第十二回東方SSこんぺ(嘘)

回れ正直者

2013/10/27 23:44:24
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 どうしたものかと、藤原妹紅は閉口しきりだった。

「もう一度、お願いします」

 日は落ちかけていた。それでもなお、魂魄妖夢は腰を落とし、構えをつくり直す。まだ続けるつもりらしい。

「諦めなって。無理だよ」
「タイミングが掴めた気がするんです。だから、もう一度お願いします」

 こんなやりとりを、かれこれ一時間ほど繰り返していた。妹紅からすれば言葉ほどの前進は窺えない。もう一度やめようと説きかけたが、妖夢は頑として刀を下ろそうとしなかった。

「……分かったよ」


    滅罪「正直者の死」


 宣言より早く妖夢は跳ぶ。蛇のようにうねるワインダーの網目に飛び込もうとする。されど隙間は狭く、軌道は複雑だ。あっという間に被弾した。

「ほらね、回って避けるなんてできっこない――」
「まだです! まだっ」 妖夢は立ち上がった。「他にないんです。これ以外に方法は……だからっ、もう一度お願いします!」

 漏れかけたため息を、妹紅はすんでで呑み込んだ。今の気持ちを妖夢に見透かされてはいけないような気がしたのだ。

「あのさ、実はこれから人と会う約束があるんだけど……」

 とっさに出た嘘だった。知り合いからいつでも遊びに来いと声をかけられていたことを思い出したのだ。
 なにげない嘘は、場の状況を一変させた。先程までの闘気はどこへやら、妖夢は「あ、すみません!」と刀を鞘に収める。そして周囲がすっかり闇に包まれていることに、今更ながら驚愕を示した。集中し過ぎて気づいていなかったようだ。

「ああ、幽々子様に叱られるぅ……」

 妖夢は半泣きの表情になりながら、携えていた灯籠――人魂灯と言うらしい――を掲げた。すると両者の対決を気ままに観戦していた幽霊たちが、灯りに群がる虫のように、わっと集まってきた。
 幽霊たちを整列させた妖夢は、またお願いしますと折り目正しく妹紅に一礼して、慌ただしく空へ舞い上がった。夕闇に消えていく霊魂の隊列は、さながら逆さに昇る流れ星を思わせた。もっとも妖夢が残した「またお願いします」なる一言のせいで、妹紅はその幽玄さに浸る心境には至れなかったけれども。



    *



 妖夢と別れた妹紅は、その足で"約束"を果たしに行くことにした。めったにない気まぐれである。彼女は、自分が決して"善人"に当たる存在ではないと自認していた。そうある必要性も感じていなかった。生きている以上、清廉潔白なままではいられない――永い生は彼女にそんな信条を植えつけたのだ。
 ただし、妖夢といるとその信念が揺らぐ気がした。何故か彼女には良心が咎めた。今から行けば嘘にはならないだろうと、妹紅は屁理屈で自分を納得させようとしたである。
 行き先は遠くない。竹林を抜け、里の外れにぽつんと建つ人家、そこに約束の相手は住んでいる。妹紅は戸を叩き、こんばんはと一声掛けた。

「どちら様でしょうか」

 不意の訪問だったからだろう。戸越しから響いた上白沢慧音の声には、幾らかの緊張が窺えた。だがそれも戸を開けるまで。妹紅の顔を見るやいなや、よく来てくれましたねと、笑顔で友を中へと招き入れた。
 妹紅が慧音と知り合ったのは幻想郷に来て数十年ほど経った頃。以来こうして気にかけてもらう仲だ。極力人との関わりを避ける癖がついていた妹紅も、彼女にはある部分で心を許しているところがあった。
 慧音は夕餉の最中だったようだ。まずいところに押しかけてしまったなと妹紅が悔いる間もなく、慧音は土間へと向かい、客の分の食事を盛り始めた。妹紅はすかさず辞退するも、慧音が返事をする頃には、既に膳の支度は整ってしまっていた。
 奇を衒わない食事であった。干した魚に香の物が少々。されど椀に盛られた白米と味噌汁を見るのさえひと月ぶりであった妹紅には、十分すぎるごちそうであった。
 囲炉裏を挟みながら、時折掛けられる慧音の声に応えることもなく、黙々と胃に詰め込んでいく。幽霊に囲まれ冷えきった体が、たちまち温かみを取り戻していくようだった。だが心安らいだかと言えば、必ずしもそうではない。家の中で食卓を囲む――こうした普通の、「人間らしい暮らし」に居合わせると、妹紅はしばしば自分がひどく場違いなことをしている気がしてならなかった。

「今日はどうしたのですか? ずいぶんと青白い顔をしてましたが」

 食後の茶を注ぎながら、慧音は尋ねた。触れられたくなかった問いである。妹紅は「いや、別に」と濁し、湯のみに口をつけた。慧音も彼女のそっけなさには慣れていた。小さくはにかむと、

「そういえば、こないだ助けていただいたあの子、すっかり良くなりましたよ」
「ああ、反物屋の女中だっけ」
「ええ。妹紅さんのおかげだって。是非お礼を伝えておいてほしいと」

 そんなこともあったなと、妹紅は思い出した。竹林で道に迷っていた女を見つけて、永遠亭まで案内したのだ。あの明けない夜以降、診療所を開いた永遠亭は、またたく間にその評判を高めた。多くの人間が薬を求め、竹林に足を踏み入れるようになったのである。
 だがあそこは危険も多い。道に迷った者や妖怪に襲われそうになった者を妹紅が助ける、そんなことも反動として増えた。

「そんな、道案内しただけだよ」

 妹紅は内心嬉しかった。こんな自分でもまだ人から感謝される行いができるのかと。だから尚更嘘をつかねばなるまいと考えた。

「そんなことありませんよ。皆妹紅がいてくれて助かると言っています。できれば私としては――」
「気持ちは嬉しいけど、遠慮しとく」

 妹紅も薄々は予感していた。いずれこういう話が出てくるのだろうなと。慧音が繰り返し声をかけてくれたのも同じ。1300年の内に何度か経験したことだ。

「どうも他人と一緒に暮らすって苦手でね。そっちも迷惑だろうし」
「そんな、里の者は誰も気にしません。それに妹紅だってもっと人間らしい――」
「慧音から見たら酷い生き方に見えるだろうけど、案外気楽なもんだよ。だから、ごめんね」
「じゃあ、せめてちゃんと連絡を取り合えるようにしませんか。里の皆も安心できますし、妹紅にも」

 妹紅は小さく首を振った。これでいいのだと、彼女は自分を納得させた。最初は問題なくとも、いずれ破綻する。隠しようもない違いが、信頼を裂いていく。だから距離を置かねばならないのだと。
 うっすらと諦めたように微笑む妹紅を前に、慧音は居たたまれぬ様子で口をつぐんだ。和やかな団欒の空気が、すっと失せていった。悪いことをしてしまったと、妹紅は己をまた責める。

「慧音は妖夢って子知ってる? ほら、あの肝試しの時にいた半霊の」

 せめてもの、という贖罪の気持ちから出た言葉だった。思ってもみない名前に目をぱちくりさせた慧音は、

「はい、知ってますよ。冥界の門が開いてからは、時々里へ買い出しに来ます。それが?」

 と問い返した。そうなんだと笑った妹紅は、実はねと前置きしてから、ここひと月ほどの出来事について語り出した。輝夜にそそのかされた4組の人妖との、身の毛もよだつ弾幕肝試し。その一人であった妖夢から、今も絶えず手合わせを申し込まれていることを、酒宴の笑い話のようにところどころ誇張しながら話して聞かせたのである。
 正直妹紅は妖夢との関係を口外したくなかった。でも慧音を落ち込ませるのはもっと嫌であった。夢中で舌を動かした。柄でもなく愛想笑いを交ぜてみたり、軽口を叩いてみたりもした。そして慧音が良い反応を返してくれるよう絶えず軌道修正を繰り返した。孤独に慣れた妹紅にとって、団欒の場の会話とは、こうした戦略と緊張の上で辛うじて成り立つものであった。

「今日は50回だよ50回。おんなじ弾幕を延々。ひどいと思わない?」

 首をすくめながら、妹紅は指を5本立てて「50」という数字を強調した。慧音は口元に手を当て、それはお疲れ様でしたと合いの手を打つ。
 彼女は妹紅に対しては、たとえ談笑であろうと常に丁寧語で話す癖があった。昔里の人間と喋っているのを見かけた時はもっとざっくばらんな口調だったのに。気を使われているのだろうかと、妹紅はふと気になった。

「本当、こっちの身にもなってほしいよ」
「でも良いことだと思いますよ。そうやって色んな方と繋がりができていくというのは」
「そうかな」妹紅は頬をかいた。「なんていうか、あの子ちょっと苦手で」
「そうですか? 何度か話したことはありますが、とても真面目そうな良い子だと思いましたけれど」
「そういう、生真面目な感じがあんまり好きじゃないんだよね……」

 また微妙な空気が流れた。慧音はどう言葉を継いだものか戸惑っている様子であった。またいらぬことを口走ってしまったと妹紅。無理に笑って、そろそろ帰るねと腰を上げた。
 慧音は重ねて引き止めたが、妹紅は手だけ振って、戸口をすり抜けるように外へ出たのであった。



    *



 山道に一人、うずくまる少女がいた。深々と冷える夜の岩場。裸足でここまで歩いてきたせいか、あかぎれた皮膚は破れ、じんじんと絶え間なく痛んだ。どうして自分はこんなことをしているのだろうという、虚しさだけを募らせていく時間。
 そこに一人の男が現れる。ずっと尾行してきた相手だ。少女の警戒をよそに、笑いかけ、水をくれる。そして仲間のもとへ案内するのだ。
 野盗を名乗った少女に、彼や彼の仲間たちは警戒を見せなかった。ある者は足が冷えるだろうと言って布を巻いてくれた。別の者は腹が減ったろうと言って乾飯を分けてくれた。彼らと囲む焚き火に、少女は温かさとは何かを知った。
 次第に少女は感謝の念を強めていった。とりわけ彼女を最初に見つけてくれた男には、尽くせぬ恩義を抱いた。一団の責任者、名は岩笠。彼を中心にまとまった兵たちは、理想的な団結を見せながら霊峰の頂きを目指した。山にはおよそ不釣り合いな少女を、当然のように仲間に加えて。過酷な行軍は、しかし少女にとって初めて味わう安寧でもあったのだ。

 そこで悲鳴が聞こえた。

 妹紅ははっと目を覚ます。掘っ建て小屋から軽やかに飛び出すと、声の方目指し駆けた。
 同じ景色の続く竹林も、彼女にとっては慣れた道だ。最短距離でたどり着いた。

「よう、誰かと思えば今泉じゃないか」

 妹紅の声掛けに、戦慄く背中。振り返ったのは狼女、今泉影狼。既に顔はひきつっている。

「ぃや、どうもお久しぶりです……」
「何してるのさ? よかったら交ぜてよ」

 果たして影狼の爪の先には人の少女がいた。恐怖で声を出せないながらも、懸命に妹紅に向かって救いの眼差しを送っている。

「あの、いえね、何と言いますか、妖怪としての義務を果たしてた、とでも申しましょうか……」
「ほう、そりゃ関心だ」あわあわと言い繕う影狼に、妹紅は爽やかな笑みを返す。「じゃあご褒美に3秒あげよう。もしそれ以上義務ってやつを続けるつもりなら、私も人間としての義務を果たさなきゃならなくなるよ」

 と、笑顔のまま炎の翼を広げた。「ひえぇ」と怖気づく影狼、そのまま脱兎のように逃げ出していった。妹紅は思わず苦笑をこぼす。基本こんな間柄ではあるが、彼女とはそれなりに長い付き合いであった。根はおとなしい妖怪だ。今も恐怖心で空腹を満たそうとしただけだろう。後で野兎でも差し入れてやれば釣り合いは取れるかと、妹紅は考えた。

「ほらもう大丈夫だよ。立てる?」

 妹紅は襲われた少女へ手を差し伸べた。少女は何度も忙しなく首を振り、妖怪がいなくなったのを確認してから、ようやく手を取り立ち上がった。黒いおかっぱ、見た目だけなら妹紅と大差ない年頃に思えた。
 簡素な装備からして、山菜や筍を採りに来た訳ではないようだ。妹紅はそっと笑いかけ、薬が欲しいのかと尋ねる。少女は小さく頷き返した。妹紅は無言できびすを返し、ついて来いと背中で伝える。少女も意を察して後に続いた。
 道中、少女は口を動かし続けた。会話に飢えているのだなと、妹紅は察した。彼女自身は人と話すことを諦めてしまっていたが、会話に焦がれる気持ちは持ち合わせていた。だから他人の話を聞くのは好きだった。
 少女は里の外れに住む、小さな農家の一粒種らしかった。父が肺を患い鍬を満足に持てなくなったため、人伝てに噂を聞いた、貧乏人にも親切な竹林の診療所へ単身乗り込もうとしたのだという。少女が自らの窮状をどこか誇らしげに語るのを、妹紅は背中越しに聞き入っていた。

「ここだよ」

 永遠亭の屋根が見えたところで、妹紅は足を止めた。ここまで来れば、もう悪戯をしてくる妖精や妖怪もいない。少女はありがとうございますと一礼して、診療所の方へ駆けていった。妹紅は軽く手だけ振り、来た道を引き返す。

「父親のため、か」

 こういう時、親の顔がおぼろげにしか浮かばなくなってしまった自分にふと気づいて、妹紅はその滑稽さに自嘲する。岩笠のことは今でもよく夢に見るというのに。
 一人きりの竹林は、いっそうの静けさを感じさせた。先ほど影狼を脅した時に警戒されてしまったのか、いつもはうるさいくらい飛び交っている妖精の姿も、今ばかりは見られない。
 ふと人の気配を妹紅は感じた。首をもたげ、目を凝らす。竹と交じって天に伸びる長刀は、妖夢のそれであった。

「あ、妹紅さん。こんにちは」

 さすがと言うべきか、妖夢もまた遠がりから妹紅の存在を気取ったようだ。竹林を軽やかにくぐり、こちらまで駆けてくる。妹紅は目礼、どう語を継いだものかと迷っていると、妖夢の方が先に話を切り出した。

「そこで無縁仏を見つけたもので」

 確かに彼女がいたところには、埋めかけの穴といくつかの石が積まれていた。迷った末に行き倒れたのか、妖怪や獣に襲われたのか。広い竹林、妹紅とてすべての者を救えるわけではない。摂理といえ、人並みに胸は痛んだ。妖夢の後ろに続いて墓の近くまで。半霊が埋葬を済ませ、静かに手を合わせるのを数歩離れたところから、手を貸すこともなく漫然と眺めていた。
 弔いを終えた妖夢は、いつもどおり人魂灯片手に竹林を漂う霊の回収を始めた。妹紅もなんとなしに同行する。少し前に冥界の門が開いたきり、ずっと閉じぬままになっているので、暇な幽霊が顕界に降りてくるようになり困っているのだと、妖夢は道すがら懇切丁寧に話してくれた。それは湧き上がる感情をひた隠すために、必死で話題の種をひねり出しているように聞こえた。

「あの、もしかして気分を害してしまったでしょうか。その……私が埋葬になど付きあわせてしまったせいで」

 その努力も長くは続かなかったのか。ぎこちない物言いで、妖夢は妹紅に問いかけた。彼女なりの、精一杯気を利かせた問い方だったようだ。「違うよ」と短く返した妹紅は、妖夢が本当に問いたかったであろうことを答えた。

「気を悪くしたなら謝るよ。なんて言うかな、死ななくなってから感覚が麻痺しちゃったんだ。死んだ人に手を合わせたりとかさ、うん。どうせそのうち転生したら会えるんだろうなって。おかしいよね」
「すみません。私こそ変なことを訊いてしまって」
「いや、こっちこそごめん」愛想笑いでごまかして、今度は妹紅が話題をそらそうとする。「冥界の仕事って、ああいうこともやるの?」
「いいえ、冥界の管轄は彼岸での裁定を終えた霊ですから。あれは、ただそうしなきゃと思っただけで」

 妖夢は照れくさそうにうつむいた。そのはにかみ顔の少し後ろを歩く妹紅にも、自然と笑みが浮かんでいた。

「なんとなく放っておけないなというか、申し訳ないなというか……上手く言えませんけど」
「そんなことないさ。それがきっと普通だよ」

 気づけば人魂灯に引き寄せられて、多くの霊が二人のもとへ集っていた。先日と同じ状況ながら、妹紅はさほど寒さを覚えなかった。
 妖夢は少し開けた場所へ出ると、人魂灯を少し離れたところに置き、幽霊たちを遠ざけた。今日もやるのかと、目をつむった妹紅は、刀に手を掛ける半霊の少女へ質問した。

「訊きたかったんだけどさ、どうしてあのスペルカードなの?」
「あれだけがどうしても解けないんです」妖夢は間を置かず答えた。「妹紅さんのスペルカードで、あの【滅罪「正直者の死」】だけがどうしても避け方が分からない。あのレーザーはどう考えても回避不可能なんです」

【滅罪「正直者の死」】は、嘘でできたスペルカードだ。全体を構成する要素は三つ。周囲全体に張り巡らせたワインダーと、相手めがけ列成し飛来する15way米粒弾、そして相手をなぎ払うように動くレーザーである。
 特にレーザーが曲者で、かなりの距離を追ってくる。だからワインダーと米粒弾で動きを制限された状況で、レーザーを普通に避けようとしても、追撃を振り切れずレーザーに被弾するか、焦って米粒弾の餌食になるかの二つしかない。確かに一見すれば逃げ道はなさそうではある。
 ただしこのレーザー、効力を持つのが「発生時に相手がいた地点から」なのだ。そのまやかしを見抜き、迫ってくるレーザーに向かって突っ込んでいけば、さほど苦労なく回避できる。逆に嘘を見抜けず、まともにレーザーをさばこうとする「正直者」には、死しか待っていない。そういう弾幕なのだ。

「私の頭ではどうにもならず、幽々子様に尋ねてもみました。でも幽々子様は教えてくださらないのです。どうしても知りたいなら自分で考えなさいと」

 そしてそんな馬鹿正直者の見本のような少女が、魂魄妖夢だった。深刻極まりない表情から察するに、あのレーザーがそんな嘘でできているとは、夢にも思っていないのであろう。

「それで、回ってみたと」
「はい。レーザーを振り切るには、あの方法しかないと思います」

 一切の迷いなく、妖夢は言った。この子に仕掛けをばらしたら一体どんな反応をされるのだろうかと、妹紅はふと考えた。一杯食わされたと悔しがるのだろうか。恥じるのだろうか。それとも失望されるのだろうか。

「先日のようにだらだらとは続けません。ですから少しの間だけ、お相手願えますか?」

 妖夢は刀を抜いた。使い手の背丈ほどもあろうかという業物が、竹林の緑を吸って瑞々しく輝いた。妹紅はポケットに手を入れたまま、

「いや、今日はこれから用事があるんだ」

 と、嘘をついた。しばしきょとんとしていた妖夢は、「そうでしたか……」と刀を収めた。ごめんねと妹紅。妖夢はそんなことありませんと笑顔で応えたものの、その口調には無念さがありありと滲んでいた。妹紅はじゃあねと小さく呟いて、竹林の奥へと紛れていった。



    *



 妹紅は血の海にうずくまっていた。
 足に布を巻いてくれた男が、背中を斜めに切られ斃れている。食い物を分けてくれた男が、首から血を噴き突っ伏している。この間の夢の続きかと、妹紅は気づいた。何度も見ている夢だ。
 うつろな顔を持ち上げる。焚き火の向こうには、やはり岩笠がいた。いつもは彼女を勇気づけてくれる笑顔も、その時ばかりは光を失っていた。
 知っていたのかと、岩笠は問うた。妹紅はぶんぶんとかぶりを振る。岩笠は続けて言った。私はこれから八ヶ岳へ向かうと。妹紅は不思議に思った。この有り様ではもう勅命を果たすのは無理だ。何故そこまでしてこだわるのかと。岩笠は恥ずかしそうに微笑み、言った。帝が信頼し、託して下さったのだ、応えぬわけにはいかないだろうと、彼らしい実直な口ぶりで。
 そして妹紅に尋ね返した。お前は、この薬が今でも欲しいのかと。
 妹紅はきっぱり答えた。自分はただ父を侮辱した女に復讐してやりたかっただけ、不老不死になど興味はないと。岩笠は安堵した顔を見せ、

「よければ、一緒に来てくれないか」

 と、妹紅に頭を下げた。そして自嘲交じりに呟いたのだ、怖いのだと。もし自分一人で八ヶ岳に向かえば、どこかでこの決意が揺らいでしまうかもしれない。ふと魔が差して、何もかも放り出し、薬を舐めてしまうかもしれない。だから、私の隣にいて欲しいと。
 この夢は、かつてあった出来事の想起だ。故に夢を見ている方の妹紅は、この会話の先に待つ結末を知っている。本当に弱かった人間は誰だったのかも、今なら分かる。
 けれど、彼女は見ていることしかできないのだ。
 夢の中の妹紅は迷いなく頷いた。岩笠は良かったと微笑み立ち上がった。まだ髪が黒く短い妹紅も後を追う。妹紅は彼に伝えたかった。その女に、私に背中を許してはならないと。
 もちろんこれは夢、願いが叶うことはない。二人は暗い、切り立った崖道へと消えていった。

「――起きた?」

 開いた目に飛び込んできたのは、月明かりと、蓬莱山輝夜の顔だった。彼女は憎たらしいほどの笑みで、うつつに戻ってきた妹紅を出迎えた。

「死に疲れたみたいだったから。よく眠れた? 寝顔、なかなか可愛かったわよ」
「……うるさい、離せよ」

 妹紅の頭は輝夜の膝上にあった。リザレクションの最中に寝入ってしまったらしい。己の不覚を呪いながら藻掻くも、輝夜は頭をがっちりと抑え、逃してくれそうにない。

「だーめ。寒いのよ。あんたって抱えてると温かいんですもの。火鉢の代わりにぴったり」
「だったら今すぐ炭にしてやるよ」

 まあ怖いと、輝夜は笑った。妹紅は付き合うのも馬鹿らしくなった。どうせそのうち飽きて首の骨を折られるだけだろうと、口はへの字のまま、歯向かうのを諦めた。
 真下から見上げる輝夜は、煌々と注ぐ月光を吸って、その壮麗な居ずまいをいっそう揺るぎないものにしていた。この宿敵は客観的に見て文句なく美しかった。これほどの美貌を備えた女を、妹紅は他に一人しか知らなかった。咲耶姫、霊峰富士におわす神。岩笠の仲間たちを殺し、彼と妹紅の人生を狂わせた高慢な女。やはり美人なんてろくな奴がいないなと、妹紅はつくづく思った。

「ずいぶんうなされてたけど、何か嫌なことでもあった?」

 茶化すような口ぶりで輝夜は尋ねた。別にと、妹紅は目をそらす。くすくすとささめき笑う声が、頭上から聞こえた。

「あんたって嘘が下手ね」
「嘘なんかついてない」
「分かるわよ。最近は殺し方もずいぶんマイルドになってたのに、今日は徹底して容赦無いんですもの。まるで昔に戻ったみたい」

 話の最中、輝夜は赤子をあやすように、絶えず妹紅の長い白髪を弄んでいた。触られるのが好きでないと知った上でやっているのだ。妹紅は苛立たしげに頭を振った。

「当ててみせましょうか。喧嘩したんでしょう。相手はあのハクタク……いや、半霊の庭師かしら」
「なんで庭師が出てくるんだか……」
「ほら、やっぱり嘘が下手」輝夜は妹紅の前髪を掻き上げた。「あの半霊、前に月の見過ぎで少し目をやってしまってね。永琳が往診してあげてたの。うちにも何度か来たわ。いい子よね。真面目で、純粋で。あんたのこともよく話してた。ふふっ、何訊かれたか教えてあげましょうか?」
「黙れ」

 妹紅は輝夜の手を握って火をつけた。たちまち炎は全身へと巡り、骨をも残さぬ劫火で焼き尽くしていく。妹紅はそれには一瞥もくれず、立ち上がった。

「妬いた?」

 先ほどまで黒々と燃え盛っていた躯から、軽口が聞こえた。妹紅は背を向けたまま答える。

「焼けたのはお前だよ」
「私は妬いてなんかないわ。あんたが誰と親しくなろうと、いずれそいつらは死に、そしてあんたは全てを忘れていく。結局私のもとへ帰ってくるんだもの」
「お前をよすがにしなきゃならなくなったら、私は真っ先に自分の心を殺すよ」
「本当に嘘が下手だこと」

 輝夜は首をすくめた。嘘つきはお前だろうと、妹紅は反論になっていない反論を返した。輝夜は「あたりまえじゃない」と一笑した。

「誰だって生きていたら嘘くらいつくわ。私たちみたいなのは特にそう。正直者は長生きできないものよ」
「私"たち"っていうの、やめてくれないか。虫酸が走る」
「同じよ。確かにここは素晴らしい所だわ。私も永遠の術を解いて良かったと心から思っている。永琳も私も、そしてあんたも、少しずつ変わっていくでしょう。だとしても私たちには変えられないものがある。死にゆく者たちとの思い出に囚われて生きるのは、辛いことよ」

 妹紅は思わず振り向いた。輝夜はすぐ後ろに立っていた。妹紅の背中に手を添え、柄でもなく心配顔を浮かべて。拭いがたい嫌悪感が、妹紅の胸を侵食していく。それが宿敵に抱いた感情でないことは、自問するまでもなく明らかだった。
 妹紅は体を揺すって輝夜を払いのけ、そのまま夜空へと逃げ去っていった。



    *



 暗い掘っ建て小屋の隅で、妹紅は意識を取り戻した。冷えきった場所に長時間同じ体勢でいたせいか、関節がすっかり固まってしまっていた。
 穴だらけの壁に、土に薄く藁を敷いただけの床。暖などとれるはずもない。もしかしたら寝ていたのではなく、凍え死んだのかもしれないなと、妹紅は思った。痛みを除けば、睡眠と死は彼女にとって同義であった。
 体に血が巡るのを待って、立て膝を崩す。ひどい空腹を感じた。ここ一週間ほど、妹紅は極力外へ出ないようにしていた。誰とも顔を合わせたくなかったのだ。最近はいろいろな人妖と喋りすぎた。少し疲れていた。
 だが今日は約束がある。慧音に会わねばならないのだ。気は重かったが、自分から頼んだ以上行かねばならない。妹紅はおもむろに立ち上がり、掘っ建て小屋を発った。
 寝覚めが悪かったせいか、ひどく頭がきしむ。見慣れた竹林の緑も、今日ばかりは目に刺さってくるようであった。細目で歩いていると、進む先に影狼の姿を見つけた。

「あ、えと……どうも」

 妹紅に気づいた影狼は、明らかな戸惑いを示した。最初目が合った時には弾けていた笑顔が、みるみる陰っていく。妹紅はそんな狼女を無視して、先を急ごうとした。

「あの、この間はどうも」
「なに?」
「いえ、兎もらったから、ただ……」

 影狼の口から、それ以上の言葉は出てこなかった。
 妹紅は俯いたまま彼女の横を通り過ぎる。必要以上に殺気立っている自分に、妹紅は懐かしさと不快感を覚えた。かつてはこういう生き方しか知らなかった。全てを恨み、遠ざけることで、自己をかろうじて保つやり方しか。
 それも幻想郷に来てからは変わった。知り合いもずいぶんと増えた。だがそれも潮時なのだろうと妹紅は悟った。近づきすぎたのだ。輝夜の言うとおり、結局根本は変えられない。
 妹紅の来訪を出迎えた慧音も、相手のただならぬ雰囲気に困惑を隠せないようだった。妹紅は取り合わず、不躾に用件を切り出した。

「あの亡霊は何て?」
「それなのですが」慧音は一拍言いよどんでから答えた。「伝えはしたのですが、先方は頼みごとがあるなら本人が来いとけんもほろろでして」

 妹紅は不機嫌を露わにした。相手の言い分がひどく真っ当だったせいで憤懣を吐き出す術がないことが、いっそう彼女の苛立ちを募らせた。慧音に短く礼を述べ、きびすを返す。

「あの、大丈夫ですか」

 かき消えそうな呼びかけだった。妹紅は無理に眉をつり上げ振り返る。慧音は押しつぶされそうな顔をしていた。

「何か悩んでいるのでしたら、遠慮なく話して下さい。私たちにできることがあるのなら――」
「何でもないよ。じゃあね」

 妹紅は足早に慧音のもとを立ち去った。これ以上知った者の傍にいるのは、彼女が辛かった。浮上し、いつも以上の速度で飛翔する。全身を撫でる秋風の冷たさも、今の彼女には慰めとならなかった。
 冥界は遥か上空にあるという。むろん行ったことはない。決して縁がないと思っていた場所だ。なのにこの地では気軽に足を運ぶことができる。妹紅はつくづく幻想郷の無節操に、苦笑せずにはいられなかった。
 門をくぐり真っ先に感じたのは、死後の世界とは思えぬ陽気さであった。一面すっかり秋めき、幽霊たちは色づいた木々と戯れるかのように気ままに飛び回っている。梯子を外された気分で白玉楼までたどり着くと、中庭に面した縁側に、冥界の弛緩した空気をそのまま凝縮したような少女を見つけた。

「あらー、いらっしゃい」

 不意に訪ねてきた蓬莱人にも、西行寺幽々子は怪訝な表情一つしなかった。妹紅は牙を抜かれたかのように「どうも……」とお辞儀を返す。
 幽々子はにっこり笑って、彼女を客間へ招いた。

「ずいぶんあっさり通すんだね。最初会った時はあんなに怖がってたのに」

 ひねた物腰で、妹紅は探りを入れた。幽々子は給仕役の幽霊が運んできたお茶受けを頬ばりながら、

「ええ、怖くてもうしょうがないわ。塩ぶんまいてやりたいくらい」

 あっけらかんと答えた。本心なのかふざけているだけなのか、妹紅には判別がつかなかった。このままだと相手のペースにずるずると巻き込まれかねないと考えた彼女は、手早く本題に入ることにした。

「この間頼んだ件でお邪魔したんだけど」
「はて、何でしたっけ」
「慧音から聞いてるでしょう。お宅の庭師の件」
「あらら、あの子なら里へ買い出しに出てるわよ。今夜はすき焼きなの。貴女も食べてく?」

 予想通りと言うべきか、のらりくらりとはぐらかされる。妹紅は語調を強めた。

「あんたは分かってるんだろう、あのスペルの避け方」
「さあ、どんなんでしたっけ。最近暇でねぇ。お茶、おかわり如何?」
「ごまかさないで。いくらあの子を鍛えるためっていっても、自分で考えろ自分で考えろだけじゃ可愛そうじゃないか。そろそろ教えてやったって――」
「けれど知りたいと思うことがなくなった日々を生き続けるのは辛いでしょう、お互い」

 幽々子は口元に扇子を添え、思わせぶりに目くばせした。薄らいだはずの苛立ちがぶり返してくるのを、妹紅ははっきりと感じていた。

「今は私たちの話をしてるんじゃない。それにあんたはもう生きてない」
「まあ教えるのは構わないけど、貴女はそれでいいの?」

 妹紅はいよいよ噛み合わない会話に歯ぎしりした。幽々子はゆったりとお茶を一口すすり、

「だって、貴女も負けっぱなしじゃ悔しいでしょう?」

 気遣うような口調で付け足した。妹紅は完全に理解が追いつかなくなった。やや間を挟んでから、自分は負けてなどいないと言い返すも、幽々子は笑って受け流すばかり。埒が明かなかった。

「と、とにかく……あの子に付きまとわれて私は迷惑してるんだ。だからよく言って聞かせておいてくれ」
「そう。貴女も犯罪者なのね」

 それは不意打ちだった。まったく頓馬な受け答えだったにもかかわらず、妹紅は何故かうろたえてしまった。

「罪を犯した者は何かから逃げようとするの。そして罪を認めた者は言い訳を始めるわ。貴女は、とても悪いことをしたのね」

 妹紅は言い返せなかった。茶菓子に顔をほころばせる幽々子が、今はたまらなく不気味に見えた。下される裁きを待つかのように身を縮こませ、膝の上に置いた拳を固く握り、俯いてしまう。
 と、廊下を駆ける足音が響いた。

「噂をすれば帰ってきたみたいね」

 幽々子の一言は、妹紅をますます追い込んだ。たちまち顔を上げる。同時に障子が開いた。

「すみません幽々子様、遅くなってしまいました」
「ほら妖夢、お客さんがいらしてるのよ」
「あ、ホントだ、これは大変失礼を……って妹紅さん?」
「まあ時間はぴったりだったから、許してあげる」

 幽々子はにわかに席を立った。どこへ行くのかと、妹紅は縋るように呼び止める。

「さっき言ったでしょ、塩を撒いてお清めしなきゃ。んじゃ妖夢、あとはお願いねー」

 有無を言わさず去っていく幽々子。そして部屋には妖夢と二人きり。
 妹紅には一つ気がかりがあった。さっき弾みで幽々子に口走った「迷惑しているんだ」という一言を、妖夢に聞かれたのではないかと恐れたのだ。落ち着いて時間経過を辿ればそんなことがあるはずもないのだが、彼女の後ろめたさは、その懸念を拭えなかった。
 向かい合う妖夢もまた、いきなり押し付けられた客人を前に、しばし困り果てた様子を見せていた。幾度かの躊躇の後、妹紅に用件を問う。口ごもったのは問われた方。どう頭を捻っても、何と言い繕って逃げ帰るかの算段しか浮かんでこない。幽々子の言葉が、追い打ちのように胸に刺さった。

「そういえば先日もハクタクの方がおいでになってましたが、もしや竹林で幽霊がまた――」
「じ、実はさ、今日は妖夢に教えてあげようと思って」

 そして舌がまた勝手に嘘を吐き出していた。妖夢は不思議そうな顔をする。妹紅は何かに急かされるように続けた。

「ほら、あの弾幕の避け方だよ。妖夢はよく頑張ったよ。だからもういいんじゃないかって思ってさ。実は簡単なことなんだ。本当、下らないこと。それが分かれば妖夢なら簡単に――」
「申し訳ありませんが、お断りします」

 妖夢はきっぱりと頭を下げた。妹紅もこうなることは理解していた。にもかかわらず、彼女は頭を撃ち抜かれるような衝撃に打ちひしがれた。

「私は未熟者です。だとしても、安んじて情けを受けるつもりはありません。あのスペルは、必ず自力で解きます」
「む、無理だよ。あんなやり方じゃできっこない。あるんだ、ちゃんとした避け方が。回って避けるなんて、絶対できない」
「まだできないとは決まっていません。それほど数をこなしたわけでもない」
「十分こなしたろう? おとなしく認めろよ。決まってるんだ。作った私が言ってるんだ。できない」
「できなくとも、やってみせます」妖夢は頑なだった。「あれは私が自分で考えてたどり着いた、初めての答えなんです。だから、諦めたくはない」
「できるわけないだろ……」

 そして妹紅も、もはや自分を隠そうとはしなかった。妖夢の澄んだ眼差しは、彼女に嫌でもあの夜の出来事を呼び起こさせた。出会った中で最も誠実であった男との、最後の時を。心が濁っていく。

「正直者のまま生きるなんて、できないんだ……あいつだって、そうだったんだ……」

 彼女が語りかけていたのは、目の前の半霊ではなかった。妖夢も妹紅が何を言いたいのか、完全には理解できていないようだった。それでも彼女ははっきりと言い返した。

「難しいことはよく分かりません。でも真実を見極める方法は知っています。お師匠様から授かった剣術と、この二差しの刀。私にはこれしかない」

 抜いた刀の鋭さが、そのまま妖夢の答えであった。妹紅もそれを受け入れる。彼女とて譲ることはできなかった。でなければ、自身を欺くことでしか過ごし得なかった1300年という彼女の年月が、無意味になってしまうのだから。

「分かったよ。じゃあ納得するまでとことんやってやる。せいぜい回るがいいさ。何度も何度も何度も廻り、生きては死に、死んでは生きて、それでも私には近づくこともできぬと知るがいい!」

 障子を突き破り、妖夢は中庭へと跳ねた。妹紅はゆらりと縁側を下りる。そしてスペルカードをかざした。

「己の無力さに絶望しろ、愚か者め!!」


    滅罪「正直者の死」


 そこからは一方的な、凄惨な時間が続いた。
 妹紅は相手のことなど気に掛けず、ひたすらにスペルを連射した。容赦など一片もなかった。どれだけ相手が無残に吹き飛び、ふらふらになろうと決して手を休めなかった。彼女にとって、それは今までと同じ遊びではなくなっていた。
 妖夢もまた、立つことをやめなかった。何度転がされようと、敢然と飛び込み、細く僅かなワインダーの網目を索めた。その先に道があると信じ続けた。彼女もまた信念を賭して、妹紅との弾幕ごっこに挑んでいたのだった。
 スペルカードには使用者の考え方や記憶が色濃く反映されるという。妹紅はその真意に触れる思いがした。嘘を知らぬ半霊の少女と、正直者を裏切り生きた不死身の少女。これは互いの生き様を示し、ぶつけ合う遊びなのだと気づいたのである。
 前回に比べて、妖夢の動きは格段に進化していた。ほぼ安定して妹紅の背後、即ち半周までは至れるようになっていた。以前の彼女は速すぎたのである。ワインダーの速度に合わせるため、ほんの一瞬減速したり、蛇行を織りまぜたりして回転した。それは妹紅も驚愕する、人間離れした動きであった。
 それでもなお、壁は高かった。ワインダーの弾源は、妹紅の後方に左右に2つずつ、計4つが横一列に並んで配置されている。よって回転する際は横に長い楕円形――もっと言えば長方形――の軌道を描かねばならない。
 妖夢が半周を越えられなかったのは、楕円軌道が急カーブから浅いカーブへと変化する箇所、一方の弾源から、もう一方への弾源へと飛び越える箇所に対応できずにいたためであった。

「もう、いいだろ?」

 もう何度続けたか、妹紅も覚えていなかった。肩で息をしつつ、改めて降参を勧める。妖夢は刀を杖にし、膝をつくのがやっとであった。それでも瞳は光を灯したまま。妹紅は喉元を押さえつけられているような息苦しさを覚えた。

「まだ、この刀は折れていません」
「分かってくれ」それは懇願であった。「私たちは、生きるために嘘をつかなきゃいけないんだ。それが自然なことなんだ」

 忠告には耳を貸そうともせず、妖夢は立ち上がろうと踏ん張った。言葉は無用だと、その全身が告げていた。妹紅は後ずさる。

「妖夢ー、ご飯まだー?」

 そんなのっぴきならぬ空気を、一瞬にして打ち壊す声だった。奥間からふよふよと姿を現した幽々子、妹紅はぎょっとした顔を彼女に向ける。どっこいしょと縁側に腰掛けた主人へ、妖夢は習性で「申し訳ありません! すぐ終わらせます!」と叫んだ。幽々子は扇子を手中で弄びながら、

「ところで妖夢、貴女のその眼は何のために付いているのかしら」
「分かりません!」
「なら捨てなさい。使い方も分からぬものに頼っているから、何も見えないのよ」

 分かりましたと猛った妖夢は、たちまち息を吹き返した。立ち上がり、構えをつくる。妹紅には、あの夜、八ヶ岳に向かわんと立ち上がった岩笠の姿と、今の彼女がぴったり重なって見えた。

「どいつもこいつも、訳の分からないことをっ!!」


    滅罪「正直者の死」


「はああぁぁぁっ!!」

 妖夢は目を閉じた。その凄まじい集中力に呑まれたかのように、妹紅の周囲から音が失せた。全てがスローモーションとなって、妖夢の動きを逐一見届けることができたのである。
 跳び、時折ジグザグな動きを交ぜながら背後へ回った。そしてほぼ真っすぐの軌道を描き、妹紅の真後ろを突っ切った。それまでは隙間を探そうとして、知らずうちに体が外へ逃げていたのだ。
 半周を越えたところで、最初のレーザーが光った。妖夢を追いかけるように回るも、全く追いつけない。妖夢は正面に戻り二周目へ。無数の米粒弾を従え、寸分たがわぬ動きでさらに回る。
 二波目のレーザーが、今度は逆回転で彼女に迫った。だが元より回って避ける者を仕留めるためには作られていない。妖夢の手前でレーザーは空しく力を失った。
 その時妖夢は既に二周半。
 いよいよ三周目となったところで、タイミング合わせの蛇行運動がわずかに狂った。そして濃密なワインダーは、その僅かな狂いすら許してはくれない。たちまちにして響いた被弾の音は、無音の戦いに終わりを告げたのだった。

「ああ、くそっ!!」

 吹き飛んだ妖夢は、仰向けのまま拳を地面に叩きつけた。悔やむ時間すら惜しいと跳ね起きる。表情には、何かを掴み得た者にしか備わらない輝きがあった。
 そして妹紅は、スペルカードを切れなかった。
 弾幕を作った彼女には分かったのだ。この弾幕は左右からのレーザーでワンセット、それ以上の変化はない。つまり二波目のレーザーを避けた時点で、証明は果たされたのだ。回転避けは実現可能なのだと。
 妹紅は膝を折った。味わったことのない敗北感だった。妖夢は彼女の意図を超え、一つの可能性を示した。人は正直なままで生きていけると。それはあの日、妹紅が岩笠を突き落として蓬莱人となったあの時に、切り捨てたはずの可能性であった。
 ごめんと、そんな言葉が口から漏れた。謝罪であった。本当にすまなかったと、妹紅は裏切った恩人への届き得ない思いを初めて口にした。死なぬ体となってから、彼女がようやく表せた本心であった。ずっと果たしたかった懺悔であった。

「あの、妹紅さん?」
「いいのよ妖夢。そのままにさせてあげなさい」

 幽々子の声が、中庭に響いた。遠くの誰かへ聞かせるような言い方だった。

「その子はね、お墓参りに来たの。わざわざ冥界まで。だから、もういいのよ」



    *



 この日案内するのは、若い母親とその娘だった。
 慧音のお節介は未だ静まる気配がなかった。大丈夫か、私も途中まで一緒についていこうかとまくし立てる様は、子を気遣う親のようであった。
 妹紅は大丈夫だよと苦笑しながら、母子を連れていつも通り永遠亭を目指した。
 診療所への護衛役をやりたいと妹紅が申し出たのは、冥界での一件があった直後であった。あの時の慧音の喜びようは、今も彼女の脳裏にはっきりと焼きついている。さすがに一緒に里で暮らそうという誘いまでは、すぐに受け入れられなかったけれど、時が来ればそういうのもありかなと、今では考えられるようになった。
 道中、背中におぶった娘から、さんざん質問を浴びせられた。なんでも生まれた時から心臓を病んでいるらしく、まともに外を出歩いたことすらなかったのだそうだ。お姉ちゃんはどこに住んでるのとか、あそこにあるのは何だとか、他愛ないものばかりだ。妹紅は自身の身の上に関しては適当にはぐらかしながら、幼子とのやり取りを楽しんだ。最近はようやく人とも物怖じせずに話せるようになった。
 半ば過ぎ、影狼とすれ違った。母親はおおいに警戒したが、おぶった娘の方はまだ妖怪が何かを知らず、純粋に興味を抱いた。妹紅はこの狼女は基本おとなしい妖怪であること、もし出くわした時は食べ物の一つでもやれば穏便にやり過ごせること、ただし満月の夜だけは近づいてはならないことを母子に言って聞かせた。影狼はこれ以上人間から恐れられなくなったら困ると不満気であったが、妹紅はこれくらいの緩さの方が好みだった。
 その後も馴染みの妖怪や妖精に挨拶しながら進むと、あっという間に永遠亭が見えてきた。
 診察と検査を済ませた永琳は、手術が必要なので今日は泊まって行くよう母子に勧めた。母親もそれでこの子が助かるのならと了承した。妹紅は退院する時は迎えに来るよと言い残し、診療所を後にする。
 帰り際、輝夜とばったり顔を合わせた。すっかり護衛役が板についたものだと冷やかされたので、負けじと言い返してやった。今でも殺し合いは続けているが、こうして普通に口喧嘩することも多くなった。
 振り返れば永遠の術を解いてからはや数年。その間に月都万象展だのロケット騒ぎだの、いろいろあった。彼女にも変化があったのかもしれないし、違うのかもしれない。いつか話をする機会も出てくるだろう。焦ることはないと妹紅は思った。時間はあり余っている。
 帰宅した妹紅は、いったん外に出、桶に水を汲んだ。以前よりも人間の住まいらしくなった小屋の隅には、小さな墓がある。岩笠の墓だ。石を磨き、線香を立て、手を合わせる。それが自己満足にしかなりえないことは、妹紅も重々承知していた。だとしても彼女は弔わねばならないと考えた。永遠に悔い続けること。数万、数億年も経てば、あるいは誰に、何のために手を合わせていたか忘れてしまうかもしれない。だとしても続けていくことが、蓬莱人となった自分にできる償いだと、信じたのであった。
 背後に人の気配がした。妹紅は祈りを解き、振り返る。
 予想通り、客人は妖夢であった。今も二人の関係は続いている。妹紅にとって彼女との弾幕ごっこは、永遠に続く生の一幕に咲いた至福の一つであった。妖夢はまだ、【滅罪「正直者の死」】を取得できていない。もちろん妹紅も答えを教えてはいない。いつか妖夢が正直者のまま、あのスペルカードを打ち破ってくれるのを、今は楽しみにして生きていこうと彼女は思っている。



 
「嘘」ということで、「妖怪ポリグラフ」と迷った末こちらにしました。
妖夢単体では、昨年避け切りが達成されたそうです。
参考:ttp://www.nicovideo.jp/watch/sm16908197
みく
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コメント



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1.5あらつき削除
発想は面白かったです。スペルカードにキャラクターを落とし込むまでは達成出来ていないかもしれません。
2.7mayuladyz削除
偉そうな事を言うけどごめんな(´・ω・`)
文書は悪くない
構成も悪くない
アイディアも悪くない
悪くないづくしだが
薄口の料理のような物足り差を感じたよ

しかしこれは作者と私の感性の違いから
来るものなので参考程度に聞いて欲しい

気になったのは
最初から最後まで同じような雰囲気だったこと
音楽で言うと全部サビが続き、起伏が小さかったように思えた
Aメロや間奏が無いのぶん、見せ場が映えない印象

哀愁のもこたん以外に、別の感情を抱いたキャラ
(例えば、スペルカード攻略を目標とする希望の妖夢など)
の視点から妹紅を見るシーンがあると
雰囲気に変化を与えられたような気がする

ただ
雰囲気に変化を与えるのがよいか
どうかよく分からぬ
作品や作風、主題や作者の感性にもよると思うので…

と評論家気取りですまぬ(´・ω・`)
3.8ばかのひ削除
いい嘘と正直者の使い方!
面白かった!
4.8名無削除
初めてアレを見たときは度肝を抜かれたなぁ
5.9名前が無い程度の能力削除
初めて仕掛けに気付いたときの不思議な感覚が懐かしいです。頑張れ妖夢。
6.10がま口削除
素晴らしいです。儚月抄の設定からスペルカードと弾幕まで原作に忠実であり、二次創作の原点を改めて拝読させていただきました。
妹紅の影の部分を照らす妖夢の愚直なまでの真っ直ぐさに、心が熱くなりました。
ただ永夜異変直後の話っぽいのに影狼さんが登場して、自分の中で軽い時系列パニックが起きてしまったのは内緒です(汗) よく考えるとこの時代から存在はしていたんですよね……
ともかく、妹紅の原作からの心境変化を埋める物語として全く遜色ない作品でした。満点を贈らせていただきます。
7.5uiui削除
正直者の死大回転と妹紅の過去をつなげてくるのはなかなかすばらしいアイデアだと感じました
ただ、説得力を持たせるにはちょっとストーリーが不足していたように思えます
もうふた捻りぐらいいれるか、イベントをもっと盛り込んだほうがよかったと思います

それにしてもいつかは大回転してみたいものです
8.5みすゞ削除
スペカをうまく内容に持ってこれていると思いました。
9.7PNS削除
ここまで『らしい』SSもなかなか見ない物です
所々に確かな原作リスペクトを覚えました
動画は異次元
10.8ナルスフ削除
正直者の死大回転、まさか今更こんなテーマを見るとは。
頑なに大回転しようとする妖夢に、岩笠のエピソードを絡めてなかなかに完成度の高い一品。
基本永夜抄以前のメンツの中に、ひょっこりと紛れ込んでる影狼ちゃんかわいいかわいい。
しかしやはり幽々子様は得体がしれねえ・・・。妖夢との良い対比ではあるのですがね。

しかし動画で見るとやはり狂ってるぜ大回転・・・。
11.9道端削除
 丁寧語慧音! 絶滅危惧種の丁寧語慧音じゃないか!
 というどうでもいい感動はさておき。

 上手いなあ。
 文章に無駄がなく、綺麗に過不足なく必要な情報をすらっと描けるその筆力に感動。ふぉおお。

 正直者の死の回転避け……聞いたことはあるけれど、やったことはない。
12.4生煮え削除
話の主題からするとスペルカードという要素を入れる事にどうにも違和感があり、釣り合っていないと感じました。特にワインダーとか15way米粒弾とか、話の雰囲気を大きく損なう印象でした。終盤の半周回るだの一周回るだのといった描写も同様です。スペルカードを愚直に物語で描写するのはあまり上手いやり方ではないのかもしれませんね。
この話の場合、生き方のような静かで重いものが主題なだけに、余計に相性が悪く感じました。
13.10きみたか削除
ネタプレイを大真面目な小説に仕立て上げたのは拍手。なるほど妖夢ならやりかねん。死ぬはずの正直者に生きる道があって、それを認めて膝を屈する妹紅が印象的でした。とっさの嘘と結果としての嘘。短編としてのまとまりも見事でした。とばっちりっぽい影狼がちょっとかわいそう。
14.9名前が無い程度の能力削除
滅罪「正直者の死」 これ以上ないほど嘘という題にぴったりのスペルカードですね
妹紅しかり妖夢しかり、どの登場人物も、ほんの少ししか出ない影狼でさえ非常に魅力的でした
特に幽々子の台詞はどれもつかみどころがないのに、なぜか頭にすぽっとはまって私を魅了して止みません
妖夢への助言などはもうしびれてしまいますよ
15.1エーリング削除
大回転は普通にやってたら思いつきません。実直で頑固な妖夢なら最初は真下で避けると思いませんか?そしたら最初は引っかかっても何回目かで反応が遅れてレーザーに重なり判定がない事に気づきます。だから頑なになる姿勢にリアリティが無いと思います。
16.6智弘削除
今回の話の中でわりと好き。
17.6K.M削除
バカ正直を極めるって怖い。いや、まったく。