第十三回東方SSこんぺ(アメリカ)

砂金の街の吸血鬼

2014/02/28 02:21:49
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 世界の夢が集まる街の港は、真っ白な濃霧に包まれていた。
 その中にあっても用心深く日傘を差したレミリア・スカーレットは、渡し舟からメイドの手を借りて桟橋に降り立つと、怪訝な顔で周囲を見渡した。
「船が接近できないというから、どうしたのかと思ったら」
 霧で見通しの悪い港内にあっても、彼女はその異様な光景を視認することができた。水面に浮かぶのは、数百は下らないであろう大小様々な船の影と天に伸びるマスト。それらは桟橋やドックをことごとく埋め尽くしていた。
「ねえ、船頭さん」
 レミリアの赤い瞳が髭を蓄えた薄幸そうな老人に向けられると、彼は思わず背筋を震わせた。
「私は、ここが夢の街だと聞いて遥々ブリテンからやってきたのだけれど。これじゃあ、まるで船の墓場じゃない」
「へ、へえ……仕方ありませんて。なんせ、ここは夢の街ですから」
「要領を得ないわね。どういうことよ」
「夢を求めて、船員達が主人の元から逃げ出してしまうんでさあ」
 なるほど、それは確かにそうだ。一攫千金の夢を前にしては、慣れ親しんだ船でさえも邪魔な足枷でしかないだろう。納得顔のレミリアは、次いで少し不安になって、従えた燕尾服の老執事に視線を遣った。
「私達の船は大丈夫でしょうね」
「仮にも王立海軍の管轄下です。規律徹底も職務の内かと」
「所詮は同じ人間よ。不安ね」
 沖合に錨を下ろした蒸気船とは真反対の方向には、霞む山々の輪郭が僅かに見えた。そして、その麓には、港のがらんどうの幽霊船とは違って、人々の活気に満ち溢れた街がある。命の息吹が渦巻いている。目的地を目の前に、レミリアは好奇心で胸が疼くのを感じた。
 老執事に目線で指図して、船頭に手間賃を払わせる。思いの外に大きな額を渡されたのであろう、彼は少し驚いた表情を浮かべた後、立ち去ろうとする一行に機嫌良く朗らかで枯れた声で呼びかけた。
「──ようこそ、サンフランシスコへ」
 時は十九世紀も半ばの頃。
 吸血鬼レミリア・スカーレットは、ゴールドラッシュに熱狂する新大陸の西海岸にいた。


 レミリアがメイド達に尋ねると、求めていた身内話はあっさり引き出せた。
 曰く、私の叔父がアメリカに砂金を求めて渡ったと。曰く、私の甥も下宿先を引き払ってニューヨーク行きの船便に飛び乗ったと。曰く、私の父親など職を棄てて一攫千金の夢に縋ったと。
 故郷のワラキアの地を離れたレミリアとフランドールは、今は大英帝国の帝都ロンドンの一角に屋敷を構えていた。コンスタンティノープルもウィーンもパリも、住み心地は悪くはなかったが、いかんせん数世紀を過ごすには些か娯楽に欠けていた。一方ロンドンは、今や世界の中心である。寝ていても興味をそそる話題が耳に飛び込んできた。退屈せずに過ごすには、うってつけの場所だった。
 だが、ここ数年はどうも趣が違う。まず深夜に街を徘徊すると、部屋の灯りの数が減った。これはまだいい。給仕の募集広告を新聞に出しても、面接に来る人間の数が減った。これもそこまで問題ではない。何より深刻なのは、出世の夢に燃える田舎育ちのお上りさんが減った。つまり、都会人のように煙っぽくない、自然由来の新鮮な血に滅多にありつけなくなった。
 これは由々しき問題だ。レミリアは、自分のためにも、妹のためにも、原因を探ってみた。一刻と経たずに解答は得られた。ゴールドラッシュだ。今や、世界中の夢や希望が、ロンドンから遥か彼方の新大陸はカリフォルニアの金鉱山に集まっているのだ。
 なんとも壮大で馬鹿げた話だと、レミリアは半ば呆れた。一通り呆れて、やがて興味が湧いた。
 今、この異国の地には、世界の活気が集まっている。つまり、人間の〝生〟の本質が、精気が集まっている。吸血鬼が惹かれない道理は無い。
 行ってみようと、思った。フランドールは誘ってみたが、関心を示さなかった。引き篭もりがちな彼女には、アメリカは少し遠すぎたのだろう。
 旅路には、優雅な客船を選んだ。一人では退屈だから、信頼できる老執事一人とメイド二人を随伴させることにした。ロンドンから、ニューヨークを経由して、パナマで一旦客船を降り、運行を開始したばかりのパナマ地峡鉄道で太平洋へと出た。貴族が庶民と一緒にパシフィックメィル社の船に乗り込むのも癪だったので、コネを使って英国海軍の外輪船を手配して、かれこれ数ヶ月かけて、ようやくサンフランシスコに辿り着いたのだった。
「それはそれは、高貴な御方が、遠いところからご苦労様なことで」
「私はそこまで苦痛ではなかったわ。思っていたよりも時間がかかったのは、事実だけど」
 サンフランシスコの中でも一番酒が旨いという酒場の主人に、カウンター席に座るレミリアは饒舌に旅路を語る。航海中に幾度も愚痴を吐かれたのも記憶に新しい従者の三人は、テーブル席で苦笑いを浮かべながらエールを舐めていた。
 レミリアが傾けたグラスには、街でも一番上質なブランデーが美しい琥珀色を湛え、その曲面には、せめて身なりだけは整えた庶民達が酒を飲み交わす光景が映り込んでいた。
 サンフランシスコは一攫千金の夢に焦がれた人々が集い、ここ数年で爆発的に発展を遂げた街だ。富裕層向けの施設が充実しているはずもなかった。宿は東部から赴任してきた役人が泊まるような上等な場所を確保できたが、飲食に関しては、鉱夫達の安酒の匂いを嗅ぐことを多少は許容せねばならなかった。もっとも、彼女がここまでやって来たのは、そのような人々の躍動を感じるためだ。抵抗感は無かった。
「私も一応は東海岸の方から金を掘りにやって来たのですが、こうして酒場を営んでいる方が儲かることにすぐに気付きまして」
「それでも人は砂金を求めて集まり続けるのね。滑稽だこと」
「ここには、いつまで滞在されるおつもりで」
「折角来たのだもの、半月かそこらは、人間の夢とやら見て回ろうと思っているわ」
 妙な言い回しをする幼女だと、酒場の主人は腹の内で疑念を燻らせていた。言動は歳相応のものとは明らかに違うし、何より、こんな小娘がストレートのブランデーを顔色一つ変えずに飲み進めるなど、異様な光景ですらある。
 だが、羽振りは断然良い。従者も併せた四人だけで、一日の売上の数割を占めるかもしれない。貴族様々、アッパークラス万歳。空になったグラスにブランデーを注ぎながら、彼はレミリアの素性はあえて考えないことにして、如何にして彼女の懐から金を毟り取るかを思案していた。
「そうだ、半月もここにおられるなら、一つお伝えしておきたいことが」
「儲け話なら必要無いわよ」
「残念ながら、景気のいい話では。忠言とでも言いましょうか」
「聞くわ」
 酒場の主人は腰を折って、口元に手を添える。あまり大声で言えるような話ではないらしい──レミリアは少し眉を顰めたが、次の瞬間にはその眉間の皺は一層深くなった。
「吸血鬼が、出るんです。この街には」
「……吸血鬼、ですって。何かの比喩ではなく?」
「さあ、私は直接見たことはありませんが、襲われた者は皆、吸血鬼が出た、と」
 レミリアの背後の従者三人の談笑はいつしか途切れ、真剣な面持ちで聞き耳を立てていた。レミリア自身もその口元の陽気さを掻き消していて、酒の芳香と人々の喧騒に包まれた酒場において、彼女達の周囲だけ暗く陰ったように空気が凪いでいた。
「要は通り魔のようなものなのでしょうが、いかんせん素性がまるでわからんのです。性別、年齢、人種に至るまで何もかも」
「奇妙な話ね。貴方の話しぶりからするに、生存者ないし目撃者はいるのでしょう」
「ええ。その吸血鬼が出没するようになったのは、ここ一ヶ月ほどなのですが、二日か三日に一度の頻度で誰かしら襲われていまして、姿を見たという者も多いです」
「正体不明なのに吸血鬼だと断言するのには、何か根拠があるのかしら」
 彼が唇を僅かに噛んだのを見て、意識しない内に咎めるような口調になっていたことに気付いたレミリアは、ブランデーで喉を潤して舌で犬歯を撫でる。
「夜警が追うとあっという間に闇に紛れるとか、おおよそ人間のものではない機敏性だとか、最近の犠牲者には吸血痕があるとか……。どこまでが真実かはわかりませんが」
 ふと、その酒場の主人の言葉を聞いたレミリアは動きを止めて、そして苦笑した。飲み干したグラスをカウンターに置き、酒瓶の蓋を捻ろうとする彼を手で制止する。
「知っているかしら。吸血鬼に殺された人間は吸血鬼になるのよ。なのに、サンフランシスコには、まだ一人しか吸血鬼がいないの?」
「……それは」
「もういいわ。ご馳走様。美味しかったわ」
 老執事は既にレミリアの傍に侍り、財布から取り出した何枚もの紙幣を重ねて、酒場の主人に差し出していた。迂闊にいらぬ話をして、金蔓を手繰り寄せるのに失敗したと、そう悔やんでいるのが明白な彼の表情は、大金を勘定しているというのに、まるで晴れなかった。
 最後にレミリアは老執事から財布を受け取って、少し考えた後、硬貨を数枚取り出してカウンターに並べた。吸血鬼の話の代金は、従者のエール一杯にも届かないような端金だった。
「これっぽちですか」
 酒場の主人の口を衝いて出た言葉に、レミリアは咎めることなく不敵に笑った。
「私は誇り高き英国貴族よ。庶民相手にケチったりはしないわ」
 椅子から降りたレミリアの目線は、先程までより格段に低い位置にあるというのに、彼はむしろ尊大な何かに見下されているような威圧感に苛まれていた。
「でも、押し売りされたガラクタに、必要以上の対価を支払う道理も無いでしょう。ノーブル・オブリゲーションはそう都合良くはないの」
 レミリアは従者を率いて、酒場を後にしようとする。彼女は扉に手をかけ、解せない顔の主人を、赤色の瞳で穿つ。
「そんな噂話、この私には必要無いと言っているのよ」


 寒さだけには、いつまで経っても慣れることができなかった。彼女は、ぎゅっと、膝を抱き竦める力を強くする。
 家の外は相も変わらず騒がしい。粗末な荒屋は、耳障りな喧騒をまるで濾し取ることなく彼女に響かせる。
 灯りは無く、窓も全て塞がれ、ただ壁の木材の隙間から何条もの光が漏れる彼女の世界には、塵埃が我が物顔で飛び舞い、羽虫のように太陽の温もりに群がる。それを、彼女は部屋の片隅で、恨めしそうに見詰めていた。
 万人に等しく注がれる光を避けて、私には日陰が相応しいのだと、そう言い聞かせて、凍える身体を揺する。光は注ぐだけで、救いの手を差し伸べたりはしない。光は、夢は、自分の手で掴み取らねばならないのだと、彼女は思い知ったのだ。そして、そうするには、彼女の手はあまりにも小さかった。その手を引いてくれていた大切な両親は、既にいなくなっていた。
 だから、彼女は今日も薄暗い荒屋で息を潜める。
 寒さに、耐える。
 彼女は夢の成れの果て。夢の陰。夢の亡骸。
 夢の街の人々の澄んだ声を、彼女は奥歯を軋ませて噛み殺した。


「……ん、ぁ」
 艶かしい声が響いたのは、煌々と灯りが焚かれた宿の一室である。
 肩を露出したメイドの首筋から顔を上げたレミリアは、口の周りに付いた血液の残滓を、それに劣らぬ真っ赤な舌で舐め取った。
「酒もいいけど、やっぱり私にはこっちの方が性に合っているわね」
 顔を紅潮させたままのメイドがいそいそと服の乱れを直しているのを尻目に、満足顔のレミリアはソファに身体を沈める。だが、その上機嫌さはすぐに霧散した。どうしても、件の吸血鬼騒ぎの話が引っ掛かるのだ。吸血の直後だというのに、難しい顔をしているレミリアを見て、居合わせた従者三人も流石に心中を察したようだった。
「どう思う?」
 主に尋ねられてから、ようやく老執事は口を開くことができた。
「その者が吸血鬼かどうかはともかく、人外の類であることは間違いないかと」
「当たり障りのない回答ね」
「流石に情報が少なすぎます。聞き込みでもしてみましょうか」
「いいわ。相手が相手だもの、下手打って手足を失うと帰路が面倒になるわ」
「しかし」
 非力な人間の従者というのも、面倒なものだと、レミリアはつい吐き出しそうになった愚痴を飲み込む。身の回りの世話をさせる分には問題無いが、人外の趣向に付き合わせるにはあまりに脆い。こういう事態になると足手纏いでしかない。人外の使用人でもいれば、気苦労も少しは減るのだろうか。安楽椅子探偵を演じるには、信頼できる強靭な駒が必要だ。
「大洋と大陸を越えた先で探偵ごっこに興じるのもどうかと思うけれど、そいつが同族かもしれないとなれば、気にもなるわ。今のところ、その線は望み薄だけど」
 窓から見上げた空には、煙りがちなロンドンとは違って、十三夜月が爛々と輝いている。昼間に街を覆っていた濃霧は既に海へと還っていった。衝動に任せて人間を襲う怪物にとっては、今夜は悪くない状況だろう。
「まあ、深く考える必要は無いわ」
 レミリアは一つ背伸びをして、それから指の関節を鳴らしてみせた。
「あの男の話によれば、三日に一回は人を襲っているそうじゃない。よっぽど燃費が悪いのね。ならば、早ければ今晩にも巡り会えるかもしれない。会って、とっちめて、正体を暴いてやるわ。通り魔風情が吸血鬼を騙ってその品位を貶めているのだとしたら、晒し者にしてやる」
「探しに出るのですか」
「それも必要無い。覚えておきなさい。作法を弁えない野蛮な人外が人間の領域を跋扈する時はね、街の空気がざわつくのよ。不協和音のようにね」


 あたらしい夜がきた
 きぼうの夜だ
 よろこびに扉を開け
 夜空あおげ
 にんげんの悲鳴に
 すこやかな牙を
 この月明かりの下に
 とびだそう
 それ 一 二 三


 その居てはならない者が居る音が、レミリアの耳に届いたのは、翌日の深夜であった。
「出た!」
 異質な気配が街の外れから激しく自己主張している。悪魔祓いを怖れる素振りすらない。自信の表れか、ただの無知蒙昧か。後者だろうと、レミリアは推測した。野生の獣のような本能的な賢さも、まるで感じられない。
 従者達に部屋から出ないように言い残して、開け放った窓から飛び立つ。人間に目撃されないように垂直に急上昇して、そのまま薄雲を突き抜けた。蝙蝠の羽を広げるのも久しぶりだった。夜風の冷たさも、一夜足りない不完全な満月の光も、耳許で轟々と鳴る空気の唸りも、何もかもが心地良い。気分が高揚する。この分だと、その吸血鬼を名前すら聞き出さずに消炭にしかねないと、レミリアは自分自身を少し諌めねばならなかった。
 吸血鬼の第六感と夜目は、的確に対象の位置を把握していた。
「見つけた」
 その人影の真上まで達したレミリアは、直滑降に雑踏を切り裂く。そこはサンフランシスコの中でも人気の無い小さな通り。地面すれすれで急上昇に転じて勢いを殺し、そのまま上品に道の真ん中に舞い降りてみせた。砂埃が夜の王者の降臨を演出する。
「随分と、みずぼらしい格好ね」
 件の人外は、食事の真最中であった。斃れた若い白人の男の背中に跨がり、首筋を貪っている。ボロ布のような外套で頭から脚まで全身を覆っていて、なるほど、これならば素性も中々割れないだろうとレミリアは納得した。だが冷静に観察すれば、背丈はレミリアより少し高い程度だということぐらいはわかる。
「餓鬼ね」
 レミリアの言葉に、その人外はゆっくりと振り返った。目が合った、ような気がした。外套のフードで目元は陰っていて、人相は把握できなかったが、口元は楽しそうに歪んでいた。赤色で塗りたくられた犬歯が月光に煌めいていた。
「あー」
 とりあえず会話を試みようとして、果たして何を言えばいいのか、そもそも言葉が通じるのかとレミリアが思案していると、人外の方から口を開いた。
「だれ?」
 若い女の声だった。詰まったような訛りがあった。貴族に先に名乗らせるという不遜は、見逃がすことにした。
「私はレミリア・スカーレット。吸血鬼よ」
「吸血鬼って、あのキョンシーのこと? それとも、こっちの吸血鬼?」
「キョンシーって、何よ。変な名前で呼ばないで」
 立ち上がった彼女の両足には、何も履かれていなかった。露出した素肌は野良犬のように薄汚れていた。イーストエンドの貧民達でも、まだまともな装いをしているだろうに。レミリアは、気に入らないと、眉を顰める。こんな乞食が、吸血鬼の畏敬をほしいままにしていたのか。
「お前、名前は?」
 レミリアの声音が刺々しいものに変わったのを敏感に察知しただろう、人外は沈黙を貫く。
「まあ、いいわ。名前を聞いたところで、どうなる訳でもない」
「今日はもうお腹いっぱいだから、早く帰りたいのだけど」
「うるさい、黙りなさい。一回しか言わないからよく聞くように。お前には二つの選択肢がある。一つはここで私に八つ裂きにされること。もう一つは、野蛮人らしく、山の奥深くにでも消え失せて、二度と人間の前に姿を現さないこと」
 どっちにしても、とレミリアは続ける。目元と口元が禍々しく吊り上がって、幼さが霧散する。
「とりあえずはその外套を引き裂いて、お前の正体を白日の下に晒してやるのだけれど」
「貴方も、私は虐めるの?」
「陰湿な真似はしないわ。ただ、こちとら長い船旅で身体が鈍っていてね、リハビリに付き合ってもらうだけよ」
 ダンピールか、人狼か、本当に吸血鬼か。未だに彼女の正体は掴めないが、レミリアは、とりあえずは暴れられるだろうと、口笛すら口ずさんでいた。緩んでいた。自分なら人外が行動を起こしてからでも遅れを取ることはないと踏んでいた。
「そう……やっぱり、虐めるんだ」
 だから、人外がぐっと姿勢を低くして、臨戦態勢に入った次の瞬間には、眼前にその鋭い牙が迫っているという現実に、レミリアは細められていたその目を、驚愕で見開かずにはいられなかった。
「んなっ」
 紙一重で回避する。髪の毛や服の繊維の一本すらも持って行くことを許さなかったが、彼女の態度を改めさせるにはその奇襲は充分であった。しばらく宙を舞った後に、猫のように四肢を使って着地した人外を、睨みつける。
「お前、……本当に吸血鬼なの」
 今の身体能力は、人間のものでもなければ、生半可な怪物のものでもない。夜を支配する吸血鬼に匹敵する。厄介だ。
「顔を拝むのは、そう容易くはなさそう──ね!」
 左手を振り翳し、血液を凝固させた短刀を乱れ撃つ。同時に跳躍し、超低空を這うように飛ぶ。いくつもの柄を追いかける。
 レミリアの行動を注意深く窺っていた人外は、後方に大きく跳躍して、迫り来る血の切っ先を避けた。だがすぐさまそれをレミリアが追撃する。肉薄する。指先が禍々しく鋭利な凶器に変化したレミリアの右手が、人外に振るわれる。
 その場に残ったのは、もうもうと立ちこめる砂煙だけだった。
「すばしっこいわね」
 人外は、更に後方でレミリアをじっと見詰めていた。
 あまりここに長居はできない。騒ぎに気付いた自警団が駆けつけるのも時間の問題だ。それまでに、あの野鼠の首根っこを掴んで、化けの皮を剥がねばならない。
 ならば、叡智を知らぬ獣には、文明の炎を以って挑めばいい。狩猟は貴族の嗜みだ。
 レミリアが羽ばたくと、背後から魔力で紅く燃え盛る巨大な蝙蝠が何匹も飛び立った。優に子供ほどの大きさがあるそれは、素早く人外を包囲して、前から、後ろから、右から、左から、上から、足並みを揃えて一斉に襲い掛かる。
 これならば絶対に逃げられないだろう。そう確信していただけに、レミリアの舌打ちは存外に大きな音を立てた。
 通りに出現した、蝙蝠達の成れの果ての巨大な炎の塊は、やがて与えられた魔力を使い果たして、静かに鎮火し霧散した。跡に残ったのは、焦げた地面と、人外が纏っていた外套の燃えカスだけ。レミリアの視線は、その上空に釘付けになっていた。
「痴れ者がッ……!」
 夜の空に、無数の小さな蝙蝠が蚊柱のように群がる。
 秩序も無くただ飛び交っていただけだった蝙蝠達は、次第に人の影を形作っていき、一つの存在に収束しようとする。
 それを黙って見ているレミリアではない。何本もの短刀を投擲する。だが群体は、弾道から蝙蝠を逃して刃を素通りさせ、難なく凌いでみせた。
「これは……」
 やがて群れは明確な一つの意識を手に入れる。未だに単独の肉体を有さない、蝙蝠の集合体という不完全な形ではあったが、自らの身に起きたことを的確に把握した人外は、ケラケラと甲高い笑い声を響かせ、そのままレミリアに上空から急襲する。
「ねえ、ねえ! すごい! すごい! すごい!」
 回避が遅れたレミリアは、その蠢く人外の両手を自身の両手で受け止めなくてはならなかった。人外が顔を近付け、蝙蝠が嵐のように飛び回る不気味な顔を目前に、苦しい表情を浮かべる。
「わたし、どうなっちゃったんだろう! なんなのこれ、気持ちいい!」
「黙りッ、……なさい!」
「わたしが、蝙蝠に! 蝙蝠がわたしに! まるで、まるで!」
 外套を失った人外は、完全なカタチになるにつれ、その正体をレミリアに一つ一つ教えていく。
 真っ赤な髪がたなびいた。返り血が滴ったようだった。
 灰色の瞳が浮かび上がった。薄汚い鼠のようだった。
 そして、何よりも、
「──まるで、吸血鬼みたい!」
 その顔の造形は、レミリアとは明らかに根本から異なっていた。


 ロンドンで、何度か見たことがある。ここ十数年で急速に増えた人種だ。
「東洋人よ」
 従者達は、宿に戻ってきた主の対応に苦慮することになった。外傷や衣服の欠損は無いが、晴れないレミリアの表情は、その人外との邂逅のあらましを如実に物語っていた。
「見間違えるはずがない。あれは唯一神教徒のものでは、ない」
「ここで東洋人と言えば……華僑ですな」
「ああ、そうだ、華僑だ。思い出したわ。あのパーマストンが、清から領土を分捕って、それ以来、ロンドンに華僑がやたらと増えたんだ」
 レミリアはワインを水のように呷り、しばらく唸り続けた。
 結局、〝東洋人の吸血鬼〟という未知の存在に面食らっている間に、あの華僑には逃げられたのだ。追跡したが、地の利は向こうにある。再び蝙蝠に分散して、そのまま闇に消えた。
 老執事に、宿の主に幾つかサンフランシスコの移民事情を照会するように言い付けて、レミリアは身体をソファに沈める。考えなければならないことが多すぎる。
「かなり早い段階から、華僑はゴールドラッシュに加わっていたようです。その数、二万人は下らないかと」
 メモ書きに目を落としながら、老執事は淡々と子細を話す。
「ただ、すぐに先住民やメキシコ系などと同様に、採掘現場からは排斥されたようで。今では街の最下層を構成しています」
「これまで一度も華僑を見かけなかったのは、それか」
「財を成し得た者達とは、住む世界が違ったようですな」
 移民国家アメリカとはいえ、国民の主流を構成しているのはブリテン系だ。世界中から鉱夫が集まるサンフランシスコにおいても、その構図は変わらない。特に人種も宗教もまるで異質な華僑に、真っ先に敵意の矛先が向けられるのは、当然と言えた。その華僑の中の一人に、吸血鬼の娘がいた。
「いや……違う」
 吸血鬼は──〝ヴァンパイア〟は、スラヴの民の伝承によって生み出された欧州の怪物だ。世界各地にそれに類する者達がいるというのは聞いたことがあるが、彼らはレミリアなどの〝ヴァンパイア〟とは根源を異にする全く別の存在だ。そう、例えば。
「キョンシー……あいつは、〝ヴァンパイア〟という名を聞いて、そう答えた」
「聞き覚えはありますが……」
「中国の、吸血鬼のようなものよ。でも、キョンシーは蝙蝠に分裂したりはしない。ただの死体の成れの果てだからね。つまり、あいつはキョンシーではない。吸血鬼よ」
 レミリアは記憶を辿る。あの華僑の吸血鬼の言動を、一つ一つ精査する。
 夜になると動き出し、血を吸い、圧倒的な身体能力を有し、空を飛び、身体を蝙蝠に砕くことができる。だが噛み殺した人間は吸血鬼にならない。最後まであの白人の死体が動き出すことはなかった。
 不完全な、吸血鬼。
 〝まるで、吸血鬼みたい〟
 彼女の言葉が脳裏で鮮明に響き、レミリアは思わず呻いた。
「あいつには、自分が吸血鬼だという自覚が、無い」
 従者達は、信じられないと、互いに驚愕に歪んだ顔を見合わせていた。


 翌日、日が落ちる前に、レミリア達は一昨日の酒場の扉を開いた。まだ開店準備中だったが、強引に押し入った。
「これは……いらっしゃいませ」
 もう拝めないだろうと思っていた金蔓の顔に、主人は言葉を選ばざるを得なかった。
「前と同じものを」
「……かしこまりました」
 カウンターに立つ彼の眼前の席を選び、レミリアは仰々しく腰掛ける。客が一人もいないのと、今度は従者達がレミリアの背後で侍っている点以外は、ほとんど先日の再現だった。
 琥珀色の液体がグラスに注がれる。
「この前は悪かったわね」
 そう言って、レミリアが札束を机の上に差し出したのを見て、彼は似合わぬ素っ頓狂な顔を浮かべることになった。瞬きの多さが彼の困惑を物語る。
「例の、吸血鬼の話への追加料金よ」
「は、はぁ……よろしいのでしょうか」
「受け取って。私の尊厳のためにもね」
 恐る恐る札束を手にした主人は、ざっと枚数に当たりをつける。一日の総売上を軽く上回りかねない金額だ。だというのに、レミリアは涼しい顔でブランデーを舐めていた。
「本題はこれから。更に踏み込んで、あの吸血鬼のことを教えて欲しいの」
「私にわかることでしたら、いくらでも。しかし、何故ですか。昨晩、犠牲者がまた出たというのは……」
「貴方が持っている札束には、余計な詮索をするなという言い付けも含まれているのよ。ああ、あと口止め料も」
「……失礼致しました」
「知っていることは全て話しなさい」
 全てを見透かされそうなレミリアの真っ赤な瞳に、主人は思考を放棄した。抗うのは無駄だと直感したからだ。
「〝最近の犠牲者には吸血痕があるとか〟──貴方の台詞よ。これはつまり、ある時点より以前では、吸血痕は無かった、ということでいいのかしら」
「ええ、確かにその通りです。確か、一週間ほど前でしたかな、犠牲者に二つの牙を突き立てられたような傷がありまして。本当に吸血鬼だと、皆が騒ぎ始めました」
「それより前は」
「タチの悪い通り魔のようなものかと思っていました。当初から吸血鬼だと信じていた者達も、多くいましたが」
「その者達とは」
「欧州系の移民や貧困層です。彼らにとって、吸血鬼とは馴染み深いものですから」
「そう」
 レミリアは思考を巡らす。自己の中の仮説に合致する確証を探す。
 吸血鬼とは、人々の信仰や伝承という形のないモノによって形作られた〝そうらしいもの〟だ。本質としては人間よりも精霊や妖精に近しい。条件さえ揃えば、そこに吸血鬼は〝発生〟する。
 そして、ここは生まれたばかりの化外の都市サンフランシスコ。鉱夫達の溢れる生気を喰らう土着の化物など存在しない。ヘドロのように急速に蓄積された命の息吹が、自らを消化する上位構造体を産み落としたとしても、不思議は無い。
「最後に、もう一つ。貴方は……いえ、貴方達キリスト教徒は、華僑達に何を思う?」
「中国人、ですか。……薄気味悪い連中ですな。我々とは、何もかもが違います」
「ありがとう。十分よ」
 レミリアは立ち上がる。グラスは空になっていた。薄紫のワンピースを翻す。
「私達がここに来たことも、何を聞いたかも、一切が他言無用よ。その分の報酬は支払った。肝に銘じなさい」
「……またの御来店を」
「思ってもないことを言うものではないわよ」
 扉を開けて、老執事から日傘を受け取ったレミリアは、最後に張り詰めた表情を解いて、酒場の主人に微笑んでみせた。
「ただ、これだけは街の者達に伝えてもいいわ。もうこの街が、あの吸血鬼に跋扈されることはない、と」
 ──あの吸血鬼の本質は三つだ。
 一つは、とある不幸な華僑の娘。
 一つは、キリスト教徒の華僑達への忌避。
 一つは、移民達が持ち込んだ吸血鬼伝説。
 サンフランシスコという細胞群体が持て余した濃密な精気は、三つの核を繋ぎ合わせる肉体となり、とあるキメラを産み落とした。
「それが、あいつ」
 華僑の吸血鬼も、仕組みがわかれば未知の存在でも何でもない。ただの未熟な小娘だ。
 レミリアは、今日、太陽が落ちたら、彼女に引導を渡すと決めた。今宵は、満月だ。


 静寂の音がする。重厚な、真夜中を支配する音だ。
 それを慰めるように、あの吸血鬼は陽気に異国の言葉で歌っていた。意味はわからなかったが、綺麗な声音だと、レミリアは素直に感嘆した。
「ご機嫌ね」
「私の故郷の歌なの」
 彼女は、突如として暗闇から現れたレミリアに慌てることなく、屋根の上から彼女を見下ろす。夜風にたなびいた赤毛が、月明かりで妖しく映えていた。
「レミリア、だったっけ。貴方の名前」
「そうよ。お前は?」
「紅美鈴。両親はそう呼んでいた」
「ホン・メーリン、か。吸血鬼には相応しくない名前ね」
 美鈴と名乗った少女の背中には、一対の蝙蝠の翼が生えていた。レミリアのそれよりは拙い造形であったが、確かに吸血鬼の翼だ。
 賎民如きに見下されるのは癪だ。レミリアは自身の翼をはためかせ、暗く澄んだ空に舞い上がる。
「お前の事情のおおよそは察した。数奇な運命もあったものね。同情ぐらいはしてあげるわ」
「私、吸血鬼になっちゃったんだね。貴方と会って、ようやく知った」
 吸血鬼紅美鈴は、吸血鬼としての自覚を以て完成されたのだ。
「東洋人の吸血鬼。剥製を大英博物館にでも飾れば、さぞ見物客が見込めるだろうに」
「苦しいのは、嫌。もう、泣きたく、ない」
「怪物の頂点になったんだ。大の男に暴力を振るわれようと、容易く返り討ちにできるさ」
「貴方は」
「言っただろう。虐めはしない」
 満月から煌々と降り注ぐ月光を背中に浴びて、レミリアは胸が空くような爽快感に震えた。いい夜だ。とてもいい夜だ。
「虐めはしないが、鉄槌は下す。お前は些か、吸血鬼の品位というものに疎すぎる」
 美鈴から見れば、レミリアの姿は月明かりに輪郭がぼやけて、凄まじく尊大なものに思えただろう。彼女の表情は強張っていた。それでいい。夜の王が、成り上がりと伍する必要は無い。
 レミリアは一つ大きく深呼吸をする。吐き出された息の終わりが、獅子のように荒々しく震えていた。
 瞬間、レミリアの両手から、血飛沫の如き真っ赤な霧が猛々と吹き出した。
 放たれた龍のような赤い濁流は、左右に伸び、うねり、その長い躰で美鈴を大きく囲う。二つの霧の先頭が美鈴の後方で衝突すると、今度は周囲に瀑布のような赤い霧の壁が展開された。さながら、血のカーテンだった。唯一塞がれていないのは、月が輝く上空だけだ。
「特製の結界よ。この中でなら、どれだけ暴れて抵抗したっていい」
「……上が、塞がれていないけど」
「逃がしはしない。ただ、月とは吸血鬼にとって力の根源。せめてもの慈悲と思いなさい」
 レミリアを睨みつける美鈴の双眸は、月の光を受けて黄金に輝いていた。犬歯はナイフのように鋭利な牙と化し、翼は今にも敵に飛びかからんと大きく翳される。
 サンフランシスコが吸血鬼を求めたのならば、美鈴がその生贄の配役を受け入れたのは、生を渇望していたからこそかもしれない。彼女は望まない運命を否定し続ける。その明確な意志が美鈴にはある。
 にぃっと、レミリアは口角を歪ませる。気に入った。その生き様に免じて、全力で矜持を打ち砕いてやろう。
「こんなにも月が綺麗だから、本気で殺すわよ」
 せいぜい足掻け、半端者の吸血鬼。
「楽しい夜になりそうね」
 ──夜に、魔力を、振るう。
 レミリアを中心にして上下左右に、根が広がるように、赤い血管が伸びて空を覆う。ある一点まで瞬く間に膨張された血液は、深緋色の水晶状の弾丸に凝縮し、一斉に美鈴に襲い掛かった。
 地面が、屋根が、粉砕される。土煙すらも赤色に引き裂かれる。魔力を惜しむことなく、レミリアは何波にも重ねて弾丸を撃ち込み続ける。轟音が街の悲鳴になる。
 だが、美鈴はその豪雨の中を、狼のような身のこなしで巧みに避け、疾駆していた。一瞬、天を見上げた彼女は、浮遊するレミリアに向かって、血で精製した短刀を何本か投擲した。昨晩にレミリアが放ってみせたものと、全く同一であった。
「利口な小娘ねッ」
 レミリアは身を捻り、飛来する刃を避けると、そのまま美鈴に向かって急降下する。隼の如き速度だった。
 赤い隕石は煉瓦を砕き、間一髪で避けた美鈴に無数の破片が襲い掛かる。反射的に狭められた彼女の視界の中では、おぞましく悪魔のように変形したレミリアの片手が、土煙の中から迫っていた。
「呑気に身構えている余裕があるのかしら!」
 美鈴が後方に跳躍して回避すると、レミリアがもう片方の手で追撃する。
 すぐに美鈴は追い詰められ、圧倒的な腕力で殴りかかられるレミリアの拳を、決死の覚悟を以て掌で受け止めねばならなかった。
 すかさず切り裂かんとレミリアが振るったもう片腕を、直前に掴み制止する。
「昨日までは吸血鬼だという自覚すら無かったのに、よくやる! そんなに、生き延びたいか!」
「当たり前……だッ!」
「何が、お前を突き動かしている!」
 美鈴は全力でレミリアの軸足を蹴り、少しだけ彼女が体勢を崩したのを見計らって、地面を蹴ってレミリアの間合いから離脱し、間髪入れず逆襲する。美鈴がそう望めば、彼女の指先は、目の前の吸血鬼と同じように、禍々しく鋭く変化した。
 剣同士が衝突したかの如き金属音が、幾度となくサンフランシスコの夜に響き渡る。
 レミリアは、美鈴から見れば余りにも格上の吸血鬼だ。そんな相手と殺陣を演じようというのに、美鈴は考えずにはいられなかった。夢の街で夢に見捨てられた自分が、吸血鬼にまで堕ちても尚、求めるものとは何か。
「それはッ……私はッ……」
 全身にできた切傷の激痛に顔を歪めながら、美鈴は叫ぶ。
「生きてッ……! ──もう一度ッ、光を、浴びたいッッ!」
「吸血鬼らしからぬ、最低の回答ね!」
 両手を大きく振るい、美鈴を突き飛ばしたレミリアは、夜空に跳躍し、膨大な魔力を右手に集中させる。鮮血のような真っ赤な眩い閃光が、おどろおどろしく槍状に収束していく。
 地面を転がり、空を見上げた美鈴は、その様を、死を、目の当たりにした。
 あれこそは、神槍、グングニル。
 それが、レミリアの手を離れ、自分に向かってくる。
「あああッ!」
 恐怖に突き動かされた美鈴は、身体を無数の蝙蝠に分散させる。
 グングニルの生半可ではない威力と衝撃は、何匹もの美鈴の分身を容易く消滅させたが、生き残った大半の蝙蝠は、一目散に上空に逃げる。満月に縋る。
「逃しはしないと言ったァ!」
 だが、その微かな希望は容易くレミリアに手折られた。
 レミリアも身体を蝙蝠に砕き、奔流のような漆黒の群れが、敗走する美鈴の蝙蝠達に襲い掛かる。蝙蝠の数も力も速さも、レミリアの方が上だ。レミリアの蝙蝠は美鈴の蝙蝠に牙を立て、次々と噛み殺していく。
 美鈴の蝙蝠の群れが、断末魔を叫び、強制的に人の形に収斂させられていく。
 そして、空を飛ぶ力も失い、屋根に墜落した美鈴の首筋には、少女の形に戻ったレミリアが、喰らいついていた。
「嫌だぁ!」
 死を直感した美鈴が、泣きながら叫ぶ。血を、命を吸われる感覚に全身が戦慄く。
 もはや押し返す力も無い。されるがまま、走馬灯に身を委ねるしかなかった。
 自身の奥底で何かが蠢く。
 ──だが、いつまで経っても美鈴の意識は手元にあった。
「お前の吸血鬼としての本質を喰らい尽くした」
 レミリアの声に、美鈴は閉じられていた重たい目蓋をこじ開ける。彼女の口元には、大量の血液が付着していた。
「お前に残ったのは、華僑に対する畏怖が具現化した異能だけよ。紅美鈴は、もう吸血鬼ではない」
 ひどく現実味の希薄な浮遊感の中で、美鈴はレミリアの言葉が真実だと認めた。全身を支配していた吸血衝動は、霧散していた。
「じゃあ、私は……」
「光を浴びても、灰になることはない」
 美鈴は静かに歓喜した。口元が喜色に歪んだ。だが、同時に疑問も湧いた。何故、レミリアはここまでしてくれるのか。
「同時に、私の運命を操る能力を行使した」
 地面に寝そべったままの美鈴の顔に、意地悪な表情を浮かべたレミリアが迫る。嫌な予感に美鈴は苦笑いを浮かべるが、果たしてそれは正しかった。
「今、英国貴族の間では、使用人を雇うのがステータスシンボルになっているの。知ってる?」
「いや……」
「英国人の使用人が主流の中で、東洋人の、しかも人外のメイドなんて珍しいと思わない?」
「……つまり」
「ここで私に嬲り殺しにされる運命を、私のメイドとして死ぬまで働く運命に改変したわ」
 無慈悲な宣告に、美鈴が異議を申し立てる余地は無いようだった。
 感謝しろと言いたげなレミリアの、新たな主人の笑顔に、美鈴は、この先苦労しそうだなと、溜息をついた。
 だが、あの荒屋で孤独に凍えることはもう無いのだと、前向きに考えることにした。それはとても幸福なことに思えた。
 
 
 
 紅美鈴がレミリアのメイドになってから、一世紀と少しが経って、使用人達を統括するメイド長にまでなった頃、レミリアが新しい人間を連れてきた。
 主人によって十六夜咲夜と名付けられた少女は、レミリアの指示により、完全で瀟洒な従者として教育された。
 咲夜は、周囲の期待に見事に応えてみせ、見事にメイド長の立場を美鈴から奪い去ってしまった。
 そして、吸血鬼としての本質は失っても、妖怪ではあった美鈴は、その腕を買われ紅魔館の門番になった。
 咲夜は美鈴の処遇に思うところがあったが、当の本人はすっかりこの職分が気に入ったらしい。
 何とも言っても、晴れた日には一日中、暖かい陽の光を浴びることができるからだ。

 ※ ※ ※
 
 あと20kbぐらい欲しいなあとは思いつつも、50kbは、多分、書き上げられなかったと思います。
はつ♂
http://twitter.com/EarlyFallMale
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コメント



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1.10アメリカ探索者削除
素晴らしいテンポがよく、分かり易く時代にしっかり溶け込んだ、お話でした
2.10百円玉削除
とびだせ一二三^^
や、面白かったです。とてもとても。アクションシーンは言わずもがな、酒場や船を降りるシーンなどの平生な描写もとても魅力的で、ずっと読んでいたくなるような文章でございました。
思うに、整然とした言葉遣いの賜物が、こうした魅力へと錬成されているのでしょう。互いを信頼し合う人と馬のような、気高い信頼で繋がれているかの如く言葉を巧みに操っているかと思うのですよ。つまりはお上手、なのです。
『アメリカ』というお題の使い方としてはストレートで、それでいてレミリア嬢を出演させることでお話しに説得力もあり、やはりレミリア嬢の使いやすさは調理で言うところの万能調味料ほどの域まで達しているのかも。ケチャップかな? ソイソースかな?
「彼女は夢の成れの果て。夢の陰。夢の亡骸」の部分が良い暗示になってますね。後々語られる因子が収斂されていて。面白いです。
あとは、確かに、もっと長く読みたかった!w それでも素晴らしくまとめられているかと思います。
読みながら、華僑吸血鬼の正体が誰か分からず、美鈴の存在をとんと忘れていたことはナイショ。
3.8がいすと削除
うめぇ(溜息
驚きのうまさ。
見事な開拓時代ものの世界観に落とし込めている。レベルの非常に高い作品になっている。

惜しむらくは、砂金が後半においてあまり関係性を持たなかった点と、あと20kbは欲しかった点であろうか。
人種差別的なところから吸血鬼が生まれる、という筋自体は良いのだけれど・・・
いや、しかしながらロンドン吸血鬼シリーズってこれ面白いのが出来そうな気がヒシヒシします。
4.10がま口削除
お見事! かっきり30kbで素晴らしい過去編を紡がれましたね。
よく練られた時代考証と、流れる水のようにスムーズで読みやすいストーリー。
キョンシーの単語に「芳香が出るのか?」と思ったら、まさかの美鈴登場に思わずうなってしまいました。
とても面白かったです。
5.10ししとう削除
美鈴吸血鬼説の設定はよく考えられていて、話を簡潔にも十分に纏めている所もすごく良かったと思います
6.6名無し削除
最初は吸血鬼は咲夜さんかと思ったが、美鈴だったという意外性を評価して加点。
7.8ななし削除
面白かったです
8.6烏口泣鳴削除
冒頭のサンフランシスコに降り立つ場面が大変良かった。
9.7エーリング削除
会話から溢れ出るカリスマ。好物です。とにかくレミリアが格好いいですね。美鈴の話だと思っていなかったので、最後のオチには驚きました。しかし、本質を食らうという力が特に説明なく出てきたのは少し唐突な感があったかもしれないです。
10.4みすゞ【5点満点】削除
この世界観が良いです。読みやすくて好みの文体だし、序盤からすごく好きなお話になりそうな予感がありました。ただ前半に比べて後半の展開は急ぎ過ぎな印象で、もう少し構成を工夫出来なかったのかなと思ってしまいます。例えば酒場の主人の話を二回聞いたり吸血鬼美鈴と二回戦ったりは二度手間じゃないでしょうか。長編ならともかく短編でやることではなかったと思います。
11.8ito削除
すごい。30kbでここまで書けるのか。
冒頭の港のシーンでこれから何が起こるのかとわくわくして、そのまま一気にラストまで読みました。
作品を構成する要素が過不足無くまとめられていて、容量分以上の読みごたえでした。
レミリアが吸血鬼としての本質を喰らい尽くすことができる、と言う箇所だけ唐突な感じがしましたけれども。
それにしてもすごく贅沢な作品ですね。バトルシーンが二度もあり、しかも両方に迫力がある。
ミスリードも素晴らしい。
私、通り魔の正体はやはり「人外の使用人でもいれば」とか、最初のバトルから違う人間を想像していたのですが、
キョンシーや赤い髪との単語から他の人物ではないかとも考えながら読める。
全てが明かされた後の後書きの文もうまく決まっていて、おもしろかった。
レミリアかっこいいですねえ。
あと、酒場のおじさんのキャラクターが自然で好印象。
12.2矮鶏花削除
英国貴族レミリア。そのオリジナル設定が機能しているとは感じられませんでした。単語の上では確かにアメリカであっても、サンフランシスコの吸血鬼を指してイーストエンドの貧民と比するような描写で描かれる世界は、どこかちぐはぐな印象を受けます。それを味とするには、レミリアの設定の描き方、あるいはキャラクターが弱い印象。イギリス海軍とコネがある。等という事実はわかりますが。
少なくとも、レミリアの設定や、アメリカを舞台にしたことがストーリーにおいて有効に働いていると感じられなかったのは確かです。
13.5あらつき削除
いまいち、サンフランシスコが舞台になっていることが活きていないと感じた。
文章も構成も読みやすく、物語自体も悪くない。その点を評価させて頂きました。
14.5みく削除
キョンシーのミスリードは良かったと思います。こちらも最初読んでいて芳香かなと思ったので。「美鈴は何の妖怪なのか?」に対する解釈も良かったです。
反面、レミリアがわざわざサンフランシスコへ出向いてまで見たかった人間の欲や、ゴールドラッシュの話が後半消えてしまい、よくある紅魔館の出会い話に落ち着いてしまったので、若干肩透かしを食らった感がありました。
15.8ナルスフ削除
なるほど、ヨーロッパ出身のレミリアと中華系の美鈴の接点は一体どこだったか。
人種のるつぼ、アメリカで出会った、と考えるのもなかなかしっくりきますね。
アイディアもさることながら、執事や酒場の主人など、脇を固める男性陣の醸す渋い感覚がなかなか好きです。
ゆっくりひなたぼっこしてくれ、美鈴。
16.7deso削除
舞台も話も面白いけれど、作者さんが言うとおり足りない。
短編向きの題材じゃないように思います。
もったいないなあ。
17.10文鎮削除
ルーマニア生まれのレミリアと中国から来た美鈴の邂逅。楽しませていただきました。
まさに世界中から人と欲望が集まるアメリカならではのお話ですね。
サンフランシスコも霧の街ですから、吸血鬼の噂が広まるにはうってつけだったのかもしれません。
美鈴が紅魔館の門番である理由、太陽の光を目一杯浴びることができる、というのも素敵です。
30kbという長さでも十分まとまっていたと思いました。
18.7あめの削除
文章がお上手。羨ましいです。
話の内容もすごく興味を惹き、とても面白かった。
のですが、やはり容量的な問題で最後が駆け足になっていたのがもったいない。
アメリカの歴史を背景に、レミリアと美鈴の出会いを物語として描いた発想力と構成力は見習いたいものです。
それにしても、華僑の娘と言われて、美鈴だと気づけなかった自分の鈍感さたるや……。
19.6めるめるめるめ削除
ゴールドラッシュのアメリカの雰囲気がありますね。実際に当時を知るはずは無いのですけど、らしさがあってよかったです。
レミリアにもらしさがあって、これも好感触でした。
20.6このはずし削除
タイトルからして、西海岸にいた頃のスカーレット姉妹の話なのかなーと思ったのですが、内容は予想よりも大胆なストーリーでした。
あとがきにも書かれてますが、30kbで終わらせてしまうにはちょっともったいないとも思いました。いつものコンペなら……。
21.6名前無し削除
取り急ぎ、点数のみで失礼します。
22.6白衣削除
これは前半いいアメリ感。で、あるが故に後半の駆け足が残念。kb上限撤廃ででフル版を見たかったです。
23.8K.M削除
容量ギリギリ、お疲れ様です。時代背景や舞台が楽しい作品でした。