第十二回東方SSこんぺ(嘘)

華と酒好き、大江山

2013/10/27 23:59:47
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 牛車の狭い物見から外を眺めてみても、さほど面白いものは目に映らない。
 せいぜいがやせぼっちぃの野良犬の死体、馬糞に牛糞、みすぼらしい行商人の引き車といったところだ。
 あと一日で平安の京に着くというのに、どうにも華やげな物一つ見当たらないというのはいかがなものだろうか?

 そんなことを考えながら、少女は物見の引き戸を閉じて、姿勢を正す。
 はらり、と目の前に垂れ下がった長い栗色の髪をかき上げると、正面に座る侍女と目が合ってしまう。

「……という訳です。聞いておられましたか? 姫様」

 当然のように、聞いていない。
 と、言うか、侍女が言葉を発していたことにすら少女は気がついていなかった。
 この旅の二日目時点で、それを雑音として右から左へ流すための経路は開通済み。いちいち付き合ってなどいられるものか。

 二十代後半、いかにも堅物そうな外見の侍女は苦言を吐き出そうと口を開き、しかし言葉を発さなかった。
 自重したためではなく、牛車を大きく揺らした小石の奇襲で言葉を飲み込んでしまったにすぎない。

 四人用の牛車に乗り込んでいるのはその侍女と、十を少し超えた幼い少女の二人だけ。
 だから侍女が再び口を開く機会を逸して沈黙したとき、牛車内に残るのはゴトゴトという振動音のみになる。

――姫様、ねぇ。

 少女は内心で、呆れたようにその言葉を反芻した。

 「あんたさ、本当は片田舎の小娘を姫様なんて呼ぶの、馬っ鹿らしいって思ってるでしょ? 顔に出てるよ」

 そんな事実を突きつけてやったら、この真面目で融通のきかなそうな侍女はどんな反応をするのだろうか?
 口に出してそう言ってみようかと思った少女だったが、結局選択したのは沈黙である。
 どうせ狼狽するさまを見て楽しめるのは一瞬だけ。その後には延々と小言が続くに違いない。せっかく黙ったってのに、藪をつついて蛇を出す必要もあるまい。

――まー、この人もハズレ引かされたんだろうしね。苛めるのもあれかぁ。

 都の若武者の要望を叶えるため、遠路はるばる二週間かけて坂東まで田舎姫のお迎えだ。
 おそらく男ばかりで威圧感を与えないように、との目的で随伴に加えられたのであろう女性はしかし、その侍女ただ一人だけ。
 肉体的にも精神的にも楽な仕事ではないはずだ。

 加えて、この先。
 都に戻ってからも、この侍女が『田舎姫』の面倒を見つづけることになるのは、まぁ間違いないだろう。
 華も雅もなければ、将来性もない。働き甲斐なんてものが欠片もない職場には、働き者は希望を見出せない。

 だから侍女からすれば、先が崖と分かっているお先真っ暗な道を歩いている感覚なのかもしれない。

 と、そこまで考えた少女はそこで思考を打ち切り、首をかしげて耳をそばだてた。
 なにやら耳朶を、聞きなれない声が叩いたような気がしたのだ。
 気になって、再び物見の戸に手をかけたところで、

「鬼だ! 鬼が出たぞ!!」

 僅かに上ずった声がすぐ傍から上がった。
 同時に遠方から今度ははっきりと、鬨の声。牛車がその場でガタンと停止する。

 にわかに周囲は喧騒に包まれ、幾多の者達が慌しく牛車の周囲から『遠ざかって』いく。
 その場で鬨の声を返し、刀を抜いて応戦する者はおそらく皆無。だが少女としても、別段責める気も起きない。
 一般論として、田舎の小娘一人を守るために都の兵が多数、犠牲にならねばならぬ道理はないだろう。

「ひ、姫様……」

 すっかり震え上がってしまった侍女の前で、すっと少女は簾を指差してみせる。
 脱出を促しているのだが、どうにも相手には伝わらなかったようだ。
 はぁ、とため息の後、今度は声に出して、

「早く逃げなよ。男衆もほら、我先に逃げ出してる」
「し、しかし姫様は!」
「一応、鬼の狙いは私だろうし。私が一緒じゃ、逃げられないよ」

 鬼も色々と勘違いしてるだろうけどね、と内心で付け足すことは忘れない。

「ほら、鬼に食われたいの? 多分処罰は受けないからさ、いきなよ」
「も、申し訳ございませぬ……」

 にわかに顔に安堵と喜色をにじませた侍女もまた、牛車の簾を押し退けるようにして車外に飛び出し、へっぴり腰でその場から離れていく。
 故にその場に残るは貢物である、田舎なりに豪華な調度品の数々。
 そして茜色の袴に山吹匂の襲を纏い、長い栗色の髪を垂らした、愛らしい少女が一人。

「やれやれ、最悪っていうのは、日々更新されるもんなんだなぁ」

 呟いて、少女は牛車の中でゴロンと寝っ転がった。
 鬼相手に逃げ切れるはずもないし、そもそも故郷は遠くにありて、である。逃げるあてもないとあれば、じたばたするだけ無駄というものだ。
 そんな諦観と覚悟が入り混じった態度で目を瞑ると、長旅の疲れか。にわかに眠気が押し寄せてくる。

 そして来襲した鬼たちがあまりの呆気なさ故、逆に用心して牛車を覗き込んだ時にはもう、少女は完全に夢の世界への旅立ちを済ませていたのであった。









 § 源頼光




「春宮大進従六位上源頼光 
  件の人、兵を率いて速に大江の山へ馳せ向かいて、酒呑と称する逆賊を誅罰致すべし」



 件の人、源頼光が詔を承り、此度特別に昇殿を許された清涼殿を辞したのは二月の初頭。
 即ち長かった冬も終わり、まさにこれから世界が新緑と陽光に彩られるころである。

 で、あるというのにこの頼光の表情には微塵の華やかさも見られない。
 平素は武辺の兵らしい力強さに満ち溢れた歩みも、今は幽鬼の如し。
 およそ生気の感じられぬ様相で大内裏を俳諧する様は、はたしてこれが雷光様と語られるその人か? と疑りたくなるような佇まいであった。

 朱雀門をくぐり抜け大内裏を後にして、深々とため息。

「ついに私の命運も尽きたか」
「またまたご冗談を。貴方たち以外の誰が、あれを倒せるというのです」

 消え入るような独り言には、何故か陽気な応答があった。
 頼光が声のした方を眺めやれば、

「頼信か……」

 燕の狩衣に蘇芳の狩袴を纏いしは、左衛門少尉従七位上源頼信。
 常日頃から微笑を絶やすことがない、それでいて嫌味を感じさせない好漢である、二十も年下の頼光が弟。

「ふん。貴様、勅旨の内容を知っていたな?」

 身軽な装束でいかにも通りすがりを装っているかのようである……が、その実はどうせ兄のご尊顔を拝すべく、朱雀門で待っていたのであろう。
 そうでなければ、頼光がもっとも気を抜いた瞬間を狙って声をかけたりなどできはしまい。

「それはまぁ。情報収集こそが我らの命綱ではありませんか。兄上ぐらいですよ。『それ』を抜きにして栄達しているのは」
「そうかそうか、それは良かったな! で、私の顔は可笑しかったか!?」
「そう怒らないでくださいよ兄上。それこそ冗談じゃないですか」

 涼やかな笑顔で片目をつぶる様には、十代の少年のような、奇妙な人懐っこさがある。
 飄々と怒りを受け流され、頼光は更にへそを曲げた。
 次第にその怒りは本勅令のきっかけとなった、丹波の国へと指針を定めたようで、

「ふん。保友め。目代ならば大人しく国司に泣き付けばよいものを。なにが「知勇兼備の官兵でもって之を追討あるべし」だ、ばーか! 己れでやれ!」
「何かあったら官兵に泣き付くのが目代の仕事ですよ。仕方ありませんて」
「そして己れは犠牲を出さず、ぬくぬくと私腹を肥やすわけか。死ねばいいのに」

 小路に入り、人通りが無くなった途端にこれである。
 兄の後ろで、弟はこっそりと肩をすくめた。
 まったく、これさえなければ真面目で、人の良い、尊敬できる自慢の兄であるのだが。

「それに兼家公も公だ。勇猛果敢な兵なら他にいくらでもいるではないか。何故に私なのだ」
「兄上の人脈を用いることで、公費を節約したかったのでは? 実際、保昌が助力を申し出ていますし」
「保昌な。あれな。いい漢だなあいつ本当にいい漢」
「ついでに四天王もおまけについてくる、と。実に安上がりですね」
「本当にそんな理由だったら泣きたくなるな……それで?」
「それで、とは?」
「稀代の名将頼信殿にはご同行いただけぬのか?」
「ますますのご冗談を。私ごとき若輩では、足手まといにしかなりませんよ」

 ねめつけてくる兄の視線を、弟は完璧すぎるほどの鉄面皮で受け流す。

「それにほら、所顕しの準備もしなければなりませぬし」
所顕しひろうえん? あーはいはいそれはめでたいね。兄が死地に赴くのに弟と来たら都で所顕しか、はぁーよかったねぇ」

 そう頼光は皮肉ったものの、所顕しという言葉そのものは気になったようで、

「で、誰が契るのだ?」

 訊ねると、頼信は待ってましたとばかりに顔を紅潮させる。

「私ですよ」
「貴様が? ……いや、よくよく考えれば何も不思議などなかったな」

 脂のたっぷり乗った二十路の従七位上。身につけた文武を匂わせる甘い相貌に、滑らかな弁舌。
 名門の家に生まれ、順調に殿上人への道を歩みつつある出世魚。彼に擦り寄ってくる「男」は後を絶たないだろう。
 頼光は納得したように頷いて、

「それで、どこぞの娘を嫁にもらうつもりだ? 摂津か? それとも美濃か?」
「坂東ですよ」
「坂東!?」

 素っ頓狂な声が、小路に木霊する。
 だが頼光が驚くのも無理はない。坂東と言えば未だ未開の地にも等しい片田舎。今を時めく源氏の若武者には似つかわしくないにも程があるというものだ。
 しかし頼信はだからこそ、と言わんばかりに笑みを浮かべて、

「こっちで兄上の影を踏んでても仕方がないでしょうに。それに坂東はこれからです。投資をする価値はありますよ」
「それは、まあ、そうかもしれんが……」
「一つ目の話がうやむやになって、今回まとまったのは二つ目なんですけどね。とりあえずは祝ってくださいよ」

 頼光は頭をかいた。なるほど、祝いの言葉をすっかり忘れていた。
 が、素直にそれを口にするのはなにやら癪に障る。

「そうだな、生きて帰れたら祝ってやる」
「なんでそんな弱気なのですか……」
「気も乗らないしな。こんな気概で攻めるとなると、生きて帰れる気がせんわ」

 苦虫を噛み潰したような表情で、頼光は述懐する。

「まつろわぬ民が地方の小王を気取っているだけではないか。天地遍く帝の支配下に、など現実的には不可能なのだから放置してもよいだろうに」

 ギョッとして、頼信は周囲を素早く見回した。誰もこちらに視線を向けるもの無きを確認し、ほっと胸をなでおろす。
 それは、頼光が発した言葉は、勅命を受けたものが発してよい類のものではない。

 頼光は時折、こういった類の発言をさらりと頼信にこぼすのである。
 それは信頼の証でもあるため、それはそれで頼信としては嬉しくもあるのだが、同時にもう少し時と場所をわきまえて欲しいと願わずにはいられない。

「池田中納言の娘も攫われたそうですからね。流石に放置はできないのでしょう」
「下らん。娘が攫われたというのに、他人に泣きつくことしかできぬ男のために動かねばならんとは」
(……ですが、だからこそ。我々には権力が必要なのではないですか)
「そりゃあ、その通りなんだが……」

 耳元でそう囁かれ、頼光は頷くには頷いた。
 そうとも。いずれそういった無骨な輩を一掃するために、武骨たる彼らは地位権力を固めているのだ。
 だが、そのために一時的とは言え、自らも無骨となってよいものなのか?
 そんな思考を若人の綺麗事、と切って捨てられないのが頼光の頼光たる由縁であり、それゆえに信頼されたりも忌避されたりもする頼光である。

 だから、正直。
 今回の勅令が、鬼の討伐を期待してのものなのか、それとも頼光が倒れるのを期待してのものなのか。
 頼光も頼信も、いまいち確信が持てないでいるのである。

「ま、私としては兄上にはぜひとも所顕しに参席してほしいので、手は尽くしますよ……派兵に関しては、協力できると思います」
「すまんな。迷惑をかける」
「お気になさらず。それでは」

 気付けば、一条橋の付近。頼光の館の前である。
 別れを告げる弟に片手をあげて応じた後、頼光は宿敵となるであろう、顔も知らぬ相手が鎮座まします大江山へと視線を向ける。

「戦って、殺して位を上げるのと、賄賂で位を上げるのはどっちが正しいのだろうなぁ……ああ、畜生、胃が痛い」




  § 星熊童子




「ああ、畜生、胃が痛い」

 都市の中心に鎮座する、朱塗りの大御殿にて。
 大江山が鬼の四天王、星熊童子は酒気朦々たる中庭に背を向けると、星空を仰いで大きくため息をついた。

 都市、と言ってもそこは当然、平安の都などではない。
 人による人のための都市があるように、妖怪にもまた、妖怪のための都市がある。

 大江山が山中に築かれた、総勢千を優に越える鬼や天狗が住まう隠れ里。
 唯一、「鬼の岩戸」と呼ばれる洞穴を通ることでのみ進入を果せるという、四方四季の庭中に建造された、鬼の楽園。
 人呼んで――否、妖呼んで、『大江龍宮』と呼称される結界都市がそれである。

「よっ、と」

 僅かに身を屈めで、星熊は御殿の中西門を潜る。
 門が小さいのではない。星熊が大きすぎるのだ。

 例えるなら、巌。およそ三十路半ばと見られる、額に赤い角を持ち、身長は九尺を越す筋骨隆々の大男である。
 水干から覗く手足は丸太のようであり、おおよそこの漢が恐れるものなどないのではないか、と思われるほどの巨漢。
 そんな彼をして嘆息せしめられる者といえばもう、この世にただ一人しかありはしない。

「石熊、おい石熊!」

 歩みを進め、西廊を訪れた彼は配下の鬼の一人に呼びかける。

「これは星熊兄、いかがなされました? 浮かぬ顔ですが」

 応じたのは中肉中背、特徴がないのが特徴といった印象の青年である。
 もっとも特徴がないのは外見だけで、その実力は四天王に次ぐと噂されるほどの地位にある鬼であるのだが。

「大将がご退屈あそばしてる。そろそろ噴火するかもしれん」
「茨の姉御が留守の、この時にですか? 勘弁してくださいよ」
「だから、だ。退屈しのぎの玩具が要る。その中に酌ができそうなやつはいるか?」

 くい、と星熊童子は西廊を顎でしゃくってみせる。
 なるほど、と石熊と呼ばれた青年は頷いた。

 現在、この御殿の西廊は都やその周辺で捕らえた姫たちの住居、いや牢獄として使われていた。
 その娘たちの世話――もっとも、死なない程度にではあるが――をするのが一見穏やかな風貌の、石熊という鬼の役目である。
 能力ゆえにではなく外見ゆえにそのお役目を押し付けられている彼が、しかしげんなりとした表情で首を左右に振る。

「駄目です。見目麗しいのは揃っていますがね。どれも震えて酒をこぼして、肉片か焼肉になるのが関の山ですよ」
「姫は所詮姫、愛玩するが関の山、か」
「でしょうな。肝っ玉母ちゃんでも攫ってくるよう、実働に伝えてくださいよ」
「お前、そんなんの世話したいのか?」
「や、ご免ですがね」

 両者が顔を見合わせて肩をすくめた、直後。本殿の近くに火柱が立ち上った。
 それが何の証であるかは、両者にとって考えるまでもない。

「……まあいい。少し検分させてもらうぞ」
「兄者、笑顔を忘れずにお願いします」
「ああ? 小娘如きに媚を売れってか貴様?」
「一人泣き出すと連鎖になって手がつけられないんです。私の顔を立てると思って、お願いしますよ」

 石熊は両手で耳をふさいでみせる。
 憔悴しきった表情を浮かべる様からして、多分に本気で困っているのであろうが……

「……善処はするが期待はするな」

 鬼の中では部下思いとして知られる星熊とて、できることと、できないことがあるのである。
 「恐れられない」はその中でも最も星熊が苦手とする物の一つであった。

 極力脱力した表情で星熊が重い鉄の門扉を開くと、なるほど。途端に中の気配が綺麗に扉を中心として左右に分かれていく。

「ふん……」

 月明かりも差し込まぬ漆黒の西廊ではあるが、鬼である星熊には何の不都合もない。
 可能な限り鬼の目に触れないように、と少しでも闇の中に潜もうとする娘たちを一瞥して、気がついた。

「ん?」

 星熊の正面、すなわち部屋の中央にたった一人だけ、残っている。
 いや、残っていると言うか、

「寝てやがる……」

 部屋の中央で、くうくうと。
 長い栗色の髪の、まだ幼さを覗かせる――いや、幼さしかない少女が。
 それはもう、実にくつろいだ表情で腹ばいになって涎をたらしながら、安らかな寝息を立てている。

「……」

 さしもの星熊童子も呆気に取られた。
 眠っている。それ自体はいい。人は眠る生き物だし、今はまだ浅いとはいえ夜である。
 だが、鬼の御殿で流石にここまで弛緩した表情で寝息を立てられるとは、

「大物か、馬鹿か」

 後者である、と星熊は判断した。
 だが、それならそれで結構。馬鹿は馬鹿なりに使い道がある。
 それに、言っちゃ悪いが彼らの大将もどちらかというと馬――本能に従って生きる性質である。

「おい、餓鬼。起きろ。外に出してやるぞ。帰ってこれるかは分からんが」

 僅かな期待をこめて、星熊はその少女を爪先でひっくり返した。
 多少でも、大将の暇を潰す役にでも立てばよいのだが。

 はたして、そんな星熊童子の願いは、どうやら彼らが信仰する龍神様の元まできちんと届いたようであった。



  ¶



 バシャリ、と頭に水をぶっ掛けられて、少女は目を覚ました。水滴を払おうと首をもたげたが、逆に頭を地面に押し付けられる。
 体が妙に重いのは疲労や苦痛のせいではなく、上から押さえ込まれているからだ。
 唯一自由になる眼球を動かして見える範囲を確認してみると、さて。少女に好奇の視線を注いでいる周囲の鬼や天狗たちは、杯や提小を手にしたままである。
 つまりは未だここは御殿の中庭で、気絶してからそれほど時間も経過していないと見える。

「熊。首ぐらいは動かせるようにしてやれ」

 そんな野太い声が響き渡ると、少女の頭を押さえつけていた手がどけられる。
 ざらりと、頬で泥をこすりながら正面に目を向けると、

「おう」
「やあ」

 男が、即座に返答を返した少女に、人懐っこい笑みを向けてくる。

 頭の左右にひときわ大きな角を生やした、赤い直垂姿の鬼である。
 年のころは、見た目二十かそこらくらいか。身長はおよそ六尺程度。
 しっかりとした体つきではあるが、少女を迎えに来た鬼に比べればあからさまに劣る。
 が、杯を片手に高御座にて胡坐をかくその佇まいには、向かうものを自然と隷従させる威圧感があった。

「なんで、まだ生きてるの?」

 少女の問いに、おどけたようにその男は眉間にしわを寄せてみせる。

「なかなかに難しい質問をするな。悪りぃが己はまだそいつの答えをしらねぇんだ」
「いや、私が」

 返され、男は笑った。
 自分の生きている意味は知らないが、貴様の生きている意味は知っているとばかりに。

「そりゃあ、これからお前さんを肴に、酒を呑むために決まってっだろぅが?」
「ふぅん」

 あまり興味がなさそうに、少女は男から視線を外す。そのままちらり、と男の左右に視線を走らせた。
 高御座の男の脇に、三人の人影が見える。少女から見て左手に二人、右手に一人である。

 と、男の右手側の鬼。先に少女を迎えに来た、確か星熊と名乗った鬼と目が会った。
 少女の視線に気がつくと、その鬼はニッと相好を崩す。
 なんとなく「いいぞよくやった!」と褒められているような気がして可笑しくなり、少女もまた彼に微笑を返す。

「さて、こっち向きなお姫さん」
「……? ああ、私のことか……スイ」
「あン?」
「私の名前」
「……で、スイ。誰の命を受けてお前さんは、この一介の酒呑の命を狙ったンだい?」

 男の、杯を握る手とは逆の手にある、短刀。
 おそらくは祝いの品と思われる、豪華な金梨地に白糸巻の守り刀を、男は見せ付けるように左右に振ってみせる。
 にわかに周囲の視線を集めた少女は困ったように眉をひそめた。鬼の質問の意図が理解できないでいるのである。

「別に誰の命でもないよ。しいて言うなら私の命」

 そう、正直に答えたのだが、

「嘘こけ。鬼は嘘は嫌いでね。次に嘘ついたら股ぐらに手ぇ突っ込んで中身を引っこ抜くぜ?キモチ痛ぇぞぉ?」

 脅すでもなく、男は相変わらずにこやかな微笑を浮かべたまま、そう口にする。
 それゆえに逆に、少女は男が躊躇なくそうするであろうことを自然と確信できたのだが、

――別に、嘘なんかついてないんだけどなぁ。どうして信じないかなぁ。

 まったくの事実しか口にしてないが故に、困ったとばかりに目をしばたかせる。

 だが、鬼たちが信じないのも無理はなかった。
 なにせ先刻「大将に酌をしろ」と銚子を手渡された少女ときたら、気負いのない自然な足取りで男へと近づき、銚子で杯に丁寧に酒を注いだ後。
 すっと銚子を高御座に置くと、流れるような動作で懐から先の守り刀を取り出して、男の首へ刃を叩きつけたのである。
 それはどこをどう見ても、十をようやく超えた姫君にできる業ではない。
 訓練された者だ、と鬼たちが勘ぐってしまうのも致し方ないだろう。

 なんてことに思いもよらない少女はあっさりと己の命を相手に丸投げした。

「どこか、おかしいところがあったら言って欲しいんだけど」
「ぅん?」
「鬼に捕まった以上、このままだと喰われるのだと私は思いました」
「ふむ」
「呼び出されて、ああ、今がその時なのだと思いました」
「おぅ」
「だから、殺られる前に殺れ」
「そこがおかしぃな?」

 男が杯をくいっと煽る。

「なんで?」
「そりゃお姫さんの思考じゃねぇだろスイ? 普通に考えてよぉ?」
「そりゃあ、都の垢抜けたお姫様じゃないからねぇ?」
「なに?」

 ああ、なるほど、と少女は苦笑する。

「片田舎の、ただの小娘だよ、私は。猪や鳥を絞めるのにも慣れてるし、獣相手に死にかけたこともある。今更殺すことに躊躇はしないって」
「……スイ。て前ぇ、どこの生まれだ?」
「上野国」

 男は深々と頷いた。

「なる、田舎中の田舎だ。未開の原生林じゃねぇか」
「いや、そこまで酷くはないけど……納得?」
「そんな田舎者が、どうしてこんなところにいるのかを除けばな」
「えーと『都の某が、地方に勢力基盤を築くための礎となる一歩』だったかな? 分かる?」
「おぅ、よーくわかった。つまりうちの若い衆がいいとこの姫さんと勘違いして、て前ぇを攫ってきたわけだ……馬鹿共が」
「調度品とかも結構あったでしょ? 出撃損はしてないんじゃないかな、多分」

――もっとも、片田舎から送られる調度品なんぞに価値があるかは分からないけど。
 
 そう口にしようとしてしかし、少女は男の視線を受けて口を閉ざした。くだらないことを喋るな、と言われたような気がしたのだ。
 だがそれは少女の勘違いであり、男が実際に考えていたのはまったく逆の内容であった。

「お前ぇ、自分が調度品より価値がねぇって思ってるんだな」

 それは男が意識するより早く、言の葉に乗って男の口より流れ出ていた。
 そして、そんな言葉を向けられた少女は頷くより他なかった。

「まぁ、あるとは思えないね」
「わっかんねぇなぁ…… ならて前ぇ、なんで己に襲い掛かってきやがった」
「別に死ぬ理由もないしね。死ななくてすむなら、死にたくないし」
「そう言うならよ、別に生きる理由もないんじゃねぇか?」
「大将だって、さっき自分の生きる意味をまだ知らねぇ、って言わなかった?」

 問われ、男はほほっ、と楽しげに肩を揺らす。

「なるほど、こいつぁしてやられた……おい熊、放していいぞ」

 すっ、と少女を押さえつけていた圧力が消える。
 立ち上がって袖で顔の泥を拭き、次いで少女は後ろを振り向くが、誰もいない。
 はて、と思って再び前を向くと、いつの間にやら星熊の隣に新しい人影がある。

 年のころは少女よりやや上か? 熊と言うには程遠い、酷く小柄な少年。
 だというのに巨漢星熊の隣にいて、それが当然であるかのようにその立ち振舞いには違和感がない。
 その彼が腰を下ろし、杯を手にしたのをチラリと見やってから、

「己れの評価と他人の評価ってなぁ、一致しねぇもんだなぁ……気に入ったぞ!!」

 左右に二体ずつ。四体の鬼を従えた男が、高御座の上で興奮したように片膝を立てる。



「今宵、我らに新たな挑戦者が現れた! 挑戦者に祝福を! 乾杯!!」

『――乾杯!!!!――』



 男の左右の鬼、そして今、中庭を取り囲む数多の鬼たち天狗たちが、大将の叫びに呼応して杯を掲げる。

「挑戦者?」
「恐れを知らぬ小娘よ。さぁ、勝負の方法を決めるがぃい! 負けりゃぁ我らの腹の中、勝ちゃぁいかなる望みも叶ぇてやるぞ!!」
「????」
「己らの遊戯だ。お前が、大将と一対一で勝負をするのさ。最早お前には逃げることも隠れることも許されない……が、唯一。勝負の方法だけは、お前が決めていい」

 首をかしげる少女に、苦笑した星熊童子が脇から説明を投げかけてくれる。
 きょとん、とした顔で、

「私が決めていいの?」
「じゃなきゃ、勝負にならねぇからなぁ」
「だが絶対に決着がつかない勝負、逆に最初っから勝敗がひっくり返らない勝負、そもそも勝負が成立しない勝負は禁止だな」

 星熊からの補足を受けて、ふむ、と少女は考え込んだ。

「……この場で、すぐに決着がつく勝負じゃなきゃ、駄目?」
「最近は暇だったからなぁ。別にすぐじゃなくてもいぃが……流石に年を跨ぐほどのは興醒めだぁな」
「ん、分かった」

 少女が頷くと、にわかに周囲の酒席にざわめきが走った。

 はたして、どんな勝負を挑むのか。
 小娘ゆえに派手な戦にはなるまい、とがっかり首を振るもの。逆にすわ知恵比べか? と興味を持つもの。
 十人十色、誰もが様々な思いと共に少女に視線を走らせたが、次の少女の発言で周囲は水を打ったように静まり返った。



「じゃあ、お互い嘘をつき合おうか」




  § 平貞光




「嘘だと言ってくださいよ大将」

 左京区は北辺二坊五町に位置する頼光邸。その東殿には今晩、ゆらゆらと五つの灯火が揺らめいていた。
 輪を描くように置かれた五つの灯台の傍には、やはり五つの人影。狩衣姿の館の主と、そして四つの直垂姿。
 その直垂姿の一つ。濃紺の直垂に身を包んだ靫負尉が従八位上、平貞光は灯火の元で頭を抱えていた。

「残念なことにこれが真実でな? 頼りにしてるぞ貞光」
「すいません腹ぁ痛くなったんで帰ります」
「おう、出立までには治しとけよ?」
「すいませんやっぱり病に臥せったことにしてください」
「うむ、そうしてやりたいのは山々なんだが、源氏家訓その一に『武士に二言はない』というのがあってだな」
「己平家ですんで」
「屁理屈を言いよる」
「どっちがですか!」

 貞光は勢いよく床をバンと叩いた。
 流石は三十路半ばの屈強な兵といったところか。力強い音が殿内に響き渡って、円を描いて座す五名の耳朶を叩く。

「おい、武も金も綱も何を黙ってるんだ! お前らだって死にたくはないだろう? 」
「卦は悪くなかった」

 ジャラジャラと筮竹を玩びながら答える平季武に、貞光は胡散臭げな視線を向ける。

「ああ、こんな時まで卜占なんぞを信じられるお前はたいしたもんだよ! ……金はどうなんだ!?」
「金ならいつも通りだぞ」

 季武がくいっと顎をしゃくった先では、なるほど。四天王最強を誇る筋肉達磨、坂田金時がこっくりこっくりと舟を漕いでいる。
 それは確かにいつも通りの光景なので、馬鹿を無視した貞光が今度は綱に視線を向けるが、

「……は……の……がいい……? いや、……」

 普段は頭脳明晰、四天王の頭脳として頼光からの信頼も厚い渡辺綱はしかし、なにやら顎に手を当てて思案中。
 件の話について考えていないのは、心ここにあらず、とばかりにだらしなく目の端を垂れ下げている様からして明らかである。

「な、なぁ、武。綱はどうしたんだ?」
「どうやら最近、女に惚れたらしい。時々逢瀬を重ねているみたいでな」
「女ぁ!? この状況でからに……相手はどこぞの醜女だ」

 そんな愚痴を貞光がこぼした瞬間、綱が顔を上げてジロリと悪意のこもった視線を向ける。

「醜女だと? 貞貴様、私の華扇さんを愚弄するか!?」
「あーはいはい。なぁ綱、このままだと我々は大江山に挑むことになるらしいぞ? お前、その愛しの華扇さんとやらと泣き別れになってもいいのか?」
「な、な……んだ、と?」

 愕然としたように、綱はぽかんと口を開けた。
 お前少しは話し聞いてろよ、という言葉を飲み込んだ貞光は、一言で現状を要約した。

「綱よ。お前、鬼の住処に殴りこみかけて生きて帰ってこれる自信はあるか? 己にゃ無いね」
「……すみません大将。腹が痛くなったので帰りますね」
「駄目だ。その手は既に貞光が使ってるからな」


 ……これが噂に名高い雷光様の館にて繰り広げられている、頼光と頼光四天王の会議の図である。


 彼らだって人間である。できることとできないことがあるのだ。
 鬼を相手に無双するのは、その最たる物の一つ――と言うよりは普通の人間には無理であろう。

「だが、勅命である。避けて通るわけにはいかんのだ」
「ですが勅命を受けたのは大将であって、己らではありません」
「これ貞、つれないことを言うでないわ」
「命あっての物種です」

「では、貞は行かぬのか」

 そう、季武に横槍を入れられた貞光は押し黙った。
 分かってはいるのだ。実際問題として鬼が暴れることで都の者達は恐れおののき、物流は滞る。
 そして何より、誘拐された姫たちはいつか我が家に帰る日を一日千秋の思いで待ちわびているだろう。
 普段ならば綱に次いで――そして今は最も五者の中で頭が廻る貞光である。その程度のことは重々承知している。
 だが、承知していることと納得がいくことは、同義ではない。

「……愚痴ぐらい言いたくもなるだろう?」
「? 官兵が多数動員されないことにか?」
「そうだが、厳密には違う」

 季武の問いに、貞光は忌々しげにかぶりを振った。

「卦でなく時勢を読め武。近年都は外縁から荒廃が進み、地方では役人どもが不正のし放題。加えて去年は賀茂川の氾濫で多数の死者が出るなど、都の雰囲気は一部末法の如き様相を呈している」
「? それが?」
「帝や太政大臣としては、明るい、民の目を逸らすための話題がほしいのだ。寡兵好く敵を討つ、のような、な。勝てば話題にすればよいし、負ければ次がある。『あの頼光殿すら勝てなかった相手を』とな。分かるか? 鬼も我らも、等しく政の生贄なのさ」
「……なるほど、気がつかなんだ。頭が回らぬ、というのは幸せなようなのだな」
「己が深読みしすぎなだけかもしれんがな」

 唸りを上げる季武を目にして、やはり綱のようにはいかんな、と貞光は自己嫌悪に陥った。
 同じ説明をするにせよ、平素であれば綱が皆の意を汲み取り、やんわりと和を保ってくれるのであるが……

――まあ、女に興味を持つのは悪いことではあるまいか。

 もともと端整な顔立ちであるせいか、綱はどうにも女から向けられる憧憬の瞳を倦厭している節があった。
 その綱が今、自ら熱を上げているのである。友としては祝福してやるべきであろう。

――せめて、時期が今でなかったならばな。

 そう苦笑した貞光は顔を引き締めると、体ごと頼光へと向き直る。

「大将、討伐は如何ほどに?」
「速に、と言われてはいるが、事が事だ。年内までなら猶予を見ても問題ないだろう」
「兵は我らと?」
「保昌と、あと頼信も配下のみだが工面してくれるそうだ」
「……それでも包囲網を敷くには足りませんね……しばし、策を練る時間をお与えいただきたい」
「ああ。綱がこんな様なのでな。頼むぞ、貞光」
「承りました」

 これで話は終わり、とばかりに頼光が己の脇の灯台から皿を手に取って、灯りをふっ、と吹き消した。
 それに気付いた綱もまた、己の前の灯りを消すと、弾むような足取りでさっさと東殿から退散していく。
 続いて季武と、季武に蹴り起こされた金時が。そして家主である頼光もその場から立ち去った後。
 貞光も灯りを消すと、簾へと身を乗り出してジッと月を睨み、低く呻いた。

「負けるわけにはいかない、か。騙し討ちも視野に入れればなるまいな。嘘は、嫌いなのだが……」




  § スイ




「なぁ、スイよ。鬼は嘘は嫌いだって、さっき己が言ったのを忘れたのか?」

 高御座から、忌々しげな声が響く。
 耳にしたものが無条件で平伏を選択したくなるほどの重圧に満ちた、それは恫喝である。
 その場の誰もが少女に発言の撤回を期待したが、


「それってさ、『私ちゃん苦手な勝負は受けたくありません』ってことでいいのかな?」


 その場の全員が、ざぁっ、と自分の顔から血の気が引く音を耳にしたような錯覚に囚われた。
 誰ぞ一分だけ時を巻き戻して、この何も分かってない小娘の首を括りに行ってくれ! と切に願う。
 なにせ彼らが首魁、酒呑童子が我を忘れて暴発すれば、四天王が四人がかりですら押さえこめるか怪しいのだ。
 この場にいる者達の半分が今この瞬間に消し飛んだとて、何一つ不思議ではないのである。

 そんな周囲の恐怖と非難の視線をよそに、少女は悠々と、

「嘘をつくの。お互い、一日一個以上言葉に嘘を混ぜる。それを当てる」

 まるで、これから「さぁ、今日はどの匂の襲にしましょうか」なんて物思う乙女のように、

「先に相手がついた嘘を正しく指摘できたほうが勝ち。だけど嘘を指摘するのは一回だけで、その瞬間に勝敗が決まる。当てたら勝ちで、外したら負け」

 実に生き生きとした笑顔で、説明する。

「どうかな?」
「…………」

 高御座の上の男は、俯いて腕を組み、押し黙ったまま、何も答えない。

「どうかな?」

 少女に困ったような視線と言葉を向けられて、星熊は大いに狼狽した。
 同時に周囲の視線が、何とかしてくれとばかりに星熊に集中する。「否」と返してくれとの願いが錐のように星熊に突き刺さる……が。

 絶対に決着がつかないか? 否。
 最初っから勝敗がひっくり返らない勝負か? 否。
 そもそも勝負が成立しない勝負か? 否。

 実に平等な勝負だ。鬼は嘘が嫌いだが、嘘がつけないわけではない。
 勝敗の判断には数ある宝の一つ「浄玻璃の鏡」を使えばいいし、早ければ今日にでも決着がつく。
 仮に長期戦になったとしたって、嘘は一日に最低一つずつ累積していくのだ。千日手はまずないと思っていい。

 そしてなにより重要なのは、だ。
 星熊にとって困ったことに、鬼は、嘘が嫌いなのである。

「……ああ……なにも、問題は……ない」

 だから星熊童子は、そう返さざるをえない。否と言うことが出来ない。

「じゃ、決まりだね? それとも、『勝負の方法を決めるがいい』ってのは嘘でした、って言う?」

 この一言にだけは若干の悪意をこめて、少女はそう畳み掛ける。
 大将の右こめかみに血管が浮き上がったのに気がついて、左側二人、初老と半獣の四天王がとっさに膝を浮かせた。
 次の瞬間に高熱と高圧力が怒りの嵐となって吹き荒れるを予見し、いつでも飛びかかれるように身構えたのだ。
 だがその二人のほうへすっ、と高御座から制止の手が伸びる。

「いぃだろう……伊吹の外道丸に二言はねぇんだ……受けて立とぅじゃねぇか……」
「ん、じゃあ、勝負開始だね。言っとくけど、私はもう今日の分の嘘をついてるから」

 唖然、と。
 男の目が真ん丸に見開かれた。
 誰もが様々な理由で動き方を忘れたその場において、ただ一人。少女は平然と高御座に近寄って、ゆっくりと階を登る。
 銚子を手にとって、呆けたように硬直する男の杯に丁寧に酒を満たすと、

「じゃ、股ぐらに手ぇ突っ込むのは嘘を当ててからで、よろしく」

 邪気のない、溌剌とした笑みを浮かべた。



  ¶



 春はあけぼの。
 簾の向こうに妖々白くなりゆく山際が見える。

 地敷からそっと身を起こした少女は眠気を振り払うように、軽く二三、頭を振った。

「なんか、おかしくない?」
「なにがだ?」
「この状況」

 ぐるりと、少女は周囲を見回す。
 一方は塗籠、一方が妻戸で、残る二方は簾に仕切られた空間。すなわち寝殿の母屋。館の中心、そして都市の中心である。

「私がここで寝るのは、なんかおかしくない?」
「それはよ、普通寝る前に聞かねぇか?」
「一晩くらいはいいところでゆっくり寝たかったからねぇ」
「……いい根性してらぁ、て前ぇ」

 少女より先に起床し、傍で胡坐をかいていた館の主は肩をすくめた。

「己とお前が会話できなきゃ、勝負になんねぇだろぅが、ん?」
「一日、一刻だけ話をするとかでもいいんじゃない?」
「て前ぇはそれでもぃんだろぅが、それだと会話が不自然になって俺が困る……なんだて前ぇ、西廊に戻りてぇのか?」
「いや、戻りたくはないけど」

 「何馬鹿なこと言ってるの」なんて視線を向けてくる少女を、男もまた「うるせぇ馬鹿」と睨み返す。

「……で、これから私はどうすればいいのかな?」
「決着がつくまでは好きにしろ。己らの勝負は神聖にして絶対。だから勝負中には、誰もて前ぇに横槍を入れたりはしねぇ」
「間違って殺されたりしない?」
「目印つけてるから、大丈夫だろ」
「それがこの、変な形の枷?」

 昨晩右腕にはめられた三角形の鎖分銅を、少女は興味深げに見やる。

「そうだ」
「なんで足じゃなくて、腕なの?」
「それもまた、区別の一つだ……しかして前ぇ、なんで左腕にもつけろなんて言ったんだ?」

 追加された左腕の枷。
 そちらの重りが普通に丸いのは、変な形の分銅が一つしかなかったからである。

「方っぽだけだと、そっちの腕だけ太くなって見栄えが悪くなるし……なに?」

 なにやら苦笑しだした男に、少女は棘のある視線を向ける。

「いや、て前ぇの口から初めて女らしい台詞が出たもんでな。千年早ぇ」
「失礼な奴だ」

 クスッ、と笑った少女だったが、不意に寒気を覚えたのだろうか、ぶるりと身体を震わせた。
 寝ている間にかけていた直垂を胸元にかき寄せる。

「衣か。替えは……熊にでも言ぃな。丈も同じくらいだし、調度ぃいだろ」
「ん。たべものは?」
「ここにいりゃぁ朝夕二回、己と同じものが食える。それ以外では虎熊に言ゃあ、色々くれっぜ?」
「大将と同じものって……人肉じゃないよね?」
「時々人肉だな」
「そのときは言ってね」
「知るか。見た目と味で判断しろ」
「……着替え、取ってくる」
「おう。熊なら坤の徳叉迦殿にいるぜ。そこら辺の奴に聞きゃあ分かるだろ」

 じゃらじゃらスタスタごとん、と少女が視界から姿を消した後。
 男は一人母屋にて首を捻って、小さく呻いた。

「でもまぁ、確かにおかしなことになってるっちゃぁ、なってるわな」




  § 渡辺綱




「どうにもおかしなことに、なってるわね」

 堀川小路を北上する道すがら、思わずそう口にしてしまう。

 八つ時。寒さも厳しい初春にもお日様のご威光をほのかに感じられるころである。
 皆、同じことを考えるのだろう。もっとも暖かいこの時間に用事を済まそうと、堀川小路は今、人でごった返しになっていた。

「どうかしましたか?」
「! いえ、なんでもないんです。ちょっと、人が多いなと」

 萌葱の小袖に薄紅梅の袿。道行く男の半数以上は、彼女が男連れであることに舌打ちする程度の美貌。
 茨木華扇は慌てて並び歩く男に微笑を向けた。男もまたにわかに顔をほころばせる。
 だが、その、雪の中に芽吹いた新芽でも見つけたかのように男が目を細める様には、華扇はどうにも居心地の悪さを覚えるのである。

「既に四条、市はもう目の前ですからね。……雑踏は、苦手ですか?」
「いえ、そんなことはないんですけど」

 野菜を乱雑に放り込んだ籠や、溜め置き用の水桶。人によっては釿や打刀。
 誰もがそのようなものを手にそぞろ歩く小路は、確かに歩きづらい。
 が、華扇が気にしているのは当然、そういう類の話ではない。
 「市では私の目的は果せないのだ」なんて素直に言うわけにも行かず、華扇は内心で頭を抱える。

 都の兵が山を攻めるとの噂を耳にし、調査の為に都に降りてきて早一月。
 首尾は上々。派兵の勅命を受けたという、源頼光なる武士の懐刀にも接触できた。そこまではよいのだ。

「ご心配なく。具足小路の市は東西市と違って、品格がありますからね。そう面倒は起きませんよ」
「それに、面倒が起きても貴方が何とかしてくれる、と」
「ええ、その通り。信頼をお寄せあらんことを」

 男――渡辺綱は気負ったふうもなく、しかし僅かに顔を赤くして頷いた。

 篭絡できた、と思えばいい。実際そのようなものである。した覚えはないが。
 おまけにこの男、華扇が黙っていてもぺらぺらと色々なことを喋ってくれる。その中には軽々に口外してはいけないような貴重な情報も少なくないのだ。
 偽の情報を流されているのではないか。そう疑って三日三晩調査し続けた結果、それらが全て事実であると裏づけが取れたときには、華扇は開いた口がふさがらなかったものだ。

 だから今現在、華扇は時を無為に消費しているわけではないのであるが。



「これなどどうでしょうか?」
「ええ、似合うと思います」

 華扇が何気なしにそう返すと、豪華な錦を広げていた綱は一瞬、がっかりした様な表情を浮かべた。
 はて、と思って視線を向けなおした華扇は流石に狼狽した。
 綱が広げていたのは女物――輪無唐草の唐衣だ。それを「似合う」と言われて嬉しい男はいない。
 ましてや空返事を返されたのが瞭然、とあらば尚更だ。

「あまり、錦には興味はありませんか」
「え、ええと……すみません」

 こちらこそすみません、と口にした綱は丁寧に錦を畳みなおして、店主へと返す。
 この店には女連れがよく立ち寄るのかもしれない。年配の店主にポン、と肩を叩かれる綱の様がおかしくて、華扇はクスリと笑みを零した。つられるように綱も笑う。
 店主の気のきいた手助けにより和み始めた空気の中、綱は降参とばかりに苦笑を浮かべて、両手を肩の横で広げてみせる。

「やれやれ、こちらであれこれ要らぬ場所を案内するより、素直に聞いてしまったほうがよさそうだ。どこか、興味のあるところはありますか?」
「……そうですね、では、庭など」
「庭ですか……ふむ。では」



  ¶



 市に賑わう路を抜け、朱雀大路を超えた先に佇むは、かつて栄華と繁栄の象徴とされた朱雀院。
 であるのだが、今は半ば放置され、貴族未満下民以上の者達が逢瀬に使う場所と化してしまっている。
 流石に建築物の内部には入れないものの、庭をぐるりと巡る程度であれば問題ない。太刀を佩用できる身分とあらば、外門に駐留する衛兵も素通りさせてくれる。


「どうにも華扇さんは、政や戦の話のほうがお好きのようですね」

 綱にそう指摘された華扇は、危うく林檎を喉に詰まらせるところだった。
 不意打ちである。並んで外壁に寄りかかって、市で購入したそれを齧りながらボーっと前裁や池に視線を投じていた最中の話である。

「だ、大丈夫ですか?」
「……大丈夫です……その」
「ああいえ、責めているのではなくて。ただ、珍しいな、と」

 そりゃあ珍しかろう。何せ目の前にいるのは人外の化生なのだから。
 とは、流石に言えないために、華扇は俯いて表情を隠した。
 顕わになったうなじにしばしの意識を奪われてしまった後。ふと我に返った綱は慌てたように、

「悪いことではないと思いますよ。政に興味を持つのは。……戦は、あまりご覧になって欲しくはないですが」
「政……」
「何か?」
「今の政は、それに相応しい者によって、成されているのでしょうか」

 綱は戸惑った。
 会話の内容が他者に聞かれることへの恐怖と、おそらく華扇の本心が聞けるとの期待の両方に。

「……兼家公は、たいそう優れた才をお持ちですよ」
「それは、人を蹴落としたり、欺いたりする才ですか?」
「……人を動かす才、とでも言っておきましょうか」

 壁に耳ありとは古くから申すものであるがゆえ、綱は明言を避ける。

「源内は」
「綱とお呼び下さい」
「源内は御自分の職に、誇りを持っておられますか?」
「……華扇さんは、難しいことを仰る」

 綱は、普段の柔和な笑みを消し、華扇にもはっきりと分かるほどに顔をしかめた。
 華扇が問うている意味を、正しく理解してしまったが故に。

 渡辺綱の役職は源内――内舎人。そのお役目は貴族の護衛である。

「流浪の身である私は、腐りきった役人には散々苦労させられました。何故こうも役人が腐ってるのかと悩み続け、その原因がこの都に来て、とてもよく分かりました」
「……ですが華扇さん、謀反やら簒奪やらで政権がコロコロ移り変わっては、苦労するのは民衆です」
「それは、言い訳にすぎぬのでは?」
「言い訳なのは間違いありませんが、事実です。戦よりは、マシだ」
「でも、この前伺いました。攻めるのですよね? 異民族を、妖と呼ばれる者たちを」

 綱の顔が、苦渋に彩られる。

「好きで、攻めるわけじゃありませんよ」
「……すみません、配慮が足りませんでした」
「いえ……事実、そうですよね。華扇さんは、お優しい。……で、あれば、分かって頂けるはずです」

 しかしそう述懐する綱の表情は、まるで毒でも飲み干したかのように苦々しい。

「大悪を見過ごして小悪を取り締まるのか、と貴女は言うのかもしれませんが、襲って、奪う外道は、排除してしかるべきです」
「腕力で奪うのは罪で、財力で奪うのは罪ではないと?」
「……奪った者は、いつか奪いかえされるでしょう。然るべき時に、然るべき手段で。一方には時が来ていて、他方にはまだ時が来ていないだけです」
「時、ですか」
「ええ、そうです。奪い、奪われるがこの世の常。弱肉強食の原理です」

 力強い確信をこめて、綱は頷いた。
 正義感と、野心と、罪悪感が綯い交ぜになった目で。

「奪えば奪われる。それがわかっていてもしかし、望みのままに奪い生きるがこの世。最も強く望んだものの手だけが、望んだものを手中に収められる。望みすぎるは人の道を外れども、何も望まない手には、何も残らない」
「……」
「ですので、華扇さん」
「何でしょうか?」
「私が無事鬼退治から生還した暁には、婚姻を前提にお付き合いしていただきたい」
「ええ……はぃい!?」

 恐ろしく真摯な顔を向けてくる相手に両手をガシッっと掴まれて、華扇は狼狽した。
 芯だけになっていた林檎が華扇の手から滑り落ちて、トン、と大地に転がる。
 うろたえ、左右する華扇の瞳を逃がすまいとしているかのように、綱の視線は真っ直ぐに揺るぎない。

「鬼が正しければ、私は死ぬでしょう。私が正しければ、生き残るでしょう。もし生き残れたならば、それはこの世が私の正しさを認めた証に他なりません」
「そ、そんな結果論的な考え方はどうかと……い、いや、それ以前にですね。そういうことを戦前に口にすると大概戦死すると思うのですが……」
「それで死ぬのは愛が足りないのです」

 そういうものでもないと華扇は思うのだが。

「私は死にません。好きだから、私は死にません! 私が、幸せにしますから!!」
「え……ええと……」

 華扇の手を握る綱の両手に力がこもる。人外の華扇でなければ苦痛を感じるくらいに、強く。

「返事を頂きたい! はい、でもいいえ、でも。是でも非でも。乙第でも丙第でも生きろでも死ねでも!」

 華扇、絶体絶命である。

 相手は馬鹿なので狙ったわけではないのだろうが、背後は壁だ。後ずさっての脱出は不可能。
 だが手を振り払おうにも、ちょっと力配分を間違えたら人外の怪力を披露してしまうことになる。
 流石にそれで気付かないほどの真性の阿呆でもあるまい。


 僅かに考え込んで、しかし、華扇は優しく笑った。
 そう、考え込む必要すらなかったのだ。

「分かりました。身元も明らかならぬ不詳の身なれど、貴方が無事に山から帰還したならば、お相手つかまつります」

 ぱあっ、と、にわかに綱の顔に赤みがさした。
 見た目からして彼の胸の内には次々と歓喜の泡沫が湧き上がり、それが華やかな花となり、そして弾けているように華扇には感じられた。
 本来なら歓声を上げてその場で狂喜乱舞したい、しかしそれは流石にみっともない。
 そんな面持ちでそっと手を離した綱に、再び華扇は柔らかで、その実は残酷な微笑を返した。

 そう、何も問題はない。
 なにせ九分九厘この男は山で果て、そして残る一厘では華扇が討たれる。両者が共に生き残る未来はない。
 この約束には何の意味もないし、で、あるが故に回答は是と非のどちらを選んでもよかったのである。

 で、あるならば少しでも情報を引き出すために、男を喜ばせてやってもよいはずだ。

「いつ、討伐に?」
「もう、一月ほど先になりましょうか。武のやつがうるさいので神々への祈願を済ませてからになります」
「……本当に、勝てるのでしょうか?」
「流石に鬼を五体十体同時となると、無理があるでしょうが……うまく潜入し、一対一にもっていければ勝機もありましょう。勝利を、祈っていただけますか?」
「それでは、ご無事を」
「……そうか、そうでしたね。私としたことが、お恥ずかしい」

 綱は恥じ入るように後ろ手で頭をかいた。そんな仕草に、チクリと華扇の胸が痛む。
 この胸の痛みは、多分、情が移ったからなどではなくて、そう。

「次に会えるのは、多分、討伐後になりましょう。……よろしければ、もう少し、ここで」
「ええ」

 華扇が、人を、騙しているからだ。

 それは、好ましい生き方ではない。
 少なくとも、大江山では。



  ¶



 その後、華扇が更に二三の情報を引き出したころには、もう太陽が山の寝床へ潜り込み始める時刻になっていた。
 宿場まで送るという、綱の僅かな期待を含む気遣いをやんわりと受け流して、六条大路にて彼と別れた後。

 華扇は大きく深呼吸し、大仰な動作でゴキゴキと肩を回す。
 どうも華扇自身も知らないうちに、全身に疲れが溜まっている。
 久々の猫っかぶりは、思っている以上に華扇にとって堪える作業であったようだ。

「人との付き合い方を、忘れかけてるってことかな……」

 隠したり、欺いたり。
 腹に一物抱えたまま、上辺だけで笑い、褒め、貶すような、人間。

「……まさに、今の私か」

 なるほど、綱と共にいるときの居心地の悪さ。
 開けっ広げに好意を伝えてくる綱と共にいるのが息苦しかったのは、つまり。

「人と、私の立場が逆転していたから、か」

 闇に紛れてトン、と大地を蹴り、民家の屋根へ。
 そのまま屋根伝いに軽快に足を進め、一、二の三で跳躍。ストン、と羅城門の上へと着地する。
 振り向けば、眼下には衰退を湛える右京区の闇と、繁栄を称える左京区の明かり。
 その彼方には栄光の大内裏、そして更なる彼方にあるはずの大江山。

「そろそろ、山に帰ろうかな……」




  § 金熊童子




「スイは故郷に帰りてぇたぁ、思わねぇのか?」
「なんで?」

 ぼりぼりと、干しイワシを頭から噛み砕く。

「なんで、って……興味と、あとはまぁ、駆け引きの一環だぁな」
「むぐ。ああ、なるほど」

 カブの羹を強飯にざぱっとかけて、醤をたらす。

「別に」
「そりゃ嘘だろ?」
「ん、それが『嘘』でいい?」
「……やっぱやめとく」

 ん、と頷いた少女は、ふやけた強飯をさらさらと喉に流し込む。

「っふーぅ。食事も、おなかいっぱい食べられるしねぇ」
「餓鬼のくせに、寂しくならねぇのか?」

 大根の味噌漬けを、コリコリと。

「別に」
「そりゃ嘘だろ?」
「ん、それが『嘘』でいい?」
「……いや、やめとく」

 最後に漬物を摘めば、ごちそうさま。
 少女は紫の直垂の上から、満足げに腹をさする。

「ふぅ。まんぞく」
「そりゃよかったな」

 夕食を終えた大小二つの直垂姿は立ち上がると、そろって夕餉の間を後にする。
 高坏を下げに来た、天狗と思しき女性二名と入れ替わりになる。
 すれ違い様の好奇の視線は、あれだ。おそらく何かを賭けてるんだろうなー、なんて少女はどうでもよいことに気がついた。
 賭けの内容はいつ少女が喰われるか。まぁ、そんなところであろう。はしたなきものである。

 並んでジャラジャラと東庇を歩く、道すがら、

「で、大将こそ、ちゃんと嘘ついてる?」
「ふざけんな!? 鬼は嘘をつか……勝負に手を抜いたりはしねぇよ」

 酒呑は焦ったように言葉を変えた。
 嘘をつく勝負中に、「嘘をつかない」と口にしたら、それは明らかな嘘。その時点で負けが確定するからだ。
 にしし、と少女は笑って、

「自己申告だけど。ちゃんと一日一回嘘つかなかったら、大将の負けだからね」
「わかってらぁ!! ちゃんと今日の分の嘘はもぅついてるっつの!!」

 母屋にたどり着くや否や、酒呑が不貞腐れたように地敷の上にドスンと横になる。
 少女もまた、その横にジャラジャラストンと腰を下ろした。

 しばしの、沈黙。
 両者にとってあまり不快でもない、穏やかな空気がそこに揺蕩った。
 既に勝負を開始してから一月余り。
 すっかりここに帰ってくるのに慣れちゃったなぁ、なんてうとうと考えていた少女であったが、ふいに、

「なあ、スイ」
「なに?」
「正直に言えば、昨今。己はて前ぇが少し薄気味悪りぃ」
「うん……うーん? そうなんだ」
「なぜ、顔色一つ変えず、平然と嘘をつける?」

 単純に嘘をつくことが上手い、という話ではない。
 子供はあっさりと嘘をつく。悪びれることなく、戯れに。それが『悪いこと』であると認識していないから。
 しかし酒呑からすれば、この少女はそういう類の話ではない。

 嘘をつくことが罪悪と理解していながら、まるで己の存在全てが嘘であるかのように、あらゆる言動に乱れがない。
 それこそ、己の感情すらも嘘で塗り固めているかのように。
 そう、尋常ではないのだ。

「……片田舎の、ただの小娘なんだよ、私は」
「それは以前聞いたな」
「ううん。大将は勘違いしてる。文字通りの意味なんだ」
「なに?」
「田舎にだって、田舎なりのお姫様はいるんだ。そうじゃなくて、私は本物の田舎娘なんだよ。両親は、ただの百姓」
「はぁ!? 嘘つく……じゃあ何でて前ぇ、五衣着て牛車になんぞ乗っていやがった?」

 酒呑は理解できない、とばかりに下から少女をねめつける。
 そんな視線も、意に介さないかのように。

「田舎のお姫様がね、都の若様と結ばれる筈だったんだけど。とある事情で京に行くのを拒絶したんだ。でも、都の若様の要求は断れないでしょ?」
「……おい、まさか……」
「そう、だからうちの領主は自分の娘に似てる代わりを用意したの。『どうせ田舎者と思っているだろうし、多少作法が身についてなくってもばれやしないだろう』って」

 酒呑は低い声で呻いた。よくもまあ、そこまでするものだ、と。

「それが、て前ぇなのか」
「そう、私。だから私は最初から偽者なんだよ。本当に、片田舎の、ただの小娘なんだ」
「……呆れた話だな」
「いい暮らしをさせてやる、って提案を呑んで、代わりに叩き込まれた。何があっても、動じない。狼狽えない。尻尾を見せない。事実を口にしない。これが答え」
「じゃあ、て前ぇ……」

 少女が、他人事のような笑みを浮かべる。

「領主も、喜んでるんじゃないかな。鬼に拐われてしまえば、叩きようがないから埃も出ない」
「……て前ぇは、それでいいのか?」
「大将、私たちは今、嘘を付き合う勝負中だってこと、忘れないでね?」

 酒呑はまるで少女の視線から逃れるように、片手で顔を覆った。
 わずかに思案して、

「今の話は、嘘か」
「ん、それが『嘘』でいい?」
「……いや、気になる点はあったが、流す。焦る必要もあるめぇよ」
「大将って見た目のわりに堅実だよね」
「黙れ」

 酒呑は逆の手を伸ばすと、けらけらと笑う少女の首をひょいと刈った。
 抗う術なく、少女は床へと倒れ伏す。

「ん? 添い寝して欲しいのかな?」
「ああ……いや、いらんぞ! ……くそっ、迂闊に冗談も言えねぇな、この勝負」
「冗談くらいなら流すよ? そうじゃないと話がつまらなくなるもん」
「嘘つきの言うことは、信用できん」
「あははは!」

 ひとしきり笑った後、少女は寝具用の直垂にじゃらりと手を伸ばした。
 ごそごそとその中に潜り込み、頭だけをひょいとそこから出して、男の横に腹ばいになる。

「ねぇ」
「なんだ?」
「大将は何のために生きてるの?」
「まだ知らねぇ、って言ったはずだが?」
「じゃあ、さしあたっては、何を求めて生きてるの?」
「……まぁ、楽しけりゃそれでいい」
「いいね。私もそういう生き方は好き。でも、大将は欲張りだね」

 こんな大きな御殿を立てて、なんて口にしようとして、少女は唇を閉ざした。
 隣で天を仰ぐ男の顔にはなにやら困惑の靄がかかっているように見えたのだ。

「……」
「気に障った?」
「いや……」

 そこで言葉を濁した酒呑はふと横を見やって、はっとした表情を浮かべた。
 まるで、少女がそこにいることを忘れていた、といったふうに。

「一人で酒を飲むより、二人で酒を飲むほうがいい。二人より三人。三人より、四人だ。気付けば、ここにいた」
「世の中に、人はいっぱいいるけど」
「やつらにとって、己は人じゃねぇらしい……各地を転々として、最初の一人に会った。誰よりも真っ直ぐな奴で、曲がったことが大嫌いな、クソ真面目な奴でね。そいつと一緒に腐りきった国司目代どもを蹴散らしながら前に進むのは、楽しかった」
「最初の一人って、だれ?」
「もうすぐ帰ってくるさ。帰ってきたら酒宴だ……そいつが言ったんだよ。『はぐれ者にだって、国と王があってもいい』ってな。馬鹿な己と違って、あいつの言うことはいつも正しかった。だから、造ってみた」
「それが、ここ」

 そうだ、と酒呑は頷いた。
 すこしばかり、自嘲するように顔をゆがめて、

「まぁ、もうちょっと地の果てに造りゃよかったんだがな。おかげで人間と対立だ」
「どこに造っても、遅かれ早かれ一緒だったと思うよ」
「かもな。まぁ、己は酒を飲む仲間がいりゃあ、それでぃい。それが何であろうと」
「鬼じゃなくても?」
「かまわん。そもそも華扇の奴は本当に鬼かどうか怪しぃもんだし、虎熊に至っては鬼モドキだしな」
「鬼モドキ?」

 はて、と少女は首をかしげた。
 四天王が一角、虎熊童子はなるほど確かに、そこかしこに虎の体毛を纏った半獣の姿だ。
 だが、その額には確かに鬼であることを示す三本の角があるというのに。

「ああ。最初はあいつ、虎ってぇ不定形の妖獣だったのさ。己らと行動を共にするようになって、鬼の姿に定着したがね」
「ふぅん……なら、神様と一緒に行動してたら、神様になってたかもね」
「かもな。あいつもつぃてねぇぜ。己らなんかにかかわっちまって、よ」
「そうでもないと思うよ」
「あぁ?」
「楽しいから、ここにいるんじゃないかな?」
「……だと、いいがな。あぁ、酒が呑みてぇ。酒を呑む理由がほしいぜ。毎日が祭りならいいのになぁ」
「呑みたきゃ、呑めばいいじゃないか」

 そう、怪訝そうに少女が問うと、酒呑は分かってないなとばかりに首を振って、

「祭りってのはよ、スイ。毎日やっちゃつまんねぇだろ?」
「言ってること、矛盾してない?」
「してねぇ」
「そっか」
「そうだ……ふむ」

 顎をなでた酒呑は、にわかに少女がかぶっていた直垂を剥ぎ取った。
 上半身を起こすと、するりと体を半回転させて隣の少女の上へと圧し掛かる。

「このままて前ぇの開通祝いで酒宴といくか?」
「手ぇ突っ込むのは決着がついた後、でしょ?」
「約束した覚えはねぇな……ついでに言ゃあ、手ぇ以外のものを突っ込まないと言った覚えもねぇぞ」
「なるほど、確かに」

「……あー、大将。お楽しみのところすみませんが」
「なんだ金、悪りぃがこいつはこんな小せぇ生りなんでな。混ぜてやれんぞ?」

 男の背後に音も無く現れた、両耳の後ろから二股に分かれた角を生やした、影。
 四天王が一角、五十路あまりの外見を持つ金熊童子は憮然として、豊かな顎髭をさらりと撫でた。

「いや、大将ほど節操なしでもないんで幼子はちょっと……副頭領がお帰りですな」
「それを早く言え!! 酒宴の用意だ!」

 跳ね起きた酒呑は少女を荷物か何かのように金熊に投げ渡すと、ご機嫌な足取りで正面階へと向かっていく。
 その後姿を見送って、少女はふぅと嘆息。

「やれやれ、助かったよ」
「どういたしまして。偶然なのだがね」

 困ったお方だ、なんて口にしながらじゃらりと少女を床へ下ろした金熊は、五十過ぎの外見どおりに爺臭い性格なのだろうか? ぶつぶつと口の中で云々かんぬん。
 耳をそばだててみると、「まったく、副頭領に見られたら然々」のような旨をかすかに聞き取ることができる。

「副頭領って、どんな人?」

 裾をちょいちょいと少女に引っ張られてようやく、金熊ははっと我に返る。

「ああ、心配なさるな、君。大将よりずっと理知的で、賢明な方だ」
「金熊様よりも?」
「いやぁ、君。残念ながらこの山で私より思慮深い鬼はいないねぇ」

 少女がこれまでに確認したところ、正直四天王のアタマは皆トントン、といったところであるのだが……
 まあ、基本、突っ込むだけ無駄である。少女は重々しく頷いておいた。

「でも大将と比べたら、誰もが理知的で、賢明だと思うけど?」
「そうだね、目の前の一人を除いてね」
「なるほど。一理ある」
「そこも頷いちゃうんだ、君」

 少女は物知顔で偉そうにうそぶいた。

「自分が馬鹿だ、って知っているものほど、賢いものだよ、きみ」



  ¶



 寝殿正面では、階を挟んで兄妹が一月ぶりに感動の対面である。

「兄上。茨木、ただいま戻りました」
「おぅ! ご苦労さん! 一月の都遊行は楽しかったか?」
「兄上、私は遊びに行っていたわけではなくてですね、都の……」
「ああ、分かってる。皆まで言うな。で、何人男を喰ってきたんだ? おめぇのツラだ、二十や三十は軽くイけただろう?」
「それじゃほぼ一日一人ではないですか……一人も喰ってやしませんよ」
「一人も、って……はぁあ!!? じゃぁお前、何しに都まで行ってきたんだよ!? 馬鹿じゃねぇのか?」
「馬鹿は義兄さんです! 何ですか義兄さんは年がら年中酒と女としか考えていないくせに!!」


「理知的で、賢明ねぇ……」
「朱に交われば赤くなるものだよ、君。故に朱天童子と」
「金熊様、それでうまい事言ったつもり?」


「そもそもお前、己がなんでお前を一人だけで送り出したと思ってるんでぇ?」
「義兄さんたち馬鹿集団が一緒じゃ偵察にならないからでしょうに!?」
「違ぇよ馬鹿! こんな山ン中の糞っ垂な芋野郎どもとは違ぇ、都のあはれなる若君との雅な恋愛を楽しんでこいっていう兄の暖けぇ心遣いだろぅが!! それをお前なんだ? 一人も喰ってねぇだと! はぁあ!? 信じられねぇ! お前、女として魅力がねぇんじゃねぇのか!?」
「ば、馬鹿にしないでください!! 私だって男の一人や二人くらいですね……!!」
「……出来たのか?」
「え、あ、いや、そのぅ……」
「出来たんだな?」
「……あーうー」
「ぅおっ!! こいつぁ目出てぇ!! 野郎共聞いたか!? 堅物の華扇にようやく男が出来たらしいぞ!! 乾杯だぁ! 酒持って来い酒ぇ!!」
「本当っすか姉御!?」
「苦節数十年……長かった……いや良かった!! おめでとう姉御!!」
「…………」
「虎に星、熊まで!! 何故に縁の下から!?」
「「ああ、ちょっと白蟻駆除をしてまして」」「……」
「嘘つくなぁああ!!」
「さぁお前ら集まれ! 天狗どもは酒と料理だ! はよ持って来い!」
「ちょ、ちょっと星熊! 降ろしなさい!!」
「ほれワッショイ! ワッショイ!!」
「姉御ォ!! おめでとうございます!!」
「……!」
「おめでとぉー!!!」
「おめでとう姉御ぉお!!」
「まさか、この老体の生あるうちにこの日を拝めるとは……龍神様、感謝いたしますぞ!」
「これで後は孫の顔さえ見られれば……」
「今孫って言った奴誰だぁーー!?」


「理知的で、賢明ねぇ……」
「最早何も言うまい。沈黙は金であるぞ? 故に金熊童子と」
「金熊様、それでうまい事言ったつもり?」



  ¶



 突如始まった老若男女種族問わずの大宴会は翌日、空が白むまで続いたようだった。
 ようだった、というのはそれ、少女は酒をたらふく呑めるほどの齢を重ねていなかったわけで。
 半獣鬼、虎熊童子のもっふもふな脚を枕に、早々に睡魔に身を委ねてしまった少女には、だから。
 四方八方、四天王たちから延々からかわれ続ける華扇はしかし、ちょっとだけ楽しそうだ、という記憶しか残らなかったのである。

 だがまあ、最終的にこの日の宴を華扇が一言で纏めると以下のようになる。


「あの馬鹿共……あとで絶対に叩き潰すぅう!!」




  § 藤原保昌




「総員五十弱。昌、君、この人数で鬼を叩き潰せると思うかい?」
「ま、普通にやったら無理だろうな」

 歌人にして武人、藤原保昌はあっさり首を横に振った。
 出立を明日に控えたこの日。保昌と頼信の目の前、頼光邸の前庭に並べられた五十人分の装備は中々に壮観である。
 ……が鬼の住処に殴り込みをかけるには不足もいいところだ。

「だからの、騙し討ちなのだろう? 山伏の格好で潜入。宴会の場までたどり着いて、一人一殺」
「雷撃のように素早く、ね。まさに兄上に相応しい作戦ではあるが……辿り着けるか? 鬼の膝元まで」
「そこから先は運だろうな」
「早くも運任せ、か。必勝を望む態勢とは思えないね」

 頼信は皮肉気に口を歪めて、かぶりを振った。
 これから死地に赴く者達をまるで小馬鹿にした様な態度に、保昌は不快感を滲ませる。

「自分が行かないから、と、高みの見物のようだな。結構なことだ」
「おいおい昌、誤解してくれるなよ? 私は勝てぬ戦ならやらないほうがいい、と言っているだけさ。君たちを馬鹿にしているわけじゃない」

 今度は頼信が顔に不満を浮かべた……が、納得したようにすぐその表情を引っ込める。

「昌、君、随分と余裕がないぞ? 緊張しているのか?」
「していないはずがないだろう? さっき言ったように、うまくいくかどうかもわからないのに」


「天狗の助けまで借りてる、ってのに?」


 保昌は愕然とした表情で友人を見た。その友は今にも口笛でも吹きそうな様相である。

「……知っていたのか」
「情報こそが我らの武器だろう? ……ああ、分かってるよ。兄上の名誉があるからね。口外したりはしない。君が僕にそれを言わなかったのも、そのためだろう?」

 保昌は黙って頷いた。
 そう、どういう伝手かは知らないが、此度の戦において貞光はあろうことか、鬼の配下である天狗に協力を取り付けたのだ。
 天狗たちに取り繕ってもらうことが出来れば、山伏の姿で鬼の懐にもぐりこめる確率は格段に上がる。
 そして一対一ならかろうじて、頼光や保昌たちには鬼と「虐殺されるではなく、戦になる」だけの実力がある。

 四天王以上の鬼に勝てるかどうかは、分からないが。


 とは言え妖怪の力を借りるなど言語道断。おいそれと口にできるものではない。
 故に各々の腹心で忠に厚く口が堅く、かつ実力のあるものを数名選出しての、此度の陣容である。

「だが鬼と戦って勝てるか、に天狗は関係ない。やはり緊張するさ」
「おいおい、駄目じゃないか昌」
「何がだ?」
「こういう場合、しなきゃいけないのは緊張じゃなくて、更に勝率を高めるための工夫だろ?」
「それがあったら苦労しない」

 むっつりと保昌は顔をしかめるが、そんな保昌に頼信は出来の悪い弟子でも採点するかのような視線を向ける。

「……まったく、君たちときたらこれだ。どこかしら正々堂々と戦うべし、って思いこんじゃってるから、そこで思考停止する」
「……何が言いたい?」
「つまり、こういうことさ」

 保昌の耳元に頼信は口を寄せると、二言、三言小さく囁いた。

「……何だと!!?」

 保昌は目を剥いた。その驚愕は一度目を上回ってあまりある。
 目の前にいるこの、十も年下の友人こそが悪鬼妖怪のそれなのではないかと、怖気を滲ませる視線で頼信を上から下までねめつける。
 そんな保昌に、頼信は失笑を堪えきれないようだ。

「声が大きいなぁ昌は。まぁ、だから、気負わず勝って来なよ。私の所顕しが待ってるぜ?」
「……何故だ」
「何が?」
「それだけのことをするなら、いっそ我らが全滅してからその策を用いて、お前が鬼を討伐すればいい。政敵が減って、手柄だけが増える」
「あっはははぁ! 昌は酷い奴だなぁ!」

 心外だ、とばかりに頼信は肩をそびやかす。

「私は家族と、友人は大切にする性質なのさ。 ……それにさ、つまんないだろ?」
「何が」
「兄上たちがいなくなったら、さ。私は兄上や、兄上の四天王が好きなんだ。彼らがいない大内裏なんて腐臭しかしない。想像したくもないよ。君は違うのかい?」
「……」
「だからね、私は君や彼らが生き残るためなら何だってする。他の奴らなんぞ、どうなろうが知ったことか」
「……両の手で掴めるものだけを掴み、それ以外には目もくれない。正しい選択なのだろうな」

 そうとも、と頼信は頷いた。

「君ならそう言ってくれると思ったよ」
「……言っておくが、私もそういう策は好きじゃない」
「知ってるよ。だから私は君も好きなんだしね」
「だが、助力には心から感謝する。頼光たちが気がついた時には、君の味方になって説得に協力しよう」

 頼信はにっこりと、曇りのない笑顔を浮かべた。

「ありがとう、同胞」




  § 茨木童子




「つまり、敵は我らの同胞を装っている、と?」
「ええ。山伏の姿を取るのが一番手っ取り早かったのでしょう。そろそろ到着するころと思われますので、注意をお願いできますか?」
「副頭領の仰せのとおりに」

 大江龍宮の艮の方角は天狗たちが中心となって住まう、派手(主に鼻高の趣味だ)と質素(主に白狼の好みだ)が入り混じった雑居区域である。
 その一角の中心、娑伽羅殿の寝殿にて。
 館の主である天魔は恭しく華扇に頷いて、円座の上で脚を組みなおす。

 ほっ、と華扇は一息ついた。これで、ひとまずは安心といったところか。

 信頼の置ける男である。
 華扇と酒呑がこの地に流れついて以来、何かと二人に協力的な天狗であり、この大江龍宮も彼の協力がなければ建立は不可能だっただろう。
 彼が共に居を構えていてくれているおかげで、天狗の多くが鬼にかしずいていると言っても過言ではない。

「しかし、そうなると我らの内に、小銭を掴まされた者もいるかもしれませぬな」
「そうですね。その可能性はあるかもしれません」

 こちらが切り出しにくいことを自ら率先して口にしてくれる。やはり優秀で、頼りになる男だ、と華扇は感嘆する。

「流石に洗い出しは容易ではないので、現場対応せざるをえないでしょうな。門前で払いのけますか? それとも招き入れて?」
「お任せします。ただ、基本的には門前払いしていただければありがたいです。命は命ですし、殺せば次が来なくなるというものでもないでしょうから」
「心得ました」

 その後、二三の調整を済ませた後。
 娑伽羅殿を後にして、華扇は大きく伸びをした。
 跳躍して、卯の方角を守る青竜門へと飛び上がり、腰を下ろす。

 こうやって、高いところから周囲を見渡すのは華扇の趣味だった。
 以前「煙と何とかは高いところに……」などとほざいた義兄の顎を割って以来、華扇の趣味に文句をつけてくる男はいない。
 悠々と、眼下に視線をめぐらせる。


 夕日を受ける赤い御殿群は今、いっそうの朱に濡れて燃え上がっているかのようだ。

 美しい御殿である、とわずかながらの自賛を自覚しつつも、そう思う。
 鬼隠しの結界に守られて、「鬼の岩戸」をくぐることでのみ出入りが可能な、閉じた世界。四方四季の庭。
 人ならざるものが、人目を気にすることなく安息を手にすることが出来る、楽園。

 ここを維持できていることは、華扇にとって喜びであり、誇りでもある。
 外界は既に、ほとんど人のみの世と化してしまっている。妖は次第に野へ、山へと葬られ、忘れ去られて消えていく。
 人でありながら、「人ならざる」烙印を押されたものも同じ。住処を奪われて、蹂躙される。
 そんな者達のための、「異界」が、ここ。
 誰もが真っ直ぐに生きられる世界が、ここだ。

「でも、そう。出来れば、顕界に我々の国を作れれば……」

 それだけが、唯一の心残り。

 華扇は思う。
 義兄、酒呑童子は強い。彼女の知る限り、彼より強い妖は存在しない。
 だから妖の誰もが彼を慕い、誰もが彼を崇める。義理の妹たる華扇とてその一人に過ぎない。
 彼を筆頭にして大々的に戦力を募り、都を攻めれば、攻め落とせないこともない。そう、秘かに確信している。
 そもそも正直者が結界内での暮らしを強いられ、外道が大手を振って外界で暮らしているなど可笑しいではないか。
 それは正されるべき問題であるはずだ。少なくとも、華扇にとってはそうだった。

 だがしかし、酒呑童子本人にそのつもりがないのでは、手の打ちようがない。

「何故……」

 最近、義兄との距離を感じる。

 意気投合して、共に、ここまでやってきた。
 酒呑が惹き付け、華扇が組織として整える。そうやって数を増やし、この都の目と鼻の先まで肉薄したというのに。
 なのに、都を一瞥した酒呑はなぜかそれ以上の進軍をやめて、この地に御殿を構えるに留まってしまった。

「何故です? 義兄さん。望めば、手に入るというのに。腐敗した貴族連中を、一掃できるというのに」

 そう、あの。
 譲り渡されただけであるくせして、自分たちの貴さを信じて疑わぬ輩を。
 氏で貴賎を定める下賎な輩を一掃出来る力が、あるというのに。種族で差別をしない、誰もが平等な政治を、始められるというのに。
 誰もが真っ直ぐに生きることができる世界を、外界に築けるというのに。



  ¶



「隣、いいか? よっ、と」
「! 義兄さん……どうぞ」

 いつの間に現れたのだろうか? 酒呑は許可を待つより早く、華扇の隣に腰を下ろす。

「義兄さんの方からとは珍しいですね。どうしました?」
「あー、いや、うん。なんだ……」
「言いにくいことですか? あの人間の娘を孕ませてしまったとか」
「そこまで節操なくねぇからな!?」
「どうだか。怪しいものです」
「そもそもまだ会ってふた月足らずだ。なら孕んだかどうかなんてわからんだろぅ? だから違ぇよ」
「最っ低の答えですね」

 華扇の声は冷たい。それすなわち、華扇が未だ酒呑の言うことを信じていない証である。
 人の世界から返ってきて間もないせいか、それとも義兄と少女の勝負の方法を知ったためか、今の華扇は微妙に疑り深くなっているようだ。

「で、なんです?」
「……これからのことについて、ちょっとな」
「都を、攻める気になりましたか?」

 その言葉に、華扇の瞳がわずかな光彩を帯びるが、

「いゃ、その逆だ。ここを引き払って、田舎に引っ込む」
「何ですって!?」

 一転して、絶望に沈む。

「ちょっと前に八雲の某とかいう妖怪に誘われててね。それに乗って隠居しようかと」
「聞いてないですよ!」
「当然だ。今初めて言ったんだからな」

 当初、華扇は信じられぬ、とばかりにぱちぱちと目をしばたかせていた。
 だが義兄の真面目な視線を受けると、視線をはずして、縮こまるように膝を抱えた。

「……何故です?」
「器じゃねぇからだ」
「義兄さん以上の、妖などいません」
「実力、って意味じゃ、そうかもな。でもそれは王の資質じゃねぇ」
「そんなこと……ありません」
「あるさ。だってお前、力があればなにやってもいいってんならそりゃぁ、都の貴族連中と同じじゃねぇか?」
「……私達は、騙しません。嘘をつきません。裏切りません」
「そんなもなぁなんの言い訳にもならねぇよ。蹂躙される側からすりゃぁな」

 華扇は膝に顔をうずめた。
 義兄の言うことはどうしようもないほどに正論で、反論のしようがない。

「王に求められるのは、公明正大さだ。己にゃそれがねぇ。嫌いな奴は嫌いだし、才能があっても嫌ぁな奴なら傍に置いておきたくねぇ。その日の感情に左右されるし、カッとなったら止まらねぇ。でも、それが己だ」
「……」
「己に、嘘はつけねぇよ。だから悪りぃ。ここまで一緒にやってきたが、己にゃお前の願いは叶ぇられんねぇ」
「そう……ですか」
「己にゃせいぜい、家長が関の山さ。八雲の某が片田舎の山一つを己にくれるってんでね。そこに収まるぐらいがちょうどいぃだろう……この地では、暴れすぎたしな」
「私は……どうすればいいんでしょう? ずっと、二人で、京を目指してきたのに。一方的に破棄されたら、どうしていいかわかりません」

 口にして、思わず涙がこぼれそうになった。
 ふと横を向いた酒呑が今更義妹の表情に気がついて、どうしていいか分からずおろおろし始める。

「あ、あれだ、お前は、お前が欲するままを行えばいぃさ。一人、京で過ごしてみて、何か得られるものはなかったか?」
「そのために」
「ぅん?」
「そのために、私を一人都に送ったのですか?」
「まぁ、そうだな。何か、物思うことはなかったか?」
「山のことしか、考えませんでしたよ」
「そぅか……まぁ、今すぐ決めなきゃいけねぇ事でもねぇからな。目的が定まらねぇなら一緒に来い。お前がぃなくなったら、己は寂しい」
「……自分勝手な」
「それが、己だ」

 ふっ、と華扇がわずかに笑顔を見せる。
 それを目にして酒呑もようやく安堵したかのように大きく息を吐いた。
 次いで息を吸うと、なにやら香ばしい匂いが鼻腔をくすぐる。

「……雉だな」
「よく分かりますね」

 二人、眼下に視線を投じると、なにやら庭で少女と虎熊が串に刺した肉を直火焼きにしているのが目に映った。

「相変わらず、虎熊は子供に好かれてますね」
「もっふもふだからな……つぅかあの餓鬼は四天王全員に懐いてるがね」
「……それまでに決着がつかなかったら、あの子はどうするんですか?」
「連れてく。勝負の決着だけはきちんとつけねぇとだからな。まぁ、なにやら都に婚約者がいるみてぇだし、置いてったほうがいいんだろうが」
「あの年で、ですか?」

 華扇は眉をひそめた。
 にわかに即席の囲炉裏――ないしは虎熊の周囲に集まり始めた白狼天狗や鬼の幼児たち。
 その中でお姉さんぶった仕草を取っている今の少女は、十歳前後という年相応に無邪気に見える。

「権力の道具に、年は関係ねぇよ。だが、ま。腹の探りあいは終わった。そろそろ決着はつくだろう」
「勝ったら、喰うんですか?」
「そりゃ勿論」
「ケダモノ」
「うるせぇよ。見目麗しい義妹に手ぇださねぇだけマシだろ?」
「はいはいそーですねー」

 ブン、と義妹が容赦なく裏拳を振るう。
 パシッ、と義兄がそれを受け止める。
 不器用な二人の、それは手打ちの合図。

 笑顔を交わした二人は同時に立ち上がって――そして同時に大江龍宮の正門。
 午の彼方に位置する赤竜門へと視線を投じる。

「なんでぇ、やかましぃな」
「む……進入されましたか」

 山伏達が赤竜門を潜って、一人、また一人と大江龍宮の中に数を増やしていく。
 どうやら天狗たちは、敵を門前払いすることに失敗したようであった。

「ふん、華扇、酒宴の用意だ。今夜も宴だな」
「正気ですか?」
「末期の酒くらいは飲ましてやろうじゃねぇか。それが情けってもんだ」
「万が一も、ありえます。ゆめゆめ油断なきよう」
「分かってらぁ、だがよ」

 酒呑は少しばかり困ったようにかぶりを振った。

「客は等しく持て成すのが公明正大な家主の仕事だろ? たとえ、それが招かれざる客であってもな」




 § 天狗




「それではここいらで、招かれざる客にはご退場いただきましょうか」

 宴もたけなわ。しかし和んだ空気など微塵も感じられない中庭にて、厳かに天魔が告げる。

「ま、待たれよ! 我らが都の武士に似ているなど他人の空似というもの、我らは……」
「微妙に非ざれば間の実を得ること能わずと申しましてな。連れて行け!!」

 天魔が一声上げると、にわかに空から鴉天狗たちが舞い降りてきて、あっという間に山伏姿の人間たちを拘束する。
 その後も人間たちは「騙したな!」やら「何かの間違いではないのか」やらの泣き言をわめき散らしていたが、それらの声も次第に中庭から遠ざかっていき、終いには何の声も聞こえなくなる。

「……騙してるのはどっちでぇ。なぁ?」
「お目汚しでした。頭領、副頭領。門前で排除できず申し訳ありませんでした」
「ぃや、こちらこそ毎度すまねぇな。助かる」

 親しみをこめた笑顔で酒呑が手渡した杯を、天魔は恭しく受け取った。
 空にして、酒呑に返す。

「そう言っていただければ重畳。すみませんが、首を確認するためにいったん席を外します」
「おぅ。今日の立役者はお前らだ。早く戻って来いよ?」
「もったいなきお言葉、感謝いたします」

 言葉と共に天魔もまた、闇に解けるように中庭から姿を消す。
 話の花がことごとく刈り取られた中庭で、酒呑は寂しそうに首を振った。
 流石に中央に座していた十数人がごっそりといなくなると、奇妙な空白感がある。

「……しかしあれだ、己らはすることがねぇ、ってのはちょっとつまらんな」
「戦になるよりはマシでしょうが。ここには女子供もいるんですし」

 酒呑の不満を、星熊が一般論でたしなめる。
 事実、生活の場でもある大江龍宮には、当然のように女性から子供、老人に至るまでが生活しているのである。
 戦闘にならずにすんだ、というのは大いに喜ぶべきことであって、不満に思うようなことではない。

「そりゃあ、そぅだがよ。いっそのこと女子供は退避させて、全面戦争にしたほぅが楽しめたんじゃね?」
「大将、女子供をどこに避難させるというのです? 『ここ』以外に、行く先があるとでも?」
「……冗談でぇ」
「下手な嘘をつくと、スイとの勝負に負けますぞ? 大将」

 金熊の言に、酒呑があからさまに顔をしかめる。

「て前ぇ! 己と餓鬼と、どっちの味方だ?」
「神聖なる勝負の、味方ですな、はい」
「ケッ! 生えてもいねぇ餓鬼が、たぶらかしやがる。ここの連中はみんな幼女好きぞろいか!? あいつはどうした!」
「……」
「念のため寝殿に放り込んであります。……大将が一番、重症だ」

 虎熊に指摘された酒呑の表情は今や、沸騰の一歩寸前にまで滾っている。
 が、四天王たちにはそれを楽しむだけの余裕があった。

 他方で、唯一余裕がなかったのは今日この中庭で唯一の女性、茨木童子――華扇である。

「兄上、私もしばし席を外します」
「? おう、お色直しか? 行ってきな」
「なんで義兄さんたち相手に色を直す必要があるんですか……失礼」


  ¶


 天狗たちが住まう一角がある、艮の方角へと華扇は足を向ける。
 どうにも、胸騒ぎがして鳴り止まない。
 この胸騒ぎの原因を、華扇は知っている。認めたくはないが、認めざるをえない。
 確認しておかないと、落ち着かない。

「あの十数人の中に、彼はいなかった……どういうこと?」

 半ば早足で歩みを進める華扇の脳が、鼻が、知覚する。
 これは、血のにおいだ。戦場で何度も嗅いだ、死のにおい。
 賊の首を刎ねるところを、女子供に見せないためだろうか? 華扇の視界に、即席の幕舎が映った。
 垂幕を、くぐる。

「失礼」
「これは、副頭領」
「首を、確認させてもらいます」

 恭しく頭を下げる大天狗に片手で応じた華扇は、せかされる様に斬首された死体の顔を覗きこんでいく。
 一人、二人……六人。

「……これで、全部ですか?」
「ええ。源頼光以下、四天王を語る蛮族と、藤原の……なんでしたか? そう、保昌。残りは逃がしても問題ないでしょう。烏合の衆です」
「その、烏合の衆を捕まえなさい!! 早く!!」
「……何故です?」
「こいつらは源頼光とその配下などではありません! 偽者です!」

 そう、斬首死体の中に、華扇のよく知った顔が。
 渡辺綱が、いない。
 かっ、と華扇の頭が灼熱に燃え上がった。
 綱がここまで下賎な手段を取るとは思いもしなかったという事実に。そしてわずかばかりでも綱を信頼していたようだという、自分に。
 平然と、他人を囮に仕立て上げて殺すなど……と。

 ふいに、別の思考が奔る。
 本当にあの馬鹿者が、他人を囮に仕立て上げて殺すなんて作戦を黙認するのか? と。

「なぜ、そのようなことを仰るのです? こやつらは源頼光とその腹心です。間違いなく」

 そう語る大天狗の口調はまるで、幼子に噛み含んで説明でもしているかのように、落ち着いていて、支配的。
 そして周囲には、血に濡れた刀を提げる、六人の白狼天狗。
 じりっ、っと、思わず華扇は後ずさる。得体の知れない何かに、威圧されて。


「貴方たち……」
「副頭領は我らを信用いただけないのですな。悲しい話だ」


 大天狗が、理解できないとばかりに首を振る。


 そう、『大天狗』が。


「……天魔は、どこに行ったのです?」


 後ずさりながら、問いかける。
 先ほど酒席を後にした、あの、忠実な天魔はどこへ行った?



 まさか、彼が裏切って?



「さて? 酒席に戻ったのではないでしょうか?」
「……答えなさい!!」



「では、『身代わりを見抜けなかった罪を問われて、長年の忠誠にもかかわらず無残に鬼に首を刎ねられた』とでも答えればよろしいのですか?」



「!!!」


 現実はどうやら華扇の想像の範囲を容易に飛び越えてしまっているようだ。
 驚きに息を呑んだ、瞬間。


 喊声が、世界を揺らす。


「始まりましたな」
「……始めた、のでしょう?」


 大天狗がにんまりと笑った。
 敗北など微塵も考えぬ、勝者の表情で。


「毒にも薬にもならぬ鬼などもはや不要! 本日をもって我ら天狗が、この京妖怪の元締めとなるのだ!!」


 後ずさる華扇の背中が、ドン、と何者かにぶつかった。
 退路は……ない。




  § 四天王




「まったく、誰が敵で誰が味方なんだ? 鬼以外は皆敵でいいのか?」

 大江龍宮の酉の方角を守る白竜門の上。広さ六畳ほどの櫓に陣取った星熊童子は忌々しげに呻いた。
 足元に転がっている、投擲用の岩を手にとって、握り締める。
 門を攻める相手に叩きつける為の、原始的にしてしかし効果的な武器。
 そんなものに四天王である星熊童子が頼らねばならないというのは情けない話だ、と肩をすくめる。

 視界の外れで、建物が一つ崩れた。竜巻に呑まれて、木材と、そして鬼が数名。もみくちゃにされ、肉片へと変わっていく。

「ふんっ!!」

 握り締めた岩に妖気をこめ、振りかぶって投擲。
 ありえないほどの加速を与えられた岩は空気とせめぎ合い、融解、蒸発しながらも、黄金の軌跡を残して空を奔り――
 一羽の鴉天狗の頭を易々と粉砕する。

「次」

 再び、投擲。更に一羽。
 天狗飛礫に代表される、世に数多ある妖怪による落石現象。その頂点。
 圧倒的なまでの威力と命中率を誇るこの「流星」こそが、星熊童子を四天王の座に押し上げた最大の武器。

「にしても、一発ずつしか撃てねぇとは……情けねぇ」

 普段は妖術で以って山嵐の如く、まさに雨あられと叩きつけられる流星が、今は手投げで一度に一発だ。
 だが身内である天狗に毒を飲まされ十分の一も実力を発揮できないとあっては、どうしようもない。泣き言を言っている暇もない。

「次」

 三発、四発、五発。
 立て続けに放たれる黄金の流星が、狙い過たず一体ずつ、鴉天狗を沈めていく。
 それを警戒したか、鴉天狗たちが御殿の影へ隠れるように高度を下げ始めた。
 が、そのうちの一体が、首を切り裂かれて大地へと落下していく様が星熊の目に映る。

「お、熊も張りきってんな」

 両腕に鉤爪を装着した、小柄な影。
 熊童子が――その名に違い猿や猫を思わせる身軽さで、御殿を縦横無尽に飛び回る。
 その影が方向を変えるたびに、その背後では天狗が一体、鮮血を撒き散らしながら崩れ落ちていく。

「しかし、多勢に無勢だなこりゃ……っ!!」

 突如、星熊はかるく眩暈を覚えた。
 鬼の証たる角が、突如として無理矢理外部から揺さぶられて、


――大天狗の謀反あり。天魔は討ち取られた模様。これより鬼隠しの結界を破棄に向かう。援護を要請、以上。


 頭蓋骨を伝わって、聴覚神経に直接音声を伝えてくる。
 妖気をこめた声で、耳にした相手を硬直させる鬼声。それを応用したこの技は、

「金熊か……鬼隠しの結界を破棄とは、いよいよここも終わりかねぇ」

 星熊は僅かな悲しみをこめてそう呟いた。
 鬼隠しの結界を破棄するということは、「鬼の岩戸」を通らず、どこからでもこの四方四季の庭と外界とを出入りできるようになるということ。
 そして同時にここが、隠れ里としての価値を失う、ということでもある。

「今のままでは唯一の出入り口をふさがれて一網打尽であろう。正しい判断だ」
「まぁ、そうだがよ。……で、誰だい?」

 チラリと背後に視線を向けて、問いかける。
 いつの間にか、星熊の背後には抜身の太刀を構えた四十路ごろの兵が、一人。

「勘解由使判官従七位上、平季武。四天王が一人とお見受けする」
「いかにも。大江四天王が一角、星熊だ。己の首を取りに来たか」

 苦々しげに、星熊が岩を握り締める。
 よりにもよってこんな時に。否、こんな時だからこそ、か。

「いつもなら相手してやるところなんだがよ、悪りぃがこちとら立て込んでんだ。後にしてくれ」
「そうしよう」
「何だって!?」

 流石の星熊も、一瞬だけ己の耳を疑った。

「実は今の刻は、私にとってあまりよい運気ではない」
「はぁ!?」

 驚く星熊を前に、季武は平然と納刀して、櫓の隅に腰を下ろす。

「逃がすつもりはない。だが半刻待とう。半刻後には、私に運気が舞い戻るのでな」

 懐から筮竹を取り出してジャラジャラと玩ぶ男に、星熊は胡散臭げな視線を向けた――
 が、そんな場合でないことを思い出して、再び天狗の殲滅に移る。

「……礼は言わんぞ」
「? 不要だ。半刻後の私は必ず貴公に勝つのだから。逆に今、戦に臨めば貴公にも勝機があるが?」

 それはそうだ。このまま天狗相手に疲労を重ねれば、そりゃあ星熊の勝率は下がる。占ってもらうまでもない話である。
 だがそんな忠告を星熊は平然と受け流し、投擲を再開。更に天狗を三体、立て続けに打ち落とす。
 そろそろちょうどいい岩がなくなって、大きめの岩を手ごろな大きさに割っていた、合間に、

「貴公、それでいいのか?」
「何がだよ?」
「今ここで私を討たずに、貴公が生き延びる道はない」
「ああそうかもな。だがそれがどうした?」
「死が、恐ろしくないのか?」
「そりゃあ、死ぬのは嫌だがね」

 投擲。弧を画く黄金の軌跡が、何かに狙いを定めたと思しき天狗の胸に風穴を開ける。

「だからって男が勇と義を捨てたら、後に何が残るってんだ」



  ¶



「っ!!」

 歯の隙間から漏れそうになる弱音を、かみ殺す。
 横薙ぎの一閃を寸前で回避したと思ったら、次の瞬間には左からの上段が顔をかすめ、前髪を数束、切り落としていく。
 頭蓋を狙う袈裟を硬化した腕で打ち払い、滑るような動作で足払いを回避する。

 一対七。多勢に無勢。
 何とか幕舎から飛び出したはいいものの、状況は何も改善されていない。
 誰にも華扇を援護するだけの余裕がないのだ。
 いや、この場で華扇が一対七の戦闘を行っていることに気付くだけの余裕もないのだろう。

 御殿のそこかしこで喊声が、炎が、煙が、竜巻が立ち昇る。
 四方四季の庭が、いまや一瞬にして地獄のごとき様相を呈している。

 鬼に正面決戦を挑む天狗たちは本気だ。『天魔の仇を討つために』全力で戦闘を行っている。
 怒りに目がくらんだ彼らは、『なぜ、力量で劣る自分たちが鬼に勝てるのか』という異常に気がついていない。
 それが、最初から仕組まれたものであることに、気がついていない。

 そんな天狗の謀反に加えて、人間たちの侵入である。
 本来の力を封じられ、二正面決戦を強いられる鬼たちに、勝ち目などあろうはずがない。

――鬼隠しの結界を、壊さないと……っ!!

 このままでは全滅だ。何も分からないまま、何も語れぬまま滅びるより道はない。
 唯一全てを知っている華扇は、ここで倒れるわけにはいかない――いかないのに。

「くぁ……っ!」

 硬化が間に合わずに向こう脛を切り裂かれて、その場にうずくまる。
 傷をふさぐのは難しくはない――が、間に合わない。
 もう、次の一撃はかわせないだろう。

「なかなか粘りましたが、ここまでですな」

 包囲網の向こうで笑う大天狗を、華扇は睨みつける。
 せめて、抵抗する意思だけは、最後まで折れないように。
 そんな華扇をせせら笑った大天狗は、まるで神に成り代わって宣言でもするかのように、

「それでは「てめぇええ!! 俺の華扇さんに何やっていやがんだぁああァァ!!!」

 ……首を切断されて、大地に転がった。

「……え?」

 司令官が倒れた。それに気付いたときにはもう、華扇を取り囲んでいた白狼天狗の二体が同様に崩れ落ちている。
 呆気にとられる華扇の瞳の中で、更に一体。天狗の命が露と消える。
 そこでようやく残りの白狼天狗も、その剣呑なる生物の正体に気がついた。

「貴様!! 人間が、何故我らを襲う!?」

 言葉と共に、人外の力で大刀が振るわれる。
 風圧だけで皮膚が切れるのではないかと錯覚するほどの一撃を、しかし相手は大刀ごと相手の首を両断して封じ込めてしまう。

 闇夜を舞い踊る白刃の名は、『髭切』。
 その切れ味に振るい手の技量が合わさったなら、獅子の鳴くよな嘶きを上げて鬼をも下す凶刃となる。
 そう、それは今や、猛り狂った獅子の如し。

 よもや無傷の勝利はないと感じたのだろう。残る三人の白狼天狗が決死の反撃に転じた。
 二手に別れ、右手から二人、左手から一人。三体同時にうごめく影へと襲い掛かる。

 ……が、その影は組しやすいはずの一人側――を囮と見抜き、平然と背を向けた。
 そのまま意図を外され狼狽する二人の天狗を両手の太刀で一人ずつ、あっさりと屠ってしまう。

「この……化け物め!!」
「化け物に言われる筋合いはないッ!!」
「……いえ、十分に化け物ですよ」

 足の傷を塞いだ華扇がかぶりを振って立ち上がったときにはもう、その場には八体の天狗の死体が無残に転がるのみ。
 いくら奇襲だったとはいえ、いくら名刀を手にしているとは言え、だ。恐るべきはその闖入者――渡部綱の技の冴えである。

「……っ、はっ……はぁっ! ……お怪我は?」
「……貴方、随分と強かったんですね」
「愛の力です!」

 「ただの馬鹿だと思っていた」との言を、華扇はすんでのところで飲み込んだ。
 代わりに「やはり馬鹿だった」との言葉が口をついて出てきそうになるが、それも無理矢理飲み込んだ。

「それにしても華扇さん……なぜ、天狗と鬼が争ってるんです?」
「……貴方たちの策ではないのですか?」

 探るような華扇の声と視線をしかし、綱は臆すことなく正面から受け止めて首を振った。

「いえ。私は聞いてません。天狗の首謀者をとっちめて聞き出すほうが早いのでは?」
「……いま、貴方が斬り捨てちゃいました」
「……」
「…………」

 つい、と綱が華扇から視線を逸らす。

「我らに内密で進められた策か、それとも我らの侵攻に天狗が乗じただけか。悩ましいですね」
「前者だったら貴方、道化ですよね」
「正直者。そう誉められたと取っておきます」
「めげない人ですね」
「ま、後悔しても致し方ないですし。なのでこれからなんですけど、如何します? 私としてはとりあえず『ここの出入りの自由を確保する必要がある』のではと思っているのですが」
「……は?」

 華扇は我が耳を疑った。
 綱の言葉の意味が理解できない。いや、意味は理解できるのだが、意図が理解できないのだ。

「どういう……御心算ですか?」

 鏃のような眼差しを、華扇は相手に投げかける。
 だが綱はそんな視線を、これまたごく自然に受け流した。

「いやなに、出入り口が一つでは不便じゃないですか。それに結界を破壊しておけば『今後官兵が大部隊を派遣するときにも有利に働く』でしょう?」
「……」
「現状の混乱からして、事態の収拾は不可。なら目的を絞って、成すべきことを成しましょう。『ご存知でしたら』結界の破壊方法を教えていただきたいのですが」
「……正気ですか?」
「本気ですが?」

 鉄壁だ。
 あくまで人間のために行動しているのだ、という立ち位置を崩さない。
 渡部綱は既に己の言動をそういう方向に定めていて、絶対に変えるつもりはないのだろう。
 すなわち華扇に恩に着せるつもりも、対価を要求するつもりもない。感謝も不要なのだ、と。

 ふっ、と華扇は僅かに肩の力を抜いた。馬鹿も行き着くところまで行けば、たいしたものだ。

「――艮、巽、坤、乾の四方に設置された要石をすべて破壊することで、鬼隠しの結界は破壊できます」
「なるほど。一番近いのは艮ですが……天狗が多いな。では私は艮、巽、坤、乾の順に破壊して回ることにしますね」

 艮から右回りで一周。つまり、華扇には乾から左回りで行け、ということなのだろう。

「石は築地の角に。要石自体にも簡素な結界が張ってありますが、まぁ貴方なら適当に何とかするでしょう」
「褒められてるやらけなされてるやら……ではことが全て終わり、ご縁がありましたら、また」
「……本当に、よろしいのですか?」

 最後に、華扇は問いかける。
 綱の行動はどう繕っても反逆に等しい。
 一見してこの状況でもっとも不利に見えるのは鬼であるが、しかし、その実。
 もっとも後がないのは、寡兵で侵入した人間たちなのだ。そんな中での裏切り行為。事が露見すれば、綱の将来はない。

 が、綱は鷹揚に笑った。
 自分の愚かしさを笑っているようにも、しかしそれを誇っているようにも華扇には見受けられた。

「勿論です。男から愛を取ったら、何が残るんですか」



  ¶



「ふむ、なるほど」

 小路の物陰で、初老の鬼がひょいと二股に分かれた角を押さえつける。
 彼の二股の角は望んだ波長だけを聞き分けることが出来る、自慢の角だ。
 今や数多の喧騒渦巻く大江龍宮ではあるが、華扇とその周囲の会話だけを抽出するなど、金熊にとっては造作もないことだった。

 が、彼の傍らに控える虎熊には何が何やら当然のようにさっぱりである。

「なにがなるほど、だ。説明しろ。俺はお前ほど耳も頭もよくないんだ」
「つまり、大天狗が裏切ったということだよ、君。だがその首謀者も死んだ。しかしもうこの現場の混乱は止まらない、止める術がないと来たもんでね。だから我らが副頭領と人間が今、鬼隠しの結界を破壊するために動き始めた……君、君のすべきことは分かってるよね?」
「……俺がいなくなったら、お前、死ぬぞ?」
「かもしれんね。だが君。それが何だというんだ? 一人が死ぬのと、百人が死ぬの。どっちが問題か分からないほど獣頭じゃないよね? 君?」

 虎熊童子は押し黙った。

 金熊童子は四天王の中でもっとも補佐に長け、そして直接戦闘能力の低い鬼だ。
 虎熊童子は四天王の中でもっとも格闘戦に長け、そして小細工が出来ない鬼だ。

 そして今、虎熊は無傷で、金熊は既に手傷を負っている。

「さあ、始めようか。角を押さえておきたまえ。この距離では『聞こえすぎる』ぞ?」

 虎熊が角を押さえると同時に、金熊は大きく息を吸い込むと、呼気に鬼気を乗せて、


――オォォオオオオオオォォォーーーーーーーーーー!!!!


 吐き出す。

「ふぅ。能力が完全に封じられていないのは、ありがたいことだね」
「……眩暈がする」

 虎熊の角は即頭部に二本、額に一本。対して腕は二本である。こればかりはどうしようもない。

「堪えたまえ。さて、これで同胞たちには現状が伝わったはずだが……ふむ、足音が3つ、いや、屋根の上にも2つ。早いね、もう。いやになっちゃう」

 鬼声が伝える意味は、角を持たぬものには分からない。
 だが、声が発されたという事実は、他の種族でも分かる。
 そして、その声がどこから発されたか、という事実もまた、同時に。

「俺が全て潰す」
「おいおい、馬鹿にしてくれるなよ君。雑魚にホイホイ殺される私ではないよ?」
「怪我が無ければな」
「いいから行きたまえよ。我らが副頭領を、ひいては鬼の未来を守りたまえ。君は幼子みんなの憧れだろう?」
「だが……」
「君が守らずに誰が守るんだ、ええ?」
「……」

 半獣鬼、虎熊童子はその場でギリッと拳を握り締めると、上を向いて、一度。声も無くその場で天に向かって絶叫した。
 そして全てを振り切った表情で、己の胸元までしかない同僚を見下ろし、笑う。

「子供たちの夢と未来を守れぬ男に価値などない、か……お別れだ。楽しかったぞ」
「私もだよ。地獄で会おう、兄弟」

 二人が身を潜めていた物陰に足音が差し掛かった瞬間、虎熊が飛び出した。
 同時にその場に現れた、三つの人影。その首から上が一瞬で掻き消える。
 崩れ落ちた死体が人間のものか、天狗のものかの判別も、もう出来やしない。すさまじい暴力だ。

「相変わらず、馬鹿みたいに強いねあいつ。ほんとに毒飲んでるのかな? ……さて」

 金熊が「ヒュッ!」と小さく声を上げると、屋根の上から狙いを定めていた山伏天狗二人がフラりとよろめき、金熊の前に落下してくる。
 それの両大腿骨を踏み砕いてから、路地より身を乗り出すと、目前。

「うん? ちょっとそこの君たち、待ちたまえよ」
「あぁ? すまんな! 今忙しいんだ、後にしてくれ!」
「なん……鬼、か!?」
「いかにも。四天王が一角、金熊……アハハ! 君ぃ、その成りで山伏は無いよ! うん。無いね。似合ってない」

 山伏姿の二人。玲瓏にして雅な優男と筋肉達磨。
 その筋肉達磨側の風貌たるや、まさに異様。
 鍛え上げられた僧帽筋と上腕二頭筋はもはや冗談の域に達するほどの盛り上がりだ。

 これならば、そう。今の四天王を討ち取るに十分な実力を備えていると見ていいだろう。

「……ここは私が引き受ける。金時はさっきの獣を追え。あれは危険だ!」
「いやいや、それは困るな。うん、困る。君たちにはここで足止めを食ってもらわないと……カァッ!!」

 金熊が脇腹を押さえて叫び声を上げると、同時。金時と呼ばれた筋肉達磨の兵が膝をついた。
 耳を押さえて振り向き、噛み付かんばかりの形相で金熊を睨みつける。
 そんな視線を金熊は満面の笑みで受け止めた。

「私の鬼声はいかがかね? 君。私から逃げられても、私の声からは逃れられないよ? あれを追いたければさっさと私を片付けることだ」
「……手負いか?」

 チラリと腹に視線を向けた優男に問われ、金熊はほう、と感心したように目を見開いた。
 挑発には乗らず、冷静に相手の負傷を――目に見えぬはずの負傷を把握してくる。この優男もかなりの手練である。

「鋭いね。いかにも、だ。内臓を潰されている。コブを千切ったりくっつけたりするのは得意なのだが、内臓はね……手加減してくれると嬉しいなぁ」
「……藤原保昌の名において貴公の命を保障する。交戦の意思なきを明言して、降伏されよ」

 金熊は判断に迷っているかのように、視線を落ち着き無く動かした。当然のように芝居だ。
 そしてたっぷりと時間を置いてから、さわりと豊かな顎鬚をなでる。

「いやぁ、無理だよ。私と戦いたまえ君たち。ん? 今更罪悪感かい? そうやって偽善者ぶって、自分の善心を助くるつもりかい? 心音が早まったぞ? 図星かね? いかんよ君、それではいかん。君たちは悪をなす鬼を退治しに来た正義の味方じゃないか。毒まで飲ませておいて今更何を傷つく! 誇らしく胸を張って蹂躙したまえよほら正義の味方ぁ!!」
「……もう一度だけ言う。こちらは二人ががりだ。戦えば貴公は死ぬ。降伏されよ」

 金熊は静かに首を左右に振った。
 喧騒と、血煙と、炎と、権謀が渦巻く死の庭で、獰猛に笑う。

「無理だね。卑怯者にはなれない。男から誇りを取ったら何も残らなくなってしまう。武者なら分かってくれるんじゃないかい? ええ、君?」



  ¶



 酒宴の会場であった中庭にて、石熊童子は酒の入った樽を蹴り飛ばした。
 それくらいしかすることが無いし、出来ることもないのだ。

「くそっ!!」

 悪態をつく。ついても、何の解決にもならないが。
 毒酒を呑まされてなお戦闘が可能な上位の鬼のほとんどが今、大将の御殿を守るために奮戦している。
 今この中庭に残っているのは人間並みまでに力が落ちた者達や、毒酒を飲んではいないが、戦闘経験も無い女子供ばかり。
 ならば彼ら彼女らは戦闘の邪魔にならないよう、もっとも守りが厚い大将の寝殿に立て篭もるしかない――今は。

「石熊様」
「だれ……ああ、嬢ちゃんか、なんだい?」
「逃げる計画を立てよう。結界が破壊されたら、即座に逃げられるように」
「……」

 苦い顔をした石熊を見やり、はぁ、と少女はため息をついた。概ね予想通りの展開だ。

 特徴のない外見に反して、石熊童子は四天王に次ぐ実力者である。
 だからおそらく、石熊は結界が解かれても一目散に離脱したりはしないだろう。半ば実力があるからこそ。

 だが、それでは駄目なのだ。
 実力のあるものが率先して離脱を促さなければ、だれも動けない。
 鬼の誇りが、逃走という選択を阻害する。最初の一歩は、上のものから踏み出さなくてはならない。
 敵の至上目標であるはずの酒呑は彼にこの場を任せ、囮となるべくここを離れた。そして、未だ帰ってこない。他に彼に命令できる立場にある四天王もまた、然り。

 で、あるならば。

「大将からの伝言だよ。『己は死なねぇ。必ずここに戻ってくるから、お前らも生き延びて、ここに戻って来い』、ってね」
「……それは、本当に大将からの伝言なのか?」
「あたりまえじゃん。だって、こんな嘘ついたら大将には一発でばれるよ? そしたら私の負け確定じゃないか」
「……」
「ま、信じないなら信じないでもいいけど。でもさ、石熊様?」
「なんだ?」
「ここにいる皆が頼れるのは今、石熊様しかいないんじゃないかな」

 軽い、口調。
 だが石熊の瞳を覗き込む栗色の瞳は、恐れるものなき鬼である石熊を硬直させるほどに、鋭く、深い。


――試されて、いる。


 そう、石熊は感じた。

 この場を酒呑童子に託されたのは副頭領でも四天王でもない。石熊童子が、託されたのだ。
 石熊童子という鬼が、大将の信頼に応えるためにはどうすればいいかという判断を、この世界に問われている。

 これは好機だ、と感じる自分がいた。自分の実力を周囲に認めさせる好機であると。
 それを下種の思考であるとも同時に感じ、そしてその両方の感覚を等しく正しいと石熊は思った。
 それすなわち、最もよい選択が出来るものこそが、人の上に立つ資質がある、ということ。
 己の価値を最大限に発揮してみせるのは社会で生きる者にとっては義務ですらあり、そしてその結果如何によって石熊という鬼は周囲に判断されるのだ。


 四天王に次ぐ存在なのか。
 それともただの雑兵なのか。
 それを決めるのは、石熊自身。


 ぐるり、と石熊は周囲を見回した。
 目に映るのは恐々としている女子供。無力さに歯噛みする成年。
 そして恐怖と苛立ちが入り混じったような、やり場のない怒りを湛えている、若い衆。

「そこの、君」

 石熊は恐々としている青年鬼の一人に近づくと、そっと肩を掴んだ。

「えっ……は、いっ?」
「友人を数人連れて寝殿の屋根に上ってくれ。そして四方八方の状況を正確に把握して、私に報告してほしい。何人に声をかけられる?」
「え、ええと……」

 四天王に次ぐと言われるほどの実力者に直々に声をかけられ、その青年は僅かに狼狽した。
 石熊はちょっと首を傾げ、次いで笑った。自分が特徴のない――星熊のように厳つい顔立ちでなくて良かった、と初めて思う。

「落ち着いて、深呼吸して周囲を見回して。ほら、動いてくれそうな知り合いは何人いる?」
「えっと、四……いえ五人です」
「ん。ちょうどいい。では、お願いできるかな? 我々が動くために、正確な情報が、君たちの力が必要なんだ。頼む」
「はっ、はい!」

 血色ばって友人に声をかけに向かう青年を見やって、石熊は頷いた。
 これで、いい。
 少しでも周囲の状況は把握しておく必要があるし、「策があって動いているのだ」ということを周囲に印象付けられれば皆の不安も低減できる。
 素人の監視で得られる情報は少ないだろうが、それでも動いていたほうが、人は安心できる。停滞は、淀みを生むだけだ。

「全員で一方向に逃げるよりは、多少は分散したほうがいいな。そうすると先鋒を選別しなきゃか……うん? どうした嬢ちゃん」

 石熊がふと顔を上げると、こんな状況だというのに少女が、笑っている。

「ううん。生き生きし始めたね」
「まぁ、ね。君には感謝しないとかな?」
「大将の伝言を伝えたこと?」
「……ああ、そうだったね」

 思わず石熊も笑ってしまう。もっとも、それは苦笑に近かったが。

「吹っ切れたんだ」

 問いかける少女に、石熊は頷いた。

「まぁね。主の信頼に応えてこその、男だ。忠義なくして、男の生きる道はないからな」












  § ?



 最初に気がついたのは、暗いということ。

 次いで、静寂。

 そして、熱。

「よう、スイ。生きてっか?」
「……大将? ここは?」
「寝殿の階だ。帰ってきた」

 少女は頭を振ってみるが、視界が暗くぼんやりとしていて、何一つ目に入ってこない。
 軽く手でこすってみても、同じこと。

「目が、霞んで、見えないよ……なんで?」
「血を大量に失ったからな。覚えてねぇか?」
「……そっか。私、」

 おぼろげながら、思い出した。
 臓物がひっくり返るような感覚と共に結界が消滅し、石熊の指示で三方に分かれて鬼たちが脱出を終えた、後。
 一人、囮として御殿の隅で奮戦していた酒呑の元に、その事実を伝えに行った、その先で。

「斬られたんだ。人に」
「ああ。一応傷は塞いだつもりなんだが、痛むか?」
「分からない。ただ、熱くて、重いや」
「まだ内蔵がどっか千切れてんのかもな……悪ぃな」
「別に。斬られるべくして、斬られただけだよ」
「そうか……起きられるか?」
「ん」

 酒呑の体に手を這わせて何とか上半身を起こした少女にはしかし、自重を支えるだけの余力がないようだった。
 力なく酒呑の体躯に寄りかかって、体重を委ねる。
 二人並んで、階に腰を下ろしたような格好だ。

「静かだね……大将が、全滅させたの?」

 苦く笑う声よりも、相手が体をゆする感覚を、強く意識する。

「そりゃあ流石に無理だぁな。まぁ、完敗だよ。この屋敷も天狗に包囲されてるぜ……何故石熊たちと共に逃げなかった」
「鬼の走る速さには足が追いつかないよ。枷もあるしね」
「おっと、そいつぁすまなかったな。外すのを忘れてたぜ」
「酷い奴だ」

 笑った。笑ったが、本当に顔が笑って――笑えているかは、怪しかった。

「星熊様は?」
「途中で気配が消えた」
「虎熊様は?」
「右に同じ」
「金熊様」
「左様で」
「熊様」
「分からん。だがあいつぁ、生きてるかもな。無口で影薄ぃし」
「茨木様」
「生きてるさ、絶対に」
「そうか」

 伽藍、と。
 人気のなくなった中庭に、少女は懐かしそうな表情で意識を投じた。
 でも、何も感じられない、何も感じ取れない。
 この場所に活気が満ちることは、もう、ないのだ。

「静かだね……なんで、天狗は攻めこんでこないのかな?」
「さて、な。なんか人間との間に密約でもぁんだろ」
「なるほど」
「……て前ぇはなぜ逃げなかった?」
「二回目だよ。大将はなぜ逃げなかったの?」
「まだ、ここが己の家だからな。家主が家放り出して逃げらんねぇだろ? で、て前ぇは? 二つ目の理由を言ぇよ」
「逃げる先が、ないからね」
「……そうか」

 酒呑は一度確かに表情を変えて、しかし押し黙った。
 しかし体を預けている影響か、少女は酒呑の身振りからその内心に気がついたようだ。

「大将」
「なんだ」

「決着、つけようか」

 少女が、終わりにしようかと問う。

「いぃぜ」

 鬼が、終わりにしようと応える。




 ここが、終着点なのだ。
 これより先に、この奇妙な関係の二人が並び歩く道はない。



  ¶



「どっちが指摘する?」
「なら、己だ」
「ん。何が、嘘?」
「『いい暮らしをさせてやる、って提案を呑んで、代わりに叩き込まれた』。これだな」
「……結構古いの引っ張ってきたね。どこが、嘘?」
「提案を呑んで、ってのだな。呑んだ、っつうか、そんな提案なんてなかったんだろ? 否応なしだ」
「正解。おめでとう」

 ぱたぱた、と少女は小さく手を叩いた。

「念のため教えて? なんで、分かったの?」
「もし選択の余地があったんなら、て前ぇには逃げる先が今もあるはずだ。違ぇか?」
「ああ、そっか。なんだ大将、ギリギリの勝利じゃないか」

 「勝ちは勝ちだ」なんて酒呑は少女の頭に拳骨を振り下ろす。
 痛くもかゆくもない、撫でるような一撃だ。

「……て前ぇは、何を指摘するつもりだったんだ?」
「『今日の分の嘘はもぅついてる』」
「正解だ。よく分かったな」
「って言うか、大将、これ以外の嘘ついてないでしょ? 毎日繰り返されれば、そりゃぁ、分かるよ」
「……いつから、気がついていやがった」
「二日目。大将、嘘つくの下手すぎ」
「…………やっぱ、手ぇ抜かれてたんだな。うすうす感づいていはいたが、屈辱だ」
「怒ってる?」
「怒ってるさ。鬼にとって、勝負は神聖だからな」
「ごめん」
「まぁ、ぃい。それは鬼が勝負に臨む姿勢だ。人がどういう態度で望むかまでは、強要できん」
「ごめん」
「ぃい、っつってんだろ……なぜ、勝負の結果を先送りにした」
「ここに、居たかったから」
「帰る場所がねぇから?」
「居心地がよかったから」
「何故」
「嘘つかれる、心配がない。嘘をつかなくていい」

 少女が、深く深く、自分自身を吐き出す。

「もう、裏切られるのはいやだ。自分を偽るのもいやだ。ここですごした日々は、楽しかった」

 ギュッと、少女は酒呑の直垂を握り締める。

「両親に売られたんだ。最初は知らなかったけど。よく分からないまま、領主の館に連れていかれて、色々仕込まれて。最終的に都に一人で行かされるんだって知って、逃げて、家に帰ったんだ。両親は温かく迎えてくれて、だから、眠って。でも、目が覚めたら領主の館にいた」
「領主が、連れ戻しに来た?」
「違う。ととさまが私をおぶって、領主の館に連れ帰ったみたい。『私達は約束を違えてません。だから頂いた対価も返しません』って」
「それでも親か!?」
「貧しかったんだ。多分、仕方なかったんだよ。でも、ちゃんと、報いは、受けた。私の目の前で、領主に殺されたからね。かかさまも」

 酒呑は息を呑んだ。
 人肉を食らう酒呑ですら、十やそこらの子供の前で親を殺してみせるなんて、考えすらしない。

「……なぜ、領主はそこまでやる必要があった」
「そりゃあ、私が帰る家をなくすためだよ。万が一にも私が正体を明かして、実家に帰りたいなんて言い始めたら困るでしょ? 私が、都でしか、生きられないようにするために、帰る理由を全て、潰した」
「それが、人のやることかよ……」
「人のやることだよ。自分の娘が可愛かったから、やったんだ。自分が愛する家族のために、打てる全ての手を打っただけ」
「……て前ぇには」
「うん?」
「帰る家が、ねぇんだな」
「うん」
「……て前ぇは、馬鹿だ」
「なんで?」
「だったらて前ぇ、己との勝負で勝利を勝ち取って、ここで暮らしたい、って言えばよかったじゃねぇか」

 呆然と。
 少女は、見えぬ目をパチパチとさせた。
 次いで、顔をひきつらせる。

「そっか、そうだね。それは、思いもしなかったよ。その通りだ」
「て前ぇは、求めないことを学んじまったんだな。求めて、失ったから」
「そう……なのかな」
「そうだ。だが、それじゃ駄目だ。求めて、手に入らないことは多々あっけっどもな。自分で求めなけりゃあ、何も手には残らない。何も掴めない」
「もう、関係ない話だよ……私、死ぬんでしょ? 大将も」

「――生きろ」

「え?」
「己は死ぬが、て前ぇは死なねぇ。……いい女になれよ」
「それはどういう――」
「いい女ってのは、自然と匂い立つような香を纏っているもんだ。て前ぇはまだまだだな。努力しろ」
「大将!」

 途端に、少女の意識が拡散していく。
 まるで、『散らされて』いるかのように、思考が定まらなくなる。

「お別れだ。て前ぇとの勝負は――ああ、屈辱だったが、楽しかった」
「待って! 待ってよ!!」
「忘れるなよ。それでも最初にて前ぇは『死にたくない』って、この己に刃をつき立てたんだ」


――待って!


「なに、お別れっていうのはちょっとした冗談さ。ずっと、て前ぇが望むときに、力になってやる。いいか? 欲しいなら、掴み取るんだ」


――待ってよ……




  § 源頼信




「終わりましたね……」

 夜は明けた。
 うっすらと霧立ち込める中庭に、なかば呆然としたような貞光の呟きが響く。

「ああ……」

 それに返される頼光の声にも覇気が感じられない。

 ここへ来た目的は概ね果した。
 今、彼らの目の前、寝殿の中庭には四つの酒樽が並んでいる。これが戦果だ。

 茨木、熊の両名は討ちもらしたものの、それ以外の四天王と、何より首魁の首を落とした。天狗に首を検めてもらったから、間違いない。
 鬼の住処は崩壊し、生き残った鬼も散り散りになった。囚われていた姫たちも解放し、生き延びた兵と共に一足先に山を下っている。
 残った二人の幹部ではこれまでのような求心力は得られないだろう、と天狗たちも言っていることだし、勅命は無事果せたといってもよい。


 大江山の鬼は、壊滅したのだ。


「なんぞ、どいつもこいつも物忌みのような面をして」
「お前は満足そうだな」
「当然だ。勇者に会い、勇者と戦い、勇者に勝った。……ふむ、どうやら幸運だったのは私だけのようだな。だから運気を読めと常日頃から言っておるのに」
「お前こそ空気を読もうな」

 そうは言いつつも、いつも通りの季武の態度が貞光にはありがたかった。
 綱はなにやら安堵と懸念とが入り混じった複雑な表情を浮かべているし、保昌と金時はまるで敗者のごとき様相だ。
 そして何より、彼らの大将である頼光の後悔たるや今、底なし沼の如しであろう。


 だが、それも致し方あるまい。
 己の部下の一人が誤って、人間の娘を斬り捨てるという醜態。
 その一部始終を、間近で目撃してしまったのだから。


「大将」
「……何だ」
「あまり責めるのはやめましょう。彼だって悪意を以って斬ったわけではないでしょうし」
「斬られたほうに、そんな言い訳は通用せん」
「では戻ってから、かの兵に割腹を命じられますか?」
「……」
「混戦でした。仕方ないで済ませられる話ではありませんが、こういった事態も起こりえます」

 頼光は頷いた。だが、その表情には、魂がない。

「己には、即座にあの娘を抱えて戦場を去ったあの男のほうが、己よりもよっぽど人間に見えたよ」
「かの鬼は既に死を覚悟しており、我々は生きねばならなかった。どちらに余裕があったかは、自明の理です」
「……生きるというのは、罪なものだ」
「何も奪わずに生きることなど、できませぬゆえ。我々は互いに奪い合い、そして私達が生き残った。それだけです」
「……」
「帰りましょう。大将も三男が生まれたばかりではありませぬか。奥方もさぞ心細く大将をお待ちでしょうに」
「……そうだな。己には、生きねばならぬ理由がある」

 ほう、と貞光は慎重に表情を隠しつつ、胸をなでおろした。
 大内裏に戻るまでには、頼光は再び武辺の様相を取り戻すだろう。
 不機嫌で都に戻っては、命を下した帝や兼家公に不愉快をもたらすことになりかねないが、それはかろうじて回避できそうだ。

 貞光は率先して不要となった鎧兜を投げ捨てると、酒樽の一つに紐を通して、背負い上げる。
 綱、季武、保昌がそれに続いた。金時だけが、念のために未だ完全武装である。

「ご苦労だった、諸君。都へ、我らが家へ帰ろう」



  ¶



「妙だな……もう日が暮れるぞ? そろそろ山を降りてもいいはずだ」
「ええ。さっきから同じところをぐるぐると回っているようです」

 霧は、いっそうその濃度を増していた。
 最早一寸、とは言わぬまでも一間先は闇、と言えるほどに周囲には濛々と霧が立ち込めている。
 歩けど歩けど、体力を消費するばかり。
 今、己は本当に山中を歩いているのか。それすらも怪しく思えてくるほどに、今の六人が進む先は、真っ白の闇だ。
 
「まるで、霧の奥深いところへ刻一刻と誘われてるような気がするな」

 その雅のない白一色の光景に、歌人でもある保昌が顔をしかめる。
 独り言であったのだが、それに真面目に応える声があった。

「気がする、ではないかもね」
「どういう意味だ?」
「濡れない」

 ほら、と綱が自らの篠懸をさらりと撫でてみせる。
 なるほど、この濃霧の中において、彼らが纏う麻の法衣は彼らの汗以外の湿り気を帯びていない。

「悪鬼悪霊の類か? 鬼の生き残りか?」
「さて、ね。いずれにせよ、用心したほうがよさそうだ。大将、隊列の中央に」



――その必要はないよ。鬼に、横道はないからね。



 ざっ、と。
 四天王が頼光と保昌を中心に、十字陣を組む。



――だから、いらないって言ってるじゃん。疑り深いなぁ。



「ならば、姿を見せてもらおうか」



――もう、目の前にいるんだけどねぇ。まぁいいや。



 はっと、彼らは息を呑んだ。
 向かう先、金時の正面に霧が渦巻く。
 ざんざんと降り注ぐ雨のような、粛々と流れる川のような、定まらず、形をもたず、しかし確かにそこにあるうねり。
 それが圧縮され、凝縮されて、六人の前で、今。一つの姿形を取る。


 それは折れそうなほどに細い腕。

 奇妙な形の分銅をつけた鎖。

 四尺ほどの背丈。

 紫の直垂。

 長い栗色の髪。

 茜色の髪結い。

 真紅に燃える双眸。


 そして、その小さな頭には不釣合いなほどの、巨大な、二本の、節くれだった、角。


 頼光はその角に見覚えがあった。
 それは紛れもなく彼と二度、討ち合った男の角。二度目の邂逅の時には既に失われていたそれである。

 頼光はその娘に見覚えがあった。
 それは紛れもなく彼の目の前で、彼の部下に斬られ、死んだと思われていたその人である。


 だから、自然と頼光は顔を伏せてしまう。

「よう」
「……ああ」
「なぁにそれ、覇気がないなぁ。男でしょ?」
「己は、貴公に、どう声をかけていいのか分からぬ。どう詫びればいいのか分からぬ」
「んー、とりあえず頼信を殺して自分も死ぬ、っていうのでどうかな?」

 はっ、と頼光は弾かれたように顔を上げた。

「なぜ、ここで弟の名が出るのだ!?」
「……その反応だと、何も知らないんだね。あ、一人、知ってるのがいるのかな?」

 ニィッ、とゆがんだ瞳を向けられた保昌が、耐えられぬとばかりに視線をはずす。

「何だ? 何の話をしている!?」
「説明しても無駄だからいい。貴方達は私にとって仇で、私は、貴方達にとって討ちもらした鬼、でしょ? 殺しあおうよ」
「待て! 何か私が知らないことがあるなら教えて欲しいのだ。それを知れば、私と貴公の戦だって回避できるかも知れぬではないか!」
「……いや、無理。むしろ説明すると、貴方は私の中で善人から悪人に転落する。だから、さ。このまま殺しあおうよ。善人のまま殺してあげるから」

 だが、少女の言を頼光は無視できなかった。
 勝って、殺して手柄を立てるのが本当に正しいのか、と。
 武士でありながら、四十路近くでありながらも未だ、そんなことに悩む。そういう男であったから。

「……知っても、どうしようもないことがあることは分かっている。だが、教えてくれ。なぜ、弟の名がここで出てくる?」
「本当に真面目なんだねぇ。いいよ。そこまで言うなら教えてあげる。自分の無力さをかみ締めるといい。義兄さん」
「兄さんだと!?」

 少女は笑う。悪意に笑う。

「嘘だよ。正確には、義兄さんになるはずだった人」
「それはどういう「一人目の花嫁、って、言えば分かる?」

 頼光は雷に撃たれたかのように硬直した。
 思い出したのだ。弟の、発言を。

―― 一つ目の話がうやむやになって、今回まとまったのは二つ目なんですけどね。

「君は……君が?」
「うん。茨木様に聞いたんだけど、頼信は二人目の花嫁を見つけて、既に所顕しの準備中なんだってね? ……ねぇ、義兄さん」

 ぞっとするような、低い声。

「もしこの状況で、『鬼に攫われた一人目が都に現れたら』、困るのは誰かなぁ?」

 ぞくり、と頼光の背筋があわ立った。



 少女が目の前で斬り捨てられる光景が頼光の脳内によみがえる。

 あれが、もし、「故意の事故」だったとしたら!?

 あの兵は、誰が厳選した兵であったのだろう?



「今回の戦で、何故天狗と鬼が争っていたか。それはもう説明しなくてもいいよね? 想像くらいつくでしょ? 分からなかったらそこの人に聞いて」

 少女に指差された保昌は、気おされたかのように一歩後ずさる。
 そんな様から、頼光は概ね全てを察知したようだった。

「き……君は……」
「ねぇ、義兄さん」

 優しく、残酷に、囁くように。


「兄弟そろって、よくも私の全てを奪ってくれたね」

「――――――ーーーっ!!」


 頼光は声にならない悲鳴を上げた。
 両手で顔を覆う頼光をよそに、少女はなおも笑い続ける。

「自分が正義の味方か何かだと思っていた? 私からすれば、貴方達は血も涙もない悪党だよ。さぁ、殺しあおう。お互いの家族のために」
「大将!!」

 貞光が呼びかけるが、頼光は答えない。
 答えられる、はずもない。

 少女の不幸は、鬼退治とはまったく異なる次元――いや、人の世界の話であり。
 そんなふうに人の世における全てを失った少女に追い討ちをかけたのが、頼光なのだ。

 吐き気を催す。己が生きる世界がここまで悪辣であることに。
 加えて、それをなした黒幕を「弟だから」の一言で正当化し、庇い立てしてしまえる自分に。

「だから言ったのに。知ってもどうしようもない、って」



  ¶



「嬢ちゃん」

 筋骨隆々、一人だけ完全武装の男が口を開いた。

「なに?」
「一対一の勝負を申し込む。俺が勝ったら、君は全てを諦めて退け」
「私が勝ったら?」
「望むもの全てを持っていけ」
「そんな口約束を、残る五人が守るとは思えない。信じられない」
「金に任せるよ」「右に同じ」「同じく」「卦は悪くないな」
「……」

 ふん、と少女は不満げに小さく鼻を鳴らした。

「随分、信頼されてるんだね」
「腕力だけはね。それだけが取柄さぁ」
「ん、いいよ。呑もうじゃないか、その提案。ただし一つだけ明言してもらおうか」
「何だ?」
「もし私が勝った時に、私が望むものをそこの兄弟が拒絶したら、私は力ずくで奪わせてもらう。お前達五人、手出しはするなよ?」
「いいだろう」「さっき、金に任せたと言ったからね」「右に同じ」「同じく」「ちょっと待て、今占う」
「最後の一人が気になるけど……まあ、いいや。その勝負、受けた」

 由、と金時は頷いた。
 おそらく目の前の鬼相手に、それは不要と判断したのだろう。ガチャ、と鎧兜を脱ぎ捨てる。
 代わりに左右に四本の太刀を佩き、背中に大量の棒が飛び出た笈を背負う。
 軽く、肩を回して、

「さぁ、始めようか。嬢ちゃん」
「うん、始めよう」

 互いに、一歩、二歩と距離をつめる。
 あと十歩、といったところで、男が両腰の太刀を抜いた。


「足柄山の金太郎、参る!!」
「皆の仇だ。死んで――」


 鬼が、


「地獄に落ちろ!!」


 大地を蹴る。





  § 酒呑童子




『聞こえてっか? スイ』
――聞こえてるよ。
『て前ぇはまだ貧血でふらふら。本調子には程遠ぃんだ。気ぃつけろよ』
――わかってる。
『己の意識も長くはもたねぇが、ま、可能な限り補佐する。油断せず行け』
――うん、よろしく。

 まずは初撃。横薙ぎの一閃。

『弾くぞ』
――どうやって?
『鬼の歴史は、人間――刃物との戦いの歴史だ。腕に気合をこめろ。弾き返せる』

 酒呑は、絶対に少女に嘘をつかない。疑いはないから、恐怖もない。
 左腕に意識を集中して、叩きつける。
 ガキン、と音がして、皮膚表面で刃が止まる。

――すごいや。
『油断すんな。右からも来っぞ。躱せ』
――間に合わないよ。
『脚に意識を集中しろ。見た目の筋肉に囚われんな。「もっと、飛べる」と、そぅ思え』

 飛び退る。
 たった一蹴りで五間を飛んで、背後にあった木にドスンと激突した。
 衝撃で背後の木がメキメキとへし折れるが、少女の体には異常はない。

「むぅ」

 ただ、ちょっと痛いだけだ。

『ほれ、呆けんな。殴るときも一緒だ。敵を捻り潰すなんざ、ぼりぼりとイワシを頭から噛み砕くのと大差ねぇ』
――イワシ。
『そうだ。疑うな。出来て当然と思え!』
――疑わないよ。

 前に、踏み出す。

――出来て、

 刃が迫る。
 拳を握る。
 大地を踏みしめる。
 敵を見る!

「当然!!」

 袈裟に振るわれる刃の横っ腹に、拳骨を叩きつける。

――どう?
『蚊が停まらぁな。ま、へし折ったからよしとすっか』

 くるくると回転する切っ先が、トンと大地に刺さる。

――あと三本!
『じゃ、終わらねぇみてぇだな。ほれ』

 酒呑が顎をしゃくった――ような気がして、少女が相手に視線を向けると、なるほど。
 敵は刀を投げ捨て、両手を背中から生えている棒の一本に、それぞれ伸ばす。
 するり、と背中から出てきたのは、分厚く、重い刃を頭に持つ、

――まさかりだぁ。
『ヒュー! 人間にも、面白ぇ奴がぃんなぁ!』

「そっちが、本来の得物?」
「おうよ嬢ちゃん! 兵相手にこれ使うと、田舎モンって馬鹿にされんのよ」
「はん、田舎者め!!」

『て前ぇが言うか?』
――いいじゃんか。あ、構えが変わった。
『次からの一撃は重ぇぞ。下手したら防御の上から、切り落とされる』
――防げないの?
『勢いによってはな。まぁ、斬られたり落とされたりしても、首以外ならくっつけられるが』
――今の私には、血が足りない。
『そうだ。これ以上の出血は拙ぃ。だから弾くのは最小限に、だ。敵も大振りになるはずだから躱して、打ち込め……来るぞ!』

 金時が突っ込んできた。防御を考えない、大振りの払いだ。
 あえて、少女は前に出る。鉞は太刀よりも刃そのものは少ない。だから、相手の懐にこそ安全圏があると見たのだ。
 が、

『馬鹿! そりゃ誘いだろ!』
「うぉおぉおりゃぁあ!!」

 ドン、と顎にすさまじい衝撃が走る。
 それが金時が跳ね上げた膝だ、と、宙を舞うまで気がつけなかった。それほどの、衝撃。

『拙い! 避けろ!!』
――避けられないよ!!

 流石の鬼も、足場も取っ掛かりもない空中では姿勢を変えようがない。
 だから、跳ね上げられてしまえばもう、

『糞が! 腕を一本……おい、スイ!!』

 少女の腹めがけて、必殺の、
 大上段の振りおろしが、




――死にたく、




 すり抜ける。
 金時の顔が驚愕に揺れる。

『!? 凄ぇ……じゃねぇ、姿勢を立て直せスイ! 奴の顎がガラ空きだ!』
――!!

「……っぁああ」

 地に足をつく。
 脚一本で体を捻る。
 拳を握る。
 飛び込んで。
 絞って。

 そして、

『打て!』
――「あぁあああ!!」

 打つ!

『続け――「うあぁぁああぁっ!!」

 ガラ空きになった腹に、助言より早く、追撃。
 金時の、全身を筋肉で鎧われた巨躯。それが蹴鞠か何かのように軽々と地面と平行に吹っ飛んだ。

 木に激突する。笈が粉々になって、数多の鉞が大地に落ちる。幹がメリメリとへし折れる。
 それでも勢いは止まらず、さらにもう一本の木をへし折って、ようやく。

 巨体がドン、と大地に落下した。




  § 坂田金時




「なるほど。体を霧にして回避したのか。そういや、そんなことができるんだったな」
「……なんで、生きてるの?」

 少女は我が目を疑った。
 鬼の拳で殴られて、生きていられる人間などいない。
 そうとも。少女は毒を飲んでなどいないのに。正真正銘の、鬼の一撃を受けて、どうして。

 目の前の人間は、立ち上がれるのか。

「悪いね嬢ちゃん。俺も人間じゃないんだよ」
「人間じゃ、ない?」
「半分だけな。詳しくは俺も知らん」

 言って、地に散らばった鉞を手に取る。両手に、一本ずつ。
 肩の具合を確かめるように、それらを軽く振ると、

「シィッ!!」

 十間の距離を一息で詰めて、唐竹割り。
 少女の肩を斬り落とすかと思われた一撃も、しかしあっさりとすり抜ける。
 が、金時は気にしなかった。更に逆の鉞を真横に振るう。これは勢いが乗る前に腕で弾かれた。

「ふ、ん?」

 再び懐に飛び込んできた少女に、今度は柄を滑らせ、刃傍を握った鉞を振り下ろす。
 チッ、と刃先が少女の肩に食い込み、しかしその代償として金時はまたも吹き飛ばされる。

「なぜ?」

 少女の顔には戸惑いがある。
 動揺を、隠しきれていない。

「何がだい? 躱しきれなかったこと? それとも」
「なぜ、人間じゃないなら、そこにいるの?」
「ああ、やっぱそっちか。でも前者も気にしたほうがいいぞ、でないと嬢ちゃん、負けるぜ」

 再び、先ほどの追突現場へ足を進め、鉞を二つ手にとって。

「仲間が、迎えてくれたからだ」

 突っ込む。
 少女は意表を突かれた。それは鉞の一撃に繋ぐつもりがない、ただの体当たりだ。
 とっさに脇腹に拳をねじ込んだが、弱い。逆に体当たりで、木に叩きつけられる。

 かふっ、と息を吐いた瞬間に、斬撃。

「嬢ちゃんには」

 またしても霧化が間に合わずに、今度は脇腹を二寸ほど抉られる。
 ぴたりと手を当てれば傷はふさがるが、少女の動揺は増すばかりだ。

「復讐を遂げたあとの展望、ないだろ?」

 鉞が呻りを上げる。
 しかし今度は懐にもぐりこんだ少女が金時の裏をかいた。脚を取って、巨体を転がす。
 腹に振り下ろしの拳槌。反撃の膝にしがみついて、膝関節に横からの拳。
 しかる後の鉞は霧化して回避。金時が起き上がる前、それ以上の追撃は断念したようだった。

「この戦いに勝って、どうするよ」
「……決めてない」
「将来の夢も、希望も。生きる目的も何にもねぇんだな。それじゃあ駄目だ、俺にゃあ勝てない」

 その一言に、少女が激発した。

「お前たちが、奪ったくせに!!」

 なんの捻りもない、真正面の拳。
 それを金時は鉞で叩き落す。

「そうだな、そいつは悪かったよ。でも俺はやらなきゃいけなかったんだ」
「なぜ!」
「俺が、頼光様の四天王だからさ」

 両上段。

「俺は」

 防御を一切考えない、全力の振り下ろし。

「誰がなんと言おうと、頼光四天王、坂田金時だ!」

 流石に、跳び退って躱される。
 でも、それでよかった。
 金時にとって重要なのは、押して圧して前に出ることだったから。

「いつか、俺が半妖であることが周囲に露見して、俺の存在が人の世から抹消されることになっても、それでも」

 右の鉞を横一閃。
 霧化して躱される。

「俺は今、ここにいるし、これからもあいつらと馬鹿をやるんだよ。そのために」

 左の鉞を袈裟に払う。
 僅かに肩口に、刃が食い込む。

「俺は、勝つ。俺が、守る」

 左を振りかぶって投擲。右の鉞を両手で握り、少女の首めがけて、

「何の望みもない捨て鉢に、負けてやるわけにはいかない!!」

 渾身の、一撃。



  ¶



「嬢ちゃんが幸せになるために俺らから奪う、ってんなら、仕方ないけどよ。復讐には、負けられねぇ」

 少女の手首が、ズルリと大地に落下する。

「誰かを踏みつけにして、幸せを掴むのは、いいの?」

 だが、そこまで。
 首を落とすには至らない。それ以上、刃が保たなかった。

「……誰かのために、誰かの幸せだけを願い、人を傷つけずに生きていければ素晴らしいだろうさ」

 得物の先端、柄の途中から先がまるまる消滅している。
 それを成した少女は燃え上がる直垂の袖を引きちぎって捨て、代わりに落ちた手首を拾い上げて、ピタリとくっつける。

「でも、それは不可能なんだ。米も、肉も、水も権力も有限で、だから奪い合いになる。姫さんにゃ、分からないかもしれないが」
「分かるよ、貧乏だったから」

 ん? と金時は眉に疑問を含ませたが、追及はしなかった。
 首を縦に振って、柄だけになった鉞を投げ捨てる。

「だから、己の幸せを望めば、必ずどこかで人を踏みつけにしちまうんだ。でも、だからって自分の望みを殺しちゃ、やっぱり、駄目だ」
「自分の、望みを、殺す……」
「そうだ。自分を欺いて生きるのは、死んでいるのと大差がない。でも生きるっていうのは奪いあうってことだ」
「……」
「俺たちと鬼たちは、互いに奪い合っちまったのかな。お互い必要なもの、以上を」
「……生きるっていうのは、たいへんだ」

 少女の嘆息に、半人は満腔のため息で同意を示す。

「おうよ。たいへんだ。……だがまぁ、一方的に奪うのはやっぱ、悪だよなあ」
「そうだね。そっちが勝って生きて都に帰った場合はさ。あいつ、殴っといてよ」
「おうよ、金○蹴り上げておくさ……鉞、取って来ていいか?」
「うん」



 仕切りなおしだ。
 金時の手には再び、新しい鉞が。
 そして少女の手にも今は、新しい武器がある。



「綺麗な装束――は、いらない。価値がない」

 少女の拳が、陽炎に揺れる。

「旨い飯――は、あればいいけど、必須じゃない」

 轟、と音を立てて燃え上がる。

「居心地のいい場所――欲しいのは、『どこ』じゃない」

 火燐が火炎となり、火炎が火輪となり、火輪が火渦となり、

「『だれ』。一緒にいて安心できる人――家族、親友、恋人。どれでもいい。それが――奪われた」
「そうだ。俺らが奪った。俺の、幸せのために」
「だから、それが、欲しい。それを、再び、手に入れる。こんなところで、何も持たないまま、死ねない。死にたくない」

 超高熱高圧の、白炎となって世界を焦がす。
 それが少女の、新しい力。

 霧となって散るが、己を殺してでも生き延びたいという望みの発露であるならば。
 密となって集うは、望んだものを掌中に収めたいという願いの発露だ。


「決着、つけようか。金太郎」
「応よ」


 金時が、構える。一方を上段に、もう一方を、脇に。
 よもや隠すことを一切やめた霊気が、鉞を包んで黄金の光を放つ。これが全力だと言わんばかりに、眩く輝く鉞を大きく構える。
 そんな金太郎の、背中に。

「なあ、あいつ勝てるのか? 幼女を鉞で襲う筋肉って、完全に悪の図だよなぁ……悪は負けるがこの世の道理だろうに」
「それは困った。あいつがいなくなったら己が四天王一の馬鹿になってしまう」
「あのおっかないツラは女除けに便利だったんだけどね……ここまでか?」
「お前ら他に言うことねえのかよ!?」

 叩きつけられた声援のような罵倒に、金時の顔が情けなくゆがむ。
 そんな表情が可笑しくて、可笑しくて、少し羨ましくて、

「いい友達じゃん。金太郎」
「馬鹿しかいないのが難点だがね」
「筋肉に言われたかないね!」
「卦は最悪だが負けるなよ肉壁!」
「やっちまえ! 不細工!」
「ちきしょうお前ら覚えてろ!」

 ちょっとだけ、悲しくなって、キリと奥歯をかみ締める。
 そんな、少女に、

「嬢ちゃん」
「何?」
「悪かったな。子供が幸せになれる世界を作るのが、俺ら大人の役目だったってのに、さ」
「勝ち方を教えてくれた。それで十分」
「……ありがとよ……足柄山の、坂田金時。行くぜ!!!」



 私も名乗りを上げよう、と、少女は思う。
 新たな、鬼の名を。



『いい女ってのは、自然と匂い立つような香を纏っているもんだ』



「大江山の、伊吹――



――なるほど、ならば、



 にこりと、笑って、



「参る!!」











  § 伊吹鬼




「おかえり、皆」
「お帰りなさいませ、大将」
「いや、大将違うから」

 大江龍宮が中央御殿の寝殿中庭。
 少女がふらりそこを訪れたとき、そこには数多の鬼が再び集結していた。
 混乱の夜の始まりからちょうど一日。未だ破壊の爪痕も痛々しいそこではあるが、少女の見たところ、そこに参集した者達の表情はそこまで暗くはないようだ。

「天狗には?」
「誤解であることは説明しました。納得するもの、しないもの。まぁ、半々というところですね……どこ行くんですか。貴方の席はあそこです」
「おい、こら」

 ひょい、と石熊童子に担ぎ上げられ、とりあえず程度に修復された高御座の上にポンと放り込まれる。
 仕方なしに、そこで周囲を見回してみると、

「やれやれ、意外に生き残ったんだねぇ。石熊様の手柄じゃないか。そのまま首魁に上り詰めればいいものを」
「いやぁ、人を纏めるって大変なんですねぇ……十分堪能しました。もういいです」
「おい、こら」

 じろりと睨むが、くっくっと笑う石熊は相手にしない。

「じゃあ、茨木様は? 順当に行けば、次の頭領は茨木様だと思うんだけど」

 高御座の左脇に座る茨木華扇にそう、問いかけるが。

「……すみません……私はちょっと……約束がありまして」
「約束?」

 毛氈の上に正座する華扇の拳が、ブルブルと震えている。
 それは一見して怒りに燃えているようでもあるし、羞恥に悶えているようにも見える。

「ええ……あんな約束をした過去の私を、縊り殺してやりたい……」
「? よく分からないけど、先約があるから、頭領になれない?」
「……ええ」
「そっか、残念。熊様は」

 高御座の右脇に座る熊童子にそう、問いかけるが。

「……」
「…………」
「………………」
「……………………」

 少女は肩をすくめた。
 とてもこの鬼に頭領など務まるとも思えない。

「参ったなぁ……じゃあ皆ほら、自分勝手にやりなよ?」
「みんな、自分勝手にやってますよ。やってるから、ここにいるんです。それに、酒呑童子は言いました」
「何を?」
「『己は死なねぇ。必ずここに戻ってくるから、お前らも生き延びて、ここに戻って来い』ってね。そして貴女が戻ってきた。最強の鬼が。酒呑童子が」
「あー」

 少女は頭をかきむしった。
 そんな姿を、石熊童子は嬉しそうに眺めやって、

「鬼は、嘘が嫌いですよ?」
「嘘なんて、つくもんじゃないねぇ」
「そりゃそうです」

 嘘というものは、どこまでも鎖となってついた者を縛り付けるようだ。
 まったく、ろくなものではないな、と。少女はふてくされて頬杖をつく。

「人間たちには、如何なる処分を?」
「逃がしたよ。目的の物は、取り返したからねぇ」

 赤い一本角。星熊童子の角。
 二股の、二本の青光りする角。金熊童子の角。
 黒い二本の角と、黄色い一本の角。虎熊童子の角。

 六本の角が、奪うべき六つの首の代わり。都の最後の一人は、まあ。金時が蹴り上げてくれるだろう。

「欲しい奴は、いるかい?」

 懐から取り出した角を並べて眼下をぐるりと眺めやるが、名乗り出るものは誰もいない。

「あれ? なんで? 最強格の力だよ?」
「鬼の魂は角に宿る。他人の角をつけるということは、そこで体の奪い合いが起きるということです」
「我々が貴女に敬意を払う理由、ご理解いただけましたか? 大将」
「ああ、そういうこと」

 華扇と、石熊。二人の説明を受けてなるほど少女は納得した。
 己の角に、すっと手を伸ばす。

 もう、酒呑童子の声が聞こえない。
 少女が新しい未来を望んでから、だんだんと声が小さくなっていってしまって、だから。
 酒呑童子の角はしっかりと少女の体に根を張って、少女のものになったということだ。
 少女が先を望まなければ、あの声はずっと少女と共にあったのかも……いや、その場合には少女の体は乗っ取られていたに違いない。「この馬鹿野郎が!」と。

 だから、これでいい。

「これから、どうしますか?」
「まずは、腰を落ち着けようか。女子供も多数いるしね」
「……それは冗談かなんかですか」
「にゃはは!」

 ジトリと睨む華扇の目線が、少女にはなんとなく懐かしい。
 そしてそれは華扇も同様であったようだ。
 少女の思考に華扇には思い当たる節があり、そしてそれが「二人だけが知る」事実であるが故に、華扇は悟ったのだ。

 古い酒も新しい酒もまとめて、新しい皮袋に盛られたのだと。



 酒呑童子が皆のほうへ向き直った。
 高御座にて胡坐をかくその佇まいには、見るものを自然と惹きつける求心力がある。

「先ずは八雲のなんとかっていう妖怪が持つ、土地に行く。そこに新たな生活基盤を築く」
「その後は?」
「皆自由に、かな」
「ここは?」
「もう要らない。残るものがいないのなら、天狗にくれてやればいい。あいつらだってこのままじゃ戦損だしね。戦利品があってもいいだろうさ」
「……よろしいのですか?」
「過去はいらない。思い出としてあれば、それでいい。必要なのは未来だ」
「心得ました」

 高御座の前に立った石熊は背後を振り返って、生き残った鬼たちへ向けて両手を広げて宣言する。

「大将の決定は下された!! 大将と共に新たな地を目指すものは一刻後、またここに集合しろ! 以上!!」

 てっきり皆、ここを復興すると思い込んでいたのだろう。
 周囲が、ざわめきに満たされる。
 あちこちで小さな輪ができて、喧々諤々の議論が交わされる。
 そんな様子を、横目に見ながら。


 引っ越した先で一段落ついたら、少し旅に出よう、と少女は思う。
 もっと、新しい世界を見て回りたかった。
 新たな力と、命を手に入れた。もっと、もっと色々なものを手に入れたい。
 ふらりと、風来坊で。奪いすぎず、しかし遠慮せず。
 広く世界を回っていれば、新たな四天王としてこの六本の角を掲げるに相応しい猛者にだって、出会えるだろう。


 そんなことをぼんやりと考えていた、最中。
 少女の右脇に座していた熊童子がすっくと立ち上がった。
 持ち前の影の薄さを最大限発揮して、こっそりと少女の後ろに回る。

「熊様は、残るんだ」
「……」
「墓守になるの?」
「……」
「そっか、寂しくなるね」
「……」
「そりゃ、そうだけど」
「……」
「うん。また、会おう」
「……鬼童丸」
「え!?」

 少女が愕然としているうちに、熊童子は少女の手を握ると、ぶんぶんと乱暴に振る。
 そしてすっと少女の手を離すと、一人。この場からこっそり立ち去っていった。

「あー、名前か……びっくりした。熊様、喋れたんだねぇ」
「そりゃ喋れるでしょう。口があるんですから」
「そうだけど。茨木様も、ここに残るのかな?」

 問われた華扇が、ピシりと固まる。

「ここというか、都というか……正直逃げ出したいんですけど」
「本気で嫌なんだね、その先約。お互い、下手な事言うもんじゃないねぇ」
「まったくです。ま、早めに決着をつけて、自由を取り戻します」
「ん、なら縁があれば」
「また、いつか」

 茨木童子、華扇もまたそっとその場に立ち上がると、やはりそっと中庭を後にする。
 その後姿が見えなくなるまで、じっと見送って。

「何人くらい、ついてくるかねぇ?」
「さて、半々程度でしょうか?」
「零なら楽なのに……石熊様は?」
「様は余計です大将。勿論、大将にご同行いたします。もう首魁はコリゴリですよ。面倒は人に押し付けて楽するに限ります」
「……変な方向に目覚めちゃったねぇ。私だって面倒はやだよ」
「それなら熊の兄者が抜けたこともありますし、大将を含めて鬼の四天王という形にしてはどうです? 負荷が減ります」
「なるほど。それいいね。でも、二対二に意見が分かれたら?」
「殴り合いで」
「いいね。そういうの好き」

 少女は笑った。
 なんだかんだで、これからのことを考えるのは、結構悪くない。

「人攫いは、もう止めよう」
「むぅ、人間との勝負は我らの数少ない喜びなのですがねぇ」

 残念がる石熊に、ニシシと笑って、

「代わりに、鬼の宝を見せびらかす」
「はい? ……ああ、向こうから、来てもらうんですね」

 意を得た石熊も、人の悪い笑みを浮かべる。

「そう。食らいつくのはお宝目当ての馬鹿が大半だろうけど、中には譲れない願いを抱えていて、それを叶える為に挑んでくるものもあるだろう。……楽しい勝負になると、思わないかい?」
「ええ、そう思います」
「残りは、おいおい考えようか。一刻後、ここに残った皆で」
「はい、大将」

 じゃらり、と少女は鎖を引き寄せる。
 気付いたら右手にもう一本の鎖と、分銅が追加されていた。
 分銅の形は四角形。なんでそんなものが忽然と現れたのかは、正直、よく分からない。
 けど、まあ。
 また一つ、がんじがらめになって、また一つ、新しいものを得た。
 これはそういうことの証なのだろう。



 まったく、めちゃくちゃな人生だ、と少女は思う。
 全てを奪われた、と思ったら、まったく予想もしない方向から色々なものを与えてもらった。
 それらも再び奪われてしまったが、今の少女には望むものをこの手に掴む力と、意思がある。














「大将、一刻です」

「ん。んー、随分いるねぇ。あまり減ってないじゃん」

「ほら、そんな不満そうな顔しないでください。多いっていうのは、楽しいって事でしょう?」

「纏めるのが私じゃなけりゃぁね……ま、いいや」
















『「さぁ、行こぅか。新たな天地へ」』












 終宴/開宴

すみません、タイトル嘘ですね。
正しくは「ドキッ! オリキャラだらけの大江山(ポロリもあるよ)」
かな。
白衣
saigyouzi@excite.co.jp
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コメント



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1.10片隅削除
やばい、どいつもこいつも生きざまがカッコ良すぎる。
鬼達の男としての矜持。
侍達の男としての矜持。
テーマの『嘘』の使い方もいいなぁ。
すごく燃えました。
上手いことは言えませんが、このお話を読めてよかったです。ありがとうございました。
2.9あらつき削除
よきかな。
3.9uiui削除
酒のつまみにちょうどいい感じでした
正しいと思ったことだけやって面白おかしく生きようなんて、所詮は酔っ払いのたわごとです
だから鬼はいつも酔っ払っているのでしょう
4.10名無削除
鬼の生き様のかっこよさときたらもう
5.10名前が無い程度の能力削除
文句無しの満点。
6.8みすゞ削除
【良い点】
物語が動き出すとぐいぐい引っ張られ、楽しく読むことが出来ました。各キャラもほぼオリキャラでありながら活き活きと描かれて非常に魅力的でした。スイが「香」を付けて「萃香」になったというのも好きな設定で、個人的には萃香の過去話として公式にしたいくらいでした。
【悪い点】
冒頭がいまいちです。よく知らない姫が鬼にさらわれようと知ったことではないし、その姫自身にも危機感が感じられないので興味を持てませんでした。続くシーンでも古臭い言葉遣いに入る現代語が拙さを感じさせ、このまま読み進めるべきか正直迷いました。また、お題「嘘」へのアプローチが弱く、無理矢理付け足したような軽さを感じました。
7.9PNS削除
 第一印象はとても読みやすいということ。
 そして次の印象は台詞回しが小粋だなぁ、ということでした。
 ラストの戦闘はもう少しわかりやすく……とも思いましたけど、十分に読み物として楽しめる内容でした。
 それにしてもオリキャラをこれだけ使っているのに、読みやすいというのはつくづく凄いと思います(汗
 金熊さんが推しで!
8.10ナルスフ削除
すっごく面白かったです! やっぱり鬼はいいですねえ。
オリキャラたちも一人ひとりキャラが立ってて魅力的でした。
大江山だから勇儀さんクルー?とか思ってたらそんなこともなく。茨木童子のみが女性説があったからそれに準じたんですね。勇儀さんは星熊童子の力を継いだ2代目ってわけですか。鬼の首魁である酒呑童子と山の四天王である萃香の若干の齟齬や、『萃香は鬼の中では少々イレギュラー的存在』という設定などをうまく盛り付けた意欲作だと思います。
スイが後の萃香だというのは中盤あたりにトイレ休憩して頭を整理してた時にやっと気づきました。あんなにあからさまなのに・・・くやしい!!
華扇ちゃんが山に戻ってきて、皆がわいわい騒いでるところのシーンがとっても楽しかった! ホントに楽しくて、読み終えた後に少し悲しくなるくらいに。
金熊童子かっこよすぎる。頼信さん黒すぎる。伊吹の出現シーンカリスマすぎる。
渡辺綱と茨木童子は因縁のある二人ですが、女性説が混ざってまさかの夫婦に! いやぁ、どうかお幸せに。
こんな雰囲気のくせに小ネタを挟むのは卑怯wwww僕は死にましぇん!じゃねーよwwwww
天魔がここで死んでるってことは、妖怪の山の天魔はまた後代ってことなんですかね。
文ちゃんはこの時代にいるのかな。1000年以上前だから、いなかったりまだ幼かったりする可能性もありますかね。
色々と背景やその後を想像できるいい作品でした。ありがとうございました。
9.10道端削除
 「ドキッ! オリキャラだらけの大江山(ポロリもあるよ)」……?
 なんだポロリって……。首か、首なのか。

 オリキャラだらけだけど、そのオリキャラが上手い具合にキャラが立っていて素敵。
 鬼と人間という対立になっていて、どちらかと言えば鬼視点で進むけれど、敵という立場である人間たちもそれぞれにキャラクターが与えられて生き生きしている。どっちも一本芯の通った男ばかりで、カッコいい。ひたすらカッコいい。
 それと、スイがめんこい。
10.7烏口泣鳴削除
雰囲気とキャラの交わりがとても良かったです。ただ大江山、京の中とそれぞれの関係は良かったのですが、その二種類同士の交わりが少なかったのが残念です。
11.8生煮え削除
率直な感想として、勿体ないなと思いました。描くべきシーン、描いた方が感慨深くなるシーンが端折られているため展開が急に感じられてしまい、折角の素晴らしい物語が生かし切れていないよう感じました。具体的に挙げると天狗の裏切りのシーン。物語の転換になる場面ですが、今のままでも勿論話は通じます。ですが印象としては鬼たちが毒を盛られて窮地に追い込まれたことを事後連絡で教えられたようで、少しテンポが性急に感じられ印象が軽くなっているように思えます。もう一つ、こちらのほうが残念に感じたのですが、酒呑とスイが勝負の決着をつける直前のシーン。活気に溢れていた中庭が嘘のように静かになってしまったというとても印象的な場面で、その落差に感慨を覚えるべき、とてもいいシーンなのですが、不思議とあまり心に響くものが無くて、感動するつもりでいたこともあり戸惑ってしまいました。恐らく活気が溢れていた頃の描写、それもスイにとっての鬼達との良い思い出、そういう溜めが十分でなかったために折角のいいシーンがいまいち活きてこなかったのだと思います。
また逆に坂田金時と萃香の対決シーンは、少しだけですが長くてだれてしまった印象です。勿論大事なシーンではあるのですけど、テンポがあまり良くないように思います。ここまでに金時の出番が少なかったことも一因でしょうけど。ここを長く描くのならその前の大江山襲撃のシーンももっと長く描かないとバランスがとれないんじゃないかと個人的には思います。
物語は文句の付けようのないくらい素晴らしく、登場人物はどれも活き活きと魅力的に描かれており、作品の潜在的なポテンシャルはかなり高いレベルにあると感じました。作者さんの力量も相当なものと思えましたので、コンペという時間的な制約のために十分な練り込みができなかったのではないかと、少し残念に思います。
12.10がま口削除
まずは文句なしの満点を献上いたします。
物語が始まってすぐ「あ、これ絶対面白い」とビンビンに感じて勢いよく読み進め、大団円の下終結したラストにその感覚が間違いじゃなかったと確信できました。
何が凄いかといえば、史実と東方の設定がカチリと噛みあっていて、なおかつ人情味あふれるエンターテイメント性があるということです。
言葉では説明できないくらい良かったです。この作品を読めて良かったなぁ、と思いました。
13.10きみたか削除
華扇が女性、その他が男性なのをどう処理するのかと思いましたら、なるほど、スイの名前で気付かなければいけなかった。お見事です。歴史上の人物を交え、ひどい目にあいつつも筋を通し、また楽しんでいる風の作りが良かった。惜しむらくはお題「嘘」の周辺がありきたりであったことですが、38作品もあるので同点トップで。
14.10名前が無い程度の能力削除
まさにエンターテイメント
電車の中で読ませていただいたのですが、二時間の旅があっという間に終わってしまいました
もう鬼や武者たちを含めみんなが実に生き生きしていて、読んでいてとても気持ち良いんですよ
オリキャラだということはまったく気になりませんでした
会話も現代風ですが、むしろこれだからこそ登場人物たちの気質が十二分に伝わってきたのではないでしょうか(古文で書かれても分かりませんし)
気になる点があるとすれば、頼信がスイを切らせた理由ですが、当時は平安中期ですし複数の妻がいても問題はなかったのでは、と思いました
また、渡辺綱は華扇の正体を知っていたのか…は彼の性格からしてないでしょうけど、大江龍宮で出会った後に何があったのかちょっと見てみたかったですね
読んでいて本当に楽しくて100kb以上という分量が全然気にならず、欲を言えばもっと長くても問題がなかったのではないでしょうか
それくらいに面白くてボリュームの詰まったお話でした
素敵で楽しい物語をありがとうございます
15.5エーリング削除
時間切れ。申し訳ないです、詳しい感想は後で書きます
16.9智弘削除
今回の話の中でかなり好き。
17.10時間が足りない!削除
あらー、すごい作品。
長かったけど、一気に読めるくらいには面白かったです。
萃香が誕生の解釈が新しくて、こういう考え方もあるのかと感心。
登場人物が多くてちょっと混乱したり、義兄を殺されて華扇は何か思わなかったのだろうかとか、ぽろりなんてないじゃないかとか、思うところは少しありますが、とにかく面白かったので10点!
18.9K.M削除
古墳時代の火砕流の痕跡から鉄器を装備した人が出てくるくらいに昔は群馬も元気はあったんだ、と言いたいが京都と比べられては時代的に悲しいが事実か田舎だ。
即頭部は側頭部?  「ギリギリの勝利じゃsないか」 アルファベット混ざり、惜しい。