなに心配せずとも、生きているさ」
「そうか……なら、良かった」
  
 思わず安堵のため息が漏れる。彼女が無事で良かった。それは本心だった。ローレンとの間にあった因縁は、どちらかが死ぬまで終らない復讐劇だったが、フランはそのような復讐の螺旋に巻き込まれるべきではない。己がフランに殺されれば、きっと、妖夢が許しはしないだろう。フランにも、妖夢にも、血で血を洗う様な無意味な闘争は似合わない。
  
 ……あのような手段を使って生き残った己が吐ける台詞ではないのだがな。
  
「本当に良かったかどうかは、私には判断付きかねるがな」
「……あの後、どうなったんだ?」
  
 レミリアの様子では、余り歓迎できない出来事が発生したようだった。
  
「ああ、貴様は確かに知っておく必要があるだろうな、妖忌」
  
 己を見つめるレミリアの瞳が、悲哀で歪んだように見えた。それは、己の勘違いだったのだろうか。
  
「フランは五〇〇年近く、地下で幽閉されているのさ」
  
 レミリアが吐く言葉の意味が、理解できなかった。その様な事実は、何処にも存在しない筈だったからだ。
  
「……何を云っている?」
「それが、フランが自分を保つ為に出した回答だったのさ。彼女はあの戦闘の後、夢遊病者の様な足取りで自ら地下へと潜り、咎人用の牢に入り、自ら鍵を閉めた。そして、再び深い深い眠りに就いた」
  
 レミリアの言葉に、己の身体が小さく震える。
  
「“哀れなフランドール・スカーレットは産まれながらにして気を違えていた。そして、産まれ落ちると同時に地下の奥深くへと幽閉される事になった”と云う、設定がフランの頭の中に作られた。当然フランは両親の姿など忘れているだろう。何せ、初めからそんな物は存在していなかったのだから。もしかしたら、私の事すら覚えていないかもしれない」
「それは――」
  
 それが事実だとしたら――

「己は……ッ」
  
 己の言葉を遮り、“口を出すな”指を立てるレミリア。
  
「本当に哀れな人形だ。結局フランは、逃げる事すら出来ず、布団の中で眠る事しか出来なかったんだからな。
 そして妖忌、貴様はその点について責任を感じる事すら許されない。それは欺瞞だ。それは偽善だ。それは罪悪だ。そもそもフランドールは初めから狂っていたのだから。貴様との出会いなど、存在しなかったのだからな」
  
 己は言葉を失って、その場にただただ立ち尽くしていた。
  
「では、再度問うが、紅魔館の執事になるつもりはないか?」
  
 このタイミングで、己に再度その問いを投げかける意味が己には理解出来なかった。
 やはり、この女も何所か捩子が飛んでいるのだろう。
  
 ……己と一緒だ。
  
「……何度聞かれようが答えはノーだ。今の話を聞いて、イエスと心変わりをする人間が居たら、それこそ気が違っている」
「そうか……残念だ。貴様は実に有能な人材だったんだがな。結局、貴様も囚われのフランドールと同じか」
  
 レミリアの最後の言葉が、己の心を突き刺す。
 全ての悲劇の引き金を引いたのが、己自身の指先なのだと云う事実が、己の精神をずたずたに引き裂いていく。
 娘を失った時、感情等と云うものは燃え尽きたとばかり思っていたが、精神と云うのはそう都合よく出来ていないらしい。

 ……だが、今この場で感傷などに浸っている場合ではない。

 それに、幾つか確かめておかなければならない事もある。
 己は自身の体に鞭打つ思いで、レミリアへと質問を投げかける。
  
「そうだ、一つ訊きたい事があるんだが――」
  
 フランドールとの出会いの事を思い出す。
  
「彼女の云っていた、父親へのプレゼントとは何だったんだ?」
「ああ、その事か。と云っても、彼女が叫んでいた事が全てだと思うがね。異変を起こす事で、自分を吸血鬼だと、ローレンの娘なのだと認めて貰いたかったのだろうさ。そんな事なんてせずとも、彼女は可愛らしいスカーレットだったと云うのにね」
「そのプレゼントとやらは、彼女が自分で考え出した事なのか?」
「そう云えば、誰かに教えて貰ったと云っていたな。私はてっきり、同族に吹き込まれたのだと思ったんだが……」
  
 やはり、異変を起こすと云うのはフランの発想ではなかったのか。
 
 すると、彼女にそれを吹き込み、“異変を起こそうとした人物”が居ると云う可能性もある。
  
 しかし……一体誰が?

 そいつはきっと、フランの力があればそれすらも可能だと読んだのだろう。
  
「フランは幻想郷を支配して自分の力を誇示しようとしていたのかもしれないな。あんな規格外の力があったんだ、もしかしたら本当に幻想郷が支配されていた可能性もあったのかもしれない」
「……貴様は何を云っているんだ?」
  
 気の抜けるような、レミリアの声。
  
「フランドールが元からあの様な力を持っていたとでも思ってるのか? それは違うよ。彼女が吸血鬼として完成されていれば、そもそもこんな悲劇は起きていなかっただろうからな」
「どう云う事だ?」

 そこで、己の中で先の“フランはローレンに認めて貰いたかった”と言う言葉が蘇る。
 フランはローレンに吸血鬼だと認められていなかった。
 つまり彼女は――

「彼女は吸血鬼の中では群を抜いて出来損ないだったのさ。有象無象の野良妖怪にすら、昔の彼女は敗北していただろうな」
「……だとしたら、己達が戦ったフランドールは何だったんだ?」

 己の質問を受け、レミリアが思案の表情を取る。
 もしかしたら、レミリアの中でもフランのあの規格外の力は想定外だったのかもしれない。

「いや、前言を撤回しよう。彼女には元々、私やお父様以上の“破壊の素質”があったのかもしれない。
 だが、フランは優し過ぎたからな。自身の破壊と云う性質を受け入れる事が出来なかったのかもしれない。優し過ぎる少女と、破壊しか生み出せない暴力は、相反するものとして互いを殺し合っていた。結果として、情緒が不安定な出来損ないのフランとして、私達の目には映っていたのか」
  
 そして、その“破壊と暴力”を抑えこんでいた“優しさ”がローレンの死を境に壊れてしまった、と。
  
「そう考えると、お父様がフランに冷たく当たっていたのにも理由があるのかもしれないな。父はこの事を分かっていて、フランを守る為に――」
  
 互いが互いを愛していたが故に、傷付け、狂い、崩壊してしまったとでも云うのか?
 だとしたら、悲劇にも程がある。
 そんなもの、誰も救われない。
  
「――過去の“もしかしたら”を語るなんて、私らしくなかった。忘れてくれ。父は母の死の妄執に囚われ、生きている家族を見失っていた。それ以上でも、それ以下でもない」
  
 少しおかしな表現かもしれないが、それがレミリアが己の前で見せた唯一の人間らしい点だった。
 人妖の、精神年齢と肉体年齢は比例すると云う考えがある。何年生きたかと云うのは関係ない。ただ、妖怪達は見た目相応の少女と大差ないのだと云う考え方。もしかしたらレミリアと云う吸血鬼は、ただひたすら背伸びをし続けているだけなのかもしれない。
  
 それこそ、彼女の嫌う“もしかしたら”の話でしかないが。
 しかし、だ。先のレミリアの言葉を総合すると、妙な点にぶち当たる。
  
「レミリア。フランは本当に、あの時の様な力を、前までは使う事ができなかったのか?」
「何だ、怖い顔をして。こんなところで嘘を吐く理由がないだろう。吸血鬼が身内の殺しを隠蔽するとでも思っているのか? むしろ誇りにするさ」
「……そうだろうな。お前も殺しはやっていないのか?」
「ああ、最近は雑魚を甚振るのにも飽きていたし、私はそもそも少食だからな。……そう云えば、フランを虐めていた身内を半殺しにした事はあったが、そんな事を訊きたいのではないだろう?」
「……ああ」
  
 ……だとしたら、射命丸の云っていた連続通り魔――――妖怪、人間殺しの数が明らかに合わない。
  
 ローレンが狙っていたのは己だ。仮に、彼が殺しを行ったとしても、あくまで不慮の事故の様なものであった筈だ。
 最初はルーミアの犯行だと思っていたが、彼女と共闘した今ならそれも有り得ないと分かる。
 博麗が妖怪退治と称して惨殺を行っていた……?
 しかし、その場合、『何故今頃になって?』と云う疑問が付き纏う。
 レミリアでもフランドールでもない。
 いや、己の記憶にある“登場人物”から犯人を見つけ出そうと云う発想そのものが誤りなのか。例えば、他の吸血鬼が犯人である可能性。

 そう云えば、マリア・スカーレットの殺しを、ルーミアが行ったモノと偽装した犯人もまだ分かっていない。
  
 まだ、己を囲う事件は解決に至っていないのか?
  
「もう一つ訊きたい事があるんだが、フランドールと云う家名を持つ吸血鬼の他に、幻想郷には何人かの吸血鬼が居た。そうだな?」
「ああ。どいつもこいつも、誇りも糞もない、流れ者だったがね」
  
 レミリアは顔を顰める。どうやら、同族である事すら恥と感じるような輩達だったらしい。
  
「その強さは、どの程度だったんだ?」
「どうだったかな。全く興味がない存在だったからな」
「そいつらは、マリア・スカーレットと同等の力を持っていたか?」
「それは有り得ないな。良くて野良妖怪よりも腕が立つ程度の詰らない存在だったよ」
  
 だとしたら……ソイツらに妖怪殺しを行うのは難しい、か。
 だとしたら、本当に己とは何の関係もない、妖怪が行った犯行と考えるのが自然、か。
  
「そうか、有難う。参考になった」
「構わないさ。私は貴様を気に入っているからな」
「その好意には応えられそうにないがな。己はそろそろ戻らせて貰うとする」
  
 己は震えそうになる足を、必死に抑え、出口へと歩き出す。
  
「まぁ、貴様であればいつでも歓迎だ。心変わりがあれば、いつでも此処を訪れるといい」
  
 己は、黙って部屋を後にした。








 部屋を出ると同時、己は堪え切れずに吐瀉物を廊下へと撒き散らす。
 苦味と酸味が口内と鼻腔に広がり、食道が裏返ったような激しい痛みが走る。
 激痛が走り続ける全身を酷使し続けた所為でもあったが、何よりもフランドールの話が己の心を深く蝕んでいった。
  
 廊下で待機していたらしい十六夜の驚きの表情。一瞬後には、雑巾とバケツを抱えた十六夜の姿があった。
  
「……すまない、な」
「良いんです。それがきっと、正常な反応ですから」
  
 流石に自身の粗相を他人に押し付ける訳にもいかず、自身が吐き出したものを淡々と処理していく。
 幸い、胃に何も入っていなかった為か、思っていた程の惨事にはなっていなかった。
  
 吐瀉物を処理しながら、事件について考えてしまう。
 先ず、マリアを他者の仕業に見せかけながら殺した犯人。
 次に、幻想郷中の人間、妖怪を惨殺した犯人。
 フランドールに異変を吹き込んだ……これは少し違うだろうか。
 だが、吸血鬼と今回の様々な事件。全く別問題と云う訳でもない。そんな気がした。
  
 バケツへと吐瀉物を処理し終えた時、廊下の隅に転がっている見慣れた<文々。新聞>が目に入る。どうやら慌てていた十六夜が落としたらしい。
 表面をデカデカと飾る文字は、この距離からでも確認する事が出来た。そして、其処には――
  
「おい、望月! その新聞、借りるぞ」
  
 己は形振り構わず、廊下に落ちていた新聞を拾う。
  
「だから、私は十六夜 昨夜ですって」
  
 そんな事はどうでも良かった。今は、この記事を読み切る事が何よりも先決だ。
 記事自体は短いもので、一分とかからない内に読み切る事が出来た。
 だが、己の中で新たな疑惑が浮上する結果となってしまう。
  
「どう云う事だ……? 何故、博麗の巫女がこんなにも早く決まった!」
  
 いや、己が数時間眠っているつもりになっていただけでもしかしたら数日近く眠ってしまっていたのか?
  
「なあ、十六夜。あの戦闘が終了して、どれくらいの時間が経っている?」
  
「二十七時間です」
  
 と云う事は、己達が紅魔館へ攻め込んだ日から二日目の朝と云う事だ。
 そして、博麗が亡くなってから一日しか経っていない。
 やはり、異例の早さだ。余りにも、おかしい。
 博麗の死を予期していた者が幻想郷の中に居るのか?
 だが、先代の巫女が亡くなったのは戦闘の末。それも彼女の意志だ。そこに他者の意志が介入できる隙間など存在しない。
  
 ――本当にそうなのか?
  
 あの場でレミリアの“運命を操る力”が働いていたとしたら……?
 それは現実的ではない、か。
 そもそも、本当に文字通り“運命を操る”事が出来るのだとしたら、こんな事をする意味すらない。
  
 しかし、今は何もかもを疑ってかからなければならないだろう。
  
 思えば、マリア・スカーレットとの戦闘からして、何かがおかしかった。
 彼女は『人間が領土を侵したから、私は応戦しただけだ』と云っていた。己はそれを気が狂れて妙な事を云っているのだと判断したが……もしそれが事実だとしたら? つまり、マリア・スカーレットは事実しか話していなかったとしたらどうなる? 彼女の死は、何者かによって操作されたモノだと云う事にはならないか?
  
 だとしたら、領域と云う概念そのものが既に幻想郷に敷かれた罠だったのだと考える事が出来る。あの時、もしかすると“領域が一時的に引き換えられていた”のかもしれない。突拍子もない考えだが、一人だけその無理難題を突破出来る人妖がいる。その境界を引いた人妖、犯人は一人しか有り得ない。
  
 つまりだ。幻想郷の規律に則りつつ――幻想郷の住民達が満場一致でマリアの死を望むという形で――マリアを殺す事が出来れば良かったのだ。それに加え、己の“マリアにトドメを刺し忘れた”というヘマが黙認されていたのにも何か理由がある。己以外の存在が、マリアにトドメを刺した。そしてそれを他者の仕業だと“ローレンに思わせる”為の自作自演。そして、その“犯人”に選ばれたのが“ルーミア”だ。
  
 ……本当の元凶が分かってしまえば、後はその利益を考えればおのずと答えが出てくる。
  
 幻想郷にとって脅威だったのは“強力な吸血鬼の集団”と“楽園の脅かす力を持つルーミア”そして“八雲を疑う先代の博麗の巫女”だ。
  
 そして、今回の異変で、三者が全て力を失う結果となった。
 自身が思い至った“解答”に吐き気を催す。長い人生の中今まで感じた事のない、最低最悪の気分だった。
  
「十六夜! 悪いが急用が出来た。他に用事があったら、後で知らせてくれ!」
  
 そう云い残し、己は玄関へと駆ける。全身が悲鳴を上げるが、そんな事を気にしている場合ではない。己は今直ぐにでもヤツの元へと向かわなくてはならない。








 神社の鳥居を潜り、石畳が奇麗に敷かれた参道を進む。入って直ぐ前方に拝殿。賽銭箱と本坪鈴と云ういかにもは配置。
 正面には目当ての人物の姿は無かった。そもそも、此処に居ると云う確信はい。あくまで予想。ヤツなら此処で己を待っているのではないかと云う、期待にも似た何か。
 右回りで本殿の裏手へと回る。
  
 思いの外あっさりと、己は目当ての人物を発見する。
 裏手に広がる庭の様な空間に、八雲紫と巫女装束の少女の姿があった。
  
 八雲の姿に激昂しかける感情を、半ば無理矢理自制する。此処で己が激怒したところで、何もかもが手遅れなのだと云う事だけは、ありありと解ってしまったから。
 走って来た己を見つめる少女と目が合う。一切の温度が存在しない黒曜石の眼
  
“余りにも冷たい”
  
 それが、妖忌の少女に抱いた感想だった。
  
「八雲、一体貴様は何を企んでいるんだ?」
  
 そっと柄に手を触れる。掌に馴染むこの感覚。
  
「返答次第では、此処で貴様を斬り殺す事になるが」
「止めなさい、妖忌。霊夢が驚いているじゃない」
  
 八雲はそう云うが、己の目にはコイツが怖がっているようにはとても見えなかった。己の心を見透かすような視線で、己を見つめ続けていた。正直、気味が悪い。
 まるで、其処に居る筈なのに其処に居ない様な、妙な感覚。
  
「霊夢。私はこの人と少しお話があるから、向こうで暇を潰していて貰える?」
  
 返事はなく、無言の首肯。そして少女は己達に背を向け、神社の表側へと向かって歩いていく。
 八雲の氷点下の眼差しが、己を貫く。
  
「それに、自身が生き残る為だけに娘を盾にその親を殺した貴方に、私を責める事はできないのではなくて? それとも、お前を殺して己も死ぬとでも云ってみる? 似合わないわよ」
  
 言葉を失ってしまう。まさか、そこまでこの女の思い通りだったというのか?
 一体何所から何処までが、彼女の云う『脚本の内』なのかが、理解出来ない。
 それでも、己は言葉を吐き続けるしかない。死んでいった誰かの為に。そして、何よりも己の為に。
  
「何処から何処までが、貴様の考えの内なんだ?」
「さあ。そもそも何を問いているのかが分からないし、その問いに意味があるとも思えない」
「今回の事件の影で、貴様が何をしていたのかを問いてるんだ!」
「粗方、予想は付いているのでしょう? だから貴方は此処に来た」
  
 回りくどい質問など止めて、本題に移れと云う事だろう。
  
「何故……この様な事をしたんだ?」
「動機、かしら? だとしたら“幻想郷の為に”としか答えられないわね」
「幻想郷の為……?」
  
 幻想郷の為に、幻想郷の民が殺す様な事をしたと、云うのか……?
 そんなものは、本末転倒ではないのか。
  
「だったら――だとしたら! 博麗とルーミアは、彼女らは救われるべきだったんじゃないのか!? あの結果は、あんな結末は余りにも残酷過ぎるだろ!」
  
 異変の渦中に立っていながら、何一つ結果を変える事が出来なかった自身の不甲斐無さからくる叫びだった。
  
 本当に幻想郷の為なのだとしたら、彼女たちが救われない理由が存在しない。
 ローレンとマリアが死した意味が分からない。
 フランドールの苦しみは何だったのか。
  
「彼女らの事は私も残念よ。けれど、愛し合う二人が共に亡くなるなんて、ロマンチックだとは思わないかしら? とても心突き動かされる悲劇だわ」
  
 八雲の物云いから、己の頭は次々と最悪の可能性を導き出していく。
  
「博麗とルーミアのあの感情すらも、貴様に仕組まれた事だったのか!?」
「そんな筈がないじゃない。他人の感情を操るだなんて、流石の私にも不可能ですわ。だってそれは“科学”の領分ですから。
 私がしたのは、二人が出逢えるように仕向けただけ。その強靭さ故に孤独だった妖怪と、博麗と云う名に縛られた哀れな少女をね。始めて、自身と同等の、似た者を見つけた二人がどうなるかなんて――私には想像も付きませんわ」
  
「貴様は……貴様はどれだけ他者の気持ちを弄べば気が済むんだっ!」
  
 己の叫びを、しかし八雲は淡々と受け流していく。
 そんな怒りは、的外れだとでも云うように。
  
「勘違いしないで欲しいわね。私はあくまで他者を導いたに過ぎない。こうして、この様な結果を手繰り寄せたのは、他ならぬ貴方達でしかない。それに、感謝こそされど、恨まれる云われなんてないわ。死ぬまでの長い長い孤独と、束の間の愛情と充実した日々。天秤がどちらに傾くかなんて、考えるまでもありませんもの」
「貴様は……ッ、貴様こそが、退治すべき化物だったようだ」
  
 震える体。
 それでも、己は、己だけはコイツを殺さなければならない。
 八雲に向け、刀の切っ先を向ける。
  
「そう慌てないで欲しいわね。妖忌」
  
 八雲の鋭い眼光に射止められ――ただ、それだけで、己の体は身動きを取れなくなってしまう。
 しかし、お陰で少しだけ頭が冷えた。
 焼け石に水程度のものではあったが、会話を続ける必要があったという事くらい己にだって分かる。
 何故か、目の前の八雲もそれを望んでいるようだ。
  
「……この様な結果が、本当に必要だったのか」
  
 辛うじて動く舌先で、そんな問いだけを投げかける。
  
「……悲劇を繰り返さない為の悲劇。
 正にこの劇的な結末が幻想郷には必要だった。大きな犠牲がないと人は変われない。悲劇でないと人は気付けない。他人事ではいけなかった。私がしたのは演劇の役者を決めた事だけ。後は役者達が勝手に動き出し、自ら望んで悲劇を生みだしてくれる。
 だけど安心して。これからは、幻想郷から“悲劇”という物がなくなるわ」
  
 そう云って、己に微笑んでみせる八雲。彼女のその笑みから、己は薄気味悪いものを感じ取る。
  
「あの博麗 霊夢が、幻想郷に<命名決闘法>と云う規律を敷いてくれるからね」
「何なんだ、その<命名決闘法>とは」
  
 突然出てきた聞き慣れない言葉に、思わず鸚鵡返しをしてしまう。
  
「要は幻想郷内で戦争を行う時の規律のようなものよ。誰も死なない。そんな真の楽園を目指す為の決まり事」
「その規律がもっと前――――いや、初めから敷いてあれば、今回のような悲劇は起きなかったんじゃないのか!」
「くどいわよ、妖忌。良く考えれば分かる事じゃない? 俺達は博麗や八雲より強い――そう思い込んでいる妖怪や組織や種族が、ただお願いしたからと云ってそのような回りくどい規律に従うと思う?
 例えば神。例えば天狗。例えば鬼や吸血鬼――――例えを出し始めればキリはない。ヤツらは高慢だ。ヤツらの思想は害悪だ。自身が唯一至高だと云う時代遅れの考えを、未だに抱えて笑っている。自分さえ居れば、他者など存在しなくてもいいとすら考えている輩もいる。妖怪の発祥――人間から派生して産まれたと云う彼らの出自を考えれば、その自惚れも理解できる。妖怪は、ある意味で人間よりも人間らしいのだ。
 だって、本当に“妖怪の誇り”なんてものを持っているのなら、“人間の姿”なんて醜悪な姿を取る必要はないんだから。
 だけど、今回の事件で彼らの意見は大きく変わった。それも当然よね。今のままでは、自分達がいつ殺されてもおかしくないのだと気付いてしまったのだから。自分達が絶対的存在だったのは、ずっとずっと昔の話なのだと知ってしまったのだから」
  
 ならば、全てが。本当に何もかもが幻想郷が真の楽園になる為の、布石だったとでも云うのか?
 まるで、一歩一歩、自分達の力で前進しているように住民達に思わせておいて、その実全てが八雲の手の平の上だったとでも云うのか?
 幻想郷が始まり、その不安定な基盤と不完全な規律故に住民達は弱体化する。そして、其処に付け込む妖怪が現れる。悲劇が起き、最後に住民達は力に頼らない新しい規律が必要だと悟る。
 そのどれもが、自分達で“答え”に至らせる為の犠牲だったのだ。
 残ったのは八雲の計画通りの結果だけだ。
  
「……その妖怪達を殺したのは一体誰だったんだろうな」
「ルーミアとローレンではなくって?」
「博麗との暮らしに満足していたルーミアがそんな事をすると思うか? 己を殺す事が目的だったローレンが、無作為に他者を殺し続けるとも思えない」
「何が云いたいのかしら? 遠回し物云いしか出来ない男は嫌われるわよ」
「さぁな。今さら犯人探しをしようとも思わないが、誰かさんなら偽装工作も簡単に出来るのだろうと思っただけだ。それと、フランに妙な事を吹き込んだヤツも気掛かりだ」
「そうね。早く犯人を見つけないと。彼女たちも報われないわ……」
  
 あくまで状況証拠しかない現在、己は彼女を糾弾するだけの手札を持ち合わせていない。
 残念ながら己は真実の回りをただただ回り続ける事しか出来ないのだ。
  
「しかし、何故己と云う存在を巻き込んだ? 己などと云う不完全な要素を巻き込まなければ、もっとスムーズに事は運んだのではないのか。そして、己に自身の策略が知られてしまった時点で、貴様の策謀は失敗したとすら云えるのではないのか?」
  
 先の様な事を、己に訊ねられてしまっている時点で、何もかもが危うい。一歩間違えれば幻想郷が崩壊しかねないのだ。ゲームだと開き直るには、余りにもリスキーに過ぎる。
  
「“劇的な結末には謎と云う要素が必要不可欠”と云う言葉を聞いた事は?」
  
 己は首を左右に振る事で否定する。
  
「問題や課題と云うものは、発せられなくては存在しない事と同義だわ。故に、観測されない現象と云う物も存在しないと云う事になってしまう」
「つまり、その観測者として――」
「そう、貴方は選ばれた。その過去の傷跡を含め、貴方以外に適任は居なかった」
  
 八雲は虚空を眺め、寂しげな笑みを浮かべる。
  
「と、云うのは当然、理由としてある程度の割合を占めるのだけどね、実は本題はこっち。私が云えた義理ではないのだけど、全てを知った貴方にしか頼めない事があるの。聞くだけ聞いてくれるかしら」
  
「…………ああ」
  
 きっと、此処で引き返すのは全てに対する裏切りだ。
 己は最後まで、この事件の、異変の顛末を見届けなければならない。
 何よりも、会話の途中に八雲が何度か浮かべ、隠しきれなかった悲哀の表情。
  
 ……己と彼女は、立ち位置を同じくするのだろう。
  
 故に、己は彼女を許してはならないし、理解してもならない。
  
 この罪咎は、他者によってではなく、自己が罰するべきもので、
 この傷痕は、他者にも、自己にも癒やす事など不可能なのだから。
  
 そして、賢者である八雲紫は、その桁外れの頭脳によって、常人には理解出来ぬ有りと有らゆる悲哀と苦悩を味わい尽くす。
 同時に、その記憶力は痛みの風化を許さない。
 同時に、その演算力は未来の痛みすらも的確に予想する。
 過去の痛みと現在の痛みと未来の痛みが、等しく劫火となって八雲の心を燃やし続ける。
 それは、彼女でなければとうの昔に発狂してしまうような、想像を絶する痛みなのだろう。
  
「その前に、この<命名決闘法>の規律の穴。妖忌なら見抜けるわよね?」
「……そもそも規律を理解できないような下等な妖怪や気が狂れて規律を守れなくなった妖怪などに対応する手段がないな」
  
 本気で殺しにかかってきている相手に対し、そのようなオママゴトの縛りがあっては邪魔になるだけだろう。
 それに加え、今まで以上に人間と妖怪の戦闘力が低下する事も考えられる。
  
「それだけではなく、規律に従おうとしない妖怪というのも当然現れるだろうな。外から流れて来る者達が、全員規律に従うとも思えない。そう云った妖怪に対し、別の手段で制裁を加える存在が必要になる。何より、規律を敷いた張本人と云う要素が邪魔をし、博麗が率先してその様な妖怪を退治する事も難しくなってしまう」
  
 あの博麗――霊夢――でも、やろうと思えば力で捩じ伏せる事は可能だろうが、それでは意味がないのだ。
 事実など関係ない。少しでも“博麗はいざとなれば規律など無視し、妖怪を殺しにかかる”などと云う噂が流れてしまえば、<命名決闘法>などと云う規律に従う存在は居なくなるだろう。
  
「御名答。今度は百点満点よ」
「……そう云った者達の排除を、己達に頼みたいと云う訳か。当然、断ってもいいのだろう?」
「無理強い出来るとは思っていないわ。それに、この仕事を一度でも引き受けてしまえば、貴方は白玉楼には居られなくなるでしょうから」
「……あんな事をしてしまった今、己が既に白玉楼には帰れないであろう事を分かって云っているのだろうな」
「さぁ、どうでしょう」
  
 惚ける八雲。今さら、怒る理由も存在しなかった。
  
「分かった。こうなったら、落ちる処まで落ちてやるさ。だが、己がこの仕事を受けるのは、貴様の為ではなく、ルーミアと先代の博麗の為だ。彼女らが支えた幻想郷を、己も支えてやる」
  
 そしてそれが、結果として、妖夢と幽々子様を守る事になるだろうから。
  
「だが……己はお前のやり方を己は肯定しない」
「それで結構よ。だけど私は、一妖怪として、この幻想郷を、忘れられた民達を守らなくてはならない。その為であれば、手段は選ばないつもりよ」
  
 己は博麗神社を後にする。帰るべき場所――帰れる場所など既に存在しなかったが、それでもこれ以上此処に居る気にはなれなかった。
  
「ああ、それと一つ云い忘れていた事があった」
「何かしら?」
  
 振りむいた己を、八雲が見つめる。
  
「貴様は脚本家としては三流以下だ。劇から貴様と云う妖怪の性格の悪さが滲み出ていて、糞吐気しかしなかった」
「……肝に銘じておくわ」
  
 今度こそ己は、神社を後にした。








 美しすぎる夕焼けが、幻想郷を朱色に染める。
 秋が深まり、濃い紅と黄に彩られた山々。紅葉狩りを行うとすれば、今が最も旬だろう。
 生憎と自分は、花鳥風月を愛でる精神的余裕も、情緒も失ってしまっていたが。
 この時間帯になると、流石に外は冷え込む。露出した肌が、温度ではなく痛みを訴えかけてくる。
  
 異変が解決し、束の間の日常を取り戻した幻想郷。
 博麗神社を後にした己は、流し見る様にして郷を巡っていた。
 住民達は、本当に何事もなかったかのように、日々の生活に追われていた。
 丁度、収穫の時期だ。人間も、妖怪も等しく冬に向けての準備や祭りらで忙しいのだろう。
 八雲が云っていた「悲劇でないと人は気付けない」と云う言葉を思い出した。
 しかし、住民達の姿勢は、あの事件の前後、何一つ変わる事がない。
 自身に振りかかる痛みを通してしか、変われないし、学べない。
 そしてそれすらも、人は忘れてしまうのだ。
  
 だからこそ、<命名決闘法>などと云う規律が必要になってくるのだろう。
  
 そのそもそもの“痛み”を無くす為に。
  
「皮肉な事に、己達がすべき事は異変の前も後も変わってはいないのだな」
  
 半分程地平に隠れてしまった太陽を眺め、ごちる。
  
「結局、俺らの性に一番合ってるっちゅー事かね」
  
 思えば、己は自身を囲う因縁に何一つけりをつけられていない。
 過去の因縁も、今の環境も、未来への清算も。
 それでも己達は進まねばならない。止まってなどいられない。
  
「逃げてばかりもいられねぇだろうがな」
「己達個人の問題だ。その内イヤでも見つめ合わなくてはならない状況に陥るだろ」
  
 明日の幻想郷の事など分からないが、それでも、彼女たちが願った明日が、其処にあればいいと思う。
 そして、其処に二人の笑顔があれば良い。残念ながら、その笑顔を眺める事も、その二人の願いを叶える事も、出来そうにはなかったが。
 その時、いつの日かの様に強く風が舞い上がる。
 風を纏いながら現れたのは烏天狗の射命丸だった。
  
「どうした? 己にはもう、語るべき事などないぞ」
「あやや、挨拶も抜きにいきなりそれとは、ご挨拶ですねぇ。と云うわけで、こんにちは妖忌さん」
  
 無駄に明るい挨拶に、己は付いていけなくなる。
 いや、端から付いていく気など当然の様にないのだが。
  
「今日来たのは、取材ではございませんから。そう固くならないで下さい」
「取材の有無にかかわらず、己がお前を避けたいから、こう云う反応をするのだと云う可能性は考えないのか」
「妖忌さんが私を嫌う筈ないじゃないですかー、全くもう」
  
 図々し過ぎる射命丸の反応。少しだけ、そんなやり取りに慣れが生じてしまっている事に絶望する。
  
「……その自身は何処から湧いてくるんだ。そもそも、己とお前が談笑を交わす様な仲だったとは思えないのだが」
「まぁまぁ、“今回の件”について、聞きたい事とかあるんじゃないですかぁ?」
  
 射命丸は己に顔を近付け、首を傾げる。秀麗だが、少し幼い顔立ち。
 取り敢えず、一歩引いて距離をとっておく。「意地が悪いですねぇ」などと云われるが無視。
  
「やはり取材に来たのではないか」
  
 己は射命丸に背を向け、歩き出す。正直、今の己に記者を相手に出来るだけの気力は残されていない。
  
「いやいややや、だから違いますって。実を云いますと、今回の件について取材を行ったり、新聞にするのは上から禁止されてしまいまして」
  
 射命丸の言葉に、己の足が止まる。
  
「……圧力と云うヤツか?」
「そうみたいですねぇ」
  
 天狗社会など、門外漢である己には理解不能だ。しかし、小さくない組織故にそれ相応に入り組んでいる事だけは確かだろう。彼らが、一体どのような理由で圧力をかけるに至ったのかは気掛かりだが……
  
「圧力がかかった原因や、誰が圧力をかけたのか、と云うのは分からないのか?」
「……それを私が妖忌さんに云うとでも思うんですか?」
「云うとは思えないが、訊ねるだけなら只だろう」
「ま、実を云いますと私にも知らされていないと云うのが事実ですよ。どうやら、相当大事らしいですね。あ、そう云えば、賢者様の所の九尾を見かけたなんて噂を耳にしましたよ」
  
 それはもう、答えを云っている様なものではないか。
 しかし、意外でも何でもない答えだ。しかし、天狗がそれに黙って頷く理由もない。何か交換条件でもあったのかもしれないが、今の己にはどうでもいい事だ。
  
「その様な圧力に屈するなんて、記者としてどうなんだ?」
「んー……其処を突かれると痛いんですがねぇ。あくまで私も烏天狗であって、情報伝達と云うのはその中で行っている事ですから。上がそう云った判断を下したからには、何かしらの意志があるでしょうし」
「組織は大きくなれば大きくなる程、腐敗が進み、黒くなるとも云うがな」
「んー、私がうら若き平の天狗だったら、もしかしたら正義感に駆られていたかもしれませんがね。流石にそこまで蛮勇を振るう気にはなれませんよ」
  
 憂いを帯びた、諦めの入った様な笑みを浮かべる射命丸。
  
「だったら、本当にお前は何しに来たんだ?」
「だから、世間話ってヤツですよ。記事にするのは禁じられましたが、個人的に触れ回るのは禁じられていませんから」
  
 物凄く怪しかった。が、少しだけなら付き合ってやってもいい、か。
 きっと、今日この日を逃せば、他者とこの事件について語らう日など一生来ないだろうから。
  
「博麗さんの事は、残念でしたね」
「そうは云うが、己と博麗には面識なんてなかったぞ。幻想郷内で数度見かけた程度だ」
「あら、そうだったのですか? 物凄く悲壮感漂う表情をしていたものだから、てっきり只ならぬ関係なのだとばかり思っていました」
「少しくらい――いや、本当に己は、あの博麗について何も知らないな」
  
 己の言葉に、射命丸も頷く。
  
「そうなんですよ。あの人、他人と話す事も殆どなかったみたいで。記事に載る事も殆どなかったんです。だって、私が名前を覚えていないくらいですからね」
「そう云えば、己も覚えていない、な」
  
 彼女は、己達や住民にとって博麗でしかなく、巫女でしかなかった。
 それ以上でも、それ以下でもない。
 彼女――ルーミア――以外にとっては。
 そして、博麗にとっては、ルーミアに名前を覚えて貰えるだけで、満足だったのだろう。
 彼女の最期の微笑みを思い出し、そう思う。
  
「ところで、今回の異変の元凶とか、興味ありませんか?」
「……もう、それについては分かってる」
「……さいですか。だ、だったら、連続通り魔の犯人もご存知ですかね。流石に、吸血鬼がここまでするとは思いませんでしたが」
「何だって?」
  
 吸血鬼と連続通り魔が関係している? あの事件は、八雲が各妖怪達を説得する為の自作自演だと、己は結論付けていた。
 単に、射命丸が勘違いを起こしているだけか……。
 しかし、ここまで徹底的に、自身の手を汚す事を拒否していた八雲が、この様な分かり易い形で事件への介入をよしとするだろうか?
  
「何だっても何も、今回の異変の件については妖忌さんはご存知なんですよね? フランドール・スカーレットが異変を起こし、その姉であるレミリアが連続通り魔の犯人だったと云う」
「レミリアが……? それは、確かなのか」
「ええ、確かな情報だと思われます。何せ、目撃情報がありましたからね。目撃者は吸血鬼に報復されるのではないかと、中々口を割ってくれませんでしたが。記事にしないと約束をして、何とか教えていただきました」
  
 レミリアが連続通り魔の犯人だった。だとすると、彼女がどうしてその様な事をする必要がある?
  
「動機などは分かっているのか?」
「妖忌さんなら何か分かるかと思って、わざわざ探してまで来たんですか」
「思い当たる可能性……か」
  
 彼女が一体何の為にそのような行動を起こしたのか。その理由として考えられるのは……一つしか、ないだろう。
  
「妹の為、か」
「へ?」
  
 死傷者のリストを見れば、確証を持てるだろう。
 きっと、フランドールに害を為した者や、邪魔になるような者が連なっている筈だ。
 妹が姉に対し、邪魔をしないでと告げたから、影で妹を支えるような事をしたのだ。
 つまり、一連の事件は全て、誰かが誰かを想った結果の行動によって、発生していた事件だったのだ。
  
「なんて皮肉、なんだろうな」
  
 脚本家は演者の背中を押しただけ、か。
  
「ちょっとちょっと、一人で納得しないで下さいよ!」
「話す様な事じゃないさ」
「カッコつけてないで、さっさと教えて下さい」
「良く考えてみれば、お前にも分かる事だ。己の口からわざわざ告げる様な物じゃない」
「んー、妹、フランドールが関係しているのですか……?」
  
 それでも尚食い下がろうとしない射命丸を半ば無理やり納得させ、帰らせる事に成功した頃には夜も更けてしまっていた。
  
「……ホント、カッコつけてないでさっさと云っちまえば良かったんじゃねぇのか」
「射命丸がその件について記事にするとは思えなかったがな、レミリアや八雲が黙っているような事を、己が告げ口するような真似は出来ない」
  
 レミリアは、殺しは吸血鬼にとって誇りの様なものだと云っていた。
 しかし、それが“妹の為の殺し”となれば話は違うのだろう。
  
「ま、お前がそれで納得出来るなら、それでも構わないがね」
  
 ――さて、そろそろ宿を探さなくてはならない。
  
 白玉楼に帰る事は出来ないし、レミリアの所に泊まり込む訳にもいかない……頼めばきっと泊めて貰えるだろうが、交換条件に何を求められるか分かったものではない。
 一先ずは、ルーミアの住居だったらしい小屋に泊まろうか。などと考えているとき、自身の胸元に何かが入っている事に気付く。
  
「何だ……これは」
  
 箱状のそれを取り出すと、可愛らしい和紙で包装された小箱だった。
 記憶を遡る。
  
 そして直ぐに思い至る。
 人間の里で妖夢にと買ったリボンだった。
  
「お前それ、結局妖夢に渡し忘れてたのかよ」
  
 嘆息混じりの半霊の声。
 思わず、己も言葉を無くす。
  
「…………そのようだな」
「やっぱり、お前と妖夢はそっくりだよ」
  
 半霊の言葉に、己は何も言い返す事が出来なかった。








 夏の日の事だった。
 日は沈み、少しだけ涼みだした神社の中。
 酒を酌み交わす巫女と妖怪。博麗とルーミアの姿があった。
 幻想郷は平和だ。だがそれは、仮初の平穏。
 それでも、月明かりだけは誰にも平等に優しかった。
 博麗は酒に弱いと云いつつも、私に迫られとうとう折れてくれた。
 その博麗は二杯目を飲み終えた時点で、酔っ払いの様相。
 自分で誘っておいて難だが、酔っ払いの扱いは面倒だな、などと困ってしまう。
 そう云えば、博麗が酔っ払っているのを見るのは、始めたな気がする。
  
「私が……博麗じゃなかったら、何かが変わっていたのかな」
  
 博麗の言葉には、珍しく弱音が混ざっていた。頭を私の太腿に乗っけるようにして、横になり始める。自分で酒を勧めてしまった手前、止めてくれとも云い辛い。べつに、止めて欲しい訳じゃないけれど。
 頭を私に撫でられると、擽ったそうに身を捩り出す。猫みたいで可愛らしい。
 それが面白くて、私は何度も彼女の頭を撫でていく。
  
「もしお前が博麗じゃなかったら、私との出逢いがなくなってしまうだろ? それでもいいのか?」
  
 自分で云っていて、何を云っているんだと思うが、博麗を慰める手段がこれ位しかないから仕方ないからと開き直る。
  
「でも、同時に、私が博麗だから、私は本当の意味でルーミアと愛し合う事が出来ない」
  
 仰向けだった博麗が私の太腿の上から頭を動かさず回転。太腿に顎を乗せる姿勢になり、そのまま腰に抱きつき始める。
 随分と弱っているな、と思う。
 私と云う存在が神社に居座るまでずっと、彼女は独りで戦って来たのだ。
 それはただの戦闘ではない。幻想郷の為に他者の命を奪うと云う行為。積み重ねてきたその好意が、彼女の心をどう壊したのか、私には想像する事しか出来ない。
 人間と云う小さな身には、重過ぎる咎。
  
 ……博麗が幻想郷を一人で支えている訳では当然ないが、それでも彼女はどうしようもないくらいに孤独だった。
  
「出来る事なら、私がこの幻想郷を変えたかった……」
  
 博麗の目尻に浮かぶ水滴。
 酔いの症状とは、その人間が持つ本来の欲望を解き放っているだけだと云う。
 つまり、博麗はただ、等身大の少女で有りたかっただけなのだ。
 ただ、少女として生まれ、少女として暮らし、少女として死ぬ。
 そんな、叶わぬ願いを夢想する。
 私と云う存在があっても、それだけはどうしようもないから。
 対等の存在とは、要はそれだけの存在でしかない。
 博麗がどうする事も出来ない事態を、私が解決する事など出来やしない。
 だからこそ、傍に居てやる事しか出来ないのだ。
  
「私の様に苦しんでいる存在を……救ってあげたかった」
  
 それは、他ならぬ博麗が誰かに救われたがっていると云う事だろう。そんな事は誰にも出来やしないと云うのに。
  
「妖怪と人間が、本当の意味で共存できる、そんな世界に、したかったな」
「出来るさ」
  
 博麗の頭を抱くようにして、私は応える。
  
「だって、私達がこうして暮らしているんだ。出来ない筈がない。今からでも十分間に合うさ」
「そうだよね……。弱気になってちゃ、ダメだよね」
  
 顎を一時的に上げて、私の目を見つめる博麗。弱り切った様子の博麗に、口付けの一つでもしてやりたくなるが我慢。
  
 ……だって今までずっと我慢してきたのに、酔った勢いでと云うのは余りに華がなさ過ぎるじゃないか。
  
「ありがと……ルーミ……ァ…………すーっ……」
  
 そして、博麗は酒が入ると長くは起きていられないようだった。
  
「本当、こうしていれば可愛らしいと云うか、本当にただの少女なんだがな」
  
 髪の毛を梳くと、ふんわりとした柔らかい良い香りがする。少しだけと自身に云い聞かせ、髪の毛に鼻を近づけてみる。
 少しクラクラとしそうになる博麗の匂い。そして、私は何をしているのだと我に返る。
  
「お前なら出来るさ。自信を持てとは云わないし、頑張れとも云わない。ただ、お前はお前として其処に居るだけでいいんだ――     」
  
 彼女の前では決して呼ぶ事の出来ない名前を、こう云う形でなら呼ぶ事ができた。
 呼びたくて堪らない、名前。
 呼ぶだけで、頭が蕩けそうになってしまう、そんな特別な名前。
 その名前を目の前で呼んでやったら、博麗はどんな顔をするだろうと思う。
 きっと面白い顔をするんだろうな。名前を呼ぶ私に負けないくらい変な顔だ。
  
 ……恥ずかしくて今はまだ呼べないけれど。近いうちに呼んでやろうと思う。
  
「私は私で頑張ろうっ。と云うか――」
  
 思いのほか強く抱きつかれていたせいで、身動きが取れなくなってしまっていた。
 無理に腕を解こうとすると、起きてしまいそうだし……。
 もう少しこのままで居る事にしよう。
 私はそのままの姿勢で、酒をちびちびと舐める。
  
  
  
 なんたって、私も、満更でもないしな。
「どうせパロるならあとがきまで拘るぜ」と言う一文を考えた所で力尽きました。
 その一文も良く見なくてもパロれてません。
 と言うわけであとがきです。




 ところどころにネタバレが散見される場合がありますので、未読の方や途中で飽きてあとがきまで来た方は御気をつけ下さい。




「せめて容量だけは負けてられねぇ! これだけは誰にも譲れねぇぜ!」と言う熱いソウルがあった訳ではありませんが、長くなってしまいました。
 読み辛さも含め、「読者に嫌われてるSS 2013」というランキングがあれば上位に食い込めるのではないでしょうか。そんな私はおろか誰も得をしない企画があればですが。
 ついでに「このSSがひどい!」と言う企画もとい同人誌のネタを思いついたので界隈への呪言に溢れた方は実行してくれても構いません。私は何も関与しませんが。

 と、余り薄ら寒い事を長々と書いていても「本文は読みづらいが、あとがきもキモい。氏ね(マイナス3点)」みたいな懐かしい雰囲気のコメントが付いたり、「くぅ~」的な大惨事に成りかねないのでなるべく短めに終わらせようと思います。

 先ほど「パロる」と言う単語を出しましたが、このSSはとあるライトノベルの影響を多大に受けております。
 オマージュ元のタイトル名を上げるとネタバレになる可能性があると巷で噂のこの
「たば★かな(五十文字近いタイトルを一々書くと文字数稼ぎだと一部の方々に怒られそうなので略称を考えました。どしどし使ってくれていいです)」
 なので、リスペクト元の作品名は最後の最後にひっそりと載せておきます。

 申し訳程度に元ネタとの比較をすると、
 個人的には「読み辛さ」と「流血量」がいい感じにリスペクトされているな、と感じております。
 反面教師を反面教師だと最後まで気付けない所為で発生した嫌な事件でした。
 被害者は作者と読者、このSSに関わった人間は全員不幸になるのかもしれません。知りません。

 SSを書くより、「全年齢」と言う単語について哲学的考察を行う事に苦戦した一ヶ月でしたが、その分充実していたのだと思い込む事にします。

 読み終えるだけで一種の達成感に包まれそうな(長さ的な意味で)SSを、最後まで読んでくださり本当にありがとうございました。
 色々と謝辞を述べなくてはならない方々も居るのですが、身バレしかねないので後で載せられたら載せる事にします。心の中は感謝で溢れています。

 それではまた機会があればどこかで。



 参考資料『されど罪人は竜と踊る』(浅井ラボ ガガガ文庫)
綾加奈
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コメント



0.簡易評価なし
1.4あらつき削除
参考資料については未読なのでこの作品についてだけ。
文章が全体的にもっさりしているのに加え、ストーリーは良いのに構成がうまくいってないと感じました。
本当に物語は素敵だったので、もっと文章が整ってくれればもっと良い評価をできたのにと悔やまれます。
2.無評価あああ削除
なんだ、フランがサンドバックになって他のキャラの踏み台になるありきたりなSSか
3.10名無削除
SSってレベルの文量じゃねぇよ!(褒め言葉)
サイズもさることながら内容も飽きずに最後までサクサク読めました。
4.無評価mayuladyz削除
すまぬ
レベルの低い私は途中で投げ出した(´・ω・`)

気になったのは
始めのレミリア達のシーンでは
読者に続きが気になる様に(興味を抱いてもらう)
思わせるには少々物足りないと思った

最後まで読んでいないので分からないが
構成(読者に情報を提示する順序)
次第では飽きずに最後まで読めたかもしれない

まあ、これに関しては私が飽きっぽいので
あまり気にしないでほしいぞよ(´・ω・`)
5.1エーリング削除
話のど初っ端でいきなり長文によるオリジナル設定語りとかあかんですよ!特に戦闘系の設定なんて世の中に山のように溢れてるんです、見飽きてるんです。上手く見せなければただ長い文章を書いてもただの自己満足に帰結します。あと戦闘ばっかなげえ!特に読み込みたくなるような文章でもないから読み進めるのが只管辛いのです。最後に御免、何か途中で死んだはずの人らが最後生きてるように見えるんだけどあれ回想シーンって事でいいんですか?
6.7PNS削除
まずは300kbという容量に敬意を表します。
あとがきは作者様が言っておられるほどキモくはありませんが、文章に読みづらさを感じたのも確か。
そしてこの圧倒的な熱量を、制御しきってほしかった、という印象も抱きました。
キャラが豊富でワクワクさせられる面が多かっただけに。
いや、それにしても書くだけで凄いですこの容量は。
7.9ナルスフ削除
なんちゅう濃い前日譚を読ませてくれたんや・・・
され竜は知らんので比較なんて出来はしませんが、とりあえずこの長さをしっかり読み進められるものだったということで喝采。
や、戦闘シーンは精緻過ぎて意味わかんなかったんでほとんど流し読みしましたけどね。
なんとも救われない胸糞悪い前日譚。紫様は相変わらず幻想郷が絡むと畜生になりますが、この選択の結果が後のお祭り騒ぎになっていくのかと思うと複雑な思いですね。
それにしても新しい妖忌像ですわ。新しすぎてなかなか爺のグラフィックが頭の中から離れてくれなかったので、脳内イメージの代役を明羅さんにお願いしました。そこまで間違ってないと思います。めいらぁ!
半霊が喋るのは読み終わってみると結局何だったんだろう、とは思いましたが。いや、もしかしたら通り魔の正体に関わってくるのかもとか勝手に思ってただけなんですけどね。
連続通り魔の犯人の正体は当初少し首をかしげましたが、マリアにトドメを刺して偽装したのは紫で、いい趣味した退治屋のオッサンとかを殺したのがレミリアってことなんですかね。
誤字はこの長さですし細かいところは別に気にしませんでしたが、『だから、私は十六夜 昨夜ですって』にはさすがに笑いました。よう昨夜。
あと、『フランドールと云う家名を持つ吸血鬼』もスカーレットの間違いですよね? フランドール家とか素敵やん。
それにしても落石を避けるレミリアさんぐうかわいい。
8.6道端削除
 そのとき、誰も想像していなかった。よもや、これを超えるサイズの作品が、同じコンペ内に投稿されようとは……。

 それはさておき。
 300kbの力作というので、気合を入れて読みましたが、さすがに読み終わったときの読後感が凄まじいですね。満腹。
 いっそすがすがしいくらいの厨二病溢れる戦闘描写は、ある種のダサさを感じないでもないけれど、ここまで書き切られると逆に突き抜けたカッコよさを感じる。
 バトルSSは正直苦手なのですが、バトルのカッコよさはガチ。
 
 だけど、お題の「嘘」の成分薄いのが気になる。そりゃ、紫を始めとして、色々な人妖の思惑が蠢くSSなのだから、そこには嘘も偽りもあっただろう、けどこれが果たして「嘘というお題に基づいて、嘘というものを核にした作品と言えるか」と言われると、うーん。せっかくのコンペなのだから、お題は大切にしてもらいたい、ということでちょっと厳しめに。

 それと、まだ永夜抄終わってないのに永琳が出てきてはまずい気が。

9.4がま口削除
確かに長かった……
戦闘シーンが細かい描写で力がこもっていると感じました。
ただ、あとがきでもおっしゃられている通り、一抹の読みづらさがありました。
もっとシンプルな表現や設定で大丈夫だと思います。
10.7烏口泣鳴削除
これだけの分量を書いた事が凄いです。それから全面に散りばめられた新伝奇らしさに自然と口角が上がりました。
11.2生煮え削除
元ネタは未読なのでよくわかりませんが、作者さんが問題点を理解しててそれでもわざとそれをやっているのなら、わざわざコメント欄でどうこう言う必要も無いのでしょうね。咲夜が時間を止めて沢山切りつけるシーンは面白かったです。
12.4きみたか削除
激しい戦闘、立場の入れ替わり、黒幕の暗躍。理性を持っているようでいて、狂気のぶつかり合いと対比的に書かれた妖夢やフランに対する一節。文章同士が互いに引き立てあうような作りに手腕の欠片を感じます。が…如何せん発表の方法と場を誤ってしまい、一番強く残る印象が「長い」なのは辛いところです。今から同じ内容を1/3に纏め上げることができたなら、大化けする可能性有りと見ます。
あと、どうしようか迷ったのですが、こういう扱いをお望みのようなので。
「本文は読みづらいが、あとがきもキモい。氏ね(マイナス3点)」
13.8みすゞ削除
【良い点】
この厨っぽいクサさが良い感じです。妖忌を主人公に吸血鬼異変→スペカルールまでの流れを書くというのが個人的には新鮮でした。お話の展開もよく考えてあったと思います。
【悪い点】
正直バトルものはあまり好きではないので、長い戦闘シーンは読み飛ばし気味でした。しっかり書いてあることは何となく伝わってくるのですが、趣味嗜好ということで。
14.7K.M削除
まさかここでそのタイトルを見るとは。 
15.4a削除
長いなら面白いは当たり前、という考えを持ってますので面白くはあったんですが長さとの釣り合いがとれてないかなと。
いや、描写とかはすごいんですけど。