第十四回東方SSこんぺ(絆)

マーガトロイドは三人いた

2014/09/14 23:59:04
最終更新
サイズ
34.21KB
ページ数
1
閲覧数
65
評価数
14/14
POINT
87
Rate
1.49
「役と人形を受け取った時、人形は人形であり、テクストはテクストである。だんだんに、ひじょうにこわごわと、デリケートに、形象が許容し必要とする程度に応じて、心や気分や声やその人物に必要なすべてのものが移住し始める。人形が私で満たされる(あるいは、私が人形を自分でいっぱいにする)。ひとつになった生活――ひとつの呼吸、ひとつの脈搏――がはじまる。私は精神的には衝立の影の存在ではなくなって、情報にある人形の中へ移っていく。行動しているすべての人形が私の生きた相手役となり、私はその一人一人に対して自分の態度を持つ。ここに書いたことの凡ては、私が衝立の陰で我を忘れ、だれも見えず、なんにも聞こえない、と言う意味ではない。必要なものは見え、必要なことは聞こえており、誰にもぶつかりはしないし、足を踏んだりもしない」     ――功労芸術家 I・スニー





「最近、アリスの奴を見てないか?」
 パッと見ただけでは違いが分からない夏服に着替えた霊夢は、暑苦しいものでも見る目をして顔を上げた。まあ暑苦しいのは間違いないんだが。
「さあ、見てないわね」
「やっぱりか……かれこれ三ヶ月くらいは奴の姿を見てない気がするんだが……」
「三ヶ月も?」
 家の外から覗き込んでみると、電燈が点いたり消えたりしているので、生きているのは間違いない、けれども肝心の姿を見ていない。
 私も魔法実験が煮詰まった時など数日単位で篭ることはあるが、あいつがこれだけ長い間引き篭もるっていうのはちょっと異常だ。
 魔法使いだから多少飲まず食わずでも生きることはできるだろうが、あいつはどうも中途半端なところがあって、食事も睡眠も下手すれば私以上にたっぷり取る。人間をやめると人形の造型が思い出せなくなったりするのだろうか。
「なあ、見に行ってみないか?」
「いやよ、暑いし。そういうのはもっと適任がいるでしょ、お燐とか白蓮とか妖夢とか」
「死んでねえよ! 良いだろ、年中暇なんだし」
「残念ながら忙しいの。この間紫からクロスワードパズルっていう遊び道具を貰ってね。午後はそれをやるつもりだったから」
 暇じゃないか。文言を変えて数度誘ってみるが、霊夢の頭の中では既に縁側に寝転んでパズルを解き続ける自分のビジョンが見えているらしい。こうなった霊夢を動かすのが難しいのは百も承知だ。レミリアあたりなら物で釣るのかもしれないが私は物を持っていない。
「しつこいわね、魔理沙一人で行けばいいじゃない。何で私に頼むのよ」
「一人で行ったらまるで私があいつのことを心配しているみたいじゃないか。それは決まりが悪い」
「そういうものかしら……」
 言い切ってやったが霊夢は相変わらず腑に落ちない態度でいる。そりゃそうだ。嘘だからな。
「頼むぜ。お前が一番頼りになるから」
「頼りって……だから真夏の死体処理ならお燐に……あ、分かった」
 それを聞くと、霊夢は途端に納得がいった表情になった。
 私はとても嫌な予感がして次の言葉を制止しようとしたが、奴は人差し指を立てて小首を傾げながら言った。
「怖いんだ?」



 あんな奴に頼んだ私が馬鹿だった。
 魔法の森上空、私は一人で樹冠すれすれを低空飛行していた。ほんの僅かでも太陽から逃れなければ、頭が熱気でやられてしまう。
 断じて言っておくが、私は怖がりではない。今更妖怪を怖れるはずも無く、夏の怪談は基本的に怖がらせる側の人間だ。
 だが、一つだけ苦手なものがある。サイコホラーだ。「あらゆる魑魅魍魎よりも実際の人間が一番怖い」というオチを私は嫌悪する。幻想郷では人間を怖がらせてくる異種族には事欠かないし、ある意味奴らに恐怖の責任を押し付けている側面もあるので、こういうエピソードが語り継がれることは殆どない。しかし鈴奈庵で見た外の書籍の中には、人間の暗部を凝縮したような気持ちの悪い書物が数点あり、それを読んでからというもの以来不審な動きをする里の人間達には少し敏感になってしまった。不自然に痣を作っている子供や、人里の外に毎日散歩に出かける老人などを見ると、嫌な想像をしてしまう。勿論杞憂であることは知っているのだが、空想は止めようと思って止められるものではない。
 今回の件もそうだ。
「頼むから何も出てくるなよ……」
 人形偏執狂のアリスは、ついに実在の人間を人形にする研究に手を染めはじめた。誘拐してきた子供の自我を破壊し、完全な木偶となった子供が今のアリス邸には溢れている。魔理沙が訪問すると白目を剥いた子供人形が魔理沙の四肢を捕まえ――
 いや、あるいは逆で、ついに人形と人間を取り違えてしまうようになったのかもしれない。「何百人家族の長となった私はなんて幸せものなのかしら!」それから彼女たちと同じように生活したアリスは食事を忘れ、棚に座って家族と一緒に眠るようになり――
「ああ、やめだやめだ! いざとなったらあいつの家に火を放てばいい」
 頭の中で嫌な詮索をしても良い事なんか一つもない。私は箒の出力をあげてアリス邸へと急ぐ。吹き出る魔力に森がざわめくが、暫くすると風を切る音に全てかき消されるようになった。



 さて、突撃する前にまずは家の外側を観察しよう。ひょっとしたら外出した痕跡があるかもしれない。もっと悪いものが見つかる可能性も……無くは無いが。
 まずはじっくり家の周囲を観察してみたが、大きく変わったところは無かった。庭の雑草が伸び放題になっていたが、壁に禍々しい魔法陣が刻印されている訳でもなく、煙突の中に逆さまになった人のようなものも刺さってない。
 窓から中の様子を確認しようと思ったが、アリスはプライバシーというものにやたらこだわるので、ブラインドがいつも通り降ろされていた。しきりに私生活を隠したがるのは、後ろめたいことがあるからに決まっている。
「正面突破しかないか……」
 外周を回って飴色の玄関扉に戻ってきた私は、ペンタゴンがあしらわれた真鍮のドアノッカーに手をかけた。一瞬だけ、脳裏にさっきの嫌な想像が映ったので一瞬だけ手を離した。それを刹那で忘れて、もう一度手を掛けてから二回ドアを叩いた。
「……」
 返事も物音も無い。安心と不安が一辺にやってくるような妙な気分になり、握った真鍮と手の間に汗が滑り込んでくる。そもそも本当に音が届いているのか? 仕方がないので二度、先ほどよりも強くドアノッカーを打ち付けてやった。
 しかし、これも十数秒ほど返事が無い。この間の取り方が嫌らしいな、と斜に構える余裕くらいは十分ある。
「ドアを蹴破るか、窓を打ち破るか、壁を破壊するか……」
 その時、私よりも低い位置から重い音が鳴った。
 やっぱり地下室か。大がかりな換気を必要としない実験をするアリスは、地下室を丸々実験専用の部屋として整えている。恐らく物音はそこからだ。
 念のため耳を当ててみると、ごと、ごとと足音が鳴っている。正確な位置は分からないが、徐々に上がってきている気がしないでもない。
 とりあえず生きているようで一安心――待て。
 音がおかしい。
 木製のドアに、痕が出来るほど耳を押し付けて再確認する。響いていた足音が更に重みを持って鼓膜を揺さぶった。
 ごと、ごととゆっくり規則正しく立つ音は、あまりにも遅く、あまりにも堅い音だ。スリッパやブーツの音ではない。もっと無骨な、木や鉄で叩いたような――
 木や鉄?
「……いやいやいや。まさかな?」
 ごと、ごと、ごと。階段を登り終えた歩行音は音量を増して玄関口に近づいてくる。
 耳たぶが邪魔だ。こいつの所為でぴったり耳を押し付けられない。ちゃんと音が聞こえない。
 がたん。一際大きく、不規則な音が鳴り、廊下から玄関前へと何者かが降りたことが分かった。咄嗟に私は数歩下がって右手を懐に添え、有事に身を護れる体勢をとる。何が来ても撃退できない訳が無いが、仮におかしくなったアリスだったら手加減無しに全力でやらなければならない。
 錠が外れる。ドアノブが下がる。錆びた蝶番から甲高い嫌な音がする。それら一つ一つの動作は蜂蜜が垂れるような遅さで、覚束なかった。まるで、ドア自体が生き物のようで不気味な動きで、目を背けたくなってしまった。
 明るすぎる夏の太陽が、開いたドアの隙間から中を照らし始め、そこに立っている奴がようやく見えた。
「「……誰?」」
 私と対応者の声が重なった。
 服も髪型もアリスと同じだ。
 けれども真っ青な瞳に私の姿は映っておらず、小首をかしげる動作にも誰何する口の動きにもその声色にも、言葉では言い表せない微かな不自然さが詰まっていた。
 すぐに分かった。これは人形だ。
 何の?
 背筋が凍った。光が通る速度で私の前に前進・後退の二種類の選択肢が提示される。私は迷わず前進して、何やらアリスの名を口にしながら人形の身体に触れた。
 布越しに当たる腕の感触は堅く冷たく、それが血の通った生物ではないということを否応なしに実感させられる。しがみつくように頬に触れるが、化粧の跡どころか汗一つかいていない。だが、見た目はアリスと瓜二つだ。
「くそ、もう手遅れなのか!? なんだよその身体は! 関節もごつごつしてるし、眼もガラス製かこれ? 糸だってこんなに……糸?」
 見ると、人形の背中から極細の糸が大量に伸びており、廊下の奥まで達していた。私はこれを操れる奴を一人しか知らない。
「く、くくくくく」
 およそ都会派らしからぬ忍び笑いを響かせながら、生身のアリスが廊下の影から姿を現した。細い魔法の糸はアリスの指に無数に絡まっており、笑い声に合わせて震えている。
「ははははは」
 それに呼応するように人形が口を開いて笑い声を立てる。遠くから見たら仲の良い姉妹のようだ。
「あっははははは! マガトロちゃん、そいつは私の知り合いの魔理沙。そして魔理沙、それは私の大切な人形だから、傷付けたら承知しないわよ?」
 ……このテンションとくっきりクマの浮かんだその顔、少なくとも一週間は眠っていないだろう。



 本と埃の散乱するアリスの家で、寝不足テンションのまま家主の演説が始まった。家を見渡すと、部屋の中は本と埃にまみれており、茶葉も食料も底を尽きていた。全く、魔法使いというのは埃を食べて暮らす種族なのか?
「初めまして、魔理沙。私はマガトロ。アリスに創られた人形です」
 等身大で、極限まで人間に近いリアルな動きを模した人形――『マガトロちゃん』のことをアリスはそう評した。けれども長年の夢である完全自律までは至っていなくて、マガトロの背中に大量の糸を括りつけ、フィードバックの要領で操作している。
「この糸自体に大量の魔力が織り込められていて、私自身の負担を減らす他にも様々な」
「あーいや、結構。その辺私には縁のない話だ」
「何よ、ここからが画期的な発明なのに」
 アリスは私と違って筋道立った説明が上手いが、いかんせん話が長すぎる。私が話を最後まで聞くような顔に見えるのか?
「どうせ私にはどこがどう画期的なのか分からんさ。専門外なのでね」
「専門でない魔法に興味を持たない態度、やめた方が良いわよ」
「興味が無いわけじゃない。お前の魔法と技術がここまでのものを創り上げることができるというのは感動ものだ」
「そりゃどうも」
「だが糸の原動力がどうなっているかに興味は無い。専門の違う同業者が考えるのは『その人形に何ができるのか』とか『そこに私の魔法が入り込む余地があるのか』とかだろ?」
 マガトロの頭を撫でて私は言う。黙って私を見上げる彼女の表情には何も浮かんでいない。
「何でしょうか?」
「親が子を褒める時とか、よくこうするんだよ。親しみを持っているくらいのものだと思えばいい。心がほっとしたりしないか?」
「成る程、ありがとうございます」
 それに対してアリスが右手親指を引くと、人形が微笑んだ。
 他の人形と同じく、感情と表情を人間のそれと一致させるのがまだ難しいらしい。アリスの糸は主として感情に対応したリアクションを引き出すためのものだと語っていた。
 難しい理由は私でも分かる。人の表情が単純でも、心は複雑だ。どんなことをされた時に嬉しくて、その時にどんな反応をするか、なんていうのは明確な境界の引かれた話ではない。時と場所と人物によってその基準はいかようにも動いてしまうから、こうなったら嬉しい、悲しいと人形に教え込むには、外部から学習させるのが一番手っ取り早いという事だろう。
「何ができるか……ねえ。人間のできる行動なら一通りできるはずよ。歌って踊れて、多分戦えもする。今度人里で披露するの」
「人里で人形劇をやるんです。私が人形役で、アリスが人間役」
「いや、役とかじゃないからな。人間でもないけど」
 アリスは人形を作るが、作った人形を繊細な技術と独特の動きで操りもする。どちらのアリスも真剣に人形と向き合っているが、人形への視点がまるで違っていて、初めて見る人間は大抵面食らう。
 知識と技術と器用さと体力、アリスの魔法を達成するには少なくともこれだけの能力が必要な訳で、お陰様で人形魔法は未来永劫流行らない兆しを見せている。世の中は意外と賢い。
「それにしても良いタイミングで来てくれたわね、魔理沙。つい最近テストが終わって、漸く外の空気を吸えるわ」
「私の知る限りでは、ここまで長く閉じこもったのは初めてだな。髪の毛が傷んでるじゃないか」
 人間じゃなくても、不規則な生活は身体に反映されるらしい。紫が寝まくっている理由は多分その辺にある。
「あ、あらそう?」
「クマも出来てるし」
「まあちょっと眠っていなかったから……」
「顔色が土みたいに毒々しくなっているぞ」
「し、仕方ないじゃないのそれくらい……」
「それにお前……」
 太ったか? そう言おうとして言葉を飲みこむ。プライドの高い奴にはダメージが大きすぎる。
「え……何? まだ何かあるの?」
「いや別に」
「何よ! 私のどこがそんなに醜悪!? はっきりと言えばいいじゃない!」
「太ったか?」
「はあ!? デリカシーなさすぎでしょあんた! 太ってないわよ! 見る!?」
 あー面倒くさい。



 アリスとマガトロの演じる人形劇は、すぐ後の夏祭りに開催された。『恐怖! 人間そっくりのビックリ人形が死のワルツを踊る!』というチラシがあちこちに貼ってあった。
「……企画の伝達完全にミスってるだろ」
 舞台と言うには粗末な、祭りの時にいつも駆り出される小さな壇上に立ち、一体の人形が礼をした。マガトロの背中にははっきりと見える糸が伸びており、用意された衝立の裏へと周っている。
 衝立裏のアリスが糸を手繰り寄せると人形が動き始める。雑踏が少しずつ円をなして、マガトロに注目する人が増えてくる。私は最後列付近からこっそりと覗いていた。
 演目はいつもの人形劇とあまり変わらなかった。見える糸を引っ張って、人間がやるように歩行させたり走らせたり、声を当てて喋っている振りをさせるようなものだ。
 だが通常の人形と比べて、マガトロはその何倍も複雑だ。何せ可動部分が多すぎる。マガトロの動きは両手両足ではなく、顔面、腰、背中、肋骨、あらゆる関節と筋肉を人間のように動かすことを追求していた。
 例えば、重く大きい箱を持ち上げる場合、膝を曲げて腰を落とし、底面を抱え込んでから、下半身を利用して一瞬強い力で引き上げ、浮いた箱を腕で支えるように持つことになる。この人形は、その程度の動作ならば最初から最後まで完璧に再現できるようになっていて、マガトロが人間らしい動きをするたびに観客からどよめきが漏れた。
 流石の私も、これ程までに作り込まれているとは思わなかったので呆気にとられてしまった。
 ぬるぬると四肢と表情と声帯を動かす人形は、少し見ただけでは人間と見分けがつかない。ところが注視するとはっきりと分かる。頬の微妙な動きなどには確かに不自然な点があり、明らかに張力がマガトロを支配しているということが見えてくる。そして人間らしく振る舞わせるほど、隠せない人形らしさが不気味に顔を覗かせるのだ。だがほんの僅かでも目を外すとそれはすぐに分からなくなり、また一瞬本物の人間のように見えてしまう。そして人間だと思って見ていると、また不気味さが目立ってくる。繰り返しているうちに、壇上にいるのは果たして本当に人形なのか? 周期的に人形と人間が入れ替わっているのではないか? それほど目まぐるしく様子が変わって混乱してしまう。
 見ている人々も似た感想を抱いているのか、最初驚いていた大人たちは皆首をひねっている。中には気分悪げにその場から立ち去る者もいて、無邪気に楽しんでいるのは子供だけかもしれない。
「私は人付き合いが苦手だから、人から隠れて演技ができる人形劇が最も肌に合うの」
 ダイナミックな動きを披露するアリスはかつてそう語った。衝立裏の彼女は情熱を湛えた役者だ。呼吸するようなリズムで身体を左右に振らせ、筋肉と関節を本物の生体のように操作して、艶やかに眼を揺らしている
 私には芸術が分からないが、初めて見た時の技巧と迫力は鮮明に記憶に残っている。人形を前にうんうん唸っている姿からは想像もつかない程にアグレッシブな演技だった。
「多分、人形を操っている時の私は私であると同時に、人形たちと――作品と同化しているの。見られているのは人形の方だから、私は一切緊張する必要が無い。自分の性格や容姿は、劇になった瞬間に別の誰かと入れ替わるという構造よ」
 言ってる意味が分からなかった。真剣な表情でそんなことを語るアリスに対して、一度は頭がおかしいのだと結論付けたが、その意味が少しだけこの劇で分かる(頭がおかしくないという結論になるわけではない)。
 自律型人形マガトロ、その性格は半分が技工士のアリス・マーガトロイドによって作られ、残りの半分が芸術家のアリス・マーガトロイドによって表現されている。いわば二人のマーガトロイドのハイブリッドなのだ。二重人格を更に折り重ねて一つのヒトガタ生命体を完成させたというわけだ。
 こいつはヤバい。アリスが作ったものは、見た目以上にヤバい代物だった。
 そして、ヤバい魔法は、全ての魔法使いが興味の対象にするものだ。
 劇が終わり、客席から大きな拍手と、あまり大きくない歓声が鳴り響く。それを受けて裏からアリスが所在無げに歩いてきた。居心地悪そうな様子を見れば、こいつが人付き合いを苦手とするのが良く分かる。
 アリスは汗だくになっていて、目元も顔色も、前以上に不健康そうに見えた。



 私の期待に反して、等身大の不気味な人形の話は、思っていたよりも話題にならなかった。それは主に天狗(マスコミ)が興味を持たなかった所為か、もしくは人形劇が人間に不評だった所為か、良く分からない。
 マガトロに目を付けて、継続的にアリス邸に訪れるようになった連中は数少ない。魔術の結果として興味を持った私とパチュリー、人形として興味を持ったメディスン、人体模型として興味を持った永琳、そして、
「これだ。これが私にとっての笑顔だぞ。いかにも楽しそうだろう。真似できまい」
「難しい……私は楽しいけれど、一人じゃこれくらいしか笑えない」
 不完全な感情の持ち主として興味を持った秦こころである。人懐こそうな翁の面を被ってマガトロと遊んでいる。
 彼女がいつ、どこでマガトロの存在を知ったのかはわからないが、最近は毎日のようにアリス邸に遊びに来て、私達には理解しがたい朴訥とした会話を続けている。
「噂には聞いていたけれど……滅茶苦茶面白いわね、この子」
 言葉の内容とは裏腹に、アリスが覇気のない声で呟く。
 青白い顔をした彼女は、寝間着と毛布にくるまれた首をすぼめながらハーブティーの入ったマグカップに口を付け、少しだけ唇を濡らした。見ているこっちが脱水症状になりそうな格好だ。体力の限界を超えて、典型的な夏風邪に陥ったアリスは風邪引きが考えうる贅の限りを尽くし、リビングを占領している。マガトロが完成していた頃から体調不良だったのだろう。なまじ丈夫な身体を持っている所為で慢心して悪化させてしまったに違いない。
「お前の好きそうなタイプだよなあ」
「それはもう。できれば一体家に欲しいわ」
 冗談めかして言うが眼は真剣だった。
 くるくると表情を物理的に変えるこころに倣って、マガトロも一生懸命笑ったり泣くそぶりをしてみる。拙いながらも笑顔を上達させている人形の姿は、昼間に見る分には微笑ましい姿だった。夜に行われていたら間違いなくこのあと誰かが死ぬ。
「疲れないのか、あいつを動かしていて」
「今は指示なしに勝手に行動しているの。こころが来てから、苦手だった感情操作がどんどん上達しているわ。作製当時に想定していたもの用も遥かに早い」
「何だお前、あんまり嬉しそうじゃないな」
「私があの手この手で学習効率を上げようとしても無理だったのに……」
 項垂れるアリスは心身ともに衰弱しているようだ。残念ながら魔法の成果なんてそんなものだ。手段を選んでいるうちは上手くいかない。
 こころとマガトロは、シチュエーションと対応する感情を一対一で処理しようとする点でよく似ている。線引きの難しいことを種族の性で行っているこころは、確かに完璧な教師と言えるだろう。
「アリス、顔が赤いですね。どうしたのですか?」
「病気だぜ。生き物はみんな病気になる怪我とも違う、体の中が苦しくなる現象だ」
「そうだ病気だ。私もあるぞ。面コレクションが一つ失われて、気持ちが落ち着かなくなったことがあるんだ」
「……私は、病気になったことがありません。何故でしょう?」
 無表情で首をかしげてマガトロが訊く。分からなかったら人に聞く。マガトロは疑問に思ったことをすぐに私達に質問してくる。
「……『魂』の有無かしらね、それは」
「魂、とは何ですか?」
「えっ? それは……」
 かっこつけて良く知らないことを語ったアリスは、続いた質問に言葉を詰まらせた。そりゃ予想して無ければ当然そうなる。私は助け船を出す。
「『云の鬼』と書いて魂だ。云は雲を、鬼は霊になった人間を意味する。人間が死んでからも残り続けて、霊界を旅する存在のことだ。人間には魂がある。私がこの眼で見てきたら本当だ。お前やアリスは分からないけどな」
「違う、鬼はこういう奴だ! 夜な夜なこいつが恐ろしい顔で病をばら撒くのだ」
 鬼神面をつけたこころがマガトロを脅す。見得を切るのがやたらと上手いのは生まれの所為か。
「二人とも、詳しいわね」
「お前達がやたら横文字に詳しいからな、対抗して縦文字を勉強しているんだ」
「嘘」
「おう、こないだ白蓮から聞いた。あいつはどっちも詳しいけどな。こないだ人里で”Not all who wander are lost.”と演説してたな」
「そんな流暢なのあの人!? っていうかその台詞宗教関係ないし!」
 残念ながらこれは本当だ。拳を突き上げて演説する迫力は相当なものだったが。どうもそういう雰囲気の言葉ではない気もした。
私は文学や言語学には強くない。私が重要にとって重要なのは式とそこに辿り着く詠唱だけだ。それを言うとパチュリーやアリスは教養が無いと笑うが、大きなお世話だ。
「魂……私にもあるのでしょうか」
 静かに座っていたマガトロがひとりごちた。どうやら余計なことを教えてしまったみたいだ。言語学が堪能になったってそう簡単に誰かの悩みを解決することなんてできはしない。意味なく叫んだところで箒が浮かぶわけではないのだ。
「死んだ後のことでお前が悩む必要は無いさ。こうして話が出来てるだろ。だから、細かいことは良いよ」
「またそんな適当な……」
 言いかけたアリスが苦しげに咳き込む。
「寝ていた方が良いんじゃないですか?」
 アリス絡みだと、比較的マガトロは表情豊かになる。心配そうな顔で見上げる顔から、心底案じているのが伝わった。
「そうするわ……悪いけど、今日はもうお開きにさせてもらうわ。ありがとうこころ、また来てくれた時に御馳走するから。
「ゴチになります!」
 陽気な笑顔を浮かべたアフロ頭の男性の面を被り、こころが深々と礼をする。どこで拾ったんだそんなお面。
「私が運んでいきますよ。魔理沙さん、背中に乗っけて下さい」
「悪いわね」
 背負われたアリスは力無く笑みを零して言った。
「ふふ、自律機能を搭載する前までは私が毎夜運んであげたのよ、覚えていないと思うけど」
「覚えていますよ」
「本当に?」
 二人の会話は本物の親子の様だ。その場合マガトロが私くらいの娘で、アリスがおばさんという事になる訳で、口には出さないが。
勝手に話を切り上げて廊下の奥へと引っ込む彼女らを見て、私はほんの一瞬だけ羨ましいと思ったが、すぐにその考えを払拭するよう頭を振り、帰る支度を整えた。
「マガトロは私に似てる」
 ぼんやりとその背中を見つめたこころは言った。女の面が夕日を受け止め、素顔に真っ暗な影を落とす。
「形は立派で、生まれも育ちも立派だけど中身が空っぽだ。だから色々な事を教えてあげたい」
「良いんじゃないか? でも戦いの喜びとかを教えるのはやめてくれよ」
「大丈夫だ。もっと大事なことを教えてやろう。希望や、絆のような大切なものを」
 妖怪も成長する。ならばあの、不可思議な人形が成長しても悪くは無いだろう。



 だが数日後、鬼のような形相でアリスが私の家に転がり込んできた。
「マガトロちゃんがいなくなった」



「糸はどうしたんだよ?」
「付いてたに決まっているじゃない!」
 私が非難じみた言葉を投げかけると、それ以上の剣幕でアリスは言った。よく見ると赤いカチューシャから垂れる前髪はすっかり崩れていて、相当の速度でここまで来たことが分かった。
「でも長さに限界があるのよ! 魔法糸は離れすぎると制御能力を失ってしまう。私が眠っている間に範囲外まで行ってしまったんだわ!」
 瞳孔を開き、歯を鳴らすアリスを見て、私はふざけるのをやめた。マガトロは今やアリスの殆どを占めていた。
「追跡することはできないのか。その、糸の伸びた方向を」
「もうやったわ。だからこっちに走ってきたの。あまりにも遠くて、一刻を争うから。方角の先にあるのは、無縁塚よ」
 舌打ちが漏れた。恐らく今のマガトロが一番行ってはいけない場所だろう。アイデンティティに悩んだ存在があそこに行くと全く碌なことにならない。
「出てった理由に心当たりは?」
「知らないわよそんなの。あっちはメディスンがいるからね、あの子が連れ出しでもしたんじゃないの。何にせよ、許しはしないけど」
 しょうがない、乗りかかった船だ。私は箒をひっつかんで帽子を被り、30秒もせずに外に飛び出した。外には少しだけ涙目になるアリスがいる。こいつがこんなにも取り乱しているのは中々見ることが出来ないので面白くなってきたが、今は茶化している時間が惜しい。
 自分を前に、アリスを後ろに乗せて二人で手を重ねて箒に掴まる。竹の内に詰められた魔力でゆっくりと浮遊する箒に、私は直に魔力を上乗せする。素肌に内部の熱が伝わってくるが、これくらいどうということは無い。
「しっかりつかまっている、とか思ってると絶対振り落されるぜ。死んでも手は離すな。死ぬ時は私の手を握ったまま死ね」
「う、うん」
 怖気づいたのだろう。私の腕にかかる力は、尋常ではなく強くっていたる。私は目を閉じて思考を飛翔に合わせる。
 ここからの世界に、他人が入り込む余地は無い。膨れ上がった魔力はその狭さに耐えきれずに筒の中を下へ下へと移動して、噴射口の弁を押し上げる。
 やがて、爆発音とともに箒は発射される。アリスの短い悲鳴が聞こえるが知ったことでは無い。私自身心臓が飛び出そうな程の瞬発力なのだから。どれだけ経験を重ねても、どれだけ体を鍛えても、私の身体は私が生み出した瞬発力に決して追いつけない。私はこの臨死体験のような浮遊感が何よりも好きだ。
 私の身体が遅れて箒に追い付くと、そこからは新しい世界が始まる。前方から絵の具が噴射するような不明瞭な景色と、耳を覆いたくなる風切り音に包まれた世界で、前へ前へと――



「……」
「あん!? 何か言ったか!?」
「……わね!」
「え!? 全然聞こえん!!!」
「近いって言ってるの!!! 糸が可視化してるから辿って!!!」
 弾丸となった私達の矛先に全神経を集中して飛翔すると、段々と空気が冷たく、粘り気を持ってくる。再思の道が近づいている証拠だ。何者も追い縋れない速度のまま、私達は細い道を一気に駆け抜け、息つく暇も無く無縁塚へと躍り出て箒の噴射を緩めた。道しるべは確かに白い線となって奥へと伸びていた。
 深い霧と乱立する墓石と手入れのされていない植物ばかりで、スピードを出すにはお勧めできない塚だが、幸いにもお目当てはすぐに見つかった。
 霧の中に立つ、背が高く、短く細い髪を風に揺らしている女性のシルエットは、どこからどう見ても人間だった。
「マガトロちゃん!!!」
「うおっ! 大声出すな! そんな遠くないだろ!」
 人影が振り返り、風に髪が靡く、その仕草も、完全に魂のある生命体。
 飛翔が止まり切る前にアリスは手を放し、服を土埃に汚しながら転がるように駆け寄った。
「マガトロちゃん!」
「アリス?」
 霧に呑み込まれ、私から見える人影が二人になる。
 急いで追いかけていると、ごす、という鈍い音がした。人の皮膚ではなり得ない、水分の欠けた音。
「どうして何も言わずに一人で出かけたの!」
 マガトロは、呆然とした表情で頬を抑え、アリスを見ていた。ここに来るまでの間に、アリスの怒りはある程度冷えて、その分だけ鋭くなっていた。
「え……」
 アリスが他者に手をあげるのを、私は初めて見た。マガトロもそうだったのだろう。沈痛な空気が霧に混じって私達の間を流れる。
「私は……」
「黙りなさい」
 冷たい態度で言い放つと、何かを言いかけたマガトロの口は塞がった。それが本人の意思によるものなのか、アリスに操作されてなのかは分からない。
「私は怒っているの。貴女は私の制御を無視して自らを危険にさらした。一歩間違えたら壊れていたか、形成した性格が歪められていたかもしれない。覚えておきなさい。危険なところに一人で」
「そうじゃないだろ」
 知らず、異議を唱えていた。見詰め合う二つの視線が外れて私に集中する。
「マガトロの言い分を聞くのが先だろ。一方的に約束をするなよ」
「……魔理沙には関係ない」
「ある。私とマガトロは他人じゃないから、お前達の関係に口を挟むことができる」
「私は!」
 二人の会話が途切れた一瞬、その沈黙を破ったのはマガトロだった。
「アリスのことを敬愛しています。だからこそ私は、もっとアリスに認められたくて学習をしています。ただの人形ではなく、アリスを自分から喜ばせられる人形になれるように。そのために私の友人は協力をしてくれました。自我の話や、魂の話を少しづつ教えてくれました。それに憧れて、ふらふらと出かけて形も分からない魂を探しているうちに、こんなところまで来てしまいました」
 その言葉を聞いたアリスの表情を、どう形容したらいいだろうか。あり得ないものを見たような顔だったけれども、その内側には様々な感情が複雑に内包されていた。はたしてこの表情の意味が、マガトロに理解できるのだろうか?
「想定外だわ、こんなこと」
 恐らくアリスは一度として、マガトロが自分の命令に背くことなど考えていなかっただろう。彼女にとってマガトロは、技術士としての最高傑作であり、人形劇演者としての最高の相棒だ。
 だが、それだけではなかった。
「だって、貴女は私の――」
 アリスの言葉は続かない。もはや彼女はアリスの道具ではない。人形ですらないかもしれない。
 二人の間に、距離が近づいてたわんだ糸が釣り下がる。お互いを繋ぐ糸だけれど。今、二人の心はすれ違っている。
「私は今、敬愛しているはずのアリスのもとを離れたいと思っているんです。何故だかはわかりません。おかしいですよね?」
「ええおかしいわ。私だってひと時も離れたくないもの」
 アリスには三人目がいた。技術者であり、芸術家である以前に、彼女も人間と同じ、自分が育てた存在に情を抱く母親だったのだ。
「もういい、貴女のことは帰ってから考えるわ。これだけは覚えておいて。ここは幻想郷でもとても危険なところ。絶対に近寄ってはいけないわ」
「……はい」
 悩む二人のすれ違いの原因は、きっと作る時に妙なものが混入してしまったからだ。私の箒もそうだった。希望とか、思い入れとか、そういうものを道具や物に込めてしまうと、彼らはしばしば予期せぬ進化をする。
「さあ、帰るわよ」
 おいおい、私は運送屋じゃないぞ。勝手に盛り上がって勝手に納得して挙句先延ばしっていうのはあんまりじゃないか? 前にも思った気がするが、もう二度と、アリスの手助けはしないことに決めた。
「助かったわ、魔理沙。お礼に前言っていた魔法通信の本、一冊持って行って良いわよ」
 言うまでもない事だが今回は緊急事態だった。いつ自分このような困った状態に陥るか分からない以上、隣人に手を刺しのばすのは当然のことだ。
 アリスの機嫌が変わらないうちにマッハで帰宅してやろう。
 浮かんだ箒に、行きの二人と更にマガトロが乗る。長さが無いので、マガトロはアリスの背中に乗ってもらった。法律があれば今にもしょっぴかれそうな体勢だが、マガトロの握力が強いので、振り落されることは無いだろう。
 いざ飛び立とうと魔力を蓄積し始めた時、アリスが掻き消えそうな声でマガトロに言った言葉が聞こえた。
「マガトロちゃん、貴女……太った?」
「私は人形ですよ?」
含みのある声色だった。いつ、そんな表現を習ったんだ?
「もし私が重くなっているのだとしたら、それが私の魂の重さなのでしょう」
 重みが増しても私はスピードを落とすつもりが無い。
 悩みはスピードの前に無力である。



 さて数日後、私がアリス邸に邪魔をした時に、マガトロの姿は無かった。どちらの結論を下すか私の脳内で賭けを行っていたのだが、どうやら負けてしまったようだ。
「本当に、丁度いいタイミングだわ」
 送別をしたばかりだったとアリスは言った。彼女の痕跡はまだ残っていて、洗い場に並んだ二つのマグカップが妙に目に付いた。
「私は呼んでくれなかったのか」
「あんたは関係ない。それに――貴女に弱みを見せるなんて真っ平ごめんだから」
「案外あっさり旅立たせたじゃないか。もう少し固執すると思っていたが」
「絆だから」
「絆?」
「貴女のやり口を盗ませてもらったわ」
「人間の言語で分かるように言ってくれないか」
「……『糸を半すると書いて絆。離れていても、二人の間に繋ぐものが無くても、一つでいられる心のことを言うのよ』」
 三人目のアリスからマガトロに伸びる糸は、形無き絆だった。
 等と私が思うはずも無く。
「……くっ、ぶははははははははは!!! お前、そんな台詞を我が子に言ったのか!?」
 だって、あのアリスがだぜ?
 演劇や文学を昼間に語りだすようなお高くとまった魔法使いが、そんな直接的に愛を語るとは思わなかった。
「あーうるさい! あと我が子って言うな!」
 これは傑作だ。今度、こころと白蓮に礼を言っておこう。
 しかし改めて思うが親子関係というのは本当に不自然だ。自分がやりたくないことを率先してやりたいとすら思わせるのだから。
「いや失敬失敬。はっはっは、それで?」
「魔法糸を完全に取り除いたわ。複雑な動きをする人形でこれをやったのは初めて。でも全然問題なくて、今まで必死に守っていたのは何だったのかって思ったわ。これでもう二度と、お互いの感情は向こうに伝搬しない。私はマガトロちゃんが何を考えているのか、一切分からなくなりました」
「それで?」
「まあ、軽く話をして、色々あって、出て行ったわ」
 どうにも曖昧だ。アリスの言う所の「弱み」がどんなものか非常に興味があったが、そこだけは語ろうとしなかった。
 土の上に浅い足跡を残して遠ざかって行くマガトロの背中が消えるまで、アリスはずっと見送っていたという。
「いつでも顔を出すように言ったのだけれど、良く考えたら私が出来もしないことを言ってしまったと思ってね、」
 私に背を向けて洗い場の食器を片づけながら、アリスは語りだした。
「私も里帰りをしようと思う。もう何年も、ママの顔を見ていなかったから」
「そうか、帰ったら感想を聞かせてくれ。私は暫く帰らないからな」
「それは絆のつもり?」
「違う。私と親父は出て行くときに根競べを宣言した。先に会いに来た方が負け」
「何の得があるの、それ」
「無いな。私たちにとっては喧嘩がコミュニケーションなんだ」
「……そう、貴女には、寂しさの機微とか分からなさそうだものね」
 その言葉に腹を立てた私は、帰り道で香霖堂に寄り、香霖お気に入りの小説を二冊借りて帰った。一つは親友を裏切って恋人を娶った男の話、もう一つは息子の死の悲しみに手を震わせながらも息子の恩師の前で笑みを絶やさなかった婦人の話。



「してやったわよ、里帰り」
「そうか、どうだった?」
「相変わらずでね。私が急に帰って来るなり襲い掛かるように抱きしめられて……もうそんな年じゃないのに」
「親バカなんだろ、要するに」
「でもそれが笑えないことが今回の件で分かったわ。最悪よ」
「ああそうか! マガトロに執心していたお前の様子をどこかで見たことあると思ったが、母親に似ていたんだな。くっく」
「……『物を創ることは、物の魂を自分に憑依させることなの』とママは言っていたわ。あの人にとって魂は人間にしかないものではなくて、それどころか森羅万象に詰まっているものらしいの。『小説の登場人物が何を考えどのように生きるのか描くには、その人物の人生を自分の中で消化しなければならない。音楽を奏でるには、一つ一つの音に込められた魂をくみ取って再現しなければならない。絵画は自分の中に湧き上がった天啓を解放したものである』なんて言ったりして」
「あいつ、そんなこと言う奴だったか?」
「貴女は知らないだろうけど、命を創る時のあの人は恐ろしく真剣よ。技術者としての私はそこに憧れていたのかもしれないわね」
「詳しくは知らないが、確かに魔界の生命は多種多様だったな。命令を聞かないのも、『リアルすぎたから』ってことか」
「……そういうことよ。私はあの子に愛情を注ぎ過ぎたから、私でさえも予想のつかない子に育ってしまった。創る者としては、最高の失敗だわ」
「愛か。お前がそんなことを滔々と語る奴だったとはな」
「私はママの偏愛を受けて育ったもの。魔界の住民の中でも私は特別扱いだったからね。相当深く魂の吟味をしていたようだわ」
「愛娘の割に、私と同じひねくれ方をしている気がするけどな。くっく」
「……『服や食べ物の好みどころじゃないわ。アリスちゃんが起床して、顔を洗う時に何回手を往復させるのか、家族に小言を言われた時に何回に一回くらい壁や椅子に当たるのか、本棚に並ぶ本の順番は何を基準にするのか、トイレで使う紙の量の平均と分散はどれくらいなのか、そういうことを余すことなく考えつくしてアリスちゃんの魂は作られたの。私にとって貴女は愛が織りなした吟味の結晶なのよ』って言われた」
「お前よくそんな丸い性格でいられたな」



 もう一つ、それからのアリスの話をしなければならない。
「年に一度の二人芝居、今しか見られない至高の人形劇、始まるわよー!」
 その次の年の正月になると、人里に妙な二人組が現れた。一人は美しい金髪をなびかせた、細い風貌の、まるで人形のような人間。もう一人は――あえてこの表現を使わせてもらうが――同じく金の髪を揺らし、にこやかに微笑む、まるで人間の様な人形。
 マガトロが先に、最前列に座る私の存在に気が付いた。にっこりと顔を和らげる彼女は、いよいよ有機的になっている。下手をしたら、笑い返す私の方がぎこちなかったかもしれない。彼女の笑顔が上手なのは、アリスが彼女に甘かったからに他ならない。
 ふと、隣からも視線を感じ、振り向くと大きな能面が笑っていた。いつもと違ってすっぽりと顔を覆っているが、正体を隠す隠さない以前の状態である。
 人が集まると、二人は動き出す。あの時のように、二人の間を阻む衝立は無い。
 劇の内容は、見たことのないものだった。アリスが見えない糸を手繰るように動かすと、それに反応してマガトロの方がピクリと動く。素早く手繰れば素早く引き寄せられ、ゆっくり押し返せばゆっくりと離れる。マガトロの身体が動くたびに、観客から歓声が沸き起こる。
 その演技力に感心しながらも、人形として組み込まれた能力の一つだと、内心では思っていた、するとどうだろう。アリスが弄ぶ見えない糸は徐々にその効果を失っていき、マガトロが少しずつ抵抗し始め、糸に引っ張られるのを抑えるように動き始めた。その力が強まると、今度は逆に、見えない糸に括りつけられているはずのマガトロが、その糸を引っ張るような動作をすると、その力に押し負けるようにアリスが腕を伸ばす。
 全てが何もない空間で行われているのに、私には確かに二人の身体を繋ぐ細い線が見えた。パントマイムと呼ぶのだと、後日プリズムリバーから教わった。
 見る見るうちに主導権はマガトロに移って行き、彼女が奪い取った糸を滅茶苦茶に動かすと、アリスの身体はくるくるとでたらめな姿勢で回りだし、地面に叩きつけられた。観客から笑いが起こるが、私は笑うどころではなく、固唾を飲んで二人の行きつく先を見守っていた。
 それからも見えない糸の主導権は行ったり来たりし、最終的にそれを奪い合う過程で二人の身体中に糸が絡まり合って、解けないまま二人がくっつきあい、その糸を切断するような動作で劇は終わった。いつの間にか集まっていた人間達はこぞって拍手の雨と称賛の言葉を投げかける。私もそれに倣って力いっぱい手を叩いていたら、漸くアリスが私に気が付き、マガトロと同じように笑う。
 上手くやっているじゃないか、私は瞳でそう伝えたつもりになったが、向こうが受け取ったかは分からない。



 この劇にテーマは無いし、涙も苦悩も無い。
 けれども私は知っている。壇上に立つあの二人こそがこの劇のテーマであり、苦悩であり、涙なのだと。
 三人のマーガトロイドと一人のマガトロは、今もなお人間のように自分の存在に悩んでいるのだろう。



 大空に鳴り響く拍手の下で、二人の演者は見えない糸で結ばれているかのようにぴったり同じ姿勢でもう一度深く頭を下げた。
 構想段階での主役はこころでした。


















 すまん。
きのせい
簡易評価

点数のボタンをクリックしコメントなしで評価します。

コメント



0.簡易評価なし
1.7個人的な感想しか書けないマン削除
生命を想像する魔法とは神の御業のような行いであり、しかしただの人間でも子供を作れたり長年愛着を持って使われた器類が付喪神となり生命を宿すことを考えれば大したこともないのかもしれません。
どちらにしろ、アリスが自律人形を作ったことは、子供を作ったのと同じような責任や関係を作ったことに他ならないのでしょうね。
2.10霽月削除
すっきりとまとまっているお話だなと思いました。

マガトロは不完全故に振り回され、アリスは理解不足から振り回され、
そうして認め合って自立して。
最後の劇に、まさにこの流れが纏まってますね。
お見事でした。
3.8絶望を司る程度の能力削除
おもしろかったです!
4.2みすゞ削除
要素を詰め込み過ぎて却って内容が薄くなっている印象です。後半のあっさり態度を翻した魔理沙のシーンが好きでした。
5.5ナルスフ削除
悪くない話でした。
でも、アリスとマガトロの絆を読者が感じられるような日常パート的存在がほとんどなく、三人目は母親としてのマーガトロイドだったという展開につなげるにはちょっと無理のある構成だったかなと思います。
6.10烏口泣鳴削除
今回のコンペで一番面白い作品でした。
キャラも相関も実に美しく整った物語だと思います。
アリスにマガトロにイド。輝く物全てが金で無いという様に、きっと二人の絆は煌めいているんでしょうね。
7.7がま口削除
なるほど、人形とアリスさんの『糸』のつながりも絆ですね。
物を創ることは、物の魂を自分に憑依させること。技術者の私としては心に刻んでおきたい言葉だと思いました。
8.5めるめるめるめ削除
 読みながらわかるようで実際わからない、もどかしい感じ。アリスが三人いる(かのごとく、
内面がかけ離れている)のが重要な鍵なのだろうけど、技工士のアリス、芸術家のアリス。こ
の二つの違いからしてどこが違うのか伝わってこない。(ついでに言うと何故その差異がある
のかも)それを魔理沙は劇を見るうちに気付いたと語っているが、劇の描写を読んでもいまい
ち伝わってこない。
 更にマガトロが家出した心情、アリスから離れたいと思った心情も伝わってこない。これは
経緯というか心情の動きが端折り気味なせいなのかも。こういうわかるようなわからないよう
な、伝わるような伝わらないようなもどかしさは、終始捻った表現で書かれていることが原因
なんじゃないかと。
 魔理沙らしくはあるし読んでて面白味のある文体ですが、伝えるべきことが曖昧になってし
まったり、繁雑な印象で重要な描写とそうでない描写の区別がつきにくかったり。
 テーマに対して展開が急ぎすぎにも思えた。マガトロの心情の変化をじっくりしっかり書いた
ほうが好印象に繋がる話だと思う。
9.4u!冫ldwnd削除
いい話だとは思うのですが、そこまでで止まっているとも思えました。
オリキャラであるマガトロとアリスの絆を示すには書き込み、エピソードの重ねが弱く思えます。人造物の魂という点も、この程度の触れ方では「とりあえず入れた」程度の感がありました。
10.8名前がない程度の能力削除
創作は、ママならぬことの連続。作品は、作者との間にある臍帯が切れた時点で、鑑賞者との間に結わえられるものが生まれる。
みたいなメッセージをこちらは勝手に受け取りました。

第三者に物語らせているのは、岡の上から見渡す視点がほしかったからなのでしょうか。
11.2あめの削除
こころちゃん主役で書くべきだ!
12.6うるめ削除
今回はアリスがメインの作品がいくつかありましたが、その中では一番しっくりきました。
13.6文鎮削除
ラストのパントマイムは面白そうというか、ぜひ見てみたいです。
子供は親の人形ではないと良く言われますが、
マガトロちゃんの場合それが目に見える糸だったり旅立ちがあったりと色々と考えさせられます。
14.7K.M削除
魂の字の分割から絆の字の分割の流れが好きです。