第十二回東方SSこんぺ(嘘)

ひまわりを超えて

2013/10/27 23:47:08
最終更新
サイズ
49.44KB
ページ数
1
閲覧数
67
評価数
15/15
POINT
93
Rate
1.48
 木々の隙間から陽の光が目に入る。夜が明けた。これで張り込みは何日目だろうか? ふと浮かんだ疑問は粗末で下らないものだった。
 樹木の葉に紛れ息を殺し、はたての監視を続ける。執念。その言葉だけがいまの私を動かす原動力。
 私の生き様である清く正しい文々。新聞が、花果子念報に発行部数で追い抜かれすでに半年近くになる。当初はまぐれだとタカをくくっていたが、今では倍以上の差をつけられ売買までされているらしい。悔しいが負けを認めなければならない。今まであぐらをかいていたツケが回ってきた。
 しかしこのまま黙っている私ではない。起死回生、一発逆転となる作戦を用意した。有頂天に溺れるはたては、以前の私のように油断しているはずだ。
 おっと、はたてが外に出てきた。今度こそ捉える。決定的瞬間を……。


 執筆活動を始めようと思ったら随分と外が騒がしい。どうやら今日は日が悪いようだ。そのまま諦めても良かったが、せっかくやる気になったので創作意欲を回復すべく騒がしい原因を排除するようお燐に言いつけた。しばらくすれば静かになるだろうと思っていたのもつかの間、しょんぼりした顔でお燐が戻って来た。
 理由は尋ねるまでもなくお燐の顔と心を読めば状況は把握できた。私に会いたいと柱にへばり付きながら紫の天狗が叫んで動かないらしい。
 大きなため息がでる。止むを得ない。このままではらちがあかないので話だけでも聞いてみようと天狗をダイニングルームへ通した。天狗は着席する前に私の元へ歩み寄る。
「初めまして! 私は花果子念報を発行しております姫海棠はたてと申します! これはつまらないものですが……」と威勢の良い声をあげ腰を直角に折ると紙包みを献上する。
「どうも。ご丁寧に……」
 はきはきとした態度に好感を覚え、紙包みを受け取るとほのかに暖かくあんこの甘い香りが鼻をかすめ「掴みはばっちり!」と天狗の心中が聞こえた。
 せっかく抱いた好感は一瞬で台無しになり、もう一人の私が「厄介なお願いをされるかも……」と耳元で囁く。
「それではご用件を伺います。お座りください」
「はい! それでは失礼します」
 天狗はそう言うと上座に腰を下ろした。
「お茶の用意をお願い」
 頂いた紙包みをお燐に預け、気は進まないが天狗の向かいに座る。お燐は一礼してダイニングルームを後にした。
「本日折り入ってお願いに伺ったのは――」
「残念ですがお断り致します」
 心の中を覗くと考える間もなく即答できる内容だった。彼女は鳩が豆鉄砲を喰らったような顔で思考が止まり、しばらくして私に心を読まれたと理解すると口を閉じて頷いた。
「そこを何とかお願いします!!」
 天狗の胸で躍る『部数倍増』『人気上昇』『はたて最高』の言葉達に突き動かされ、両手を合わせ必死にお願いをする。しかしいくら嘆願しても私の決心は揺るがない。
「残念ですが、私の決意は変わりませんので……」
「そうですか……。それなら仕方ありませんね」
 長丁場になると覚悟していたが、私の返事を聞くとあっさりと手のひらを返した。しかし神妙な表情とは裏腹に「また明日こればいいや」と諦めていないようだ。どうやら明日から通い詰る気でいるらしい。
「明日来ても、明後日に来ても決意は変わりませんよ」
「それなら明々後日にくればいいんですね?」
 天狗は前のめりになりギラギラと目を輝かせる。その目を見て思った。執筆活動をしばらく諦めよう。


 お茶がでるよりも先に天狗は帰ったので手土産のどら焼きをみんなで頂く。お燐がお空を呼びに行き戻ると、いつの間にか私の隣にこいしが座っていた。相変わらず神出鬼没な妹だ。
 お茶を一口飲んでからどら焼きを頬張る。すこし冷めていたが、控えな甘さのこしあんが口いっぱいに広がる。そしてまたお茶を飲む。互いに強く主張せず調和が取れ相性は抜群だ。
 天狗め、いい仕事をしたなと心の中で拍手を送った。
 みんなも口々に美味しいと言いながら笑みをこぼし至福の時を過ごす。そしてどら焼きを食べ終えたお燐から質問を受けた。
「ところでさとり様。天狗の用件とは何だったんですか?」
 そう言えばまだ話していない。創作意欲を奪われ、しゅんとなり失念していた。
「小説を新聞に掲載したいとお願いされたの。でも断ったわ」
 天狗は念写を使い、小説でお燐とお空が感動の涙を流しているのを知り「これは新聞の人気取りに使える!」と思い私の元へ駆け込んだ。
「どうして断ったんですか?! さとり様の小説は面白いのに……」
「お燐の言う通りですよ! さとり様! さとり様が書く小説の素晴らしさを世に知らしめましょう!」
 お燐の意見に同調しながらお空は興奮のあまり両手で机を叩いた。湯呑のお茶が揺れる。
「私は貴方達に読んで貰えればそれで満足よ」
「そんな! 勿体ないですよ! 沢山の人に読んでもらいましょう! いいえ! さとり様の小説は沢山の人に読んでもらうべきです!」
「いいこと言った! お燐! 考え直しましょう! ねえ、さとり様……」
 二人の後押しに気持ちは大きく揺らいだ。本音は大勢の人に読んでもらいたい。物書きなら誰しも思う。しかし作者が妖怪さとりだと知れば誰も見向きはしなくなるだろう。それが怖い。
「いいのよ。今のままで……」
「お姉ちゃん!」
 ずっと黙っていたこいしが急に声をあげた。場の空気がピンと張りつめ、全員の視線がこいしに集まる。
 こいしは私の両手を握り自身の胸元に引き寄せると、ゆっくりと首を横に振り私を見つめた。


 翌日も宣言通りにのうのうと天狗がやって来た。昨日と同じようにダイニングルームに通し向かい合って座る。
 今日はどんな切り札を用意しているかと思い、心を覗くと「誠意」の一言のみで押し通すつもりのようだ。相手の出方を伺おうと思ったが、冗長になるのは火を見るより明らかなので早々に本題を切り出した。
「昨日の件ですが、お引き受け致します」
「本当ですか?! ありがとうございます!」
 大声を上げて天狗はテーブルにひれ伏せる。しかし内心では「ふっ、ちょろいな」と鼻で笑っていた。
「やっぱり辞めにしておきます」
「すいません……。もっと時間がかかると思っていたので、つい……」
 天狗は舌を出して誤魔化した。咎めようと思ったが本音を口にしたのでやめた。
「ただし、条件があります」
「条件ですか?」
「私が作者であると公言しない。守れますか?」
 天狗は少し間を置いて答えた。
「分かりました。ですが作者名は記載したいので、せめてペンネームは付けて下さい」
 そう言われると思いペンネームはすでに用意してある。アナグラムを用いて自分の名前を変化させその一部を使おうと決めていた。
「ペンネームは『こさめ』です」
「『こさめ』ですか。分かりました。それでは詳細な部分を決めましょう」
 天狗は鞄の中からメモ帳を取り出し、それを合図に打ち合わせが始まった。手始めに私の意向を伝えると天狗は少し渋い顔を見せた。
「いきなり長編ですか……。それよりも短編でしばらく読者の反応を見てからが良いかと……」
 天狗の意見は正論だった。読者を意識するのは物書きとして基本である。しかし根気に乏しい私は一番に書きたい物でなければ書き上げられない。そしていま一番に書きたいのが長編小説である。
「貴方の意見は正しいけれど、以前から温めていた長編の構想がまとまったの。これを機に書いて見ようと思って……」
 天狗から紙とペンを受けとり簡潔にプロットを説明した。説明が終わると天狗の目もとが少し緩んだ。これはいけると確信した。
「分かりました。長編でいきましょう」
 ダメなら辞退も考えていたので、説得できて一安心だ。それから締め切り日や掲載期間などの細かな話し合いがまとまり、互いに誓約書と握手を交え打ち合わせが終了すると、なんだか妙な仲間意識が生まれているのに気付いた。


 新聞に掲載されると言っても大きな変化は無い。しいてあげれば締め切りが存在するくらいだ。もちろん最善は尽くすが締め切りを守る気は毛頭無い。良い物を作る為には締め切りに囚われて妥協してはいけない。
 それに不特定多数に見られると言っても、所詮は不人気の花果子念報。
 月に一度、新聞の片隅にぽつりと掲載される小説にわざわざ目を通す人がいるとは思えない。暇な人の目に留まり読んでみると面白かった。そう思ってもらえればいい。大きな期待は無かったので、力みが出ずにいつも通り気楽に書けた。
 しかしお燐やお空の二人は私以上に喜びを爆発させていた。原稿が仕上がったその日の晩御飯は食べられない量のご馳走が食卓に並び、新聞に掲載された小説をスクラップにして保管する。「時期に大量のファンレターが押し寄せるわ」とお燐は空き部屋の整理を始め「有名なっても忘れないで下さい……」とお空は涙を流して訴える始末。いささか大げさだなと思ったが二人の祝福は素直に嬉しかった。
 第三話が掲載されたある日、書斎のドアを乱暴に開けて天狗が飛び込んで来た。ちょうどペンが走り始めた矢先に邪魔をされたので、ペンを投げつけてやろうかと思った。
「見て下さい! これ!」
 天狗は肩掛け鞄から三枚の手紙を取り出し机に叩きつけた。
「とうとう来ましたよ! ファンレターが!」
「ファンレター?」
 驚きのあまりオウム返しになって天狗を見ると、その場で小躍りをしそうな良い表情をしている。
「それに小説は好評で掲載された新聞の発行部数が伸びています! これも先生のお力はもちろんですが、抜擢した私の思惑通りです!!」と勝気に眉を吊り上げ『私』の単語を強調して言った。天狗の本音も「さすが私!!」などの自らを賞賛する言葉が並ぶ。私の前では建前が無意味だと学習したようだ。
「それじゃあ、私はこの辺で。執筆中失礼しました。頑張って下さい。先生」
「言われなくても――」と言い返そうとしたが、私の言葉に耳を貸さず一礼して天狗は風のように去る。天狗が去った後には静けさとファンレターとさとりだけが残った。
 しばらく呆然とファンレターを眺める。一体どんな内容なのか? 興味はあってもすぐに中身を開けられない。もし厳しい感想が書かれていたら、気持ちが沈んでしまい今後の執筆活動に影響するだろう。どうすべきか……。
 見ず知らずの人から貰った初めてのファンレターに戸惑っているとドアをノックする音に気付いた。
「どうぞ」
「失礼します」
 入って来たのはお燐だった。
「天狗が来たようですけど……」
「ええ。ファンレターを置いて帰ったわ」
「ファンレターですか! 凄いじゃないですか! さとり様!」
 尻尾を振りながら軽い足取りで机に近づき、三枚のファンレターをまじまじと観察する。
「触ってもいいですか?」
「ええ……」
 お燐の目力に圧倒され反射的に答えた。恐る恐る一番上のファンレターを手に取り、歓喜の声を上げて天に掲げる。その姿は薄明光線を浴びて大いなる存在から祝福を受けているように見えた。
「読んでみましょう! さとり様!」
「後で読んでみるわ。いまペンが走りかけたところなの」
「そうですか……。残念です……」
 尻尾と耳がしょんぼりと垂れ下がりファンレターを静かに置いた。
「晩御飯の用意ができたらお呼びしますね……」
「わかったわ」
 お燐は重い足取りでドアに向かい、何か言いたそうな顔で二度こちらを振り返る。無反応な私を見てがっくりと肩を落としながら出て行った。
 それからファンレターを確認すると一番下に隠れていたファンレターが目に留まった。封筒の中央に『こさめさま』と丸みを帯びた字で記載されている。幼子の字ようだ。読者層を成人女性と想定していたので、まさか幼子からファンレターが来るとは夢にも思わなかった。幼子なら苦言は書かれていないかもしれない。そう願いながら封を開けた。
『はじめまして、こさめせんせい。わたしは――』と自己紹介から始まり、登場人物や物語について色々と書かれていた。セリフのニュアスや風景描写の解釈は彼女には難しかったかもしれないが、それでも一生懸命読んでこうしてファンレターという形で質問してくれる熱意に感動を覚えた。
 所々に誤字脱字が見られ、紙が擦れるほど何回も消した消しゴムの跡。決して綺麗とは言えない便箋だったが、文面からひしひしと伝わる情熱に目もとが潤んだ。
 最後に『これからもおうえんしています。がんばってください』とありきたりの文書で締められていた。
 私は嬉しくて何度も読み返した。美しい文章で書き綴られている訳でも、芸術性が見受けられる訳でもない。どこにでもある平凡なファンレター。それでも私の胸を掴んで離さない物があった。このファンレターには私が物書きとして最も大切にしている、いわば原点と言うべき物がある。
 このまま感慨に浸るものいいかもしれない。でも彼女は思うと居ても立っても居られない。引き出しを開けた。便箋はたしか奥に在ったはずだ。


 慧音がご馳走すると言うので胸を躍らせてやって来た。そうだな……、気分は焼き魚。アツアツの魚に醤油をひとたらし。脇役の大根おろしを箸休めに焼き魚をつまみながら酒を飲む。最高だ。最高じゃないか。想像しただけで唾がでる。焼き魚に恋心を抱き手土産の酒瓶を振り回していると慧音の家に着いた。引き戸を叩き慧音を呼ぶ。
「妹紅か。まあ上がってくれ」
 現れた慧音はなぜか上機嫌で満面の笑みだった。
「何かいいことあったのか?」
「聞いてくれ! 先日送ったファンレターの返事がやっと返って来た!」
「ファンレター?」
 靴を脱いで家に上がり居間に向かいながら横にいる慧音の顔を見る。とても生き生きした表情。初めて見たような気がする。
「花果子念報で連載中の小説だ。まさか知らないのか?」
「知らないな」
 興味が無かったので適当に返事を返した。
「今ものすごい人気の小説だぞ。鈴奈庵の前に専用のファンレターボックスが出来るし、小説が掲載された新聞は売買されているらしい」
「あんな新聞に金を出すと気がしれないな」
「だから、新聞じゃない。新聞に載っている小説に価値があるんだ」
 居間で腰を下ろし食卓を見ると料理が一品も並んでいない。有るのは四つ折りにされた紙だけ。おそらくファンレターだろう。
「なあ、慧音。まだ何も並んでないけど……」
「すまん、すまん。ファンレターに夢中でまだ何も用意していない。だから妹紅も手伝ってくれ」
「はいはい……」
 どうやら座っていては何も出てこないようだ。働かざる者食うべからず……。仕方ない。不本意ではあるが一度畳に根を下ろした重い尻を再び上げよう。酒瓶を置いて立ち上がり慧音と並んで台所に立った。
 料理をしながら慧音はずっと小説の話をしていた。興味が無いのでいい加減な返事で誤魔化していると、時折「ちゃんと聞いているのか?」と怒られる。なぜ興味の無い話を聞かないといけないのか? 苦痛だ。しかしここで慧音の機嫌を損ねてはタダ飯にありつけない。そう、背に腹は代えられぬ。いま私の忍耐が試されているのだ。
 小説のタイトルは『ひまわりを超えて』
 幼なじみの少年と少女が成長して背丈がひまわりを超える頃、互いを異性として意識するあまり、すれ違いや衝突、運命に翻弄される純愛をテーマした切ない物語らしい。成人女性を中心に火がつき、純愛に興味が無さそうな中年男性から悪戯好きの妖精まで。小説が掲載される新聞は老若男女が我先にと奪い合い、みんな小説を熟読しては滝のような涙を流すそうだ。
「妹紅も読んでみろ。きっと感動して目が真っ赤になるぞ」
 大根を下ろす手を止めて慧音は言った。
「私はいい」
「どうしてだ? 妹紅は本を読まないのか?」
「いや。本はたまに読むけど、作り話は駄目だ。嘘だと思うと興ざめする」
 いつからか分からないが、私は本を読まなくなった。特に誰が作った空想物語は全く楽しめず途中で投げ出してしまう。それは書き手の実力以前に私に問題がある。
 終わらない人生を歩んで色々な物を見てきた。痴態、醜態、罵詈雑言。人間が壊れる瞬間も目の当たりにした。刺激の強い人生のお蔭で綺麗な話を聞くと途端に拒否反応が起こる。こんな話ある訳ないだろうと……。
 苦い記憶を掘り起し気持ちが沈んでいると、何の前触れも無く慧音は私の顔をじっと見つめて言った。
「現実は重く静かで、そして美しい。だから嘘でもいい。夢が見たい……」
 一瞬ときめきにも似た感情が湧き上がったが、すぐに泡のように弾けて消えた。
「このセリフは少女が少年に言うんだよ。でもその時の少年には意味が分からず、後になって少年はセリフの意味を理解して……」
 慧音は説明しながら小説の描写を思い出し、感極まって声を詰まらせ袖で目元を拭う。
「とにかく読んでみろ。先入観は持たず読んでみろ。世界が変わるはずだ」
「あぁ。機会があれば読んでみるよ」
 一刻も早くこの話題を終わらせたかったので生返事を返す。
「読む気ないだろ?」
「今度読むよ。だからこの話はもう終わりにしてくれ!」
 嫌気がさして少し強い口調で言うと慧音は私が怒ったと思ったらしく、それっきり無言になった。里芋を煮込む音とまな板を叩く包丁の音がやけに耳につく。少し言い過ぎたか? 横目で慧音を見ると俯いて寂しそうだった。


「なあ、さちばあさん。『ひまわりを超えて』って小説を知っているか?」
「あぁ、知っとるよ。孫の愛がいま夢中になっとる。私も読んだけどええ話じゃないか」
 昼下がりの日差しを浴びながら、さちはお茶を一口飲んでから答えた。私は縁側で腰を下ろし茶菓子を頬張る。
 昨晩は小説の話題で慧音とギクシャクしてしまい、反省の念と共に小説が頭にこびりついていたので何となく話題に出した。しかし今だに読む気はない。
「面白いと言われても、どうも読む気になれないんだよな。作り話だと思うとなんか急に冷めてしまんだよ」
「そうかい。妹紅は手厳しいのう」
「慧音が読め読めって煩くてかなわないよ」
「無理に読まんでもええ。読みたい時に読めばええんじゃよ」
「そうだな。そうだよな」
 亀の甲より年の功。先代の人々は良い格言を残してくれた。さちの言葉に共感を覚え趣味を押し付ける慧音の強情さを嘆いた。
 少し喋り疲れたのでお茶に手を伸ばすと、表で子供達の駆け足が耳に入った。口々に「急げ!」と言いながらどこかへ走り去る。
「おう、そうじゃった。すっかり忘れておった」
 さちはお茶を置いて膝を叩いた。
「どうした?」
「今日は人形劇の日じゃった」
「アリスの人形劇か?」
「そうじゃあ。急いで仕度せんと」
 お茶をおぼんに乗せてゆっくりと立ち上がる。
「どうじゃ、妹紅も一緒に行ってみんか?」
 そう言えばアリスの人形劇をちゃんと見た覚えがない。祭りで見かけても横目でいつもやり過ごしていた。あいつはどんな顔で人形劇をしているのか? 暇だし冷やかしに行って見るか。


 人形劇の会場である集会場は予想以上に大盛況だった。子供をはじめ大勢の老人や父母らしき人も見受けられる。
 さちはちゃぶ台前を陣取る子供達に砂糖菓子を配ると口々にお礼を言われた。嬉しそうに笑みをこぼしながら知り合いに挨拶を交わし後ろに座った。なるほど、ここは社交場も兼ねているようだ。
 アリスは忙しく人形の着付けに追われていた。準備を終えた人形はアリスの周りで身体を伸ばす体操を行なう者。持っている剣で殺陣の動きを確認する者。それぞれ自分の出番に備える。緊張と高揚が入り乱れ話しかけづらい雰囲気ではあるが、冷やかしに来たのでもちろん話しかける。なるべく怒りを買わないように爽やかに。
「よう、アリス」
「珍しいわね。いま忙しいの。冷やかしなら帰ってちょうだい」
 着付けをする手を止め横目で私を見る。「あっちに行きなさい!」と冷ややかな視線を送り再び手を動かす。当然と言えば当然だ。しかし本来ならここで引き下がらず邪魔をするつもりだったがすぐに断念する。
「妹紅。邪魔するなよ」
「そうだよ」
 周りの子供達から一斉に非難を浴びる。当たり前だ。みんな人形劇が見たくて、ここに集まっている。それを邪魔する私は悪者だ。反抗しても得にならない。素直に諦め誰の視界にも入らない後ろへ逃げよう。
 人形劇の舞台と思われるちゃぶ台から一番遠い柱に背中を預け、しばらく会場の様子をぼんやりと眺める。雑音が混じってよく聞き取れなかったが、子供達の殆どが人形劇の話題で盛り上がっていた。みんな無邪気で楽しそうだ。その顔を見ていると、自分にもそんな頃があったんだと懐かしさを覚えた。この場にいる大人達の誰もが思ったかもしれない。
 準備を終えたアリスは立ち上がり手を二回叩いた。雑音はぴたりと止み会場の視線がアリスに集まる。
「お待たせしました。これから人形劇の始まりです」
 始まりの挨拶に拍手と歓声が湧き上がると、アリスと上海人形達は客席に向かい軽く一礼をした。
 少し広めのちゃぶ台を舞台に見立て人形劇が始まった。アリスは舞台の横に足を崩して座り膝に乗せた本をいつもよりゆっくりとした口調で読み上げる。登場人物によって声色を使い分け、抑揚を付けて物語に深みを与えた。その姿は子守唄を歌う母親のような包容力を感じた。
 人形達の芝居も見事だ。心情が感じ取れる細かな仕草や人形にしかできない重力を無視した跳躍。アリスの朗読に合わせて躍動する人形達。誰もが物語に引き込まれてゆく。
 物語は主人公と仲間達が共に助け合い、最後に世の中を苦しめる強大な悪を倒す。今まで掃いて捨てるほど聞いた勧善懲悪だった。それでも子供達は主人公の危機に唾を飛ばす勢いで声援を送り、悪を打ちのめすと飛び跳ねて喜びを爆発させる。
 そしてアリスが「おしまい」と本を閉じると割れんばかりの拍手と大歓声で集会場が揺れ、アリスと劇団員は観客の喝采に深く頭を下げて答えた。
 アリスと上海人形達はすぐに子供達に取り囲まれ四方から感想が飛び交う。おそらくアリスの耳には届いてはいないだろうが、それでも嬉しそうに微笑み周りの大人達も終始笑顔だった。その様子を私はどんな顔で眺めていたのか? 見当もつかない。ただ、純粋に楽しめる人達が羨ましかった。それに比べ私は随分とつまらない冷めた人間なってしまった。
 遠巻きで見ていた私は取り残された孤独感で胸が押し潰される。すぐここから逃げ出したい。しかし足は硬直して動かない。
「妹紅。帰ろうか」
 さちに声をかけられて金縛りが解けた。
「もういいのか?」
 動揺を悟られないように平然を装う。
「うむ。邪魔になってはいかんからのう」
 彼女が優しく微笑んだ時、私を気遣っているのだとすぐに悟った。その気配りが嬉しい反面、自分が情けなく思えた。それから私達は誰にも声をかけず逃げるように集会場を後にした。
 しばらく会話の無いまま道を歩く。丸い背中のさちを追いながら幼少時の記憶を掘り返す。しかしうまく思い出せない。まるで雲をつかむような感覚。悠久の時を重ね風化し消えてしまったのか……。
「嘘でもか……」
 ふと慧音に言われた言葉を思い出した。例え作り話でも一喜一憂し楽しめれば本望。少女はそう言いたかったのか……。
「ええ話じゃったな。妹紅」
 彼女は呟いた。脳裏には満面な笑みの子供達とアリスが浮かぶ。
「あぁ……。いい話だった……」
 目の前にある小石を蹴飛ばすと、前を歩くさちの長い影に吸い込まれていった。


 どうやら今回は一人のようだ。一体どういう風の吹き回しなのかしら? 頭の片隅に沸いた疑問に複数の回答を当てはめてもどれもしっくりとせず、もやもやを抱えたまま劇を続ける。
「作り話に興味は無い」そう言い放った妹紅がさちおばあさんの付き添いを機に、毎回欠かさず人形劇に顔を出すようになった。一番後ろの柱に背中を預け腕組みをしながら妙に真剣な眼差しで劇を鑑賞し、時々何かを掴んだように頷く仕草も見受けられる。劇から何かを模索しているように見えるがそれが何なのか分からない。終わったら聞いてみよう。
 幕が下り観客の声援に感謝を込めて頭を下げる。満足感に浸りたい気分を抑えながら上海で妹紅の袖を引っ張り足止めさせる。子供の相手は劇団員に任せて妹紅に駆け寄る。真意を探る前に軽く肩慣らしとして感想を尋ねた。
「劇はどうだった?」
「今回もいい話だった」
「それだけ?」
「あぁ、それだけだ」
 妹紅は平然と言った。がっかりだわ。深い失望は大きな期待の反動。一生懸命やったのに。なんだか報われない気持ちになった。
「ところで後で時間をくれないか? 相談がある」
「相談? 私でいいの? 私より慧音さんがいいんじゃない?」
 内容が気になったけど失意に打ちのめされ話を聞く気にはなれず、とっさに慧音さんの名前を出した。それに妹紅の相談なら慧音さんは喜んで聞くはずだ。
「いや、慧音はちょっと……」
「慧音さんに聞かれてはまずいの?」
「あぁ。なるべく慧音には聞かれたくないな……」
 恥ずかしそうに俯く妹紅を見て「少し意地悪してやろう」と私の中に眠る小悪魔が囁いた。決して淡泊な感想の仕返しではない。仲の良い者同士が交わす冗談のようなものだ。
「でも三人寄れば文殊の知恵って言うでしょう?」
 怒りを買わない様に爽やかな笑顔で言うと、妹紅は腕組みをしながら唸り声を上げて悩み始めた。


 子供達との交流を早めに切り上げ妹紅と一緒に慧音さんの自宅へやって来た。
「やっぱり、今日は日が悪い……」
 踵を返し逃げようとする妹紅の首根っこを上海で捕まえ、引き戸を叩いて慧音さんを呼ぶとすぐに玄関に現れた。
「珍しい組み合わせだな。まあ上がってくれ」
 慧音さんが家の中へ消えてから妹紅は口を開いた。
「アリス。お前わざと連れて来ただろ?」
「貴方も納得したはずよ。覚悟を決めなさい」
 妹紅の袖を引っ張り慧音さんの家に上がり居間の敷居を跨ぐ。
「ちょうど仕事が一段落ついたところだ。いまお茶を入れるから座っていろ」
 そう言い残し慧音さんは居間を退出した。机を挟んで妹紅の向かいに腰を下ろした。妹紅は両手を後ろについて天井をぼんやりと眺める。自分が相談する姿を思い描いているのかもしれない。
 邪魔をしてはいけないと思い慧音さんが戻るまで作戦を立てる。慧音さんが戻ったら妹紅が話しやすいように誘導しよう。そうしないと口ごもって時間を無駄に浪費するだけだ。作戦がまとまるとタイミングよくお茶も持った慧音さんが現れた。先手必勝! 今よ!
「ねえ慧音さん。妹紅が私達に相談があるそうですよ」
「おまっ……」
 往生際の悪い妹紅に睨まれたが笑顔で無視をする。妹紅は小さくため息を吐いた。
「そうか。それで相談とは何だ?」
 慧音さんは私と妹紅の間に座り湯呑を私達に差し出した。
「つまらない些細な相談だが……」
 予想通り妹紅は恥ずかしそうに口をつむいだ。
「つまらない悩みなどない。とにかく話してみろ」
 私よりも先に慧音さんが口を挟み妹紅を見つめた。うんうん。その通り。観念した妹紅はようやく重い口を開く。
「どうやったら物語を楽しめるんだ?」
「はぁ?」
 バカみたいな相談に思わず声を上げ手で口を隠した。客観的に見てこれはさすがに失礼だ。
「バカみたいな相談で悪かったな」
 胸中を見透かされ少し気恥ずかしい。
「ごめんなさい」
 素直に謝ると妹紅は追及せず話を続けた。
「人形劇を見た人達はみんな楽しそうに笑っていた。それを見て思った。私はいつからこんなにもつまらない人間になったのか。作り話だと言って軽蔑し聞く耳を持たない……」
 少し俯いて話す妹紅の顔を見て人形劇の風景を思い出した。劇の上演中も終幕後も妹紅は少しも笑わなかった。眉をひそめ時々唇を噛んで会場を観察していた。
「そうか! 妹紅! 私は感動したぞ!」
 慧音さんの機嫌は一気に頂点まで登りつめ、興奮のあまり妹紅の背中をバシバシと叩く。生き生きとしたハリのある声で、太陽のように輝く目をした慧音さん。そして苦しそうに咳き込む妹紅。傍らで見ていてかわいそうに思えた。
「すまん、すまん。それにしても知らない物を知ろうとする姿勢は素晴らしい! やはり人間はいくつになっても勉強せねばならん!」
 慧音さんの言葉に違和感を覚えた。学びたいとは違う。妹紅はみんなと一緒に笑いたいだけ。彼女を突き動かしているのは孤独から解放されたい。その欲求だけなのだ。訂正しようと言葉が喉を通過する前に袖を引っ張られた。脇に座る上海が私の袖を掴んだまま首を横に振った。「これ以上は野暮だよ」と上海の声が聞こえた気がしたので「そうね」上海に向かって小声で答えた。
「そうだな。物語を楽しむには感情移入が大事だ。そして感情移入に必要なのは想像力だ。まずは想像力を養った方がいいだろう」
 さすが先生。仰る通りです。私も負けじとアイディアを提供しよう。
「手始めに子供向けの童話から入ってみてはどう? 話しも単純で理解しやすいはずよ」
「良い案だが妹紅には無理だ。でだしの三行を読んで飽きる。そうだろう? 妹紅」
「あぁ。その通りだ」
 慧音さんの問いに自信満々な顔で妹紅は答えた。その顔を固めた拳で殴ってやりたいと思ったのは魔理沙以外では初めてだ。
「そこで俳句や川柳から親しんでみてはどうだ。短い言葉から情景を想い描き想像力を養うんだ」
「いいですね! それなら三行で飽きる妹紅でも出来そうですね」
 皮肉をたっぷり込めて慧音さんの意見に同意した。
「でも季語とか約束ごとがあって面倒そうだ」
 妹紅の表情には「興味無し」とはっきり書かれている。大方予想は出来た。
「川柳なら季語も必要ないし制限は殆ど無い。川柳、俳句、短歌と徐々にステップアップして行けばいい」
「でもなあ……」
 尻込みする妹紅に痺れを切らした慧音さんが頭突きをお見舞いした。とっさの出来事で妹紅は避けられず、ゴンと鈍い音が部屋中に響く。音だけでこちらにも十分痛みが伝わってきた。
「試す前に諦めるな!!」
「お……おう……」
 妹紅はその場でおでこを抑えてうずくまった。激痛で声が出ていない。慧音さんはこんな熱血キャラだったかしら?
「わ、わかった……。や……やってみるよ……」
 赤くなったおでこを擦りながら妹紅は顔を上げた。可哀そうに。涙目になっている。
「では、さっそく試してみよう」
「今からか?」
「そうだ。善は急げだ。今から詩を詠むから思い浮かんだ言葉を答えてみろ」
「は、はい……」
 慧音さんの気迫に圧倒され妹紅は首を縦に振る。いつのまにか先生と生徒の関係が出来上がっていた。ここは巻き込まれない様に気配を殺して静かに傍観しよう。
「柿食えば、鐘がなるなり、法隆寺」
「へえー……」
「バカ者!!」
 気の無い返事に慧音さんの頭突きが再び妹紅を襲う。思わず首を引込め片目を閉じた。しかもさっきと同じ場所を狙うあたりがズルい。
「け、慧音さん……。お……お手柔らかに……」
 おでこを抑えて妹紅は悶絶しのた打ち回る。
「真剣にやらんか! いいか! この詩は秋の静けさの中――」
 妹紅に構わず慧音さんが詩の解説を始める。さてと、火の粉が降りかかる前に邪魔者は退散しましょう。ねえ上海。


 妹紅が物語を楽しみたいと相談されてから早数か月が過ぎ、季節が変わりゆく中で妹紅にも変化が見られた。
 慧音さんの見込み通り川柳から始まり俳句、短歌と徐々に文字数を増やしても情景や風流を感じる様になったそうだ。そしてなんと驚くべきことに詩の魅力に気づいた妹紅は老人達の詩会の一員となり意気投合しているらしい。信じられない。 しかも最近では詩を詠んだ感想に『鏡花水月』なんて言うのよ。私の知らない難しい言葉を使う妹紅が小憎たらしい。妹紅に知識で追い越されたように思え、胸の奥から湧き上がる憎悪を押さえつけるのに必死だ。
 それから毎月開かれる人形劇にも欠かさず顔を出し、回を重ねるごとに的確な感想を述べ、こちらが聞いてもいないのに物語について語り出すようになった。
 今では鈴奈庵の常連客として本を読み漁る毎日。負けた。完敗だわ。妹紅への対抗心は消え失せ白旗を掲げる私。相談された数か月前とは別人に進化したと言える。
 歓迎すべき変化であるが、私の妹紅像が崩れ少しだけ寂しさが募っていた。


 素足で川に入る。冷たい。でも心地よい冷たさだ。火照った体の熱が足元から奪われ、せせらぎに耳を澄ます。遠のく意識。山の向こうで鳴く鳥の声で辛うじて私を保つ。
「明鏡止水……」
 浮かんだ言葉を呟いて空を見上げた。すると太陽から何かがこちらに向かって飛んでくる。逆光で判別できないが鳥よりも大きく、二対の巨大な羽を広げた影は凄まじい速さで私を目掛けて急降下してくる。ぶつかると思った瞬間、影は急停止して風圧で髪やスカートがなびいた。
「こさめ先生!」
 正体は天狗だった。落胆した。せっかくいい気分で浸っていたのに現実に引き戻されたからだ。天狗は羽を閉じ宙に浮いたまま話を始めた。
「偶然ですね。ちょうど今から先生の所へ行くつもりだったんですよ。ところで何を――」
「気分転換よ。少し行き詰まっているの」
 問いかけるよりも早く質問の内容を理解したので話の腰を折って答えた。天狗も私との対話に慣れたようで顔色一つ変えない。
「そうですか。まあ締め切りを守ってくれれば問題ないですし……」
「ごめん。先に謝っておくわ」
 今回ばかりは締め切りを守れる自信が無かった。物語が佳境に近づくにつれペンの走りは鈍り、ここ数日は全くペンを握っていない。情景が想い描けず言葉が出ない。だからといって適当に書き綴ってもその後が続かず立ち往生。万策尽きた私は諦めの境地に達し、こうやって書斎を飛び出し晩春の川で水遊びを楽しんでいる。
「困りますよ。こさめ先生。読者が待っているんですから……」
「ねえ、こさめ先生って言うのは止めてくれない? 誰が聞いているか分からないし……」
「ごめんなさい」
 天狗は頭を掻きながら舌を出して誤魔化した。念の為辺りを見回し様子を確認する。どうやら私達以外に誰もいないようだ。とりあえず胸を撫で下ろした。
「それで用件ですが、連載が終わったら本を出版したいので許可を下さい。それと握手か――」
「出版はいいけど握手会とサイン会はダメよ」
「どうしてですか? 読者がせ……いや、さとりさんに逢いたいと言っているんですよ」
 ふと思ったがここで小説の話を持ち出したら先生を禁句にした意味が無い。それに表舞台に出るのが嫌だからこそペンネールを採用したのに……。
 どうやら天狗はそこまで頭が回らなかったようだ。契約時にしっかり説明すべきだったと今さらながら悔んだ。
「読者が逢いたいのは小説家のこさめであって、嫌われ者の私ではないわ。読者がせっかく楽しんでいるのに、作者が妖怪さとりだと知ったらさぞがっかりするでしょうね」
 諦めはついているつもりだった。しかし言葉に出してみると胸が締め付けられる。まだ懐の奥に微かな愚考が残っていた。これだけは絶対に知られたくない。
 その思いは翌日の新聞の見出し共に引き裂かれた。


 博麗神社境内の桜も今ではすっかり葉桜に衣替えを終え、所々に生える雑草が目に付き始めたある日。そろそろ草むしりの必要性を感じながら、お昼を食べていると燐が縁側からものすごい勢いで飛び込んで来た。
「助けて下さい!」
 困る。食事中に厄介ごとを持ってこないでほしい。切なる願い。美味しい食事と真摯に向き合い、生きる喜びを味わっている最中なのだから。
「ここは妖怪の駆け込み寺じゃないのよ。むしろ妖怪退治を専門とする――」
「それはどうでもいいですから!!」と燐に博麗神社と巫女の存在を軽視され、袖をグイグイと引っ張り食事の妨害をする。仕方ないので、意識の三割を食事から燐の相手に回す。袖にしがみ付く燐を払い除けて箸を休め一呼吸おいてから尋ねた。
「それで何があったの?」
「さとり様がもう小説は書かないって……」
「あの記事は事実だったのね」と思いながら三日前の文々。新聞の見出しが頭を過る。
『衝撃!! 人気作家こさめの正体は妖怪さとり!!』
 大きく下品な赤い文字が一面を飾り、はたてとさとりが妖怪の山の麓に流れる川で打ち合わせをしている写真が一緒に掲載されていた。記事の詳細はさとりを『こさめ先生』とはたては呼んでいたが、正体がばれるのを恐れたさとりがその場で注意。それ以降、はたては『さとりさん』と呼び『ひまわりを超えて』の出版に関して意見交換を行なったと書かれていた。
『ひまわりを超えて』は今や誰もが知る大人気小説になっている。人間と妖怪の種別を超えてファンクラブが存在するほどだ。そして小説の人気が過熱していくと、作者の正体について様々な憶測が幻想郷中を飛び交っていた。
 細かな心理描写が得意なところから人間説。繊細で美しい表現を好むところから妖怪説。はたてが作者について頑なに口を閉じることにより、憶測はますます拡大解釈していき、外来人説や人間と妖怪の共同執筆説、月の民やはたて自身が作者説など……。関心が頂点に達した状況で文々。新聞のスクープ記事が幻想郷を駆け巡り激震が走った。
 幻想郷の時の人であり皆が憧れている『こさめ』の正体が、いやみ嫌われる妖怪『さとり』だったから、さあ大変。ファンの間では「例えさとりでも変わらず応援して行こう!」と謳う『肯定』派と、「素晴らしい作品でもやはりさとりは無理!」と反発する『否定派』に別れ喧嘩の火種になっているらしい。ちなみに私は「面白ければ作者が誰であろうとも問題無し!」の『中立』派だ。
 要はさとりとはたてのやり取りを射命丸が盗み聞きして、鬼の首を取ったと言わんばかりに報道し世間を騒がせているのだ。
「昨日届いたファンレターを読んださとり様が寝込んでしまい、悪いと思いながらファンレターを覗いたんです。すると『さとりと聞いてファンを辞めます』とか、一番酷いになると小説を細かく刻んであったんです。し……しかもその小説は異臭がするんです……。たぶん誰かの尿みたいなんですよ……」
 血の気が引いた。もう食事をする気分ではない。目に涙を溜める燐。行き過ぎたファンの横暴に腹が立ってきた。可愛さ余って憎さ百倍とはよく言ったもんだわ。ちょっと意味が違うけど構わない。そいつを生け捕りにして博麗に代々伝わる秘儀で更生させてやる。
「わかったわ。私に任せて。貴方はまた明日にでも来なさい」
 拳を握って立ち上がり廊下に出て、別の部屋で昼寝をしている萃香に向かって叫んだ。
「萃香! 出かけて来るから留守番を頼んだわよ!」
「ふ……ふえぇぇ……」
 蚊の泣くような返事が返ってきた。まさかこんな形で私の出番が回って来るとは思わなかった。


「困った時のアリス」と魔理沙が格言のように言っているのを思い出しアリスの家へ向かった。怒りに任せて飛び出したのはいいが、何処へ行けばいいか分からず手掛かり無し。しいて言えばさとりの元に届いた小刻みの小説だけだが、それを取りにわざわざ地霊殿に足を運ぶのは無駄骨のような気がした。
 アリスの家に着いて呼び鈴を鳴らすとすぐにドアが開いた。人形のような可愛いアリスを見ると怒りが少し収まった。
 まさか、この癒し効果を含めて「困った時のアリス」のということなのか? それはさておき、さっそく本題を切り出す。
「相談があるの。時間ある?」
「ええ。魔理沙もいるけどいい?」
「構わないわ。魔理沙も積極的に巻き込みましょう」
「とりあえず入って」
 中に入るとリビングで魔理沙が紅茶を飲んで入り浸り、私に気付いて「おう!」と右手を元気よく上げた。魔理沙の向かいに座りアリスは私の隣に腰を下ろした。上海人形が私の前に紅茶を差し出す。
「それで相談って何?」
 アリスの言葉を皮切りに燐から聞いた事情を説明し、悪質なファンの更生に力を貸してほしいと二人に協力を求めた。
「ちょっと待てよ、霊夢。どうせその手のバカは減らないぜ。それよりもさとりを激励した方がいいだろ。小説の続きも気になるしな」
 紅茶を一気に飲み干し魔理沙が言うと「私も魔理沙の意見に賛成よ。それに更生は効果が低いと思うわ」と意見を付け加えアリスも賛同した。二人の見解に反論の余地は無い。それよりも魔理沙の発言を受けて私の興味は別の物へと移った。
「それにしても魔理沙が小説を読んでいるのに驚いたわ」
「小説読んで超泣くんですけど……」
「本当に?」
 すばやく魔理沙に突っこむアリス。突っ込んだと言うよりは、反射的に発言の真偽を確認したように見えた。魔理沙の言葉は嘘っぽく聞こえるからだと思う。
「ホントだぜ。小説を読んでは泣き、思い出しては枕を濡らし、毎朝二人の幸せを祈っているぜ」
 魔理沙は得意気な顔で私とアリスを交互に見ながら、胸元で両手を組み天に祈りを捧げるようなポーズを取った。滑り出しの部分は分からないが、枕を濡らしてからの下りの部分は絶対に嘘だ。よくもまあ、取って付けたような嘘がポンポンと出るなと感心してしまう。
 横のアリスと目が合うと肩をすくめ首を小さく横に振った。どうやらアリスの胸中も同じのようだ。
「それよりも、慧音さん達にも相談しましょう。きっと力を貸してくれるわ」
 嘘つき魔理沙は野放しにされアリスは妙案を持ち出した。味方は多いに越したことはない。アリスの考えに賛成だ。
 そして話し合いの結果、今晩我が家で関係者を集め会議を開く運びになった。
「それじゃあ、手分けして関係者に伝えましょう」
 アリスの言葉を合図にその場は解散となった。壁時計を見ると予想した時間よりも早く話し合いが終わっている。
 魔理沙のボケを上手くかわしながら、絶妙な舵を取るアリスの手腕。素晴らしいの一言に尽きる。
『困った時のアリス』はどうやら嘘ではないようだ。胸に刻んでおこう。


 日没後に関係者が博麗神社に集い、居間で食事を取りながらこれより作戦会議を始める。
 一同は真剣な面持ちで食卓の前に座り、こさめファンクラブ会長の慧音を上座に据えて右から読書愛好家の妹紅、花果子念報編集長のはたて、七色の人形遣いのアリス、博麗神社の巫女である私、最後に宴会だと勘違いして同席している萃香の順に並ぶ。
「萃香は気にしないでおこう」とは誰も言わなかったが空気で分かった。そして進行役の慧音が口を開いた。
「それでは霊夢に状況を説明してもらおう」
 慧音からバトンを受け取り「悪質なファンレターによりさとりが体調を崩した」と説明した。話を聞いた関係者一同は憤りを覚え不満を口にする。しかし萃香だけは黙って酒を飲んでいた。
「ファンレターに関しては私から里の人間に周知しておく。今後二度と起きないと約束しよう。しかしそのファンレターを送りつけた犯人の特定は不可能かもしれないな」
 大きなため息を吐いて慧音は唇を噛んだ。
 冷静に考えればさとりへ届くファンレターボックスが人里に設置されているだけで、里の人間を犯人と断定するのは早計だ。ファンレターボックスは人里に出入りできる者なら投函可能である。と言う事は人里に住む者と人里に出入りできる者が対象者なので、幻想郷に住むほぼ全ての人と妖怪が当てはまり、数の多さを考慮すると犯人特定は不可能だろう。
「犯人捜しよりも、さとりさんに立ち直ってもらうことを優先しましょう。そのために激励会を開催してはどうかしら?」
 出来る女アリスが言った。
「それで場所はどこにするんだ? やっぱり人里か?」と妹紅が発言すると「いや、人里は厳しいだろう。さとりさんを快く思わない人もいるから、里への立ち入りを拒否される可能性がある」と慧音が反論した。
「場所ならうちでもかわないわ」
 博麗神社の広い境内なら大人数でも対応できる。
「そうだな。神社は良いと思うが異議はあるか?」
 慧音が全員の顔を見回し誰も反応しない。無言は了承の証。場所は博麗神社に決定し慧音はそのまま話を続けた。
「神社ならお昼頃から始めるのがいいだろう。それでどのような内容が良いだろうか?」
「参加者に料理を一品ずつ持ち込んでもらうのはどうかしら? 量は重箱の一箱を目安にするとちょうど良いと思うわ」
 発言したアリスの顔を関係者全員が見る。
「私が酒を提供しよう」
 酒を飲む手を止めて萃香が言った。関係者一同、萃香を見た。
「そう言えば、こいつ居たな」と誰もが口には出さないが全員の表情を見れば分かった。そしてみんなの中で萃香の株が急上昇しただろう。
「それと参加者からお金を集めて贈り物を買うのはどうだ?」
 厚焼き卵を箸で切りながら妹紅が言った。
「名案だ。贈り物の選定は妹紅に任せていいか?」
 慧音が関係者の顔色を伺い誰も反論しない。またしても了承の証がでた。
「よし。贈り物は妹紅に任せた」
「あぁ、任せてくれ」
 妹紅は首を縦に振り厚焼き卵を口に入れた。
「うむ。それじゃあ会場の設置は霊夢にお願いしよう」
「分かったわ。敷物や日除けの設置は私が担当するわ」
 物置から必要な物を探す自分が頭に浮かんだ。
「それじゃあ、私は料理を担当するわ。持ち込みだけでは少々足りないと思うから」
「そうだな。料理はアリスにお願いしよう」
 これで激励会の大筋が固まった。
「しかし気になる事がある。激励会を快く思わない者に妨害されるかもしれない」
 慧音の言う通りだ。ファンレターの一件がある。邪魔が入ればせっかくの催し物が台無しになる。
「それなら私の分身に見張りをさせよう。それから邪魔をする輩は私が直々に相手をすると知らせておけ」
 関係者全員、一斉に萃香の顔を見た。
「そう言えば、萃香さんがいらっしゃいましたね」とみんなの顔に書いてある。全員の中で萃香の株が倍になったはずだ。
「よし。激励会についてはこれでいいだろう。はたてさん。花果子念報に激励会の案内を載せてほしい」
「はい! 承知しました!」
 萃香を前に緊張しているのか、声を張り上げはたては慧音に返事を返した。今まで一言も喋っていないので、はたての存在をすっかり忘れていた。
「それで開催日はいつにしましょう……」
 はたてはみんなの顔色を特に萃香の顔色を伺っている。やっぱり天狗は鬼が怖いようだ。
「開催日は決まっている。五日後だ」
 萃香が言うとはたてはビクッと身体を硬直させた。
「それは急すぎないか? もう少し準備時間が欲しい。それとも五日後でないといけない理由があるのか?」
 慧音は萃香の顔を見て反論した。五日後は何か特別な日だったかな? 壁に張り付けてある暦に目を移した。
「五日後は客をもてなすのに最適な日だからだ」
 そう言って萃香は理由を話した。理由を聞いた関係者一同は「さすがは萃香様」と誰もが思い、萃香の株は最高点まで到達はずだ。


 文々。新聞の報道から三日が経った。心配したファンの方々が激励会を開催してくれる。お燐から聞いた時は耳を疑った。
 どうやらお燐が博麗の巫女に相談し、多くの協力者を募って実現したようだ。感謝の二文字では語り尽くせない。今日ほど人様の好意が痛み入るのは初めてだ。ファンの方々に会ったら感謝を伝えよう。
 それから心配をかけてごめんなさい、お燐。
 恥ずかしくて誰にも告げていないが、激励会が楽しみでここ数日浮かれっぱなしだった。私は気持ちが顔に出ないのでみんなにはばれていないと思う。
 激励会当日を迎え自室で余所行きに着替え、迎えの天狗を待っているとドアをノックする音が聞こえた。
「どうぞ」
「失礼します」
 入って来たのは普段着のお燐。激励会には私を含め、こいしとお空、それにお燐も招待されているがまだ着替えていない。忙しいのだろうか?
「さとり様。着心地はいかかですか?」
「ええ。問題ないわ」
 立ち上がってお燐の前に立つ。お燐は私の周りをゆっくりと回り服を点検する。
「ばっちりです」
 笑顔でお燐は言った。
「それよりお燐も早く仕度しなさい」
「はい。すぐに仕度します。その前にさとり様にお願いがあります」
「何かしら?」
「ファンの方とお話しされる時は、最後まで話を聞いてからお答えください。心を読んで相手が言い終える前に答えると、ファンの方がびっくりされるので……」
「分かったわ」
 今日は素直にお燐に従おう。
「ありがとうございます。それでは仕度してきます」
 頭を下げて退出しようとするお燐を呼び止める。
「お燐……」
「何でしょうか?」
 お燐は振り返る。
「ありがとう……」
「さとり様……」
 お燐は胸が高鳴り目に涙を溜め何かを言おうとすると「お姉ちゃん! 天狗が来たよ!」とドアを蹴っ飛ばして、元気よくこいしが部屋に突撃してきた。
 せっかくいい雰囲気だったのに……。


 もっと少人数で小ぢんまりとした、質素な激励会を想像していたが見事に裏切られた。
 私達が博麗神社に降り立つと拍手をしながら総立ちで出迎えてくれた。数にして二十人くらい。人だけではなく妖怪も交じっている。注目されてなんだか恥ずかしい。戸惑っていると女性が近寄り「こちらです」と席へ案内してくれた。
 境内に設けられた特設会場はコの字型にテーブルが配置され、私達は参加者全員を見渡せる特等席の上座。テーブルに並べられた料理は色鮮やかでどれも美味しそうだ。そして先程案内してくれた女性が話しかけてきた。
「私はファンクラブ会長の上白沢慧音と申します。この度はお忙しい中、お時間を割いて頂き一同を代表して厚く御礼申し上げます」
 慧音は深く頭を下げた。そこまで丁寧にされると困ってしまう。
「いいえ。こちらこそ、このような催し物を開いて頂き心より感謝しております」
 私も腰を折りお礼の言葉を伝えた。
「それから先日、心無いファンの無礼な態度につきまして心よりお詫び申し上げます。今後このような失礼が二度と起こらない様、徹底周知して参りますのでどうぞご安心ください」
 彼女は腰を低く保ったまま、もう一度頭を下げた。胸中を覗くと人里を全て回り、私の為に何度も頭を下げ理解を求める姿が見えた。そこまでしてくれて申し訳ない気持でいっぱいだ。
 そして慧音から激励会の簡単な段取りを説明され四人並んで席に着いた。それから一番遠くに座る小さな鬼が立ち上がり乾杯の音頭を合図に激励会が始まった。
 料理はどれをとっても一級品で、私が気に入ったのは鮎の塩焼き。平たい漆黒の器に複数の波線が塩で描かれ、その上にこんがりと焼けた鮎の塩焼きが横たわっている。清流のうねりに負けじと水面から力強く飛び跳ねる鮎。
 美しい飾り付けに心を奪われしばし時を忘れ鑑賞していると、女性が「八十八夜です」と緑茶を差し出した。なかなか粋な演出をするものねと感心した。
「さとり様。八十八夜って何ですか?」
 箸を止めてお空が言った。
「立春から数えて八十八日目に採れた新茶よ。不老長寿や無病息災の縁起物と言われているのよ」
 私が説明するとまるで示し合わせたかのように、三人同時に歓声を上げた。
「それでは有り難く頂きましょうか」と全員の顔を眺めて一緒に八十八夜を飲んだ。
 腹の虫が一段落ついた頃に、慧音の指示に従い私の前にファンが並び始めた。個別に対面して激励してくれるそうだ。人とあまり話さないので少し緊張する。とりあえずお燐に言われた言い付けは守ろうと心の中で何度も復唱した。
 一部の人間を覗いて、ファンの方は私よりも緊張していた。心を見ずとも表情は極度に固く、身体が小刻みに震える者さえいた。当然だ。目の前に危険と言われる妖怪がいる。逃げ出さない勇気にこっちが感服するくらいだ。
 互いに緊張しながら物語についての感想や激励を頂いた。短い時間で想いを精いっぱい伝えようするファンの人達。嬉しくて溢れそうになる涙を堪え感謝を伝えると、ファンの人達の表情は柔らかくなり笑顔で立ち去る。ホッとした笑顔を見て少しは分かり合えたと思った。
 博麗の巫女は「続きが気になって眠れないの。だから早く続きを書いてよ」とテレを隠しながら訴え、白黒の魔法使いは「これ食って元気出せよ」と言いながらカゴいっぱいに集めたキノコの詰め合わせを、なぜか勝ち誇った顔で渡された。
 鬼からは持ち帰るのが不可能なほど巨大な酒樽を頂き、七色の魔法使いからは「ここにいる人はみんな貴方を応援しているわ。でも無理はせずしばらく休んで」と手作りクッキーを添えて暖かい励ましを頂いた。
 対面が半分くらい終り要領を掴んだと手ごたえを感じた矢先、腰の曲がった老婆と十にも満たない幼女が手を繋ぎ、ゆっくりと私の元へ歩み寄った。
「孫が先生の大ファンです」と老婆が言いながら優しく幼女の背中を押した。恥ずかしそうに俯きながら幼女は黙っている。
 すると脳裏に二人の姿が映し出された。


 老婆が縁側でひなたぼっこを兼ねながら新聞を読んでいると、幼女が小走りで近寄り声をかけた。
「おばあちゃん。何を読んでいるの?」
「愛ちゃんか……。お話を読んでいるんじゃよ。愛ちゃんと同じ名前の子が出ているよ」
「ほんとぉ?」
 幼女は関心を示して老婆の膝に潜り込み新聞を眺める。ところが幼女はまだ読めない文字ばかりで頬を膨らました。
「おばあちゃん。読めないよ。ねえねえ、私と同じ人はどこにいるの?」
「これだよ」
 新聞から右手を放し老女は『愛』の字を指した。
「それでどんなお話しなの? 読んでよ」
「そうじゃなぁ……」
 老婆は幼女に急かされゆっくりと読み上げる。幼女は内容を理解できなかったが、老婆が楽しそうに読む顔を見ているだけで楽しかった。
 一行を読み終えると老婆は幼女に説明するが、幼女が理解できる言葉が少ないので色々な比喩法を用い試行錯誤を繰り返した。
 それから幼女は暇を見つけては老婆の元へ通い『ひまわりを超えて』を読んでもらった。一話を読み終えるのに何日もかかった。しかし老婆も幼女も苦痛だとは感じず、むしろ二人が一緒に楽しめるおもちゃのような物だと思っていた。
 一話を読み終えて幼女が「楽しかった」と呟くと「それじゃあ、お手紙を書いてごらん。きっとこさめ先生も喜ぶよ」と老婆は手紙を書く事を勧めた。
 幼女は自宅に帰りお気に入りの鉛筆を取って戻ると老婆と一緒になって手紙を書いた。自分の感じた事や疑問に思った事を自由に書いて、分からない事は老婆に尋ねる。脱字や脱字を見つけても老婆は黙って見守り訂正はしなかった。
 手紙を書き終えてファンレターボックスまで一緒に散歩へ出かけた。
「おばあちゃん。いつ返事が返って来るかな?」
「そうだね。こさめ先生はきっと忙しいから、時間がかかるかもしれないね。でもきっと帰って来るよ。だからいい子にして待っていようね」
「喜んでくれるかな?」
「もちろんだよ」
 老婆の笑顔を見て幼女は安心した。ファンレターボックスに投函し「ちゃんと届きますように」と二人で手を合わせてお願いした。
 返事はすぐに幼女の自宅に届いた。幼女は嬉しさのあまり、早々に家を飛び出し老婆の家へ走り出した。家に着いて老婆と一緒に手紙を開けて読んだ。
『親愛なる愛様――』
 幼女は二文字目と五文字目の漢字だけが読めた。自分の名前だったからだ。
「これ、私だよね?」
『愛』の字を指して老婆の顔を見た。
「そうだよ。よく読めたね」と老婆に頭をそっと撫でられ笑顔を見せた。手紙を読み終えるまで、また何日もかかった。それでも二人は楽しかった。沢山話しが出来るからと喜んだ。
 それから小説が掲載される度に、幼女は老婆の元へ通い小説を読んでもらう。読み終えたらお手紙を出して老婆にお返事を読んでもらう。それが幼女の楽しみとなり小説が掲載されるのを心待ちにしていた。
 ある日、幼女が老婆の家を尋ねると老婆が悲しそうな顔で庭を眺めていた。
「おばあちゃん。どうしたの?」
「それがのう……」
 老婆は幼女を傷つけない様に言葉を選んで話した。しかし幼女には理解できなかった。ただこさめ先生が悪い妖怪だと言う事だけは理解できた。ショックだった。幼女はその場で泣きだした。老婆は幼女を抱きしめ頭を優しく撫でた。
 そして幼女は老婆の家に行かなくなった。小説の続きはもう出ないかもと言われたからだ。でもすぐには信じられず、こっそりとこさめ先生に向けて手紙を書こうとした。でも何を書いて良いか分からない。幼女はそのまま眠りについた。
 幼女が眠りについた後、老婆は幼女の親を尋ねた。花果子念報を見せて幼女と一緒に激励会に行きたいと伝えた。
「でも、危険な妖怪ですよ。おかあさん。万が一を考えると……」
 母親は言葉を濁しながら言った。
「何もかあさんが行かなくても……」
 渋い表情をしながら父親が反対した。
「どうしても一言会ってお礼を言いたい。私と孫に楽しい時間を……夢のような時間を与えて下さった先生に感謝を伝えたい……」
 老婆は畳にひれ伏せて言った。
「どうか、老いぼれの生きがいを奪わないでおくれ」


「こさめ先生……」
 愛の声で我に返った。愛は不思議そうな顔で私を見つめていた。
「ごめんなさい……」
「これを読んで……」と小さな手で愛から紙切れを差し出された。受け取って開くと『ありがとう』と一言だけ書いてあった。すぐに字がかすれて見えなくなる。私は泣いていた。涙はとめどなく溢れ頬を伝い膝に落ちる。口を堅く閉じて泣き声を上げない様に必死で抵抗すると胸がつまり息苦しい。
「先生……。どこか痛いの?」
 悲しそうな声で愛は言った。
「いいえ……」
 もう言葉にならない。私は立ち上がって机を飛び越え愛を抱きしめた。柔らかい愛を強く抱きしめ、今まで胸の奥に溜め込んでいた物を全部吐き出すように大声で泣いた。

 やっと東の空が明るくなってきた。いくら何でも張り切り過ぎたようだ。私は鈴奈庵の前に立つ、立て看板の前で一人寂しくその時を待っていた。
 本日は『ひまわりを超えて』の発売日。名残惜しくも連載が終了して早二ヵ月。やっと記念すべき日を迎えた。周りが明るくなって立て看板の字がぼんやりと見えてきた。
『一列にお並び下さい。また本は一人一冊までとさせて頂きます』と書かれてある。
 陽が昇るのを合図に蝉が一斉に鳴き出すと、こちらに向かって誰かがやってくる。おそらく気の早い客に違いない。誰かと思ったらさちと愛だった。
「早いのう。妹紅」
「あんた達もな」
「おはよう!」
 愛は小さな手を私に向けてかざすので、挨拶代わりに軽く手を交わした。
「おかあさんにお願いしてお小遣いを前借したの」
「本を買う為にか?」
「そうだよ」
 無邪気な瞳で愛は言った。なんて健気な奴だ。泣かせるじゃないか。
「ほら、前に行けよ」
 私は二人の後ろに回り背中を押した。
「そんな、気を使わなくてええんじゃよ」
「いいから、いいから……」
 相手は老婆と幼女だ。力では負ける訳が無い。強引に背中を押して二人を前に立たせた。
「すまんのう……」
「ありがとう」
「まあ、本が完成したのは二人のお蔭だしな」
 連載中止の危機を救った二人。先頭を並ぶ資格は十分にある。
 最終話が掲載された花果子念報に作者であるさとりの特集が組まれた。記事の内容は激励会に参加した際、愛の手紙を見て号泣した経緯について書かれていた。
 小説に登場する『愛』は自身を投影した人物であり、誰かに愛されたい欲求を小説の世界で叶えようとしていた。その欲求にはうすうす勘付いてはいたが、それを認めると自分が愛されていない証拠になるとずっと目を背けてきたそうだ。
 しかし二人と対面して心を覗いた時『ひまわりを超えて』を通じて、嫌われ者の私に愛情を持って接しくれたお蔭で、長い間苦しんできた劣等感から解放されたそうだ。そして二人にとってこの作品は無二の架け橋だと知り、恩返しとして死力を尽くして書き上げると誓ったそうだ。
 感慨にふけながら二人と立ち話して時間を潰していると、ようやく小鈴が鈴奈庵の前に姿を現した。「早いですね」と言いながらテキパキと販売の準備を始めると、徐々に人が集まりあっという間に長蛇の列が出来ていた。
 気温が上がり始め蝉の声が鬱陶しく思えてくるとやっと主役のお出ましである。全身から噴き出る汗をタオルで拭いながら拍手で迎えた。さとりはさちと愛の前に降り立つ。
「お二人にお渡したい物があります。ぜひお受け取り下さい」
 無表情だと言われているさとりが笑顔を見せて、鞄から何かを取り出した。覗き込むとこれから販売される本とは違う、堅表紙の『ひまわりを超えて』だった。
「いいんですか?」
「ええ。この作品はお二人のお蔭で完成しました。せめてものお礼です」
 さちと愛は顔を見合わせた。じれったいやつらだ……。
「ほら。なにボケっとしているだ」
 二人の肩を叩いた。
「ありがとうございます」
 さちは丸い背中を折って頭を下げた。
「ありがとう。はい! これ!」
 手に持っている巾着袋から小銭を取り出しさとりに差し出した。
「ありがとう。気持ちだけもらっておくわ」
 愛の小さな手を両手で握りさとりは小銭は受け取らなかった。その様子を見ていた誰かが手を叩くと、並んでいた人達が拍手をする。良い話じゃないか……。
 二人は別れを惜しむように何度もこちらを振り返り、さちはお辞儀を愛は片手を大きく振る。さとりは小さくなる二人の背中を見つめながら呟いた。
「蝉時雨、老婆と孫が、本を抱き……」と言いながら私を横目で見て悪戯っぽく微笑んだ。
 ああ、やられたか……。
間に合ってホッとしてます。
最後まで読んで頂き感謝致します。
mayuladyz
簡易評価

点数のボタンをクリックしコメントなしで評価します。

コメント



0.簡易評価なし
1.6ばかのひ削除
とても面白く良い話だっただけに「嘘」というお題の関わりが余り目立たず少しだけあれ?という感じに
しかし感動はしてしまったのです
面白かった!
2.4あらつき削除
出だしは面白かったんですが、読み終わってみると構成がいまいちでした。
3.6名無削除
萃香株爆上げの傍らで文株がストップ安です
4.10名前が無い程度の能力削除
Excellent!
5.8がま口削除
これは、泣ける!
自分もここで細々とSSを投稿している物書きの端くれとして、ファンの方々の率直なご感想のありがたさを痛感しております。
さとりもこんなファンに愛されていたことを知った激励会のシーンを想像するだけで、もう胸がいっぱいになります。
あとは、騒動の原因である文さんの処遇が気になるところですよ(震)
6.8絶望を司る程度の能力削除
面白かったです!
7.6みすゞ削除
【良い点】
ファンの反応に一喜一憂するさとりさんが良かったです。まわりのみんなも優しくて好き。あと株価急上昇の萃香大先生が面白かったです。
【悪い点】
悪いという訳ではありませんが、話にひねりがなく強烈に印象に残る作品ではなかったと思います。
8.6ナルスフ削除
オール一人称の群像劇とはまた挑戦的な。
さとりさんが小説を通して人の優しさに触れ、救われる。とても心が温まるいい話でした、が・・・。
序盤の妹紅パートが凝ってた割に後半の妹紅が大して重要人物でもないので、なんだコレ、と思いました。
また、後半でいきなり出てきた霊夢がさとりを救うためにやる気を燃やし始めた時もなんだコレ、と思いました。
これ、序盤で物語に興味が持てないって嘆く役も霊夢にやってもらったらよかったと思うんですけど。それならかなり感動できる流れになった気がするんですけど。
そして、物語の幕開けを飾り、あれだけ畜生なことをやらかした文さん、特に何の報いも受けないままフェードアウトですか。
さとりに物語を書くきっかけを与えたはたてさん、文がやらかした後、さとりに事情を説明しようとするとか、文に憤るとか、何のアクションも描写されないのはちょっとどうかと思うんですが。
そして、激励会が催されると知ってわくわくしてるさとりさん。あなたはもうちょっと警戒してしかるべきだと思うんですが。今まで人間の汚いところを見てきて、文がやらかした時もファンから手ひどい仕打ちを受けているのに、何の疑問もなく楽しみにしてるのはすごい違和感があります。
萃香様が『五日後は客をもてなすのに最適な日』ってかなり思わせぶりに言ってましたけど、結局『八十八夜が出せる』ってくらいしか読み取れなかったんですが・・・。八十八夜ってなんか伏線張られたアイテムでしたっけ・・・?
オチもなんか良く分からなくて。
大枠はよかったんですけどね。老婆と幼女のやりとりはハートウォーミングでしたし、萃香様のくだりとかも輝いてたんですけどね。
ツッコミどころがデカすぎてどうにも。残念。
9.4道端削除
うーん。なんかよく分からない、というのが正直な感想。いや、話自体は分かるのだけど、なんか読み終わってももやもやしたものが残る。

 結局、何が書きたかったんでしょう。
 たぶんさとりが小説を書いて、それが紆余曲折を経て認められていく話、何だろうけど、じゃあそれを書くために、この章ごとに色んな人の目線に切り替わるというスタイルは適切だったんだろうか、と考えると、うーん。
 特に疑問なのは、妹紅一人称のパート。正直話の本筋に「妹紅が物語を楽しめるようになるまで」は必要なかったような。妹紅の成長にさとりの小説がもっと絡んでくれて、そして激励会でそのお礼を妹紅が上手く表現してさとりに伝える、というシーンがあるなら納得なんだけど。
 それ以外にも、さとりが主人公と言い張るにはいろんなキャラの目線で書かれすぎている気がする。そのせいで、話の筋がぶれてしまって、結局芯の部分がぼやけてしまっているような。
 それ以外にも、霊夢が悪質なファンを率先してとっちめようとする姿に違和感を覚えたり、接点無さそうなさちおばあちゃんと妹紅がどうやって知り合ったのかが全く描写されなかったり、という部分も疑問が残りました。
10.8生煮え削除
軽快でユーモアを挟みながらも芯のぶれない描写は読んでいて心地良かったです。前半から中盤にかけての主役がころころと変わっていく展開は状況整理などで戸惑いましたが、終盤のお婆さんと孫の交流がしんみりと素敵で一気に心を掴まれてしまった感じです。ただ気になったのが、小説の作者がさとりだったことが知れてそれに不満の声が上がることが正直理解できませんでした。さとりという妖怪が人里でどう認識されているかというのも少し曖昧な部分ではあるのですけど、実際に面と向かってさとりと会話するのなら気味の悪さを感じるのも納得はできても、会う事も見かける事も無い妖怪を人里の人間が親の敵のように嫌うという状況がちょっと納得いかず、ましてや読んでいる小説の作者くらいの距離感ならば、さほど抵抗感を覚えないもんじゃないかなぁと思うわけです。天狗の新聞はなんら抵抗なく読んでいるわけですし。あとダイニングルームは食堂ですね……というのは他の方の指摘と重複しそうですが。少し面白いミスでしたので作者さんには悪いのですが愉しい気分になりました。
11.5きみたか削除
良い話だと思うのですが、いまいち話の焦点が定まらないのが辛いところ。さとりなのか、妹紅なのか、シリアスなのかギャグなのか。変な詰め込み過ぎ感があるのは不思議です。
12.6名前が無い程度の能力削除
さとりが新聞に小説を連載するなんて面白いじゃないですか
また、さとりの周辺だけでなくて妹紅やアリスたちの様子が描かれていたのも良かったです
それだけに、妹紅が努力をしている場面やさとりが悩んでいるシーンなどをもっとじっくりと見てみたかったです
13.3エーリング削除
あれ、このお話妹紅が出てきた意味っていったい? あとさとりって確かに地底の忌み嫌われた妖怪ですけど隔離された時期を考えると地上の人間からしたらかつて封印した白蓮を今でも恨んでる人がいないように、多分嫌われてはいないと思うんですけど(原作地霊殿でも人間組にはさとりへの知識なかったし)どっかに言及あったりします?
14.7時間が足りない!削除
とても面白かったです。
色々な視点で物語が展開されて、どんどん話が進んでいく様はすごく良かった。
萃香の株が上がっていく件は思わず笑ってしまった。
15.6K.M削除
通常に見慣れていたので、まず構造で「おっ」と思ういました。