第十四回東方SSこんぺ(絆)

ふたりの絆の概算

2014/09/14 22:55:07
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 紅魔館の地下図書館には、そのさらに地下へ続く石階段があった。大昔、地上に紅魔館を建てた時に一緒に造られたものだそうだが、当時から滅多に使われることが無かったようで、少し昔までは、埃と蜘蛛の巣と、じめじめとした湿気によって、大変不快な空間となっていた。美鈴と咲夜が入って来てからは多少手入れもされるようになったが、そうでなければ階段を見ただけで踵を返したくなるものだったのだ。
 だがその地下へ向かう階段を、踵を返すことなく先へ進む足音があった。足音は二人分。こつこつと石階段を響かせて、ゆっくりと奥へ足を進めている。それにしても覇気のない足音だ。気怠そうに、嫌々そうに、断じて言えば、今すぐにでも帰りたいという意思がはっきりと感じ取れるものだった。

「ねえ、本当にフランが何か知っていると思っているの?」

 先に口を開いたのは、やや湿り気のある声の少女だった。彼女は不機嫌という言葉を体現するかのような顔で、もう一方の足音の主を睨み付けている。

「さあな。でも、何も知らなかったとしても、フランは無関係だったという情報は得られる」

 対したのはさっぱりした声の少女だった。こちらの顔も不機嫌そうではあったが、しかしこちらは既に諦めている節が感じられ、敢えてもう一方に視線を向けたりはしなかった。あるいは、先ほどから続く口論に疲れて、付き合う気が起きないだけかもしれない。

「馬鹿みたい」

 と、少女は言った。

「そっちこそ」

 と、もう一方の少女が言った。

 二人は共に魔法の道を歩む者たちだった。だがそれ以外はまったく正反対な少女たちであり、扱う魔法の種類もそうだが、性格も正反対であったし、考え方も正反対であり、今こうして共に行動しているのが不思議なくらいだったのだ。互いに相手のことを疎んじ、軽んじ、あるいは侮蔑さえしていた。何とか相手を出し抜こうと知恵を働かせ、弾幕ごっこに興じ、そして隙あらばまた罵り合った。
 しかし今、そんな真逆な少女たちはこうして同じ道を歩いている。

(ちっ、何でこんなことになってんだ……)

 同じ想いをもう一方の少女が抱いていたことを、彼女たちは知らない。知る必要もないことだったし、知りたくもないことだった。
 そして知らないからこそ、どこでどう間違ってしまったのか、同じように思い出そうとしていた。


  ◆


「だから、知らないって言ってるでしょ! なんで勝手に決め付けるのよ!!」

 その時、静寂を破る怒鳴り声が、あたり一面に響き渡った。場所は紅魔館が地下魔法図書館。常ならば言葉を発することが罪であるかのような、無音の空間が広がっているはずの場所だった。
 怒鳴り声の主はこの部屋の番人と化している魔女、パチュリー・ノーレッジ。これもまた、常ならば置き物とさして変わらない静けさを保っている人物なのだが、どうやらいつもとは様子が違うらしい。
 そしてその原因は、彼女が相対している白黒の魔法使いにあった。

「知らないわけないだろ! あんたじゃなきゃ誰が盗ったっていうんだ!!」
「だからそれこそ私が知るわけないでしょ!? ったく、すぐに他人を疑って、その前に自分の脳味噌が正常かどうか疑ってみたら?!」
「はあ? あんたの青かびだらけの古臭い脳味噌よりは上等なつもりだよ! そっちこそ自分の状況よく分かって物を言ってるのか?」

 白黒の魔女、霧雨魔理沙。日頃より明るく男勝りで、ともすれば大雑把でガサツとも見られている少女である。だが、ここまで激しく怒鳴り散らすのはあまりないし、当然彼女が激昂しているのにも理由があった。
 二人の言い合いは終着点を見いだせぬまま迷走する。互いが互いに己の正しさを主張し、相手の不徳を責め立てる。このまま弾幕ごっこに発展しようとしていた時だった。

「なんだ、なんだ。パチェが大声出すなんて珍しいじゃないか。上の階まで聞こえたぞ」

 突然、二人以外の声が聞こえた。一瞬の間の後、まるで初めからそこにいたかのように二つの影が現れる。この紅魔館の主であるレミリア・スカーレットだった。小さな形だがこれでも数百年物の吸血鬼で、年季の入った熟成された力と、外見に合った子供っぽい頭脳を併せ持っている。その横には便利で有能な従者、十六夜咲夜が侍っており、彼女はパチュリーと魔理沙の二人を不思議そうに眺めていた。
 二人とも、普段はなかなか聞けないパチュリーの怒声に好奇心をくすぐられ、事情を聞きにやって来たらしい。ちなみにレミリアの自室は二階だが、吸血鬼の耳なら地下図書館の音はぎりぎり聞こえるとのこと。

「レミリアたちも聞いてくれよ。パチュリーの奴、私の大切なミニ八卦炉を盗みやがったんだ」
「八卦炉?」
「私がいつも持っているマジックアイテムだよ。この図書館に置いてあったのに。戻ってきたらパチュリーが盗んでいたんだ」
「何言ってるのよ、魔理沙。私は知らないって言っているでしょう?」

 パチュリーが魔理沙の説明に割って入る。それでレミリアは状況を理解した。八卦炉を盗ったか盗っていないかで揉めているようだ。

「でも、状況からみて犯人はパチュリー以外に考えられない。図書館は密室だったんだ」
「密室?」
「大事な魔法実験をしていたのよ。魔理沙なんかに引っ掻きまわされちゃ堪らないから、図書館の入口の扉に鍵をかけたの」

 パチュリーはぼそっと補足の説明をする。するとレミリアは首を傾げた。

「入口に鍵なんかかかってなかったぞ? というか扉は吹き飛んでいた」
「魔理沙が扉ごと壊して入ったのよ。……もう実験もめちゃくちゃだわ」
「何がだよ。ただの属性魔法じゃないか」
「属性魔法はすべての基礎よ。それにいつもは古くさいといって馬鹿にするあなたが、なんで今回の実験には参加しようとしたのよ」
「それは……次にやろうと思っている私の実験に必要だったからだよ。新しい属性魔法をつくるんだ」
「ふん。基礎が出来ていない人間にそんなことができるものですか。それに属性は七つで完全なの。新しいものなんて有り得ないわ」
「やってみなきゃわかんないだろうが。そうやって埃まみれの本に囲まれているから、頭の中も埃まみれになるんだ」
「なんですってぇ……?!」

 おいおい。なんでまた喧嘩になるんだ。あまりに要領を得ない説明に、レミリアは小さく溜め息をついた。この魔女たち、似た者同士なくせして日頃から折り合いが悪いのだ。近親憎悪、というやつかもしれない。
 ともあれ、喧嘩させっぱなしでは収拾がつかない。レミリアは再度二人を促して、事情を最初から説明させることにした。
 まずはパチュリーが口を開く。

「私はその時、この図書館で属性魔法の実験をしようと準備を進めていたの。随分前から計画していたもので、私にとってはとても大切な実験だった」

 しかし、そこに予期せぬ邪魔者が入った。例の如く勝手に図書館に入ってきた霧雨魔理沙だ。彼女はパチュリーから魔法実験の話を聞くと、自分も混ぜろと言って迫ってきたのだ。
 当然パチュリーは断った。実験は突然入ってきた魔理沙に出来るようなものではないと思ったし、普段は属性魔法を馬鹿にするくせに、いざ必要となると自分を頼ろうとする彼女には大いに腹が立った。

 かくして意見の違いから二人は激しい口論になる。しばらく同じように罵り合っていたが、結局押し通したのはパチュリーの方で、彼女は魔理沙を図書館から追い出すと、扉を締め切って鍵をかけてしまったのだ。

「でも私は、帰る途中で図書館にミニ八卦炉を忘れていたことを思い出したんだ」

 魔理沙がそれに気付いたのは、紅魔館の門のところまで来てからだった。慌てて引き返すが、しかし扉には鍵がかかっている。それをドロップキックで強引に破壊して、八卦炉を取り戻そうと室内に飛び込んだ。しかし心当たりのある場所を探しても、八卦炉の姿はどこにも見当たらなかったのだという。

「私はこのテーブルの上に八卦炉を置いていたんだ。属性魔法の資料をパチュリーが作ったって言ったから、その資料を見ていた。でもパチュリーが邪魔だから出ていけって言い出して……」
「なんでまた机の上になんか置くんだ。大事なものなんだろう?」
「私はいつも、不測の弾幕ごっこに備えて、八卦炉はこの右手にずっと持っているようにしてるんだ。だけどそれじゃあ資料が見られないから、この机の上に置いた」

 魔理沙はなぜか自慢げに胸を張った。いつでも即座に弾幕ごっこに対応できる知恵なのだと言いたいのだろう。しかしそれで肝心の八卦炉を盗まれてしまったのだというなら、何というか、本末転倒な話である。

「図書館にはパチェの他に誰もいなかったのか」

 レミリアはやや呆れ気味にパチュリーへ尋ねた。パチュリーもレミリアと同じように思っていたのか、気怠そうに首を振った。

「ええ。私ひとりだった。使い魔も呼ばなかったから」
「魔理沙が図書館から門までの道中で落としたとは考えられないか」

 それはあり得ませんわ――と、レミリアの推理を否定したのは彼女の従者である咲夜だった。目を向ければ、今まさに咲夜の姿が浮かび上がってきたところであり、また時間を止めてどこかに行っていたのだろうと思われた。現れたばかりの彼女は主に向けて申し訳なさそうに言う。

「その通路なら、今朝から私の部下がちょうど掃除をしていました。彼女たちはそんなものは見ていませんし、魔理沙が図書館から出てまた戻ってくるまで、怪しい人物も見かけなかったと聞いています」

 今聞いたばかりの話なのにやけに詳しいが、咲夜いわく話の途中で先が読めたので、時を止めて部下に話しを聞きに行ったのだそうだ。さっきぶわっと出現したのはその為なのだろう。
 レミリアは有能な従者に続けて尋ねる。

「その妖精メイドの誰かが嘘をついている可能性は? 犯人と協力していた可能性、その妖精メイド自身が八卦炉を失敬した可能性は」
「……共犯は、ないと思いますわ。身内贔屓かもしれませんが、あの子たちが私に嘘をつくとは思いませんし、私が見抜けないほど高度な嘘をつけるとも思えません」
「落としていたものを妖精メイドが盗んだ、という可能性もないぜ。八卦炉は魔力が強力すぎて妖精じゃ持つことも出来ないんだ」
「それは間違いないのか」
「八卦炉は術者の精神力を食って魔法の力に変えるマジックアイテムだ。慣れた術者なら食われるエネルギーをコントロールできるけど、そうじゃないと八卦炉に精神力を食われ過ぎて持っているだけでふらふらになってしまう。妖精じゃあ二、三分が限度だろうぜ」

 つまり図書館に置き忘れたものをパチュリーが盗んだとしか考えられないのさ、そう言って魔理沙はじろりとパチュリーを睨む。レミリアがやれやれと肩を竦めた。

「たしかに状況はパチェに不利だな。しかし決定的な証拠もないんだろう?」
「あたりまえよ。盗ってないんだから」
「でもこの屋敷の住人でマジックアイテムに興味があるのはあんただけだろ」
「興味ないわよ。あんな不細工なマジックアイテム」
「なんだと! あれは香霖がなあ……」

 魔理沙は熱り立ってパチュリーに詰め寄った。再び口論になりかけると、いい加減呆れ果てていたレミリアが割って入った。魔理沙の肩を掴んで、詰め寄ろうとした体を止めさせる。

「まあまあ。落ちつかないか、魔理沙。パチェが犯人だとしても奇妙なところがあるぞ?」
「どこがだよ?」
「密室だ。パチェが犯人なら密室をつくる意味がない。自分が犯人だと言っているようなものだからな」
「それは……」

 そう言われてみれば、そうなのである。もしパチュリーが盗んだのなら、誰にでも実行可能なように見せた方が合理的だ。わざわざ自分が疑われるような状況を犯人が作るとは思い難い。
 魔理沙はパチュリーに続けようとしていた罵りの言葉を、一時胸に仕舞う。

「パチェは真犯人に罪を擦りつけられた可能性がある。もしそうだとすればパチェだって被害者だ」
「でも私は大事な八卦炉を盗まれたんだ!」
「パチェが犯人であるという可能性もあれば、お前がそもそも八卦炉を持ってきていなかったという可能性もある。私にとってはどちらも同じ可能性だ」

 こんな風に言われては、威勢のいい魔理沙の言葉も行き場を失くして詰まってしまう。間違いなく持ってきたはずだが、第三者に証明する手段を持っている訳ではない。無論、調べに帰れば分かることだが、それではまるで自分の非を認めたようで、今の魔理沙の精神状態では出来るはずがなかった。
 そして魔理沙が黙ってしまった隙に、この小さな吸血鬼はとんでもない提案をした。

「そうだ。お前たちで事件の真相を解いてみたらどうだ? 互いに自分の主張が正しいと思っているのなら、自分でそれを証明してみればいい」
「えっ」
「魔理沙はパチェが犯人であるという証拠を。パチェは自分が無実であるという証拠を。それぞれ見つければいいんだ」

 いい考えだろ、とレミリアは大袈裟に頷いた。急な展開にパチュリーと魔理沙も慌てる。だがレミリアは、更にとんでもないことを言ってみせたのだ。

「そうだ。いっそのこと二人で共同捜査にすればいいじゃないか。それなら何の後腐れもないだろう」
「ちょっと待ってくれよ! なんで私がこんな根暗なやつと……」
「私だってあんたみたいな単細胞とは……」
「よしよし決まりだ。犯人が見つかったら私にも教えてくれよ。頑張れ」

 かっかっか、とレミリアは笑った。そして咲夜に目配せをすると、来た時と同じく、まるで初めから居なかったように姿を消した。咲夜に時を止めて運んでもらったのだろう。レミリアは言うだけ言って反論の機会を許さず、さっさと去って行ってしまったのだ。
 残されたパチュリーと魔理沙は、互いに困惑の視線を交し、レミリアの勝手に憤る。この時ばかりは心を同じにして、二人は嘆きの溜息を吐いた。


   ◆


 そして物語は冒頭に戻る。パチュリーと魔理沙は互いに悪態をつきながら石階段を下っていた。目出すのはレミリアの妹、フランドール・スカーレットの部屋である。彼女は姉の不興を買って地下室に幽閉されている身の上なのだ。噂によれば、何百年も前からその部屋に閉じ込められ、一度も出たことが無いのだという。

「無駄だと思うけどね。私は」

 後ろを歩いていたパチュリーが、魔理沙の背中へ投げかけるように呟いた。かちんと頭にきて振り返る魔理沙。何度も話し合っただろ、と苛立ちを露わにした。

「まずは聞き込みをして情報を集める。さっきはパチュリーだって納得しただろうが」
「納得なんてしてないわ。ただあなたがあまりに煩いから、先を譲ってあげただけよ」
「だったら今更ぶり返すなよ、面倒臭い。だいたいパチュリーが素直に白状すれば、こんなことする必要もないんだ」
「だから私じゃないって何度も言って……」

 パチュリーは否定の言葉を言いかけて、しかしすぐに徒労だと気づいて口を噤んだ。どのみち何も得られはしないのだから、密室の謎を解くのは、先ほど決めたようにフランドールの話を聞いてからでもいいだろう。パチュリーそう思い、軽く肩を竦めた。

 レミリアから共同捜査の指示を出されて、パチュリーも魔理沙も途方に暮れていた。とはいえ、いつまでも呆けているわけにもいかないので、二人は問題解決のための指針を打ち出すことにする。どちらも魔法を扱う者なので、頭を使うことはそれほど苦手ではない。しかし肝心の捜査方法を巡って、深い対立が起こったのだ。

「じゃあ早速、図書館の中を探させてもらうぜ。どこかに隠してあることは間違いないんだ」
「ちょっと、ふざけないでよ。部屋の中は実験のための魔法陣が敷いてあるんだから、勝手に荒らさないで。それにまだ私が盗ったって決まったわけじゃないでしょう?」
「じゃあどうすればいいんだよ。図書館は密室。容疑者はひとりだけ。この状況で他にすることがあるか?」
「密室の謎を解けばいいのよ。もし図書館が密室でなければ誰にでも犯行が可能だったということになるし、特殊な方法で密室を破ったのならば、その方法を持っている者が犯人ということになるわ」
「はっ、冗談じゃない。私はそんな面倒なことはごめんだね。日が暮れちまう。中を探した方が絶対に早いぜ」

 そうして二人の意見は平行線を辿る。どちらも自分の主張を曲げようとせず、また一触即発の空気になる。これでは本当に繰り返しだ。
 だが意外にも、先に降参したのは魔理沙の方だった。彼女は喉から出かかった罵声を瀬戸際で留め、ちっ、と悔しそうに舌打ちすると、明後日の方向を向いて深呼吸を繰り返した。そうして気を落ち着けて、再度パチュリーと相まみえる。

「……わかった。あんたがそこまで言うなら私も折れてやる。だけどやるのは聞き込みだ。紅魔館の住人に聞き込みをして怪しい奴がいないか探ってみよう」
「はあ? どうしてそうなるのよ。解錠のからくりさえ見破れば犯人はおのずと見つかるわ。八卦炉を盗んだという点から見ても、魔法に心得のある者が犯人に違いないんだから」
「そうとは限らないだろうが。だいたい密室の仕掛けなんて解く必要はないのさ。犯人を見つけてそいつに訊けばいい。もともと私は謎を解きたいわけじゃなくて、八卦炉を取り戻したいだけなんだから」
「ばかね。仕掛けが分かれば犯人もわかるって言ってるの。順番が逆よ」
「そっちこそ何を言ってんだ。聞き込みが一番の近道だろ。あんたが犯人じゃないというのなら、他に犯人がいるはずだ。そしてそいつはまだ近くにいるってことだろ。早く追いかけないと逃げられちまう。それとも何か。あんたしか犯人はいないって、動かぬ証拠が見つかってしまうのが怖いのか?」
「だから私じゃないって言ってるでしょ!」

 両者は再び睨みあう。だが、また罵り合いになることの無意味さは共に理解出来ていた。
 やがて魔理沙がうんざりしたように口を開いた。

「なあパチュリー。少しは妥協しろよ。図書館の中を探すのも駄目。住人に聞き込みをするのも駄目。あんたは自分が疑われているって自覚はないのか」
「どんなに疑われようが、私が犯人じゃないのは事実だもの」
「そう思ってるのはあんただけだって言ってるんだ。あまり強情になれば疑いが増すだけだぜ」
「くっ……」

 まるで聞き分けのない子どもを諭すように言い方に苛立つが、魔理沙の言っていることにも一理あるというのは、パチュリーにだってわかった。少しのあいだまだ躊躇ったが、やがてそれも仕方なしと同意を示し、捜査は聞き込みと密室の謎を解くのとで交互に行われることになったのだ。今は魔理沙のいう聞き込みの順番で、図書館に一番近いところにいるフランドールの元に向かっている最中だった。

 しばらく歩いてようやく最奥までやってきた。二人は巨大な鉄拵えの扉の前に立つ。この扉の向こうにフランドールがいるはずで、その扉には頑丈そうな鍵がかかっていた。パチュリーは自前の鍵で扉を開錠する。骨に響くようなノックを数回すれば、すぐに返事が返ってきた。
 二人は重い扉を開いて室内に入る。すぐに部屋の主たるフランドールの姿が目に入ってくる……。

「いらっしゃい。二人とも。……くすくす」

 フランドールは部屋の中央にあるベッドの上に座り、にやにやとした表情を浮かべて待ち構えていた。彼女の周りには絵本やスケッチブック、またはぬいぐるみなどが散乱しており、お世辞にも清潔に保たれているとは言い難い。とはいえ食事や排泄を必要としない吸血鬼は、人間にあるような生々しい生活臭さは一切感じなかった。

「あなたたちが来ることはわかっていたわ。だってそういう運命だったんですもの。……くすくす」

 フランドールはパチュリーと魔理沙の姿を順繰りに眺め、飄々とそんなことをのたまった。顔は相変わらずにやにやと笑ったままで、何を考えているのかは窺い知れない。
 パチュリーと魔理沙は、フランドールの言った言葉の意味がわからずに眉を顰めた。

「……それはレミリアごっこか? それとも自分が犯人だって認めているのか」
「くすくす。八卦炉を探しているんでしょう? お姉さまじゃなくたってすぐにわかることだわ」
「その理由は?」
「上から声が聞こえたの。ずいぶん派手に言い合っていたみたいね」

 真相は馬鹿みたいな理由からだった。さっきも言ったが吸血鬼というのは耳が良い。図書館とフランドールのいる地下室はそれなりに距離があるが、彼女の耳ならば上での諍いなどまる聞こえなのだ。
 ちなみにフランドールの部屋から聞こえるのは地下図書館が限界で、それ以上の階数は無理なのだそうだ。これはレミリアにも同じことが言え、レミリアの自室のある二階や一階では、フランドールの部屋まで耳が届かない。
 ところで、普段、冷静沈着な魔女で通っているつもりのパチュリーは、己の醜聞が早くも紅魔館中に広まっているのを知って、少し恥ずかしくなった。彼女はその恥ずかしさを誤魔化すようにフランドールへ尋ねた。

「おほん。説明の手間が省けたとするわ。で、魔理沙の八卦炉を盗んだのはあなたかしら?」
「いいえ、私は盗ってないわ。……くすくす」
「ずいぶん疑わしい証言だな。部屋の中を探させてもらうぜ」
「あなたこそ私の絵本盗らないでよね」

 部屋の主から了解が得られたので、魔理沙とパチュリーは部屋の中の捜索を開始した。しかし先も言ったように部屋の中はひどく散らかっており、簡単に見つけだすことは敵わない。パチュリーなどは散らばった絵本の方が気になって、一冊一冊を拾い集め、まとめて本棚に仕舞う作業をしていた。本棚は木製で腰の高さ程度のものだが、しかしその中でさえシリーズ物の本の順番がばらばらになっていたり、本好きの彼女の心を著しく動揺させた。そして魔理沙の方はというと、彼女は彼女でぱっと目に映る珍しいマジックアイテムに心を奪われているようで、真面目に捜索している風には見えなかった。無論、八卦炉はパチュリーが持っているという疑惑を持った上での行為であり、真に探すべきは図書館の中だと思っていた。いずれにせよ、八卦炉の捜索は遅々として進む気配が無く、二人はほぼ同時にこの仕事を放り投げた。

「無理だ。二人で全部探すのは難しいぜ。というかこの部屋で本気で隠されたら見つかりっこない」
「だから言ったでしょ。密室を解いた方が早いって」
「そうだな。パチュリーが早く罪を認めてくれさえすれば簡単なんだけどな……」
「あら。もういいの?」

 作業を中断されたのを見てフランドールが言った。また喧嘩に発展しそうだったパチュリーと魔理沙は、持ち出しかけていた矛を互いに収める。
 そんな二人に対してフランドールは意地の悪そうに目を細めた。

「あなたたちって本当に仲良しね。さっきまであんなに喧嘩をしていたのに……くすくす」
「なに言ってんだ。私たちは犬猿の仲だぜ?」
「そうよ。誰がこんな泥棒と……というかあなたこそ泥棒じゃない。盗んだ本を今すぐ返せ」
「痴話喧嘩? 妬けるわぁ……」

 くすくす、とフランドールはまた含み笑いをした。二人の姿が単純に愉快なのか、はたまた二人を小馬鹿にするのが楽しいのか、その笑みの真意は知れなかった。
 だがフランドールはすぐに笑みを止め、余裕のある涼しげな瞳を向けてきた。

「でも私を疑うのは初めから筋違いだと思うわ。私には八卦炉を盗むなんて不可能なんですもの」
「なんでだ。フランだって魔法は使えるんだろう? 八卦炉に興味が無いわけじゃないだろ」
「少しは興味もあるけど……、でも私はね、ここから出ることが出来ないの。お姉さまの言いつけでずうっとこの部屋にいるわ」

 だから部屋を出ていないし、部屋を出ていなければ図書館にあったという八卦炉を盗むこともできない、と彼女は言う。

「それは分かっているけど、でもフランの力ならこの部屋の扉ごと壊して脱出することも出来るんじゃないか? だったら……」
「あなたが来るときこの部屋の扉は壊れていた?」

 すると魔理沙は、ああそうか、と呻くように呟いた。二人がここに来るとき、部屋の扉は依然として屹立していた。それどころか持ってきた鍵を使って室内に入ったのであり、フランドールがこの部屋の扉をどうにかして取り除いたとして、また元の姿に戻すことも外側からしか掛けられない扉の鍵を掛けることも出来ないだろうと思われた。

「結局、無駄だったってことがはっきりしたわね」
「実際に行かなきゃ、それも分からなかったけどな」

 ふん、と二人は顔を背ける。それは全く同じ動作で、第三者にはまるで鏡に写った二人のようにも見えた。
 ところで、同時に顔を背けた魔理沙の方は、視線の先に奇妙なものを発見した。散乱したぬいぐるみの下に、薄く光る球状の物体がある。魔法を使った何かであることはすぐにわかった。

「おい、パチュリー。これは何だ?」
「……? ああ、それ。あなたもよく知っているものよ」
「だからそれが何かって聞いてるんじゃないか。何かのマジックアイテムなのか?」

 パチュリーは魔理沙の話を無視するように彼女の目の前を横切ると、その発光体を手に取った。それは赤く光っていた。炎のような揺れる赤だった。しかしどこか切なげで、愁いを帯びた赤にみえた。
 パチュリーはフランドールへ目配せをして、それをすっと放り投げた。

「駄目よ、フラン。こんな風に無造作に置いていたら。どこかの泥棒さんに持っていかれても知らないわよ?」
「ああ、そんなところにあったのね。ずっと探していたのよ」

 フランドールはその発光体を慌てて受け取る。そうして大事そうに胸の中に抱いた。それを見ていたパチュリーは颯爽と踵を返して、ぼけっとしていた魔理沙に言った。

「もう帰りましょう。フランは無関係だわ」
「ちょ、ちょっと待てよ。今の何だったんだよ?」

 パチュリーはもう振り向いてもくれなかった。どんどん先へ進んでいき、、未だに立ちぼうけになっている魔理沙を置き去りにしていく。何だよ教えてくれてもいいじゃないかと魔理沙は駄々を捏ねたが、願いが聞き届けられることがないのを悟ると、ちぇっ、と詰まらなそうに舌打ちをして彼女の後を追いかけはじめた。
 じゃあな、とフランドールにいった。フランドールはそんな二人の後姿を、ただじっと見つめていた。


  ◆


 そうして二人は図書館に戻ってきた。図書館は相変わらずシンとして、背の高い書架の群れだけが威圧するように聳え立っていた。一方、その書架から視線を移せば、方々に赤や青、茶、緑、黄に輝く球体(マジックアイテムと思われる)が配置されているのが見え、それら白線によって床に描かれた巨大な魔方陣に繋がっていた。この魔法陣こそが、パチュリーが行なおうとしていた魔法実験の跡なのだと思われた。
 魔理沙は無言で魔法陣に近づいて、その側に合った椅子に腰かけた。目の前には大きく頑丈そうな机があり、その上には、魔道書や実験計画の手順を書き記した文書が置かれてあった。魔理沙のミニ八卦炉も、この机に置いていたはずなのだ。

「どうすんだよ、パチュリー。聞き込みは空振りだった。容疑者はどんどん絞られていくぜ?」

 魔理沙はパチュリーに皮肉っぽい視線を送ると、とんとんと机の上を指で弾いた。結局、フランドールのところで有力な情報は何も得られなかったが、それは別にどうでもいいことだった。パチュリーを白状させようと周りを固めているだけなのだから、そんなことは些細な問題だ。一方、魔理沙に黙ってついてきたパチュリーは、自分で書いた魔法陣を未練がましく眺めながら、今日の日のこの不幸を呪っていた。自分は一か月以上前から準備を進めていた魔法実験を遂行するはずだったのに。どうしてこんな事になってしまったのだろう。

「で、どうする? 順番でいえば次はパチュリーの言っていた密室の調査の番だけど」
「そうね。フランドールのところでは“思った通り”何の情報も得られなかったのだから、早いところ意味のある捜査を始めましょう」

 パチュリーは「思った通り」のところを強調して言った。嫌味のつもりであったのだろうが、魔理沙は何も言わない。ただ処置なしという風に首を振って、オーバーに肩を竦めてみせるのだった。
 そうしてパチュリーは、フランドールの部屋に入る時に使った鍵を机の引き出しにしまうと、ふわりと浮かび上がって図書館の入口まで飛んでいった。魔理沙もすぐについてくる。
 やがて速度を落として、二人は自分の背丈より遥かに大きい入り口の前に着地した。扉は外側から弾け飛んだように破壊されており、それはミニ八卦炉が無いためドロップキックをぶちかました、魔理沙の物理攻撃による惨状であった。
 パチュリーは壊された扉と、遮るものが何もなくなった入口の穴を交互に見てから言う。

「扉は木製で両開き。両方の扉に錠がついていて、金属棒を出して床に固定するタイプのものだった。ただ金属と言っても魔法を使って固定していた訳じゃないから、人間の飛び蹴りでも破壊できる程度のもの」
「錠の鍵は?」
「もちろん私が持っているわ。他に予備の鍵があるという話も聞かないわね」

 パチュリーは自分のポケットから古臭そうな鍵を取り出した。歪で複雑な形をしており、簡単に合い鍵を作れそうにはない。これがもし魔法ならば、魔法の錠に対して魔法の鍵を作製することが可能である。だが物理的な錠に対してはやはり物理的な鍵が必要になってくるのだ。
 早い話が、魔理沙のようにぶっ壊す以外に扉の開け方はなかったということである。これだけ覚えておけばいい。

「だったらあれだろ。鍵はかけ忘れていたんだ。だから図書館は密室でもなんでもなかった」

 魔理沙は被っていた黒の三角帽を持って顔に近づけた。少しかび臭い気がする。今日は湿度が高いせいかもしれない。

「根拠はパチュリーの証言だけだもんな。怪しいもんだ」
「馬鹿ね。あなたは鍵がかかっていたから扉を壊したんじゃない。自分でそう言っていたでしょう?」
「だったら扉を施錠したのは私が戻って来る直前だったんだろ。それより前は誰でも入ることが出来た」

 魔理沙は手に持っていた三角帽を被りなおした。どちらかというとパチュリーとの会話より帽子のにおいの方が気になっているようで、その声はやる気がなく、素っ気なく、ぶっちゃけて言えば投げやりのように聞こえた。恐らくそれは、パチュリーの言い分を信じていないという証でもあったし、パチュリーにもそのことが伝わるように、敢えてそんな態度を取っていたのだろう。
 そしてしっかりと真意が伝わってしまったパチュリーは、不貞腐れたようにぷいと魔理沙から視線を逸らした。そこには魔理沙に吹き飛ばされた扉の残骸が見えた。

「あなた、まだ私が盗ったと疑っているの?」
「まあ、当然だな」
「……そう。じゃあもういいわよ。この図書館の中を探してみなさい。私は邪魔しないから」

 あれ、と魔理沙は目を丸くした。図書館の中には描きかけの魔法陣もある。パチュリーからこんなに容易く許可が出るとは思っていなかった。

「魔法陣は多分だめになるぜ? 置いてあるマジックアイテムも調べさせてもらうし、本当にいいのか?」
「いいわよ。もういらない。意味ないもの……」

 パチュリーは扉の残骸の上にちょこんと座る。浮いた両足をぱたぱたとさせ、遠くの方へ視線をやっていた。こうして見ると、本当にただの少女にしか見えない。そんな姿を見ていると、魔理沙はなんだか落ち着かない気持ちになってきた。

「なあ、パチュリー。あの魔法陣でいったい何を作るつもりだったんだ? あれって、新しいマジックアイテムのようなものを作ろうとした跡だろう?」
「別に何だっていいでしょう? ……それよりあなた、さっきの本当に覚えてないの?」

 残骸の上に座るパチュリー。俯いて唇を尖らせ、そのまま横目で魔理沙を睨んでいる。それは怒っているというよりも、いじけている様にも見えた。
 魔理沙は何の事だかわからずに首を傾げる。パチュリーがさらに言い足した。

「さっきの、ほら、フランの部屋にあった、光っている……」
「ああ、あの変なマジックアイテムか。そういえば、あれって結局何だったんだ?」

 パチュリーは長い紫の髪を人差し指でいじっている。あなたも知っているはずなのに、と小さな声で言った。魔理沙は何故だか知らないけど申し訳ない気分になって、今一度、あれが何だったか思い出そうとした。パチュリーが知っていて、自分も知っているのだから、二人に関係する場面で使われたもののはずで……。

「あっ、あれってあれか。私が地底に潜ったときに地上と連絡するのに使った……」
「そうよ。神社に温泉が湧き出て、地底から幽霊が出てきた異変。あのときにあなたと地上にいる私を繋いだ呪符よ」

 その呪符であれば魔理沙もよく知っている。飛行中に自分の周りをうろうろしていた発光体、単に会話できるだけでなく、弾幕ごっこを有利に進めるための強化装備でもあった。もしあれがなければ地底の異変は解決できなかっただろうし、解決して呪符がなくなると、惜しいものをなくしたと以降の弾幕ごっこで後悔したものだ。
 しかしその呪符をなぜフランドールが持っていたのだろうか……?

「紅魔館の住人はね、あの呪符をいつも持ち歩いているの。互いにすぐに連絡を取り合えるようにね。ひとりにつき一色ずつ、火符に対応する者から連絡が来れば呪符が赤く光るの」
「ということはあれか、水符を持つものからなら青く、金符からなら黄色く、って具合に光るわけか」
「そうよ。まあ今のところ五行だけだけどね。ちなみに火符がレミィ、木符が美鈴、金符が咲夜、水符がフラン、そして土符が私よ」
「じゃあ、フランのところで呪符が赤く光っていたのは……」

 魔理沙はフランドールの部屋で見た呪符を思い出す。それは炎のような赤だった。切なげで、愁いを帯びた赤色の符……。
 確か、レミリアが普段いる紅魔館の二階や一階からでは、吸血鬼の耳を持ってしても、聞こえるのは地下魔法図書館が限界のはずだった。

「……単に連絡がきたから光るというものでもないわ。その者が心から求めているとき、呪符が反応してしまうこともある。もちろんその者からの連絡を取るかとらないかは自由だし、取っても会話があるとは限らない」

 異変の時、暗い地底を進むのは、いくら魔理沙でも心細いものがあった。そのとき呪符に呼びかけて他愛もない話をするだけで、ずいぶん心が落ち着いた。逆に何も返事が返ってこないと苛々したし、少し、寂しかった。何とか言ってくれよと、箒を握る手に力が入った。
 魔理沙はその時の寂しさを思い出しそうになり、しかし頭を激しく振って何とか追い返した。

「さあ、私のはもういいわ。次はあなたの番に移りましょう」

 パチュリーが声を落としてそう言った。少し湿り気のあるいつものパチュリーの声だった。確かあのとき地底で聞いたのも、こんな静かで落ち着いた声だった。

「そうか? ならレミリアのところに行こうか。話を聞いて、八卦炉を見つけ出そう」
「ええそうね。はやく見つかればいいけど」
「レミリアのいる部屋は二階だったな。ったく、下に行ったり上に行ったり、紅魔館は広すぎだぜ」

 魔理沙は殊更に明るく言って、そうしてさっさと先へ歩き出した。何か重く、黒いものが取り除かれたような気がした。だがそれは魔理沙のみならず、パチュリーにとっても同じことだった。それでも二人は決して表には出さず、いがみ合っている振りをして二階に向かっていくのだ。
 当然吸血鬼たちにはそれらも聞こえていた。二階の吸血鬼にも、地下の吸血鬼にも。気付かないのはいつだって当人ばかりなのだから。


  ◆ ◆


 魔理沙とパチュリーがレミリアの部屋を訪ねると、そこには十六夜咲夜も控えており、まるで初めから分かっていたように四人分の紅茶がテーブルに用意されていた。もちろん、レミリアが咲夜に指示したわけではない。ノックがあって、それから紅茶を淹れに行っても、咲夜なら十分間に合うというだけだ。
 魔理沙はこの紅魔館の日常にはいまだ慣れず、狐に抓まれたような気分で、その紅茶のカップを手に取った。そうして立ったまま口を付ける。相変わらず美味いが、味を楽しめきれないのは何故だろう。

「収穫はあったか」

 レミリアは小柄な彼女には不釣り合いなほどに大きなチェアに腰を下ろしていた。乗っているレミリアが主役なのか、乗せている椅子が主役なのか、見れば見るほどにシュールな光景だが、魔理沙は何も言わない。口の端が歪みそうになったとき、咲夜が懐のナイフに手を掛けたのを、横目で見つけてしまったからだ。

「どうせ聞こえていたんだろう? 八卦炉はまだ見つからず、密室の謎も解けないままだ」
「そうだったな。だから私のところに来たんだった。まあ私がけしかけたことだ。私が疑われる側になっても仕方ないが――」
「私は納得しかねます」

 そういったのはレミリアの隣に立つ咲夜だった。彼女は眉間に深く皺を寄せ、くちびるを前に突き出して、いかにも不満そうな顔で魔理沙とパチュリーを睨み付けていた。瀟洒な彼女には珍しい顔だった。

「お嬢様はお二人が揉めているとき、上手に収めてくださいました。それなのにそのお嬢様を疑うなんて、信じられません」
「別にレミィだけを疑っているわけではないわ。咲夜のことだって同列に疑っているのだから」
「なら、私が犯人で結構です」
「八卦炉を持ってるなら、それでもいいんだけどな。でも、無いんだろ?」

 それは――、と咲夜は続きに詰まって俯いた。無い袖は振れぬ。だがそれも演技かもしれない。

「まあいいじゃないか。どうせ暇を持て余していたんだ。これも得難い経験と思えばいい」
「ですが、あまりに失礼ではありませんか」
「協力してあげようよ、咲夜。私はこれでもミステリー好きなんだ。言うこと聞いてくれたら後で頭を撫でてあげるから」

 ぴん、と咲夜の背筋が急に伸ばした。そうしてスカートの端を抓んで膝を折り、満面の笑みで魔理沙たちにお辞儀する。一部の隙もない、完全なるメイド長がそこはあった。
 ……瀟洒である。あくまで瀟洒であった。

「じゃあ二人に聞くのだけど、魔理沙の八卦炉が盗まれたと思われる時間帯、一体どこで何をしていたのかしら」
「アリバイ調査か。いいな、らしくなってきた。――私ならずっとこの部屋にいたよ。そこの窓から外の景色を見ていたんだ」
「窓?」

 レミリアはついと、部屋の隅にある小さな窓を指さした。それは分厚いカーテンがかかっていたものの、太陽の光を通すガラスの窓であった。

「レミリアが外をねえ……、吸血鬼なのにか?」
「外を見て物を言うんだな。今は曇りだ。体に害がないなら、私だって外を見ることくらいあるさ」
「それで、何か変わったものでもあったの?」
「いいや、特には」

 パチュリーの問いに、レミリアはそれだけ言って答えとした。しかし、どこで、誰が、何を見ていようと、他人の迷惑にさえなっていなければ自由であるはずだ。レミリアが何もない外を見ていたからといって、即座に怪しいということは言えない。

「それで、あなたが確かにこの部屋にいたと証明できる者はいるかしら」
「確か咲夜も一緒だったはずだよ。咲夜に……そう、昔話をしていた。窓の外を眺めながら、昔、この郷に入る前のことをいろいろと」
「昔話をって、なんだかお婆ちゃんみたいだな」

 魔理沙が上の台詞を言い終わるか終らないかという刹那、彼女は向う脛に激しい痛みを覚えた。誰かに思いっきり蹴られたような痛みだ。
 咲夜の方を見ると、彼女は澄まし顔で明後日の方を向いている。老婆が孫娘に昔話を聞かせるという、実に的確な例えだったはずなのに、なんという女だ。

「では咲夜もレミィと一緒でアリバイがあるという訳ね……」
「い、いや。共犯の可能性もある。二人が手を組んでいたとしたら、この二人の証言に信憑性はないっ」

 そして痛い。魔理沙は痛む向う脛をさすりながら、咲夜を睨んだ。

「でも私は魔法なんて使えませんし、お嬢様もわざわざ道具に頼らずとも十分なお力を持っていらっしゃいます」
「動機なんてわからないさ。単に私が気に入らなかっただけかもしれない。それに咲夜の場合は、わざわざレミリアと口裏を合わさなくても単独で犯行が可能だ」

 そうして魔理沙は、テーブルの上に置いてある四つのカップを顎で示した。中の紅茶はほとんど淹れたて。咲夜はこれを、一階にある厨房から一瞬で持ってきたのだ。

「たしかに、私の能力を使えば、アリバイなど無意味かもしれませんが……」
「そういうことさ。時間を止めることが出来るならどんなアリバイも意味を失くしてしまう。これだけでも、咲夜には十分な疑惑があるのさ」
「なんだ。お前が犯人だったのか」

 そんなことを平然とのたまったのはレミリア。咲夜は思わず何もないのにその場でずっこけそうになった。さっきは主を庇って犯人にさえなろうとしたのに、その主はあっさり咲夜を見限るというのだから、やるせない。

「ち、違いますお嬢様! それにさっきも言ったように私には八卦炉を盗む理由がありません!」
「うん。まあ、そうだろうな。お前に八卦炉は使いこなせないし、魔理沙が気に入らないなら脛に蹴りを入れてやればいいだけだ。あるいは金に換えようというのでも――」
「ここの給金にと比べれば、八卦炉を売って得られるお金なんて塵芥に等しいでしょうね。ついでに言えば、それなりに名の売れた咲夜がそんな珍妙な行動に出れば、誰かに覚えられてすぐに足がつくわ」
「と、いうわけだ、魔理沙。咲夜には八卦炉を盗る理由がない。これは私にも言えることだな」

 レミリアはそう締めくくり、これで話は終わりだという顔をした。とはいえ魔理沙はまだ納得などしていない。そう簡単に終わらせてなるものかと食らいつく。

「でも咲夜なら、私が図書館を追い出されてから、パチュリーが鍵を掛けるまでのわずかな間でも犯行が可能なんだ。密室という点から言っても……」
「だからそれは状況証拠、いや、あくまで可能性の話でしかないだろう?」
「そりゃあそうだけど、他にあの状況で八卦炉を盗める奴なんて……」
「さっきも言ったはずだ。パチェが盗ったというのも、お前がそもそも忘れてきているというのも、咲夜が時間を止めて盗んだというのも、同じ可能性でしかない。可能性だけで言うなら他にも、例えば境界を操るあの女も、透明になれるあの河童も、等しく怪しいはずなんだぞ?」

 八雲紫は境界を操り、密室そのものを無効化できる。河城にとりなら透明になって、例えば魔理沙が八卦炉を手放す瞬間までずっと後を付けていく、という方法も考えられる。状況だけで咲夜が犯人と決めつけるのは横暴だろう。
 魔理沙はくやしそうに奥歯を噛み締め、そして庇われた咲夜はというと、主の懐の大きさに感激し、あるいは感動に打ち震えていた。……すこし芝居がかって見えるが、単にレミリアに対してだけリアクションがオーバーなだけかもしれない。それも全て可能性。
 そして震える咲夜の懐では、また別のものが震えていた。

「あ、フランドール様からです」

 咲夜は懐で震えていた球体を取り出して色を確認すると、レミリアに向かってそう言った。レミリアは構わないというように片手を振る。咲夜はそんなレミリアに一礼すると、次の瞬間には煙のように姿を晦ましていた。
 魔理沙は感心したように頷いた。

「あれがその呪符ってやつか」
「ああ、パチェから聞いたんだったな。今の時間からすると、おやつが食べたいとか、そんな理由だろう」
「便利なもんだ。まるで首輪だ」
「咲夜にとってはそうかもな。もし時間が止められなかったら、気が休まる時が無いだろう」

 レミリアはとくに悪気もなさそうに言った。レミリアもまた、ああしてしょっちゅう咲夜を呼び出しているのだろう。
 と、魔理沙はさっきの咲夜を見て、フランドールの部屋で見た赤く光る呪符を思い出した。

「そういえば、レミリアもフランに何か用事があるんじゃないか。さっき呼び出していただろ」
「何の話だ。知らないな」
「強情はよせよ、レミリア。本当はフランのことだって気にかけているんだろう? ずっとあんな部屋に入れられていたら可哀想じゃないか」

 フランドールは姉のレミリアによって何百年もあの地下室に幽閉されているという。そんなのは非情ではないかと魔理沙は食ってかかるが、やめなさいと、パチュリーの声が彼女を止めた。これは当人同士の問題である。加えて、いつでも扉を破壊して出てこられるフランドールが大人しく幽閉され続けているということは、フランドール自身の方にも問題があるということなのだ。赤の他人が、しかも紅魔館の住人ですらない人間の魔理沙が、軽々しく口を出していいことではないのかもしれない。
 レミリアは窓の側に寄って少しカーテンを開けると、外の景色を眺めながら重い口を開いた。

「……本当に可哀想なのはフランじゃないさ」
「えっ?」
「お前たち、次はどこに行くつもりなんだ?」

 魔理沙が今の会話の真意を聞く前に、レミリアはあっという間に話題を変えてしまった。さらに「どこに行くつもりだ」と問われてしまったので、魔理沙の思考もそちらへ移ってしまう。答えを探して視線を宙に彷徨わさせるが、やがて次はパチュリーの番であったことを思い出した。パチュリーを見ると、彼女も魔理沙に向かって軽く頷いた。

「次は美鈴のところに行こうと思っているわ。レミィの話を聞いて思ったのだけど、八卦炉を盗んだのが内部犯とは限らない。外部犯の可能性も考えて、紅魔館自体が密室であったのかを確認してくる」
「そうか。じゃあ傘を持って行ってやってくれ。すぐに降り出しそうだ」

 レミリアは窓の外に視線をやり、二人には背中を向けたままそう言った。パチュリーは頷いて了解を示し、「じゃあ、また」と言って踵を返した。そうしてすたすたと歩き始め、さあ行くわよと魔理沙を促した。
 魔理沙は何か、奥歯に物が挟まったようなレミリアの物言いが気になったが、所詮はただの部外者さと自分を納得させ、パチュリーの後に続くのだった。


  ◆ ◆ ◆


 篠突く雨が大地を打っていた。魔理沙が紅魔館に来た時には晴れていたが、いまやもう本降りである。中で聞いたレミリアの言った通りになったが、雨が降るからレミリアが言ったのか、レミリアが言ったから雨が降ったのかはわからなかった。なにせレミリアは、運命を操るというのだから。
 厳つい石造りの門を内からくぐると、その横には小さな木造小屋があった。物置程度の小屋であまり華美とはいえないが、ちゃんとした受付らしく外に向かってカウンターを設けている。最近になって作られた仕組みだそうだが、紅魔館は外部からの来客には、このカウンターで入退館を記帳してもらうようになっていた。
 美鈴はそのカウンターの隣、小屋の外に突っ立って雨に濡れていた。

「あれ、魔理沙は今から帰るんですか? この雨ですよ?」
「すぐ中に戻るさ。それと……、ほい。傘」
「あ、ありがとうございます。まあ、通り雨だと思いますので、中で待っていた方がいいですよ」

 美鈴は傘を開いて、そうして湖の向こうを指さした。こんなに雨が降っているのに、紅魔湖の向かいでは晴れ間が覗いている。魔理沙は美鈴の話を聞きながら、ついでに持ってきたタオルも投げてやった。彼女は一瞬驚いて、しかしすぐに顔を綻ばせ、ありがとうございますと繰り返した。
 濡れた顔を拭き終わるのを待って、聞きたいことがあると魔理沙は言った。

「えっ、何です? 私にわかることであれば協力しますけど……」
「じゃあ、まず聞かせてくれ。お前は本物の美鈴か? それとも偽物か? 美鈴が昼寝していないなんてただ事じゃないだろ」
「……雨ですよ、雨。外は雨。そんなに信用無いんですか、私」

 美鈴が顔を顰めて言うと、冗談だよ、冗談、と魔理沙は笑った。魔理沙は門番を務めるこの中国娘が嫌いではなかった。何の含みもない冗談でじゃれ合うには、もっとも適している相手だった。
 ところで、二人に忘れ去られていたパチュリーは、自身の存在をアピールするため一歩前に出て空咳をした。早く話を進めたい。それにこの二人がじゃれあっているのを横から眺めているのは、何というか、あまり愉快な気持ちにさせなかった。
 だがその美鈴は、パチュリーの姿を見た途端、両目を見開いて驚愕を露わにした。

「パ、パチュリー様が外に?! 一体なぜ……、ああ。だからこの雨――」
「そろそろ進めてもいいかしら、美鈴」

 パチュリーは美鈴の戯言を途中で遮って、事のあらましを彼女に説明し始めた。魔理沙の八卦炉がなくなったこと、それを二人で探しつつ、盗んだ犯人を追っていること、そして何より、門番の目から見て、この紅魔館に部外者が侵入できたかどうかの確認をした。とはいえ、あまり期待はしていない。いくら紅魔館が高い塀に囲まれているとはいえ、幻想郷の住人は空を飛ぶことくらいわけないのだ。地上の塀の、その一点を守っているだけの美鈴にいい答えが聞けるとは思えなかった……、が。

「部外者ですか。それはないと思いますね」

 意外にも美鈴ははっきりと否定を口にした。なんでだよ、と魔理沙が詰め寄る。

「私は「気」という生体エネルギーの扱いに長けています。「気」を探って敵の存在を察知することも出来ますし、自らの気を隠して意表を付くことも出来ます。今回の件で言えば、図書館の中にあった八卦炉を盗んだわけですから、ここの住人のものでない気が館内で見つかることになります。すぐにわかりますよ」

 いわく、例え姿を透明にしても、隙間だけ使っても、「気」を感じることで行動を察知することが出来るのだという。あの咲夜の場合でさえも、例え時を止めて動いても、一瞬で彼女の位置が大きく動けば、時間が止められたことはわかるという。

「まあ、時間を止めている間にまた元の位置に戻ってしまえばわからないと思いますけど、ああ見えて時間を止めた咲夜さんが動ける距離ってそんなに大きくないんですよ。レミリアお嬢様の部屋から図書館へは結構距離がありますから、一度か二度時間停止を解除して止まったはずです。私なら気付くはずですが、もちろんそんな気配は感じられませんでした」
「……それは信用できる話なのか? どうも胡散臭いな」
「信じる信じないはご自由に。証言の真偽を見極めるのも探偵役の仕事でしょう。とにかく私はそういう意見です」

 当然であった。誰が嘘をついているかわからないから謎は謎になるのだ。嘘を嘘と見抜けなければ事件の解決は難しい。
 で、パチュリーの意見はというと。

「取りあえず信じるわ。嘘をつく必要もなさそうだし。美鈴が犯人なら「気」の話はせずに、むしろ外部犯の可能性を指摘した方がいいから」
「容疑者から外れようと敢えてそう言ったのかもしれないぜ? それか、どこからでも侵入できるザル警備だと思われるのを恐れただけかもしれない」
「取りあえずって言ったでしょう。さっきの図書館の密室と同じよ。取りあえず現状の密室を受け入れて、どういう崩し方が可能か考えるの。はじめから密室自体を疑っていても考えが迷走するだけよ」

 自分の証言を目の前で品評されて、美鈴は苦笑いだ。いくら疑ってくれて構わないと言ったとはいえ、表向きには信じたことにするのが普通ではないだろうか。その魔理沙に平然と対応するパチュリーも含め、この魔女たち、いい性格をしている。

「そういえば、レミィは外の景色を見ていたって言ってたわね。美鈴から見て、外の様子に何か変わったことはあったかしら?」
「私、ですか? 特には何も。一番何かやらかしそうな魔理沙も、最近はちゃんと手続きを踏んでくれるようになりましたし……」
「あれ? そういえば美鈴、あの時なにか言ってなかったか?」

 割って入ったのはその魔理沙である。魔理沙は小屋から出っ張っている屋根付きカウンターの上を叩いてみせた。そこには雨にぬれぬように置かれた用紙とペンがあり、これが先ほど言った、最近の警備強化のため生まれたという入退館の受付表であった。

「私が図書館から出てきて、それでこの受付表に記帳しようとしたとき、美鈴は何かが光ったって言ってたろ」
「え? ああ、そういえば言いましたけど、でもあれは気のせいだったって言ったじゃないですか」
「私はまったく気づかなかったしな。でもあんなに大声で言ったんだから、何か気になるものはあったんじゃないか?」

 魔理沙がその受付表に記帳しようとしたとき、美鈴は大声を出して「あれ、何ですか!何かが光っています!」と叫んだ。驚いた魔理沙は美鈴の方を見たが、彼女は気のせいだったみたいです、と笑うだけであった。でもその時は確か――。

「屋敷の方を見ていなかったか。多分、レミリアの部屋の方角を」
「そ、そうでしたっけ? よく覚えてませんねえ……」
「なーんか怪しいわね、美鈴。ほら、知ってることがあるならさっさと吐いちゃいなさい」

 取調室で容疑者に迫る捜査官の気分、パチュリー。かつ丼とデスクスタンドでも持ち出しそうな勢いである。実は結構楽しんでいるのかもしれない。魔理沙もその勢いに乗っかる。

「そうだぞ、美鈴。さっさと吐いて楽になっちまいな。故郷のお袋さんも泣いてるぜ?」
「自白剤でも精製するかしら。ニ、三日操り人形にしちゃうような強力なやつ」
「いいな、それ。屋敷の住人全員分作ろうぜ。誰かが嘘を吐いているのは間違いないんだ」
「い、いや。ちょっと待ってくださいよう……」

 うりうりと美鈴の脇腹を突っつく魔女二人。彼女たちより背の高い美鈴であったが、両側から突っつかれてどんどん小さくなっていく。美鈴は帽子が落ちてしまわないように両手で押さえなければならなかった。
 そんなとき、美鈴の身体から何かがごとりと落ちた。ポケットかどこかに忍ばせていたのであろう、例の呪符である。

「なんだ、やっぱり美鈴も持っていたのか。美鈴は何色だったっけ?」
「私は木だから緑ですよ。気と木、結構気に入っているんです」
「……ははーん。わかったぜ? その呪符から例のメイド長から怒りの通信が入るんだろ。だからさっきも寝てなかったんだ」
「ち、違いますよう。そりゃあ咲夜さんからはしょっちゅう怒られてますけど、別にだから起きてたってわけじゃなくてですね……」
「つまり怒られたって寝てるってわけか。ますます謎が深まるな、なあ美鈴」

 わかったってそっちのことなの……、とパチュリーは呆れる。
 美鈴は魔理沙とじゃれ合いながらも、落ちた呪符を大事そうにまたポケットに仕舞った。そうしてふっと息を吐く。

「かかってくるのは大抵フランドール様です。妹様はレミリアお嬢様に地下室からの出入りを禁じられていますので、その、私が話し相手をして頂くこともあるんです」
「呪符でか? レミリアもそうだったけど、同じ紅魔館の住人なんだから、直接行ってやればいいじゃないか。体力だって余ってるんだろ?」
「それは……、そうして差し上げたいのは山々なんですが、私もレミリアお嬢様から罰を受けている最中でして……」

 美鈴はそう言って俯いてしまった。それは単に叱られて落ち込んでいるだけのようには見えなかった。何か致命的な部分ですれ違いが起きているような……。
 事情を知らない魔理沙は首を傾げるしかなく、仕方がないのでパチュリーが前に出て訳を話した。

「美鈴は館の中に入ることを禁じられたのよ。だからフランのところに行くことは出来ない」
「館への出入り禁止って、ずっとここに居ろってことか? 食事とかは咲夜が持ってきて?」
「そうよ。だからこうして門の側に小屋を建てたの。出入りに手続きが必要になったのも、本当は警備の強化が理由じゃないわ。小屋がそこにあるのを自然に見せるため、言ってしまえば、罰を受けている最中の美鈴という事情を外に知られたくないから、警備の強化って名目をつけたの」
「だから、私には犯行は無理なんです。屋敷の中には入れませんし、もっと言えば、魔理沙が図書館から門に戻ってきた時、私はここにいました。魔理沙がここに来るまでに八卦炉を盗ってまた戻って来る、というのはあまり現実的ではないでしょう?」

 美鈴は話題を逸らすように事件の話に軸を戻した。とはいえ、美鈴の言っていることも事実だろう。魔理沙が図書館を出て門に向かっている間に密室を破って八卦炉を盗み、魔理沙が門に辿り着くより先にはまた門のところへ戻っている。……あまりどころではなく相当現実的ではない。

「もしそれでも疑われるのでしたら小屋の中を全部調べてもらっても構いません。私がものを隠せるとしたらそこしかありませんから。何なら今すぐにでも……」
「わかった、わかった。取りあえず信じておくよ。なあパチュリー?」
「そうね。取りあえず、ね」

 ははは……、美鈴は乾いた笑い。取りあえずでも信用を得られたことに安堵しているのだろう。
 しかし美鈴が図書館で犯行を働くのは無理そうだ。犯人でないなら嘘を吐く必要もない。美鈴の証言が本当なら、内部犯の可能性も外部犯の可能性も消えてしまう。ではいったい、どうして八卦炉は消えてしまったのだろうか。まさか八卦炉自ら足が生えて逃げて行った訳でもあるまいし。
 魔理沙とパチュリーは共に首を捻りながら、また紅魔館の中に入っていくのだった。
 

  ◆ ◆ ◆


 そうして地下魔法図書館に帰ってきた二人。大した手がかりも得られず、捜査は進展するどころか、謎が増えるばかりである。
 パチュリーと魔理沙は床に描かれた例の魔法陣を飛び越え、また最初のテーブルのところまでやってきていた。どちらともなく椅子に腰かけ、二人して首を傾げている。

「ううん……、わからないな。誰も彼も嘘を言っているようにも見えるし、全部本当のことのようにも思える。誰かが盗んだのは間違いないはずだけど……」

 誰が盗んだのかはまだわからない。では、これまでの容疑者の証言をおさらいしてみると。

 フランドール。図書館の更に地下にいた。自分の自室からは一歩も外に出ていないという。
 レミリア。咲夜と一緒に部屋の中にいたという。外の景色を見ていたらしい。
 咲夜。レミリアと一緒にいたという。時間停止の能力も美鈴いわく使用していないとのこと。
 美鈴。距離が遠すぎて図書館へ行くのは不可能。屋敷の方を向いて何かが光ったと言ったが……。

 無論、全員が犯行への関与を否定しているし、美鈴が言うには外部犯もあり得ないだろうとのことだ。

「外部犯なのか、内部犯なのかも謎だな。美鈴が嘘をついて誰かと協力していたら何とでもなるけど、でもその場合、美鈴に何の得があるんだ? あるいはレミリアからの命令、全員グルだったとでもいうのか」

 盗んだ理由、というのもまた謎だ。咲夜や美鈴では八卦炉を扱えない。レミリアやフランドールは八卦炉を必要としない。魔理沙への個人的な恨みという線も考えられなくもないが、その場合は弾幕ごっこで白黒つけるのはこの幻想郷の流儀だ。売って金に換えるというのも難しいだろう。

「いや、霊夢が私の才能に嫉妬して、ということなら考えられなくもないな。でもその場合は、それこそ弾幕ごっこで勝負をつけるだろう。それとも霊夢は、弾幕ごっこも厭うほど私を恐れているのか」

 ちなみに霊夢と魔理沙の弾幕ごっこの戦績は、三三勝七七敗で魔理沙が負け越している。あえて指摘するほどのことでもなかったが。
 そして魔理沙は、ふと隣の席に座るパチュリーの方を見た。彼女は静かに沈黙したまま、いつものような置き物と化している。顎に手を添えて、どこを見るともなく無造作に視線を投げ、あるいは呼吸をしているのかさえ疑わしかった。自分はこんなに必死で考えているのに、と魔理沙は少しムッとした。

「なあ、パチュリーもちゃんと考えてくれよ。これじゃ私が馬鹿みたいじゃないか」
「……………………えっ?」

 パチュリーの反応は少し遅れて現れた。魔理沙はいっそうムッとして、腕を組んで眉根を寄せる。

「えっ、じゃないだろ。私はこんなに考えてるのに、パチュリーもサボってないで意見を出してくれよ。協調性のない奴だな」
「何を言っているのよ。私だって考えているわ。私はあなたみたいに思ったこと全部を表に出したりしないだけよ」
「はん、そいつは大きな間違いだぜ、パチュリー。考えっていうのはな、言葉に出して初めて意味を持つんだ。頭の中だけで考えているのは考えているとは言わないのさ」

 やれやれと、手のひらを上に向けて首を振る魔理沙。この言い方にはさすがのパチュリーも頭に来て、語気を強めて言い返した。

「それはあなただけでしょう? 誰も彼もがあなたみたいに考えていることベラベラ垂れ流すと思ったら、それこそ大きな間違いよ。そういうのはね、考えなしって言うんだから」
「何言ってんだ。相手が本当に考えているかどうかなんて、表に出さなきゃわからないだろうが。ちゃんと言葉にして私にもわかるようにしてくれよ」
「はあ? なんで私があなたのやり方に合わせなきゃいけないのよ。私は知識の魔女よ? 考え事くらい、頭の中だけで十分だわ」

 ふん、とパチュリーは顔を背ける。背けた先には背の高い本棚がいくつも立ち並ぶ、書架の樹林がある。パチュリーはこれらの中に収められている本はだいたい目を通しているし、内容だってちゃんと頭に入っている。もし表に出さなければ考え事も出来ないというのなら、彼女は考え事をする度に、この書架の樹林から何十冊もの本を引っ張り出さなきゃならなくなるだろう。
 しかし魔理沙は、頭の中で考えるだけで十分なら、こんな風に本にして書き残す必要もないじゃないかと言った。

「結局、自分を評価するのは他人なのさ。私にはパチュリーがちゃんと考えているようには見えない。この見たままが、パチュリーへの評価になるわけだ。誰もあんたの心の中までは見えないもんな」
「私が実際に考えてそう言っているのだから、それが紛うことなき真実よ。あなたからの評価なんて関係ない」
「だからそれを証明する手段がないって言ってるんだ。ちゃんと考えていたというのなら、今ここで何か意見を出してくれよ」

 それは……と、パチュリーは言い淀んでしまう。考えるには考えていたが、まだ考え中で、何か意見を出せと言われて出てくるものはなかった。それを見ていた魔理沙は嘲るように口元を歪めた。

「ほらみろ。やっぱり考えてないじゃないか」
「考え中と考えていないのは違うでしょ……? もうこの際だから言うけどね、そもそも私は、あなたのやり方には不満があったの。大したアテがあるわけでもないのに、ただ話だけを聞いて回って、それで何が得られたっていうのよ」

 そ、そりゃあ……と、今度は魔理沙の方が言い淀む番だった。こちらも話を聞いて可能性ばかりが広がるだけで、容疑者が絞れたわけでも、何かヒントが見つかったわけでもなかった。
 パチュリーはそんな魔理沙を見てせせら笑う。

「ほらみなさい。あなたは行き当たりばったりで行動しただけ。何も考えてなんかいないわ」
「じゃあ他にどうすれば良かったって言うんだよ。何も手がかりが無いんだから、やりようがないじゃないか」
「手がかりならあるじゃない。この密室よ」

 パチュリーは声を張り上げそう言うと、人差し指を真下に向けて大きく上下に振った。それは図書館の密室を指しているのであり、パチュリーが最初からそうすべきと主張していた意見だった。

「いい? 犯人はこの密室を魔法も使わずに破り、中にあった八卦炉を奪っていった。絶対にトリックがあるはずよ」
「でもそのトリックがわからないんじゃないか」
「だから考えてみるのよ。相手の手口さえわかれば自然と容疑者は絞れるわ。つまり、やるべきことは無意味な聞き込みではなく、密室の解き方をじっくり考えることだったの」
「何いってんだ。密室の破り方は犯人を見つけてから直接聞けばいい。犯人には八卦炉を盗んだ理由があるはずなんだ。それを見つければいい」
「へえ、理由?」

 パチュリーは相手を小馬鹿にしたような口調で聞き返した。そんなものが存在するわけがないだろう、とでも言いたそうな口調だ。少なくとも魔理沙の方にはない、と、これは声に出して言った。

「理由はもうわかっている。私の魔法実験を邪魔するためよ。犯人は私がこれ以上高度な魔法を習得するのを恐れた誰かでしょうね。だってそれ以外にそんなガラクタを盗む理由なんてないんだもの」
「ガラクタじゃないって言ってるだろ!!」

 魔理沙は声を張り上げてパチュリーに迫った。そうしてくっつくのではないかというほど顔を寄せて、忌々しげな視線をパチュリーにぶつけた。猫ならきっと殺せる。体中にあるありったけの憎悪を一点に集めたみたいな凶悪な視線だった。しかしパチュリーも負けじとぶつけ返す。こちらもまた悪辣な視線で、火花が出なかったことの方が不思議だった。

「……結局、私たちは絶対にわかりあえない宿命らしいな」
「ええ、そのようね。もっとも、はじめから分かりきっていたことだけど」
「奇遇だな。私もあんたの顔をはじめて見たときから、住む世界が違うと確信していたぜ」
「私もよ。どうやらようやく意見が合ったわね」

 ふっふっふ、と肩を震わせ、酷薄な笑みを浮かべる二人。二人の周囲だけ体感温度が異様に下がり、極寒のアラスカ、またはブリザードのど真ん中のように冷え切っていた。近くに誰もいなかったのは幸いである。もしいたら、瞬間冷凍のように固まって、逃げ出すことも出来なくなっていたはずだから。

「私は一人でじっくり密室の謎を考えてみるわ。あなたはあなたで好きにやりなさいな」
「ああ、是非そうさせてもらうよ。犯人は私がぜったいに見つけてやる」
「あら。人間の寿命ってそんなに長かったかしら。それとも骨だけになってからも探し続ける気? 後は私に任せて休んでいた方が賢明じゃないかしら」
「そっちこそ。あんたがノロノロやって真相に辿り着く頃には、犯人はもう墓の下かも知れないぜ?」

 どす黒い満面の笑みを同時に浮かべる二人。互いに相手に行く先に闇があることを祈っていた。神と仏と悪魔と妖怪と人間と動植物と、この世界にあるすべてのものに対して、心から祈っていた。

「「ふんっ」」

 そうして二人が、背中を向け合ったのもまた、まったく同じタイミングなのであった。


   ―――――


 湖面を叩く雨音は、先ほどより随分弱くなっていた。紅魔湖の水はやや濁り、水かさも増しているように思われたが、この程度の雨であれば、直に何事もなかったかのように元の姿に戻るはずだろう。
 二階の通路を歩いていた魔理沙は、屋敷の外に面した窓から、そんな雨の様子をぼんやり眺めていた。窓から見えるのは湖とその近くにある人里、あとは遠くに山々の影が薄く見えるだけ。レミリアはこうして窓の外を見ていたといったが、特に面白いものがあるようには思えなかった。 
 魔理沙は被りっぱなしだった黒の三角帽を手に取ると、乱暴に後ろ頭を掻いた。意味もなく舌打ちしたい気分だった。

「目当てのものは見つかりましたか?」

 声がして、気が付くと、魔理沙の手から帽子が無くなってしまっていた。忌々しげに声のした方へ視線を向ければ、当然のように帽子を持った咲夜が立っている。彼女は奪った帽子を顔に近づけると、途端に険しい顔を浮かべた。

「かび臭いですわ、これ。洗濯して差し上げましょうか?」
「余計なお世話だ。返せよ」

 せっかくいい洗剤がありますのに、と咲夜はお道化るが、今の魔理沙はそのやり取りに付き合う気はなかった。帽子を奪い返して、明らかに不機嫌な顔をする魔理沙に、しかし咲夜はふっと微笑んだ。

「また、喧嘩をされてようで」
「……あいつは頭が固いんだ。一度こうと思ったら考えを変えない。だから周りが見えなくなる」
「でもそれは、ひとつのことを深く考えられるということではなくて?」
「そうかもしれないけど……でも、そのひとつが間違っている場合もある」

 パチュリーはともかく密室を破る方法にこだわって見えた。確かに誰が犯人であれ、密室はどうにかして破らなければならない。しかし、盲点というものもあるだろう。

「密室を破るんじゃなくて、そのまま無効化する方法もあるはずなんだ。フランや咲夜、美鈴にレミリア。誰がどんな手段を使ったかはわからないけど、もっといろんな可能性に目を向けないと答えには辿り着け…………、何がおかしいんだよ、咲夜」

 咲夜は口元に手を当てて、まるで笑いを堪えているかのように小刻みに震えていた。というよりは、確実に笑っていた。茶化しているのかと魔理沙が責めれば、いえ、そうではなく、と笑いながら返す。

「本当に面白いですわ。あなたたち」
「何がだよ。別に面白いことなんか言ってないぜ?」

 咲夜の笑いの意味が分からず、魔理沙はいっそう不機嫌になって、窓の方へ視線を戻した。雨はさらに小降りになり、もうほとんど止んでいるような状態だった。

「美鈴に、傘を持って行っていただいたようで」
「うん?」
「雨の時は小屋に入っても良いと言ってあるのですけれども、雨に濡れようがおかまいなしに居眠りしてしまうような子なんです。あなた方が持っていかなければ私が持って行っていました」
「ああ、そのことか。でもそいつはちょっと違うぜ。聞いて驚くなよ? 驚くべきことに美鈴は、ちゃんと起きていたんだから」

 ――そのときの、咲夜の顔といったらなかった。信じられぬ、ではまだ足りぬ。信じていないし、信じられるべくもない。それでももし有りうるとしたら、天変地異の前触れに違いない。咲夜は己の顔という顔で、そう表現していた。少し美鈴が不憫に思えてきた魔理沙である。
 ……と、そこで魔理沙は美鈴とパチュリーから聞いた話を思い出した。美鈴の、あの木造小屋が出来た理由、警備の強化を名目にしたあの受付が出来た本当の理由について。

「なあ。なんで美鈴は屋敷に入れないんだ? 本人は罰だって言っていたけど……」

 魔理沙は雨の中外で棒立ちになっていた美鈴を思い出す。傘を持って行ってやらなければ、あのまま濡れ鼠で立ち続けていただろう。――罰、とは一体何なのか。咲夜の顔を見れば、それは大抵愉快な話でないことは予想がついた。

「……妹様が地下室に幽閉されておられるのは、疾うにご存じでしょう」
「ああ。あれも可哀想なもんだ。もし私があんな目に合ったら、きっと三日で発狂しちまうだろうぜ」
「人間ならばきっとそうですわね。ですからお嬢様も、そのことは深く悔いておいでなのです」

 咲夜は語る。それは今から四百年以上も昔の話だ。当時、レミリアとフランドールは仲の良い姉妹だった。何か不思議なものを見つけては一斉に駆け出し、怖いものからは同じように泣き出し、共におやつを食べ、時には分け合って、そして夜になれば秘密を共有してくすくすと笑い合う、他人から見れば羨ましいほどに仲の良い姉妹だったのだ。
 しかし、そんな二人の間にも亀裂が入る。きっかけは些細なことだった。今となっては何が原因だったのかどちらも覚えていないが、とにかく二人は喧嘩をして、レミリアはフランドールを地下室に閉じ込めた。とはいえレミリアもすぐに後悔し、地下室から出して謝ろうと鍵を掛けてしまった扉の前に立った。ねえフラン、と扉越しの声をかける。しかし、怒れるフランドールはレミリアの話を聞かなかった。彼女も姉に対抗して、ここから絶対に出ないと言い張ったのだ。それからもう四百年余りである。
 互いに下らない意地の張り合いだった。本当は会いたいはずなのに見栄を張り、会いたくないと言い張って避け続けた。罵り合い、蔑み合い、そうしていつしか掛ける言葉を失くしてしまった。四百年前には確かにあったはずの二人の絆は、すでにぼろぼろにすり減って、見る影もなくなってしまった。

「紅魔館に入ったばかりの美鈴は、地下室にいる妹様に何度も会いにいっていました。あなたと同じで妹様を不憫の思ったのでしょう。妹様に外の世界の話をし、または妹様の地下での暮らしの話を聞いてあげました。レミリアお嬢様もこれを大目に見て、知らぬ風でやり過ごしていたのですが……」
「……なにか、あったのか?」
「些細な言い合いから妹様が癇癪を起して、美鈴を半殺しにしてしまったのです。言葉の通り、美鈴は右半身を吹き飛ばされてしまいました。パチュリー様が魔法で処置し、美鈴自身の生命力の強さもあったから何とか生き長らえましたが……」

 吸血鬼という強大な妖怪は、美鈴程度では荷が勝ちすぎたということだろう。その事件以降、レミリアは美鈴とフランドールが会うことを許さず、さらに屋敷の中に入ることさえ禁じてしまった。あまりに厳しすぎる処置とも見えるが、フランドールに会うことだけを禁じたのでは、屋敷の中にいて心が揺らぐこともある。レミリアは美鈴の性格をよく知った上で、このような処置をせざるを得なかったのだ。
 放っておけば、今度は死んだっておかしくないのだから……。

「フランドールさまは自分の行いを悔いておられました。会って美鈴に謝りたいと、いつもお仰っていました。なにせ事件直後から二人は一切引き離されてしまいましたし、……その、レミリアお嬢様とのことも御座いましたから」
「もうレミリアとの関係みたいになりたくないってことか……。でも、地下で会ったフランはそんな感じじゃなかったぜ? 何というか、にやにやしていた」
「それはきっとこれのお蔭でしょう。レミリアお嬢さまは二人が直接会うことを許しませんでしたが、折衷案としてパチュリー様にこの呪符を作らせたのです」

 咲夜は懐に忍ばせていた呪符を取り出した。紅魔館住人が全員持っているというこの呪符。しかし元を正せば、呪符はフランドールと美鈴のために作られたものだったのだ。彼女たちは呪符によって、直接は会えないながらも会話をすることができた。そうして呪符のお蔭で、和解に至ることも出来たのだった。

「ですからこれは、あの二人が不便になってしまったからこそ生まれたものなのです。たしかに便利ではありますが、不便が生んだ便利さなのですわ」

 なるほどな、と魔理沙は複雑な顔で頷いた。そんな事情があったことなど、彼女はまったく知らなかった。美鈴もフランドールもレミリアも、ちょっと変わった良い奴で、そんな複雑でややこしい感情を持っているなど、考えたこともなかった。
 咲夜が黄色に光る球体を揺らした。

「……あなたも、欲しいのではありませんか? この呪符があれば、パチュリー様といつでも会話することが出来ます。今喧嘩中のあなた達にもぴったりな道具だと思いますが……」
「はあ? 私とあいつがか? そんなの出来るわけないだろ。私とあいつは互いに相手を信用できないし、もともと分かり合えないサダメだったんだ」
「そうでしょうか? 私は案外簡単なことではないかと思いますが」

 先ほど、私がなぜ笑ってしまったかお教えしましょうか、咲夜はそういって可笑しそうに笑った。ちょっとした秘密を打ち明ける前のような。単純な手品の種明かしをする前のような。咲夜の手がまた魔理沙の帽子に伸びた。

「あなたはもう、パチュリー様が八卦炉を盗んだとはまったく考えていなかったからです」

 これは信用と呼べるのではありませんか、咲夜はくすくすと笑いながら奪った帽子を被った。魔理沙は苦々しい顔で睨みつけて文句のひとつでも言おうとするが、そのときにはもう、咲夜の姿は手品のように掻き消えてしまっていた。いつの間にか帽子は魔理沙の頭に戻っている。
 魔理沙はある確信と共にその帽子を顔に近づけた。綺麗好きな咲夜はいつだって身形を清潔に保っていたし、かびの生えたものなど身に着けるわけがなかった。
 帽子から洗剤のにおいがして、魔理沙は盛大に舌打ちをした。


  ◆ ◆


 パチュリーは持っていた分厚い本を机の上に投げて、深いため息をついた。これも違う。今、探しているのは温度を操る魔法で、扉の施錠が金具によってされているのなら、ヒントになるのは温度だろうと当たりを付けていた。しかしどの本を読んでも、今回の事件に合いそうな術は見当たらない。それにそんな術が存在したとして、扱える者がどれだけいるだろうかというのも気になっていた。
 また別の本を持って来よう、パチュリーは重い腰を上げて立ち上がった時だった。机の上に置いていたその分厚い本に、すっと白い手が伸びた。

「難しそうな本を読んでいるな。これでは暗号と変わらない」

 レミリアは当然な顔をしてパチュリーの横の席に座った。奪った本をめくってみるが、高度を通り過ぎて逆に間抜けっぽいような、そんな不思議な文字が並んでいた。もちろん、何が書いてあるのかはさっぱり読み取れない。諦めてパチュリーに返すと、彼女はふんと鼻を鳴らしてレミリアを睨んだ。

「本は情報が詰まってこそ意味があるの。より高度な情報を手に入れるには、より高度な知識が必要となる。知識のないものに暗号に見えるのは当たり前よ」
「そういうものか? 私は単純に楽しませてくれるものが好きだ。漫画か、推理小説はないのか」

 レミリアが美鈴と漫画の貸し借りをしているのは知っていた。その美鈴が推理漫画を貸したことから、彼女の興味が推理モノにまで広がったというのも、本人から聞いて知っている。だがパチュリーにとっては、よくもまあそんな低俗なものを……と、呆れ果てているところだった。

「そんなものは子供の遊びよ。大衆に迎合した書に読む価値はないわ。究極の一冊とは難解を究めた果てにあるの」
「だが沢山の人に読んでもらうには歩み寄りも必要だろう。誰も読めない本にこそ価値はないと思うが」
「私が読めれば私だけの本になる。特別という価値が生まれるわ」
「なるほど。偏屈だ」

 レミリアは納得したように頷いている。おどけるような、嘲るような、パチュリーはその憎らしい顔を見ながら、言いたいことがあるなら早く言えといらいらしていた。そして――。

「言いたいことがあるなら早く言え」

 そのまま口にした。レミリアは目を丸くした後、魔理沙みたいな物言いだと言って吹き出した。

「なに、また喧嘩したと聞いてな」
「からかいに来たの?」
「当たらずとも遠からず。雨が降っているからな。外には出られないし、暇なんだ」

 暇だから、と言われて居座られるのは、なんだか面白くない。好意的に捉えれば、話題性に富んだ刺激的な人材だと言われている様でもあるが、にやにやと笑うレミリアの顔は、その解釈が見当外れだということを何よりも雄弁に語っていた。
 パチン、とレミリアは指を鳴らす。一拍置いて、目の前の机に温かい紅茶が現れた。そっと手に取ると、少しだけ洗剤のにおいがした。

「フランは最近どうだ? いい子にしているか」
「気になるなら見に行けばいいでしょう。ここからなら、きっと聞こえているはずだから」
「だから聞いているんだよ。さっさと帰れとな、地下の方でずっと言ってるんだ」

 レミリアは紅茶のカップに口を付けた。鼻から抜けるようなミントティーだ。だが、目を覚まさせるには、これではまだ不足だった。

「あの事件からもうどのくらいになるか。フランにも美鈴にも悪いことをしたと思っているよ」
「後悔しているのならやるべきことははっきりしているわ。……私たちが傘を持っていくまで、美鈴は濡れたまま外に立っていた」
「無理だよ。私はこんな風に吸血鬼の耳を利用してしか想いを伝えてやれない。フランの耳が効くこの図書館に行くのだって、結構勇気がいるんだ」 

 ぐっと、レミリアはミントティーを飲み干す。一泊置いて、パチンと指を鳴らせば、カップは最初から存在していなかったかのように姿を消した。
 そうして、長い、長い息を吐いた。

「私も、偏屈だからなあ……」

 今更、妹にどう歩み寄ればいいか分からなかった。今から思えば本当に些細な諍いだったはずなのに、ずるずる、ずるずると引きずり過ぎて、ついには掛ける言葉まで擦り減ってしまった。
 レミリアはカップの消えた机の上を見た。こんな風にパチンと指を鳴らして、何もなかったように出来ればどんなにいいだろうか

「私がフランを閉じ込めてから四百年、もう私たちが姉妹だったことなんて、風化して忘れ去られたも同然だった。美鈴は、そんなフランの前に現れた大切な絆だったんだ」

 それなのに、美鈴を奪ってしまった。レミリアは自問する。美鈴の命を守るためと周りには言ったが、そこに美鈴とフランドールとの間にあった絆に嫉妬する心は無かっただろうか。自分には出来なかったことを当たり前のようにやってしまった美鈴に、八つ当たりする心はなかっただろうか。

「パチェがあの呪符を作ってくれて正直ほっとした。重荷がすこし軽くなったように思えたんだ」
「……あの呪符は、あなたたち姉妹のためのものでもあったのよ。だから――、」
「悪いな、パチェ。そろそろ交代の時間らしい。だから言うぞ。パチェがこの魔法陣で何を作ろうとしていたのか、私はもう知っている」

 レミリアはすぐ側の床にある巨大な魔方陣を足で指し示した。パチュリーの顔はみるみる赤くなり、心なしか眼も潤んでいるように見えた。

「別に迎合しろと言っているんじゃないよ。でも、互いにもっと認め合うことができれば、私やフランのようにならなくて済むはずだ」
「……無理よ。私と魔理沙は正反対の存在なの。だからこんな魔法陣なんて、もういらないの」
「陰陽は陰と陽の調和を説くというがな。まあ、お前たちなら可能性は低くないと思うぞ?」

 レミリアはそう言って立ち上がると、図書館の入口の方を顎で示した。そこにはぶすっと難しい顔をした魔理沙が立っており、パチュリーと目が合うと、のろのろと近づき始めた。

「最後のお節介だ。私は魔理沙に、八卦炉は家に忘れてきたんじゃないかと言ったんだ。でも、結局パチェは確認には行かせなかった。これがどういうことかは、自分で考えてくれ」

 のろのろ歩み寄る魔理沙とは逆に、レミリアは図書館の出口に向かってすたすたと歩き始めた。途中で魔理沙とすれ違うと、がんばれよと肩を叩く。うるさいな、魔理沙は煙たそうにしたが、レミリアと一緒に引き返したりはしなかった。
 図書館からレミリアの姿が消える。部屋の中はパチュリーと魔理沙の二人だけとなった。魔理沙が渋々という風に口を開いた。

「……ホントはな、別に属性魔法のことを馬鹿にしてなんかいないんだ。ただ私には出来なくて、だから羨ましくて、だから……」

 地底で撃ったさまざまな属性魔法の弾幕は、魔理沙にとってとても刺激的だった。シチュエーションに応じて弾幕を切り替え、その時々に合った効率的な攻撃手段を用いる戦法は、普段の弾幕ごっこより痛快だったし、その技能に憧れた。でもそんなことは言えなくて、つい意地を張ってしまったのだ。

「……私は、私がこの魔法実験で作りたかったのは、新しい呪符だったの。紅魔館の五色の他に、もうひとつ、新しい「日」の呪符を作りたかった」

 レミリアは咲夜と、フランドールは美鈴と、それぞれよく呪符を活用しているが、考えてみればパチュリーの「土」の呪符は活用の機会があまりなかった。ならば紅魔館以外の誰かに、自分の魔法をよくわかってくれる誰かに、新しい呪符をあげて会話をしてみたかった。土を照らす太陽のような誰かに、ただ何でもいい、普通の会話を、直接は話せない言葉を、呪符を通して話したかった。

「考えたんだけどな。いろいろ言いたいことはあるし気に入らないこともあるけど、この謎を解くためにはあんたの力が必要みたいなんだ」
「……そう。ちょうど私も、言いたいことは山ほどあるけど、まずはするべきことを済ませておこうと思っていたところよ」

 じゃあしばらくは休戦にしておくか、魔理沙がパチュリーに片手を差し出した。顔は決してパチュリーには向けず、出来る限り首を回して、相手の顔をなるべく見ないようにしていた。
 パチュリーも恐る恐るという感じで魔理沙の片手を伸ばした。もちろん彼女も顔を決して合わそうとせず、俯いて下を向いたままだった。
 互いの手が重なった――その瞬間、二人は同時に目を合わせてしまった。
 ふん、と二人はすぐに顔を背けた。だけどその顔を背けるタイミングは、やっぱり全く同じなのであった。


  ◆ ◆ ◆


 美鈴はいつもより重い頭を抱えて、すこし疲れたようなため息を零した。雨はもうすっかり上がっていた。濡れた地面が多少ぬかるんでいるが、少しずつ明かりは差し込んできており、これもじきに乾くだろうと思われた。とはいえ、雨降って地固まるを、あの二人が実現できたかどうかは少々不安だった。
 美鈴はゆっくりと顔を上げた。今日はいねむりをしなかった。身体は疲れていたが、意識ばかりは冴えきっていて、眠りに至るには少々難しかった。まあ、それ自体は貴重な経験とも言えるのだが、その原因、理由はというと、あまり誇れるものではなかった。
 きっとひどく怒られるだろう。だが自分だけの問題ですませられるのならそれでもいいと思えた。

「ちょっといいかしら」

 いつの間にか、自分のすぐ隣にはパチュリーが立っていた。急に声をかけられた美鈴は、びくりと身体を震わせた。

「な、なんでしょうか。パチュリー様」
「ちょっとお願いがあるのよ。あの木の枝、あそこに私の帽子が引っかかっているでしょう? 私の背じゃ届かないから代わりに取ってくれない?」

 風に飛ばされちゃってね、とパチュリーはいった。そういえば目の前のパチュリーはいつもの帽子を被っていなかった。
 快く引き受けた美鈴は、さっそく木の根元までいくと、帽子の引っかかっている枝に向かって手を伸ばした。だけども身体はふらふらして、帽子が飛ばされるような風が吹いたかどうかも、魔法でも飛翔でも、それをパチュリーが自分でとる手段などいくらでもあるということも、今の頭では考えられなかった。
 ――ああ、少し届かない。美鈴はつま先立ちになって身体を伸ばした。顎を上げて帽子を見据えると、それに向かって軽くジャンプした。美鈴の手が、枝に引っかかっていたパチュリーの帽子を掴んだ。

「なるほどな。こんなところに隠していたのか」

 帽子を手に取った美鈴に、また別の声がかかった。急いで振り向くと、緑色の帽子を持った魔理沙が立っていた。

「どうりで居眠りをしなかったわけだぜ。でもここしか隠し場所がなかったとはいえ、今も頭がしんどいんじゃないのか」

 こいつは精神エネルギーを吸うからな、と、魔理沙は八卦炉をころころと転がしながら笑った。八卦炉はただ持っているだけで精神力を食い、妖精メイドなどでは二、三分くらいしか持てないだろうというほどの物だった。
 美鈴は遅れながらもはっとして頭を押さえる。当たり前だが、隠していたものはもうそこにはなかった。

「さあ美鈴。上からレミィも見ていることだし、答え合わせをしましょうか」

 パチュリーはわざとらしく背後の館に視線を送った。美鈴はその窓にレミリアの姿を見つける。彼女は窓の向こうで腕を組み、じっとこちらを見つめていた。状況を理解した美鈴は、ついにお手上げのポーズをとった。
 ――魔理沙のミニ八卦炉は見つかった。それを盗んだのは、犯行は不可能と思われていた紅美鈴だったのだ。

「どうしてわかったんですか? 私が盗ったって」
「考えてみればそもそも難しい問題ではなかったわ。でも、私は部屋の密室にこだわり過ぎていた。もっと視野を広げて考えれば、答えはあっさりと出ていたはずなのに」
「私もだぜ。私はひとつひとつの可能性をもう少し深く考えるべきだった。腰を据えてじっくり考えれば、答えはずぐ近くにあったのに」

 二人は美鈴に向かって一歩前に進み出た。全く同じタイミングで近づいた二人に、美鈴は怯んで後退りをしてしまう。

「密室は密室。これさえ間違えなければ難しい問題ではなかったわ。図書館の密室が破られていないのなら、犯行はその外で行なわれたに決まっている」
「美鈴は言ったよな。八卦炉は図書館に忘れてきたんじゃないかって。その時点で私は踊らされていたんだ」

 門まで戻って美鈴との会話の後、魔理沙は自分の八卦炉がないことに気付いた。そこで美鈴から図書館に忘れたのではないかと指摘され、そうだったかと思ってまた図書館へ引き返した。ところが図書館は鍵を掛けて締め切られており、仕方がなく扉を蹴破って部屋の中へ侵入した。そうして八卦炉が置いてあるはずのテーブルの上を探したが、しかし八卦炉はどこにも見当たらなかった、というのが事件のあらましだった。
 だが、八卦炉が無くなったのは実は外だったとすると……?

「思考を誘導されていた。八卦炉が盗んだのはその直前だったのに。あなたが図書館に誘導したことによって、犯行場所は密室の図書館だと思い違えてしまったのよ」
「犯行場所は門の前、退館手続きをしていた時。私は受付に記帳するため利き手に持っていた八卦炉を机の上に置いた。その時だよな、美鈴が館の方で何かが光ったって言ったのは。そうやって私の意識を逸らし、八卦炉を盗んだんだ」

 魔理沙は突然の弾幕ごっこに備えて、いつも片手に八卦炉を持っていた。だが受付の手続きのためにはそれを放す必要があり、魔理沙は受付簿のあるカウンターの上にそれを置いた。だがその瞬間、美鈴は大声を出して屋敷の方が光ったと言った。結局何もなかったが、魔理沙の意識は少しだけ屋敷の方へ移された。美鈴の身体能力を持ってすれば、その少しの間に、カウンターに置かれた八卦炉を盗むことも難しくないだろう。

「魔理沙は八卦炉を紅魔館に持ってきていた。途中で落としてもいない。地下図書館は鍵を掛けて密室になっていた。全ての条件を整理すれば、あなたしか犯行が可能なひとはいないの。だから消去法によって犯人の特定は簡単だった」

 密室は密室。破られればもう密室ではないし、密室である以上は破られてはならない。他の可能性に目を向けて、ひとつひとつじっくり検証すれば、答えはすぐに出るようになっていたのだ。
 とはいえまだ疑問も残る。

「いったい何のためにこんなことをしたんだ? こんなもの美鈴には使えないだろう?」

 魔理沙は八卦炉を美鈴に見せながら言った。これはマジックアイテムであり、魔法を扱う者にしか用のない品物だ。美鈴は気を使えるが魔法を使えるわけではない。盗んだとしても活用の方法がないように思われた。
 美鈴は躊躇うように俯き、口元を引き結ぶが、やがて決心したのか、顔を上げてまっすぐに魔理沙たちを見た。

「私は魔理沙を図書館に連れ戻したかったんです」
「なんだって? 連れ戻してどうするつもりだったんだ? 美鈴に何の得がある」
「損得ではありません。魔理沙とパチュリー様が喧嘩したと聞いて、だから私が……」

 そこで美鈴は、驚いたように両眼を見開き、勢いよく背後の紅魔館へ振り返った。紅魔館には何の変化も見られない。だが、気の動きを察知することに長けた美鈴には、信じられないことが起こっているのが分かった。
 門の向こう、館内へ繋がる大きな扉をじっと見据える。直後、扉は内側から大きな音を立てて開け放たれた。

「フランドール様!?」

 美鈴が叫ぶ。館の中から現れたのは、地下室で幽閉中であるはずのフランドールだったのだ。扉の側で止まった彼女は、ぜいぜいと息を切らし、ゆっくり美鈴たちの方へ歩き出す。すぐに陽の光のことに気付いて、美鈴は畳んでいた雨傘を日傘代わりに差し出した。

「待って。美鈴を責めないで。美鈴は私の指示に従っただけなんだから」
「フランが? どういうことなの……?」

 混乱したパチュリーが屋敷の二階、レミリアの見ている窓に答えを求める。しかしレミリアは事情を知っているどころか、フランドールの登場に一番驚いているようであった。

「私は……パチュリーと魔理沙のふたりに仲直りして欲しかったの。上の図書館で喧嘩をしていたのは、全部聞こえていたから……」

 吸血鬼の耳はいい。二階にいても地下図書館のことは聞こえるし、さらに地下にいても、直上階の図書館のことはよく聞こえる。フランドールは魔理沙たちが共同捜査を始めるよりも前、彼女たちがつまらないことで喧嘩をはじめた時のことも、ちゃんと聞こえていたのだ。
 そしてすべてを聞いていたフランドールは、このまま魔理沙を帰してはならないと思った。

「つまり……実行したのは美鈴だけど、計画したのはフランだったってことか?」
「ええ。魔理沙が図書館から追い出されて、私は呪符を使って門のところにいる美鈴に連絡したわ。そして、どうにかして魔理沙を引き留めてってお願いしたの」
「私はその話を聞いて、魔理沙の八卦炉を盗みました。ただ戻ってくれと言ったのでは聞いてもらえないと思ったから……」

 だから美鈴は、怒れる魔理沙が館から出てきたときから、彼女の八卦炉を盗む機会をずっと窺っていたのだ。さらに待つだけでは見込みがないと悟ると、大声を出して館の方へ意識を逸らし、こちらから無理矢理隙を作らせた。そうして八卦炉を盗った美鈴は、それが図書館にあるのではと何食わぬ顔で言って、彼女を引き返させることに成功したのだ。
 しかしこの後、フランドールたちにとって考えてもいなかった誤算が生じる。

「パチュリーは魔理沙が戻ってこられないように、図書館に鍵を掛けてしまったのよ。そのせいでパチュリーが八卦炉を盗った容疑者になってしまった」

 地下室でそれを聞いていたフランドールは、また美鈴に連絡を取る。このままでは決定的な亀裂を自分たちの手で作ってしまうことになる。美鈴はすぐに訳を話そうと屋敷の中へ入ろうとした。レミリアからの命令を破ることになるが、罰は甘んじて受けようと思った。
 ところが、事態はそのレミリアのお蔭で思わぬ急転を迎えた。

「お姉様はあなたたちの話を聞いて、あなたたちを上手くくっつけることに成功したわ。私は地下室からそれも聞いていて、これは、あなたたちが素直になれるいい機会かもしれないと思った」
「だからしばらくは様子をみて、本当のことは黙っていたのね……」
「そうです。そして私たちの目論見通り、あなたたちは事件を通じて協力し合い、見事真相に辿り着きました」

 つまり、魔理沙たちが謎を解いて、犯人である自分たちのところに辿り着いてもらうことが、彼女たちの本当の目的だったのである。
 すべてを聞き終えた魔理沙は、力なく肩を落とした。

「おいおい、なんてこった。それじゃあ私たちはただの大マヌケじゃないか」
「まったくね。でも、どうしてあなたたちは、そこまで私たちのことを気にかけていたの? こう言っては何だけど、私たちはそんなに仲良しには見えなかったと思うけど」
「……パチュリーは覚えてる? 私がなんでこれを欲しがったのかを……」

 フランドールは自分の地下室でも見せた発光体を、胸のところまで持ってきた。それはパチュリーが、美鈴とフランドールの関係を見かねて作った、例の呪符だった。

「私は美鈴に謝りたかった。でも私は地下室から出られなくて、美鈴は外に行ったまま。吸血鬼の耳でも屋敷の外までは聞こえないし、第一、美鈴に私の声を届けられない」
「私も、パチュリー様には感謝しています。これがなければ、私はもう二度とフランドール様の声を聞くことが出来なかったかもしれませんから……」

 呪符の力で、切れかけていた二人の絆は再び繋ぎとめることが出来た。そんな二人にとって、些細なことで喧嘩別れしてしまった魔女たちを、放っておくことなどは出来なかった。もしかしたらその別れは、今生の別れになってしまうかもしれない。彼女たちには、自分たちのような思いをしてほしくなかったのだ。

「だから私たちに余計なお節介を焼こうと思ったわけね……」
「うん。でも、そのせいで二人には迷惑をかけてしまったから……ごめんなさい」
「私も謝ります。もともと八卦炉を盗んだのはこの私です。差し出がましい真似をして申し訳ありませんでした」

 フランドールと美鈴は、パチュリーと魔理沙の前で、ぺこりと頭を下げた。心から申し訳なく思っている二人に、魔理沙が嫌そうな顔をして、顔の前で手のひらを振った。

「あー、もうやめてくれ。こっちが恥ずかしくなる」
「そうね。なんだか馬鹿らしくなってきたわ」

 魔理沙とパチュリーにしてみればとんでもない失態である。あれだけ大騒ぎした八卦炉は、少し頭を整理すればすぐわかるところにあって、しかも盗った犯人たちの動機は、ほかならぬ自分たちの喧嘩だったというのだ。これで二人に謝罪させるなど、恥の上塗り以外の何物でもなかった。
 魔理沙は、横目でパチュリーをちらと見た。パチュリーも隣で同じようにし、はあ、と、どちらともなく疲れ切った息を吐いた。

「……魔理沙。今日の魔法実験、特別にあなたも来ていいわよ」
「そうか。じゃあ、まあ、参加してやろうかな」
「ええ、そうしなさい。参加させてあげるから」

 パチュリーは腕を組んでいる。唇を尖らせて、魔理沙とは眼を合わせず、明後日の方へ顔を向けている。魔理沙も、パチュリーとさして変わらないポーズで隣に並んでいる。
 馬鹿馬鹿しくて、阿保らしくて、訳もなく笑いたくなった。

「ぷっ」
「ばっかみたい」

 じゃあ私たちは中へ帰るから、そう告げて、パチュリーと魔理沙は、のろのろと開け放した扉の方へ向かって歩いて行った。フランドールと美鈴はそんな彼女たちの後姿を見送る。二人の距離が少しだけ縮んだように見えて、なんだかほっとしたような気分になった。

 一方レミリアは、その一部始終を屋敷の窓からずっと見ていた。パチュリーと魔理沙が中へ引き返したのを見て、同じようにほっとしていた。レミリアはこの魔女たちが好きだった。だから余計なお世話だろうが、この二人にはそうしてほしいと思っていた。
 レミリアはふっと隣に現れた咲夜に言った。

「おかえり咲夜。うまくいったみたいだぞ?」
「そのようでございますね。骨を折った甲斐がありました」
「まったくだ。世話の焼ける奴らだよ。……ところで、」

 レミリアは目を細めて苦々しい顔で咲夜を睨んだ。咲夜はその眼光を浴びて平然としていた。その手には、パチュリーたちがレミリアの部屋を訪れていた時に、途中でフランドールから呼び出しがかかった例の呪符があった。

「地下室の鍵は掛かっていたのかな?」
「さあ、どうだったでしょう。私は確かに閉めたと思っていましたが」
「わかっている。お前は優秀なメイドだ。私がしてほしいと思っていることを、先んじて実行することが出来るやつだ」

 それはそれは恐悦至極に御座います、咲夜は恭しく頭を下げる。いかにも瀟洒な仕草であったが、慇懃無礼というか、レミリアの機嫌を損なうには十分だった。
 レミリアは不貞腐れて窓の方を向いた。俯いて窓のさっしを見つめる。先ほどから感じているのは、怯えだった。

「……なあ、私にも出来るだろうか。パチェや魔理沙たちのように、雨降って地固まることが出来るだろうか?」

 フランドールと最後に直接口を利いたのはいつだったか。それこそ何百年も前の話に違いない。さっきは図書館から本当のことを少しだけ言うことが出来たが、もし直接対面したとしても、きっと言葉なんか出てこないだろう。
 しかしそんなレミリアに、咲夜は朗らかな口調で言うのだ。

「できますよ。妹様と、お嬢様は、きっと同じ想いのはずです」
「そうかな。私にはそれほど自信が無いよ」
「大丈夫です。雨はいつか上がるものですから。だって――、ほら」

 咲夜が窓の向こうを指さした。レミリアは俯いていた顔を引き上げた。
 窓の外には、虹があった。

 ――ああ、綺麗だな。

 それはとても綺麗な虹だった。七色の巨大な束が、雨上がりの空にはっきりと浮かんでいた。誰かと誰かを繋ぐ橋のようだった。空気中に漂う水分が、大地に降り注ぐ太陽の光を反射していた。雨上がりの露のかかる立木が、金を塗ったように光り輝いていた。全てを繋ぐ大きな橋が、抜けるような青い空に架かっていた。
 こんな風に自分も、彼女と繋がっていられたらいいのになと思った。
 レミリアはその虹の下に視線をやった。門のところから自分を見上げるフランドールの顔があった。それはじっと、許しを請うようにこちらを見つめ続けていた。

「……咲夜、約束だ。頭を撫でてあげるからこっちに来なさい」

 だからレミリアは、窓の向こうのことは見なかったことにした。踵を返し、後ろ向きのまま手を振って、何も見ていないふりをした。それが、せめてもの償いになればと思っていた。
 窓を見上げていたフランドールは、懐かしい美鈴の胸に飛び込んだ。


  ◆ ◆ ◆ ◆


 八卦炉の騒動からしばらく日が経った。フランドールは屋敷の中なら自由に歩き回ることを許され、美鈴も久しぶりに屋敷の中へ入ることができた。二人はよくくっついては、何やら楽しそうに話し合っているのが見かけられた。無論、吸血鬼の強大な力には気を付ける必要があるが、その姿にほっとしている者の数は、当人が思っている以上に多かった。
 レミリアはまだ、フランドールと直接口を利いたわけではなかった。吸血鬼姉妹の間にある何百年もの溝が、そう簡単に埋まるはずもなく、彼女たちの関係はまだぎくしゃくしていた。だが、少なくとも何かが変わり始めたのは確かであり、双方はこれからじっくり時間をかけて歩み寄っていくのだろう。もともと仲の良い姉妹であったのだから、決して不可能なことではないはずだ。もしかするとこの姉妹も、いつかは二人並んで歩ける日が来るのかもしれない。
 そしてそのフランドールだが、彼女は今日、地下魔法図書館でまた新しい魔法実験をするというのを聞いて、こっそりそれを盗み見にきていた。あの魔女たちも、八卦炉の騒動以来互いに距離を縮めており、今ではすっかり……。

「あなた、いったいどういう魔法の使い方をしてるのよ! そんなのでよく魔法使いを名乗れるわね!」
「いいじゃないか。ちゃんと完成したんだから。結果がすべてだろ!!」
「その結果が中途半端だから言ってるの! まったく基礎から全部やり直してもらいたいものだわ……」
「へっ、あんたこそ準備に時間かけ過ぎなんだよ。日が暮れるどころじゃなくて年が暮れるぜ」
「いいのよ、私は。いくら暮れようと寿命なんてないんだから。……まったく不便よねえ? 人間なんてすーぐにしわしわのお婆さんになってしまうのだから」
「何を言ってやがる。そういう考え方だからいつまで経っても要領が悪いままなんだ。少しは焦った方がいいんじゃないか、この若作りババア!!」
「なっ!? 違うわよ! 私には寿命なんてないんだから、ババアなんて概念は……」

 声は次第に騒々しさを増していく。少しずつ論点がずれていき、もはや何のことで言い合っていたのかわからなくなる。ただの罵り合いがはじまると、すぐに実験どころでは無くなった。
 フランドールはそんな魔女たちに対して思う。……もしかすると自分たちは、この魔女たちの絆を測り間違えていたのかもしれない、と。
 そうして侃々諤々と言い合う魔女たちを白い目で眺めながら、こういう関係性もありなのかもしれないと、そう思い直すことにした。





〈了〉
でんでんででんでんっ。
みすゞ
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コメント



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1.9個人的な感想しか書けないマン削除
パチェと魔理沙、レミリアとフラン、美鈴とフランのそれぞれの組み合わせがどれも可愛らしく、かつそれぞれならではの繋がりを持っており、読んでいて小気味よかったです。
2.10霽月削除
まさに喧嘩するほど仲がいいを地で行く二人でしたね。
パチュリーの方が魔理沙を子供に見るような関係が多いので、珍しい距離感の二人だなぁと思いました。

メインの二人だけではなく、他の面々の繋がりも捜査の途中に自然と見せているのがうまいなぁとも思いました。
3.310月削除
推理もトリックもザル。舞台設定も雑。せめて魔理沙が完全クズじゃなければ面白さのバランスがとれるだけに残念でした。
4.6ナルスフ削除
不器用な連中しかいない館だなぁ!
まぁ地固まってよかったよかった。
5.4がま口削除
パチュリーと魔理沙って、こんな露骨に悪口叩き合うほど仲悪かったかなぁ……という違和感が引っ掛かりました。
しかし、ミステリ仕立ての話の構成は好きなので最後まで読めました。
ちゃんと作中で素直にお互いを認め合うシーンもあり、一つの解釈としてはありなのかなぁ……との葛藤もあり、申し訳ありませんがこの点数で。
6.4u!冫ldwnd削除
ただ話を聞いて回って、何か得られたのかというパチュリーの不満が読者である自分の気持ちと合致してしまったかなと。
雨降って地固まるという話の読後感は良い物なのですが、そこに行き着くとしか見えない話であることもあって、ご都合的にいがみ合っている感じや退屈な感を覚えたのは確かです。
スカーレット姉妹のエピソードも間接的に語られる感じが強く、構成や掛け合いなりで道中を引っ張って行くには一歩足りない点が惜しいという印象でした。
7.5烏口泣鳴削除
魔理沙とパチュリーの協力する場面が少しあっさりだったかなぁと思います。
けれど二人の態度が少しずつ軟化していく様子は良かったです。
8.4めるめるめるめ削除
 全体に軽すぎることと、少し都合が良すぎることが気になりました。
 軽すぎるというのは四百年もフランを閉じ込めていたレミリアが、作中にあるようなささやか
な事件だけで部屋から出ることを許可してしまったことです。
 これは四百年監禁という重さとは釣り合わないことですし、そもそも監禁に至った理由からし
て些細な喧嘩だから忘れてしまったでは、どうにも釣り合わない。
 魔理沙とパチュリーがいつのまにか仲直りしてしまったことも、軽すぎるように思えました。
 なにが心変わりの切っ掛けなのか読み取れませんでした。
 都合が良すぎるという点は、事件の前提条件のことです。不測の弾幕ごっこに備えて八卦
炉を常に握っているだなんて不自然すぎて素直に呑める設定では無いですし(そもそも弾幕
ごっこ=命名決闘法なのですから、両者合意が前提なんじゃないかと。不意打ちに用心する
のはナンセンス)真相も、美鈴に盗まれて魔理沙が気付かないもんなんだろうかと疑問が残
ります。
 このトリック自体、前提条件と照らし合わせてフェアかアンフェアか微妙なものですから、読
者がフェアだと判断するためには相当な説得力が必要です。魔理沙が目を逸らした隙に盗ま
れて、魔理沙はそれに気付かず図書館に忘れたと勘違いしたでは、十分な説得力があるとは
思えませんでした。
 前半と中盤の魔理沙とパチュリーの喧嘩も、感情に任せて一方的に相手を詰っているばか
りで、本当に事件を解決する気があるんだろうかと疑いたくなります。
 何というか、全体に作品の都合であえて頭を悪くされてしまっているような印象を受けまた。 
9.4うるめ削除
パチュリーのキャラは新鮮で良かったのですが、ちょっと険悪な雰囲気の場面が長かったので読み辛さがあったように思います。
10.4きのせい削除
ミステリーとして見るべきか、パチェマリとして見るべきか悩んだっ。最終的にはパチュマリでしたが、スタートが割とミステリーっぽかったので、通信機や過去の事件が登場するまでそういう視点で読んでしまいました(その辺の話が出てからは自力推理は無理と判断しました)。
後半の演出がお気に入りです。
11.5あめの削除
面白かった。面白かったのです……が、自分でもよくわからないのですが何かもやもやします。
お話としては綺麗に纏まっていて良かったと思います。しかし逆にこぢんまりと纏まりすぎているのかもしれません。ミステリの答合わせのシーンであまりカタルシスが感じられなかった。
ストーリーの作りからして仕方がないのですが、どうしても「八卦炉が無くなった」というミステリの謎にわくわく感がないし、そのせいでお話にのめり込めなかったのかもしれません。

しかし、面白いか面白くないかの二つで答えるとしたら、間違いなく面白いです。ミステリを書けるだけでも十分すごい事だと思いますし、羨ましいです。
フランちゃん可愛い。
12.5名前がない程度の能力削除
呉越同舟…そこから育まれるものもありますよね。
13.8文鎮削除
難解なミステリーかと思いきや、蓋を開けてみると簡単なトリックだったんですね。
私も普段持ち歩いている携帯を無意識に置いてしまい、後でどこに置いたか分からなくなることがあるため、
美鈴のトリックに引っかかった魔理沙に非常に共感できます。
仲が良かったレミリアとフランがふとしたきっかけで何百年間も仲違いをしてしまうというのは、
小説のウェイクフィールドを思い出しました。
でも、このお話の最後で暗示されているように、きっかけがあったので元に戻れるのも近いのでしょうね。
14.7K.M削除
水と油というか、凸凹コンビというか。方向違うのに何だか合ってるそんなコンビは大好きです。