第十四回東方SSこんぺ(絆)

ラヴァーズ・ロック

2014/09/14 23:53:39
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「うう……酷い……私のことは遊びだったのね……」

 さめざめ、とした声が倉庫に――こころの家に響いていた。姥の面、その下には、砕け散りそうな心。

「悪いが、もう私は君とは会えないよ。私の事は忘れて、幸せに暮らせ」
「忘れるなんて出来ない! もう、私には貴方しかいないの。酷い、酷いよ、身も心も弄んで! ポイ捨てなんて!」

 倉庫の中は無論、薄暗い。鳴り響く言葉を、一層陰惨な物に感じさせる。修羅場は続く。

「私たちは……そういう割り切った関係だった。君もそれはわかりきっていただろう?」
「そんな……そんな……私の豊満なボディーだけが目当てだったというの?」
「楽しかったよ、君といた時間は。でももう終わったことだ」
「……わかった、この世界ではどうせ一緒になれないなら、向こうで一緒になりましょう。ははは、ははははは、あっはっは! 死ねよやー!」

 その面は橋姫になった。緑眼の魔物に押され、こころは長刀を取る。そして勢いよく降り降ろさんとしたとき――。

「いや、お主が豊満なのはスカートのサイズだけだと思うんじゃが……」

 人の姿が眼に止まった。布都の姿だ。扉は閉まっている。いつ開いたのか、いつ閉じたのか、そしていつから布都がいたのか。記憶になかった。修羅場に夢中だった。

「……ええと、あの、その、いつから見ていましたか?」

 勿論無表情のまま、猿の面と共に、困惑も露わに、こころは問いかける。倉庫の中を、沈黙が支配する。布都も応えあぐね、それでもなんとか口を開く。

「うむ。最初からだ。お主の一人芝居の始終を。勘違いするでないぞ、我は太子様からお主を呼べと言われたから来たのであって、何もこそこそ覗こうとしたわけではない……」
「……見たな」
「何度も呼びかけたのに反応しなかったのはお主じゃ。だいたい、我も急いで行けと言うから慌ててきたのに、返事もせずに」

 また、沈黙が広がる。それは事実だった。幾度呼びかけようとも、一人愛憎うずまく昼下がりを送るこころには、届いていなかった。

「一つ……この世の生き血を啜り……二つ、不埒な悪行三昧……三つ、この世の醜い覗き魔を……退治してくれよう、秦こころ」

 般若の面と共に、沈黙を破る。長刀の刃が、小さな窓越しに煌めく。惨劇の、始まりだ。

 ◇

 外は明るく、だが蒸し暑い。それに比べると、映画館の中は快適だ。河童驚異のメカニズムが生み出した空調で、心地よい温度が保たれている。

「ああ、ミミちゃんよミミちゃん、どうして貴方はミミちゃんなの?」
「きゅーん……(る~ことさん、私たちは敵同士なんです。貴方は霊夢の、私は魔理沙の道具に過ぎない……」
「そう、これは決して交われぬ定め。貴方の核弾頭は世界を壊す、私の核はお掃除のための動力源……」

 これが映画という物か、それ自体には感銘を受けた。映画、動く絵。そのようなものがあるとは仄聞している。墓場でゾンビと戦うアクション、そんな映画を見てきたぜ、いつか魔理沙が言っていた記憶もある。

(なんという三文劇だ)

 だが、娯楽という物にはさして明るくない布都も、「これはひどい」と心中で呟く。実際、映画館の中は昼寝のための場所と化していた。元より閑散としてはいるが、その僅かな観客も寝息を立てている。もしかすると、涼と睡眠だけを望んできた観客もいたのかもしれない。
 これは修行の一巻であろうか、そう思って耐えつつ、布都は終わりを待ち望む。いっそ、途中で出てしまおうかとすら思ったが、

「う、うう……うううう……」

 ぎゅっと手を握り、しな垂れかかりながら、眼に涙を溜めるこころ。それに遮られ、逃亡も適わなかった。

「ミミちゃんももうちょっと出る映画を選ぶべきだぜ……」
「せっかくあんなに可愛いのにね」
「霊夢はほぼ寝てただろ。私は七割は起きてたが」

 ロビーに出ると、そんな声が聞こえた。

「うう……なんて悲しいの……でもこれが愛の本当の形なのね……」
「そ、そうかもしれぬな」

 こころは違うようだが。無表情のままに、面が涙を流している。「どんな仕組みなのだろうか」と布都は思った。流石は太子様の面だ。とは感じる。
 そして、目の前にはそれが作り出した面霊気。

「さて、満足しただろう。太子様の元に赴こうぞ」
「は? 私にあんなに酷いことして……傷物にして……捨てるの? 私を弄んで……わかるわ、きっとお父様は私を捕まえて、禁断の愛に駆られたお父様は私を狙い――」
「太子様曰く、お父様と呼ぶな。お母様にしろ、お姉様だとよりいい、おねえちゃん♪ だと最高だ。とのことだ。だいたい――」

 はあ、と布都は大きくため息を付いた。

「酷いことも何も、お主が一人芝居に興じていただけだろう」
「……うん、そうして、私の秘め事を見て、じっくり観察して……責任、取ってくれるよね?」

 未だ一人芝居が続いているかのようなこころの勢い。眼からは、ハイライトが消えていた。ロビーの中には、幾らかの客がいる。「痴話喧嘩?」というような視線が飛んできた。
 恋愛映画だからして、客層もカップルが多い。それもあるのだろうか? こころはその空気に酔ったようになっているが、布都には耐え切れそうに無かった。彼女を知らぬ者から見ると、布都は少女にも少年にも見えるかもしれない。
 そも、尸解仙にとって形という物はあって無い物だ。肉体を捨てた身、自在に形を変えることは出来る。理屈の上の話だが。
 寝起きに比べると、布都の形は些か変わっていた、幼さを感じさせる姿である。第128期型、布都ちゃんmk-2といってもいいだろう。ロリとショタがギリギリかつ絶妙に、かつ調和した体になった。
 あまり、好む形ではなかったが。どうも、ストレスが溜まる度に、体が幼くなっているような気がしていた。
 戻したいが、ままならない。
 自在に形を変えるのは、容易なことではないのだ。流行に合わせた形を取っていると豪語し、望む形をとる神子は、例外だ。
 
 少女と、少年にも見える二人を見て、ひそひそ、とした声が聞こえた。布都も、少なからぬ知名度はある。しかし、少年のように見える少女。その辺りが、特定の層の心を一層強く掴んでいたかもしれない。

「酷い、私にあんなことして、なのに捨てるなんて……」

 よよ、としたこころの声。
 好奇の視線が、一層強くなるように思えて、布都は叫んだ。

「ええい、わかったわかった! 責任だかなんだか知らぬが、お主の言うことを聞いてやる! だからそう泣くでない! まったく、お主の知性の落ち方は底が見えぬのう」
「いいの? 聞いてくれるの?」
「ああ、聞いてやる。何がいいのだ? タオは無敵。風水も極めた身である我なら大概のことは叶えてやれるぞ、金運上昇、そんなのはおちゃのこさいさいじゃ」
「デートを、しましょう」
「は?」
「デートをするの」

 お主は何を言っているのだ。心底から布都は思った。「デートをしてください」と言いながら、こころは布都の手を取った。デートとはなんじゃったか。とは思わない。古くさい道士などと言われるよう、幻想郷一のモガを目指し、ナウな事柄を学んでいる布都には。

「何故デートをせねばならん。我は太子様から重要な命を受けておる。遊んでいる暇はないのじゃ」

 と言いつつ、布都は手を払った。瞬間、ぞっとするような声が聞こえてきた。彼女の無表情は、こんな声にこそ似つかわしい。

「また、裏切るの? 私のこの美乳を弄んで」

 言葉の難しさ、「び」が「微」か「美」は口頭では判断が付かぬ。
 裏切りも弄びも心当たりが有るわけも無い――この点を正確に説明すると、先ほどこころを払ったときに方が胸に当たったのだが、サイズの問題で、胸に当たったという点を布都は認識できていなかった。

「藍様、どうしてあの人達はこんなに泣いているんですか? こんな酷い映画なのに」
「橙、お前がもう少し大人になればわかるかもしれないな。とはいえ紫様のおらぬ間くらい全てを忘れて楽しもう……ああいうふしだらな楽しみはよくないが」

 他人の視線があるとなれば些末事でもない。タオへの信頼、ということにも関わってくる。
 自分の本義を思い出す。太子様の行動に対するアフターケア。それが自分の役目だと。
 この面霊気も太子様の行動の結果生み出された。そう思えば、忠誠心が行動力を生み出す。

「ああ、わかったわかった。お主に付き合ってやるから泣くな」
「え? 付き合う?」

 猿の面の下で、こころは頬を赤らめた。

「もう、よしてよ……照れちゃう」
「お主は何を言っておる」
「いきなり付き合うとか早いよ、まずはデートをして、お互いを知ってから。それからじっくり考えましょう? 布都ちゃん」
「ちゃん、とな。面としてのお主さえ生まれておらぬ頃から太子様に仕えておるのだが……」

 やれやれ、と思いながら布都は肩をすくめる。

「でも、ありがと♪ 今日は一緒に楽しもうね♪」

 そんな仕草をする間に、こころはステップで駆けだしていた。福の神と無表情を抱き、全身で喜びを露わにして、ドアへと向かう。

「やれやれ……」

 いいながらも、布都の心も微かに浮いていた。それは面霊気の力でもある。感情を操る力。それが彼女の力なのだから。

 ◇

 夕暮れ時。
 穏やかな音楽が流れていた。古い鍵盤楽器――ハープシコードの、どこか懐かしい音色が、穏やかな曲を奏でている。
 曲の元は蓄音機。お洒落を絵に描いたようなBGMが、カフェに流れていた。ガス灯の明かりが、淡く、路上のテーブルを照らしていた。
 こころは、持っていたトートバッグから、鏡を取り出す。己の顔を、鏡に映し、何かを納得したようだった。それから、「すいません」と店員に呼びかける。

「ベンティアドショットヘーゼルナッツバニラアーモンドキャラメルエキストラホイップキャラメルソースモカソースランバチップチョコレートクリームフラペチーノをください」
「はい、ベンティアドショットヘーゼルナッツバニラアーモンドキャラメルエキストラホイップキャラメルソースモカソースランバチップチョコレートクリームフラペチーノですね」

 流暢に注文したこころも強者だが、店員もプロフェッショナルである。「ベンティアドショットヘーゼルナッツバニラアーモンドキャラメルエキストラホイップキャラメルソースモカソースランバチップチョコレートクリームフラペチーノ」と言う注文に、些かの怯みも見せず、復唱をした。
 まだ見ぬ強豪は多い、と思いつつ、布都はメニューに眼を走らせる。ううむ、フラペチーノとはなんだ。キャラメルは知っているがキャラメルマキアートのマキアートとはなんだ。思い悩んでしまう。
 日は暮れてきて、空は明らんでいた。流石に、涼しさも感じられる。その中で、涼しさを感じる余裕も無かった。
 メニューの横文字羅列は、飛鳥人の理解を超えていた。こうすると、一秒が一分にも感じられる。店員の目も、急かすように感じられてしまう。布都はメニューの理解を諦めて、言った。

「ううむ……そうだな、では梅昆布茶をいただこうか」
「ええと……すいません、昆布茶は当店にはございません」
「もう、布都さん、餡蜜に団子の喫茶店じゃないんだから」
「このような店はよくわからぬのだ……ではこころのお薦めを頂こうか」
「う~ん。そうするとお揃いになるかなあ。それにあれだとけっこう甘いし」
「甘いのは構わぬ。少し疲れたしな、甘い物が欲しいよ」

 お主のせいでな、とは言わなかった。こころが上機嫌なのは十全に伝わっていた、流石にそれを言っては不作法だ。そのくらいの常識は、布都も持ち合わせている。
 こころは少し迷い、言った。

「じゃあ、すいません、シングルベンティキャラメルアーモンドヘーゼルナッツモカホワイトモカチョコチップエキストラホイップキャラメルソースチョコソースバニラクリームフラペチーノをください」
「はい、シングルベンティキャラメルアーモンドヘーゼルナッツモカホワイトモカチョコチップエキストラホイップキャラメルソースチョコソースバニラクリームフラペチーノですね」

 再びの復唱。匠の技を見せつけ、店員は注文を受けた。その姿が店内に消えると、幾らかは圧迫感が消えたような気はした。幾らかはだ。このお洒落漂うカフェは、そのオシャンティさは、飛鳥の感覚からは遙か遠くにある。
 思えば遠くにきたものだ。布都は思う。

「しかし、こんな長い品はメニューには見あたらぬな」
「いろいろと、アレンジできるの、チョコソースとかはもちろんそのソースで、ベンティなんてのはサイズで――」

 こころが説明をしているが、布都の頭に入ってこない。異国の言葉は馴染みがたい、そう思うだけだ。「スコアデザイアイーター」「ポイズンマーダー」そんな言葉が頭に過ぎった。
 存外、芳香も捨てた物ではないな、異国の言葉を熟知しておる。思う間に、

「お待たせいたしました」

 ベンティアドショットヘーゼルナッツバニラアーモンドキャラメルエキストラホイップキャラメルソースモカソースランバチップチョコレートクリームフラペチーノとシングルベンティキャラメルアーモンドヘーゼルナッツモカホワイトモカチョコチップエキストラホイップキャラメルソースチョコソースバニラクリームフラペチーノが届けられた。

「む、アイスクリームか、これはよいな。日は暮れてきたがまだ熱い。おっと、アイスくらいは我も知ってるぞ。当世に馴染むよう、奮闘しているのだ」
「それがフラペチーノね、氷と一緒にコーヒーを攪拌して、アイスを乗せるの。私のはチョコで、布都さんのはバニラ」

 名前は覚えられなかったが、このなんとかかんとかフラペチーノは美味だ。布都は感じる。甘く、冷たく、心地よい。よい時代だ。我が生きている時代にはこのようなものは無かった。と感嘆する。
 
「フラペチーノか。この郷は 我の知らぬ物で満ちている。音楽を流す物、蓄音機とか言ったか。飛鳥の世には、あのような物は想像も出来なかった。いや、氷もそうだ。この暑い夏に、氷が廉価に手に入る。それも夢じゃな」
「こういうのも案外新しいらしいんだけど。河童、と言うか山の神様のエネルギー革命? それまでは電気なんて里には何も無かったって聞いたわ。山では、一応その前からラジオとか開発してたらしいし、幺樂団なんてバンドが電子音楽をやってたとか」
「そうなのか。お主は詳しいのう。我はどうも新しいことには疎い」
「色々、知りたいの。ずっと勉強してるんだ。ラジオの試験放送とかいつだっけな。ええと、そうだ。119季。その新聞に書いてあった。それが初めての放送。失敗したそうだけど」 

 119季。布都が目覚めるよりも昔だ。こころは、いた。感情の安定し、人間味を持てなかった彼女は。

「感情を学ぶ一環にもなるだろう。よいことだ」
「えへへ、いいことなんだ。いいことだよね」
「それに物覚えもよいな。その試験放送とやらもそうだが、先ほどの長い注文、よく覚えられる物だ。こんな店には来慣れているのか?」
「ううん。初めて……だから私の初めてを……あなたは……奪ってしまいました」

 布都はあきれ顔で、フラペチーノを口に。でも、少しだけその仕草が可愛いと思ってしまった。こころの力のせいだろうか、単にこころの言葉と外観のせいだろうか、ともあれ、少しは「艶めかしい」と思ってはしまった。

「ともあれよく覚えられる物だ。メニューにしてもなんにしても」
「なんでもね、覚えていたいの。私の事も、覚えていて欲しいから」
「これだけ振り回されれば、今日の事だけでも忘れは出来ぬよ」

 一人劇、映画、そしてカフェ。並べれば少ないことだけれど、ころころと移り変わる感情と、それがもたらした行動を思えば、確かに忘れられそうにない。

「でも、蓄音機か……欲しいなあ……ラジオでもいいんだけど。でも高くて到底手がでないのよね。河童は本当にがめつくて」
「うむ。奴らは外道だ」
「ねー。散々面を買わされたわ。半分騙されつつ。お父さ――お姉ちゃんが作ってくれなかったら、今でも買い続けてたと思う」
「希望の面も安定してきたのかな」

 布都は、こころを見ながら言った。凝視するようにも見えたかもしれない。

「恥ずかしい……そんなに見ないでよ」
「面倒な奴じゃ」

 口に出すべきか、と思った。
 布都は、神子の密命を帯びてきている。

 ――可及的速やかにこころの様子を見てくるように。調子が悪いかもしれない。

 神子は言っていた。
 調子がいいのか、悪いのか、布都には判然としかねた。
 常人であれば異常なほどの感情の変わり方も、この面霊気にはいつもの事だった。
 恋心、とも言える態度がなんなのかは疑問だったが。

「少しは落ち着け、暴走でもしてみろ、また、太子様の手を煩わすことになる」
「それは嫌」

 こころは、肩を落とした。

「あんな風な暴走はもう嫌だと思うし、だからずっと感情を学ぼうと頑張ってるけど……もしかしたらまた我々はただの面になるんじゃないかと思うときも有る……」

 こころは、急に、憔悴した様子を浮かべる。穏やかなはずの音楽も、どこかもの悲しげに聞こえてしまう。

「案ずるな。そうなれば面を壊せばいいんだろう? そうすればお主の感情は暴走する。そのままでは困るが、太子様に面を作ってもらえば万事解決だ」
「乱暴な人」
「それが最善策だ」
「だーから布都ちゃんの周りには余計な争いが一杯。でも、ありがと♪ 凄く嬉しいよ、そう言ってくれるのは♪」
「相変わらず忙しい奴じゃ」

 ストローでかき混ぜ、フラペチーノを飲み込む。日は暮れていく。空は赤から闇に移りゆく。涼しさは、まださほど感じられない。それ以上に蒸し暑い。
 フラペチーノの冷たさが心地よい。陽気なこころ、ひょっとこの面。それもまた、心地よく感じられた。こころは一足先に飲み終えてしまったようだ。ぼんやりと、残った氷をストローでかき混ぜていく。ぼんやりと、問いかける。

「だいたい、争いは我の本意ではないのじゃよ」
「嘘だあ」

 くすくす、とこころは笑った。無表情のままに笑う姿は不気味だった。

「嘘ではない。我が目的は全て世のため人のため。我が戦うのも、正義のために過ぎぬ」

 きりり、とした目で布都はいった。それ自体は本心だ。世のためや正義というのは、全て神子に依存していたが。
 その辺りに深く突っ込むと面倒だと思ったのか、こころは話題を変える。

「夏服とか買いたいと思わない?」
「服は自前じゃからな、買おうとは思わぬ」
「え、嘘? 自分で繕ってるの? 流石布都さん、憧れます」
「いや、繕っているというわけでもないが――」

 尸解仙、と言うものは、姿形を自在に取ることが出来る。肉体を捨てた身、服という物も、肉体の延長、自らの意志のままである。とはいえ、もちろん形は己の意志に左右されるのだが。
 布都ははいていない。と言う事はドット絵を見れば明らかだ。とはいえ、何も布都が露出を好んでいるわけでも無い。飛鳥の世には下着などなかった。それだけの話だ。
 
「服などタオを持ってすれば自在に作ることが出来るのじゃ。そも、お主もそうであろう。面霊気とは即ち霊、肉体という物は仮初め、その衣服も、肉体もじゃが、お主の意が作っているのだろう」
「そうなの? 考えてみれば、近くにはこの服が山と有ったわ。気がついたときには」
「妖とはみなそうじゃな。我のように裸でおぎゃあと生まれたわけではない、まあ、裸で生まれたかもしれぬが、赤子として生まれたわけではなかろう」
「……何を想像してるんですか! 不潔!」
「お主の想像がわからぬのだが……」

 顔を赤らめ、じっと布都を見つめるこころ、もちろん無表情に。ジトッとした目が布都を撃つ。こんな場合は、無表情が似つかわしい。それはそれで魅力的だが、ジト目は玄人向けの魅力だ。布都は思わず眼を逸らしてしまう。フラペチーノの中身を見つめる。

「……また不潔!」
「何がじゃ」
「私の生足ばっかり見てる!」

 なんのことだ、と布都は思案する。まあ、スカートで有る以上生足が見えるのは必定だが……

「大事なところまでは露出してませんから! 穴もそこまで上にはないですし!」

 もう少し、思案する。なるほど、と合点がいった。模様とばかり思っていたスカートの装飾、よくよく見ると模様ではなく穴だった。穴の中に、確かに、足が見える。微かに。

「私は布都さんみたいに露出で誘ったりはしないんです!」
「これは機能性のためにであってだな。それはともかく、そいつはお主の作った服であろう、穴を空けたのもお主ではないか……」
「こ、これはですね、垣間見の美学です。この国の美しい伝統――でも夜這いは許しませんよ! まあ、素敵な歌でもあればもしかするとちょっとは……」

 面が浮いている。小面――若く美しい女、少女の面だ。もっとも、布都にはただ「女」としかわからなかったが。

「明るくはなったのじゃろうが、知性も段々落ちてきているのう……」
「勉強はしてるよ」

 面は、若女に。面が変わったというのは理解できても、面の違いはわからなかった。

「ほら、本も読んでるの」

 口調が、いつものことではあるが急に変わったのを見て、感情が切り替わったとは理解できるが。
 バッグから取り出された本を受け取る。雑誌だった。

「ふむ」

 ファッション誌だ。「バイバイ! うねり髪! 梅雨ヘア大特集!」「冥界の姫VS月の姫! 最強のセレブファッション!」「箒の次は帽子! 無邪気な帽子八枚重ねの最新コーディネート!」などなどと言う語句が、表紙には踊っていた。
 表紙には、笑顔のこいしが載せられていた。先日の異変ではまさしく人気者だった彼女。それも当然だろうか。頭には帽子を六枚重ねていて、両手にも帽子を持っている格好は最先端過ぎて、布都には理解しがたかったが。
 かつては、少女が大量の箒を重ね、決闘に赴いていたものだ。
 この程度は、幻想郷ではよくある事と言えよう。

「当世風の流行は難しいな。この格好など男か女かあやふやだ」
「お前が言うな。……失礼。でも、ボーイッシュなファッションもいいなーって。思ったりもするのね。まあ、こういうシャツはそんな感じで好きだけど……うん、決めた。布都さん。お洋服を買いに行きましょう」
「もうすぐ夜だぞ」
「夜はこれからこれから。というか店が閉まるにはまだ早いって! すいませーん♪ お会計お願いしまーす♪」

 陽気に言葉を投げて、手早く会計を――二人分を――払って、こころは足早に立ち上がった。布都の手を取って、引きずるように歩いて行く。

「こ、これ、引きずるでない」
「善は急げ♪ いこいこ」
「いやいや、我の会計は自分で出すぞ、気にするでない」
「いいよいいよ。今日はすっごく楽しいの。布都さんとのデートは楽しいな、本当に」
「デートとはなんだか、そもそも我はそれがよくわからんのだが……」
「もう、女の子にそんなことを言わせないの!」
「いや、我もそうであるし……それ以前に我は早く太子様の元に赴かねばならぬのだが……お主を連れて」

 確かに、この押しはこころであっても異常だと思えた。
 また、どこかの面でも落としたのだろうか。
 ならば、やはり早く神霊廟に連れて行かねばとは思う。

「大丈夫大丈夫。……そう、気にするな。お邪魔虫は我が暗黒能楽で地獄に送ってやるからな……」

 地を這うような声で、こころは呟く。ぞっとするような声音だった。「太子様に何を言うか」と心中では思いつつ、布都をして言葉を返せなかった。

 ◇

「これはどうかなー?」
「お似合いですよ」
「うーん。どっちも捨てがたいわね」

 店員に返した無表情。姿形を見てみれば、こころはスラリとした体に、整った顔を持っている。
 いつもの無表情も、モデルを感じさせたかもしれない。
 とはいえ、その格好には愛らしい笑みの方が似つかわしいのだろうか。

「ねえねえ布都ちゃん、どっちがいいかなあ?」

 と言ったこころの格好は、確かにボーイッシュだった。頭にはベージュのキャスケット。薄黄色のリネンシャツ。首もとには、グレーのTシャツが覗いている。
 下はくるぶしまでのデニムに、やはり青いデッキシューズだった。インビジブルソックスは外からは見えない。素足のようにして履く様は、なるほど涼しげだ。

「どちらでもよいのではないか……洋装のことはよくわからぬ」
「そういう回答をされると女の子は冷めちゃうの! 布都さん好みでいいから!」
「ふうむ」

 先ほどの格好を思い出す。ペイズリー柄のワンピースに、なかなかに複雑な編まれ方のサンダル。シンプルな分もあるのか、そちらが涼しげにも見えた。

「さっきの方が涼しそうでよいかもな。まあ、元の方がやはり似合っていた気もするが」
「じゃあさっきの方がいいかな? でもこっちも捨てがたいし……ならば買わずに後悔よりも買って後悔。すいません、両方とも全部ください」

 言って、こころは試着室に戻る。元の格好へと着替えるために。布都は、先ほどのワンピースを眺めてみる。あまり服のことは、ましてや洋服はわからないが、少しくらいは関心もある。「いかほどするのか」と値札を眺める。
 眼が飛び出るかと思った。和服が主のこの郷では洋服はまだ高い。そして、日々是修行、すなわち無職の布都ならば、なおさら高価に思える。

「ううむ……こんなにするのか。こころよ、お主、支払いはできるのか?」

 着替えを終え、試着室から出てきたこころに、思わず問いかけてしまう。

「お金? なら沢山持ってるよ。ふふ。我が能楽は大人気。神社で演じればそれはもうお捻りの山で。感謝してよいよ、大人気の私とデートできるなんてみんなに自慢できちゃう」
「そうか、では太子様に自慢してやろう。だからそろそろ赴くか。新しい服もすぐに着てみたいだろう? そこで仙界は便利でな、あらゆる空間が繋がっている、すぐに辿り着けるぞ、それこそ、そこのドアですら」

 高度な戦略だ。布都は思わず心中で持参してしまう。見事な流れだった

「そうですね」
「うむ」

 そうですね、と言ったのはこころではなかった。マントを翻し、仙界←→洋服店のどこでもドアを通し、聖人が降臨した。店内が光に包まれたかのように思える。少なくとも布都の主観では。

「布都よ、君はいつまで油を売っているのだ? 用事があるので面霊気を連れてこいと言ったはいいが、もう夜。流石に待ちくたびれたよ」
「これは太子様……失礼。我が知略を持ってしてもなかなかに難しい相手でしてな。とはいえついに説得に成功し、今まさに仙界に赴かんとしていた所です」

 仙界一の戦略家を自負するのが布都である。三国志で例えれば"南蛮一の知恵物"朶思大王に比するかもしれぬ。
 そして、過去と今と未来の全てを知る――と豪語する神子から見れば、布都の知略は孔明の前の張飛だ。あるいは劉禅。

「それにしても太子様、よくここに我らがいるとわかりましたな」
「未来など、全ては我が掌の中。欲を見れば、理解できることさ。故に待ちくたびれてはいるが怒ってはおらぬ」
「流石は太子様です」

 布都は主の知に、感動を覚えていた。

「むう。となると、お父様は、私たちがきゃっきゃうふふとデートをしてはお買い物に行くまで読んでいた?」
「お父様とは言うでない……親には等しいが」
「そうするとこれは両親公認……前途は洋々……」
「少なくとも両親ではないと思うのじゃが……」

 こころは、相変わらずの恋心モードである。

「まあ、案ずるな。予想通り、布都に執心で何よりだ」
「少なくとも保護者高認♪」

 こころは弾むような声を漏らした。

「君の願いを私は全力で応援する物だぞ……しかし、こころよ、布都の何がそんなに気に入ったのだ?」

 神子の問い。
 弾んだ気分は瞬時に移り変わり、顔を乙女心で赤らめる。

「そんなの恥ずかしくて言えないよ……」
「まあ、よかろう。口で言わずとも欲を聞けば全ては足りる」

 何をする、と言うわけではなかった。欲を聞くのは、神子の平生に過ぎない。特別な何かをする必要も無い。

「ふむ」

 呟き、神子は愉快そうに笑った。

「これは傑作だ」
「ふん、本当に私の心が読めるなんて証拠もないし! 私は布都さんと一緒にやることがあるの」
「太子様の前で口が過ぎるぞ」
「ならば、君が次に言うことを言ってやろう――」

 神子の声には確信を感じられた。

「――君は言うだろう。温泉にでも入って今日の汗を流したいと」
「二人で動き回ったからあとは温泉にでも――はっ!」

 こころの反応を見て、神子はからから、と高笑いを浮かべる。わかりやすい反応が、余程愉快だったのだろうか。
 とはいえ、からかい続けている気も無い。

「店の中で長話も迷惑だ。店主、失敬したな」

 威厳に満ちた態度で、神子は言った。プロレスラーが店内で乱闘をした。その程度なら許されるような風格があった。 

「それもそうだね。失礼失礼」
「君とはつもる話もある。温泉にでも行ってゆるりと話すとしよう」
「それは名案ですな。しかし太子様。いったい彼女に何の用があったのですか?」
「それも向こうで話そう。付いてこい。布都、こころよ」
「は!」
「はーい。そうね、温泉に入れるならいいか。星を射んとするならまず鼠を籠絡しろという理論」

 そうして、神子はドアを開ける。その先には仙界が――全てに繋がる世界の門の向こうには、温泉が待っている。マントを翻し、供を連れ、颯爽と。

「あの、すいません、お客様。お会計を……」
「おっと失礼。こころよ、会計がまだだと」
「忘れるところだった。失敬」

 そんな一コマが最後にあったのは、果たして計算ずくだったのだろうか。

 ◇ 

「け、けだもの!」

 月下に轟く悲鳴! 
 こころは真っ赤な顔で、甲高い声をあげる。全裸で。ここは温泉ゆえ、その姿は湯煙に隠れていて――ブルーレイ化も残念ながらないが。
 他の客の姿は見えなかった。間欠泉の側に点在する中でも、一際小さい、隠れ家のような温泉だというのもあるのだろうか、あるいは、他所で決闘でも行われているのかもしれない。
 ともあれ、貸し切りという中で、こころが。羞恥に震える。

「何がどうしたというのじゃ……」

 一足先に湯に浸かっていた布都は、怪訝な顔でそちらを見つめている。
 無事、神子と引き合わせることも出来た。こころに振り回されてきた疲れを温泉で癒やそう。と感じていたのだが。

「や、やめて……やめてください……」
「そう言われると私は力尽くでもなんとかしてやろうと思う質でな」

 神子の高笑いに、涙声が返ってきていた。
 もう一騒動有るのかと、布都は心中で嘆息した。
 こころに言ったとおり、世のため人のために行動したい。と布都は考え、その為に聖人に忠を尽くしている。
 争いも、決して望むところではない。
 結果的には、争いで満ちてはいるが……。
 
「い、痛い! やめて! 触らないで!」

 こころは、砂利道を後ずさる。 

「た、助けて……誰か、誰か助けて……」

 神子はこころの肩を掴んだ。全裸で。低い声音で、呟く。

「残念ながらここには私たちしかいないのだよ」 
「布都さん! 布都さん! 助けて! 汚されちゃう……ぎゃふ!」

 力尽くで神子を振り払おうとするこころ。神子は、すっと体を引いた。全裸で。押して駄目なら引いてみろ、と言う事だ。
 こころは前のめりに転んだ。しかし、それにも構わず、必死に抗っていく。
 抗うのも叶わない。ならばと、面を抱え、うずくまる。

「布都さん!」

 こころの叫びに、笑みと共に答える布都。

「なるほど汚れたのう。となれば洗わねばな」

 動かぬものを動かすことにこそ風水の真価がある。
 立向坐山。龍脈を操り、大地を隆起させる。こころは持ち上げられた。そして、吹き飛ばされ、温泉へ――。

「うぎゃ!」

 ――飛ばすはずだったが、狙いは誤り、こころは面ごとに温泉を囲う石へと激突した。

「す、すまぬ……操作を誤ったか。しっかりと皿を割っておくべきだった……」

 今日の布都の力は、回転寿司で言えばカッパ巻きだろう。これが雲丹や鮑、あるいは大トロ――装飾も麗しい金皿ならば、狙い通り温泉に飛ばせたのだろうが……。
 面が無ければ危ないところだった。面からは、涙が浮かんでいる。流石に、少なくないダメージがあったようだ。

「なるほど高度な戦略だな、布都よ」
「は? いえ、は、そうであります。今ですぞ太子様!」
「うむ」

 何が高度な戦略なのかはよくわからないが、ともあれ神子が納得した仕草なので合わせる布都である。

「助けを求めた所に不意打ちとはな……さあ、こころよ、全てをさらけ出せ!」
「やめて……みないで……」

 もはや、こころに抗う力は残っていないようだった。面をはぎ取り、こころのスレンダーな肢体を抱え、共に温泉に飛び込む。

「ふむ」

 神子は呟いた。片手で、こころを押さえつつ。

「どうなされました、太子様。そしてこころよ、そんなに温泉が嫌いなのか?」

 こころの態度は、神子の呟き以上に気になった。これ以上ないほどに、温泉を恐れているように見えたからだ。弱々しくも賢明に、神子を振りほどこうとしている。

「珍しい奴じゃ。そもそもお主が行きたいと言ったのじゃろう」
「そうだけど……うう……恥ずかしい……」

 両手で顔を隠し、消え入りそうな声で答えた。

「飛鳥の頃は確かに水浴び程度しかなかったが。当世に生きていると風呂はやはり必要じゃとわかる。仏教はいかんが、奴らが入浴の文化をもたらしたことだけは褒めて使わそう。まあ、奴らの蒸し風呂ではこうはいかんが。体を清めた上で、湯に浸かりきっちりと汗と汚れを流す。これが肝要じゃな。お主も風呂を嫌ってはいかんぞ」
「お風呂は毎日入ってます! ちゃんと銭湯に行って、オレンジの匂いがするシャンプーとコンディショナーに、トリートメントも付けて、お風呂から出た後は化粧水乳液――」
 
 このあたりはかなり長い話になるので大半は省く。女の子のヘアケアスキンケア。あるいはボディケア、そしてお化粧というものは非常に大変なのである。あの艶やかな無造作系ロングヘアもキープには手間がかかる。それだけだ。

「――で、私の髪は放っておくと跳ねるし、梅雨は特に大変で、こう、もっさりと見えてしまいそうだし――」

 おおよそを布都は聞き流す。女の子トークをしているせいか、こころはどうにか羞恥心を感じずに済んでいるようでもある。

「しかし太子様、どうなされたのですか? 何やら思うことがある様子ですが」
「ああ、この面なのだが、ひびが入っている」
「我の不徳です……」

 布都は頭を下げた。先刻、石にぶつけたときに傷が付いたと思ったからだ。

「いや、これはただの面ではない。ちょっとやそっと、そう、石にぶつかった程度でも割れる代物ではないのだ。私の霊力もあるし、泰河勝が使った言われもあり、何より面霊気の一部である以上、簡単にひびがはいるとも思えぬ。はて、どうしたことか。どうしたことかではないな、これもまた想像の範囲ではあるし」

 賢い人間の話にはよくあることだが、神子の話は当人の理解に周囲が追いつかないことも多い。「そうか、そういうことだったのかリリン!」→「君が何を言っているのかわからないよ、カヲルくん」という調子でだ。

「はあ。と、おい、こころよ! これはいかん!」

 神子の高度な読み。今の布都には、シンジ君におけるロンギヌスの槍とカシアスの槍の違いくらいどうでもいいことだった。目の前には喫緊の事態があったのである。

「打ち所が悪かった! こころよ、こころよ、起きるのだ!」」

 頭を、面を打った後遺症か。しばし目を離した隙に、こころが入水していた。温泉の底に沈んでいる。温泉だからしてさして深くはないが……底に這いつくばり、全身全霊でこころは入水していた。
 布都は慌ててこころを引き出す。

「恥ずかしい……見ないで……」

 布都の手さえも振り解き、今一度の入水を試みる。

「まったく、君に感情を教えてやろうと思ってきたのですがね」
「ぶくぶく」

 耳を閉じ、眼を閉じ、座りながら温泉に潜り込むこころ。自殺志願というわけではない。

「感情、ですか」
「ああ、羞恥、というものもまさしく感情」
「ぶくぶくぶかぁ! やっぱり私を辱めて陵辱しようとこんなところまで!」

 ちなみに、陵辱という言葉にはプライドを傷つけるというニュアンスもある。潜ってはのぼせたか、あるいは他の意味でか真っ赤になったこころが、どの意味で言ったかはさておき。

「旅の恥は掻き捨て、などというが。ここは狭い世界。こころ、お主はまだ不安定で不確かな面霊気。きっちりと感情を覚えていないと、どこで何をやらかすかわからないよ。私も、半分は家族と言っていい身だ。その前なら恥も許され、笑い話にもなろうが」
「恥ずかしいくらいわかります! 今はこんなに恥ずかしいのに!」
「それは思っているだけで、理解には至っていない。例えばだ、君の面、般若の面、それは怒りを表す。そしてだ、君は般若の面と共に猛った『希望の面を返せ!』とな」
「怒りだって知ってます。今だって面があれば長刀で惨劇にしてあげたいくらいに……」
「さて、本当に理解しているのかな。布都よ、君が彼女を最初に見たとき、どう思った。特に、般若の面と共にあった彼女は」

 狸の言葉を受け、里に赴き、こころと対面したときのこと。一字一句まで記憶にあるわけでないが……全体の印象ははっきりとあり、それで十分でもある。

「うむ。話す相手を間違えると大変だ。と感じましたな。面倒なことになると、すぐに承知できました」
「ひどい、面倒な相手だなんて。面倒な女だから捨てようというの?」
「それは言っておらぬ。そして捨てるも何も、お主は我のものではなかろう。ただの面でもあるまいし」

 二人の掛け合いを聞きつつ、神子は高笑いを浮かべた。心底から、愉快そうな声だった。

「くっくっく。布都よ、君のものにしてみるか。この面霊気を。弟子にはよいかもな。伸び代は十二分にある」
「弟子志願とあればやぶさかではありませぬが」

 言いつつも、布都の顔は渋かった。

「まあいい、こう長く入っていると、私ものぼせてしまいそうだ。一旦でるか。やはり面無しではまだ難しいな」
「難しい、ですか?」
「話は麦酒でも飲みつつ、ゆっくりと話そう」
「よいですな。仏教徒どもには決して味わえぬ快楽、たまりません」
「快楽……ああ、やっぱり私を辱めて楽しんでる……」

 面を付けぬこころは、まったくもってこの調子だ。

「……まあ、感情を学ぶのが上手くいかねば、私の元にこい、こころよ」
「……いざって時はね」
「決して暴走などせぬように、私が指導してやる」

 神子の唇には、含み笑いが浮かんでいた。布都からは、見て取れなかった。

 ◇

 石を外せば、その先は虫の巣かもしれない。あるいは、仙界でもある。三人は軽い乾杯を交わし、ビールを飲む。

「生き返った気分ですのう」
「文字通り私たちはそれを体験しているわけだが……あるいは彼女も」
「私は死んだ事なんてないよ」

 タオの神秘は、自然を揺るがす。仙界には、夏でも冷え切ったビールが並ぶ。神子の部屋は、タオによる、仙界驚異の技術力が作った空調が効いていて、心地よい。
 豪勢な調度は、概ねが洋風だった。これはタオの神秘ではなく、神子の人徳、聖人としての魅力がもたらした品々だ。
 神子はマントを外し、リラックスした様子で、見るからに高価で座り心地のよい、茶色の革張り椅子に座っている。
 向かいにはテーブルがあって、むろん豪勢なつまみが並んでいる。民を思う執政者とはいえ、やはり生活は上等になるのだ。
 椅子を回し、神子は二人の方を向く。少し見下ろされるようにして、赤い、ベロア地のソファーに二人は腰掛けていた。ベロアの光沢はどこまでも深く、木枠の色も落ち着いた風合いがあり、見た目だけでも、高価さを雄弁に示していた」

「さて、何から話すべきか」

 神子は一瞬、考える仕草を見せて、それからビールを一息に。やや、大衆的な姿だ。

「その前に、青娥はいるか!」
「はい。豊里耳様」
「ワインを持ってきて欲しい」
「ええ。どれがよろしいですか?」
「任せるよ」

 壁越しに神子の呼び声を聞いては、青娥が、よく冷えた白ワインを運んできた。三つのグラスと共に。青娥は流麗な仕草でワインを注ぎ、去っていった。

「先ほどの続きがよいか」

 ワインを一口。そのワインは甲州種で作られている、白ワインらしく、冷やしてこそ本来の味が感じられる。それは山の清流のように清らかで、葡萄の果実感と酸味が絶妙に調和し、ライムを思わせるシトラス香が心地よく(中略)要するに美味だ。

「感情を理解するとは何か、これは存外難しい。感情というものが個々人の感覚によるということもあるだろう。まあ、これを話しても長く小難しくなるだけだが、そうだな、こころよ、君はまだ、相手の感情を理解する力が弱い」
「だから……勉強してるの」
「その向上心はよいが、ともあれ現状の話をしよう。第一に、君の感情は他人との関わりが弱いのだ」
「どういうこと?」
「例えば相手が怒っていれば、こちらも怒るだろう。あるいは狼狽かもしれないし、恐れかもな。その反応は幾つもあるが、相手が激怒しているときに、心底から陽気に話しかける人間は、そうはいるまい。いれば、狂人だ。……そうすると、君はどうだろう、己が行いを鑑みてみたまえ」

 神子の言葉を聞き、こころは過去を思う。目覚めてまもない、あの頃を。

「そうですのう」

 布都は呟いた。
 初対面の時を思いながら。

「我と初めて会った時を思っても、褒めるとは言い難いの。あのような態度はよろしくない、お主から敵を作るようなものだ」

 布都は、丁寧に、穏やかに――少なくとも彼女なりには――問いかけたものだ。その返答は「お前、何をぐずぐずしている。さっさと希望の面をよこしやがれ!」と言う調子だった。

「いきなり『よこしやがれ!』などと激高されたら、温厚な我でも、いささかは腹にくるよ」
「……うん、ごめんなさい。スマイルスマイル。そうだね。いつも笑ってよう♪」

 面がひょっとこに切り替わる。

「笑えばよいというものではなかろうに」

 布都はあきれ顔で呟く。神子は、笑いながら言った。

「その通りだ。相手が心底落ち込んでいるとする。そう、例えば大切なものを無くして困っている。そんな相手にげらげらと笑いながら近づく者がいるとする。それはそれで腹立たしくもなる」
「そうか、そうだね。でも、たぶん今なら少しはわかる。マミゾウさんにも教わったし、みんなと決闘して、感情もわかってきたから」
「そうだな」

 神子はワインを一口、穏やかな微笑を携えつつ、言った。それからグラスに注ぎ、こころに手渡した。

「口には合うかな」
「……うん、とても美味しい」
「それはよかった」
「幾らでも飲めちゃいそう」
「そんな飲み方をするには勿体ない酒だ。あの巫女の宴会ならそれもよかろうが。では美味な酒に免じろ」

 言った瞬間に、こころの面をつかみ取る。
 神子の手に掴まれた面は、凄まじい力でこころに吸い寄せられていく。

「布都! 押さえつけろ! 面を付けさせるな! 頭から押さえるんだ!」

 強い声音で、神子は言った。

「え? あ……その……」

 布都は困惑を隠しきれない。そんな布都を見ながら、神子は言った。

「布都よ、聞こえていないのか?」

 先刻よりは、低く、小さな声だった。同時に、それが命令だと、抗ってはならぬものだと、感じられた。

「はい、太子様!」

 布都は困惑を覚えつつも、明確な声で答えた。
 こころを押さえる。頭に覆い被さるようにして、動きを止める。穏やかさを示す面は、神子の手の中に。
 こころの頭上には、般若の面が表れていた。

「こ、この野郎! 返せ! 返せ! 面を返しやがれ!」
「布都よ、その面を取れ」

 布都を振り払い、我が手で面をつかみ取ろうともがく。
 激怒と共に抗うこころだが、二人がかりでは長く続かない。般若の面もまた、布都の手に掴まれた。

「……お願い、返して……返して……恥ずかしい……なんでもするから返してください……」

 さめざめとした様子で、力なく呟く。そのさめざめとした様も長くはなく、心底から恥ずかしそうに「恥ずかしい」と呟き続けるのみだった。
 
「今回は先ほどより静かだな。とはいえなんとも恥ずかしそうだ。見物だな、征服感に溢れているぞ」

 愉悦を帯びた表情で、神子は高笑いを浮かべていた。
 布都は、その姿から目を逸らしつつ、言った。

「なるほど……面霊気にとっては、面を取られるのがここまで恥ずかしいのですな」
「結局は想像だが、人前で裸踊りをさせられるくらいには恥ずかしいのかもしれぬ。自分を覆い隠す物であり、自分を示す物……なるほど衣服とは変わらんな」

 こころを思うと、いたたまれなくなってくる。 

「とはいえもうよいでしょう、十全に理解できました」
「まあ、単に恥ずかしいだけでもないが。もう一つ、いや、二つほどは問題がある。布都よ、なんとも申し訳ないという顔だな」
「それは……何せこうも憔悴した様子、もうよいでしょう」

 その姿を見て、罪悪感が襲ってきた。その次に感じた感情は、恥辱だった。まるで、まるで我が身に起きたことのように感じられた。

「ああ、こころよ、済まなかった。しかし必要なことだ、許せ」
「何がどうして必要なのよ! この虐待野郎!」

 続けては、神子への怒りが沸いてきた。

「落ち着け落ち着け」

 言いながら、神子は女の面を被せた。布都も、次第に平静が戻ってくるように感じた。

「布都、君の心が、今見えたわけだが。こころの恥辱を我が身のように感じられただろう?」

 一瞬考え、布都は言った。

「……そうかもしれませぬ。いえ、そうでしょうな」

 確かに、自分は感じていたと思ったからだ。

「私への怒りすら感じるほどに」
「そんなたいそれたことは……」
「隠す必要は無い。欲が全てを語っていた。気にすることもない。私が仕向けたのだから。で、こころよ、落ち着いたか」

 先刻までの激怒が嘘かのように、こころは落ち着いた調子だった。

「うん」

 その声にも、怒りは見えなかった。不気味に思えるほどに、穏やかだった。「よし」と返した神子の言葉も、穏やかな物だった。
 
「そして、だ。言うまでも無いのだが、君は面霊気、君の力は、人の感情を操る力だ。君がただの人間ならば、今のままでも常識外れの変わった子で済むだろう。気まぐれで、可愛い、不思議ちゃんさ。だが、君の力は自分一人のものではないんだ。思い出せ、里を絶望で埋めたときのことを」
「……もう、暴走なんてしないよ。ああいうのは、嫌だ」
「そのための希望の面でもあるがな。さて、私は何を言おうとしていたのだったか」

 微笑を浮かべつつ、泰然と椅子に姿を預ける様からは、迷いなどは微塵も感じられない。二人が話を整理するための間だったのかもしれない。神子がそんな気遣いをする人間であるかは、さておき。

「そうそう」

 答えた声は、芝居じみていたが。布都ですらそう思うほどに――わざとらしく。

「今日の用件の一つは、君に恥ずかしさを教えてやろうとしたことだ。好ましく無い感情ほど、周囲への悪影響も大きいからな」
「悪影響なんてださないよう、暴走しないよう、頑張ってるの」
「逆らう事なきを宗とせよ。口に出せば足りるなら、政などいらぬさ。心がけや口では足りぬことのために、政がある。力や罰でもいいがな。ともあれ、私たちの前で恥ずかしがれてよかっただろう」

 神子の表情は穏やかで、人なつこさすら感じさせるほどだった。
  
「例えば、宴会に出向いたとする。宴もたけなわ。酒も回っている。さて、余興に躍りでも舞えという言葉が飛んでくる。君は踊るだろうな」
「それはもちろん。いつ何時誰が相手でも踊ってあげる。それこそが私の本分」
「裸踊りを舞えと言う声が飛んできた、さあ、酔っぱらっている君はどうするだろう。踊るだろうな、調子にのって気分良く。そして天狗が激写、一面を飾り、晴れて君は痴女になる」
「……なんだかあり得そうで怖い」

 ぶるり、と震えるようにして、こころは言った。

「裸踊りでもしろよ、という冗談を、君は真に受けそうだな。それは単に感情を知らぬだけでもなく、生まれてから……は長くとも、行動してきた時間。経験の少なさもあるだろう」

 目覚めてまもない面霊気。神子の声は諭すようであって、それでいて、母のように優しい声音だった。

「それは仕方ない、誰でも、最初は無知なものだ。しかし、君の力は里の民全てに裸踊りを踊らせるにも足りる」
「……里を覆い尽くす裸踊り。末法もかくやですのう。我らが眠っている間もずっと末法だったようですが。これだから仏教は。こういうのはなんと言いましたかな、そうそう。オワコンです。仏教はオワコン、永遠の末期状態です」

 布都が得意げな顔で呟いた辺り、それは死語の証明だろうか。

「人心の荒廃ここに極まる乱痴気騒ぎだな、だが、恥ずかしさというものは、一面では心地よくもあろう。そうだな、布都よ、言ってやれ」
「なんと?」
「うむ、『こころよ、お主は美しい』と言ってやれ」

 時が止まったかのように思えた。

「なんですと」
「愛の言葉をささやけと言っているのだ。気に食わぬか。ではこれでどうだ? 『君の瞳に乾杯』では」

 布都の千五百を越える齢――殆どは寝ていたが。ともあれその中でただ一度も口にすることは、思いつくこともなかった表現だ。
 神子は薄い笑いを浮かべ、グラスを手渡してきた。ワインが注がれている。揺らめくワインに、グラスに、自分の顔が映ったような気がした。白ワインの中で、布都の顔も、赤くなった気がした。

「…………」

 こころの表情をシンプルかつ力強く言えば「///」で、もう少し修飾すると、初心な林檎のように仄めいていたで、とにかく恥ずかしげにこころは座っていた。恋に恋する乙女の表情だ。
 布都は、恋に恋することを知らない。神子は、「愛って幾らでしょう?」と言いたくなるくらいすれてしまった、恋に恋する気持ちを忘れてしまった、しかし少女ではあった。
 無言の時間、主の期待する視線。

「こ、こころよ、お主の美しい瞳に乾杯」
「……美しいのは瞳だけ?」

 潤んだ眼に無表情で、こころは問いかけた。布都の心に浮かぶのは、どうしようもない恥ずかしさだ。カルピスのように、甘く、酸っぱい色を帯びた。

「お主は美しいぞ……」 
「…………」

 無言と無表情が、布都の目を射貫く。
 どれほどの無言と無表情に覆われていても。感情を察するのは容易だった。
 無言の空間が恐ろしい程に気恥ずかしかった。しかし、心地よかったのは確かだ。その気分の内のいくらかが、感情を操る妖怪がもたらしたとしても。

「初恋の味は甘酸っぱさ。安い比喩だが、甘酸っぱいならワインの味かもしれぬ」

 神子は、優雅な仕草でワインを口に運んでいた。

「素敵な言葉ね……」

 お世辞にも上等な比喩とは言い難かったが、こころは蕩けるような目で呟いた。

「そうであろうか……」

 布都の言葉に、反応は無かった。

「しかし、面霊気が面を無くしたら何になるのだろう」

 神子は言った。眼前にはこころ、その周囲では、ぐるぐる、と面が回っている。今は勿論、面を持った面霊気だ。
 面は動き、感情を捜している。

「霊気ですかのう」

 面を持った妖怪は、必死に面を捜している。
 恥ずかしくて、だけれど愛しい、その感情はなんというのだろう? 恋心だろうか
 それを示す面は、なかなか見つからなかった。

 ◇

「素敵なお家ね……見違えちゃった」
「風水的にも完璧だ」

 倉庫、こころの家だ。外から見ればやはり古めかしい倉庫にしか見えないが、中は確かに見違えていた。
 壁には柔らかい、緑の壁紙が貼られている。床には、淡い桃色をしたカーペット。薄汚い木の面影は、消え失せていた。中心には丸い、小振りなテーブル。テーブルクロスが敷かれ、背もたれの付いた丸椅子が囲んでいる。
 真新しいクローゼットには、新しい服が並べられ、壁にはポスターも貼られていた。恋愛映画のポスター。凛々しい主人公と、麗しいヒロインのモノクロ。
 と、列挙すればキリが無い。棚しかなかった倉庫、面を収めるための場所は、少女の住む家になっていた。壁の一方には能面がずらりとかけられている。それだけは、少女らしくはないかもしれない。

「これで、来客も招きやすいだろうと太子様もおっしゃっていた」
「お友達もお客さんも、がんがん呼べるね」
「太子様も、それが望みだろう。感情を平定するには、他人と関わるのがよいじゃろうしな」
「うん」

 こころは頷いた。

「でも、もう貯金もすっからかんだわ。またガンガン踊ってお金を貯めないと」
「手に仕事があるのはよいことじゃ。なに、金運にも十二分な配慮をしておる、その点でも心配は無用じゃ」
「素敵なお家になったのは貴方たちのおかげ♪ 本当に感謝してる♪」
「主に太子様……と青娥じゃな。我は、まあ屠自古も調度などは苦手で」

 実質は青娥かもしれない。彼女の美的センスは正しい。神子の部屋のセレブリティな佇まいは、彼女の手によるものだ。

「もっとお金を貯めたら、今度は家を建て直したいな。引っ越したいとは思うの」
「そうじゃのう。本来はそれがベストなのだろうが。お主が弟子になるというなら仙界に迎えるのもやぶさかではないが」

 確かに綺麗にはなったが。元は倉庫だ。匠の技をしても限界はある。窓は小さな通気口。部屋という概念のないワンルームで、風呂も無い。換気がよくないと言うことは、調理にも向きかねる。井戸は遠い。水道も、ここには通っていない。

「仙人はいいや。でも、家を立てるなら設計をしてやろう。ってお父様……じゃない。神子さんが言ってたな」
「設計図を既にこしらえていたのう。素晴らしいものじゃった。面を作らせても超一流。余技に過ぎぬのに。見事な方だ」
「流石は聖人、なんでも出来るのね」

 もっとも、こころがその設計図を見ればどう思ったのだろう。
 神子の美的センスは賛否の別れるところだ。神子の顔を象った、新型の希望の面。あれはなかなかアバンギャルドな造形だった。

 ――こういう案はどうだろう。里に希望をもたらすと共に、私の威光を知らしめることが出来よう。

 示した設計案は、神子の顔を象った外見というなんとも挑戦的なドリームハウスだった。ついでに言えば金塗りの塗装がされている。夜でも目だつだろう。

「しかし、この面は随分多いな。六十六以上あるように思えるが」

 壁の面を見ながら、布都は言った。幾つあるか、正確に数えるのは難しいほどだ。百は下るまい。それは理解できた。

「全部が全部、神子さんの作った面じゃ無いもの。もっと新しい時代の面もあるしね。例えばこれ」

 こころは面の一つを取り、手渡した。女の面だった。それは布都にもわかる。

「これは神子さんには作れないわよね。布都さん、貴方は能に興味はある? まあ無いよね」
「芸事には疎くてな。日々是修行の身ではなかなか」
「そういうのは人生を損してる気もするけど。まあ、これは玉藻御前の面よ。玉藻御前は知ってる?」

 玉藻御前。何処かで聞いたな。と思った。起きてから聞いたはずだ。それは確信できた。少し考えた。

「ふむ。狐の妖怪じゃったか。で、美女に化けておったとか言う」
「そうね。で、死んだら石になって、人を殺す石に化けたって話は知ってる?」
「どこかで聞いたのう。ああ、あの狐じゃ。八雲の狐から聞いたわ。殺生石とか言ったか」
「ええ、能にね、殺生石ってのがあって、その面はそう言うところで使うの」
「なるほど、それは太子様には作れぬの」

 我らが眠りについたより後の話では太子様には作れぬ。と布都は合点する。

「そうやって有名な人物は面になるのかの? ひょっとすると太子様の面は――有ったか」
「うん。希望の面。素敵な面よね。能には使えないけれど。で、固有の誰かが面になることはそうは無いわよ」

 こころは、また面を取った。その面を持って、口を動かそうとした。だが、すぐに閉じた。口は動いていたが、息は漏れていなかった。

「どうしたのだ?」

 その仕草の意味は布都には理解できなかった。何かは、気になっていたが。

「能ではそういう表現でもあるのかのう。口は動かすが声は出さないとでも」
「え? ああ、そういうわけじゃなくて。台詞を言おうと思って辞めたの。口で言っても、ああいうのはね。それに面を被るんだから、口を動かすも何も無いよ」
「それもそうじゃったな。言わないのもそうか。舞と共にあるのが能じゃった」
「そういうこと。舞だけじゃない。全てを使って、世界を作るの。自分を、自分以外の誰かにするの。演劇とか何かもそうかもしれないけど。とにかく能はそう言うものだと思ってる」

 こころは、面を壁にかけ直した。

「ちなみにこの面は老婆の面。人間は誰でもおばあちゃんになるし、それだけに色んな所で使われるわ。それこそ、小野小町だったり。って、言ってもわからないよね」
「タオや風水だけではいかん。幅広く関心を持てとは太子様も言っておる。我も日々学びに勤しんでおる。小野小町も知っておるぞ。美女の歌人だったか」
「そう、それが年老いて……なんてのにね。いつか踊るときもあるだろうから、見てくれたら嬉しいな」
「うむ。招待されれば、喜んで参じよう」

 面が壁から飛んでくる。と言っても、もちろん布都を狙い撃ったわけではない。決闘の場ではないのだから。福の神の面が、こころの頭上に収まり、

「嬉しいな♪ 特等席を用意しておくから!」

 無表情のこころに、陽気な声音を与えていた。

「……そして、あなたは私に夢中よ」

 万媚の面が浮き、艶めかしい声を放った。
 万媚の面。百の媚にも勝るほどの、一つのなまめかしさを示す。江戸の頃に考案された面。当然、聖徳王の作った物ではない。

「器用なやつじゃ」

 半分呆れたように、布都は呟いていた。
 その感情豊かな様に、段々と好意を抱いてきたのは、面霊気の力なのだろうか。

 ◇

 アタシ
 妖精
 歳?
 230
 いたずら相手?
 まぁ
 当たり前に
 いる
 てか
 いないわけないじゃん
 みたいな

「ふうむ」

 布都は重い息を漏らした。今、里で大人気の恋愛小説のことだ。机の上には何冊かの本が重ねられていた。どれもこころ曰く流行の小説との事だった。
 ここの所、こころと会うことは多く、こころは概ね、恋する乙女であった。

「当世風の娯楽は難しいですな」

 神子は静かに、手早くページを捲っていた。本はどれも布都が買ってきたものだが。興味があるのは――少なくとも、数多く読んでいるのは神子の方だった。布都の部屋まで赴き、書物に目を走らせていた。

「しかし、現代に対応せねばならぬぞ、布都よ」
「これはなかなかに難解。骨が折れそうです」

 神子の言はもっともだとは思う。執政者たるもの現代の民に受け入れなければならない。それは、理解できる。

「執政者たるもの、民草の娯楽にも通じねばならぬ。その親近感が、我らへの支持を生むのだ」

 神子の言に、然り、とは思える。

「そもそも、恋愛などと言うのは我は疎いのですよ」
「ならば恋愛小説など選ばねば良いのに」
「しかし、流行の話というのは概ね恋愛が主題のようですな。最近の者にはそれが良いのでしょうか?」
「何時の世も、あまり変わらぬ気はするがね。一度、書物を読み続けていたことがあるのだよ。仮死の時間を取り戻すというのも兼ねて。千年前の書物でもそこは変わらないな。歌を見ればそれは恋の歌。話を読めばそれは恋の話。小野小町も紫式部もみなそうだ」

 神子の言はわかる。だが、難解な書物を紐解くのは疲れが溜まった。

「恋愛が不得手なら、何か別の講義でもしても構わん。最近は、マルクス主義に興味が有ってね。どうかな?」

 神子の話を聞くことは、それ以上に骨とは思えたが。

「太子様、よろしければ茶を淹れて参りますが?」
「ああ、頼むよ」

 布都は茶を淹れに向かった。台所に向かい、火を付ける。ヤカンで湯を沸かす。

「あら布都ちゃん」

 壁から、首が飛び出てくる。
 無論、壁抜けの邪仙の声だった。 

「ちゃんと言うな」
「恋バナに興味があると聞いたわ」

 布都の抗議は微塵も耳に入れず、問いかけた。

「こいばなとはなんじゃ。魚か? 花か?」
「本気で言ってるの? それとも、それが面白い冗談だと思ってるの?」

 布都は、首を傾げつつ青娥を見やっていた。言っている意味がわからない。そんな調子だった。
 青娥は息を付いて、答えた。

「恋の話、略して恋バナ」

 布都は、ぽん、と手を叩く。なるほど、と得心が言ったようだった。

「なるほど。略した言葉は捉えがたくて困る。最近の言葉の乱れはどうもよろしからぬように思えるのう」
「今を生きているんだから、合わせないとしょうがないわね。昔が良かったなんてのは、貴方たちが死ぬ前より大昔からあったそうだけど……そんなのはいいのよ。布都ちゃんが恋する乙女になったと聞いたの」
「誰から聞いたのだ」
「誰とは言えないほどよ。こころちゃんと密会を重ねているともっともの評判よ。こりゃあ、赤飯でも炊かねばならぬって所ね」
「密会では無かろうに……」

 布都が、あれ以来――デートのようなもの以来、頻繁に会っているのは確かだった。とはいえ、少なくとも密会ではない。神子には出かけてくる旨、全て伝えているのだから。

「出かけると有れば、太子様には報告しているよ。直接もあれば言づてもあるが、我は第一の腹心だからな。そうやって急に備えるのも役目だ」
「密会は言葉の綾だけど。よろしくやっているのは確かね。ええ。将を射んとすればまずは馬から。豊里耳様に断って公認の仲とするのはよいことだわ」
「いや、それは太子様の急に置いても、我と連絡が取れるように心がけているだけだが――」
「こころがける。もう、さりげなくこころちゃんを思ってるアピール?」

 青娥は全身を壁から出し、布都の方をぽん、と叩いた。ヤカンからは、湯気がたっていた。

「こころと言うなと言われれば話すのは難しくなってしまうな……」

 はあ、とため息を付いては急須に湯を注ぐ。

「ああ、駄目よ。お茶を淹れるときは少し冷ましてからお湯を入れるの。そうすると甘みが出るわ」
「そうだったのか。何せ茶も起きてから知ったからのう。今後はそうするか」
「私の祖国では当然遙か昔からあるからね。本場の強みよ。中国四千年の歴史」

 中国四千年の重みを感じつつ、布都は茶を注いだ。少し黄色がかった水色だった。出す時間が長すぎたのかもしれない。

「恋のように甘いお茶も、本場の房中術も私にお任せあれね。恋で困ったらこのお姉さんに相談してみなさい」

 茶を盆に置く。その間に、言い終えた青娥は壁の向こうに消えていた。

「房中術とはなんじゃ。お主の技だからしてあくどい雰囲気は感じるが――」

 そんな声は、壁に遮られ、青娥には届かなかった。

「房中術とはなんなのじゃ」

 無性に気になったが、邪仙はいずこに消えたのだろうか。

 ◇ 

「太子様。お茶を淹れて参りました」
「ありがとう」
「伺いたいことがあるのですが」
「なにかな?」

 茶を手渡しつつ、布都は問いかけた。神子は口に運ぶ。甘さは少なかった。渋みが前面に出ていた。二口目を飲む気にはあまりならない。

「房中術とはなんでしょう?」

 しかし、二口目に手が伸びてしまう。間を作る。「お前は何を言っているんだ」という言葉を形にして、出し過ぎの茶の渋みを加えれば、神子の表情になるのだろうか。

「君は何を言っているのだね」
「いえ、青娥からそんな技が有るから教えてやると言われたのですが、あの邪仙のこと、どんなよこしまな技かもわかりませぬし」
「よこしまか……」

 一瞬、そんな気もしたが、否、とも感じる。

「まあ、平たく言えば男女の和合の道だ」
「ふむ。和合とは良い言葉ですな。我が無用な争いを招く、等と言われている事は承知しております。口さかしいものの陰口と言うのは容易ですが、『学ぶところのない人間などいない』と太子様もおっしゃっていました」
「うむ」
「我を罵る意見すらも学びの糧とし、和をもって尊しとなす、太子様のような道を歩んでいきたいものですな」

 布都は輝いた目で言った。些か抜けているところはあるが、このような向上心と忠誠心を持つ部下を見て、神子も眼を細める。

「是非、我に伝授していただけませんかな。房中術とやらを」
「ああ、うむ。そうだな……残念だが実践はいささか難しいのだよ」
「太子様にも難儀なことはあるのですな……」

 布都は、肩を落とすようにして言った。
 
「漢書を紐解くといい。書庫に収められているはずだ。貴重なものではあるが、特別に許そう」

 それは、かつて、日出ずる国の天子の命を受けし小野妹子が、大陸より持ち帰りし書物の一つである。その希少さ、謂われは言うまでも無い。故に、布都は述べた。

「いえ、書物の希少さは存じております」
「いや、漢書など今では本屋にいくらでもあるはずだが」
「よき時代ですな。皆が廉価に書から学べる」

 布都は、かつてを思い出す。日本最古の書物と伝えられる「三経義疏」を太子が記したあの頃を。書物とは、金銀宝玉よりも貴重な品であった。
 時代は変わった。外の世界では電子書籍が流行する昨今。活版印刷により作られた書物は幻想郷に満ちていた。

「しかし、内容はさておき、やはり古文書としての価値はありましょう。書庫の本はいずれも替えのきかぬ貴重な物」
「書物は、書物に過ぎない。お主が望むのなら、三経義疏であっても私は許すよ」

 三経義疏ですら読んでいい。詳細に口に出すのは憚られるから本を読め、という心境の神子であったが、布都はそこをくみ取ってはくれなかった。

「畏れ多い言葉です。しかし、流石に腰が引けて、読書にも身が入らぬ気がするのですよ」
「であれば、買い求めるのもよかろう。当世の物なら詳細な注もある。謝った理解には結びつくまい」
「謝った理解。何よりも恐ろしくはありますな。故に、書物も良いのですが、実戦で学びたいものです。注も、真に信用できるか、今の我にはわかりかねるところもありますので」
「じ、実戦ですか」
「ええ、太子様の手ほどきを受けられれば無常の幸福です」

 房中術を実戦で手ほどきして欲しい。と言う言葉に、よろしからぬ意味が含まれてはいないとは理解できるのだが……欲を見れば。

「…………いかぬ。急用を思い出した。習うならやはり青娥がよろしかろう。震旦の技だからな、彼女の方が詳しいだろうな」
「そも、タオの技は皆、かの国の秘術では……」

 そう言葉を投げかけた時には、もう神子の姿は無かった。魔法の箒で加速したかのような、鮮やかな逃げ足。布都は思わず固められてしまった。

 ◇

 ――貴方が大人の階段を上ったら教えてあげるわ。

 諦めて青娥に教えをこうかと思えば、青娥の返答はそれだった。
 やはり奴は当てにならぬ。思いつつ、布都は貸本屋に足を運ぶ。

「いらっしゃいませ」
「漢書はあるかの?」
「ええ。ああ、でも翻訳しか有りません。それでもいいですか?」
「構わぬよ。当世の言葉もようやくわかってきたのじゃ」
「貴方が生きていた頃は平仮名も片仮名もなかったのでしたっけ。何か不思議ですね」

 と、古代天狗語すら読み解く少女は言いつつ、本棚へと向かった。

「全部でいいですか?」

 文庫本だったが、かなりの厚みがある。それが八冊。少し、威圧感を感じたかもしれない。

「漢の歴史を学ぼうというわけでもないからのう。一部でよいかもしれぬ」
「そうですか。どなたか、調べたい人物でも?」
「いや、技について知りたくてな」
「技? ですか? そういう本でも無いとは思いますが」
「いやいや、太子様曰く、房中術の秘伝が収められているとのことでな」
「ぼ、房中術ですか……」

 小鈴は、たじろいだかのような声で言った。微かに、顔も赤くなっていただろうか。

「ええと、ああ、でも、それならこの巻に」

 それでも気を取り直して答えた時、扉が開いていることに気が付いた、少女が、こちらを睨み付けていることに気が付いた。無表情ゆえ、そう見えたのだろうか。

「ではそれだけ借りられ――」

 面が飛んできた。怒りを込めた面が飛んできた。布都の後頭部にぶち当たった。睨み付けていたことの証明だ。布都は目から星を出しつつも、タオで鍛えた力を振るい、どうにか振り向く。

「む……むむ……我に正面では適わぬと知って不意打ちか」
「不意を突いたわけではない! お前のセクハラに天罰を与えただけだ!」
「せくはらとはなんじゃ?」

 布都の知識から見ると、セクシャル・ハラスメントはモダンすぎる言葉だったかもしれない。返事は無かった。代わりにまた、面が飛んできた。流石の布都ももんどり打っては、崩れ落ちた。

「この変態! 見損なったぞ! 房中術だのセクハラだの、少女に向かって聞くなんてどれだけ高度なプレイだ」

 この場合、高度なのはこころの想像力ではあったが、しかし、次の瞬間に小鈴が想像したことは、想像力過多ではあるまい。布都の頭蓋を向けて、能面が降り降ろされた。すわ、殺人事件か。そうとすら小鈴は思った。
 崩れ落ちた布都に飛びかかり、全身全霊を込めて降り降ろされた能面。能面が鈍器であると証明するには十二分な、鈍く、重々しい音が響いた。「あの、大丈夫ですか?」と問いかけようか、小鈴は思ったが、それを躊躇わすほどの音であった。

「む、むむむ」

 しかし、道士は死滅していなかった。

「ここに拳王を目指した少女、布都は死んだ」
「拳王とはなんじゃ」
「体をいとえよ、布都」
「お主が殴りつけたんじゃろうに……。むう。しかし先ほどの一撃は、流石の我をして死を覚悟したぞ。いや、一回死んではおるがな」

 床には穴が開いていた。布都を逸らしての一撃ではあったが、道士をして死を覚悟する勢いではあった。
 その振動で本も崩れ落ちた。貴重な書物も、また。地霊殿より買い求めた北斗の拳全巻もまた――。

「素晴らしい一撃でしたね」

 と言った小鈴の笑みは、何よりもの脅しだったのだろうか。

 ◇ 

 房中術とはなんぞや?
 それはわからずじまいだったが、小鈴に気圧されそれどころではなかった。

「流石の私も死を覚悟したわ……」

 と嘆息するこころである。

「本が、増えたのう」
「もう置き場所がないから、買うんじゃなくて借りることにしたわ」
「それが正解かもしれぬな。仙界は無限の広さを持っているが、里はそうはいかぬ……しかし、なんじゃこれは。なんとも珍妙な味じゃの」
「せっかく貴方のために取っておいたのに」
「むう。それもそうじゃな。すまぬすまぬ。人様より賜った物にケチを付けるなど、礼を欠いておったわ」

 言いながら、布都はコーラに口を付けた。かつてのように、香霖堂に流れ着くだけではない。小規模ながら、幻想郷でも生産はされている。とはいえ、あまり評判は芳しくなかったが。
 炭酸の刺激に慣れてない者が、この郷の大半ならやむをえないのだろう。冷蔵庫も無い元倉庫で、生ぬるいとなれば尚更美味には感じにくかった。

 些か無理をしたようにして、布都はコーラを飲み干した。胃が膨れるような感じがある。喉も少し痛くなったような気がした。現代風の嗜好とは難しい。そう感じた。
 難しいと言えば、本だ。

「そうそう、私が貸した本、読んでくれた?」
「読んではおるが、どうも難解じゃ、一息に読み切るとはいかんな」
「難解? そうなのかな?」
「そも、物語という物に我は疎くてな。飛鳥の世には小説などなかったのじゃ。口伝の昔語りは無論あったが」
「そう言われると遙かな昔の話ねえ」

 こころはコーラを一口。少し、遠い目をしていた。

「馴染むのも大変でしょうね」
「まあのう。とはいえ、現代風な物はさして嫌いなわけではないのじゃ。……いや、そう思おうとしているだけかもしれぬが。やはり馴染めぬと思うときも有る」

 布都もまた、何かを思うようにして、すっと息を吐いた。

「太子様のように十全に馴染みきっておらぬ事は承知しておる。それが、無用な争いを招くとの誹りを受けていることもな。降りかかる火の粉は払わねばならぬが、我とて本来は和を好むのじゃ。和をもって貴しとなす。太子様の教えは常に意識しておるよ」
「和をもって貴しとなす。か、そこでしか学べない感情もあるわね」

 先ほど、能面で殴りつけたことも忘れて、こころは言った。

「うむ。最近は寺に火を放つのも、月に一度程度に留めておるよ。いかなる邪法が用いられておるのか、着火にも至らぬのもあるがなあ」
「そ、そうね。もっと減らせば、もっといいと思うわ」
「昔はこれから毎日寺を焼こうぜ、などと思っておったが。まあ、我も丸くなったわ」

 かっかっか、と大笑し、布都は得意げな顔だった。

「とはいえ、争うときには争わねばならぬ。可能な限りは避けるべきだとしても」
「そうねえ」
「太子様も、時には剣を取り、戦場に向かうときがある……だからこそ我のような腹心がしっかりアフターケアを行っているのだが」

 こころは、心中で巨大な疑問を抱いた。
 いや、貴方の行動はアフターケア(物理)ではなかったか、結局決闘で殴りつけただけではないか。
 そんな思いも去来したが、迷う間に、布都の言葉が続けられる。笑みは、些か薄らいで、声音には、申し訳ない、という色が足されていった。

「それでだ。まあ……今初めて思ったことでもないのだがな、決闘はまあいいじゃろう。先ほどのような暴力は……よろしくは無いが、何か我に落ち度があったのだろうな。それは許せ」

 頭を下げる布都。

「先ほど言ったように、当世の事柄はよくわからぬ。それがため、お主の機嫌を損ねてしまったのだろうからな」
「布都さん……」

 こころは、そんな姿を見て、気配りを聞いて、アフターケア(物理)などと思っていた己を恥じた。

「私みたいな面霊気に、そんなにも優しい言葉をかけてくれるなんて」
「そんなにも、と言うほど大層な事を言った覚えも無いが」

 その布都の思いは実際正しいのだが、恋する乙女には「自分にだけ、こんなにも優しい言葉をかけてくれた」となるのだ。

「まあ、これもアフターケアかもしれぬな。何せ、お主は太子様に作られたに等しい身、それを良き方向に導くのも、臣下の役目じゃ。なので言うがな。もっと面は大切に扱えぬ物かの。太子様が作られた品。もう少し丁寧に扱っても良かろう。ほら、あの面などひびが入っておるぞ」

 布都は、壁に掛けられた面の一つを指さした。ひびの入った、蝉丸の面を。

「うーん。そうねえ。能で使うのと、決闘で使う――つまり我々である面は違って、だから能の面は投げたりしないけれど……」
「その方が余程問題では無いのかな? お主を作る面が割れたら、またあのように暴走するのだろう」
「そうだけど……」

 こころも、それは重々承知している。面が欠けたら、自らの感情が暴走するとは。

「なんだろう……そうだね……誰にも言わないで欲しいんだけど」
「なんだか悩み顔じゃの。ならば約束しよう。太子様にすら言わぬよ。どうしたのだ」
「面が壊れることに、私は安心してしまう。面が壊せると信じたいから……たぶん私は投げているんだと思う。……ううん。そうでもないのかな。見てて、布都さん。あと、これは壊れないとわかってるからやるの」

 こころは立ち上がり、面の一つを掴んだ。鉄で作られた扉に向かい、勢いよく投げつけた。ドン! と鈍い音がした。ドアが、ひしゃげてしまうのではないかという音だった。

「この通り、到底壊せやしないわ」

 跳ね返された面を掴み、布都に手渡す。傷一つ、付いてはいなかった。

「ひびが入ってた面は違うの。あれは最初からひびが入ってるの。蝉丸の面。あれは辛さや痛さの象徴だから……でも、他は壊せはしない」
「流石は太子様という所か」

 面を見つつ、布都は、感嘆するような息を漏らした。
 そんな布都を身ながらの声は、不安げに聞こえた。
 
「いつかまた、昔みたいに感情の無くなった……調和した? そんな存在になってしまうと思うときがあるの」

 あるいは、恐れだろうか。その無表情には、布都が見てもわかるほどの、恐れを感じられた。

「そんな時に、私は面を壊してでも、ただの面に戻りたくないと思っちゃう」
「マミゾウが言っておっただろう。そのために、感情を学べと。奴は面倒で胡散臭いが、確かに知恵はある。そこは我も承知しておる」
「誰が保証してくれてもね。そうなるのは嫌だなと思う怖さは消えない。本を読んでも何も思わない、道を歩いていても何も感じ無い、貴方を見ても沸き立たない……」

 そこまで言って、こころはソファーに腰を下ろした。大きく、不安げな息を吐いた。ため息に載せて、不安の感情が、室内に満ちていくようだった。

「我が約束しようぞ。いざとなれば、面をたたき壊してやるとな。壊し方はわからぬが……なに、太子様なら熟知しておろう。何せ作り手じゃからな。そもそも、タオは無敵じゃ。いかに太子様の作られた品とはいえ、タオに敵うことはあるまい」

 からから、と布都は笑う。

「それでも足りぬなら巫女に聞いてみよう。奴は妖怪退治が専門じゃ。それでも足りぬなら寺に頭を下げてもいい。我がなんとしてでも面を粉々にしてやる。だからあまり気に病むな。スマイルスマイル、じゃろ?」
「そう、だね」
「だからそんな不安そうにするな。笑え」

 こころも、どうにかして笑おうとする、無表情のままで、まだ表情の作り方はわからない。それでも、笑おうとする。
 先ほどから浮いているのは姥の面。必死に、ひょっとこの面にしようとしている。自分の感情を、縛る面を、不安を表す面を振り払おうとする。

「くっくっく。笑うのはまだ難しいぞ、だが笑おうとしていることはよくわかる。その調子で精進しろ。そうすれば行く行くは、我が弟子に取り立ててやらぬでもない」
「弟子、弟子か。ねえ、道教のお弟子さんって何をやるのかな?」
「修行じゃ。日々是修行。それが我らじゃ、ゆえに、並々ならぬ覚悟と、十分な力量が求められる」
「なんのために修行をしているの?」
「ふむ……」

 布都は、言葉に詰まった。「修行して成長するのは楽しい」布都の目的はそれだ。目的と行動はイコールだ。
 とはいえ、それでは人が集まらぬ事は、布都も承知していた。宗教とはやはり利益がなければならぬ。それを省けば博麗神社のように寂れるとは。

「窮極的には不老不死じゃろうな」

 本心と言うよりは、有り体な理屈を口にした。

「それなら蓬莱人の肝でも食べた方が手っ取り早いんじゃない?」
「ふうむ。それもそうかもな。しかし、並みの人間では焼き殺されるのが関の山。だが、タオさえ学べばそれすら恐るるに足らぬな」
「じゃあ、強くなるために、貴方は学んでいるの?」
「どうだろうなあ。我の場合は、まあ個人的な事じゃが。修行そのものが楽しいよ。日々の全てに成長の実感があり、太子様のためになるとも思えるのは、愉快じゃ」

 個人的なこと、と言ったが、それ故に、布都の本心だった。
 こころも、不老不死よりは納得した顔だった。

「なるほどね。わかった気もする。あんまり私向けではない気もするけど……妖怪に寿命なんて無いし、お父様のために修行するってのもなんかね」
「お父様と言うなと何度も」

 布都は口を尖らせる。「お父様と呼ばせるな」は神子の厳命なのだ。

「布都さんの考えはわかった気がするよ」
「では是非タオを学ぼう」
「前向きに検討してみるわね」
「今なら入会金無料キャンペーンもあるぞ」
「それも含めて、善処してみるわ」

 こころが、前向きに善処する意志を表明し、首を縦に振らぬことは、布都に取っては遺憾だった。

「ねえ。もう一つ聞いていい?」
「うむ」
「不老不死になるのが目的。布都さんは、神子さんのためなら何事も厭わない」
「そうじゃ」
「じゃあ、神子さんに『死ね』って言われたらどうするの?」

 ありえぬ仮定だ。と思えた。太子様に向かって失礼な仮定を、と一喝してもよかったのだろう。

「どうするのじゃろうな……」

 しかし、口を付いたのは、濁した言葉だけだった。もし、そうなったとしたら、自分はどうするのか? その答えは、見いだせなかった。
 

 ◇

 仙界に戻り、日々を送り、考えてもなお、答えは見つからなかった。
神子の部屋を訪れると、彼女は机に向かい、筆を動かしていた。

「太子様。今、お時間をいただいてもよろしいでしょうか?」
「構わぬよ。悩み顔だな。話すと言い」

悩み顔だな、とは言っていたが、その目は布都には向いていない。机だけに向かっている。構わぬよ、という言葉に従い、布都は背中に問いかける。

「先日こころに問いかけられましてな……あくまでも仮定です。我はさておき、彼女を責めぬようにお願いします」
「そこまで言われるとどんな辛辣な問いが有ったかと不安になってしまうな」

 背中越しの笑い声が聞こえてきた。

「私を悪し様に罵りでもしたかな? それとも謀反の相談でも?」
「い、いえ。そんなたいそれたことなど考えるわけもありません。それはこころも同様。太子様の娘にも等しいのですから」

 汗を流すようにして、布都は答えた。

「なんにせよ、話してみたまえ」

 背中越しにも、布都の表情は十全に理解できていた。それが、聖人だ。元来、問いかけを聞く必要すらない。全ては、欲が示している。
 少なくとも、神子はそう思っている。

「タオの目指すところは、不老不死ですな」
「不老不死もまた、仙人を目指し、道となる過程かもしれぬが……間違ってはおるまい」
「はい」
「しかし、君は本当に不老不死を目指しているのかな? 私から見れば、修行その物が目的に見えるよ、修行自体が、愉快でたまらないとな」
「否定はしかねます」

 布都は背中に向かい、頷いた。

「そこでです。本題にも近くなるのですが」
「近づいていくよりも、単刀直入に言ってくれた方がありがたいがね。君の話を聞けないほど厄介な作業をしているわけでもないが」

 神子は右手を、忙しなく動かしている。何か、書き物でもしているのだろうか。布都からは、それ以上は見て取れない。 

「申し訳ない……ええと、まあ、でして、修行が愉快なのは確かです。しかし、それ以上に、太子様の力になるため、日々精進を重ねております」
「頼もしい言葉だ」
「しかしながらタオこそ我が道でもある。ここで問いかけられましてな。『貴方は神子さんに死ねと言われたらどうするの?』と」
「愚かな質問だな」

 神子は、振り向いて言った。顔は笑っていた。布都の目からは、薄笑いに見えた。

「む、無論愚かな質問であります。太子様がそのようにおっしゃるなどあるわけもない」

 頭を下げ――目を背けるようにして、布都は狼狽した声をあげる。 

「布都よ、君は復活するときに惚けたのか? それともまだ寝起きなのか? 私は、君たちに死ねということになんの痛痒も感じないよ。いや、痛痒を感じないことはない。しかし、小を捨てて大を取るのが執政者だろう。公は、常に私に優先するのだ」

 声は、決して荒ぶってはいない。はっきりとした口調だが、落ち着いた物だった。
 
「呵責を受け止める心構えは常に持っているよ。そもそもだ、私は君に命をかけさせたであろう?」

 一瞬、布都はわからなかった。神子が、何を指しているのかが。
 ややあって、ようやく理解する。尸解仙と化したときかと。

「我らが尸解仙となったときでありますかな?」
「無論だ」
「でしたならば、我は命をかけたなどとは思っておりませぬ。太子様の計画に狂いがあるはずもない。我は、欠片ほどの不安も無く眠りにつきました」
「迷うな」

 くっく、と笑いつつ、神子は言った。客観的に見れば馬鹿にするような笑いだろう。布都をして、その忠誠心をして、その色を感じてしまった。

「お主の忠誠心を褒めるべきか、それとも判断力の欠如を叱るべきか。前者は家臣には欠かせぬが、後者は恐るべき者だ。『無能な働き者がもっとも恐ろしい』先日読んだ書物に記されていた。いやはや、やはりどんな者にも学ぶところはある。実感できるよ」

 言って、神子はまた、机に向かった。布都は沈黙した。何を答えるべきなのか、よくわからなかった。口を動かして、息は漏れない。困惑していた。

「む、いけませんね。字を書き間違えてしまった」

 大きな声を作って、神子は言った。あえて間違えたのかもしれない。いや、そもそも間違えてはいないのだろうか。布都の目からは、見えないことだ。

「聖人にも筆の誤りか」

 そう続けた言葉は、布都にすらわざとらしく聞こえた。軽い口調だった。間違えたことに対する反省などは、欠片も感じられなかった。

「ああ、ちなみに、私は家臣を殺したことはあるよ。屠自古だ」

 その言葉もまた、軽く述べられた。布都に取っては重い言葉だったとしても。 

「あれは……あれは……我の責任であります。なんとも愚かな妄執でしたが、あの時はそうするべきだと思ってしまったのです。我が一族、昔年の怨みを晴らすにはそうするべきだと」
「嘘を付くな」

 布都へ向き直した瞬間、一転して、声は重々しくなった。烈しい色を帯びつつも、先ほどまでの軽い声音は何処にも無かった。

「そんなものは言い訳だ。よしんば一分の真実が含まれているとしよう。しかし、一分だ。あとの九分はお主の虚栄心だ。腹心は己だけでいい、そう思ったのが九分だ」

 神子の言葉を受け「違います」と言いたくなった。しかし、やはり言葉は出てこない。

「君がそう思っているのはわかる。しかし、欲という者はそんな自己欺瞞では覆い隠せるものではない。私は自分の力を信じている。だから、お主が虚栄心のために屠自古の壺をすり替え、殺した。そう信じている」

 同時に「そうでありました」と言う言葉も出てこなかった。己が何故屠自古を亡霊と――それは結果論。相応しいのは殺した――したのか、自分自身でも計りかねていた。両者がない交ぜになっていたのは確かだ。

「……しかし、やはり君は気に病む必要など無い」

 神子の声は、穏やかな響きとなった。顔にも、柔らかな笑みが浮かんでいる。

「なぜならば、彼女を殺したのは私だ。欲を見れば、過去、現在、そして未来もまた、わかる」
「はい」
「ならばお主程度の計画が我にわからぬわけがあるまい。壺をすり替えるだろう。そんなものは百も承知だ。私は全てを知った上で見逃した。故に、君が気に病む必要は無い」

 その言葉は、責を自分に回す言葉だった。しかし、命令のようにも聞こえた。

「屠自古が快適なのは承知だ。そこまで見据えて、あえて殺した……おためごかしにも聞こえるが、実際そうだな。屠自古は肉体を捨てて満足を得たのは確かだ」

 布都は、何を答えるべきかよくわからなかった。

「さて、話が逸れてしまった気もするが、つまりはだ、私がお主に『死ね』と命ずるときもあるやもしれんな。私の力とて万能ではない、弥勒菩薩が訪れるまでの全てを読めるとまでは言わぬが……」

 そんなことはない。布都には、断言できるだけの物はなかった。

「もし、そのような時が来れば、私は泣いて布都を切るだろう」

 いや、あり得てもおかしくはない。そう思えた。
 過去に、一度自分は命をかけていた……思えば、尚更だ。

「……恐らく、恐らくですが」

 布都は、どうにか声を出す。

「それが太子様のためと有れば、我はこの命を投げ出せる。そう思っております」

 そう思えていたのは、確かだった。神子のために尽くす。それが、布都の目的なのだから。

「今のところはそう思っていることはよくわかる。いざ、と言うときにどうなるかは……その時のお楽しみか」

 神子は、微かな笑みを見せていた。柔らかく、人なつこい笑みを作った。

「少々きついことを言った。許せ」
「無論です」
「きついこと、嫌な事から目を背けても、歪になってしまう。……肌触りのいい感情だけを望むのも、後で効いてくるよ。そうありたいのはわかるが」
 
 何かを含んだ言葉には思えたが、布都には計りかねてしまった。
 
「すまぬが話はここまでだ。今日もまた、所用がある」

 布都が計るより先に、神子は立ち上がった。その姿に、布都は深々と頭を下げる。
 
「我のために時間を割いていただき、感謝しております。しかし、この所、多忙なようですな」
「ちょっとしたミスをしたことに気が付いてね。自分自身の失敗だから世話がないのだが」

 神子は、肩を竦め、微笑を浮かべていた。 
 
「太子様でもやはり失敗はあるのですなあ」
「失敗は必ずしも忌むべきことではない。好むことでもないが、やはりそこからしか学べぬ事もある。肝要なのは、失敗をしないことよりも、害が出るまえの対策だな」
「ふむ。なるほど。我も心得ておきます」
「少しばかり時間がかかる用事かもしれぬ。まあ、心配するな」
「はい」

 神子は部屋を去り、布都もまた、己の部屋へと足を進める。
 途中、大きく息を吐いた。息が詰まりそうだった。
 恐れ、確かにそれを抱いていた。

 ◇

 数日の間だ。神子は戻ってこなかった。布都は部屋に籠もり、修行に全てを捧げていた。
 布都の心には、恐れに似た感情が有った。小骨が刺さったかのように、微かだが確かな恐れが。
 ならば、修行に勤める。無心に修行をするときは何よりも穏やかな気持ちになれるのだ。
 野外での修行に勤しまんと、庭に出る。ふわり、ふわり、と浮かぶ屠自古に、声をかけられた。

「何日かぶりに見たな」
「修行が忙しかったのじゃ」
「お前は確かに趣味が修行って感じだけど、ここまで修行をするのも珍しいな」
「お主は努力が足りんのじゃ、少しは我を見習え」

 いつものように、布都は声を返す。瞬間、轟音が轟いた。

「……おっと、確かに修行は必要かもな。狙いが逸れてしまった。お前を消し炭にしてやろうと思ったんだが」

 落雷。土が黒ずみ、焦げ臭い臭いが漂う。それ自体は、いつものことだ、屠自古流の挨拶と言ってもいいだろう。
 焦げ臭い匂いの中で、布都は思った。不意に、神子の言葉が頭を過ぎる。

 ――お前が屠自古を殺したのだ。

 布都は、修行の手を止めた。悄然とした様子で佇んでいる。先刻、いつものように挨拶を出来たことが奇跡に思えた。習慣となった事柄を、再び出来るように感じられなかった。

「……消し炭にされるのもやむなしかもしれぬ」

 力なく、布都は呟いた。

「ああ、だからそこでじっとしていてくれ、バーベキューにしてやるから」
「実際、そうされても致し方ない。そう思えている。だがなあ、その前に一つだけ聞いてくれ、屠自古よ」
「遺産相続か? 辞世の句か? その程度を聞く慈悲はあるさ」
「思えば、お主にしっかりと詫びたことは無いように思える。だから、詫びておかねばと思ってな」
「…………」

 布都は肩を落としながら話していた。「なんの話だ?」と屠自古はいいかけ、辞めた。
 二人の間には浅からぬ因縁がある。それは、重々承知であった。

「何があったんだ。私の物でも壊したか?」

 何か、謀でも練っているのか。そんな気持ちも、皆無ではなかったが。

「まさか」
「そうすると、悪い物でも食べたか、それともまた弟子の勧誘に失敗したか」
「そんなことはない。我は、ただ、お主に詫びたいだけじゃ。二心は無い。これは太子様に誓おう」
「ふうむ」

 布都の忠誠心という者は、屠自古も重々承知している。単に亡霊が快適と言うだけでもない。怨み、争うよりは、許した方が神子のためになる。
 彼女はとて、布都と協力する。それが神子のためになるとは、わかっていた。
 それだけに、太子様に誓う、と言う言葉を聞き、布都が心底から詫びようとしていることは理解できた。

「だったら、とりあえず掃除でもしてくれ。掃除をしろとは言いつけられているんだが、面倒だしなあ」

 何故、布都が急に詫びる気になったのか。屠自古にはわからない。先刻の話など、つゆ知らぬ屠自古には。

「造作もない。弟子達もおらんのう。太子様がいないせいか」
「ああ。大事なことがあるからと、弟子たちに暇を出したらしい。ともあれ掃除をしてくれりゃあ助かる。まあ、私の怨みを晴らすにはあと百八は貸しを返してもらわなければならないが……頼み事リストでも考えておくか」

 布都に箒を渡し、屠自古は飛び立っていった。釈然としない様子を浮かべつつ。
 布都は箒を動かす。仙界は広い。屠自古は完全にサボっていたのだろう。掃除の痕跡は一切無かった。何時になれば掃除が終わるのかとは感じるが、単純な掃除を続けていると、それもまた頭を動かす必要が無く、楽だった。

 命じられたまま動くのがもっとも楽だな。と布都は思った。常日頃から思っていた事だろうか。神子のようにはなれないと思っていたし、ならば、その命に従い、生きていきたいと思えていた。
 表に立つのは神子、己はそのアフターケアに徹しよう。先日の異変での行動も、あくまで裏方に回りたいという意志の元にあった。

 ――思えば、あれは数少ない我の意志での決断じゃったな。

 屠自古の壺を割ったときの事を思い出し、心中で呟いた。思い出すと、感じられた。自分自身での決断などろくな結果を生まない。太子様の決断に従い、臣下として指示通り遂行に尽くす。それが最良だと。

「酷い掃除の仕方ね。ちっとも綺麗になってないわ」

 考えていると、何処からか声が飛んできた。青娥のものだ。

「こうも広いのではすぐに綺麗にするとはいかぬだろう。そもそも、文句を言う前にお主も手伝え」
「私は忙しいのよ」

 何処にいるのか、と思えば、空をのんきに飛んでいた。相変わらず口と態度の一致しない奴だ。思い、嘆息する。

「どう見ても暇そうだろう」
「うーん。構想を練ってるの。想像力を働かせているから掃除する余裕なんて無いわ。もっとも、手が足りないなら芳香を使わせてあげるけれど?」
「……遠慮する。余計に仕事が増えるだろう。掃除一つとは言え何も考えないでやっては駄目だ」
「貴方が言うな。とはまさにこのことね。周りを見ている?」

 言われて、布都は周囲を見やった。

「ふむ……」
「四角い部屋を丸く掃くとはこのことね。同じとこばっかりぐるぐる回って掃除してたでしょ?」
「そうかもしれぬな」 

 なるほど、ごく一部だけは十分な掃除がなされていて、あとは酷い有様だと理解できた。

「下手の考え休むに似たり、か。余計な事を考えていて、掃除には頭が回っていなかったようじゃ」
「そうかもね。だから私は創造に忙しくてそれどころじゃないの」
「ああ、わかったわかった。しかし、太子様の帰りは随分遅いな。太子様だからして、我ごときが心配することではないが……お主は、事情を知らないかの?」
「さあ? ちょっとは聞いたけれど、詳しいことは知らないし、話すこともないわ」

 にこり、と青娥は微笑んだ。心底から愉快そうな表情だった。

「私たちは美味しい物を食べたり、お酒を飲んだりして、ゆっくり待つだけよ。芳香に、何か作らせましょうか?」
「炭を食べる気はないが」

 渋い顔で、布都は呟く。芳香の料理は、想像しただけでも胸が悪くなるようだった。

「食べるのはおまけ。自分では何も考えられない不器用な女の子が、自分の指示に必死に従う様に、胸がきゅんとしちゃうんだから」
「お主は心底から腐れ外道じゃな」
「ふふふ。貴方もいずれ私の気分がわかるわよ」
「ごめん被るよ。そも……ここだけの話じゃが、太子様のような弟子の作り方も我は好まぬのじゃ。共に切磋琢磨し、力を付けるような弟子が我は欲しいよ」
「それは師匠じゃないでしょうに。弟子と弟子じゃない。貴方は心底弟子向きなのね。まあ……ここだけの話と言うからには、豊里耳様には言わないわ」

 その口調はどうにも信用ならなかった。しかし、気にすることでもなかった。

「太子様に言うのならば構わん。……そもそも、太子様は全てを承知しておられる方だ。我の考えが不都合を招くならば、その前に窘めてくれよう。天狗などにばらまかれると、『仙界で内紛!?』などと騒がれそうだが」
「見事な信頼」

 手を叩きながら、青娥は言った。「人を馬鹿にする奴じゃ」と布都は思ったが、わざわざ口に出しはしなかった。そう言わせるために叩いたのだろうと思えたからだ。

「あんまりお掃除の邪魔をしてもよくないか。それじゃね。布都ちゃん」

 言い残して、何処かへと飛び立っていった。
 青娥のことを考えても、愉快になれる気はしない。掃除に専心することにして、布都は箒を動かしていく。
 退屈で長い時間だった。掃除をしてもしても終わりは見えない。

 ――手伝わせる弟子はやはり欲しいな。
 
 内心で思う。その欲は聞き遂げられた。

「うむ。ゆえに弟子を授けよう」

 声での返答が帰ってきた。門が開き、神子の姿が見えた。周囲に、光が満ちているようだった。

「で、弟子ですか?」

 登場も発言も不意を突かれていただけに、挨拶よりも先に、慌てた声が飛び出てしまった。

「む、いや、これは失礼。太子様。お疲れ様でした。ご無事な帰還、何よりです」

 慌ててつつ、布都は言った。
 神子は特に気にする様子でもなく、上機嫌に見える表情を浮かべていた。
 神子を見やりつつ、布都は問いかける。急に言われた、弟子を取らせるという言葉。

「して……弟子とはいかような者ですかな? 太子様のお眼鏡を疑うつもりは有りませんが、タオの修行は易々と行える物ではありませんからな」

 神子の推薦ならば問題はあるまい、とは思いつつ、急に告げられた言葉だ。不安を覚えたのは確かだった。

「ああ、君なら親しい人物だ、別に隠したり長引かせるつもりも無い。こころよ!」

 聞き慣れた名前。そして、神子の裏側の門から出てきたのは、見慣れた無表情だった。

「布都様。私を弟子にしていただきたく参上いたしました」

 無表情が頭を下げる。その声の抑揚のなさが、不気味に聞こえた。

 ◇

 簡素な部屋だった。煌びやかで瀟洒な神子の部屋とは比べるまでもない、殺風景な光。布都の部屋を表すにはそれで殆どが足りる。質素な机、椅子、寝具、棚などと簡素さを羅列することも出来るが。
 あえて、特筆するべきものが有るとすれば、皿だろうか。色とりどりの皿が、風水に基づいて配置されている。
 風水的には正しいが、見た目としては安い色合いが――けばけばしさが先行していて、見目良くはなかった。

「お帰りなさいませお師匠様」
「う、うむ」

 簡素な中に、華美な物が一つだけ有る。こころの纏った衣装だ。黒いワンピースに白いエプロン――所謂メイド服であった。
 エプロンのフリルを見るだけでも、それが雅やかな品だとは一目瞭然だ。紅魔館のメイドにも劣るまい。
 青娥、渾身の力作である。頭にはねこ耳が付けられていた。単なる青娥の好みだ。
 掃除を拒み、想像の世界に心を遊ばせ、作り上げられた衣装、質実剛健を絵に描いた布都の部屋には似つかわしくなかった。

「掃除は済ませてあります。皿は勿論そのままの配置です」
「ご苦労」

 無表情と抑揚の消えた声も、やはり似つかわしくはなかった。その愛らしいともふざけたとも取れる衣装に対しては。

「それでは私はお食事の準備をいたして参ります」

 頭には喝食――寺の小僧――の面が浮いている。それが喝食以外の面になったのは、弟子になってより一度も見てはいない。もう、一月以上になるのだが。

「いや、よい。気を使うな」
「私はお師匠様と豊里耳様に尽くすのが喜びなのです。お気になさらず」

 それが偽りの無い本心だとは承知している。こころは幸福なのだと、神子は言っていた彼女の聞いた欲が、それを保証していると。

 こころは、部屋を後にしようとした。夕食の準備のために。
 引き留めようかとも思った。「支度も良いが、お主にはまだ学ぶべきは多い。我が風水の手ほどきをしてやろう」とでも言えば、こころは従うはずだ。何を言っても構わない。こころは、布都の言葉ならば何であっても服従するのだろう。
 こころを預ける、と言った後に、神子は言っていた。

 ――彼女は、忠実な弟子だ。君が死ね、と命じれば、こころは死ぬよ。首を吊るも刃を己に指すも思い通りだ。

 笑いながらに。
 そんな神子を見て、怒り、あるいは反感を覚えたような気もする。
 今でも、反感を感じているのかもしれない。しかし、こころが幸福であることは、布都にも重々承知であった。
 彼女の側にいると、幸福を感じる。彼女の力の発露だろう。穏やかな心と、幸福が、彼女の心には確かに有った。
 その点でも、彼女が幸福なのは保証されている。彼女の心が悲しみや絶望に覆われていたら、その感情を周囲にまき散らすのだから。里の心を絶望で埋めたときのように。

「では、支度をして参ります。急用がありましたらお声をかけてください」

 深々と頭を下げて、こころは部屋を後にする。布都には「うむ」としか言葉が出てこなかった。こころが部屋を後にして、言うべきだった言葉を思いついた。

 こころが部屋を後にして、何か退屈を覚えた。手持ちぶさただった。ぼんやりと考えていた。どうして、こころはああなったのだろう。柔順な小間使いになったのだろうと。
 神子の力ならば容易なことだ。そこは理解できている。宇宙を司る全能道士ならば、出来ぬ事など無い。一種、思考停止のようにして、そんな結論に至る。
 神子は全能の聖人、その行いは全て民草――己も含めた――のためになるのだと、確信できている。

 何故、こころをこのようにしたのかは、わからなかった。先日までは、あれほど好意的だったのに、何故このようなことをしたのか。
 思い悩むが、理解できなかった。

 布都は気が付けば式盤を持っていた。道士として、布都も幾つか、卜占の術を心得ている。高度なものであれば六壬神課と呼ばれる物が有る。天文と干支を組み合わせ、十全な準備の元に盤を作り、複雑な計算を元に占う――手間がかかることだ。今回は行う気になれなかった。
 元来、細々としたことは苦手なのかもしれない。彼女が決闘において用いる技――六壬神火――も、やはり緻密に皿を置けば、完璧な放火も出来るが、そこまで正確に皿を置いた試しもない。
 それに、これは単なる確認だ。六壬神課の要は、単に結果を見るに留まらず、その過程、趨勢まで占えることにあるが、過程は今は気にならない。

「吉、か」

 簡潔に占い、布都は独りごちた。柔順なこころと共に暮らすことは、己と幻想郷にとってよい結果をもたらすらしい。
 改めての確認だ。己はともかく、この郷の害になることを、神子が行いはしない。わかりきっている。
 それなのに、心に引っかかりを覚えてしまう。こころは幸せだ。幻想郷にとっても吉とでたのだ。そうだとしても、あの賑やかではた迷惑な面霊気に振り回されていたときを、思い出してしまう。

 ◇

「布都ちゃん」
「何じゃ」

 布都は、神子の部屋に向かっていた。何かを問いかけようと思っていた。何かは、漠然としていた。そのすがら、青娥に声をかけられた。

「男の子になってみない?」
「お主は何を言っているのじゃ」
「いや、尸解仙の体なんて有ってないような物だし、気分転換にどうかしらって」

 青娥は、白無垢を持っていた。ウェディングドレスも持っていた。満面の笑みに、跳ねるような声。
 それを見た布都は、あきれ顔で見つめるしかできない。先ほどまで思い悩んでいた心が、いきなり軽くなったように思える。

「我は太子様のように自在には変えられぬよ。気分転換も不要だ」
「大丈夫大丈夫。体を直すのは芳香で慣れてるし……それにね。こころちゃんの服をまた作ったの」

 青娥が様々な服を作っているのは承知だ。あのねこ耳メイド服は、その一つに過ぎない。

「そうか」
「でね、このウェディングドレスがまた可愛いから、是非結婚させてあげようと」
「結婚紹介所にでも行くがよい。というかウェディングドレスが可愛いからというならお主が結婚すれば良かろう」

 言いながら、布都は呆れたような顔で青娥を見た。すると、青娥は、途端に真顔になり、神妙な声で呟くのだ。

「確かに私は邪仙とは呼ばれているけれど……仮にも一度は結婚した身ですし、夫が嫌いなわけでもなくて、仙人になるためにやむを得ず離れたわけだから……再婚はね、礼を欠く気がするの」
 
 白々しい、と言う言葉を絵に描いたような様だった。

「お主と知り合って千と数百年。未だかつてお主が礼儀をわきまえていた例を知らぬ」

 嘆息と共に布都は呟き、足を進めんとする。しかし、足は進まない。その細腕からどうすればここまでの膂力が生み出せるのか? タオの神秘に基づく力で、布都の肩を押さえる。
 布都もタオの力で進もうとするが、青娥に抑えられ、前に進むことは能わない。みしみし、という音が聞こえてきた。床板が、軋んでいる。

「そう言うことを言っちゃう子には教育的指導も必要かもしれないわね」
「ええい! 離せ! 我は太子様に用事があるのだ!」
「大丈夫よ、痛くしないしすぐに終わるから……今なら特別サービスで体だけじゃなくて頭まで素敵にしてあげるし……」

 これは屍霊にされるやもしれぬ。焼き仙人にしてでも回避せねば、と決意した瞬間、笑い声が聞こえてきた。神子の姿が見えた。

「珍しい組み合わせだな」
「一つ屋根の下に済んでいるんですもの。私たちはみな仲良しですよ、豊里耳様」

 青娥も笑みを作って返す。腕の力は抜かぬまま。床板はめり込み始めていた。

「うむ。和をもって貴しとなせ、と民草に説くためには、まず私たちが和を尊重せねばならぬ」
「その通りです。こうやって和気藹々と、みんなで仲良しこよしですわね」
「ええい! この二枚舌仙人! いいから離せ!」
「もう、お遊びでそんなにむきにならない」

 急に力を抜かれた反動で、布都は前に吹き飛んだ。体が、勢いよく床にぶつかる。道士をして意識が飛びそうだった。頭を抑えつつ、よろよろと立ち上がっては、流石に殴りつけてやろうかと感じた。

「こ、この邪仙が……今は太子様の前である以上許すが、次にこうしたならば命は無いと思えよ!」

 神子の視線を感じ、どうにか思いとどまったが。

「もう、怖いこと言わない! もっとも、死神なんて小指一つで追い払える私の命、奪うのは覚悟が居るわよ?」

 笑いつつ、青娥は言った。その笑みは薄い……酷薄な笑みには見えたが。

「これこれ、言葉遣いにはもう少し気を配れ。して、布都よ、私を捜していたそうだが何の用かな?」
「そのですな――」

 と口に出して、さて、何を言おうとしていたのか、と布都は悩んだ。もちろん、先ほど頭をぶつけた瞬間に消し飛んだわけではない。元より漠然としすぎていたのだ。

「そのです。こころの事ですが」
「そうそう。豊里耳様。布都がこころちゃんと結婚したいとか相談してきて」
「ふむ。将を射んとすればまずは馬から、お主の発想は正しいな。そして喜べ、答えとしては『好きにしろ』となる。お主の弟子だ。好きにすればいい」
「流石は豊里耳様。心の広いお方ですわ」
「ええい! 我を抜きに話を進めるでない!」

 布都は、思わず怒声をあげた。
 その言葉の先に神子がいると気が付き、

「……失礼しました、太子様」

 すぐに、頭を下げたが。

「よい、気にするな。流石にからかいすぎたか、許せ」
「滅相もありません」
「私とて、時には、ふざけたくなることもあるよ。この郷では……当世は、かもしれぬが、些か肩の力を抜き、親しみやすい存在の方が評判もいいようだしな」

 神子は、布都の肩を叩きつつ言った。人なつこい笑みを浮かべていた。
 
「おっしゃることはわかります。我には、不得手なことですが……」
「お主は真面目にやっているだけでいい。そうすれば勝手に空回りして皆が笑ってくれる」

 言いながら、からから、と音を上げて笑う。それから、神子は笑みを消し、言った。

「冗談だ。……お主のいわんとすることはわかっている。欲は、当人でも把握できない世界を教えてくれるのだから。すまぬが青娥は席を外してくれ」
「二人きりで内緒話ですか。焼いちゃいますわね」

 ふふ、と声を漏らしつつ、青娥は消えた。壁を抜け、何処かへ。

「あのようになりたい。私をして、時に思うよ」
「あのよう、とは青娥ですかな?」
「ああ」
「……我は正直疑問です」

 ため息混じりに、布都は呟く。神子の目の前だとはわかっている。だからこそ、不平が口を付く。

「あのような邪仙、我らの評判を落とすだけではないかと」
「清濁も併せのめぬものに執政者は勤まらぬよ。それに、あのように欲深い者は面白い」
「面白い、ですか」
「ああ、ああも欲塗れでは、十人の言葉をききわける私でも聞ききれぬよ。さて、立ち話もなんだ。付いて参れ」
「は。太子様……力も使い方次第とは確かにおっしゃっておりましたが……」

 神子の後を追いつつも、布都の顔からは釈然としない様子が消えない。神子の背中に、投げかけ続ける。

 ◇

「結婚などというのは冗談だが、お主はこころを見て何か感じなかったかな。可愛い、好きだ。恋に落ちた。そんな感情を」
「我は人をやめた身……修行と太子様にこの身を捧げております。恋などと言う感覚は持ちませぬ」
「そも、お主の人生に恋などは無かったかもな、ああ、座るがよい、布都」
「は」

 布都は、ソファーに腰を下ろす。いつかは、こころと二人並んで座ったソファー。今は一人で、椅子に座る神子を見上げている。

「布都よ、純陽真人を知っているかな? 我らが眠りに付いた後の者ではあるが」
「無論です。日々の修行の中で、我らが眠りし時代の神仙の教えも学んでおりました」

 布都は即答した。
 呂洞賓。純陽真人と呼ばれ、道教の世界でも、屈指の篤い信仰を受ける仙人。

「純陽真人は、正陽真人に十の試練を与えられた。ある時は、乞食に施し、罵られ、しかして心を動かさなかった。ある時は、美女に三日三晩誘惑され、しかして心を動かさなかった」
「あるいは、家財全てを盗まれ、後に庭より数多の金塊を掘り当て、しかして全てを戻した」
「うむ、最後の試練はわかるな?」
「無論です。彼の元に数多の化け物が表れ、しかして何の恐れも抱きませんでした。無数の夜叉に襲われ、しかして彼は心動じる事はありませんでした――」

 内容自体は、十二分に承知していたことだ。道教を代表する八仙の一人、純陽真人。修行に勤しむ布都なら、その逸話知らぬわけもない。だが……何故、神子は問いかけるのかと思う。

「――そして、彼の元に血まみれの死刑囚が表れ、死刑囚は言いました。『お前は前世で私を殺した。償いを行え』と。純陽真人は答えました。『ならば償うのが理だ』と」
「ああ。そして、彼は刀を取り、己に当てた」
「それらは皆、正陽真人の試験。かのように固く、動じぬ心を持つ物であれば、必ずや仙人になれると、弟子に取りました」
「うむ。動じぬ心、確かに仙人にはかかせぬものだな。我々尸解仙は仙人の中でも下の下。偽仙人にも等しい存在ではあるが」

 神子は、自嘲げな笑いと共に呟いた。

「さて、まずは、何故私がこころを連れてきたかだが」

 殆ど間を置かずに、神子は言った。布都には、何かを考える暇も無かった。

「あまりに危険だからだ。野放しには出来ぬ」
「危険、ですか」
「言うまでも無かろう。里を一夜にして変貌させたのは、お主もその目で見届けている」
「あれは希望の面を失ったゆえの暴走でしょう。平生ではありますまい」
「異常か否かは関係ない。可能性を持つことが問題だ。また面を失い暴走したらなんとする? それを防ぐのは私の責任だ」

 抗弁したかった。「もう二度と暴走なんてしたくない」というこころの言葉を、確かに耳にした布都には。

「…………」
「私の作った面でもあるしな。そうそう、最近、書物で見たのだがな、昨今はPL法と言う詔があるそうだ。簡潔に言えば、欠陥品を作った者は、欠陥品による損害への責を負うという法だ。ここが外の世界であれば、こころという不良品が世に仇をなせば、私は責任をとられてしまうな」

 しかし、前科があるのは間違いない。

「故に、私は手元で管理せねばならぬと思った」

 欠陥品の面を手元に置き、管理する。その神子の考えに、論理的な反駁が出来るようには、感じられなかった。

「そも、彼女が仇なさぬように希望の面を作り直したのだがな。……希望の面という言い方も正しいのかわからぬが。あの面は、動じぬ心の象徴であった。あの面を付け続けていれば、やがて、動じず、平静な心を身につけるはずだった。やがては自我さえも朧になり、面という、何よりも平静で堅固な心になるはずだった」

 神子の作った希望の面。完璧すぎるほどに完璧な面。それを付けたこころが、「このままでは我々は自我を失い、ただの面に戻る」と恐れていたことは重々承知している。
 だからこそ、布都は約したのだ。いざとなれば、壊してやると。

「あの狸のせいで、計画通りとはいかなかったがな」
「計画通り、ですか」
「当然だ。確かに、私にも過ちはある。あの面が、数多の時を経てかのような騒動の元になるとは予期できていなかった」
「…………」
「反省はしているよ。私のせいで、あのような騒動となった、思い返してみれば、寒気がしそうだ」

 神子は、ちらり、と布都の方を見やる。

「二度と、あのような暴走を引き起こしてはならぬ。それは、布都にも理解できよう?」
「……はい」
「しかし、計画は失敗した。聖人だのなんだの持てはやされるが、やはりまだまだだ。世界には学ぶべきもので満ちあふれている」

 謙遜した言葉とは、真逆のような口ぶりだった。

「今にして思えば、上等な方法ではなかったかもしれない。こころ自身が、面に戻ることを厭うのに対し、私は彼女を消そうとした。彼女に、情はあるよ、消す必要が無いならば、残してやりたい」

 その言葉が、布都には軽薄この上なく思えた。情よりも公を取る。公のためなら布都を殺す。そう言っていたのが、神子であった。

「だから、感情を教えてやろうとしたのだ。羞恥でもなんでも。こころの心は歪だ。感情が歪に発展している」

 それ自体は、布都にも理解は出来た。常人なら、狂人とも言えるほどに、彼女の感情は目まぐるしかった。
 行動も過激だったかもしれない。「知性が落ちた」初めて見た時から比べれば、思い続けていた。

「先日お主をやったのも、そのためだった。まあ、それはいいさ、ともあれ、私の指導の下、好悪を問わずに感情を教えてやろうと思ってはいたよ。今のこころは……誰でもそうかもしれないが、口当たりのいい感情で満ちている。それだけを取ろうとしている」
「我ですら、好きこのんで悲しみや怒りを覚えたいとは感じられませぬよ」

 当然のことだった。

「我々ならそれもいいが、こころは面霊気。感情そのものが形を取ったと言っていい。面その物が力を持つ。歪に発達した感情は、歪な力となる」
「ふむ……」
「感じたくない感情、避けたい感情は、こころの望む感情に飲み込まれ、力すら失うかもな。そうすれば、希望の面を失ったどころの騒ぎではない」

 神子の言が理解できなかったわけではない。こころが危険であるとは、布都も十二分にわかっているのだ。

「ならば、我がこころに感情を教えてみせましょう」
「そのつもりで、君を動かしていたのだが……気が変わったのだよ。いや、情を捨てるべきだと思ったのだよ」
「情を捨てるべきですか……」

 神子は、沈んだ顔を携えていた。布都も、険しい顔となっていた。

「感情を操る力は恐ろしい物だ。しかし力は使いよう……青娥と同じでな。善悪は使い方次第だ。そして、私は善なる使い方をすることにした。それは、彼女を消し去るよりも、世のため人のため、そして、こころのためにもなるだろう」
「我が悪いのでしょうが……太子様の仰っていることが掴みかねます――」

 言って、布都は首を振った。

「――いえ、太子様は何をされたのですか? こころは、何故かのように変貌したのですか!」
「単純なことだ」

 神子は笑う。

「彼女の感情は面に規定される。66の面が、66の感情を生み出す。だから、大量にすげ替えたんだよ。私も、昔よりは成長している。面を付け替え、世のために必要な感情のみを与えておいた」

 布都の心には、「怒り」の感情が渦巻いていた。しかし、吠えさせる前に、「忠誠心」という枷が、彼女の口を縛る。

「いやはや、苦労したよ。流石の私でも三日三晩かかった。他の者に見つかるわけにはいかぬ。それだけでもない、こころは成長した。幾度、このままでは勝てぬと思ったかもわからないよ。しかし私は勝った。面を替え、のみならず、面に工夫もしておいた。こころのルーレットは、もはや同じ面だけを出すルーレットだ」
「…………」

 布都は項垂れ、しかし、何を言うべきかわからない。

「暴走などせぬように、きっちりと躾ねばならぬしな。自我も、朧になったか。だが、今のこころは幸福だ。そうだな。崇拝とも言えるし、忠誠とも言える。あるいは恋心かもしれん。その感情は甘美だ。何もかも投げ打てる」
「…………」
「そうだな、きっと関帝聖君もこのような気分であったのではないかな。関帝聖君など、私ごときが思うにも畏れ多い相手だが……しかし、忠誠心がもたらす甘美な感情は、恋心とも同じだと思えるのだ」

 関帝聖君。中華――国、民族、文明。中華において、もっとも篤く信仰を受ける神。
 聖徳太子とはいえ、三国の世を、忠義と共に生き、死んだ男には……忠節により、神となるほどに崇敬を受けた神を思えば……。
 聖徳王とて、謙遜が口を付く。
 口は畏まる。しかし内心はどうであったのだろう。布都には、畏まった感覚は感じられなかったが。

「我も……関帝聖君のように、忠義に生きたいと、思っております」
「その意気やよし」

 呟いた神子の顔は、満足そうなものだった。

「なれば、忠誠心のもたらす甘美さはわかるはずだ。関帝聖君も、いかな富貴にも、地位にも、その首にすら、執着を抱かなかった。桃園の誓いを守り、昭烈帝への忠誠に、なんの躊躇いもなく命を差し出したのだからな」

 桃園の誓いはフィクションだが。と神子は笑い、続けた。

「そんなこころを、私は活用してやりたいと思うのだよ」
「活用……ですか」
「ああ。いくらでも使い道はあるさ。里で争いでも起きたとしよう。人妖の私闘でもいい。それを言葉で調停するのは骨だ。だが、こころさえいれば簡単だ。彼女に、感情を操らせればいい、争いの前なら……『安心』や『虚しさ』と言ったところか。今の私なら、こころの感情はどうとでも変えられる」

 神子は笑っていた。何一つの痛痒も感じていない表情で、少女を道具にすると語っている。

「今のこころであれば、私の言うとおりに、あるいは君の望むとおりに、力を振るうだろう。その力で、世に和をもたらすも容易だろう」

 空恐ろしく思えた。「正しい目的のためならば手段は問われない」「一を捨てて百を取る」かつて、神子はそう言っていた。その頃の布都は「流石は太子様。広い視野を持っている」単純に、そう思えていた。

「……我は、我は、そのようなことは許容しかねます」
 
 全身の力を振り絞るようにして、布都は言った。

「確かに太子様の言うことは正しいのでしょう。しかし、こころを犠牲にすることは、彼女を道具にすることは、人の道に外れているとしか思えません」
「道具か」

 その言葉に、神子はくすり、と声を漏らす。
 
「私たちこそ、道具ではないか。寿命を捨て、死を越え、道具を依り代に生を保ち続けるのが我々尸解仙であろう?」
「……そのような意味での道具では」
「いずれにしれも、我々の何処が人間なのだろうな。そも、犠牲などと、その口で言えるのかな? 狭量な復讐心で、屠自古を殺したお前に」

 神子は立ち上がった。布都の前に立ち、笑顔のまま、見下ろしている。視線はだけは鋭く、布都の目を捉えている。

「もっとも、反対するというならそれもいい。私を止めて見せろ。しかし、私はそう簡単には止められないぞ」

 立ち上がった神子を見て、布都も立とうとした。しかし、神子は肩を押さえてきた。力を込めて押さえつけるわけではない。座っていろ、という意思表示には足りる程度の力で、手のひらを乗せている。

「……尊大に聞こえるかもしれませぬが、我もタオを学び続けた身。いざ争いとなれば、太子様に遅れを取ることもないでしょう」

 高笑いが響いた。くっく、という声が響いた。笑みは愉快そうに、言葉は馬鹿にするように。

「お前が私に反論したのは何時以来かな」
「初めてのように思います」
「そうかもしれぬな」

 神子は、ぼかした言葉で言った。しかし、神子にはわかりきっていた。布都にもわかっていた。そんなことは、これまでに一度もなかった。

「千五百年越しの反抗期か」

 くすり、と神子は笑う。苦い笑いを、思わず漏れた笑みを。

「まあいい。私の話はここまでだ」

 そんな声に押され、呆然としたように、布都は外へ出た。
 神子の部屋を出れば、悄然としたような足どりだった。向こう側に屠自古の姿が見えた。

「酷い顔だな。腐った物でも食べたのか?」

 見慣れた光景だ。屠自古としては、からかいたいだけだ。廊下ですれ違った友人への挨拶。その程度の言葉だ。
 もっとも、今回に限っては、些か意図的なものがあったかもしれない。布都に、何かが有ったのだろう。そこは理解できていた。故に、いつもの言葉を、繕っていた。

「お主のように拾い食いが趣味ではないのでな」

 布都も、やはり挨拶程度の言葉のはずだった。「それはお前だろ」という言葉でも返ってきて、それで終わりとなるはずだった。そうなるように、言葉を選んでいた。日常を、行えるように。

「…………趣味じゃない、趣味ではないぞ! ただ、備えてあった団子があまりに美味そうで……」
「そ、そうか」

 語気を強めた返答が返ってきて、布都は少し狼狽してしまった。
 冗談のはずが図星だったのだろうか。一瞬、からかいの言葉が浮かび、次の瞬間。平生の気分は消えていた。「我は屠自古を殺したのだ」という罪悪感が、心を締め付ける。
 そうなってみると不思議だった。何故、今まで気に病んでいなかったのだろうか? と。

「思えば、お主とも長い付き合いじゃな」
「なんだ急に」
「いや、ふと思ってしまったのじゃ」
「まあ、千と数百年か。殆ど寝てたけどな」

 言葉にすれば、どこまでも長い時間。その殆どを眠りと共に過ごしていたとは言え……

「封印された身とあっては、昨日のことにも等しいはずが、何故我は忘れていられたのであろうな」
「ついにボケの兆候が見え始めたか。そもそも、昨日のことは盛りすぎてるだろうよ」 

 笑いながらに、屠自古は布都の頭を叩いた。強く叩いたわけではない。怨みに駆られて殴打したわけではない。

「うん。こりゃあ中身の詰まってない音だ。西瓜だったら売り物にならないな」
「……うむ。思慮の浅さに恥じ入る毎日じゃ」
「……一体全体どうしたんだ? 腐った物を食べたどころじゃないぞ?」

 布都は押し黙る。神子の言葉が――お前が屠自古を殺した。そんな言葉が頭の中で響く。何かを言わねばならぬ。それだけは強く思っている。だが、何を言えばいいのだろう? わからない。

「すまぬ」

 ようやく口を付いたのはくぐもった声、精一杯に出した力のない声。屠自古にも、布都の言いたいことは理解できていた。何故、それを言いたいのかは別としても。

「何がすまないんだ……」

 理解は出来ていたが、問いかける。

「まさか、私の取って置いたケーキを食べたんじゃないだろうな?」
「ケーキなど食べてはおらぬ」
「じゃあ何がすまないんだ」 

 お主を殺したことじゃ。
 口に出すべきことは、わかっていた。

「……すまぬ」

 しかし、声に出すのが恐ろしかった。だから布都は駆けだした。逃げるようにして、屠自古の視界から消え去るために。

 ◇

 山に籠もり、己を見つめ直したいと思います。
 書き置きと共に、布都は姿を消した。胸には皿を秘めて、彼女自身の依り代を持って。
 布都は、片方の眉毛を剃り落としていた。奇矯な見た目だが、彼女なりに思うところが有ったのである。

 ――古の先人も、このような労苦を重ねていたのじゃなあ。

 何をするでもない、座禅を組むか、木々や空を見上げるか、精々が滝に打たれるか。
 当人にとっては精神修養だと思えていた。幾らか、気が楽になった。
 それでも、一人座禅を組んでいれば、様々なことを思う。

 こころの自我を奪い去り、世のための道具とする。
 それが間違っているとは、やはり思えなかった。
 己が正しく人であった頃の事を思う。策謀と共に生きてきた。崇仏派と廃仏派、その諍いを生み出すために、物部の氏を持つ彼女は、蘇我の氏に近づき、操っていた。
 全ては、神子のためだった。神子を、神に等しき存在とするためであった。
 タオの力を隠すための目くらまし――丁未の乱でも、数百という者が死んでいった。

 物部の氏は、饒速日命を祖とする一族である。その一員たる布都自身も神の末裔――少なくとも、それを称してはいた。
 しかし、神子に比べれば、己は取るに足らない存在で有った。
 神の後裔を自称したとしても、ただの人と、何ら変わることのない己。タオの力は違う。千年を優に経た時に生きる己を思えば、考えるまでも無いことだった。
 大陸よりもたらされたタオの力。あまりに目映く、強大な物であった。

 ――我は、何故タオを学ぶのか?

 問いかける。「修行が楽しい」というのは正しい。「太子様の力になるため」それも事実だ。
 しかし、そもそも、何故タオを学ぼうとしたのか? 古き古き時代の己を思い、問いかける。

 ――世のためになりたかったのじゃ。

 答えは、それだった。それしかなかった。
 神に等しい神子の治める治世こそ、世のためになると思えていた。

「む」

 布都は呟いた。何か、がさごそ、という音が聞こえた気がした。
 木々の隙間から、足のない姿が現れた。

「おお、いたいた。って、なんだそりゃ。どういう顔をしているんだ」

 屠自古はまず、怪訝な顔を浮かべた。
 そり落とした眉毛を見れば、当然の反応だろう。

「はは、酷い顔だな。ついに気でも触れたのか?」

 腹を抱えるようにして、屠自古は笑った。

「これじゃあ千年の恋だって冷めようってもんだ」
「これには、深い意図があるのじゃ」
「こころ、見てみな、傑作だぜ」

 木々の間から、無表情が顔を出した。メイド服ではなかった。青娥なら「見事な山ガールよ」と言いそうな、活動的な服装をしていた。

「どう思うよ」
「布都様のお顔は、いつでも凛々しく思えます」

 こころを見て、屠自古は呆れたように呟く。
 
「こりゃあ、重傷だね。というか布都、何の意図があれば眉毛を剃りたくなるんだ」
「書物で見てな。かつて、高名な空手家が山ごもりをするに辺り、眉毛を剃ったそうじゃ。無様な顔となり、俗世への未練を断ち切るためにな」
「お前はいつでも無様だから、わざわざそんなことをする必要も無いだろう。……ま、いいさ。私は行くよ。青娥から無理矢理押しつけられてな。手間だったぜ」
「青娥とな」
「ああ、何かと弱みを握られてるんだ、あの糞仙人には」
「弱みとは?」
「そんなのを口にするくらいならこんな面倒くさいことをするもんか」

 当然の返答ではあった。

「……それもそうだな、無用の質問ですまぬ」
「一層面倒になったな。なあ、こころ、こんなアホのどこがいいんだ?」
「全てです。私の全ては、布都様の全てに焦がれているのです」

 その声は無機質に聞こえた。余りにも広い物を含んだ言葉は、ひどく、軽薄な物に思えた。
 しかし、それが本心であろうとは、布都にも、屠自古にも理解できた。こころから放たれる感情の波動が、二人の感情を振るわせる。振るわせられることを、望んでいないとしても。

「……ちょいと、不気味だな。喜怒哀楽ポゼッションだったか。そんな技は、これよりももっと酷いのか?」
「さて、のう。我は直撃を受けたことはない。……それに、慣れた感情だ。恋心というと語弊があるが……」
「慣れた?」
「うむ……相手の全てに焦がれ、崇敬する思い、我にとってはいつものことだ」
「私は断じてお前に恋い焦がれはしないし、尊敬もしないぞ」
「我に向かう必要は有るまい。しかし、誰かには向けたくならんか?」
「さあ……」

 屠自古は首を振った。

「どっちにしても、相手の全部に恋い焦がれるってのもどうもなあ。あばたもえくぼとは言うが」

 我が、太子様に抱く思いじゃ。と言おうとしたが、口には出さなかった。

「布都様。一人修行ではお困りのことあるのでしょう。側でお仕えさせていただきたいと思い、参りました。なんなりと、ご指示を」
「……そも、一人で修行したいから山に来たわけじゃが」

 布都の答えはもっともな物だったが、こころは項垂れるように、頭を下げた。気落ちしたように見えた。

「我に、手助けはいらぬよ。廟に戻り、太子様の元で修行に励むといい」
「……はい」

 しかし、布都の言葉に、逆らう様も見せずに、こころは去っていった。 

「なんだかな」

 はあ、という息を付きながら、屠自古は言った。

「良くはしらんが、あの面霊気を使って、里の心を動かそうってのが太子様の考えなんだろう? 青娥曰くでは」
「そうじゃな……」
「気持ち悪いな。こころも、考えも」

 屠自古の声は、吐き捨てるような物だった。

「滅多なことを言う物ではない」
「気持ち悪い物は、気持ち悪いよ」
「太子様には、深い考えがあるのじゃ。間違ったことではあるまい。暴走の前科がある面霊気を穏やかにさせ、かつ、世のために使おうとする。慈悲有る行動ではないか」
「操り人形が慈悲? そんなのは、森の人形遣いだけでお腹いっぱいさ」

 その声には、明らかな嫌悪の色が混じっていた。
 嫌悪は、布都も感じていたことだった。違いは、口に出すか出さないかだろう。

「だいたい、あんなのと私は暮らしていくのか? 気が滅入りそうだよ」
「あんなのとはなんじゃ!」
 
 布都は、大声で叫んだ。木々の葉が揺れるような大音だった。

「こころは……こころは、違うのじゃ。本当のこころは、もっとはた迷惑で、面倒で、賑やかで知性の無い奴でな……」

 こころに振り回されていた頃の事を思い出す。

「思い出すよ、こころに、なんとかフラペチーノを飲まされたときのことを」
「なんとかってなんだ」
「覚えきれなかったのだ」
「食べ物の名前も覚えられないって、知性が低いのはお前じゃないのか?」
「屠自古は当世の食物を甘く見ておる」

 ふん、と屠自古は笑った。鼻で笑うような笑いだった。

「ちょいとは、いつもの調子だな。少しは、山ごもりの効果があったのか? そもそも、なんだって山ごもりなんてしようと思ったんだ?」
「己を見つめ直すためにな……」
「そんなのは書き置きで見た」

 布都は、目を閉じ、口を閉ざす。何を見つめ直したかったのか、何故、見つめ直したかったのか。

「屠自古よ、お主は、何故タオを学んだ? 何故、太子様について行くと決めた」
「さあ、な。そんな昔の事は覚えていないし、私は亡霊だ。仙人になんて、逆さまになってもなれやしない。タオも、今となってはな」

 屠自古の言葉に、再び罪悪感が蘇る。

「でも……太子様に付いていくと決めたのは、そうだな、お前に誘われたからだろう。『太子様と共に、素晴らしき治世を作ろうぞ』ってな。ああ、あの時は私も思ったかもしれない。それが、世のため人のためになると。そいつは、ちょいとばかりやりがいが有りそうだった」
「すまぬ。あの時の我は、どうかしておったのだ」

 狭量な心で、屠自古を除けようとした己。

「我は、お主を殺した。謝って、謝りきれることではない……」
「まったくだ、その首をくれ、その体を炭屑にさせろ」
「…………」

 布都は沈黙する。

「それも致し方有るまい。わかる、わかるのじゃが……太子様のために、まだやらねばならぬことがあるのか?」
「はあ? ふざけてるのか? 太子様のために死にたくないって。じゃあ私はどうなるんだ。お前は、いつだってそうだ。太子様、太子様。お前の忠誠はいいわけだよ。なんだって、太子様のせいにすればいいと思ってる。責任を押しつけ、自分だけいい気分に酔っていやがる」

 天から、雷が落ちてくる。木々を外し、土を焦がす。布都は、微動だにしなかった。焼かれるとしてもやむなし、その思いは確かに有った。
 太子様のためにやらねばならぬ事が残っている。それは確かではあったが。同時に、罪悪感が体を縛り付けた。

「……まあ、今はやめとく。というか、お前の体を炭にしても意味は無いしな、皿さえあれば、その内ゾンビみたいに蘇ってくるんだから」
「皿ならば、ある」

 胸元より、布都は皿を取り出した。

「戻るかも決めかねておったのでな……持ち出しておったのじゃ」

 ふうと、屠自古は息を付き、

「面倒だ。こころにも怨まれるし、太子様も、困るかもしれないな」

 頭をかいた。

「……まあ、別に太子様のことはな。生きていた頃は、色々と思うことや理想もあったが、足を無くしてからは、そんなに気にならなくなったのは確かだよ」
「…………」
「お前を許す気は微塵も無い、私は、お前を怨むよ。私は怨霊だ。怨みが無くなりゃ、私は私でないもんな」

 布都の腹に、全身全霊の拳をぶち込んだ。ぐふっ、と息が漏れ、布都は呼吸もままならない。

「体が有ると、こう言うのが手間だな」

 それから、布都の頭を殴りつける。目から火花が飛び散りそうな一撃だった。目眩がした。頭がくらくらとする。

「私は気楽なもんさ。お化けはいいもの、一度はなってみろってね」

 息苦しさと目眩で、布都は思うように言葉を返せない。

「私は、毎日おもしろおかしく生きていこうとしてるからな。そうすると、側にいるだけで感情を操る妖怪ってのもなあ。おまけに、その力が駄々漏れじゃないか、それで落ち着いて暮らせってのも、無理な話だ」
「しかし、太子様の側で管理せねばなるまい、それが、里の――」

 息も絶え絶えに言った布都に、幽霊の足で延髄切りを決めた。

「細かい事は知らないよ、私はお前のことなんてどうでもいいし、興味はないし、知りたくもない」
「うう……」

 むちうちになるような衝撃で、布都は蹲った。 

「しかし、お前が何がしたいのかわからないのがイラッとくる。太子様太子様。太子様がやりたいことはそりゃ、あるだろうよ。人を超えた者になりたいとか、その力で人を統べたいとかなんとか、で、お前はどうなんだ」
「我は……」

 蹲ったままに呟き、口ごもる。
 ややって、ゆっくりと口を開く。

「我は……世のためになりたかったのじゃ。豪族どもは争い、民の間には病がはびこっていた世を、良きものにしたかった」
「仏教のせいで……蕃神のために、疫病が蔓延したのだ。そう言って、私たち蘇我の一族は喧嘩を売られてたなあ」

 馬鹿馬鹿しい。と屠自古は呟く。吐き捨てるようにして。

「神子様の力なら、世を良き物に出来ると思えた。だから、我は、その為に策を労した。争いも招いた」
「私も殺した」
「それは……我の成すべき事とは関係ない。……虚栄心じゃ。太子様の作る良き世には、我が第一の腹心であって欲しかった。お主は、邪魔だと思った。……だから、壺をすり替えたのじゃ。いや、殺したのじゃ」
「話が回りくどくなってきたな」

 やれやれ、と言うように、屠自古は言った。

「私の事はもうどうでもいいよ、お前が私をどう思おうが、知ったこっちゃ無い。こちとら人間じゃないんでね、毎日愉快にふわふわ生きてるんだ。辛気くさい話は後免だよ。少なくとも、今はな」
「すまぬ」
「それが辛気くさいというのに。しかしだ、なんだって急にそんなことを思った? 私のことさ。ずっと、そんなのは大昔の事だ、もう忘れよう。そんな風にして、私たちは一つ屋根の下で生きてきただろう?」
「太子様が、の。我は、太子様に言われたのじゃ。世のためには、公のためには、一を切り捨て十を取るのが執政者であると」
「その一には、執政者側は入ってないってのが定番の返答だぜ。上の人間は、いつでも切り捨てられる側にはいない」

 皮肉そうな笑みを、屠自古は浮かべた。

「一応言っておくが、私だって太子様は尊敬しているよ。あんなにも神々しく、明晰で、強大な存在を私は知らない」
「……うむ」
「たぶん、お前が私を殺すと読んでいたんだろう。誰よりも賢い人だからな」
「……言っておった。気が付いていたのか」
「そりゃあ、な。その程度もわからぬ人間が、人を使うことは出来ないだろう」

 屠自古の笑みは、やはり皮肉気だった。

「ま、どうでもいいよ。私は快適だからな、今更考えてもしょうがない。そこまで読んで、殺してくれたんだろう。亡霊の身で、仙界で生きていくのは愉快さ、だからそれでいい」
「すまぬ」
「何度すまぬといってんだ。ったく」

 パン、と布都の頭を叩いた。脳天が揺れるような勢いで。

「で、それに迷ったってとこか」
「うむ……こころをあのようにすることが正しいのだろうか、と思ってしまった」
「山ごもりして考えて、答えは出たのか?」
「……太子様のおっしゃることが正しいと思えた」
「そうだろうな、あの方のなされることはいつでも正しいよ。切り捨てられない執政者と、切り捨ての対象ではない大半には」

 二度、三度と首を振りながら、屠自古は言った。

「でも、お前はどうなんだ? 正しいか、正しくないかじゃあない、お前は、どうあって欲しいんだ?」
「……太子様のためになりたい。そう思ってはおる」

 それは、布都の紛れもない信念であった。

「……しかし、こころを道具として扱うことには、疑念を持つ、それは確かじゃ」
「どっちを取るんだよ、結論を言え。かったるい」
「…………」

 布都は、口ごもってしまう。

「五秒で決めろ、五秒だ。そうじゃなかったら、お前を灰にしてやる。さあ、5、4――」
「…………」
「3、2」
「こころじゃ……ふぎゃわらば!」

 落雷と共に、布都は跳ね飛んだ。

「こ、答えたじゃろうが!」
「長いんだよ、即答しろ。ちゃんと、灰にならないようにしてやったろう」
「我は確かにこころが以前のようにあって欲しいと思えたよ! はた迷惑で知性も無い奴じゃが、今にして思えば愉快であった!」

 大声で、布都は叫んだ。
 同時に、拍手が聞こえてきた。何処からか? 足下に、聞こえた。

「正統派ツンデレの幼なじみは強敵かと思ったけど、やっぱりこころちゃんへの素晴らしい告白だったわね!」

 土をくり抜き、青娥が現れた。何故ここにいるのか? や、どうして下にいたのか? 思うことは様々にあった。

「……お主は蝉か」

 青娥にかける第一声は、それであったが。

 ◇

 泥にまみれたこころが眠っていた。青娥としては「このウェザリングが山ガールっぽくていいわ」という感想らしい。

「わたくしは感動してしまいました。太子様への謀反も辞さない心意気。愛に準ずる心意気。敵は神霊廟にあり、ですね」

 感涙すら流さんとするような勢いで、青娥は弾んだ声をあげていた。

「お主は何を言っているのじゃ」
「だから、敵は神霊廟にありと。骨は拾ってあげます。戦いに生きましょう。眠り姫を起こすために、勇者布都は神に挑むのです」
「だから何を言っているのじゃ」

 重ねての布都の言葉に、屠自古はため息をつく。

「青娥相手に、真っ当に話そうとしても無駄だ」
「失敬な。人を白痴みたいに。皆がタオを身につけられたのは誰のおかげだと思っているの?」
「頭がよくっても、性格が破綻してちゃなあ」

 屠自古の言葉は、微塵も意に介さない様子で、青娥は言った。

「私はね、大好きな子のために戦うその姿を全力で応援するものなの」
「……そのような感情ではない。しかし、仮にも弟子だ」

 布都は、苦い顔で首を振った。

「かつてのこころは、弟子だけを拒んでいたがな」
「豊里耳様の洗脳よろしくってことね」
「だが、弟子には変わらぬ。ならば、弟子が不憫な姿を見るのは耐えかねる」
「不憫というのが、本音か」

 不憫という言葉からは、先刻までのふざけた態度は消えて、落ち着き払った声があった。

「もっとも、本当に不憫かはわからないけど。何も考えずに、無心に動くのは楽よ? おまけに、指示するのは敬愛する相手、私も仙人として精神修養を行ってきた身だけれど、こころちゃんの幸福感にはうっとりしてしまいそうだった」
「……芳香の事でも思っているのか?」

 こころのことは一旦受け流し、布都は問いかける。

「いいえ、貴方自身のことよ」
「…………」

 反論できる余地は無かった。自分自身が、そう思って生きてきたからだ。

「……自分勝手なのだろうか」
「さあ?」

 答えたときの青娥の態度は、また、軽薄な調子を取り戻していた。

「もっと、単純に考えればいいと思うわ。感情豊かなこころちゃんと、柔順なこころちゃん、どっちが好きかという話ね。不思議系美少女と、無口で柔順な美少女。後者が好きなら、髪をもっと青くして、短くもして、量産型にしてもいいんだけど――」
「我は――」

 話の後半は聞き流す。聞き流しながら、改めて言う必要も無いことを、繰り返す。

「――前のこころの方が愉快じゃったよ。先ほども言ったとおりだ」
「私も、そう思うわ。最近は、ああいう不思議枠を愛でたい気分なの」

 青娥は、すっと手を差し出した。

「ならば、私たちは同志よ」

 屠自古はそれを見て、

「うさんくさいにも程がある」

 と言ったが、布都は手を出した。

「よかろう。今日ばかりは、お主を同志と思おう」
「というかだ」

 割り込むようにして、屠自古は言った。

「お前は忙しかったんだろう? だから私にこころを連れて布都を捜しに行けと言って、何故、お前は蝉の幼虫ごっこをしているんだ。あと二週間もすれば、死神がお前を連れて行ってくれるのか?」
「忙しかったわ。土の下に隠れて、心温まるツンデレな励ましを聞くことに」
「……信用できる要素の、本当に無い奴だ」
「酷い言い方ねえ。ああ、そうそう、この間屠自古ちゃんが捨て猫を見つけては――」
「ああ! わかったわかった! 青娥様は美人で麗しく賢い仙人様で信用できます!」
「わかればいいのよ。大丈夫よ、布都ちゃん。私は貴方の協力者」

 にこり、と青娥は笑う。可憐な笑みだった。その姿は、姿だけは、本当に可憐で麗しい。

「その言葉、信じるぞ。しかしじゃ。何故にお主は我に協力しようと思った。先日は空とぼけていたが……太子様の企て、存じていたのだろう?」
「お面の作り方を教えたのは私だし、もちろん、知ってるわよ」
「ふうむ。太子様は面を作るにおいても並ぶ物無し、お主に教わる点があるとも思えぬが」

 布都は、怪訝な顔で言った。面、と言われれば、到底青娥が何かを指導する余地が有るとは思えなかった。

「別に、芸術的センスを指導したわけじゃ無いわよ……ちょっと、前衛的すぎて。私にはあと千年は理解できないわ」
「う、うむ。太子様は時代の先を行きすぎているからのう」

 慎重に言葉を選んだ布都。屠自古は「千年程度で本当に理解できるかね」という調子だったが。

「あの面は要するに私のお札と同じよ、己を失い、命令に従うの。その辺は慣れているし、得意だから」
「慣れているという辺りに、一体何人の犠牲者がいたのかと思うが……今は忘れよう」

 青娥の言葉を聞けば、然り。と思えた。

「じゃが」

 布都は思う。

「お主は太子様の命に従い、面を作る手助けをしたのじゃろう?」
「ええ」
「なにゆえ、太子様に背く気になったのじゃ」
「豊里耳様は、約束を違えた。私は、こんな事をするために手伝ったわけじゃ無いわ……あんな操り人形にして、あまつさえ、人の心を弄ぶ道具にするなんて……許せない」

 力強く、青娥は言った。布都は、涙を流さんかのような顔と共に、言った。

「……我は、お主を見誤っていたようじゃ。うむうむ、お主にもこのような善性があったのじゃなあ。いやいや、これこそお主の本分じゃったのだろう」

 横では「お前の言えた言葉じゃないだろう」と屠自古が言っていたが、布都には聞こえていなかった。潤んだ眼で、青娥に抱きつかんとするほどの感動を抱えていた。

「屠自古ちゃんは素人ねえ。あのね、相手を支配するためには、それはそれは深い関係が必要なのです。ちょっと出会った子を玩具にするなんて軽薄。私のモラルが許さないわ」
「お前に道徳心など有ったのか」
「あります。だいたい、違うのよ。わけもわからないままに連れてこられて……可愛いけど恥ずかしい服を着せられて、迷うけどそれしか着る服がないの。やけになってねこ耳までつけて、それを見ると『私って可愛いんじゃないかな』と思わず思ってしまう感じ。そこで、私はとても優しく声をかけてあげて――」

 陶酔したかのような目つきで話す青娥。屠自古は聞き流し、布都も聞き流す。

「やはり、まずこいつから叩きのめした方が世のためじゃないか」
「そうじゃのう」

 潤んだ眼はどこへやら、七割ほどは、とりあえずは青娥を懲らしめようと思っていた。

「私の道具は拉致監禁には使うことを許す」
「お主以外の誰もが許さぬと思うが」
「私が許すんだから、私にとっては問題が無いでしょう?」

 青娥は極めて真面目な顔で言った。布都の言葉に、疑問も抱いていないようだった。

「だいたい、連れてきても、その後にずっと人形にしてたら旨みがないわ。その枠は芳香で一杯なの。だいたい、『かの面霊気を手元に置き、管理しよう』程度しかあの人は言ってなかったわ。だから、私は助けたの。布都ちゃんと一つ屋根の下で、思わず始まる新生活。ちょっとラッキーなハプニングとかその他諸々のイベントも練ってたのに!」

 とりあえず、この邪仙の脳天に神罰を落とそう、墓でも箪笥でもなんでもいい、たたき落とそう。と思えていた。
 ガシャン、ガシャン、と皿を割っていく。屠自古も横で、皿を割る作業を手伝っていた。

「あらあら、もう準備、気が早いわね」
「案ずるな、お主を叩きのめすための準備だ」
「酷い! 私は布都ちゃんとこころちゃんのラブラブハッピーライフのためにこうして味方になってあげようとしているのに! あのね、私は敵に回すと恐ろしいわよ。味方にすると面倒くさいけど」
 
 自信たっぷりに言う青娥。

「自分で言うな」

 と屠自古は言って、布都の周りに皿を設置した。破局の開門。準備完了である。
 布都が念じれば、周囲に波動が飛ぶ。巻き込まれた皿が、運気を破壊していく。
 タオと風水の神秘。それは時空を超えた。
 遙か二百四十万光年の向こう。アンドロメダ大星雲まで届いたのである。
 布都の願いを受けて、一躍UFOに乗り、飛び立った。

「……何も起きぬな」

 布都は首を傾げる。布都にはわからぬ事情だが、アンドロメダ大星雲はあまりに遠いのだ。
 地球に到着する日はいつになるのか、その頃に地球はあるのか。それは、UFOに乗る異星人にしかわからない。

「神は言っているわ。私たちは協力すべきだと」
「……むう」

 破局の開門は、布都にも何が起こるかわからない。あくまで、運気を操る力。何が起こるかは、天命に委ねられている。天命は、青娥に何も与えなかった。
 天の意が、青娥を選べと言っているのだろうか。

「少なくとも、私の協力するという言葉に、二心は無いわ」
「どうかのう」
「だって、こっちの方が面白いでしょう?」
 
 はっきりと、青娥はいった。

「人の心を落ち着かせるために力を使うとか、どう考えてもつまらないわ。だいたい、あの子もちょっと調子に乗ってるわね。豊里耳様には、お灸を据える頃合いじゃない?」

 続けた言葉も本心だったのかもしれないが、「面白い」の言葉に比べれば、意味のある言葉では無かった。

「懲らしめるべき最悪の邪仙だが」

 屠自古は、ため息と共に呟いた。

「今回ばかりは、信用してもいいんだろうな」
「……うむ」

 渋々と言う色と、同時に、信頼を隠しきれない表情で、布都は呟いた。

「……青娥よ、共に太子様に抗おうぞ。……うむ、そうじゃな、お灸を据えるのも忠臣の勤めじゃ」

 ええ、と青娥が笑った顔は、また、軽薄な笑みに戻っていた。

「だいたい、私を叩きのめしたら、こころちゃんはずっとおねむよ。私の呪いで眠ってるんだから、解き方を知らなきゃ永遠に眠り姫」
「起こしてやろう。不憫じゃ」
「ええ、解き方はシンプルよ。キスをするの。お約束でしょ? こう見えても、私ってけっこうロマンチストなの」
「は?」
「失敬な、人がそんなにがさつに見える? ロマンとロマンスで私は動いているわ」
「そうじゃあない!」

 布都は声を荒げた。

「何故我が……その……接吻などせねばならぬ!」
「そりゃあ、私がそうしたからよ」
「何故そうした!」
「面白いから」

 からから、と青娥は笑った。どこまでも満足そうな笑いだった。

「ま、仕方ないな、それしか方法がないんだろう? やってやれよ、期待してるぜ」

 屠自古も、愉快そうな笑みで布都を見つめている。
 暫しの間、布都は煩悶した。やるしかないのか。と思うが、踏ん切りが付かない。

「早くやれよ、本当にお前はへたれだな、こっちも待ってるんだよ。ほら!」

 にたにたにたにた。そんな擬音が似つかわしい視線で、屠自古は布都を見やる。

「そも……何故、こころは我に好意を抱いたのじゃ?」
「さあ? 女の子の心は、哲学よりも複雑だからね。虫愛づる姫よりは、まだ理解は出来るんじゃない?」

 青娥の目も、好奇に溢れていた。
 また、暫しの間。

「ええい!」

 布都は駆けだした。ままよ、と言うままにこころに近づき、飛び込むような体勢で唇を狙う。
 触れた。瞬時触れた。

「ええい! さあ、やったぞ! 我はやったぞ! 青娥よ! さっさとこころを起こせ!」

 それから、二人の元へ駆け戻ってくる。

「いや、寝かしたのは私だけれど、私の意志で解けるわけじゃ無いし、ちゃんとキスをしなきゃ」
「しただろうが!」
「あれはヘッドバッドでしょう。いくつか細かい決まりがあるの、ムードのために二人は目を閉じる。時間は三十秒以上……でも、失敗する度に倍になるから、今は一分ね。そうそう、舌を入れるなんてのははしたないから、私は許さないわ。そうやったら、どこからとも無くゾンビが出てきて、貴方を襲う」
「本当にそんなに細かな呪いがかけられるのか……」

 布都は青娥の言葉に猜疑を抱いたが、

「面白いおまじないのためなら、私はどんな労苦も厭わないわ。中国四千年の叡智を結集したと言ってもいい、呪いよ」

 面白い、に加えて、中国四千年の歴史。
 これがダブルパンチである。圧倒的な説得力を、布都は感じた。
 無言のままに、布都は息を止め、大きくはいた。

「不肖の師であるな」

 自嘲するかのように、呟く。

「お主は別に弟子になどなる気もなかったのになあ。我も、師になれるような者じゃないよ、我は、誰かの下にいるのが性にあっておる」

 ゆっくりと、こころの元に歩み寄っていく。

「じゃが、仮初めでも押しつけられた身でも、我はお主の師じゃ」

 膝を突き、

「すまぬのう、許せ。あとで、あの邪仙を殴りにいこうぞ」

 目を閉じる。

「その前に、我は太子様と一戦交えねばならぬが、案ずるな、我は勝つよ」

 そうして、口づけを交わした。
 面から生まれた身であっても、体温はあって、心臓は脈打っていた。
 一分はきっと経っただろう。それでも、布都はまだ口を付けていた。

「きゃっ!」

 甲高い音が聞こえ、布都ははね飛ばされた。

「ふ、布都さん……人前でこんなこと恥ずかしい……」
「む、むむ……済まぬ、じゃが、我も本意ではなかった。やむを得なかったのだ……しかし、このように辱めるなどは確かに許される行為では――」
「死ねええええええええ!」

 こころは立ち上がり、飛んだ。天高くより、長刀と共に、降りてくる。

 ――死んだか。

 布都は思った。皿ごと、真っ二つにされそうだった。それもまたよし、と思えた。こころが、あの感情豊かな存在に戻っていたからだ。ならば、それを置き土産に消え去るのもまた一興だと思えた。

「元気いっぱいね」

 だが、長刀が狙っていたのは、布都ではなかった。邪仙だった。
 青娥は余裕に溢れた仕草で、長刀の一閃を交わす。

「よくもよくも私を蝉のように土の中に埋めやがって!」
「頭もはっきり、いい目覚めだわ」
「ねこ耳を付けられたことも忘れちゃあいないぞ!」

 力任せに、こころは面を投げつけた。数十の面が飛び、戻り、その弾幕を、ひらりひらりと青娥は交わしていく。

「水鬼鬼神長だって私なら簪一つで追い払える。いわんや、お面じゃね」

 顔には笑みが浮かんでいた。まだ、その力の大半を出してはいないのだろう。そんな余裕が感じられた。布都は「遺憾だ」と思いつつも、感じていたことが否めない。「頼もしい」と。
 青娥の力が有れば、協力があれば、神子にも打ち勝てると思った。

「やめい! こころ! お前の怒りはわかるが、ここは我の顔に免じて、どうか剣を引け!」
「布都さんが言うのなら……」

 こころは長刀を治め、素直な調子で引き下がった。

「でも、好きって言って」
「ああ、そうだな。隙じゃ。お主には隙が多い」

 そんな言葉を、日本語の豊かさで回避していく布都。

「好き、好きなんだあ。ふふ」

 こころは声だけで笑った。それから、上目遣いに布都を見つめる。

「えへへ」

 もっとも、布都の方が幾分以上に背が低い。かなりぎこちない姿勢での、上目遣いではあったが。

 ――な、なんじゃ。

 布都は思った。胸の高鳴りを感じる。全身が波打つように、心臓の鼓動を感じている。

「ああ、恋は素敵ねえ。私ですら、恋したくなっちゃうわ」
「…………」

 屠自古は、無言のままに、空を見上げていた。

「でも、けっこう来てるわね」
「何がじゃ?」
「う~ん。お面を大量にぶち壊したからねえ。一個壊しただけであの暴走よ? よく、これで押さえられてると思うわ」

 こころは肩を落とし、言った。

「布都さんが望んでないから……暴走はしちゃあ駄目だって」
「殊勝なこころがけじゃ」
「本当!? 嬉しいな! 嬉しいよ!」

 布都に抱きつき、くるくると弾むようにステップを踏む。

「ふぁんふぁのふぁ」

 布都は「何なのじゃ」と言おうとしたが、頭をこころに抱かれ、声にならない。
 元より、感情豊かにも程があったとは言え、猫の目もかくやの落ちつかなさ、感情の変貌である。

「ふげう゛ぁ」

 とこころを振り払い、

「ええい! 少し離れろ!」
「……布都さんに離れろと言われた。こんな世界……もう生きてたって……」

 首に、長刀を当てるようにして、こころは言った。
 布都は慌てて叫ぶ。

「い、いや、永続的に離れていろといったわけじゃないぞ! ただ、話せないほどに抱かれても困るからの……」
「抱くなんてはしたない……でも、布都さんなら……いいかな……」

 屠自古は二人を見て言った。

「ひどいもんだな」
「ひどい? そんな言葉で布都さんを取ろうとしても許さないよ! 聞いてたからね! ちょっと冷たく当たって、その後に優しい言葉ですり寄って! 布都さんはそんな言葉に騙されない!」

 射貫くような目で、こころは言う。

「落ち着くのじゃこころよ、少し、静かにしてくれるとありがたい」
「布都さんの言いつけなら……黙ってます」

 布都の言葉を聞けば、こころは一切の音を漏らさない。
 やれやれ、と思いつつ、布都は問いかけた。

「いったいなんなのじゃ。この騒がしさは」
「面が無いもの。私でも、元に戻す面を作るのは手間ねえ。豊里耳様の物だし」
「中国四千年の歴史はその程度か」

 中華、偉大なる文明である。紙も、火薬も、羅針盤も……数多の品々を、生み出してきた。

「本気を出せば出来るかしらね」

 時に、二千年の昔。島国の民がどんぐりに舌鼓を売っていた頃に、大陸では「昔はよかった」と言っていた物だ。
 文字無き民は、どんぐりをパンにしていた。大陸の民は、古の書物より学んでいた。そして、「漢は終わってる。周の頃はよかった」と千年の昔を思っていたものだ。

「中国四千年の歴史に不可能はないわ」

 蛮土に王化の風を吹かせていた、中華文明。竪穴式住居ではにわを作っていた民に、偉大なる文明をもたらした。
 時を経て、異文化を飲み込む寛容性すら身につけてきたのである。

「SQNY、iPed、Vii威力棒……中国のコピー技術を侮って貰っては困るのよ」

 長年外の世界で活動していた青娥の言葉を、サンタクロースも知らない布都には理解できなかった。

「なら、作り直せばいいだろう」

 しかし、そうは思えた。
 
「面倒くさいし……いや、面倒なのはいいんだけどね。完璧なコピーも良し、完璧すぎると自我が無くなるなら、ちょっと劣化させてもいいし、なんだったら、爆発するお面を作ってもいいんだけど」
「お面を爆発させてどうする」
「中国ではよくあることだから」

 青娥の言には、大きな説得力があった。

「でも、それで話が終わってもつまらないでしょう?」
「我は面白いからやっているのではないが」

 つまらない。その言葉には、それ以上の説得力があった。

「頑張って耐えてるけど、もって三日ほどで暴走しそうね。今のこころちゃんは、ちぐはぐな感情を恋心でどうにかつなぎ合わせてる感じだから……幻想郷の全てが、ちゅっちゅな気分に包まれると思うわ」
「…………」
「それもそれで面白いのよね。だから、布都ちゃんが勝ってめでたしめでたしにも王道の良さがあって、負けたら負けたで、ソドムでゴモラな面白さがあるわ。ああ! 素敵! どう転んでも面白いわ」

 布都は、大きく息を吐いた。それから、石のように押し黙るこころに声をかける。

「あの馬鹿仙人を、痛めつけてもよいぞ」

 瞬間、こころの目が光った。

「いいんだね? 殺っちゃって?」
「……ああ」

 こころの目は白目を向いていた。生命として、一線を越えたかのような目であった。
 背を向け、山を下りる。
 勝たねばならぬ。と布都は思った。そのための策が、頭の中で蠢いている。策士の血が騒ぐ、飛鳥の頃の気概が、戻ってきたように思えた。

 ◇

 二日の間。
 青娥と必死に策を練っていた。謀の限りを仕込んだ。
 その間に、神子からは何も無かった。むしろ、不気味だった。
 だが、それ以上に気力が漲っていた。眉毛も復活するほどである。

 そして、布都の部屋で、屠自古と布都は二人、最後の策を練っていた。

「本当に、いいのか?」

 屠自古は問いかける。

「お前が一対一で太子様に勝てるとも、正直思えないが……」
「だが、これしか方法はあるまい」 

 目的は、極めて単純な物だと思えた。
 神子に、こころを道具にすることを辞めさせればいいのだ。
 今となっては、面を再び作らせると言うことが加わるが……大差はない。
 つまりは、神子の意志が重要なのだ。

「太子様が納得してくれねば、どうにもならぬ。しかしだ、屠自古よ、我に弁論の才があると思うか?」
「いいや」

 即答であった。

「ならば、決闘、それしかないのじゃ」

 この世界では、決闘こそが全てを決める手段だ。
 決闘に負ければ、相手の言うことを無条件に受け入れる……当然のことのように、この世界では行われてきたことだ。いかな異変だろうが、どれほどの力の持ち主だろうが、そうしてきたのだ。それは、彼女たちも例外ではない。

「決闘とあれば、お主達の力を借りるわけにもいくまい」
「そうだとしても」

 屠自古は、眉間に皺を寄せ、呟く。

「そもそも、太子様が受けるのか?」

 もっともな恐れではあった。

「受けるよ」
「しかし、断ればそれまでだろうよ。喧嘩を売るのは自由だが、買う義務もない」

 決闘は、決して義務ではない、神子にだけ、圧倒的に不利な条件に思えた。布都の突きつける条件を思えば、勝って利無く、負けて失う物は大きい。

「じゃが、太子様は受ける。我は確信しておる」

 だが、布都は確信を持って、言った。

「青娥が断言しておった。あやつの言葉は、信じるよ。奴は邪仙。いけすかず、関わりたくもない奴だが……力と知恵は信ずるに足りる」
「青娥の、お墨付きか」
「うむ。青娥は、言っておったよ。人の上に立つ人間は、常に大義名分を重んじると。この郷が、決闘こそよしという世界で有るなら、引くわけには行くまいと」
「逃げたとあれば、後ろ指を指される、それは確かだろうなあ」
「勝てば官軍とは、世の中いかぬようだのう」

 しみじみ、と布都は呟く。

「いささか、青娥より古今の英雄の話を聞いた」
「ふむ」
「例えば、かの覇王、項羽は戦にかけては敵無し。連戦連勝を重ねておった。しかし、彼は英雄でもあるが、暴君でもあったからのう。その末路は言うまでもあるまい、人心を失い、散っていった」
「ふうむ。四面楚歌か」

 珍しく感心した調子で呟く屠自古である。

「一方、漢の光武帝を見よ。彼もまた、未曾有の英雄であった。数多の戦場に立ち、先人を切らぬ事無し、負けること無し。のみならず、民を慈しみ、仁君として功と名を残した。その敬意はこれほどの時が経った当代にも、些かも揺るがぬ」
「なるほどな」
「いかな強者で有れども、匹夫の勇では執政者は勤まらぬということじゃ」

 うむうむ、と頷く屠自古であった。

「昨今の英雄と言えばアントニオ某という政治家がいるそうじゃが。まあ、これも英傑でな。世界最強の格闘家にして、当代一のカリスマと聞く」
「ふむ?」
「彼の口癖は『いつ何時、誰の挑戦でも受ける』だそうじゃ。この精神が、彼のカリスマの源じゃな。一介の格闘家が、政を生業にするに至ったのも、このカリスマと、挑戦を受け入れる精神故じゃろう」
「ふむ……」

 アントニオ猪木参議院議員の話は、いささか屠自古にはモダン過ぎたかもしれない。よくわからん。という顔だったが、特に話の腰を折ることはなかった。「いつ」と「何時」は同じ意味では無いか、と、気になったが。

「おっと、モダンかつグローバルな話をしてしまったの」
 
 布都は得意げな笑みを浮かべ、屠自古は無性にイラッと来たが、齢千を超える大人の胆力で受け流した。

「ともあれ、古今の史書に通ずる太子様ならば、挑戦から逃げることはあるまい。評判に傷が付くからな」
「その点は確かに一理ある」

 しかし、と屠自古は思う。

「しかしだ。太子様がお前の挑戦を受け入れるとしよう。しかし、勝算はあるのか?」
「無論じゃ、我に秘策有り」

 布都は、小袋を懐から取り出した。

「青娥と、策を練ったわ。久しぶりに、孫子などを紐解いてもしまった」
「その袋が秘策か?」

 ただの巾着袋にしか見えない。屠自古は、怪訝そうに言った。

「うむ……詳細は秘中の秘ゆえ、お主にも開かせぬが……しかし、『彼を知り己を知れば百戦して殆うからず』と書物にもある。太子様のことなら、誰よりも熟知しておる。我は過去も今も未来も、第一の腹心じゃからな」
「お前自身のことはわかっているのか」
「まあ、のう」

 布都の声は、適当な、とも感じる気楽さがあった。

「以前よりは、承知しておるよ」

 しかし、顔は自信に溢れていた。

「我は、勝てばいいのじゃ。我は、人の上に立つ執政者ではない。勝てばそれでよし、勝てば官軍。ここは、大義名分を重視せざるを得ない太子様にはない、我の強みじゃな。先日の異変でも、太子様は常に人気を気にして戦っていた。なんとも、窮屈そうじゃったなあ」
「悪役の言葉だ」

 屠自古は笑った。

「それもよし。ちと、世のため人のため、ということから離れても良かろう」
「愛しの姫様のために戦ってこい」

 どすん、と背中を叩くようにして、屠自古は言った。
 後押しと言うよりは、掌底に近い一撃だった。

「……むむむ」
「何がむむむだ」
「まあよい、今のところは、景気づけと受け取っておく」
「ああ」
「終わったら、この一撃はただではおかぬぞ」
「無事に帰ってこれるかが問題だ」

 屠自古の笑みは、馬鹿にするかのような笑いだった。
 見慣れた表情。その顔を見ていると、布都は、気楽になれる気がした。 

 ◇

「入りなさい、待っていた」

 扉を叩くよりも早く、声を出すよりも早く、返事が聞こえた。

「は」

 布都は扉を開け、頭を下げる。主に向けた、いつもの仕草である。
 神子は机に座り、筆を動かしていた。何を書いているのかは、やはり見て取れない。
 椅子を回し、神子は立ち上がった。布都の背丈を考えると、見下ろすような様にもなる。

「謀反を企んでいると聞いた」
「ありえませぬな。我は、常に太子様の、第一の忠臣であります」
「そうか」

 神子は笑っていた。小馬鹿にするようにも見えた。

「そも、誰より聞いたのですかな? そのような流言を流す不届き物、我が成敗してくれましょうぞ」
「君さ、君の欲が伝えている」
「太子様も、ちとお疲れなのですかのう。幻聴でも聞こえておるのですかな? しばし、静養でも取られた方がよいかもしれませんぞ」
「半ばは神霊の身ではあるが、未だ肉はある。確かに疲れは溜まっているよ。しかし、あれだけ眠りに付いていたのだ、その分仕事をしても罰は当たるまい」

 神子は、机の上から紙を取った。紐で止められたそれには、山のような厚みがあった。

「君は、どう思う?」

 流麗な筆致で、漢文が記されていた。自体だけではない、内容も、格式高い物であった。
 一瞬、書物に収める原稿かと思えた。一流の史書でも通じる、趣深い文章であった。

「我には、なんとも言えませんな……実務には疎いのです」

 よくよく見てみれば、極めて実務的な内容が書かれてはいた。里の政に関する、文章であった。

「理に適っているようには思えます」

 かくなる判断が、かくなる利をもたらす。大まかに言えば、その説明であった。その理屈や論拠が正しいのかは、布都には判断しかねた。少なくとも「正しい」と思わせる説得力はあった。

「いいさ」

 神子は笑った。

「所詮、助言だ。受けるも受けないも、里の古老が判断すること。最近、里から助言を頼まれていてね、飛鳥の世には国を動かしもしたが……時代は変わった。物知らずの戯れ言さ。しかし、頼まれたからには、微力を尽くし、考えるのが人の道ではあろう」
「故に、多忙なのですかな?」
「これだけではないがね。聖人などと言われたことに、少々気をよくしてしまいすぎたようだ。安請け合いしすぎてしまったよ」

 布都をして、白々しいと思える謙遜であった。

「小は寺子屋の資料作り。大は里の税の使い道。大小有れど、どちらも、無駄が見られるのは確かだな。別段、吝嗇を気取る気はない……」

 神子は、鞘から剣を抜いた。北斗七星の描かれた七聖剣が、煌めいている。

「……私自身、華美なのが嫌いな質ではないからね」

 剣に記された竜や白虎の姿は勇ましくも繊細であった。剣を治める鞘には、金作りの装飾が瞬いていた。聖徳王の剣――神子自身の依り代は、勢と華美を示していた。

「七聖剣の輝きは、実に妙なる物だ」

 布都に剣を突きつける様は、その首を狙うためにも、その輝きを見せつけるためにも見えた。

「太上老君の剣のように、妖を従わせる力でもあれば、よりいいのだが……我々仙人を相手にすれば、剣の鋭さでは、従わせることもままならぬ」

 すっ、と質を鞘に収める。

「こころは、元気かな」
「元気すぎて、参ってしまいますよ」
「何よりだ」

 愉快そうに、神子は言った。どこまでも、白々しい。布都も負けずに、白々しさを作る。

「いやいや、我の手には負えませぬ」
「贅沢な悩みじゃ。可憐な者に振り回されたい、そう思う者はごまんとおるぞ。夜道に気をつけろ、と助言したくなるほどだ」
「我は、そのような好みはありませぬよ」
「ところで」

 神子は問いかける。

「なにゆえ、こころはお主にひかれたと思う?」
「当人に聞くがよろしいでしょう」
「当人は、青娥に隠され、行方も知れぬよ」
「我も、何処にいるかまでは知りませぬ」
「そうだな」

 言いながら、神子は椅子に腰を下ろした。足を組み、肘掛けに腕を預ける。顔は、笑みだった。

「刷り込み、と言う物を知っているかな?」
「鳥が……初めて見た物を親と思う。でしたかな」
「うむ。心なき玩具であっても、巨大な人間であっても、そう思うのだ。己を庇護する、親だとな。これは趣味にも関わるそうでな。亀の群れと共に育った孔雀は、亀に求愛をするそうだよ」
「面妖なことです。亀は……やはり、孔雀には興味を抱かぬのでしょうなあ」
「これに勝る悲恋も、中々無いかもしれぬ」

 天井を仰ぐようにして、神子は一瞬、口を閉ざした。つかの間だ。

「私も、ただの人間であった頃は妻もいた身。情のなんたるかも承知していると思うが……恋心とは、けだし熱情であるな。人の感情でももっとも烈しい物に位置するのか……いや、喜怒哀楽に始まる全ての感情が帰結するのか……」

 神子は、息を吐く。その瞬間は、顔から笑みが消えていた。

「いずれにしても、感情を追い求めたこころが、かのような思いに捕らわれることは理解できるよ」

 続けたときには、顔に笑みが戻っていた。人なつこい笑み、万人を引きつける――執政者の笑み。

「彼女は、自我の喪失を恐れていた。感情を失うことを恐れていた。恋に、心を動かす。一種、自己防衛のようなものではなかったかな。そこに君が現れた……」

 いや、と神子は首を振る。

「私が、君を向かわせたのだな」
「我ごときでは、太子様の深遠な考えは図りかねますが」
「もっとも、その結果、こころの感情は一層歪になったかもしれないが」

 布都は、怪訝な目と共に口を開く。

「太子様にかかれば、いかなことでも計算の内、いかなことでも太子様の手のひらなのかもしれませぬなあ」
「私は、欲を聞く力も、そんなに万能ではないよ。存外、なんでもわかったふりをして、その場を取り繕っているだけかもしれないよ」
「さあ……」

 布都は、静かに呟いた。

「我は、そこまで深く洞察も出来ませぬよ。故に、思います」
「ほう、何を思うのか?」
「気に食いませぬなあ。こころの事を、そうもわかった体で言うのは」
「推測さ、一般論かもな」
「いずれにしても、奴の心は、奴自身に聞けばよろしいと思います」
「私は、彼女の心は不要だと思っているからね。まあ、いいさ」

 神子は再び立ち上がり、目にも見えぬ速さで七聖剣を抜く。

「推測だが、君は私に決闘を挑みたいらしい」
「ご賢察、痛み入りますぞ」

 首元に、刃が当てられている。布都は、何一つ動じずに、答えた。

「一対一の決闘。私が勝ったなら、こころを道具にするのを辞めていただきましょう。同時に、面を再び付けていただきたい、あのような人形は、我の好みではないのですよ」
「謀反か、それもまたよし」
「謀反ではありませぬ。諫言……いや、個人的な喧嘩です」
「和をもって貴しとなせ。教えているはずだが」
「憤る相手を見れば、まずは己に過ちがないか疑え。十七条の憲法にはそのように有った記憶があります」
「一理あるな」

 勢いよく、神子は剣を引いた。
 布都に取って、その身は仮初めの身。皿こそが我が身。わかっているが、寒気を感じそうな程の勢いだった
 しかし、動じぬ様で言った。

「どのような者の言葉にも、一分の理はあるのですよ」
「ああ、学ぶところのない人間などいない」

 神子は、満足そうな顔で首肯する。

「ただ、あのような憲法は、下々のためにある。私のような聖人には、仏の教えも不要さ」

 自信を持って、己の教えを否定する。
 
「さて、決闘だな。よろしい、受けよう。何故受けるのかは、恐らくは君の思うとおりだ」
「ありがたきことです」
「しかし、私にも、敗者への条件を突きつける権利はあるだろう?」
「無論です」
「さて、どうしたものか」

 腕を組み、神子は考え込むような表情を見せる。本当に考え込んでいるかは、布都にはわからない。

「そうだな。私がこころを使役するにあたり、どうしても気に病んでいたことがあってね」
「気にやみはしていたのですな」
「ああ、私が表立って動くのは、体裁が悪い。こころの力で感情を操りきればそのような疑問も消えるだろうが……一種、洗脳のような物だからな。私の名誉に傷が付く」
「よく、わかっていらっしゃる」
「故に、布都よ、お前が独断で教唆するんだ。弟子の暴走は、頃合いになったとき、私が止めてやる。弟子の不始末は師の不始末。坊主になってもいい、暫し蟄居してもいい。私にとって時間はいくらでもあるし、姿形など、全ては仮初めだからな。君が許されるため、言葉を尽くそう。ひょっとすると、その頃は君を疎う感情もないかもしれないが」
「名案ですな。流石は太子様。執政者とはかくあるべきかもしれません。何、私が泥を被るなど、太子様のためとあれば、痛痒を感じませんぞ」
「わかっている。家族を裏切り、君は蘇我の一族に付いた」
「そして、太子様の指導よろしく、我は蘇我も裏切りましたわ」
 
 この場においても、神子への忠誠心が揺るぐことはなかった。

「乱用はしまい。己が私欲のためにも使うまい。全ては世のため人のため、人心を平定させるために……公益のために使うことは約すよ。宗教の本義は、人心の平定のためにあるそうだしな」

 しかし、こころへの思いは、全く別の次元に位置する話だ。

「今回に限っては、その辺りもどうでもいい話でしてな」

 つまらない。と思えた。

「こころがあのような人形になるのはちと物足りない。何せ、我の弟子です。我なりの教育方針もあれば、今回ばかりは言いましょう」
「申せ」
「太子様の思うとおりにはなりませぬぞ。と。勝てば官軍ですからのう。戦うまでに負けることを考える馬鹿がいるかよ、とい言うことでして」

 青娥の教えによる、新日本プロレスにおける名言中の名言を口にした。

「そうだな。私も、負けるとは思っていない。負ける要素が見あたらない」
「我も、見あたりません」
「気が合うな」
「それが、腹心です」

 ははは、と二人は声を合わせて、笑った。

「いいだろう。では、早速試合うとしようか。善は急げというからな」
「願ってもないことです」

 神子は、壁よりマントを取り、羽織った。足を進める。扉を開くために、決闘に赴くため。

「賢き太子様に、一つだけ問いが有ります」
「なんだね」
「こうなることまで、読んでいたのですかな?」
「さあ……」

 先刻の布都の口調を真似て、神子は言った。

「宇宙を司る全能道士。そんな二つ名がいつの間にか付いていたが、自分では、そこまで自身を評価してはいないよ」
「いずれにしても……太子様の予言は外れましょう。我は勝ちます。面を作る準備をした方がよいかと思いますな」
「材料が無い。希望も何もかも、誰かが集めてくれなければ」
「そのような雑事はお任せあれ」

 布都もまた、扉に足を進めた。決闘のために。

 ◇
 
 弟子達には暇を与え、青娥や屠自古、こころの姿さえも見えない――布都が、遠ざけておいた。神霊廟は、静寂に包まれていた。

「立会人も無し、観客も無し」

 こつ、こつ、という音が聞こえる。殊更に靴の音を響かせるようにしながら、神子は呟いた。
 
「急なことですからな。さて、耳目が無い中での争い、太子様には吉と出るか、凶と出るか」
「吉さ」

 得意げに言って、神子は唇を歪ませた。薄ら笑いに見えた。

「歓声が力になるという意見は理解できるが、やはり、気を使って戦うのは楽ではない」
「同感です。我も、元来が策士ですからのう。表立ち、歓声を求めて争うのは苦手ですわ」
「相変わらず、気が合う」

 神子は、はは、と大笑した。布都も、同じように笑う。

「少なくとも君には純然たる私闘だ。このような空虚な場の方が雰囲気があって良いんじゃないかな?」
「嫌いではありませぬ。太子様の貴重な時間をいただき、共に時を過ごす。贅沢なことですよ」
「気にするな」

 神子は構えた。マントが翻り、揺れている。
 杓を両手で持ち、足下に突き立てている。

「行くぞ!」

 勇ましく、神子は叫んだ。

「行きますぞ!」

 布都も、叫んだ。
 しかし。
 二人の間には、微塵の動きも見られなかった。動かざる物の操作が風水の十八番とすれば、布都の力を試しているとでも言うのだろうか。

 ただ、杓を突き立てるだけの仕草が、布都には恐ろしい程の威圧感を伴って見えた。
 微塵の隙も見あたらない。焦りにも似た気分が襲ってくる。
 永遠に、このままでいるわけにはいかない。いずれは、どちらかが動くだろう。
 だが、己から動けば、瞬時に神子が反撃してくるとは思えた。同時に、次の瞬間にも、神子の剣が光を放つように思えた。
 汗がだらりと流れてきた。足が震えそうになる。神子は、その身を巌のようにして、立ちすくむ。

 ――既に我が戦いの半ば以上は決しておる。

 布都は思う。十全の策を練っておいた。神霊廟は、布都の仕掛けた謀で満ちている。
 神子が動けば……動かすことが出来れば、謀の海にたたき起こすことが出来るだろう。
 しかし、神子は微動だにしない、布都の狙いを読むかのように……否、実際、布都の内心など全て掌の中にあるのだろう。布都から漲る欲を、神子の力は捉えている。

 ――太子様も所詮は人の子。

 己を鼓舞するかのように、布都は内心で呟く。
 風水の理を尽くした世界が、神霊廟には満ちている。
 ままよ、と布都は思う。人事は尽くした。あとは天命を待つのみ。
 天命のための策は全て行った。
 布都は動く、腕に竜巻を纏い、神子の右側を狙わんとする。
 左に動かせれば、落とし込めば、タオと風水のハイブリッドが生み出したトラップが神子を捉える。
 その刹那、神子に微かな動きが見えた。僅かに、手を掲げていた。

「待ちくたびれたぞ」

 神子がいった瞬間には、世界は雨に包まれていた。
 仙界に、剣の雨が降り注ぐ。世界が光に包まれ、光の先には刃が満ちている。
 輝く者の慈雨。慈雨、という名を付けているのが皮肉に聞こえるほどの物量。
 無慈悲な雨は、まさに弾幕と呼ぶに相応しかった。

「!!」

 布都は素早くかわす。しかし、数えきれぬ程の剣とあれば、かわすので精一杯だ。

「ほら、しっかり」

 神子の声は、嘲笑と呼ぶに相応しい物だった。

「君なら出来るぞ」
 
 布都の心を揺さぶるためだったのかもしれない。しかし、それに頓着する余裕など無い。
 あまりの物量に、かわすことも能わない。不格好で、数が全ての雨が降り注ぐ。「決闘」とはいっていた。「命名決闘」とは言っていなかった。ならば、必然かもしれない。
 岩舟を呼び出し、底を天に向けるかのようにして、布都は雨を凌いでいく。
 策だ、罠だと考えている余裕は無かった。

「そちらは鬼門だな」

 ひたすらに回避を続ける内に、艮の方角に飛び込んだようだった。神子は、我が策なれり、とでも言うような満足げな調子だった。
 この雨すら、ただの誘導に過ぎなかったのかもしれない。雨はあがり、弾幕は弱まる。
 布都の周囲は、禍々しい気に覆われていた。いかな不幸が待ち受けるか、風水を知らぬ物ですら、感じるような妖気に満ちていた。

「死中に活あり。太子様とは言え、まだまだ風水をわかっておられませぬな!」

 布都は呪文を唱える。黒き固まりが、布都の周囲に浮かぶ。

「行け!」

 ヤンシャオグイと言ってもいいかもしれないが、それに比べると、禍々しさは勿論、その勢いも大きさも、心許ない。

「この廟の全ては我が策の下にあり。太子様の力でも我が欲を聞ききれるかどうか」
「なるほどな」
「いかな場所にいたとしても、我に策有り。いくら我を読めてもどうにもなりませぬぞ」

 布都の声には自身があったが、黒の固まりは弱々しい。
 神子は杓で黒を叩く、固まりは、力なく弾き飛ぶ。青娥の直伝とは言え、付け焼き刃ではさしたる力は期待できなかった。
「邪符」足る本家のように、口に出すのも憚られる物から作られた小鬼ではない。布都の物は。鬼門の邪念をして、どうにか顕現できた、ただの弾。

「この程度、万であろうが億であろうが、我を傷つけられる物ではないがな」
「弱いことなど、我が計算のうちですのう」

 いかなる抵抗も素通りし、ひたすらに敵を狙い続けるヤンシャオグイに比べれば、それは心許ない物であった。しかし、その耐久力は、それのみは引けを取らない。
 どこまでも、どこまでも、神子を付け狙う。

「むう」

 一つ一つが致命的なわけではない、蚊の刺すほどの衝撃だ。だが、深いな羽音や痒みのようにして、微力ながらも神子を追い続け、神子も、完全に無視するには至らない。

「悪くない判断だ。ただの弾に欲などあるわけがない、無念無想の果てにあるからな」
「我の欲を成就する手助け程度にはなりましょうぞ!」

 布都は皿を投げつける。神子は飛び回り、難なく回避していく。しかし、回避すれば終わり。布都の皿はそのような代物ではない。
 布都はやたらめっぽうに皿を投げ続け。溜まった皿に火を飛ばし、矢を飛ばし。
 当てずっぽうにも程がある攻撃だった。
 しかし、それしかないのだと、布都は思う。
 当てずっぽうの攻撃は、布都自身にも何をもたらすかわからない。神子の力は、何の意味もなさなくなる。無為の攻撃など、覚りにも読めはしない。

「むむ」

 神子は剣を抜き、勢いよく光を放った。抜刀の光が、木を打ち抜いた。
 神子の剣は、神子の依り代、彼女その物だ。皿の破片程度でたたき壊すとはいかないが……まぐれでも、なんであろうとも、剣に当たれば、仮初めの肉体へ当たることの比では無い威力があるだろう。
 神子は渋い顔を浮かべた。しかし、抜くしかなかった。空間移動をする余裕は無かった。
 
「罠を解体しておくべきだったかな。少し、サービスをしすぎたようだ」

 崩れる木から、網が落ちてきた。光で木を崩さねば、網が神子を襲っていただろう。網で捉える。ふざけているようにも思えるが、身動きを封じられれば、流石の神子でも危機だ。

「この瞬間を待っていたのじゃ!」

 布都は足下に皿を投げつけた。風の凶穴のために、格好の準備が整っていた。今テレポートをすれば、神子の背を取れる。
 そのための土台を投げつけ――。

「ぎゃらば!」

 凄まじい爆発音が響いた。
 神子は、一瞬あきれ顔を抱いた。それから、腹を抱えるようにして、大笑した。

「まあ、まあ、わかっていたよ。罠が君を襲うだろうとはね。そういう星の下に生まれているだろう?」

 地面に埋め込んだ、皿製の地雷が、皿の衝撃で爆発した。鬼門の方角もよくなかったのだろうか。ともあれ、布都は煙と炎に包まれる。
 
「……じょ、常人の身であれば即死していましたが……む、むむ、なんのこれしき!」

 すすに塗れた顔で、大地に立ち、布都は叫ぶ。水を集め、周囲の火を消し、神子を狙う。
 微かに身を逸らすような動きで、神子はかわしていく。
 大地が揺れる。空飛ぶ神子まで届く勢いで大地が隆起する。天変地異と言ってもいい力だ。布都の行いは、竜脈を読み、訴えかけていくのみ。故に、一人の道士からは破格の威力がある。
 だが、それも当たればのこと。竜脈を捜す布都の心持ちを、十全に神子は聞いて取れる。そして、覚りとは比にならぬ力を持つのが、聖人だ。

「そんな子供遊びで私に立ち向かえると思ったか!」

 天変地異すら、子供遊びと見下すことが出来る。手をかざし、光が走る。
 密度に特化した剣の雨が、布都を襲う。光に捕らわれれば、ハリネズミになると思えた。
 凄まじい速度で、布都の方へ。また、剣だ。布都よりも巨大な剣を作り出し、襲いかかる。
 布都は浮上し、かわしていく。両腕に炎を纏い、頭上よりの反撃を試みる。

「甘い!」

 喝破するように神子は叫ぶ。
 言うよりも早く、神子の周りを光輪が包み込んでいた。
 聖徳王の威光を示すかの輝きが、黒き固まりを消し去り、布都を吹き飛ばした。
 気を失うかのような衝撃と共に、布都は遙か上空へ。すんでの所で意識を保ち、体勢を整える。
 杓から、矢継ぎ早に光が飛んでくる。布都はかわしていくが、息を付く暇も無い。

――使うべきか。

 布都は、懐に収めた小袋を思う。
 策は、まだまだ張り巡らせている、二の矢、三の矢は尽きることがない。
 神子に勝てるとすれば「奇跡」だと思えていた。奇跡を起こさねばならぬとも。
 故に、人事を尽くしたのだ。神霊廟に張り巡らされた罠。まだ、無数にある。
 神子の背に、弾幕が襲いかかった。布都の仕掛けたトラップから、無為の弾が放たれる。

「蠅のようだな」

 その弾幕は、確かに神子の力を無とする。意識のない罠が発動すれば、力による読みは能わない。

「君の発想は悪くない。確かに、罠の欲など、私にはわからない」

 だが、と、神子はトラップを光で破壊する。

「それで勝てるなら、世界は今頃獣の天下だ。こんな罠など、象に立ち向かう蟻にもならぬ。一瞥もせず、踏みつぶせる相手だ」

 にや、と顔を歪ませ、神子は続ける。

「そもそも、君が設置した罠ならば、君の欲を見れば全てが一目瞭然だ」

 その通り、とは布都にも思えた。
 しかし、布都には未だ秘策がある。罠も風水も、デコイにも見たぬ程度なのだ。

「まだ、我にも秘策はありますぞ!」

 布都はどうにかで光をかいくぐり、竜巻を飛ばす。止まった物を避けるかのように、神子は回避した。

「何せ、我にも何が起こるかわかりませんからのう!」

 腕に竜巻を纏い、殴りかかる。しかし、当たるわけもない。純粋な力量が、あまりに違いすぎた。
 布都は気にも留めず、竜巻と共に突き進む。神子との距離が生まれた。

「…………」

 全力で、小袋を開こうとする。しかし、微動だにしない、開くわけもない。「言わねばならぬか……」内心で独語する。ふざけている。とは思えた。不承不承だった。しかし、言わねばならぬ。

「……何が出るかな! 何が出るかな! じゃじゃんじゃん!」 

 仙術により封じられていた小袋。その封印が解かれる。
 中に何が納められているか……布都にもわからない。
 青娥が、様々な物を詰めていた。

「むう」

 神子は身構える。布都が攻撃してくることとはわかる。しかし、そんなことは誰にでもわかることだ。いかな狙いをもち、いかな攻めを行うか。欲により、聞き取る事は適わない。布都にすらわからないのだから。

 ――札か。

 布都の手中には、薄く小さな箱が有り、中には折りたたまれた紙がいくつも納められている。紙には「点数占い」とあった。守矢の技にある、乱れおみくじ連続引きに近いものだろうか。布都自身、運気を技とする存在で有る。

 ――良い判断だ。

 心中で青娥を賛美した。
 投げるのか、読むのか、そこがわからない。
 
「ならば両方じゃ!」

 紙を投げる。風に吹かれて、全く進まずに落ちた。

「む?」

 神子は首を傾げる。落ちたところから、何が起こるわけでもない。

「一番しみったれなのはだれだろう。2点!」

 何かの儀式か? 一見したところでは意味の掴みかねる。だが、貴竜の矢しかり。迂遠で、捉えかねる儀式こそ、結果的には強大で、効率的である。その点を重々承知するのが神子である。いぶかった顔で、身動きが取れない。

「知るか! 次! 馬鹿野郎とどなってもよいか! 2点! 怒鳴るな!」

 点数とはなんだ、そもそも何処が占いだ。布都には意味がわからない。

「これは噂に聞く……」
「一生懸命勉強してノーベル賞を受けましょう。10点。10点だから何なのだ!」

 外の世界に古くより伝わる決闘法「点数占い」であることを、神子は看破した。
 青娥が手ずから駄菓子屋で買い求めてきた占いの文言は、芸術的な色彩を携えている。アバンギャルドの極みである。

「かんかんになっておこってはいけません。3点。怒るぞ! あの馬鹿仙人めが!」 
 
  どこが占いか理解できない。大半が煽り文句である。その中に、不意に叱るような言葉が混じる。ただの紙には、どこか神意を感じされる物すら有った。

「やはり書物に嘘は書いていない物だ」

 神子は感嘆した調子だった。点数占いは外来の書物により仄聞していたが「いかなものが買い求めるのか」と疑念だった。外の童はスマホゲーをぽちぽち。そんな当世の流行すら掴む身であれば、尚更だ。「都市伝説ではないか」とも思っていた。

「今日は負けるにきまっている 1点! 青娥はあとで燃やす!」

 布都は点数占いの箱を投げ捨てる。時間の無駄だった。青娥が「面白いでしょ?」と得意げに詰めた姿が脳裏に浮かんだ。「必ず死なす」と決意するが、まずは眼前の神子を打破せねばならない。

「うむ。ためになったよ。人の望む文化とは、なんとも奥深い」

 柔らかで、満足げな笑みを浮かべ、瞬間に、布都へ飛び込んでいく。

「たわむれはおわりじゃ!」

 我も戯れたかったわけではない。言いたかったが、いう間もない。杓の一線が、脇腹にめり込む。痛みどころではない。吐き気すら浮かんできた。

「ぐ、ぐぐ……」

 墜落していくように距離を取り、小袋を開く。無論開きはしない。

「な。なにがで……るかな」

 絶え絶えに息を漏らす。その動きは、もはや自由落下だった。しかし、その先を言える気はしなかった。神子は、それを高貴とのみ見て取る。七聖剣を抜き取り、空間を切り裂く。
 布都に正確な狙いを合わせのレーザー。十七条のレーザー。緻密なコントロールが求められる故に、射出まで時間がかかるのは玉に瑕である。しかし、弱った布都相手ならば、何の問題もない。
 重力に従う布都に、偏差を付けて射出。

「何が出るかなじゃじゃんじゃん! 私が出るわ!」

 しかし、神子にも全く読めなかった姿が現れる。 
 小袋から、こころの姿が現れる。

「きゃああああ!」

 瞬時に、レーザーが直撃する。
 こころはレーザーの威力に悲鳴をあげた。浮かぶこともままならず、地面に叩きつけられる。しかし、布都の身は守られた。

「ば、馬鹿者!」

 息を整える程度の時間は与えられた。崩れ落ち、横たわるこころに大声をかける。
 馬鹿者、の次に「これは決闘じゃ!」と言おうとした。しかし、言うべき事は他にある。瞬時に、思い直した。
 その肩を取り、言った。

「師のために犠牲になる弟子がどこにおる! 師は身を挺し弟子を守る。それが道理じゃろう!」
「だ、だって……私が出なきゃ布都さんは」
「だっても何もあるか!」

 神子もまた地に降り立ち、どこか羨ましそうに二人を見ていた。師と弟子の慈しみに、手を止めたのだろうか? 追撃をしない。
 だが、それ以上は警戒だろう。真っ当に戦えば必ず勝つ。そんな自信はある。警戒すべき相手はただ一人。姿を見せぬ邪仙だ。

 ――道具を渡すだけで満足するわけがない。

 おそらく、小袋の中には有用な物も有れば、無駄な物もあるだろう。それで金星をあげるも良し、ゴミを掴んだ布都が激怒するも良し。「どう転んでも面白い」と思っているに違いない。
 ならば、この場に青娥がいないわけもないのだ。しかし、壁抜けの邪仙がいずこに潜んでいるか、予想が付かない。

「貴方は、無為自然とはもっとも遠い物だ」

 その声は、青娥に向けた物だった。

「しかして、貴方はやはり宇宙その物なのかもしれない。無為而無不為。道は何事もなさぬ、しかして、道は全てを成す。タオは宇宙の理。全てを作り、動かす道。善も、悪も。宇宙には善が満ち、悪が満ちている」

 聞いているに違いない、という確信を込めて、神子は言った。

「宇宙から見れば、善も悪もない、洪水は民草を殺し、しかし肥沃な恵みを与える。貴方は善悪の彼岸も超越している」

 くく、っと含み笑いを漏らす。

「私程度では、貴方の欲を捉えきれませぬな。宇宙その物のように、偉大な欲だ」
「何を言っているか……わからないわね……」

 こころは呟いた。出てきた瞬間にして。動くこともままならない。

「君への言葉では無い。不肖の弟子の、師への言葉だ。私は、善悪も全てを飲み込もうという程超然と出来ないからなあ。故に、尸解仙止まりだ。未だ、仮初めの者だ」
「ふうん」

 こころは力なく呟いた。関心すら殆ど無かったのかもしれない。

「私は、布都さんだけいればいいの。布都さんが、私の宇宙なの」
「君の欲は何処までもよくわかる」
「こころよ……」
 
 布都は顔をしかめて、言った。

「不憫な事じゃ。何の間違いか、我に刷り込みを抱いてしまい……かのように」
「不憫じゃない!」

 こころは叫んだ。傷む身も気にならないような、大声で。

「恋は盲目、とは言うがな」

 神子は言った。

「しかし、不憫では無かろう。人とは、このようにあるべきだと私は思うのだ。思い悩み、考えるのは執政者のみでよい。いつぞやと同じだ。仏教を盲信し、大乗の救いを信じ、我々は現世での幸福のため、政を執り行う。民は超人の指導に従えばよい、盲目となり、日々を楽しめばよい。我はそのためにいかな労苦も厭わぬぞ」
「もはや、今の我にはどうでもいいことです」
「重ねての話になったか。そうだな、先刻言葉は尽くした。ならば、力で屈服させるのみだ」
「うむ」
「私も頑張る!」

 こころの声は勇ましく、しかし、立つこともままならない。
 よろけた足で、ふらついている。

「下がれ」
「私も」
「これは決闘じゃ。一対一の、私闘じゃ」
「だって」
「下がれと言っておる! 師を信じろ、それが弟子の勤めじゃ!」

 布都は一喝した。

「必ず……勝ってね……」
「無論じゃ」

 こころは下がる。道観の下に行く。

「この程度か」

 神子は、くつくつと含み笑い。こころは、意識を失い、崩れ落ちていた。

「一撃を防いだのは見事だが、共にいても足手まといだったかもしれぬな」
「さて。我には関係有りません。弟子を守るのが師の勤めでして」

 布都は、淡々と言った。

「君も、ここまでこころに執心するようになったか。なんなら、君にも面をあげよう。我が下で二人仲良く、憂いを覚えず生きることが出来よう」
「性にあいませんな。頭を動かし、策を練るのが我ですから」
「策の結果は、このようなものだがな」
「終わってはおりませぬ」

 ああ、と言うように、神子は頷いた。この状況でも、油断は無い。

「君が私に勝てば、こころはこんな敬愛を失うかな。古びた面が生み出した感情は、新たな面に浄化されるだろう」
「是非もなし。今この瞬間の彼女は、我が弟子です」
「私の面が無ければ、弟子を拒んでいたがな」
「それでも、弟子です。師は、弟子のために最善を尽くすのみです」 
「我が師は、今何を思うか。いらっしゃるのであれば出てきていただきたいですな!」

 青娥の返事は無かった。

「青娥など不要です。ここにいるかいないのかも、我は知りません。だが、これは一対一の決闘、行きますぞ!」
「君はよくともな」
「何がでるか――」

 話は終わり、神子は光を放つ。牽制のような一撃だが、呪文を唱えさせないには足りる。

「まあいい。青娥が寝首をかこうがどうだろうが、関係はない。やはり決闘にして良かった」

 神子は上空に浮かび、光球を放っていく。神子の光後光を目にすれば、布都には輝きで目を開けることもままならない。攻めることも適わず、しかし、足下に落ちた光球は炸裂し、布都に襲いかかる。

「例え青娥が私を奇襲しても、君は勝ったと思わないだろうからな。決闘は最適だ、君だけに勝てばいい……古之所謂善戦者、勝於易勝者也」

 孫子の言を、誇らしげに唱える。よく戦う者は、常に勝ち易きに勝つのだ。当然の道理である。布都にも、重々承知だ。

「能便敵人自至者。利之也」
「流石は我が腹心。わかっている」

 敵を思うがままに動かすのは、利により誘うことなり。
 神子にとっては受け入れる必要も無い要求を突きつけ、しかし決闘に望んだ。
 策士たる布都が、この教えを知らぬわけがない。己が神子の掌の中、決死の戦いをすることになるとは。

「君がこころに懸想されて以来、全ては我が計算の中に有る。だが、利は本物だ! かかってこい!」

 炸裂する光球が、布都を襲い続ける。恐れと焦りが、布都の心に満ちていく。
 神子は、それをはっきりと感じ取る。
 この瞬間だ、と神子は感じ、背光は消えた。代わりに光の状が生まれ、剣の雨を降らす。そして、七聖剣を抜いた。詔を承けては必ず慎め。光の剣で、臣下に詔を授けんとする。
 この技を、神子のその物である剣で使えば――平生に使う杓で放つ一撃とは比較にならぬ力が、放たれる事だろう。
 絶対的な力の差を思い知らせるにも足りる。 
 だが、予期せぬ勢いが見えた。

「いつぞや、妖精が言っておりましたぞ!」

 神子の顔に、初めて焦りが見えた。予想の外にあった。布都は剣の中を突き進んでいく。剣が布都の身に刺さり、しかし布都は一直線に突き進む。

「曰く『あれでしょ? よく判らない事言って判ってるフリしてるだけでしょ?』とな!」

 右腕だけは無事だった。竜巻が、剣を跳ねかわす。それ以外は酷い物だ。気で作られた剣は、刺さる先から消えていく。しかし、それ故に刺されど、刺されど。新たな剣が刺さっていく。
 だが、意にも介せず、布都は神子へと一直線に飛んでいく。

「ぐっ」

 七聖剣は光に包まれていた。しかし、放つには間が足りない。

「読みなど、所詮は人の浅知恵! 策など、最後の最後には無意味ですな!」

 神子に向けて、腹へと、全力の一撃を決める。流石の神子も吹き飛び、慌てて剣をしまう。依り代を野ざらしに出来る状況ではなかった。そのような博打は、決して神子は望まない
 布都の本体は、皿だ。人を辞めた身であれば、串刺しになろうが消えることはない。だが、動き続けるには、肉がいる。
 
「次の攻撃が、我の最後の一撃になりましょう。……思えば、青娥も味なことをしおった」

 次は、もう無理だと思えた。ならば、最後は運に全てを任せる。勝率も定かではない、博打に。

「……何が出るかな、何が出るかな、じゃじゃんじゃん!」

 紙が出た。札だった。裏面を見ただけでは、何を、もたらすのかはわからない。

「布都と愉快な仲間達!」

 あの馬鹿が。ふざけた名前の札を見て、思う。
 結果はわかっている。しかし、読むしかない。天運の導いた、結果なのだから。
 小袋は膨らみ、砕け散った。もう、次の手はない。

 ◇

「呼ばれて飛び出て!」
「じゃ……じゃんじゃん……」

 朗らかで得意げな声の青娥と、顔を赤くしてもぞもぞと呟く屠自古。

「ええい! とっとと出せ! この馬鹿に攫われて、わけのわからない所に押し込まれて!

 真っ赤な顔で、屠自古は叫んだ。
 対照的に青娥は、心底から愉快そうだった。

「お姉さんはらはらしちゃったわ。このまま呼び出されなかったらどうしようって」
「嘘つけ、お前が中で札を取らせるようにしてただろう」
「布都ちゃんが思った以上に駄目な子で、使う前にやられる可能性はあったでしょ?」

 含み笑い……と言うよりは、苦笑いのような表情で、神子は言った。

「貴方らしい。なるほど、こうやって隠れていたのですな」
「決闘ですもの。私は、ルールにはうるさいのです。ルール無用でなんでもあり。そんなの、なんにも面白くないでしょう? それが望みならICBMでも持ってきて、とっとと打たせるわ」

 青娥は言って、頬を膨らませた。

「だいたい、私の闇討ちに気をつけるとか、なんにもわかってないわねえ……私は師として悲しいわ。そんなつまらないことをする師匠だと思ってたなんて」
「万全に万全を期して戦わねばなりませぬ。許していただきたい」
「おかげで、疑心暗鬼だったわね。無駄に手を休めなきゃ、とっくに勝ってたでしょうに」
「げにも」

 神子は明らかな苦笑いで、呟いた。

「芳香はいないのですね」
「置いてきたわ。芳香に守らせて、直す余裕があるほどの相手じゃないもの。私も、ちょっと本気を出しちゃおうかと」
「なるほど、貴方は決まりには従う人だった。改めてではあるが」
「芳香が壊れたら、私は直す。自分の身がどうなろうが、私は直す。そういう決まりと、縛りが、世の中を楽しむコツよ」

 得意げな顔の青娥であったが、布都は声を怒らせていった。

「なんじゃこれは! 一対一の決闘だと言っただろう! お主達は帰れ! 太子様が私を倒す」
「馬鹿が」

 屠自古は呟いた。

「お前が言っていただろうが、勝てば官軍だと」
「それも、最低限の決まりの上にあるのだろうが。決闘である以上、ルールがある。なんだ、その、じゅねーぶ条約とかあるじゃろう。戦にも、ルールが有る。太子様とて、ルール無用なら数多の弟子をまた呼んでもよかったのじゃぞ」
「何の問題があるんだ、お前は札で私を呼んだ、これは技だ。豪族乱舞や死人タンキーと違いはないだろ」
「ええ」

 青娥は頷く。

「それに……私がなんだって布都なんかの言葉を聞かなきゃいかんのだ。お前は札を使い、私たちを呼ぶことを宣言した」
「そうよそうよ」
「あとはこっちの自由だ。勝手にやらせて貰うぜ。怨むなら、札を使ったお前自身を怨め、天命てもいいがな」

 屠自古の言葉に、布都は抗う術を持たなかった。言葉でも、傷んだ身では力でも。

「青娥は想定の範囲内だったが、君まで来るか」
「前もって言っておきますが、断じて布都のためではない。決して、布都のために力添えするのではない、何があろうと、布都の勝ちなど祈らない」
「いいツンデレね」
「うるさい!」

 屠自古は、声を荒げて叫んだ。そんな様を見て、青娥は一層愉快そうだった。
 神子の視線を感じ、慌てて咳払い。

「……ともあれ、思えば、私も太子様を一発殴りつけても罰は当たらぬ気がしたのですよ。私がこのような身になったのは、太子様にも責がある」
「私たちの世界では、それは謀反と呼ぶが」
「私の感覚じゃあ、手打ちに近いですよ。一発殴って、あとは水に流す。これからも太子様に使えるには、このもやもや気分よりは、殴った方がいいと思えました」
「いずれにしても、言葉はもはや無意味。正しく敵とわかれば、その挑戦、受けよう」
「いいですとも! 私もちょいとストレスが溜まってる。今日の雷はいつもとはひと味違いますよ!」

 瞬間、光が瞬く。雷、雷、そして雷。その速度は、神子の光撃にも引けを取らない。
 土が焼け焦げ、石が焼け焦げ、周囲に焦げ臭い臭いが漂う。木々に雷が落ち、火を噴いて倒れていった。

「せっかく整備した木が倒れてしまったか」
「植え直せばいいでしょう!」
「時間は、確かにいくらでもにあるな」

 無数に落ちてくる雷を、神子は跳ねるようにかわしていく。

「力強いが、単純だ。稲光のうねりも不規則に見え、その実単純なパターンをなぞっておる。まだまだ、修行が足りぬな」
「そうねえ、自然だけが作る雷に比べると、ちょっとシンプルね」

 言いながら、青娥は神子に飛び込む。文字通り目にも見えない手刀が、神子に襲いかかる。

「むむむ」

 杓で、手刀を払う。しかし、折れたのは杓の方だった。上体を反らし、すんでの所で回避していく。

「見せパンを履いてきたから、これにも躊躇は無いわよ!」

 飛鳥の世に生まれ、はいてないことが当然であった布都には掴みかねる言葉ではあったが、青娥には重要らしい、足を大きく振り上げ、右足でハイキックを繰り出していく。

「くっ」

 渋さを込めた声が漏れた。頭上には下着。青と白の縞が有った。そんなものを気にする余裕などあるわけもない。
 しゃがみ込むようにして、蹴りをかわす。神子の髪が飛んだ。右の髪が、衝撃で切り裂かれた。
 青娥は、蹴りを外すや否や、後ろに倒れ込んだ。背筋の力で勢いを付け、両の腕で己を支え、昇天蹴のような仕草で、また蹴りを入れていく。神子は、全力で横に飛び、かわす。

「豊里耳様は、丹は苦手だったのよね」
 
 蹴りつつも、青娥からは余裕有る言葉が漏れていた。

「ああ」

 後ろに飛び跳ねつつ、神子は答えた。その程度の返事が限界だった。
 青娥は、逆立ちの姿勢のままに、腕の膂力だけで飛び跳ねた。ぐるり、と回るようにして、神子の脳天を狙っていく。

 丹砂、またの名を水銀。不老不死すら叶える秘薬。人を超えた肉体をもたらすのも、造作も無いことだ。
 耐えられればだ。聖徳王をして、水銀の毒には耐えかねた。彼女に待っていたのは、不老不死では無く、毒に冒された体のみであった。

 神子の動きと、青娥の動きは、まさしく次元が違っていた。同じ種族。そんな感覚すらない。
 巨大な剣を眼前に繰り出す。青娥は、拳の一撃で破壊する。
 邪仙とはいえ、己の力だけで、青娥は仙人になった存在だ。己の身を保ったまま、人を超えた存在だ。
 丹砂にすら耐えられなかった尸解仙とは、次元が違う。己の内に、タオの力で秘薬を生み出す。内丹術により生み出された気が経絡を巡り、人を遙かに超越した肉体を生み出す。

 必死に青娥の一撃をかわしていく。いずれも一撃必殺の技でありつつ、その手数は千手観音もかくやの物であった。
 反撃は適わない。それでも、青娥の攻撃のみであれば、かわすには足りた。
 しかし、肉体の力が違う。いずれ息が上がり、青娥に屠られるのは目に見えていた。
 のみならず、雷が降り注いでいる。それもまた、直撃すれば必殺の光だ。

「化け物か」

 布都は短く、声を漏らす。真の仙人の力、人を超えた力。想像の遙かな向こうを言っていた。この瞬間のみは、神子が敵なのはわかっている。しかし、神子が心配になるほどの、攻めであった。
 ちら、と振り向く。もはや、神子は布都を歯牙にもかけていない。
 道観の下に、こころが横たわっている。首を振り、気を取り直す。
 
「我も忘れては困りますな!」

 布都は駆けだした。傷ついた体では、歩みは遅い。それでも全力で、布都は神子へ向かう。
 もはや、布都に声すらかけなかった。折れた杓で頭を横殴りに払い、それだけだ。
 首が吹き飛ぶかのような一撃であった。布都は吹き飛び、動くことも出来ない。神経が、切れたかのように思えた。そうでないことは、激痛が証明していた。

 神子は、笑みを浮かべていた。「面白い!」叫びたかったが、その隙もない。しかし、内心の思いが、顔をほころばせる。
 青娥の攻撃は苛烈だ。欲を聞くのは適わない。聞いたところで、速度が違いすぎる。何の意味もない。しかし、次第に青娥の癖が読めてくる。

「あらら」

 青娥は拳を降り降ろした。石床に大穴が空いて、地鳴りすら轟いた。
 その隙を見逃さず、神子はマントを翻す。後方へ、テレポート。距離を取り、余裕をつくる。

「師よ! 面白いですな! 丁未の役を思い出しますぞ!」

 その才と知は天下に轟いていたが、厩戸皇子は未だ若年の身であった。タオを学び、世を思い、布都を引き込み、戦を引き起こした身であるが……未だ若輩。その言で人を導くには未だ至らぬ。四天王像を彫り、その願により、どうにか兵達を鼓舞していた。
 飛鳥の世を変えた役とは言え、後世の戦に比べれば、極めて小規模な戦であった。死者は数百。数字という概念の前では、僅か、とも言えるかもしれない。
 
「恐怖と共に昂揚がある!」

 命と命をかけた争い、戦を経験した人間のみが思い……思ってしまう昂揚を、神子は感じていた。
 矢の雨が降っていた。射手の中には、物部守矢もいた。大木に上り、主自ら、敵を屠っていた。厩戸皇子もまた、剣を振るっていた。タオなど、未だ些かも身についていなかった。
 耳をつんざく矢の音。耳の横を通り過ぎた、矢。それは誰かの胸に突き立ち、その命を永遠に奪った。その横で、皇子の剣は、誰かを突き刺していた。

 死は常に傍らに有り、万能の皇子にすら、平等に襲いかかる。
 どうしようもないほどの恐れがあった。「何故、人は死を受け入れねばならん」タオを学びはじめた理由が、頭の中を巡っていた。
 しかし、戦の狂気が、昂揚に駆り立てもした。全身の血が脈打ち、波立つような感覚。
 いつしか、戦は終わっていた。大音が聞こえていた。胸に矢を突き立てられた守矢が、落ちていた。その目は、もはや何も見てはいなかった。
 
 血が冷めて、同時に、震えるほどの恐怖が襲ってきた。守矢は、一歩間違えれば自分だと思えたからだ。天下に並ぶことの無き我が才が、何も成さず朽ち果ていたと思えた。
 己のような執政者が、このような恐れのない世を作らねばならぬと。その意は一層強くなった。一層。死を恐れた。どのような思想も、才も、死の前では無力だと。

「貴方との修行も、愉快でしたな!」

 故に、彼女は戦を嫌った。争いは、忌避する物だった。いかにしても、避けるべきだと思えた。
 だが、戦の快感を忘れることは出来なかった。それは確かだ。
 
「私も楽しいわよ! 本気でやり合うのはいいわね!」

 不規則にうねる弾の群れが、神子を襲う。まったく、読むことが出来ない軌道だ。布都は半ば駆けるようにして、飛び上がった。

「げに、ここは桃源郷ですな」

 賭けは勝った。青娥の弾幕は、神子を反れ、消えていった。
 青娥との修行。人を超えるための修行には、組み手もあった。

「だったら、もっと愉快に生きればいいでしょうに。誰かを道具にして、平和で和に満ちた世界なんて望まずに」
「気の迷いです」

 自分が執政者であるとはわかっている。天性の執政者だと。ならば、より良き世界を作るために、自分は動くべきだと理解している。

「勝つも良し。負けるも良し。今の気の迷いなら、そうも言えましょう。いやはや、忘れておりました。争いは、こんなにも楽しい」
「それを止めたって、豊里耳様が刺されるだけじゃない?」

 神子の心臓を狙うかのような拳を突きだし、青娥は言った。
 神子は、余裕を持ってかわした。出来るようになっていた。青娥になれてきた……あるいは、一介の人であり、弟子であった頃を、思い出していた。

「この楽しみを万人に与えてはなりませんよ。タオと同じ。我ら超人の楽しみでいい。下々に与えては、荒廃した世が来ますからな。先日、こころが暴走したときも酷い物でしたよ、何せ賭博まで常態化していた」
「運否天賦の博打が面白いのは、今ならよくわかるでしょうに」

 二人の争いを見て、どうしようもない疎外感を、布都は抱いた。あまりに、次元が違うのだ。

「隙有り!」

 屠自古が飛びかかった。

「私を除け者にしすぎですな!」
「邪魔だ!」
 
 神子は、躊躇なく七聖剣を抜いた。
 屠自古を横凪ぎに一閃。屠自古は真っ二つに切り裂かれた。

「う、うう……」

 もはや、動くことは出来ない。亡霊の足が、屠自古より離れては、ぴく、ぴく、とのたうち回っている。

「蜥蜴の……尻尾……の……ようですな」

 苦笑しつつ、途切れ途切れに屠自古は言った。

「怨むなよ」

 屠自古に言葉を投げかけたのは、精一杯の慈悲だろうか。

「いや……怨みはしませぬよ。怨霊たる私ですら。喧嘩を売ったのは私です。そも、どうせ亡霊の身、しばし動けぬのみです」
「うむ」
「遺憾なのは、あの邪仙のように太子様とやりあえなかった事のみ」
「修行に励め、布都のようにな」
「修行してあの程度では」

 屠自古は笑った。

「しかし、まだ決着は付いていないか……布都よ、頼んだぜ。私が修行したくなるほどの力で、太子様に打ち勝って見せろ」
「あ、ああ……任せろ」

 布都は言った。しかし、体が動かない。その傷は、あまりに重かった。口を僅かに動かすのが、精一杯だった。

「お話のサービスタイムは、終了でいいですか?」
「いや、あと一つだけ言うことがある」
「どうぞ」

 青娥は微笑み、促すように手を出した。

「君たちは、最高の臣下だ。世のためには、我に無言で付き従うべきだが、一人の者としては、こうでなくてはならん。愉快でならぬぞ。青娥、やはり貴方に協力してもらえてよかった。私の治世には害しかないが」
「酷い言い方。お札の作り方も教授してあげたじゃない」
「おかげで、こんな必死の戦いをしている。まあ、青娥の反抗は予想通りだった。邪仙を使いこなすのも、器量さ」
「ピュアな美少女くらいに言ってくれません?」
「よかろう。ピュアな美少女は、私に負ける。私の計算通りに、今後謀反など思わぬように、叩きのめす。私は感情を操る面霊気で、感情を平定する」

 神子は、布都を見下ろした。

「しかし、正しいが確かにつまらんな」

 にい、と唇を動かした。本心のままに、口を動かす。

「さあ、布都よ、私に勝ってみせろ! 私を止めてみせろ!」
「無論……ですとも……」
「仲人でも何でも進んでかってやるぞ!」
「我はそのような思いで弟子に当たっているのではありませんからな」

 布都は全身に力を込め、半ば以上感覚を喪失した体を立たせる。
 神子も、青娥も、遙か上空だ。
 神霊廟の何処にも、策があり、風水の利がある。
 そのような物は、象の前の蟻ほどの力も無いと思えた。蟻の巣を、どうして象が気にかけよう?

「サービスタイムは終了でいいですかね」
「うむ」

 刹那、青娥の姿が消えた。
 消えたのではない。布都の目では、もはや捕らえられなかった。神子は小刻みに体を動かし、須臾の隙間を縫い、かわしていく。

 ――青娥が勝てばよいのだ。

 布都の心には、その思いが満ちていた。
 どうにか立ち上がらせた気力も消え、再び布都は大地に身を預けた。
 寝たままに、決闘を見守っている。
 自分と神子の決闘だ。青娥は、札が招いた協力者だ。
 わかってはいたが、体が動かない。
 動いたところで何になろう。
 
 青娥の姿は、相変わらず見て取れない。人の目を超えた速度で動く神仙の存在を示すのは、神子の微かな動きと、弾が放つ青い残光だけだった。

 ――太子様でも、青娥には。
 
 姿の見えぬ仙人に、崇敬の念しかない。あらゆる者がタオの力により、人を超えた神仙となれる。
 それこそがタオの教えではある。しかし、布都には信じられなかった。千年、いや、万年の修行でも、決して辿り着けない境地だと思えた。
 布都からは、神子が一方的に押されているように思えている。神子に生まれた確信など、見ては取れない。
 一種、布都にも余裕に似た気分が生まれていた。青娥は強い、あまりに強い。
 思えば、悔しさはある。疎外感もある。しかし、青娥を信ずるに足りた。寝転んだままに、宙を見上げるのは、楽なことだった。

「…………!!」
 
 だが、布都は息を止めた。

「青は藍より出でて藍より青し。道理だな」

 青娥の姿が見えた。胸に剣を突き立てられ、だく、だく、と赤い血を振りまいている。

「これはまた……思った以上に……」

 乾坤一擲の一撃だった。青娥の無数の攻撃をかわし、神子の攻撃はただ一撃。
 しかし、その一撃は青娥の攻めを読み切り、胸に剣を立てるに足りた。

「貴方の指導がよろしかった。しかし、師の教えに加えての者を学べるのが弟子の強み」
「私から見ればまだまだだけど……」
「貴方のように、宇宙規模の欲は持てませぬな」
「そうやって、人生をハッピーに生きて欲しいけどね」

 剣で捉えられた青娥は、何一つ抗う術を持てなかった。

「悪いわね……布都ちゃん、こころちゃん。出来れば、もっと面白いことを与えてあげたいけれど」
「私が止めよう」
「次は、もう好勝負も無理かもね」 

 神子は剣を抜き、青娥を蹴り落とした。 
 血しぶきを上げながら、遙か上空から落ちてくる。

「せ、青娥よ!」
「案ずるな、死んではおらぬ。我が師が、これほどの道士が、今の私の攻撃ほどで死ぬものか。数多の死神をしりぞけた者が」

 言ったが、息があるのかさえ布都にはわからない。動かぬ体は、青娥に近づくことも適わない。少なくとも、もう指一本動かせない。それは確かなようだった。

「私の勝ちだな」

 ははは、と高笑いを鳴らした。布都に聞かせるための笑いだった。
 何一つ、布都には抗う術はない。

 ――負けた。

 誰よりも、彼女自身の心が、そう認めていた。

「止めを差してもいいが――」

 神子は舞い降り、布都の首に剣を当てた。

「我らの肉体など、仮初めにすぎん。無駄に痛めつけることに意味は無いな」
「…………」
「このまま黙っていれば気を失うか。『負けました』でもいい。どちらでも構わない。私は行くよ。こころを幸福にし、世を幸福にするためにな」

 神子の笑いと言葉は、慈悲なのだろうか、挑発なのだろうか。

「困ったことがあればいつでも相談するといい。弟子の育て方から、結婚式の準備まで、全て相談に乗ろう」

 どちらかはわからないし、どちらでもよかった。
 崩れ落ちたままに、横目で道観を見やった。
 こころが横たわっていた。シンプルに、布都は思った。「美しい顔じゃ」と。
 かのように美しき者に懸想され、生きていくのは、殆どの者が望むことだろうと感じた。
 
 元より、尸解仙にとって体も何もが、仮初めなのだ。こころに合わせた己になり、共に生きていくのは悪くないと思えた。
 神子に、感謝すら抱きそうになった。さほどの縁も無かった、麗しき面霊気に、かのような縁を与えてくれたことに。

「私が面を作り数百年、そして彼女が生まれ落ち……優に千年は超えたな。その間、彼女は己の意志などなかった。ただただ、調和した感情があったのみだ」
「…………」
「千年を超える月日、こころがなんの悩みを抱いた? 何の恐れを抱いた?」
「何も……ありませぬでしょう」
「うむ」

 神子は頷く。

「しかし、それでは生きるも死すも変わらぬ。それも不憫。幸いにも、彼女は、世界でもっとも甘美で望むべき感情、恋を知っていたからな。それを育んでやることにした
「…………」
「布都はどうかな、こころを見てどう思う? 弟子は離れろ。あんなものは、私がはめ込んだ設定だ。布都が望むなら、妻でも妹でもなんでも作り替えてやる」
「…………」

 押し黙り、布都は口を開く。

「可憐ですな。世にいる者で、彼女のかんばせを目にし、心ひかれるものはおらぬ事でしょう。……我と親しかった頃は、ちと、性格に難がありましたが」
「私自ら作った面の化身だ。その姿は、芸術では生ぬるいほどだ」

 決闘は終わった。布都の心はへし折られ、味方も、全て打ち破られた。動かぬ身で、抵抗を出来るはずもない。
 これから先が、望むべき未来としか思えなかった。麗しきこころ。その好意を一身に集め、二人、生きていくのだとすれば。

「だが、そのような言葉は嬉しい物だ。親に等しい身としてはな」
「……あの美しさは、我でなくとも賞することでしょう」

 満足そうに、神子は頷く。

「鳥之将死、其鳴也哀。人之将死、其言也善」

 朗々とした声で言った。

「人が死すべき際の言葉には真実が籠もっていると古人も言う。論語に曰くだ」
「あまり、書物には詳しくありませぬ。軍書でもなければ、目を通さぬ生き方でした」
「私が三経義疏を記すまで、この国に書物など無かった。気に病むな」
「まさしく、万能の天才ですのう」

 体が軽くなってくるように思えた。神子の偉大さを思い、忠義を思い出せば、体が軽い。痛みが消えていく。

「なに、私とて先人の知から学んだに過ぎぬ。三経義疏にして、かの国の教えの注釈。私の考えも、震旦よりもたらされた書物の受け売り程度さ。しかし、人の考えとは僅か数千年で大差はあるまい。古の知で、治めていくのも足りる。……信じたいが」
「はい」
「一人の身では、過ちもあろう。その時には、今回のように諫言してくれればありがたい」

 神子は、人なつこい笑みを繕って、言った。
 もはや、決闘の空気は何処にも無かった。ただただ、神子の偉大さを感じるのみであった。

「用兵之道、攻心為上、攻城為下、心戦為上、兵戦為下」

 微笑みと共に、神子は言う。

「城を攻めるは下策。心を攻めるが上策。蜀書に曰く。布都も、心に留めるといい、何事も心を攻めるが良いのだ。さすれば、無用な知も、金も、流れはせぬ」

 その口ぶりには、露悪的な色が有った。

「今のようにな。私自身は、決闘とはかくも愉快なりと思えたが。私事だ。臣下たち
のおかげで、かのように愉快になれたのはありがたいが」

 その言は真実ではあっただろう。しかし、神子にそう思わせた青娥は、もはや半ば死している。布都程度、手の中だ。公人に戻り、執政者として、言うのみだ。
 しかし、心を攻め落とされた布都は、その露悪的な様にも、好感を抱いた。

「明日からは、また退屈で忙しいのみの仕事が待ち受けている。何せ死闘だった。明日よりまた、私の側にいろとは言わないよ。しばし体を休め、静養すればいい。なに、時間など私たちには無数にあるのだからね」
「……そう、ですな」
「こころと二人、骨休めに出るもいいだろう。援助は惜しまぬよ。かのように美しき我が娘を、見せびらかせるも一興だ」
「げに、美しき娘ではあります」

 もはや、抗う気は微塵も無い。
 声が響くまでは。

「嬉しい……嬉しいよ……布都さん」

 それは、もはや声ではなかったかもしれない。意識を辛うじて取り戻してはいたが、その声はかの声のように小さい。
 しかしあまりにも大きかった。感情の奔流としては。
 暴走というのが正しい。しかし、こころの喜びは、仙界の全てを遍く包み込んでいた。

「私は……私は負けてない……」

 その足どりは、決して歩くとは呼べない。精々が、よろめくだ。
 
「……つくづく、危険な物だ。自分自身を、呪いたくもなる」

 しかし、その手には長刀があった。神子に向かい、動いていく。
 無表情でもわかるほどに辛そうに。それでいて、面はひょっとこの面のままだった。喜びをひたすらに示し続け、揺るぎはしない。

「その感情には、私ですら動かされてしまうよ。まったく、私が作った物に、私が動かされてしまうとは」
「私は嫌だ……私は、私自身の思いで……布都さんといるんだ……」
「馬鹿な事を。確かに、私がすげ替えた面は壊れたが、君自身、私が作った物だ」

 こころは、全力で声をあげる。それは、吠えるような様だった。青白い光が、こころの周囲に満ちている。怒れる忌狼の面と言ってもいい。しかし、面はひょっとこのままだった。

「私は、私だ! 私は、我々でもただの面でもない! 私は、私でいたい!」
「それが愚かという。よしんば、面を作り直してやろう、さすれば、今の恋情など消え失せるぞ、成り行きと刷り込みで生まれた思いなど、自己防衛の本能に過ぎぬ」
「消えたっていい!」

 こころは、精一杯に叫んだ。

「私が、私の思いで動く限り、何度だって布都さんを好きになるの。私は、布都さんといるの。だいたい、私は弟子なんだ。師匠といつもいるんだ」
「弟子を拒んでいたじゃないか。私に面を替えられるまでは」
「だけど、今は弟子だ! いつだって、私は弟子でいる!」
「論理の欠片も無い」

 神子は、ため息を付きつつ、呟いた。

「それでいて、感情を理を超える。実に危険だ、やはり、私が責任を取らねばならぬ」

 首を振る。

「悪人だな」
「恋する乙女の敵は、馬に蹴られて死んでしまえ!」

 こころの叫びに、神子は苦笑する。

「言が過ぎるぞ……」

 叫びの中で、布都に力が蘇ってくる。あるいは、こころの感情が、布都の身を無理矢理に動かしているのかもしれない。
 いずれにしても、布都は立ち上がった。

「太子様の前じゃ、言葉を選べ」

 よろよろと。しかし確実に、こころを目指す。

「よい、一時の気のまぐれじゃ。肝要な心で許そう」

 神子の顔には笑みが浮かんでいる。

「だいたい、君に何が出来る。こころよ」
「お父様に勝つ!」
「どうやって勝つのだ?」

 こころには飛ぶどころか、走ることも適うまい。
 幾つもの面を周囲に浮かべ、弾幕を放たんとする。しかし、ほんの僅か進むのみで、弾は消えた。

「馬鹿馬鹿しい」

 神子は光を放った。面と面が動くタイミングを見計らい、撃った。

「うっ」

 面と面の間を跳ね。それでいて、最後にはひょっとこの面を突き刺す。

「勝つ、ではない。どうやって、私に近づく? どうやって、私に一撃を当てる?」

 マントを翻し、遙か上空へ。何をしようが、地を這う二人には届かない。

「気合いで勝つ! 愛は無敵だ! だいたい、どうやったら負けるんだ! 私は絶対に負けなんて認めない。私の足はまだ動くし、意識もあって、立っていられる。お父様を這いつくばらせるには十分だ」
「ならば、やってみせよ」

 神子は腕組みと共に、こころを見下ろす。力など既に意味は無い。こころが何をしようが、指一本触れられぬ高みに神子はいる。

「……なるほど、思えば、負けの条件を決めておりませんでしたな」

 布都は言った。

「なるほど」

 神子は頷く。

「かまわぬ。君たちを気絶させ、こころの面を力尽くですげ替える。それでも足りよう? もはや、争う意味もなくなる。こころは、我が道具に戻る」
「まだ、我の足は動いておりますれば」
「私も、動いている」

 見下ろすままに、神子は声をあげ笑う。

「歩くだけなら獣にも容易だ。だが、私にどうやって傷を付ける気だ」
「さて……」

 そんなものは、何一つ思いつかなかった。

「何があろうが、私はお父様を倒す!」

 こころの頭上に、神子を象った面が浮かぶ。希望の面が。根拠はない、論拠もない。暴走が引き起こした気の迷いだろう。

「うむ。空から隕石が降ってくるかもしれぬ。地割れに飲み込まれるかもしれぬ。急に昨日の食事があたって、腹痛でのたうち回るかもな」
「馬鹿馬鹿しい」

 神子は一笑に付す。当然のことだった。

「非現実的だ」
「ありえぬとは言い切れませぬ。隕石が落ちることも、地震が起きることも、世にはいくらでもあることです」
「そんなのは、希望とも言えぬよ。願望というのもおこがましい」

 ゆらり、ゆらり、と飛んでいく姿が有った。

「限りなく無に近い確率だろうが……」

 屠自古の姿だった。足を切り取られた身は痛々しい。それでも、上り、神子を目指す。

「皆無じゃあない」

 笑いながら、屠自古は言った。

「時間稼ぎをする程度の価値はあるな」
「死の無き者は、ここが手間だな」

 神子は一瞥もくれはしないが。思うとすれば、手間だ、それのみだ。決闘が終わった後の関係の方が、神子には重要であった。もはや、この決闘など考えにもいれていない。
 形勢を思えば、勝利は、約束された物なのだから。

「希望にあてられおって」
「これは中々に愉快ね」

 青娥の声が響いた。流石の青娥すら、もはや何も出来ない。大穴の空いた体を直すのに、精一杯だ。

「でも、声援くらいは送れるわ」

 しかし、顔は愉快そうに見えた。「面白い」それを全力で示していた。

「諦めたら試合終了と書物にもある」

 口からは、血が流れていた。

「まだチャンスはあるわ。私はその姿を全力で応援するもの、ファイト!」

 叫べば、口からは勢いよく血が噴き出した。予想以上にグロテスクな姿なので、布都もこころもすぐに目を逸らした。
 声援は届いた。希望の面が導く希望が、神霊廟を包み込む。

「御しがたい」

 神子は、四人を見下ろしながら、首を振った。先刻まで青娥に感じていた……戦いに感じていた高揚は、もはや無かった。それは残念だと、心底思った。
 しかし、それ以上は無い。戯れの時は終わり、公人としての、罰を与えるのみだ。
 かろうじて屠自古が昇ってきてはいたが、到底届きはしない。精々が、糸の切れた風船のような速度であった。
 剣を抜き、両手で掲げる。

「承詔必謹。君則天之。臣則地之。天覆地載。四時順行。万氣得通。地欲覆天。則致壊耳。是以君言臣承。上行下靡。故承詔必慎。不謹自敗」

 薫陶を垂れるかのように、神子は言った。十七条憲法の一節。むろん、誰一人として、今更聞く必要など無い。わかりきっている。
「上の者の行いに、下の者は従うべし」それは、飛鳥も今も変わらぬ、聖徳王の信念だ。それこそが彼女の正義だ。「怠れば、必ず国は滅びる」それが確信だ。
 怒りは無い、布都の考えの方が、正しいとも思えた。一個人としては。それは既に超越した。神子の周りに集まる光は何よりも神々しい。剣に集まる光は、何よりも重々しい。

 神子は、剣に力を込める。力尽くで屈服させる。それを成すべき時だと思えて、それだけだった。力尽くの屈服の後に和を保つために、神子は決闘を受け入れたのだ。

 ――道観が壊れるか。

 神子は剣を降り降ろした。思ったのは、それだけだった。
 光が壁となり、全てを包み込む。四人の誰にも、手出しなど出来ない。

 目も眩むような光が満ちた。光の中で、何かが起きた。
 何が起きたかも、布都には理解しきれなかった。自分にはまだ足があるらしい、それはわかった。

「けほっ、けほっ」

 咳の音が聞こえた。光で眩んだ目だったが、音で、こころの物だとわかった。
 周囲は、砂煙に包まれているらしい。光でやられた目でよくわからないが。

「しっかりせい」

 すぐ側にいるはずのこころの姿も、見て取れない。手を出し「おい、こころよ、無事か」と問いかける。

「なんとか……生きてる」
 
 こころはその手を見つけたようだった。掴みつつ、答えた。

「我もじゃ」
「そもそも……今、何かが当たった気がしない」
「うむ……ひょっとすると、痛みも感じずに死んだのでは無かろうかと思えるぞ」
「それもそれでいいよ。布都さんと一緒に、あの世でも二人」
「馬鹿を言うな……だいたい、皿が割れねば我は死なぬ」
「屋敷ごと皿が割れた可能性は?」
「…………まさか」

 言いつつも、一瞬恐ろしくなってしまった。

「な、なんだ……こりゃあ……」

 屠自古が、おののくような声で呟いているのが聞こえた。

「どうした!」

 声を頼りに、こころの手を引きつつ、歩いて行く。

「嘘だろ……」

 震え声にも聞こえた。次第に、目も慣れてきたようだった。

「!!」

 布都は駆け出す。残されていた力を振り絞り、こころの手を取ったまま、神子に歩み寄る。

「いたたたちゃたたあ!」

 こころの足は付いて来られずに、石床の上を転がるようになっていた。そこは、布都の思いが至らなかった。事態は喫緊だったのである。

「太子様! ご無事ですか!」

 神子は崩れ落ちていた。血の気の欠片も無い色。灰色に色の褪せた髪。

「む、むむ、いかん、顔色が!」
「いや、お父様って元から相当白くない?」
「太子様の依り代は日頃より身につけし宝剣。万一にも割れればその身が危うい」

 布都の目には神子だけが映っていた。上に何かが有ったが、布都にはどうでもよかった。
 こころは口をあんぐりと開け、見上げていた。もはや神子は感心の外にあった。

「ば、馬鹿な……」
「生きておられましたか、よかったよかった!」
「こ、このようにふざけた負けなど……」
「負け」

 神子の言葉を、布都は繰り返す。

「我は、勝ったのか」
「おめでとう!」「おめでとう!」「おめでとう!」「おめでとう!」

 祝福の言葉を贈ったのは、全て青娥であった。匠の技で声音を使い分け、チーズとギュネイ以上の声の差を生み、祝福を送っていた。

「これからも愉快ねえ。宇宙戦争? それとも銀河を駆けるラブストーリー?」
「お主は何を言っているのじゃ」
「だって」

 青娥もまた、見上げる。
 そこにあったのはUFOである。紛れもなくUFOである。青く、丸いUFOが、神子を押しつぶしていた。
 アンドロメダ大星雲より遙々二百四十万光年。ワープを重ねること無数。ついに、UFOは地球にたどり着いたのだ。

「UFOだぞ!」
「UFOとはなんじゃ」
「UFOはUFOだろ!」
「これか」

 どこか愛嬌のある形に、窓が付いている。中を見ると、「何かよくわからぬ物」で埋められていた。布都でなくとも、アンドロメダ基準の科学力を見れば、そう思うだろう。

「時折、飛んできておったな。我が風水を操れば、万物は我が武器となり、襲いかかる」
「風水恐るべしね」

 青娥は、心底から感嘆したように呟く。

「これはUFOと言うのか、しかしUFOとはなんだ。墓石や箪笥はわかるが、これが何かは気になっておった。大方、外の世界の道具辺りかのう」

 まあ、些細な事じゃ。と布都は微笑む。

「我は勝ったのだなあ。随分と遅れたようだが、山で唱えた破局の開門が届いたか……」


 瞬間「む」と呟いた。己が手が、こころの手を取っていると気が付いたからだ。しかし、今少しの間だけはそれもよかろう。と思えた。

「なるほど、剣を振る瞬間に降ってきたのだな。剣閃は彼方に飛び、太子様はUFOに押しつぶされた。うむ。太子様をして予想できぬ一撃。我が遠大な計。ここになれり!」
「私に唱えてなかった?」

 青娥の正論を受け、布都は笑った。

「そうじゃな。風水の神秘は我が運にも影響する。しかし……遠大な計は冗談だ。強がってしまった」
「そんなのはわかっているが」

 屠自古の言葉も、適当に受け流す。

「こころよ、お主のおかげで勝てた。うむ。最後まで抗う心を教えられた。感謝するぞ……こころよ。我が最愛の弟子よ」
「最愛だなんて……」

 こころは顔を逸らし、俯いた。布都は、にこ、と微笑み、

「弟子もこれまで。太子様は正々堂々と負けを認められた。お主は、またただの面霊気に戻る。誰かの道具ではない。一人の妖怪に」

 手を離した。こころは顔を赤らめ、俯いている。
 カルピスの味のような感情が、仙界を覆い尽くしていた。一瞬、皆はUFOの事を忘れていたほどだ。
 
「流石に、疲れたの」

 甘酸っぱい感情を感じつつも、布都はハードボイルドに言った。UFOに背を向け、去っていく。

「…………」

 とことこと、こころはその後を追っていく。
 誰にも、立ち入れない世界があるように思えた。程なくして消えてしまう感情だとしても……今の二人には、真実なのだから。

「×△××□∀¥$$×□△□※〒!」

 UFOのハッチが開いた。二人は門をくぐり、幻想郷へ。もう、後ろは振り向かない。

「≒◇○○□◎仝▲**▲!」

 UFOの中より、宇宙人が現れた。宇宙タコかもしれない。オールドスクールな佇まいのタコ型生命体が、トラディショナル・スタイルのアダムスキー型飛行円盤より表れた。
 何かを言っていた。人間の声帯が決して発声できぬ響きであった。
 屠自古は笑いを浮かべた。それは、人が最後に浮かべる表情だ。悲しみでも、怒りでも、恐怖でも、いかな感情でも、それは最後には笑みという形を取る。

「ええと、その……は、はろー」
「========!」

 会話がなりたっているか否かも、定かではない。
 青娥も、渾身のコミュニケーションを図る。

「↑↑↓↓←→←→BA」
「BBXXAYAY←→」

 屠自古よりは会話になっている気もしたが、しかし意味は掴めない。

「案……ずるな」

 困ったときの神子えもんである。

「欲は……万物に通ず……かの物の言わんとすることはわかる気がするぞ」
「流石は豊里耳様」
「とりあえず出してくれ……声を出すのも辛い」
「はい、はい」

 未知との遭遇を前にしては、青娥も素直に振る舞う。

「ごめんなさいね」

 と伝わるかはさておき断り、戻り始めた気の力でUFOを持ち上げる。

「すまぬ。さて…………」 

 神子は欲に耳を傾ける。

「……恐らくだがな」
「はい」
「こう言っている気がする。『この間から何度も呼んでいるが、一体何の用で呼んでいるのか。言いたくないが燃料費も馬鹿にならない。今日は有給だったのに……呼び出した本人は帰ってしまうとは礼を失しているのではないか』と」
「正論ですな」

 屠自古は頷いた。

「うむ」
「布都の馬鹿がお遊びで風水を操った。文句があるなら布都を好きにしていいから許して欲しい。こう伝えれば良いでしょう」
「どうやって伝えるのだ? いくら私でも、異星の言葉は知らぬぞ」
「……タオの力でなんとか。かの馬師皇は龍と言葉を交わしたと聞きます」
「タオは青娥の方が上手だ。頼むぞ、青娥」
「……いけない、おゆはんの買い物が」
 
 だらり、と汗を流し、青娥は飛び立たんとする。

「逃がさぬ。どうもな、こう言いたい気がするのだよ。『私たちは平和を愛するが、無礼な好意には武を持って答える気構えもある。今から国に連絡してもいいか』と」

 未知との遭遇は、平和な交友に終わるのだろうか、それとも、凄惨な宇宙戦争に終わるのか。
 聖徳王の知をして、未だ読み切れぬ。
 そして、睦まじく外に消えた二人には、もはや無縁の話であった。

 ◇

「宇宙人が本当にいるなんてねー。流石の私もびっくりしちゃった」
「そうじゃのう。風水にはまだまだ計り知れぬ力が有る」

 布都はエスプレッソに口を付け、一息に飲み干す。苦いが、深く、力強い味わい。大人の階段を上ったような気分になった。
 相変わらず殺風景なのが布都の部屋だが、いささか、装飾を施してもいい。そう思えてもいた。
 どこかからこころが運んできたエスプレッソメーカー。それだけが、この部屋の華やぎだった。
 こころはカプチーノを飲んでいた。般若の面のラテアートは匠だが、見ている分には食欲をそそらなかった。

「♪」

 弾んだ音が漏れる。味は、きっと美味なのだろう。
 随分と、こころは落ち着きを取り戻していた。代わりに、熱情も消えて行っているように見えた。少なくとも、布都には。それでいいと、彼女は思う。

「なあ」
「何?」
「お主は、未だ我が弟子か?」
「……考え中」
「そうか」

 聞きたいことは有った気がする。例えば「自我を失う面を付けていたときの記憶はどうなのじゃ?」などと。もっと言えば、「何故我に好意を抱いた?」などと。
 刷り込みだ、などという他人の説明ではなく、こころ自身の口から。
 それが不作法だとは布都にもわかる。だから、問いかけない。毎日、無性に気になってしまうのだが。

「新しい面だ……あと二つか。すぐに作る……待っていなさい」
「痛み入ります」
「約束は、守る」
「面が揃えば、お主もここに留まる必要は有るまい」

 布都は言った。落ち着きを取り戻してきたとはいえ、面を一つでも失えば、やがては暴走する。揃うまでは神子が見守る。その点は、こころにも異存の無いところだった。
 もっとも、感情をしっかりと学ばねば、やがて、彼女は再び壊れるかもしれない。暴走するかもしれない。
 それは、可能性だ。そうならぬように死力を尽くそう。布都は思う。

「留まっちゃ、いけないの?」
「道士ならかまわん。が、それ以外はな。ここは仙界じゃから」
「そうね」

 こころは答え、またカプチーノに口を付ける。また、美味しそうに。

「しかし、お疲れのご様子」
「あれ以来不眠不休だ……」

 神子をして、疲労を隠しきれていなかった。

「なに、面を作るなどそこまで慌てる必要も無いでしょう。ここまでくれば、即座の暴走はありませんよ」

 壁に寄りかかるようにして、神子は返した。

「面はいいが……何処の誰とは言わぬが。誰かが呼んだUFOのおかげでてんてこ舞いだ」
「申し訳ないことです……交渉事には自信があります。蘇我との密約を取りまとめた実績もありますれば、必要な際はなんなりと」
「いや。交渉はいい。宇宙戦争は流石に困る…例の薬師が通訳もやってくれていてな。手は足りている。何より、交渉こそ執政者の本分だ」

 言葉は堂々としていたが。声音には疲労が隠せない。

「古今の書物を当たっていてな。かのような場合の対処法を見た」
「ふむ」
「藤子某なる物の絵巻に曰く、ビー玉を土産にすればいいと。これは駄目だった。まあ、ガラス玉は、かの星にもいくらでもあるらしい」
「でしょうなあ」
「やはり藤子某の記すところによれば、裏口入学の斡旋で満足した宇宙人がいたそうだ」
「入試などこの郷にはありませぬ」
「うむ。科挙を行うにしても、時間が足りん。フィクションにも学ぶところはあるが……今回は難しい」

 だが、と神子は言った。ようやく、声に力強さが戻ってきた。

「しかし、ヒントはあったのだよ。やはり、何事にも学ぶところはある」
「朗報ですな、して、その策は?」
「結婚をするのだ」
「はい?」

 布都は素っ頓狂な声をあげた。

「彼らの星では、結婚などないらしい。皆分裂生殖というわけだ」
「はい」
「その話をすると、興味深げでな」

 分裂生殖が何かはよくわからないが、どうでもよかった。

「だから、君とこころが結婚式をあげれば、名分が立つ。賓客としてもてなすために呼んだとな」

 ぶばっ、という音が、こころの方から聞こえた。

「……アンドロメダからの圧力には、流石の私も君を差し出すしかない。まあ、そういうことだから頑張ってくれ」

 かか、と笑い、神子は消えていった。意趣返しだったのかもしれない。

「む、むう。こころよ」

 振り向き、麗しき面霊気を見やる。咽せていた。無表情のままに、咳だけを溢す姿は不気味ですら有った。
 咳が聞こえるだけでは、今のこころの思いはわからない。
 しかし。
 その姿に、布都が心ひかれることだけは、確かだった。
コンペは永遠に不滅です
Pumpkin
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コメント



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1.無評価みすゞ削除
何となくぼんやりした印象です。最後まで読み切る気力が湧きませんでした。こころが弟子入りしたところまでは読みました。
2.5ナルスフ削除
多少急ぎで読んでしまったからかもしれないけれど、正直、最初から最後まで何が起こっているのかよくわからなかったです・・・
最後まで割とのっぺりとした感情で読み終わってしまった感。
屠自古のキャラクターは屠自古としては新鮮で面白かったし、キャラクターの掛け合いのセンスは目を見張るほど面白かった。
布都・青娥・屠自古が神子に挑むって展開は面白かったし、決まり手のUFOも直前で伏線を思い出せたのでニヤリとできました。
部分部分では結構楽しめたけれど、全体的には何がどうしてこうなってるのかよくわからなかった・・・。
あと長編だからといって許せないくらい誤字がひどい。神子の苗字なんかもう豊里耳で固定になってるし。誰だよ。
3.6烏口泣鳴削除
面白かったです。布都もこころも青娥も屠自古も素敵。
ですが肝心の神子にボスとしての魅力を感じられなかったのが残念です。
4.9めるめるめるめ削除
 まさかUFOオチじゃないよなと心配しながら読んでいたらUFOオチでしたんで驚きました。
 後半まででなかなか重苦しい雰囲気で気持ち的にも盛り上がって読んでいたんですけど。
 あのUFOオチでギャグなのかシリアスなのかよくわからなくなって混乱しています。
 オチ以外だと、前半の展開が話がころころと変わってどっちに進んでいるのかよくわからなく
て、それは色彩豊かで飽きずに楽しめて美点でもあるんですが、こころや布都の心情の深い
ところまで感情移入するには掴み所が無さ過ぎて勿体ない展開だとも思いました。
 作者さんが思いついたことを片っ端から詰め込んでいったような印象で、整理されていない
(オチがつかない)まま次の話題にどんどん移っていってしまって。(例えば布都が房中術と
は何かと調べていましたが、結局それがわからないまま放置で次の話題に移っていたり)
 そういう点が悪いばかりではなく万華鏡のようにカラフルで賑やかな、個性的な雰囲気に繋
がっているので、難しいところですが。
 中盤からの重い展開は文句無しで良かったです。神子の歪んだ思想も素晴らしく思えまし
た。威圧感もあって、ああこいつはこういう解釈のしかたもあるんかと驚きです。
 豊里耳……。
5.7みかたす削除
とりあえず点数だけ取り急ぎ失礼します。
6.7このはずし削除
翻弄されつつも真面目な布都ちゃんというのは目新しいですが、可愛くてよいものですね。
シリアスな流れから唐突なUFOの出現には笑いました。届いてたんかい!w
(追記:豊里耳様は豊聡耳様でする)
7.10うるめ削除
ストーリーや場面描写もそうですが、キャラ立ちが白眉でした。布都ちゃんイケメン!
8.9あめの削除
ロック過ぎる! こんな話どうやったら書けるのか……。
キャラのセリフが作者様の圧倒的な知識によって、本当にそのキャラが自分の意志で喋っているかのよう。どのキャラも生き生きとしています。特に太子様のカリスマが半端ない。太子様格好良すぎます。

布都の内面を描写するシーンが多いのでどうしても辛気くさくなりがちですが、そこはキャラ同士の掛け合いや地の文に所々挟まれる軽妙な文が見事に緩和してくれている印象です。
布都が絶望的な状況に追いやられてから、「これ一体どうやって逆転させて、どういうオチをつけるんだ……?」と思いましたが、まさかそう来るとは完全に予想外。その発想力には参りました。

しかしそれにしても、神子を絶対的に崇拝している布都がその神子に反逆をするという、大ざっぱに言ってしまえばそれだけの話なのに、よくもまあこんな話になったものです……。確かに布都が神子に反逆するというのは面白い題材です。絆をテーマに考えた時に、そんな話を思い浮かべた人もいると思いますが、神霊廟の設定自体かなり面倒臭いので、それで書こうとしてもどうしても難しい内容になりがちです。
ですが、この話の布都の反逆理由。
「愛」
わかりやすい! 神子や布都が何やら難しいことくっちゃべってるけど、ストーリーの根幹は至ってシンプル。だからこその面白さだったのかなと思います。
長いお話でしたが、神霊廟好きな私には大満足なお話でした。
9.8名前がない程度の能力削除
忠実な死体という表現は、思考を放棄した生き物にも当てはまるのだと、この話を読んで気付きました。

孫子曰く「戦う前から勝敗は決している(適当」
10.6きのせい削除
布都って、書こうとすると変に胡散臭くなってしまうイメージがあります。主に口調の所為だと思うのですが。
しかしこの作品では文体が揺れなかったためか、凄く自然体の布都に感じられて、愛着がわきました。
こころも可愛いね。
11.8K.M削除
開幕桃太郎侍に始まり、幾つものくすりと笑える箇所が楽しかったです。威力棒とか。保護者高認…………高卒認定?そして気になった「豊里耳様」。
12.7文鎮削除
ふとここ!こういうものもあるのか!
布都ちゃんが健気で良いですねぇ。
神子も色々な意味で政治家らしかったと思います。
やや長く感じましたが、ラストのどんちゃん騒ぎなど面白かったです。
あと、私も娘々に房中術の手ほどきを受けたいです…駄目ですよね、はい。